双界機神インフィナイト   作:シラヌイ321

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幕間
幕間 共界門の初荷


 

 

 

二つの世界を初めて渡る荷物が、門の真ん中でつかえていた。

「あと三センチ!」

紅界側から、少年の声が飛ぶ。

「三センチではありません」

蒼界側の端末から、静かな合成音声が訂正した。

『正確には左右一・二センチずつ、合計二・四センチ不足しています』

「今そこ、正確さ必要?」

赤い光の向こうで、緋月アカリ(ひづき・あかり)が叫んだ。

『質問へ回答します。通過可否の判定には必要です』

「そういうところよ!」

西暦二一九六年。

三つの世界を救った最終戦から、ちょうど三十日。

蒼界と紅界の間に完成した共界門(きょうかいもん)は、異なる二世界を重ねず、人と少量の物だけを通す境界通路である。

開いた扉の幅は、人が二人並んで歩ける程度。

人型機は通れない。

戦車も、大型貨物も通れない。

そして今、紅界の少年が両手で抱えてきた絵も、横向きのままでは通れなかった。

画用紙そのものは小さい。

問題は額縁である。

開通式へ間に合わせようと、紅界の整備員たちが廃材で作ったらしい。

赤く塗った左右の持ち手が、通路壁へ見事に引っかかっている。

門の蒼界側で、蒼羽レン(あおば・れん)は額縁と通路幅を見比べた。

短い黒髪の下で、青い目が細くなる。

「縦にすれば通る」

「最初に言って!」

「今、測定が終わった」

「見たら分かるでしょう!」

「測らないと、途中で上端が接触する可能性がある」

「レンまで青いAIみたいになってない?」

『訂正します』

蒼界機アズールの判断系が、門脇の青い整備端末から割り込んだ。

アズールは、青銀の装甲と青い胸部コアを持ち、精密な位相固定を得意とするレンの完全人型機だ。

現在は蒼界側格納庫で最終修復を受けており、共界門の安全確認へ遠隔参加している。

『蒼羽レンの応答傾向は、当判断系の起動以前から確認されています』

「似たのはそっちってこと?」

『因果関係は未確定です』

赤い端末に、もう一つの声が灯る。

『私はアカリに似たと言われても、あまり困りません』

紅界機フレアの判断系だった。

フレアは、赤金の装甲と赤い胸部コアを持ち、瞬間加速と近接打撃を得意とするアカリの完全人型機である。

こちらも紅界側格納庫から接続している。

「あまりって何よ。少しは困るの?」

『回答を保留します』

門の周囲で待機していた両世界の職員から、小さな笑いが起きた。

三十日前なら、同じ場所に立つことさえできなかった人々だ。

今は境界線を挟み、同じ額縁がつかえたことで笑っている。

少年だけは笑っていなかった。

額縁の向こうで、唇を強く結んでいる。

自分の絵が、最初の荷物になれないと思ったのだろう。

アカリは少年の隣へしゃがんだ。

長い赤褐色の髪が、赤い照明の中で肩から流れる。

「大丈夫。ちょっと向きを変えるだけ」

「でも、壊れたら」

「壊さない」

アカリは即答し、門の向こうのレンを見る。

「そういう計算、得意でしょ」

「最初からそのつもりだ」

レンが額縁の蒼界側の角へ手を添える。

アカリは紅界側の反対角を持った。

二人の手の間には、薄い透明な境界膜がある。

触れることはできる。

けれど、同じ場所から力をかければ、額縁は壁へぶつかる。

