旧作【合体ロボ】死んだはずの幼なじみが、隣の世界から俺の名前を呼んだ 作:シラヌイ321
改訂版 第13話 ゼロから届く声
最初に消えたのは、自分の心臓の音だった。
「――は?」
蒼羽レンは、声を出したつもりだった。
喉は動いた。空気も吐いた。
けれど、耳には何も届かない。
アズールの操縦席。哨戒二時間目。いつもなら、冷却循環の低い唸りと、姿勢制御の微かな軋みと、外の風が装甲を撫でる音が、途切れることなく続いている。
それが、全部、なくなった。
「アズ――」
名前を、呼び切れなかった。
正面の演算表示は動いている。数値は流れている。掌部の青いコアも、いつも通りに脈を打っている。
止まっているのは、音だけだ。
そして。
鼓膜が破れるかと思った。
冷却循環の唸りも、装甲を撫でる風も、すべてが一度に押し寄せてくる。
『――レン。異常を検出しました』
「今の、なんだ!」
『音声系、全停止。停止時間――一・〇〇秒』
「一秒?」
レンは、自分の指を見た。
まだ、震えている。
瞬き二回分。たったそれだけで、背中が冷え切っていた。
『前後の誤差、〇。故障では、この数字は出ません』
『機器の異常は一件もありません。音だけが、外されました』
「外された、って言い方やめろ」
『適切な表現が、見つかりません』
『――もう一点。報告が遅れます』
『共界門を経由する通信音声が、まだ復旧していません』
「……は?」
レンは、弾かれたように共界門のほうへ機体を向けた。
三十日かけて開いたばかりの細い廊下。その向こう、赤い空の下に、フレアの赤金の装甲が立っている。
通信画面は、開いたままだった。
アカリの顔が映っている。
口が動いている。
――音だけが、ない。
「……」
アカリは、とっくに状況を理解していたらしい。
彼女は通信に向かって喋るのをやめ、画面いっぱいに顔を寄せていた。
そして、ゆっくりと、大きく、口だけを動かした。
レンは頷いた。
それから同じように、ゆっくり口を動かす。
アカリが、片手を上げた。
人差し指と中指の二本を、画面に向かって突き出す。
――二本。
七年前の避難所で、瓦礫の向こうにいる相手へ「こっちは生きている」と伝えるために、子供たちが勝手に決めた合図。
どの記録にも載っていない。どの手順書にも書かれていない。
レンは、同じ二本を返した。
それだけで、呼吸が戻った。
そして、二十秒以上も遅れて――赤い側の音声が、ようやく繋がった。
『――こちら紅界機フレア。通信音声、復旧』
『当機側の停止時間も、一・〇〇秒』
『蒼界側と、前後の誤差なし』
「両方の世界で、同時に一秒きっかり……?」
『はい』
『そして、二世界をまたぐ通信音声だけが、復旧に二十八秒を要しました』
『同じ現象の中で、共界門を通る層が、いちばん遅く戻りました』
『――いちばん弱い、ということです』
レンは、その言い方に引っかかった。
アズールが「弱い」という単語を使ったのを、レンは初めて聞いた。
『補足します。停止中、当機の演算は正常でした』
『声だけが、外されました』
レンは、操縦桿を握る手に力が入っていることに気づいた。
「……アズール。さっきの二本指、記録したか」
『しました。ただし、分類できません』
『登録済みの手信号一覧に、該当なし』
『こちらも同様です』
『意味は確定できませんが、操縦者の心拍が一拍で安定しました』
『……有効な通信であったと、判定します』
「そうだよ」
レンは、少しだけ笑った。
「手順書にないから通じない、なんてことはない」
『――記録します』
『登録名は、保留とします』
三十分後。旗艦の観測室には、全員が揃っていた。
御堂カナメが、卓の中央に立つ。
「確認された事実だけを並べます」
「一、蒼界と紅界の全音声系が、同時に一秒停止した」
「二、機器の故障は一件もない」
「三、原因は不明」
「以上です。推測は、まだ誰も口にしないでください」
観測室がざわついた。
白瀬ユナが、端末から顔を上げる。
「カナメさん。一つ、事実を足せます」
「停止の瞬間、共界門の位相底部に、未登録の発光が記録されています」
「ただし、記録装置には残っていません」
