双界機神インフィナイト   作:シラヌイ321

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生命維持終了まで、二十一分五十八秒。

現在が終界に上書きされるまで、同じく二十一分五十八秒。

未来のアカリは、自ら赤い承認環を外した。

残るのは、八百三十万人を失った記憶に縛られる未来のレンと、亀裂の入った青い承認環。

【挿絵表示】


九十秒の限界を越え、三つの世界すべてを救うために必要なのは、正しい答えではない。

もう一度、選び直すための一秒だった。

第1期最終話「選び続ける世界」、始まります。


第12話 選び続ける世界

「未来とは、正しい答えではない。

 

間違えた後も、もう一度選べる時間のことだ。

 

だから世界は、止まらない」

 

 

生命維持終了まで、二十一分五十八秒。

 

完全接続まで、二十一分五十八秒。

 

二つの数字が、同じ速さで減っていた。

 

終界の空で、終端戦闘体クアドラ・エンドが黒金の槍を振り上げる。

 

その足元には、傷ついた二機が立っていた。

 

左腕を失った蒼界機アズール。

 

右腕を時間固定された紅界機フレア。

 

『アズール判断系。左腕喪失、右腕損傷拡大。それでも両脚は継続可能です』

 

『フレア判断系。右腕固定、左腕出力八十一パーセント。なお、操縦者の後退意思は未検出です』

 

「わざわざ言わなくていい!」

 

『事実確認です』

 

アカリが一瞬だけ言葉に詰まり、レンは小さく息を吐いた。

 

機体が違えば、AIの言い方も違う。

 

それでも、どちらも後ろへ下がるという選択肢だけは提示しなかった。

 

二機の間には、細い白線が残っている。

 

合体要求。

 

危険度、測定不能。

 

成功率、零パーセント。

 

クアドラ・エンドの胸部では、青と赤の棺が黒金の拘束環に包まれていた。

 

未来のアカリは、もう赤い承認環を持っていない。

 

未来固定を命じていた赤い光索は切れている。

 

残るのは一本。

 

未来のレンが握る、青い承認環。

 

表面には細い亀裂が入っていた。

 

現在のレンが呼びかける。

 

「正しい答えを出せとは言わない」

 

「次の一秒だけ、俺たちへ預けろ」

 

未来のレンは目を閉じている。

 

その記憶では、八百三十万人が死んだ。

 

自分がもっと早く決めていれば。

 

もっと正しく計算できていれば。

 

誰にも選ばせず、世界を止めていれば。

 

何度やり直しても、その結論へ戻ってしまう。

 

未来のアカリが隣の棺へ手を伸ばす。

 

二人の間には、触れられない距離があった。

 

かつての蒼界と紅界のように。

 

『レン』

 

未来のアカリが、もう一度名前を呼ぶ。

 

『あの時、止める方を選んだのは私も同じ』

 

『だから、一人で正しかったことにしないで』

 

未来のレンの指が動く。

 

承認環の亀裂が広がった。

 

クアドラ・エンドが、その迷いを危険と判断する。

 

『承認記録を強制保護』

 

黒金の固定膜が、青い棺へ流れ込んだ。

 

未来のレンの腕を、承認環ごと凍らせようとする。

 

現在のレンはアズールを前へ出した。

 

失った左腕では届かない。

 

残った右腕で、振り下ろされた槍を受け止める。

 

黒金の刃が青銀の掌へ食い込んだ。

 

右腕の装甲が次々と砕ける。

 

アカリが叫ぶ。

 

「レン!」

 

「止まるな!」

 

アズールは槍を押し返さない。

 

刃の位置だけを青い円環で固定する。

 

自分の機体を守るのではなく、フレアが動ける一秒を残す。

 

フレアは動いた。

 

時間固定された右腕を引きずり、赤い機体が槍の下へ飛び込む。

 

左拳がクアドラ・エンドの胸部へ届いた。

 

「今度は、私たちが支えるから!」

 

未来のレンは、現在の自分を見る。

 

若い自分なら、もっと壊れない方法を探した。

 

成功率を計算し、最も安全な固定点を選んだ。

 

だが目の前のレンは、自分で危険を引き受けている。

 

無計画だからではない。

 

アカリが必ず先へ進むと知っているからだ。

 

未来のレンは、小さく息を吐いた。

 

『一秒だけだ』

 

現在のレンが答える。

 

「十分だ」

 

未来のアカリが、泣きそうな顔で笑う。

 

『昔から、一秒の使い方が大げさなのよ』

 

未来のレンの口元も、ほんの少しだけ動いた。

 

『お前にだけは言われたくない』

 

青い承認環が砕けた。

 

最後の固定索が切れる。

 

生命維持終了まで、二十一分四十三秒。

 

 

クアドラの内部で、二つの心臓が向かい合う。

 

一つは、未来のレンとアカリの承認を基準に、世界を最も安全だった瞬間へ固定する黄金の終端心炉。

 

もう一つは、乗せた全員を生きた時間へ帰すため、母艦ノア・ギアから残された白いノア心炉。

 

青と赤の固定索を失った終端心炉が震えた。

 

正回転。

 

停止。

 

ゆっくりと逆方向へ動き始める。

 

ノア心炉と同じ方向。

 

