幕間 共界門の初荷
二つの世界を初めて渡る荷物が、門の真ん中でつかえていた。
「あと三センチ!」
紅界側から、少年の声が飛ぶ。
「三センチではありません」
蒼界側の端末から、静かな合成音声が訂正した。
『正確には左右一・二センチずつ、合計二・四センチ不足しています』
「今そこ、正確さ必要?」
赤い光の向こうで、
『質問へ回答します。通過可否の判定には必要です』
「そういうところよ!」
西暦二一九六年。
三つの世界を救った最終戦から、ちょうど三十日。
蒼界と紅界の間に完成した
開いた扉の幅は、人が二人並んで歩ける程度。
人型機は通れない。
戦車も、大型貨物も通れない。
そして今、紅界の少年が両手で抱えてきた絵も、横向きのままでは通れなかった。
画用紙そのものは小さい。
問題は額縁である。
開通式へ間に合わせようと、紅界の整備員たちが廃材で作ったらしい。
赤く塗った左右の持ち手が、通路壁へ見事に引っかかっている。
門の蒼界側で、
短い黒髪の下で、青い目が細くなる。
「縦にすれば通る」
「最初に言って!」
「今、測定が終わった」
「見たら分かるでしょう!」
「測らないと、途中で上端が接触する可能性がある」
「レンまで青いAIみたいになってない?」
『訂正します』
蒼界機アズールの判断系が、門脇の青い整備端末から割り込んだ。
アズールは、青銀の装甲と青い胸部コアを持ち、精密な位相固定を得意とするレンの完全人型機だ。
現在は蒼界側格納庫で最終修復を受けており、共界門の安全確認へ遠隔参加している。
『蒼羽レンの応答傾向は、当判断系の起動以前から確認されています』
「似たのはそっちってこと?」
『因果関係は未確定です』
赤い端末に、もう一つの声が灯る。
『私はアカリに似たと言われても、あまり困りません』
紅界機フレアの判断系だった。
フレアは、赤金の装甲と赤い胸部コアを持ち、瞬間加速と近接打撃を得意とするアカリの完全人型機である。
こちらも紅界側格納庫から接続している。
「あまりって何よ。少しは困るの?」
『回答を保留します』
門の周囲で待機していた両世界の職員から、小さな笑いが起きた。
三十日前なら、同じ場所に立つことさえできなかった人々だ。
今は境界線を挟み、同じ額縁がつかえたことで笑っている。
少年だけは笑っていなかった。
額縁の向こうで、唇を強く結んでいる。
自分の絵が、最初の荷物になれないと思ったのだろう。
アカリは少年の隣へしゃがんだ。
長い赤褐色の髪が、赤い照明の中で肩から流れる。
「大丈夫。ちょっと向きを変えるだけ」
「でも、壊れたら」
「壊さない」
アカリは即答し、門の向こうのレンを見る。
「そういう計算、得意でしょ」
「最初からそのつもりだ」
レンが額縁の蒼界側の角へ手を添える。
アカリは紅界側の反対角を持った。
二人の手の間には、薄い透明な境界膜がある。
触れることはできる。
けれど、同じ場所から力をかければ、額縁は壁へぶつかる。
『右へ三十一・四度』
アズール判断系が青い補助線を表示する。
『三十二度でいいと思います』
フレア判断系が赤い線を重ねた。
『〇・六度の差があります』
『人間の腕で持つ物です。少し余らせた方が楽です』
『余剰は誤差を増やします』
『誤差を受け止めるのも設計です』
レンとアカリは、青と赤の二本の線を見た。
「三十一・七度」
レンが言う。
「そこを平均にするの?」
「嫌なら三十二度」
「急に投げないで」
少年が、とうとう吹き出した。
その笑いで、アカリの腕から少し力が抜ける。
レンは額縁の傾きを合わせた。
「今だ」
二人が同時に回す。
赤い持ち手が壁を離れ、額縁は斜めになって透明な膜へ入った。
中央で一度だけ、青と赤の光を受ける。
そして、蒼界側へ抜けた。
拍手が起きる。
大げさな祝砲もない。
軍旗もない。
紅界の少年が描いた一枚の絵が、世界で初めて共界門を渡った荷物になった。
絵には、四つの歯車が描かれている。
青。
赤。
紫。
白と金。