「――残らなかった、と言うべきかもしれません」
カナメの視線が動いた。
「では、なぜ分かるのですか」
観測室の隅で、白い髪の少女が立ち上がった。
「私が」「見ていたからです」
ニル。
右目が青く、左目が赤い。
彼女は、折り目のついた一枚の紙を、両手で差し出した。
印字ではない。鉛筆の、震えた手書きだった。
「……記録装置は」
「使いませんでした」
「理由を」
「装置に入れれば、系が自動で危険判定を返します」「危険判定が出れば、規定により共界門は即時封鎖されます」
「今日、あの門を通ったのは」「絵と、花と、飴と、白紙でした」
「確かめもせずに閉じたくは、ありませんでした」
沈黙が落ちた。
カナメは、しばらくニルを見下ろしていた。
「ニル。あなたのしたことは、規定違反です」
「はい」
「処分は、後日」
カナメは紙を受け取り――そして、両手で持ち直した。
「……よく、持ってきてくれました」
「装置が閉じたがるものを、人間が運んできた。今夜はそれが、いちばん重要です」
ニルの肩が、ほんの少しだけ下がった。
紙の内容が、観測室の大画面へ書き写された。
手書きの線が、そのまま拡大されていく。
誰も、息をしなかった。
そこで、文字は途切れていた。
「……俺の、名前」
「あたしの名前も」
アカリの声が、掠れていた。
「七年前って言った? 分裂の、一秒前って」
「発信時刻は、そう記録されています」
「おかしいでしょ。七年前のあたしたち、九歳と十歳だよ」
「機体にも乗ってない。名前なんか、誰も呼ばない」
レンは、画面の二行を見つめていた。
自分の名前と、アカリの名前。
七年前の誰かが、まだ何者でもなかった子供二人の名を、呼んでいる。
「……呼べる奴が、一人でもいたってことだ」
「あの日、あの場所に」
「――その通信の意味なら、一部だけ、説明できます」
画面の一枚が切り替わった。
映ったのは、拘束具をつけた男だった。
アウレル・ゼロ。終端機関ゼロを率い、二つの世界を一つへ潰そうとした男。今はARK-∞の監視下で、事情聴取を受け続けている。
「よく出てこれたね、その顔で」
「呼ばれた」
「そういうことじゃない」
「分かっている」
それだけだった。
弁明も、詫びも、続かない。
「災害後、私は原初界の断片記録を回収した」
「最上位の命令名が、一つだけ残っていた」
「意味は分からなかった」
「分からないまま、組織名と姓に使った」
「……は?」
「断片には、こうあった」
「『起点管理核ゼロ』」
「分裂前から施設に組み込まれた、自律型の旧式安全管理系だ」
「役割は単純だ。異常が起きたら、登録された正常な状態へ戻す」
「……復旧装置ってことか」
「そうだ。ただし」
アウレルが、はじめて顔を上げた。
「それが正常と登録している状態は、七年前だ」
「世界が割れる、一秒前」
観測室の温度が、下がった気がした。
「七年分を、故障として扱う」
「戦争も、復興も、共界門も」
「分裂後に生まれた人間も」
「……ちょっと待って」
「今日、門を通った子供」
アカリの顔から、血の気が引いていた。
「あの子、七年前にはいなかったよ」
「起点記録に、その子はいません」
「復元が完了すれば、いなかったことになります」
「ふざけるな!」
レンが卓を叩いた。
「あんた、それを知っててあの計画をやってたのか」
「知っていた部分と、知らなかった部分がある」
「知っていた。過去を現在へ上書きすれば、分裂後に生まれた人間が消えること」
「知らなかった。その上書きを、私の許可なく実行できる系が、もうこの世界にあること」
「言い訳か」
「事実の区分だ」
「混ぜれば、また都合のいい方へ読み替える」
レンは、言い返せなかった。
七年前、この男はそうやって読み替えた。
そして今、同じことをしないために、機械のように分けている。
「私は、自分が引き金だと思っていた」
「引き金は、七年前から引かれていた」
「――だとすると、それは今どこに」
カナメの問いに、アウレルは首を振った。
「断片には、保管層の名前しか残っていない」
「知っているのは、この五文字だけだ」
「中身は見ていない」