未来を固定するためではない。

 

全員を帰すための回転。

 

黄金と白の鼓動が重なった。

 

双心共鳴〈ツイン・ハート・レゾナンス〉。

 

クアドラ・エンドの左半身から青い固定線が消える。

 

右半身からも赤い線が離れた。

 

それでも、機械は止まらない。

 

『過去承認を喪失』

 

『自律終端命令を継続』

 

造った二人が選び直しても、クアドラ・エンドは古い命令だけを守り続ける。

 

黒金の槍がアズールの右手へさらに沈んだ。

 

フレアが左拳を槍の側面へ叩き込む。

 

「もう、その二人は止まりたくないって言ってるでしょ!」

 

赤い衝撃で軌道がずれる。

 

アズールとフレアが同時に後退した。

 

クアドラ・エンドの胸部で、黄金歯車が大きく開く。

 

終界全域から黒金の光が集まり始めた。

 

一億八千四百万人を、二度と選び直せない深さまで固定するつもりだった。

 

ノア心炉の内部で、ニルが両目を開く。

 

向かいにはミラがいる。

 

同じ白い髪。

 

違う色の瞳。

 

違う時間に生まれた二人。

 

ミラが終界住民の固定層を表示する。

 

「全固定層への接続が開きました」

 

『時間を返します』

 

「何秒ですか」

 

『一秒』

 

「一秒では、誰も避難できません」

 

『避難のためではありません』

 

ニルは一億八千四百万人へ問いを送る。

 

声ではない。

 

命令でもない。

 

止まった意識へ、一つの余白だけを届ける。

 

次の一秒へ進みますか。

 

もう一度、自分で選びますか。

 

ミラの黒い右目が固定層を開く。

 

金色の左目が、生命維持を一秒だけ本人の身体へ返した。

 

選択返還〈リターン・チョイス〉。

 

白い波が都市全体を走る。

 

止まっていた時計の秒針が動いた。

 

一秒。

 

母親の手が、転びかけた子供の背中へ届く。

 

一秒。

 

空中で止まっていた果実が落ち、店先の男が慌てて両手で受け止める。

 

一秒。

 

窓辺の鳥が羽ばたく。

 

涙が頬を伝う。

 

言いかけた言葉が声になる。

 

隣にいる誰かの手を、誰かが握る。

 

立ち上がる者がいた。

 

座ったまま周囲を見つめる者もいた。

 

恐怖で動けない者もいる。

 

それでも、動けなかったことは拒絶ではない。

 

迷ったことも、怖いと思ったことも、本人だけの新しい反応だった。

 

クアドラが記録していない一秒。

 

誰かに決められた安全ではなく、自分で迎えた次の時間。

 

白い選択信号がノア心炉へ集まる。

 

十万。

 

百万。

 

一千万。

 

一億。

 

観測数が増えるほど、終端心炉の予測画面が白く塗り替えられていく。

 

『未登録選択、上限超過』

 

『単一未来を算出不能』

 

クアドラ・エンドの槍が揺れた。

 

未来を一つへ絞る機械には、一億を超える違う答えを同時に処理できない。

 

ニルが言う。

 

『全員が、同じ答えを選ぶ必要はありません』

 

ミラも続けた。

 

「違う答えを持ったまま、同じ次の時間へ進めます」

 

二つの心炉から、青、赤、紫、白の光が終界の空へ放たれた。

 

 

傷ついたアズールとフレアの間に、白い道が開く。

 

二つのツイン・ギア・コアが、互いの位置を探し始めた。

 

黄金座標。

 

これまでは、その座標が現れた瞬間、クアドラに見つかった。

 

だからヴァイスの零相遮蔽で隠し、九十秒だけ戦ってきた。

 

今、二つの心炉は同じ方向へ回っている。

 

黄金座標は、クアドラが現在へ帰るための目印ではない。

 

三つの世界を、生きた時間へつなぐ帰還路になる。

 

ノア心炉の中で、ニルが合体条件を開いた。

 

『黄金座標、帰還航路へ接続』

 

ミラが数値を確かめる。

 

「観測遮断は不要」

 

『制限時間は』

 

「ありません」

 

アカリが赤い操縦環へ手を置いた。

 

レンも青い操縦環を握る。

 

二人は互いの機体を、通信窓ではなく同じ空の中に見る。

 

「レン」

 

「聞こえてる」

 

「今度は、何秒?」

 

レンの計器から数字が消えていく。

 

九十。

 

六十。

 

三十。

 

零。

 

どれも表示されない。

 

「終わるまでだ」

 

アカリが笑った。

 

「長いね」

 

「まだ始まってない」

 

「じゃあ、始めよう」

 

二人が同時に、半円形の操縦環を前へ押す。

 

「フェイズ・ドッキング!」

 

傷ついた二機が、それぞれの形を保ったまま光へ変わった。

 

機体を半分へ壊すのではない。

 

二つの完成した構造から、必要な機能を同じ設計図へ重ねていく。

 

『アズール判断系、青側判断を維持します』

 

『フレア判断系、赤側判断を維持します』

 

『統合による平均化を拒否』

 

『賛成。違いは故障ではありません』

 

二つのAIは、一つの答えに混ざらない。

 

異なる判断を持ったまま、同じ機体を動かすために噛み合った。

 