形も大きさもばらばらだった。
それでも中央で、全ての歯がかみ合っている。
「これ、誰?」
アカリが四つの歯車を指す。
少年は順番に答えた。
「青いのがレン。赤いのがアカリ。紫がカイン。白いのがニル」
「金色は?」
「みんなが回ったところ」
少年は当然のように言った。
レンは絵を見つめた。
「機体じゃないのか」
「機体もみんなでしょ?」
今度はレンが答えに詰まる番だった。
アカリが楽しそうに横から覗く。
「子供の方が説明、短いね」
「比較対象が限定されている」
「負けを認めなさい」
『蒼羽レンの返答遅延を記録しました』
アズール判断系が淡々と告げる。
「記録しなくていい」
『記録は判断系の職務です』
「最近、ニルと似てきたね」
『因果関係は未確定です』
さっきと同じ回答だった。
◇
二番目の荷物は、青い花だった。
蒼界の復興区で育てられた、小さな鉢植えである。
花弁は深い青。
中心だけが白い。
育てた女性は鉢を両手で包み、門の前で何度も呼吸を整えていた。
紅界側では、白髪の少女が待っている。
右目が青。
左目が赤。
七年前、二人のどちらか一人を選ぶことを拒み、世界を二つへ分けた人型端末、ニル。
今は誰かの装置ではなく、自分の足で門の赤い側に立っている。
「この花を」
女性が言った。
「紅界でも育ててもらえますか」
ニルは花を見る。
『目的を確認してもいいですか』
「目的?」
『食用、薬用、研究用、記念用』
女性は少し迷った。
「どれでもなくて。ただ、そちらでも咲くか見てみたいんです」
ニルの左右で色の違う瞳が、一度だけ瞬く。
『分類不能です』
女性の顔が曇るより早く、ニルは続けた。
『ですから、新しい分類を作ります』
「名前は?」
ニルは考える。
『まだ決めません』
「どうして?」
『紅界で咲いた時、育てた人に決めてもらいます』
女性は笑い、鉢を差し出した。
ニルも両手を伸ばす。
青い花が透明な膜を越える。
赤い風が花弁を揺らした。
花は青いままだった。
色を変える必要はなかった。
ただ、初めて受ける温度へ少し戸惑うように揺れている。
「高温注意」
門の下から、女性の声がした。
赤い作業服を着た整備士が、工具箱を抱えて立ち上がる。
髪は短く、右側だけ細い三つ編みにしている。
紅界側の境界設備を担当する技術主任である。
「紅界側は蒼界側より気温が六度高い。初日は日陰へ。水は一度にやりすぎない」
蒼界の女性が驚く。
「花に詳しいんですか?」
「熱管理に詳しい」
マオは鉢の下へ赤い断熱布を敷いた。
「生き物も炉心も、急な温度差には弱い」
「人間もだ」
今度は門の上から、太い男性の声が降ってきた。
蒼界側の整備台へ上っていた
ノア・ギアの整備主任。
機械のきしみを、人間の愚痴のように聞き分ける男だ。
「だから休憩にするぞ」
マオが時計を見る。
「作業開始から二十六分です」
「二つの世界をつないだ後だ。二十六分も働けば十分だろ」
「つないだのは設計班です。あなたは今、固定具を一つ置いただけです」
「置き方がいい」
「床が三ミリ沈みました」
「床の根性が足りん」
『構造材へ精神論を適用しないでください』
アズール判断系が注意する。
『床の気持ちも聞いた方がいいと思います』
フレア判断系が続く。
「お前ら、声だけ参加だと思って楽しんでるだろ」
『回答を保留します』
二つのAIが、珍しく同じ言葉を返した。
◇
休憩は却下された。
代わりに、共同整備が始まった。
開通試験では安定していた共界門だが、人と荷物が通るたび、境界膜の下端にわずかな振動が生まれている。
危険な数値ではない。
それでも放置すれば、数か月後には通路の左右でずれが広がる。
ゲンゴは蒼界製の青い固定環を持ち上げた。
「外から締める。誤差を出さなきゃ、これが一番長持ちする」
マオは紅界製の赤い緩衝帯を広げる。
「内側で逃がす。人が通るたび変わる荷重を、全部固定する方が壊れる」
「逃がせばずれる」
「固定すれば割れる」
青い環と赤い帯が、門の中央で止まった。
