旧作【合体ロボ】死んだはずの幼なじみが、隣の世界から俺の名前を呼んだ 作:シラヌイ321
世界が二つに割れてから、七年と三十日。
蒼界と紅界をつなぐ共界門が、今日はじめて開きます。
最初に通されたのは、薬でも、部品でも、英雄でもありませんでした。
そして、通された最後の一つを見ていたのは、ニルだけでした。
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改訂版 幕間 共界門の初荷
共界門は、門というより、細い廊下だった。
高さは三階建ての建物ほど。幅は、大人が二人、肩を並べてやっと通れる程度。
片側からは青い光が、反対側からは赤い光が差し込んでいて、二つがちょうど重なる中央だけが、どちらの色でもない透明になっている。
蒼界側の床は、まだ真新しい白銀だった。
紅界側の床は、溶接痕を隠しもしない黒鉄だった。
同じ廊下なのに、足元の材質が途中で切り替わる。
それが、この三十日で二つの世界が到達した、いちばん正直な形だった。
廊下の中央には、細い線が一本引かれている。
線の向こうへ半歩踏み出せば、そこはもう、生まれ育った世界ではない。
『共界門、位相安定。両側の登録卓、同期完了』
管制席から、白瀬ユナの声が響いた。
いつもの落ち着いた声に、今日は少しだけ角が立っている。
『念のためもう一度言います。共界門は、両側が同じものを「通す」と登録しなければ、何も通しません』
『片側だけの善意は、通りません。片側だけの都合も、通りません』
蒼羽レンは、廊下の青い側に立っていた。
三十日前まで、この位置には壁があった。正確には、壁ですらない、何もない空白があった。
「……歩いて渡れるんだよな、ここ」
「機体じゃなくて、俺の足で」
赤い側から、返事が飛んでくる。
「さっきから三回同じこと言ってるけど」
「レン、そんなに信じられないなら、こっち来て踏んでみれば?」
緋月アカリが、線の向こうで腕を組んでいた。
彼女の背後には紅界の赤い空が広がっていて、その光が、彼女の髪の先だけを燃えるような色に染めている。
「……いや、今日は荷物優先だ。人はあと」
「出た。かっこつけ」
「どうせ最初に渡ったら、その場で立ち止まるからでしょ」
「立ち止まらない」
「七年前、瓦礫の前で三十分動かなかった人が何か言ってる」
「あれは……足が埋まってただけだ」
「七年間ずっと埋まりっぱなしなんだ、大変だね」
線の両側で、整備員たちが小さく噴き出した。
御堂カナメが、登録卓の前に立った。
境界航行母艦ノア・ギアの艦長であり、共界門の暫定運用責任者を兼ねている。
「では、共界門、初回輸送を開始します」
「第一便、登録品目」
整備員たちの背筋が伸びた。
当然だと、レンは思う。
三十日かけて決めた、最初の一つだ。医薬品か、位相計測器か、それとも復旧用の発電部品か。どれも足りていない。どれも、通せば誰かが助かる。
カナメが、登録票を読み上げた。
「――絵。一枚」
沈黙が落ちた。
「……え」
「……絵?」
「絵です」
「額縁入り。差出人、蒼界第七避難区の児童。宛先、紅界第三居住区の児童」
「両側の登録卓が、同時に「通す」を返しました」
カナメは顔を上げず、淡々と続ける。
「私は反対しました。医薬品を先にすべきだと三回言いました」
「三回とも、両世界の代表に否決されました」
レンは、思わず笑ってしまった。
「……理由は?」
「『薬は、通らなくても運ぶ方法を考えられる』」
「『絵は、この門が通らなかったら、二度と届かない』」
「――だそうです」
額縁が、詰まった。
正確には、廊下の中央――二つの世界の境目で、斜めに引っかかった。