『右へ三十一・四度』

アズール判断系が青い補助線を表示する。

『三十二度でいいと思います』

フレア判断系が赤い線を重ねた。

『〇・六度の差があります』

『人間の腕で持つ物です。少し余らせた方が楽です』

『余剰は誤差を増やします』

『誤差を受け止めるのも設計です』

レンとアカリは、青と赤の二本の線を見た。

「三十一・七度」

レンが言う。

「そこを平均にするの?」

「嫌なら三十二度」

「急に投げないで」

少年が、とうとう吹き出した。

その笑いで、アカリの腕から少し力が抜ける。

レンは額縁の傾きを合わせた。

「今だ」

二人が同時に回す。

赤い持ち手が壁を離れ、額縁は斜めになって透明な膜へ入った。

中央で一度だけ、青と赤の光を受ける。

そして、蒼界側へ抜けた。

拍手が起きる。

大げさな祝砲もない。

軍旗もない。

紅界の少年が描いた一枚の絵が、世界で初めて共界門を渡った荷物になった。

絵には、四つの歯車が描かれている。

青。

赤。

紫。

白と金。

形も大きさもばらばらだった。

それでも中央で、全ての歯がかみ合っている。

「これ、誰?」

アカリが四つの歯車を指す。

少年は順番に答えた。

「青いのがレン。赤いのがアカリ。紫がカイン。白いのがニル」

「金色は?」

「みんなが回ったところ」

少年は当然のように言った。

レンは絵を見つめた。

「機体じゃないのか」

「機体もみんなでしょ?」

今度はレンが答えに詰まる番だった。

アカリが楽しそうに横から覗く。

「子供の方が説明、短いね」

「比較対象が限定されている」

「負けを認めなさい」

『蒼羽レンの返答遅延を記録しました』

アズール判断系が淡々と告げる。

「記録しなくていい」

『記録は判断系の職務です』

「最近、ニルと似てきたね」

『因果関係は未確定です』

さっきと同じ回答だった。

二番目の荷物は、青い花だった。

蒼界の復興区で育てられた、小さな鉢植えである。

花弁は深い青。

中心だけが白い。

育てた女性は鉢を両手で包み、門の前で何度も呼吸を整えていた。

紅界側では、白髪の少女が待っている。

右目が青。

左目が赤。

七年前、二人のどちらか一人を選ぶことを拒み、世界を二つへ分けた人型端末、ニル。

今は誰かの装置ではなく、自分の足で門の赤い側に立っている。

「この花を」

女性が言った。

「紅界でも育ててもらえますか」

ニルは花を見る。

『目的を確認してもいいですか』

「目的?」

『食用、薬用、研究用、記念用』

女性は少し迷った。

「どれでもなくて。ただ、そちらでも咲くか見てみたいんです」

ニルの左右で色の違う瞳が、一度だけ瞬く。

『分類不能です』

女性の顔が曇るより早く、ニルは続けた。

『ですから、新しい分類を作ります』

「名前は?」

ニルは考える。

『まだ決めません』

「どうして?」

『紅界で咲いた時、育てた人に決めてもらいます』

女性は笑い、鉢を差し出した。

ニルも両手を伸ばす。

青い花が透明な膜を越える。

赤い風が花弁を揺らした。

花は青いままだった。

色を変える必要はなかった。

ただ、初めて受ける温度へ少し戸惑うように揺れている。

「高温注意」

門の下から、女性の声がした。

赤い作業服を着た整備士が、工具箱を抱えて立ち上がる。

髪は短く、右側だけ細い三つ編みにしている。

九条マオ(くじょう・まお)