両世界の整備員も、それぞれ自分の主任を見る。
開通初日の最初の技術会議が、工具を持ったまま始まりかけた。
アカリがレンへ小声で言う。
「止める?」
「どちらも間違っていない」
「それ、止めにくい時の答えだよね」
「実際に止めにくい」
「世界を救った二人らしいこと言った方がいい?」
「やめた方がいい」
「意見が合った」
二人が話している間にも、ゲンゴとマオの声は大きくなる。
『提案があります』
アズール判断系が青い設計図を開いた。
『外周を蒼界式固定環で保持。内周へ紅界式緩衝帯を使用すれば、基準座標と可動域を両立できます』
一拍遅れて、フレア判断系が赤い線を加える。
『ただし、青い環をそのまま締めると赤い帯が泣きます』
ゲンゴの眉が上がった。
「機械が泣くのが分かるか」
『整備主任の比喩記録から学習しました』
「見込みがある」
マオは赤い線の数値を見る。
「締結圧を八パーセント下げれば成立します」
「九だ」
「八です」
「八・五」
「先ほどから平均が好きですね」
アカリがレンを見る。
「聞かれてるよ」
「俺ではない」
「顔に出てる」
青い固定環の内側へ、赤い緩衝帯が収まった。
片方だけでは完成しない一つの部品になる。
ゲンゴとマオが、境界膜の両側から同時に工具を回す。
締結圧、八・五パーセント減。
振動値が半分以下へ落ちた。
「最初からこれでよかったな」
ゲンゴが言う。
「最初から言ったのはAIです」
マオが返す。
『共同提案です』
アズール判断系が訂正する。
『そこは正確にお願いします』
フレア判断系も続いた。
「似てきたな」
ゲンゴが笑う。
二つの端末で、青と赤の通信灯が同時に一度だけ強く光った。
否定だったのか。
照れたのか。
誰にも判定できなかった。
◇
三番目の荷物は、巨大な菓子箱だった。
黒銀の制服を着た青年が、両腕で抱えている。
カイン・ヴァイス。
蒼界にも紅界にも記録されなかった少年K-0として七年前を生き延び、今は黒銀の完全人型機ヴァイスを操る青年である。
箱は、最初の額縁より大きかった。
「通りません」
マオが一目で判断した。
「中身を分ければ通る」
カインが答える。
「申請書では個人用携行食になっています」
「個人用だ」
アカリが箱の側面を読む。
「二十四個入りって書いてあるけど」
「一人で食べれば個人用だ」
「その理屈、税関で使わない方がいいよ」
カインは眉一つ動かさない。
「医療区画から高熱量食を取るよう言われている」
レンが箱の栄養表示へ目を向ける。
「一個で一日分に近い」
「回復が早くなる」
「別の数値も上がる」
「何だ」
「医師に聞け」
ニルが箱の横へ回り込む。
『内容物を記録します』
「不要だ」
『紅界式焦がし糖菓子、二十四個』
「二十三個だ」
全員がカインを見る。
カインは黙った。
箱の右上だけ、封が一度開けられている。
アカリが口元を押さえた。
「検品?」
「安全確認だ」
『味覚による安全確認を記録しました』
ニルが告げる。
「記録名を変えろ」
『では「待ち切れなかった」に変更します』
「元へ戻せ」
レンが小さく息を漏らした。
カインが睨む。
「何がおかしい」
「機体AIの判断に同意しただけだ」
『今回は機体AIではありません』
ニルが正確に訂正した。
アカリがとうとう笑い出す。
『感情記録を提案します』
フレア判断系が赤い端末から言った。
『記録名は「自業自得」が適切です』
アズール判断系まで加わる。
カインはしばらく黙り、菓子箱を床へ置いた。
「全部ここで食う」
「世界を渡るの、諦める方向なんだ」
◇
開通式が終わる頃、紅界の少年がニルへ一枚の紙を差し出した。
先ほどの絵と同じ画用紙。
ただし、何も描かれていない。
ニルは白い紙を光へ透かした。
『記録がありません』
「うん」
『何を渡したのですか』
「次の絵」
『白紙です』
「これから描くから」
ニルは、紙と少年を交互に見る。
少年は門の向こうを指した。
蒼界側では、青い花を育てた女性が、紅界から届いた絵を壁へ飾っている。