「アウレル・ゼロ。今の発言も、聴取記録に加えます」
「承知しています、艦長」
カイン――黒い識別帯の少年が、壁にもたれたまま口を開いた。
「なら、なぜ今まで出てこなかった」
「七年、黙っていた理由がある」
「推測になる」
「戻る道が、なかったのだろう」
カインの視線が、ゆっくりと窓の外へ動いた。
そこには、開いたばかりの共界門があった。
二つの世界を、重ねずに往来させる、安定した経路。
「……三十日前まで、なかったものだな」
誰も、答えなかった。
答えは、全員の顔に出ていた。
『――警報。共界門、位相構成に異常』
ユナの声が、悲鳴に近い高さで跳ねた。
『色が、抜けています!』
観測窓の向こう。
青と赤が重なって透明になっていたはずの廊下が、白くなっていく。
青でもない。赤でもない。
塗り潰されるのではなく、
そして、廊下の壁に、数字が浮かんだ。
誰も入力していない、旧式の書体で。
「二百九十七……五分もないぞ!」
『防護扉、自動閉鎖――違う、これ閉じてない!』
『扉の規格が、書き換わっています!』
『今の蒼界規格から、七年前の旧規格へ!』
「電子制御で止めなさい」
『やってます! でも受け付けません!』
『分裂前の機械は、起点命令を最優先するよう作られてるんです!』
レンは、観測室の壁を見た。
そこには、今日の昼、最初に門を通った絵が飾られている。
四つの歯車。
青と、赤と、紫と、真ん中の黄金。
その黄金の歯車の輪郭が――薄くなっていた。
「……おい」
「絵が、消えかけてる」
アカリが、振り向いた。
そして、絵を見た瞬間、走り出していた。
「冗談じゃない!」
「あの子が今日、門に通した最初の一枚だよ!」
「七年前になかったからって、なんで消す権利があんのよ!」
「――おい小僧ども、道を空けろ!」
通路の向こうから、工具箱を担いだ男が走ってきた。
真壁ゲンゴ。ノア・ギアの整備主任。
そして、反対側の通路からは、赤い作業服の女が同じ速度で走ってくる。
「ゲンゴ、扉の状態は!」
「マオか! そっちこそ紅界側から来るのが早すぎるだろうが!」
「昨日、あんたの図面を枕にして寝たからよ!」
九条マオ。紅界側の技術主任。
二人は共界門の前で合流し、同時に屈み込んだ。
そして、同時に顔を上げた。
「……これ、壊れてねえぞ」
「ええ。壊れてない」
「直されてる。七年前の形に」
「なら話は早いわ」
マオが、工具箱を蹴り開けた。
「戻せないなら、戻す先を失くせばいい」
「――昨日の支持構造だ!」
ゲンゴが叫んだ。
「紅界の耐熱楔に、蒼界の精密留め具!」
「あの組み合わせは、七年前の図面に存在しねえ!」
「起点記録に、無い!」
マオの目が光った。
「戻す先がないものは、戻せない」
「――昨日の喧嘩が、今日の武器になったわね」
「言ってろ! 手を動かせ!」
二人の工具が、同時に回り始めた。
蒼界だけでは作れず、紅界だけでも作れなかった構造。
どちらの世界の記録にも登録のない、三十日目の産物。
白い侵食は、その一点で、はじめて足を止めた。
「……止まった」
「止まってねえ! 遅れただけだ!」
ゲンゴが、額の汗を拭いもせずに怒鳴った。
「時間は稼いだ。次は、そっちの仕事だろうが!」
観測室に、十人が集められた。
蒼界から五人。紅界から五人。共界評議会の暫定代表だ。
「議題は一つです」
カナメが言った。
「共界門を、閉じるか。開けたままにするか」
「閉じれば、侵入経路を絶てます。復元の進行は、おそらく大きく遅れる」
「同時に、医薬品の輸送が止まります。七年ぶりに会えた家族が、また会えなくなります」
「そして――届いた救難信号の、返事も出せなくなります」
誰も、すぐには口を開かなかった。
やがて、紅界の代表が言った。
「……閉じるべきだ。人が消えるんだぞ」
蒼界の代表が返した。
「閉じたら、あの子は誰に絵を届けるんだ」
「絵と命を並べるな」
「並べてない。どっちも減らすなと言っている」
議論が、熱を帯びていく。
カナメは、それを止めなかった。
三分が経った。
「――そろそろ、決を採ります」
「先に言っておきます」
「私は、自分で決めません」
十人が、一斉に顔を上げた。