紅界側の境界設備を担当する技術主任である。

「紅界側は蒼界側より気温が六度高い。初日は日陰へ。水は一度にやりすぎない」

蒼界の女性が驚く。

「花に詳しいんですか?」

「熱管理に詳しい」

マオは鉢の下へ赤い断熱布を敷いた。

「生き物も炉心も、急な温度差には弱い」

「人間もだ」

今度は門の上から、太い男性の声が降ってきた。

蒼界側の整備台へ上っていた真壁ゲンゴ(まかべ・げんご)が、巨大な固定具を肩へ担いでいる。

ノア・ギアの整備主任。

機械のきしみを、人間の愚痴のように聞き分ける男だ。

「だから休憩にするぞ」

マオが時計を見る。

「作業開始から二十六分です」

「二つの世界をつないだ後だ。二十六分も働けば十分だろ」

「つないだのは設計班です。あなたは今、固定具を一つ置いただけです」

「置き方がいい」

「床が三ミリ沈みました」

「床の根性が足りん」

『構造材へ精神論を適用しないでください』

アズール判断系が注意する。

『床の気持ちも聞いた方がいいと思います』

フレア判断系が続く。

「お前ら、声だけ参加だと思って楽しんでるだろ」

『回答を保留します』

二つのAIが、珍しく同じ言葉を返した。

休憩は却下された。

代わりに、共同整備が始まった。

開通試験では安定していた共界門だが、人と荷物が通るたび、境界膜の下端にわずかな振動が生まれている。

危険な数値ではない。

それでも放置すれば、数か月後には通路の左右でずれが広がる。

ゲンゴは蒼界製の青い固定環を持ち上げた。

「外から締める。誤差を出さなきゃ、これが一番長持ちする」

マオは紅界製の赤い緩衝帯を広げる。

「内側で逃がす。人が通るたび変わる荷重を、全部固定する方が壊れる」

「逃がせばずれる」

「固定すれば割れる」

青い環と赤い帯が、門の中央で止まった。

両世界の整備員も、それぞれ自分の主任を見る。

開通初日の最初の技術会議が、工具を持ったまま始まりかけた。

アカリがレンへ小声で言う。

「止める?」

「どちらも間違っていない」

「それ、止めにくい時の答えだよね」

「実際に止めにくい」

「世界を救った二人らしいこと言った方がいい?」

「やめた方がいい」

「意見が合った」

二人が話している間にも、ゲンゴとマオの声は大きくなる。

『提案があります』

アズール判断系が青い設計図を開いた。

『外周を蒼界式固定環で保持。内周へ紅界式緩衝帯を使用すれば、基準座標と可動域を両立できます』

一拍遅れて、フレア判断系が赤い線を加える。

『ただし、青い環をそのまま締めると赤い帯が泣きます』

ゲンゴの眉が上がった。

「機械が泣くのが分かるか」

『整備主任の比喩記録から学習しました』

「見込みがある」

マオは赤い線の数値を見る。

「締結圧を八パーセント下げれば成立します」

「九だ」

「八です」

「八・五」

「先ほどから平均が好きですね」

アカリがレンを見る。

「聞かれてるよ」

「俺ではない」

「顔に出てる」

青い固定環の内側へ、赤い緩衝帯が収まった。

片方だけでは完成しない一つの部品になる。

ゲンゴとマオが、境界膜の両側から同時に工具を回す。

締結圧、八・五パーセント減。

振動値が半分以下へ落ちた。

「最初からこれでよかったな」

ゲンゴが言う。

「最初から言ったのはAIです」

マオが返す。

『共同提案です』

アズール判断系が訂正する。

『そこは正確にお願いします』

フレア判断系も続いた。

「似てきたな」

ゲンゴが笑う。

二つの端末で、青と赤の通信灯が同時に一度だけ強く光った。

否定だったのか。

照れたのか。

誰にも判定できなかった。

三番目の荷物は、巨大な菓子箱だった。

黒銀の制服を着た青年が、両腕で抱えている。

カイン・ヴァイス。

蒼界にも紅界にも記録されなかった少年K-0として七年前を生き延び、今は黒銀の完全人型機ヴァイスを操る青年である。

箱は、最初の額縁より大きかった。

「通りません」

マオが一目で判断した。

「中身を分ければ通る」

カインが答える。

「申請書では個人用携行食になっています」

「個人用だ」

アカリが箱の側面を読む。

「二十四個入りって書いてあるけど」

「一人で食べれば個人用だ」

「その理屈、税関で使わない方がいいよ」

カインは眉一つ動かさない。

「医療区画から高熱量食を取るよう言われている」

レンが箱の栄養表示へ目を向ける。

「一個で一日分に近い」

「回復が早くなる」

「別の数値も上がる」

「何だ」

「医師に聞け」

ニルが箱の横へ回り込む。

『内容物を記録します』

「不要だ」

『紅界式焦がし糖菓子、二十四個』

「二十三個だ」

全員がカインを見る。

カインは黙った。

箱の右上だけ、封が一度開けられている。