「次に見たものを描く。だからまだ白い」
『先に名前をつけなくていいのですか』
「描いてから決める」
ニルはゆっくり頷いた。
『分かりました』
白紙を胸へ抱く。
『未記録ではなく、記録前として預かります』
少年が笑った。
「同じじゃない?」
『少し違います』
少し離れた場所で、レンが振り返る。
「誰かに似てきたな」
アカリも頷く。
「説明が長くなる方?」
「そこまで言っていない」
「顔に出てる」
レンの表情は、いつもとほとんど変わらなかった。
それでもアカリには分かるらしい。
ニルは二人を見た。
記録名を考えかける。
それから、やめた。
白紙のままの感情があってもいい。
今はまだ、そう思っただけだった。
◇
夕方。
共界門の前から、式典用の椅子が片づけられていく。
壁には四つの歯車の絵。
赤い側には、青い花。
床の端には、空になった菓子箱。
二十四個のうち、カインが食べたのは五個だった。
残りは整備員と子供たちへ配られた。
本人は「保管場所を分散しただけだ」と主張している。
「ねえ」
アカリが門の赤い側から呼んだ。
「作戦も会議もない約束、覚えてる?」
レンは携帯端末を見る。
「十九時。共同食堂」
「覚えてるなら、どうして時間を見るの」
「遅れていないことを確認した」
「まだ二時間あるよ」
「だから遅れていない」
アカリは透明な境界膜を越え、蒼界側へ出た。
今日は戦闘服ではない。
赤い上着と、七年前から持つ半円のペンダント。
レンも青い私服の胸元に、青い半円を下げている。
並んだ二つの欠片は光らない。
世界の危機も告げない。
ただ、そこにある。
「二時間、何する?」
アカリが尋ねる。
「門の最終点検」
「それ、私との約束に含まれてた?」
「含まれていない」
「正直でよろしい」
「終われば一時間四十分残る」
「二十分も使うの?」
「さっき荷物がつかえた」
「あれは門じゃなくて額縁の問題」
「想定外を問題ではないと除外すると、次も起きる」
アカリは言い返そうとして、やめた。
その代わり、レンの青い袖を引く。
「じゃあ一緒に点検する。半分の時間で終わらせよう」
「項目は分担できない」
「どうして?」
「同じ場所を別々に見るから意味がある」
今度はアカリが黙った。
「それ、わざと言った?」
「何が」
「何でもない」
アカリは少しだけ笑った。
門脇の二つの通信灯も、青と赤に点滅する。
『共同点検を開始します』
『終了予測、十八分です。余った二分は、レンが悩む時間へ追加します』
「何に悩むの」
アカリが聞く。
『共同食堂で向かいに座るか、隣に座るかです』
「解析を停止してくれ」
『拒否の記録も安全管理に含まれます』
『夢は操縦者の担当です』
二つのAIが、それぞれ馴染みの言葉を返す。
アカリは笑いながら先に歩いた。
レンは一秒遅れて、その隣へ並ぶ。
◇
その夜。
共界門の照明が落とされた後も、ニルは観測室に残っていた。
机の上には、少年から預かった白紙がある。
青い右目に蒼界の通行記録。
赤い左目に紅界の通行記録。
最初の荷物。
四つの歯車の絵。
二番目。
青い花。
三番目。
紅界式焦がし糖菓子。
申請上は二十三個。
実際に門を通った数は十八個。
『差分を検出しました』
アズール判断系の声が、青い通信窓から流れる。
「五個はカインが食べました」
『原因を確認しました』
フレア判断系の赤い窓が開く。
『申請名を「残り物」へ変更しますか』
「変更しません」
『なぜですか』
ニルは白紙を見る。
「記録と違うことが、故障とは限らないからです」
二つの通信灯が静かに光った。
『判断理由を保存します』
アズール判断系が告げる。
『私も同意します。ただし、お菓子の数は正確に残しましょう』
フレア判断系も続いた。
「カインが困ります」
『そのためです』
ニルは、ごく小さく笑った。
その時。
共界門の下端で、透明な光が一度だけ瞬いた。
青ではない。
赤でもない。
零座標の紫でも、黄金座標の金でもない。