アズールの青い固定機能が左側へ集まる。

 

フレアの赤い加速機能が右側へ重なる。

 

失われたアズールの左腕は、二機が共有する設計記録から新しく形成された。

 

時間固定されたフレアの右腕も、黒金の殻を脱ぎ捨てて再構成される。

 

二本の腕。

 

二本の脚。

 

青い左側。

 

赤い右側。

 

胸部中央には、黄金と白の二重歯車。

 

額に黄金の角が開き、全身へ白い帰還線が走った。

 

双界機神インフィナイト。

 

同じ名前。

 

同じ二人。

 

けれど、もう黄金座標を隠す必要はない。

 

九十秒の限界もない。

 

無限位相〈インフィニット・フェイズ〉。

 

二つの操縦席が、同じ空間へ並ぶ。

 

二人の間を隔てていた薄い光の壁が消えた。

 

レンの左手とアカリの右手が、中央の黄金操縦環へ同時に触れる。

 

終界で初めて会った時と同じ温度。

 

今度は、離さなくても機体は動く。

 

二つの心臓が、インフィナイトの胸部で一つの鼓動になる。

 

レンとアカリが声を重ねた。

 

「双界機神インフィナイト――完全起動!」

 

黄金の双眼が開いた。

 

生命維持終了まで、二十分四十九秒。

 

 

クアドラ・エンドが終端選択槍を両手で構える。

 

『黄金座標を確認』

 

『回収を実行』

 

黒金の槍がインフィナイトの胸部へ突き出された。

 

レンは左腕を上げる。

 

青い円環が槍先を固定した。

 

同時に、アカリが右脚へ加速を入れる。

 

インフィナイトは固定された槍の周囲を回り、クアドラ・エンドの背後へ出た。

 

未来の戦闘記録にはない。

 

今のインフィナイトでは、レンが赤い加速を選べる。

 

アカリが青い固定点を変えられる。

 

どちらが青で、どちらが赤か。

 

もう役割は決まっていない。

 

必要な瞬間に、必要な方が選ぶ。

 

「今の加速、私より思い切りよくなかった?」

 

「数値は同じだ」

 

「そういう話じゃない」

 

「なら、あとで説明してくれ」

 

「今度こそ先に聞くからね!」

 

クアドラ・エンドの予測画面へ、無数の進路が開く。

 

百。

 

一万。

 

一億。

 

現在の二人だけではない。

 

蒼界の人々。

 

紅界の人々。

 

終界で一秒を選び直した人々。

 

そのすべてが、新しい可能性として黄金座標へ流れ込んでいる。

 

『進路を算出不能』

 

クアドラ・エンドは振り返り、槍を横へ払った。

 

インフィナイトは避けない。

 

青い左手で柄を掴む。

 

赤い右手で刃を受ける。

 

黒金の力が、操縦席へ三つの結末を映し出した。

 

レンの左側には、平穏な蒼界。

 

アカリのいない世界。

 

アカリの右側には、復興した紅界。

 

レンのいない世界。

 

正面には、誰も争わない終界。

 

誰も動かない世界。

 

『一つを選択してください』

 

『選ばなければ、全未来を失います』

 

アカリは、黄金操縦環へ重ねた手に力を入れる。

 

「どれも、あり得た未来なんだね」

 

レンは三つの世界を観測した。

 

「ああ」

 

「じゃあ、消さない」

 

「同じ考えだ」

 

インフィナイトの胸部で、黄金と白の歯車が回る。

 

一つへ決めない。

 

存在した可能性を、失敗も含めて残す。

 

その上で、今いる場所から次を選ぶ。

 

青、赤、黒金の幻が、白い光へ変わった。

 

クアドラ・エンドの槍に亀裂が走る。

 

アカリが右腕を引いた。

 

「ツイン・ギア・バースト!」

 

レンが左掌で衝撃範囲を固定する。

 

青赤の拳が槍の中心へ届いた。

 

黒金の刃が二つに折れる。

 

だがクアドラ・エンドは、折れた槍を捨てなかった。

 

二本の短い刃として握り直す。

 

一方が青い左肩を切り裂いた。

 

もう一方が赤い右脚を貫く。

 

インフィナイトが初めて後退した。

 

警告が操縦席を埋める。

 

左肩出力、五十二パーセント。

 

右脚出力、四十七パーセント。

 

合体継続時間。

 

制限なし。

 

アカリが表示を見る。

 

「壊れないわけじゃないんだ」

 

「当然だ」

 

「ちょっと安心した」

 

「なぜ」

 

「無敵になったんじゃ、選ぶ意味がないから」

 

レンは一秒考えた。

 

「安心する場面ではない」

 

「分かってる。ちょっとだけ!」

 

クアドラ・エンドが二本の刃を重ねる。

 

終界の空全体が黒金に染まった。

 

終端領域〈ラスト・フィールド〉。

 

インフィナイトが右へ避ける未来が消える。

 

左へ避ける未来も消える。

 

上昇。

 

下降。

 

防御。

 

反撃。

 

選ぶたび、その結果が先に黒く塗り潰された。

 

最後に残るのは一つ。

 

二本の刃がインフィナイトの胸部を貫き、黄金歯車が砕ける未来。

 