アカリが口元を押さえた。

「検品?」

「安全確認だ」

『味覚による安全確認を記録しました』

ニルが告げる。

「記録名を変えろ」

『では「待ち切れなかった」に変更します』

「元へ戻せ」

レンが小さく息を漏らした。

カインが睨む。

「何がおかしい」

「機体AIの判断に同意しただけだ」

『今回は機体AIではありません』

ニルが正確に訂正した。

アカリがとうとう笑い出す。

『感情記録を提案します』

フレア判断系が赤い端末から言った。

『記録名は「自業自得」が適切です』

アズール判断系まで加わる。

カインはしばらく黙り、菓子箱を床へ置いた。

「全部ここで食う」

「世界を渡るの、諦める方向なんだ」

開通式が終わる頃、紅界の少年がニルへ一枚の紙を差し出した。

先ほどの絵と同じ画用紙。

ただし、何も描かれていない。

ニルは白い紙を光へ透かした。

『記録がありません』

「うん」

『何を渡したのですか』

「次の絵」

『白紙です』

「これから描くから」

ニルは、紙と少年を交互に見る。

少年は門の向こうを指した。

蒼界側では、青い花を育てた女性が、紅界から届いた絵を壁へ飾っている。

「次に見たものを描く。だからまだ白い」

『先に名前をつけなくていいのですか』

「描いてから決める」

ニルはゆっくり頷いた。

『分かりました』

白紙を胸へ抱く。

『未記録ではなく、記録前として預かります』

少年が笑った。

「同じじゃない?」

『少し違います』

少し離れた場所で、レンが振り返る。

「誰かに似てきたな」

アカリも頷く。

「説明が長くなる方?」

「そこまで言っていない」

「顔に出てる」

レンの表情は、いつもとほとんど変わらなかった。

それでもアカリには分かるらしい。

ニルは二人を見た。

記録名を考えかける。

それから、やめた。

白紙のままの感情があってもいい。

今はまだ、そう思っただけだった。

夕方。

共界門の前から、式典用の椅子が片づけられていく。

壁には四つの歯車の絵。

赤い側には、青い花。

床の端には、空になった菓子箱。

二十四個のうち、カインが食べたのは五個だった。

残りは整備員と子供たちへ配られた。

本人は「保管場所を分散しただけだ」と主張している。

「ねえ」

アカリが門の赤い側から呼んだ。

「作戦も会議もない約束、覚えてる?」

レンは携帯端末を見る。

「十九時。共同食堂」

「覚えてるなら、どうして時間を見るの」

「遅れていないことを確認した」

「まだ二時間あるよ」

「だから遅れていない」

アカリは透明な境界膜を越え、蒼界側へ出た。

今日は戦闘服ではない。

赤い上着と、七年前から持つ半円のペンダント。

レンも青い私服の胸元に、青い半円を下げている。

並んだ二つの欠片は光らない。

世界の危機も告げない。

ただ、そこにある。

「二時間、何する?」

アカリが尋ねる。

「門の最終点検」

「それ、私との約束に含まれてた?」

「含まれていない」

「正直でよろしい」

「終われば一時間四十分残る」

「二十分も使うの?」

「さっき荷物がつかえた」

「あれは門じゃなくて額縁の問題」

「想定外を問題ではないと除外すると、次も起きる」

アカリは言い返そうとして、やめた。

その代わり、レンの青い袖を引く。

「じゃあ一緒に点検する。半分の時間で終わらせよう」

「項目は分担できない」

「どうして?」

「同じ場所を別々に見るから意味がある」

今度はアカリが黙った。

「それ、わざと言った?」

「何が」

「何でもない」

アカリは少しだけ笑った。

門脇の二つの通信灯も、青と赤に点滅する。

『共同点検を開始します』

『終了予測、十八分です。余った二分は、レンが悩む時間へ追加します』

「何に悩むの」

アカリが聞く。

『共同食堂で向かいに座るか、隣に座るかです』

「解析を停止してくれ」

『拒否の記録も安全管理に含まれます』

『夢は操縦者の担当です』

二つのAIが、それぞれ馴染みの言葉を返す。

アカリは笑いながら先に歩いた。

レンは一秒遅れて、その隣へ並ぶ。

その夜。

共界門の照明が落とされた後も、ニルは観測室に残っていた。

机の上には、少年から預かった白紙がある。

青い右目に蒼界の通行記録。

赤い左目に紅界の通行記録。

最初の荷物。

四つの歯車の絵。

二番目。

青い花。

三番目。

紅界式焦がし糖菓子。

申請上は二十三個。

実際に門を通った数は十八個。

『差分を検出しました』

アズール判断系の声が、青い通信窓から流れる。

「五個はカインが食べました」

『原因を確認しました』

フレア判断系の赤い窓が開く。

『申請名を「残り物」へ変更しますか』