「ちょっ、待って、押さないで! 角が!」
「引くな引くな引くな、そっち位相の縁だ、削れる!」
青い側からレンが、赤い側からアカリが、同じ額縁の別々の角を掴んでいる。
二人の手が、廊下の中央で十センチまで近づいて、そこで止まった。
――近い。
肩を並べて飯を食ったのは、三十日前だ。四人分の食事を、同じ卓で。
それでも、今日は違った。
この十センチの先は、生まれ育った世界の外側になる。
あと半歩踏み出せば、レンは紅界の空気を吸うことになる。
「……」
「……」
「な、なにボーッとしてんの! 早く角度!」
「そ、そうだ、角度。アズール、通過角の算出を頼む」
胸元の携行端末から、青銀の声が返る。
『了解。額縁外形を走査。最適通過角を算出します』
同時に、赤い側でもアカリが端末を掲げた。
「フレア、そっちも!」
『了解。最適通過角、算出中』
二つの声が、廊下の中央で重なった。
そして。
いや。
一言一句、同じだった。
間合いも、語尾の切り方も、完全に一致していた。
「……アズール」
『はい』
「今、フレアと声が揃ったぞ」
『……偶然です』
「フレア、今の」
『偶然です』
「言い訳まで揃ってるじゃん!」
『訂正します。当機とフレア判断系は、現在まで千九百件以上の共同演算を実施しました』
『結果、判断手順の一部に収束が発生しています』
『補足します。これは模倣ではありません』
『……似ただけです』
「そこは張り合うんだな」
「うちの子、負けず嫌いなんだよね」
『育成方針の影響と推定します』
「うるさい」
笑いが起きた。
青い側と赤い側で、同時に。
結局、額縁は通った。
アズールが示した青側の角度と、フレアが示した赤側の角度が、〇・四度だけ違っていた。
どちらが正しいかで、また少し揉めた。
最終的に、レンが青側の角を〇・四度下げ、アカリが赤側を〇・四度上げた。
誰も譲らず、誰も勝たない解き方だった。
額縁は、そのまま、するりと抜けた。
「……通った」
「通ったね」
二人が、同時に息を吐いた。
絵が、掲げられた。
描かれていたのは、歯車だった。
四つ。
青い歯車が、ひとつ。
赤い歯車が、ひとつ。
紫の歯車が、ひとつ。
そして、三つの歯車がちょうど噛み合う中心に、黄金の歯車が、ひとつ。
人は、一人も描かれていない。
顔も、名前も、旗も、機体もない。
ただ、四つの歯車が噛み合って、回っている。
「……これ」
レンは、無意識に胸元へ手をやっていた。
服の下にある、半分だけの歯車。七年前、世界が割れた日に手の中へ残ったもの。
赤い側で、アカリもまったく同じ動作をしていた。
彼女の手の中にも、もう半分がある。
二人は、互いの手を見て、少しだけ気まずそうに目を逸らした。
その動きを、差出人の子供が見ていた。
まだ十歳にもならない、蒼界の男の子だ。
「あ」
「それ、描いたやつだ」
男の子が、青い歯車と赤い歯車を交互に指差した。
「……見たことあるのか?」
「ううん。お姉ちゃんが言ってたの、聞いただけ」
「『青いのと赤いのが噛み合ったから、まだ回ってる』って」
レンは、何も言えなかった。
アカリも、何も言わなかった。
代わりに、白い髪の少女が一歩前に出た。
ニル。
右目が青く、左目が赤い。
前回の戦いの終わりに、彼女は「選ばないこと」を選んだ。
「この、真ん中の金色は」「名前がありますか」
男の子は、少し考えてから、首を振った。
「ない」
「だって、これ、みんなが回ったところだから」
「みんなが回ったところに、名前って、つける?」
ニルの目が、わずかに見開かれた。
彼女は記録装置を持ち上げかけて――途中で、止めた。
そして、それを腰へ戻した。
「……登録しません」「未記録ではなく、記録前として預かります」