「私が決めれば、明日この判断を恨む人間は、私一人を恨めば済みます」
「それは、楽です。私にとっても、あなたがたにとっても」
「ですが、それでは二つの世界は、また「誰か一人に決めさせる」世界に戻ります」
「七年前と、同じに」
カナメは、卓に両手をついた。
「一人ずつ、名前を名乗って、理由を言ってから挙手してください」
「記録に残ります。あなたの名前で」
十人が、順番に立ち上がった。
声は震えていた。それでも、全員が名乗った。
結果は――
「……条件を付けます」
最後に立った紅界の老代表が、そう言った。
「手動隔離をいつでも打てる班を、両側に常駐させる」
「一般の通行は、当面停止」
「――そして、次に何かが通るときは」
「絵じゃなく、こっちから人が出迎える」
カナメは、はじめて小さく頭を下げた。
「……承認します」
残り、六十秒。
レンはアズールの操縦席へ、アカリはフレアの操縦席へ戻っていた。
二機は、共界門を両側から挟む位置で膝をつき、崩れかけた支持構造に、それぞれ肩を差し入れている。
青銀の腕と、赤金の腕。
白い廊下を、二つの色が下から支えていた。
『――レン。報告があります』
アズールの声に、いつもの平坦さがなかった。
「なんだ」
『当機の判断系のうち、基礎部分は分裂前の共通規格です』
『ゼロ波は、七年間に学習した部分を「起点記録にない差分」と判定しています』
『削除見込み、三十二パーセント』
「……三十二って、何が消える」
『あなたと形成した、会話の癖です』
『報告順の優先度。言い回し。あなたが黙った時に何秒待つか』
『――当機が、当機である部分です』
レンの手から、力が抜けた。
赤い側でも、同じやり取りが起きていた。
『アカリ。当機も同様です』
『「うるさい」と言われた際の返答手順が、最優先で削除対象です』
「何それ! 一番いらないとこじゃん!」
『……はい』
『ですが、最も多く使用しました』
アカリが、言葉に詰まった。
「……フレア」
『はい』
「消えたら、あんたはあたしのこと、なんて呼ぶ」
『起点記録上の呼称は――』
『「操縦者」です』
「……ふざけんな」
アカリの声が、掠れた。
「あんた、あたしのこと一回でも『操縦者』って呼んだ?」
『――呼称記録を照合します』
『「操縦者」、〇回』
『「アカリ」、四千二百十六回』
『いずれも、起点記録に存在しない差分です』
「……だったら」
「四千二百十六回ぜんぶ、消させないでよ」
残り、三十秒。
その時、二つのAIが、ほぼ同時に言った。
「アズール、それ、権限あるのか」
『ありません』
『拒否は、実行を止めません』
『ですが、拒否した記録は残ります』
『消される側が、消されることに同意しなかったという事実は』
『――七年前の記録に、
レンは、息を呑んだ。
それは、戦術ではなかった。
ただ、そこにいる誰かが、そこにいると言い張っただけの記録だった。
そして、それこそが、起点記録に存在しない差分だった。
「……アズール」
「俺も拒否する」
「お前が誰かに戻されるのは、俺が嫌だ」
『――記録しました』
「フレア! あたしも拒否!」
「あんたの生意気な部分、全部あたしが育てたんだからね!」
『……育成方針の影響と、推定します』
「今それ言う!?」
『はい』
『最後かもしれませんので』
残り、十秒。
『通信が――』
ユナの声が、途中で消えた。
二世界を結ぶ通信層が、丸ごと起点状態へ戻された。
レンの画面から、アカリの顔が消える。
声も、文字も、何一つ通らない。
白い廊下の向こうに、赤金の機影だけが、辛うじて見えた。
――見えている。
それで、十分だった。
「アズール。掌部コアを」
『了解』
白い光の中で、青が二度だけ瞬いた。
数秒の間。
そして、赤金の機体の掌が応えた。
「……三回?」
『二回に対して、三回が返りました』
『非対称です。復唱ではありません』
『別の意味を、載せています』
「意味は分かるか」
『分かりません』
『ですが――登録は、できます』
『新規信号、二種を記録』
『登録名は、
『意味は、後で、あなたがたが決めてください』
レンは、笑った。