「変更しません」

『なぜですか』

ニルは白紙を見る。

「記録と違うことが、故障とは限らないからです」

二つの通信灯が静かに光った。

『判断理由を保存します』

アズール判断系が告げる。

『私も同意します。ただし、お菓子の数は正確に残しましょう』

フレア判断系も続いた。

「カインが困ります」

『そのためです』

ニルは、ごく小さく笑った。

その時。

共界門の下端で、透明な光が一度だけ瞬いた。

青ではない。

赤でもない。

零座標の紫でも、黄金座標の金でもない。

色になる前の光。

ニルの笑顔が消える。

その光に触れた瞬間、存在しないはずの記録が開いた。

発信時刻は七年前。

世界分裂の一秒前。

起点管理核ゼロ。

プロトタイプ・インフィナイト。

完成記録のない白銀の設計像。

そして、聞いたことのない女の声。

『こちらは、まだ一つだ』

『蒼羽レン、緋月アカリ』

『次は、始まりを助けてくれ』

その通信は一度で切れ、再生も複製もできなかった。

ニルは信号そのものではなく、聞いた自分の記憶を「新しい選択」という名で保存している。

共界門へ近づく。

「アズール判断系、光源を解析してください」

返事はすぐに来た。

『既存の四座標と一致しません。門の建造記録を起点として、新しい接続要求が発生しています』

「フレア判断系、紅界側は」

『同じです。誰かが外から開けているのではありません』

赤い通信窓に、細い雑音が走る。

『門自身が、もっと古い扉を思い出そうとしています』

「門に記憶はありません」

『では、門を作った規格の記憶です』

ニルは艦長回線を開いた。

「カナメ、緊急報告です」

音が消えた。

警報は光っている。

換気扇も回っている。

ニルの唇も動いた。

それなのに、何も聞こえない。

青い通信窓で、アズール判断系の波形だけが上下している。

赤い通信窓でも、フレア判断系が何かを叫んでいる。

声だけが、存在する前へ戻された。

共界門の透明な膜が、奥へ深く伸びる。

人が二人通れる短い通路だったはずの向こうに、白い格納庫が現れた。

落下途中で止まった火花。

閉じる途中の隔壁。

動かない秒針。

その中央に、白銀の巨人が立っている。

二本の腕。

二本の脚。

左右対称の装甲。

胸部には、まだ色のない透明な歯車。

巨人の中で、人影が顔を上げた。

短い髪。

白く焼けた一房。

こちらへ伸ばされた手。

ニルも手を伸ばす。

透明な膜へ触れる直前。

白い人型の背後で、顔のない円環が開いた。

表示が一行だけ浮かぶ。

『分岐状態を確認』

次の一行。

『正常起点への復元を開始』

音が戻った。

警報が一斉に鳴る。

換気扇の回転音が耳を打つ。

青と赤の通信窓から、二つの声が重なった。

『ニル!』

『応答してください!』

止まっていた時間は、ちょうど一秒。

白い格納庫も、巨人も消えている。

共界門は元の短い通路へ戻った。

けれど、ニルの指先には透明な光が残っていた。

端末へ保存しようとする。

画面が拒否する。

『起点記録に存在しない差分です』

同じ表示が、何度入力しても現れた。

ニルは机へ戻った。

少年から預かった白紙を取る。

電子記録ではない。

起点管理核が読むかどうかも分からない。

それでも、自分の手で書く。

声が一秒、消えた。

白銀の完全人型機を確認。

中に女性一名。

相手は、攻撃していない。

助けを求めていた。

最後の一行で、ニルの手が止まる。

「敵」と書くことはできた。

「味方」と書くこともできた。

どちらも、まだ選べない。

ニルは二つの言葉を消す。

代わりに書いた。

会いに行く人。

紙を折り、胸元へしまう。

青い窓と赤い窓では、二つのAIが同時に解析を続けている。

声は戻っている。

今は、まだ。

ニルはカナメの回線を開き直した。

「緊急報告です」

「始まりが、こちらへ帰ろうとしています」

壁の四つの歯車は、何も知らずにかみ合っている。

紅界の青い花も、まだ青いまま揺れている。

世界で最初の荷物は、未来を描いた絵だった。

始まりから最初に返ってきたものは、音のない復元命令だった。

幕間 終




第1期最終話の「三十日後」に描かれた共界門開通を、最初の荷物と共同整備の側から広げた幕間でした。
絵、青い花、甘味、白紙。どのやり取りが印象に残ったか、短い一言でも教えていただけるとうれしいです。
そして最後の一秒で、二つのAIの声が初めて消えました。
白銀の機体にいた女性は敵なのか。起点管理核ゼロが戻そうとしている「正常」とは何なのか。
次回、第13話「ゼロから届く声」から第2期が始まります。
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