「きろくまえ?」
「はい」「名前がつく日まで、私が覚えています」
男の子は、よく分からないという顔をして、それでも頷いた。
第二便は、鉢植えだった。
青い花が一輪。蒼界の岩場にしか咲かない、痩せた花だ。
贈り主は、蒼界の整備班全員。
宛先は――ニル。
「……私に、ですか」
「お前が七年、誰にも名前を呼ばれなかったってのを、こいつら全員が聞いちまってな」
真壁ゲンゴが、油で汚れた手を腰に当てて言った。
蒼界側の整備主任。分裂の日から、ずっと現場に立ち続けている男だ。
「花くらい貰っとけ。安いもんだ」
ニルは、鉢を両手で受け取った。
重さを確かめるように、少し持ち上げる。
「この花には、名前がありますか」
「ねえよ。蒼界じゃ雑草扱いだ」
「では」「紅界で咲いた時、育てた人に決めてもらいます」
「……お前、たまに大人より大人だな」
「七年、待ちましたので」
ゲンゴが、返事に詰まった。
そして、乱暴に頭を掻いた。
揉め始めたのは、その直後だった。
「だからよ、この固定環は紅界式でいくべきだって言ってんだ!」
「馬鹿言わないで、蒼界式の緩衝帯のほうが位相ズレに強いのよ!」
九条マオ。紅界側の技術主任。
ゲンゴより頭ひとつ小さく、声はゲンゴより二倍大きい。
二人は、廊下の中央の線を挟んで、工具を突きつけ合っていた。
レンは、しばらく聞いていて――気づいた。
「……アカリ」
「うん、気づいた」
「あの人たち」
「自分の世界の方式じゃなくて」
「相手の世界の方式を推してる」
ゲンゴは紅界式を。
マオは蒼界式を。
互いに、相手の技術のほうが優れていると言い張って、一歩も引かない。
「当たり前だろうが。三十日こっちの図面睨んでたんだ、良さくらい分かる」
「こっちだって蒼界の設計図を枕にしてたのよ」
「……じゃあ両方使うか」
「……最初からそう言いなさいよ」
二人は同時にしゃがみ込み、同時に工具を回し始めた。
紅界の耐熱楔に、蒼界の精密留め具。
どちらの世界だけでも作れなかった支持構造が、三十分で組み上がった。
「レン。アカリ」
ゲンゴが、こちらを見もせずに言った。
「帰ってきたら工具持たせるって言ったが、ありゃ訂正だ」
「お前らはもう、持ってる側だ」
「……はい」
「持ってる側、ね。悪くない響き」
第三便で、事件が起きた。
カインが、大きな箱を抱えて廊下に現れたのだ。
「差し入れだ」
黒い識別帯の少年は、無表情のまま箱を掲げた。
零座標へ亀裂を開く男が、両手で菓子箱を持っている。
絵面として、どうかと思う。
「登録票には、焦がし砂糖の飴、二十四個とありますが」
カナメが、箱を覗き込んだ。
そして、動きを止めた。
「……二十三個です」
「二十四個だ」
「数えました。二十三個です」
「……輸送中の減耗だ」
「減耗しないでしょ、飴は!」
「カイン。口の端」
「…………」
カインが、ゆっくりと口元を拭った。
茶色い砂糖が、指についた。
「毒見だ」
「今! 考えたでしょ今!」
「毒見は輸送規定に含まれる」
「含まれません」
「……含めるべきだ」
ニルが、記録装置を持ち上げた。
「共界門、第三便」「記録名――『待ち切れなかった』」
「待て」
「それは記録に残すな」
「では」「記録名――『自業自得』」
「……前のに戻せ」
廊下が、笑い声で埋まった。
青い側からも、赤い側からも。
カインは眉ひとつ動かさず、それでも、耳がわずかに赤かった。
日が傾く頃、男の子がもう一枚の紙を持ってきた。
白紙だった。
「……これも、通すのか?」
「うん」
「何も描いてないぞ」
「まだ見てないから」
男の子は、当たり前のことのように言った。
「見たら描く」
「だから、先に送っとく」