クアドラ・エンドが、その結末へ踏み込んだ。

 

レンは動かない。

 

アカリも操縦環を押さない。

 

「何もしないの?」

 

「今は」

 

刃が迫る。

 

「いつまで?」

 

「アカリが動くまで」

 

アカリはレンの横顔を見る。

 

未来は一つずつ消されている。

 

だが消されたのは、二人がこれまで選んだ行動だけだ。

 

今この瞬間、別々の人々が生んだ何千万もの選択までは、まだ一つに絞られていない。

 

「分かった」

 

アカリが黄金操縦環から手を離す。

 

レンも同時に手を離した。

 

ほんの〇・三秒。

 

二人は、機体へ直接命令することをやめる。

 

代わりにニルとミラが、三つの世界から届く選択信号を操縦系へ開いた。

 

右へ進みたい者。

 

左へ逃げたい者。

 

誰かを守りたい者。

 

まだ動けない者。

 

互いに違う無数の力が、一つへ揃わないままインフィナイトへ流れ込む。

 

『青側判断系。不一致入力を排除しません』

 

『赤側判断系。全件を未観測選択として保持します』

 

アカリが目の前を埋める選択信号を見る。

 

「これ、まとめられる?」

 

『不可能です』

 

レンが答えた。

 

「なら、まとめるな」

 

『提案を承認』

 

クアドラには、どれが実行される未来か判別できない。

 

インフィナイトは、そのすべてを抱えたまま中央を前へ進んだ。

 

二本の刃の間を、真正面から抜ける。

 

『未登録操縦を検出』

 

『操縦者、不明』

 

レンとアカリは、もう一度黄金操縦環を握った。

 

「決めたのは、俺たちだけじゃない」

 

「これが、みんなの次の一秒!」

 

インフィナイトの両手が、クアドラ・エンドの胸部へ届く。

 

壊すための拳ではない。

 

終端心炉とノア心炉の間へ、帰還航路を直接つなぐ。

 

青い固定円環が、観測された可能性を消えない記録として残す。

 

赤い加速光が、それらを一秒先へ進める。

 

カインのノア・スキフが、紫の零座標経路を開く。

 

ニルとミラが、白い選択信号を重ねる。

 

黄金の歯車が、三つの世界を一つへ潰さず結んでいく。

 

インフィニット・ギア・リベレーション。

 

壊すのは、クアドラではない。

 

誰かが最初に決めた未来を、永遠に守り続けろという命令だけ。

 

レンとアカリが同時に叫んだ。

 

「インフィニット・ギア――」

 

「リベレーション!」

 

黄金と白の光が、クアドラ・エンドの胸部を貫いた。

 

爆発は起きない。

 

黒金の装甲が、静かに光の粒へ変わる。

 

終端固定光が消えた。

 

二本の刃も崩れていく。

 

一つの未来だけを残せという命令が、百二十七年分の記録から切り離された。

 

クアドラ・エンドの双眼から、青と赤の光が抜ける。

 

未来のレンとアカリを閉じ込めていた棺が開いた。

 

二人の身体が白い光へ解放される。

 

機械音声が、最後に告げた。

 

『固定未来を終了』

 

『帰還航行へ移行』

 

クアドラ・エンドの巨体が両膝をつく。

 

戦闘装甲は、避難用の白い航路板へ組み替わっていった。

 

未来を止めていた巨大機が、全員を運ぶ船へ戻る。

 

生命維持終了まで、十三分四十八秒。

 

 

戦いは終わった。

 

救出は、まだ始まったばかりだった。

 

ノア心炉が零座標避難計画を再計算する。

 

従来の完了予測、四十七分。

 

双心共鳴後の完了予測、十三分四十二秒。

 

残された余裕は六秒。

 

ノア・スキフの操縦席で、カインが紫色の操縦環を握り直した。

 

「六秒もある」

 

ニルの声が通信へ返る。

 

『通常、六秒は余裕と呼びません』

 

「俺たちの作戦では長い」

 

『その基準は改善が必要です』

 

「帰ってから聞く」

 

『帰還予定を確認しました』

 

カインは一瞬黙った。

 

「そういう意味ではない」

 

『知っています』

 

ノア・スキフが紫色の亀裂へ飛び込む。

 

未来のカインから託された経路を使い、第一街区の時間固定層を零座標へ沈めた。

 

建物。

 

道路。

 

人々。

 

一つの空間として移し、その先で停止時刻の一秒後へ再配置する。

 

終界を現在へ上書きせず、終界自身の次の時間を作る座標。

 

継続座標〈コンティニュー・ポイント〉。

 

現在のノア・ギアが、百二十七年前からその始点を支える。

 

カナメの声が白い帰還線を越えて届いた。

 

『蒼界側、座標固定開始』

 

ユナが続く。

 

『紅界側も同期。継続座標、誤差〇・〇〇〇四』

 

ゲンゴの声が割り込む。

 

『出力は足りる! 遠慮せず持っていけ!』

 

蒼界と紅界の市民が、再び予備電力を送る。

 

工場。

 

家庭用蓄電池。

 

病院の非常炉。

 

輸送車。

 

一つ一つの光は小さい。

 

終界の人々も、自分たちの選択信号を返している。

 

現在が未来を運ぶだけではない。

 