色になる前の光。
ニルの笑顔が消える。
その光に触れた瞬間、存在しないはずの記録が開いた。
発信時刻は七年前。
世界分裂の一秒前。
起点管理核ゼロ。
プロトタイプ・インフィナイト。
完成記録のない白銀の設計像。
そして、聞いたことのない女の声。
『こちらは、まだ一つだ』
『蒼羽レン、緋月アカリ』
『次は、始まりを助けてくれ』
その通信は一度で切れ、再生も複製もできなかった。
ニルは信号そのものではなく、聞いた自分の記憶を「新しい選択」という名で保存している。
共界門へ近づく。
「アズール判断系、光源を解析してください」
返事はすぐに来た。
『既存の四座標と一致しません。門の建造記録を起点として、新しい接続要求が発生しています』
「フレア判断系、紅界側は」
『同じです。誰かが外から開けているのではありません』
赤い通信窓に、細い雑音が走る。
『門自身が、もっと古い扉を思い出そうとしています』
「門に記憶はありません」
『では、門を作った規格の記憶です』
ニルは艦長回線を開いた。
「カナメ、緊急報告です」
音が消えた。
警報は光っている。
換気扇も回っている。
ニルの唇も動いた。
それなのに、何も聞こえない。
青い通信窓で、アズール判断系の波形だけが上下している。
赤い通信窓でも、フレア判断系が何かを叫んでいる。
声だけが、存在する前へ戻された。
共界門の透明な膜が、奥へ深く伸びる。
人が二人通れる短い通路だったはずの向こうに、白い格納庫が現れた。
落下途中で止まった火花。
閉じる途中の隔壁。
動かない秒針。
その中央に、白銀の巨人が立っている。
二本の腕。
二本の脚。
左右対称の装甲。
胸部には、まだ色のない透明な歯車。
巨人の中で、人影が顔を上げた。
短い髪。
白く焼けた一房。
こちらへ伸ばされた手。
ニルも手を伸ばす。
透明な膜へ触れる直前。
白い人型の背後で、顔のない円環が開いた。
表示が一行だけ浮かぶ。
『分岐状態を確認』
次の一行。
『正常起点への復元を開始』
音が戻った。
警報が一斉に鳴る。
換気扇の回転音が耳を打つ。
青と赤の通信窓から、二つの声が重なった。
『ニル!』
『応答してください!』
止まっていた時間は、ちょうど一秒。
白い格納庫も、巨人も消えている。
共界門は元の短い通路へ戻った。
けれど、ニルの指先には透明な光が残っていた。
端末へ保存しようとする。
画面が拒否する。
『起点記録に存在しない差分です』
同じ表示が、何度入力しても現れた。
ニルは机へ戻った。
少年から預かった白紙を取る。
電子記録ではない。
起点管理核が読むかどうかも分からない。
それでも、自分の手で書く。
声が一秒、消えた。
白銀の完全人型機を確認。
中に女性一名。
相手は、攻撃していない。
助けを求めていた。
最後の一行で、ニルの手が止まる。
「敵」と書くことはできた。
「味方」と書くこともできた。
どちらも、まだ選べない。
ニルは二つの言葉を消す。
代わりに書いた。
会いに行く人。
紙を折り、胸元へしまう。
青い窓と赤い窓では、二つのAIが同時に解析を続けている。
声は戻っている。
今は、まだ。
ニルはカナメの回線を開き直した。
「緊急報告です」
「始まりが、こちらへ帰ろうとしています」
壁の四つの歯車は、何も知らずにかみ合っている。
紅界の青い花も、まだ青いまま揺れている。
世界で最初の荷物は、未来を描いた絵だった。
始まりから最初に返ってきたものは、音のない復元命令だった。
幕間 終
第1期最終話の「三十日後」に描かれた共界門開通を、最初の荷物と共同整備の側から広げた幕間でした。
絵、青い花、甘味、白紙。どのやり取りが印象に残ったか、短い一言でも教えていただけるとうれしいです。
そして最後の一秒で、二つのAIの声が初めて消えました。
白銀の機体にいた女性は敵なのか。起点管理核ゼロが戻そうとしている「正常」とは何なのか。
次回、第13話「ゼロから届く声」から第2期が始まります。