レンは、その紙をしばらく見つめた。
七年前、この子はまだ生まれていない。
割れる前の世界を知らず、割れた後の世界しか知らず、それでも、まだ描かれていない明日のために紙を一枚、先に送る。
「……アカリ」
「うん」
「あたしたち、これ守ってるんだね」
「ああ」
白紙が、するりと、何にも引っかからずに廊下を抜けた。
この日、いちばん軽い荷物だった。
夜。
共界門の光は、日中の半分まで絞られていた。
哨戒当番のレンはアズールの操縦席へ、アカリはフレアの操縦席へ向かい、廊下には、ニルだけが残った。
彼女は、記録装置を使わなかった。
腰の袋から紙と鉛筆を取り出し、膝の上で、一行だけ書いた。
金色の歯車に、いつか名前がつくとしたら。
たぶん、それは「みんな」でも「世界」でもない。
もっと具体的で、もっと不格好な、誰かの名前だ。
ニルは紙を折り、胸元へしまった。
そして。
風の音も。
冷却器の唸りも。
遠くで作業を続ける整備班の声も。
共界門そのものが立てていた、低い駆動音さえも。
ニルは、呼吸を止めた。
止めたつもりだった。
止めた音すら、聞こえなかった。
それだけだった。
次の瞬間、世界のすべての音が、何事もなかったように戻ってきた。
風。冷却器。遠い笑い声。
誰も、気づいていない。
誰も、手を止めていない。
ニルだけが、廊下の中央で、下を向いていた。
――共界門の、床の際。
青銀と黒鉄が切り替わる、そのわずか下。
透明な位相の底に、光があった。
青でも、赤でもない。
白銀の、細い線。
人型の輪郭。
その左腕だけが、こちらへ向かって、まっすぐ伸びていた。
ニルは、記録装置に手を伸ばしかけて――やめた。
この装置に入れれば、系が自動で危険判定を返す。
危険判定が出れば、規定により共界門は即時封鎖される。
今日、絵が通った門が。
白紙が通った門が。
名前のない花が通った門が。
確認もされないまま、閉じる。
「……一度だけ」「私の手で、確かめます」
彼女は再び紙を取り出し、鉛筆を握った。
装置ではなく、自分の指で。
震える線で、受信内容を書き写していく。
七年間、記録に残すことだけが優しさだと信じてきた少女が、この夜はじめて、記録に「残さない」ことを選んだ。
書き終えた紙を、彼女は畳まなかった。
明日の朝、カナメへ直接手渡すつもりだった。
白銀の光は、もう消えていた。
共界門は、何も通していない。
けれど。
ニルは知っている。
初荷は、絵だった。
白紙も、花も、飴も、全部この門を通った。
――ならば。
第1期と第2期のあいだ、共界門が開いた最初の一日でした。
最初に通したのが薬でも部品でもなく、子供の描いた四つの歯車だったこと。名前のない金色の歯車に、ニルが「記録前として預かります」と答えたこと。この二つが、第2期でニルが背負うテーマそのものになります。
ゲンゴとマオが互いに相手の世界の方式を推して譲らない、というのは書いていていちばん楽しい場面でした。三十日あれば、人はここまで相手の図面を読める。それが、二つの世界が戦争をしなかった三十日の中身です。
そして最後の一秒。あの沈黙に気づいたのは、この時点でニル一人だけです。彼女は装置ではなく自分の手で写し取ることを選びました。理由は、危険判定が出れば門が閉じてしまうから。今日、白紙が通った門を、確かめもせずに閉じたくなかったからです。
よければ、ひとつだけ教えてください。
いちばん残ったのは、額縁を〇・四度ずつ分け合った場面でしたか。カインの飴が二十三個だった場面でしたか。それとも、まだ見ていないから白紙を先に送る、という子供の言葉でしたか。
次回、第13話。あの一秒は、ニルだけのものではありませんでした。