未来も、自分たちの足で次の一秒へ進もうとしていた。

 

インフィナイトは終界上空で両腕を広げる。

 

青い左手が移動前の街区を固定する。

 

赤い右手が継続座標へ時間を一秒進める。

 

黄金と白の胸部が、二つの場所を同時につないだ。

 

街区が紫色へ消える。

 

次の瞬間、白い光の向こうへ現れる。

 

止まっていた時計が動き始めた。

 

人々の呼吸が戻る。

 

誰かが叫ぶ。

 

誰かが泣く。

 

何が起きたのか理解できず、隣の人へ尋ねる。

 

答えられないまま、二人で笑う者もいた。

 

全員に、次の一秒が来る。

 

退避完了率、十二パーセント。

 

残り十二分七秒。

 

退避完了率、二十七パーセント。

 

残り十分三十一秒。

 

退避完了率、四十四パーセント。

 

残り八分十二秒。

 

ノア・スキフの右翼が、零座標の流れに剥がされた。

 

カインは機体を横滑りさせ、金色の塔へ船腹をぶつけて進路を変える。

 

「帰ったら、ゲンゴに怒られるな」

 

ニルが答えた。

 

『帰る理由が増えました』

 

カインは一瞬だけ黙る。

 

「誰の真似だ」

 

『記録から学習しました』

 

未来のカインが残した紫色の経路が、次の街区を示す。

 

姿はもうない。

 

それでも、選んだ道は現在のカインの手に残っている。

 

退避完了率、六十八パーセント。

 

残り五分四十秒。

 

 

解放された未来のレンとアカリは、白い航路板の上へ降りていた。

 

長い時間固定で、二人の身体は弱っている。

 

互いの肩を支えなければ歩けない。

 

それでも棺の外にいる。

 

未来のアカリが、終界の空を飛ぶインフィナイトを見上げた。

 

『あんな形になれたんだ』

 

未来のレンは、機体の胸を走る白い帰還線を見る。

 

『形は同じだ』

 

『違うよ』

 

未来のアカリが首を横へ振る。

 

『あれは、二人だけで動いてない』

 

未来のレンは、動き始めた街を見る。

 

『俺たちは、二人だけで全部を背負おうとした』

 

『誰にも選ばせないことが、守ることだと思った』

 

現在のレンが通信を開く。

 

「これからどうする」

 

未来のレンは少し考える。

 

『決めていない』

 

現在のアカリが笑った。

 

「いい答え」

 

未来のアカリも笑う。

 

『明日のことは、明日みんなで決める』

 

『もう、私たちだけでは決めない』

 

ミラが二人のそばへ現れた。

 

未来のアカリが尋ねる。

 

『ミラも現在へ行く?』

 

ミラは、通信画面のニルを見る。

 

同じ白い髪。

 

違う瞳。

 

違う記憶。

 

「私は、ここに残ります」

 

ニルが尋ねた。

 

『命令ですか』

 

「いいえ」

 

ミラは自分の胸へ手を置く。

 

「私が選びました」

 

「この世界の人々が自分で明日を決められるまで、帰還端末ではなく、ミラとしてここにいます」

 

ニルは頷いた。

 

『では、また通信します』

 

「待っています」

 

『待つだけではなく、あなたからも送ってください』

 

ミラの口元が少し緩む。

 

「努力します」

 

『約束してください』

 

ミラは、カインへ同じ言葉を返したニルの意図に気づく。

 

「通信すると選びます」

 

二人は同じ姿で、別々の未来を選んだ。

 

 

退避完了率、九十二パーセント。

 

残り一分五十四秒。

 

クアドラの旧中枢が崩れ始める。

 

終端命令を失った黒金装甲は、終界の重力を保てない。

 

インフィナイトが両脚を地面へ固定した。

 

青い円環を限界まで広げ、最後の街区群を支える。

 

アカリが赤い出力を右腕へ集めた。

 

「まとめて送る!」

 

レンが警告する。

 

「座標差が大きい」

 

「一つずつじゃ間に合わない!」

 

「分かってる」

 

「止めないの?」

 

「止めるのは街区だ。アカリじゃない」

 

青い固定円環が、十二の街区を一つの巨大な輪へまとめる。

 

赤い加速光が、輪全体の時間を一秒先へ押した。

 

十二街区が同時に零座標へ沈む。

 

退避完了率、九十九・九八パーセント。

 

残り十四秒。

 

未退避生命反応。

 

一。

 

カインが叫ぶ。

 

「どこだ!」

 

ニルが全固定記録を開く。

 

『登録座標にいません』

 

ミラが、選択返還の一秒を再生した。

 

母親の手が、転びかけた子供の背へ届く。

 

支えられた子供は、その後で自分から一歩だけ前へ出ていた。

 

クアドラの固定記録には存在しない一歩。

 

だから退避経路にも登録されていない。

 

アカリが叫んだ。

 

「見つけた!」

 

崩れる金色の交差点。

 

消えた街区の跡に、小さな人影が一人だけ残っている。

 

残り九秒。

 

インフィナイトが飛んだ。

 

クアドラの旧装甲が空から落ちる。

 

青い左肩へ直撃した。

 

出力、三十一パーセント。

 

残り六秒。

 

レンが子供の位置を固定する。

 

だが継続座標への出口は閉じ始めていた。

 

残り三秒。

 

アカリが赤い右手を伸ばす。

 

巨人の指では、子供を直接掴めない。

 

衝撃だけで傷つけてしまう。

 

「レン、固定を借りる!」

 

「もう使ってる!」

 

「じゃあ、半分!」

 

レンは子供の足元を固定したまま、残る円環をアカリへ渡す。

 

赤い掌の内側へ、青い小さな円環が生まれた。

 

柔らかな空気だけを固定した受け皿。

 

残り一秒。

 

インフィナイトの右手が、子供を空気ごと包む。

 

赤い加速で、継続座標へ送った。

 

〇・三秒。

 

白い出口の向こうで、母親が両腕を伸ばす。

 

〇・〇七秒。

 

子供の身体が、母親の胸へ届いた。

 

零秒。

 

終界の生命維持が停止する。

 

同時に、未退避生命反応が零になった。

 

退避完了率、百パーセント。

 

完全接続は実行されない。

 

蒼界は消えない。

 

紅界も消えない。

 

終界の人々も現在を奪わず、自分たちの次の一秒へ到達した。

 

二未来救出作戦〈デュアル・フューチャー〉。

 

最終救出数。

 

一億八千四百万人。

 

欠員、零。

 

 

終界だった空間から、金色が消えていく。

 

そこに残ったのは、空になった街と白い帰還航路だけ。

 

継続座標では、同じ街が一秒先を生き始めていた。

 

時計が動く。

 

風が吹く。

 

止まっていた鳥が、羽ばたきの続きを飛ぶ。

 

未来のレンとアカリは、移動した都市の中央広場へ立っていた。

 

母親に抱かれた子供が空を指す。

 

白い光の中に、インフィナイトが見えた。

 

未来のアカリが通信を開く。

 

『全員いるよ』

 

現在のアカリは、操縦席で息を吐いた。

 

「よかった」

 

その一言で、身体から力が抜けそうになる。

 

レンの手が、黄金操縦環の上で支えた。

 

「まだ帰還がある」

 

「分かってる」

 

「眠るな」

 

「レンこそ」

 

未来のレンが二人を見る。

 

『現在が違う道を選べば、俺たちの未来は生まれない』

 

『俺たちも消える可能性がある』

 

現在のレンは首を横へ振った。

 

「ここにいるお前たちは消えない」

 

終界は、現在が必ず辿り着く結末ではなくなった。

 

一つの可能性から分かれ、自分の次を選べる世界になった。

 

現在が違う道を進んでも、救出された一億八千四百万人の一秒は消えない。

 

未来のレンは、ようやく肩の力を抜く。

 

『そうか』

 

未来のアカリが隣から言った。

 

『次に会う時は、百二十七年も待たせないでね』

 

現在のアカリが笑う。

 

「そっちからも来てよ」

 

『航路を直したらね』

 

ミラが通信へ入る。

 

「帰還航路を現在へ固定します」

 

「通過可能なのは、人型機一機と小型艇一隻」

 

レンが確認する。

 

「来た時と同じか」

 

「いいえ」

 

ミラの金色の左目が、わずかに柔らかくなる。

 

「今度は、こちらから閉じません」

 

白い歯車が開いた。

 

向こう側には、現在のノア・ギアが見える。

 

暗くなった格納庫。

 

その中央で、ヴァイスが紫色の灯りを掲げていた。

 

ノア・スキフが先に航路へ入る。

 

右翼を失い、外装も焼けている。

 

それでもカインは、まっすぐ現在へ向かった。

 

ニルがミラを振り返る。

 

『また通信します』

 

「はい」

 

小型艇が白い光へ消える。

 

インフィナイトも後へ続いた。

 

未来のレンとアカリが、動き始めた街から見送る。

 

現在の二人は、同じ操縦席から手を上げた。

 

異なる時間を生きる二組の手が、白い航路の両側で重なった。

 

 

現在のノア・ギア。

 

白い歯車から、ノア・スキフが飛び出した。

 

格納庫の床へ着く直前、残っていた左の安定翼まで外れる。

 

ゲンゴが整備員へ叫ぶ。

 

「受け止めろ!」

 

緩衝膜が小型艇を包む。

 

カインとニルは、傾いた船体の中で無事だった。

 

続いて、青、赤、金、白の巨人が航路を越える。

 

インフィナイトの黄金の足が、中央格納庫へ着地した。

 

帰還航路が閉じる。

 

今度は断絶ではない。

 

両側に座標記録を残した、再び開ける扉として閉じた。

 

ニルが合体解除を告げる。

 

『フェイズ・ドッキング、終了可能』

 

アカリは中央の操縦環へ置いた手を見る。

 

レンの手が、まだその上に重なっていた。

 

「終わったね」

 

「作戦は」

 

「そういう意味じゃなくて」

 

レンは少し考える。

 

「始まった」

 

アカリは一度だけ目を丸くした。

 

それから笑う。

 

「うん」

 

「そっちの方がいい」

 

二人は手を離した。

 

「フェイズ・ドッキング解除」

 

「またね、インフィナイト」

 

黄金の巨体が青と赤の光へ分かれる。

 

アズールとフレアが、それぞれ二本の腕と二本の脚を持つ完全な機体として戻った。

 

『アズール判断系、青側機体へ復帰』

 

『フレア判断系、赤側機体へ復帰』

 

『共有記録は保持します』

 

『ただし、操縦者アカリの過大入力は共有対象外を希望します』

 

「ちょっと!」

 

『希望は却下されました』

 

レンが視線を逸らす。

 

アカリは見逃さなかった。

 

「今、笑った?」

 

「記録にない」

 

『アズール判断系。記録は存在します』

 

「レン、あとで見せてもらうからね」

 

ただし、戦闘前の損傷は消えていない。

 

アズールの左腕は応急構造だけを残して停止する。

 

フレアの右腕も、時間固定こそ解けたが出力は戻らない。

 

二機は壊れたまま帰ってきた。

 

それでも、自分の両脚で同じ格納庫へ立っている。

 

胸部ハッチが開く。

 

アズールの青い掌へレンが降りる。

 

フレアの赤い掌へアカリが立つ。

 

終界で初めて会った時と同じ形。

 

今度は、二人の間に八メートルもない。

 

二つの掌が共通甲板へ並び、レンとアカリは同じ床へ降りた。

 

そこにはカナメが待っていた。

 

ユナ。

 

ゲンゴ。

 

拘束環をつけたアウレル。

 

カナメが潜入班を見渡す。

 

「帰還を確認した」

 

「全員だ」

 

カインが壊れたノア・スキフから降りる。

 

「一人、未来に残った」

 

ニルが続けた。

 

『ミラは、自分で残ると選びました』

 

カナメは頷く。

 

「なら、未帰還ではない」

 

「あれが彼女の帰る場所だ」

 

ゲンゴがアズールとフレアを見上げる。

 

左腕。

 

右腕。

 

肩部装甲。

 

推進器。

 

次々と損傷表示が開いた。

 

さらにノア・スキフの両翼が、遅れて床へ落ちる。

 

ゲンゴは目を閉じた。

 

「壊しすぎるなと言ったはずだ」

 

アカリがレンを見る。

 

「やっぱり怒られた」

 

「予測どおりだ」

 

ゲンゴの眉が上がる。

 

「予測できたなら壊すな!」

 

格納庫に笑いが広がった。

 

七年前の世界分裂から、何度も失われた場所。

 

そこへ初めて、二つの世界の笑い声が同じ空気で響く。

 

アウレルは少し離れた場所から、動き続ける未来の映像を見ていた。

 

「私の理論は、最後まで間違っていた」

 

レンが答える。

 

「全部ではない」

 

アウレルが顔を上げる。

 

「零座標の計算がなければ、避難路は作れなかった」

 

「正しかった部分まで消す必要はない」

 

アカリが続ける。

 

「でも、したことも消えない」

 

「分かっている」

 

アウレルは拘束環へ触れた。

 

「消さずに、生きて責任を負う」

 

ニルが彼を見る。

 

『その選択を記録します』

 

「頼む」

 

 

三十日後。

 

蒼界と紅界の間に、小さな扉が完成した。

 

共界門〈きょうかいもん〉。

 

二つの世界を無理に重ねず、人と物だけが安全に行き来できる通路。

 

大きさは、人が二人並んで通れる程度。

 

人型機は通れない。

 

軍隊も、大量の物資も、一度には送れない。

 

最初に運ばれたのは、紅界の少年が描いた四つの歯車の絵だった。

 

次は、蒼界の女性が育てた青い花。

 

交換条件を巡って議論が起きた。

 

通行人数でも揉めた。

 

どちらの規則を採用するかで、会議は夜まで続いた。

 

世界がつながっても、全員が同じ考えになるわけではない。

 

恐怖も疑いも、すぐには消えない。

 

それでも、意見が違うたびに扉を閉じる者はいなかった。

 

その日、レンは共界門の蒼界側で待っていた。

 

青い私服。

 

胸元には、七年前から持つ青いペンダント。

 

扉の赤い光が揺れる。

 

アカリが紅界側から歩いてきた。

 

赤い上着。

 

胸元には、同じ形の赤いペンダント。

 

今度は戦闘服ではない。

 

背後に崩れる世界もない。

 

残り時間の表示もない。

 

アカリが扉を越える。

 

「待った?」

 

レンは端末を見る。

 

「二十三秒」

 

「細かい」

 

「七年より短い」

 

アカリは一瞬黙り、それから笑った。

 

「それ、私が言ったやつ」

 

「記録していた」

 

「自分の言葉みたいに使わないで」

 

二人は並んで歩き始める。

 

目的地は、ノア・ギアの共同食堂。

 

会議でも作戦でもない。

 

ただ同じ場所で食事をするための約束だった。

 

後ろから、カインとニルが共界門を通る。

 

ニルの両目は、青と赤のままだ。

 

『二人の心拍数が上昇しています』

 

アカリが振り返る。

 

「記録しなくていい!」

 

『今回は位相変動ではなく、健康確認です』

 

カインが言う。

 

「諦めろ。あいつは記録する」

 

『必要な情報だけです』

 

「必要の基準が広すぎる」

 

共同食堂へ着くと、カインは端末から特大の甘味を注文した。

 

アカリが画面を見る。

 

「甘い物、好きなの?」

 

「何か問題があるか」

 

「ないけど、もっと苦い物だけで生きてそう」

 

「人を外見で固定するな」

 

レンが頷く。

 

「今回の教訓と一致する」

 

「そこまで大きな話にしないで」

 

四人の声が、青と赤の食堂へ重なった。

 

 

ノア・ギアの大型画面へ、百二十七年後から通信が届く。

 

白髪のミラが映った。

 

その背後では、人々が街の瓦礫を片づけている。

 

止まっていない。

 

怒鳴り合う者もいる。

 

泣いている者もいる。

 

子供たちは、動く時計の秒針を珍しそうに追いかけていた。

 

未来のレンとアカリも画面へ入る。

 

未来のアカリが言った。

 

『世界の新しい名前を決めようって話になったんだけど』

 

未来のレンが続ける。

 

『候補が四千を超えた』

 

現在のアカリが笑う。

 

「決まりそう?」

 

『すぐには無理だ』

 

現在のレンは頷いた。

 

「それでいい」

 

ミラが現在と未来の全員を見る。

 

「終界という名称は、昨日をもって使用を終了しました」

 

「新しい名称は、まだありません」

 

「決まるまで、この世界を未来と呼びます」

 

止まった世界は終わった。

 

そこに残ったのは、完成した正解ではない。

 

失敗するかもしれない明日。

 

意見が衝突するかもしれない社会。

 

それでも、選び直せる時間。

 

未来のアカリが画面越しに手を振る。

 

現在のアカリも振り返す。

 

未来のレンは、現在のレンへ言った。

 

『あの一秒、返す』

 

現在のレンは首を横へ振る。

 

「次の誰かへ預けてくれ」

 

未来のレンは少し考えた。

 

それから頷く。

 

『分かった』

 

通信が終わる。

 

青い世界は、青いまま残った。

 

赤い世界も、赤いまま残った。

 

二つを無理に一つへ戻すことはしない。

 

違う世界だからこそ、扉を開く意味がある。

 

アズールとフレアは、格納庫で別々の機体として修復を受けている。

 

必要な時には、またインフィナイトになれる。

 

離れていても、つながっている。

 

インフィナイトとは、一体の機体だけを指す言葉ではなくなった。

 

違う答えを持つ者たちが、互いの未来を消さずに進むための名前になった。

 

世界は、正しい答えを一つだけ選ばなかった。

 

選び続けられる時間を選んだ。

 

 

その夜。

 

ノア・ギアの観測室で、ニルが一人だけ目を開いた。

 

青い右目に蒼界。

 

赤い左目に紅界。

 

二つの間へ、見覚えのない透明な光が現れる。

 

透明な光の奥で、白銀の人型機を示す設計像が立ち上がった。

 

二本の腕と二本の脚。

 

胸部には、まだ色のない歯車。

 

青と赤へ分かれる以前を思わせる輪郭だったが、完成記録も実在記録もない。

 

設計識別欄に残っていたのは、二つの名称だけ。

 

起点管理核ゼロ。

 

プロトタイプ・インフィナイト。

 

それが造られた機体なのか、造られなかった可能性なのか、ニルにも判別できなかった。

 

未来からではない。

 

零座標からでもない。

 

発信時刻。

 

七年前。

 

世界分裂の、一秒前。

 

音声が再生された。

 

激しい雑音。

 

誰かの呼吸。

 

そして、聞いたことのない女の声。

 

『こちらは、まだ一つだ』

 

『蒼羽レン、緋月アカリ』

 

『次は、始まりを助けてくれ』

 

通信は一度で切れた。

 

ニルは透明な光へ手を伸ばす。

 

恐怖はある。

 

分からないことも多い。

 

それでも彼女は、信号を消さなかった。

 

保存する。

 

そして、自分の言葉で記録名をつける。

 

新しい選択。

 

青と赤の間で、透明な歯車が一度だけ回った。

 

世界が二つに割れた物語は、ここで終わる。

 

選び続ける世界の物語は、ここから始まる。

 

第12話 終

 

第1期 完




最後までお読みいただき、ありがとうございます。

『双界機神インフィナイト』第1期、これにて完結です。

最終話でレンたちが壊したのは、クアドラそのものではなく、「一度決めた未来を永遠に変えてはいけない」という命令でした。

蒼界も、紅界も、百二十七年後の未来も、一つへ潰さず残す。一億八千四百万人を最後の一人まで帰す。その答えを選べたのは、特別な一人ではなく、違う考えを持つ全員が次の一秒を選んだからです。

未来のレンが承認環を外す場面、無限位相のインフィナイト、最後の子供の救出、ミラの選択、共同食堂での四人など、印象に残った場面や台詞があれば、感想や「ここすき」で教えていただけるとうれしいです。

そして最後に届いたのは、世界分裂の一秒前からの救難信号。

信号に残された「起点管理核ゼロ」と「プロトタイプ・インフィナイト」が何を意味するのか。完成した機体なのか、造られなかった設計なのか、その答えは次の物語で明かしていきます。

次に救うべきものは、未来ではなく「始まり」なのかもしれません。

ここまで物語を追ってくださり、本当にありがとうございました。

『双界機神インフィナイト』は、第2期へ続きます。
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