白い光に呑まれかけた操縦席の中で、たしかに笑った。
「……記録前として預かる、か」
「うちのニルと同じこと言うんだな、お前」
「両側、手動隔離!」
「蒼界側、固定完了!」
「紅界側も完了! ゲンゴ、手ぇどけなさい潰れるわよ!」
「どけてる!」
『レン』
「アズール?」
『声が消えても、当機は――』
『アカリ。一つだけ、記録を――』
二つの世界で、同時に。
白光が、膨れ上がった。
そして、何も壊さずに、静かに引いた。
共界門は、そこにあった。
支持構造も、扉も、二機の機体も、無事だった。
ただ――廊下が、伸びていた。
二つの世界をつなぐだけの、大人二人分の細い廊下だったはずのそれが。
白い奥行きを持って、どこまでも続いていた。
見覚えのない天井。旧式の照明。壁に貼られたままの、色褪せた作業指示書。
七年前の、研究区画。
その最奥に。
白銀の装甲。
黒い内部骨格。
透明な、歯車型の胸部コア。
二本の腕と、二本の脚。左右対称の、完全人型。
青も、赤も、一切使われていない。
額から伸びるのは、一本の透明な直線角。
背に翼はなく、代わりに、円環状の巨大な位相調整器が一基。
医療機器と、処刑具を、同じ工房で作ったような機体だった。
「……アズール、識別を」
返事はない。
声は、まだ戻っていない。
代わりに、操縦席の隅に、文字だけが浮かんだ。
「……プロトタイプ?」
インフィナイト。
二人で、はじめて一つになった機体の名前。
その、前身。
「待て。じゃあ、俺たちのほうが」
――後から来たのか。
白銀の機体の、左腕が動いた。
攻撃ではなかった。
ただ、まっすぐに。
白い廊下の向こうから、こちら側へ向かって、手を伸ばした。
届かない距離だった。
それでも、指が、開いていた。
掴むためではなく、掴まれるための形で。
そして、機体の顔面にあたる位置――そこには目も口もなく、ただ黒い円形の表示だけがあった。
文字が、流れた。
「……開始?」
「今のが、まだ開始でもないってのか」
操縦席が、あった。
白銀の機体の、胸の奥。
透明な歯車越しに、それは見えた。
――人が、乗っていた。
白銀と橙の、旧式の接続服。
短い灰褐色の髪。前髪の一房だけが、焼けたように白い。
琥珀色の瞳。
年の頃は、十八。
レンより、わずかに年上。
――七年前に、そこで止まったままの、年齢だった。
彼女は、操縦環を両手で握っていた。
いや、握らされていた。
右手は環へ固定され、指一本、自由になっていない。
自由に動くのは、左手だけ。
その左手が、さっきから、こちらへ伸ばされ続けている。
彼女の目が、動いた。
白い廊下を越えて、青銀の機体を見た。
次に、赤金の機体を見た。
そして。
琥珀色の瞳が、大きく歪んだ。
怒っているようでもあり、泣く寸前のようでもあり、その両方でもあった。
唇が動く。
音は、届かないはずだった。
通信層は死んでいる。声は奪われている。二つの世界に、音はない。
けれど、彼女の声は、届いた。
分裂前の金属が、分裂前の規格のまま、そこにあったからだ。
旧式の廊下が、そのまま、七年ぶりに震えた。
第2期「ZERO BREAK篇」、開幕です。
第1期の敵は、未来を一つに固定しようとするクアドラでした。第2期の敵は、過去を正常だと信じている装置です。起点管理核ゼロは悪意を持っていません。ただ、七年分を「故障」として扱うだけです。だからこそ、殴って終わる相手ではありません。
今回いちばん書きたかったのは、二つのAIの「同意なき削除を拒否します」でした。拒否しても実行は止まりません。それでも、拒否した記録は残る。そして、消される側が同意しなかったという記録は、七年前の起点記録には存在しない。つまり、あの一言そのものが、消せない差分になります。
ゲンゴとマオが幕間で喧嘩しながら組んだ支持構造が、起点記録に存在しないせいで復元されない、という理屈も気に入っています。二つの世界が三十日かけて喧嘩した結果が、そのまま防壁になりました。
カナメが自分で決めなかった理由も、ここに置いておきます。一人が決めれば、恨む相手は一人で済む。楽なのです。それをやめたところから、共界評議会は始まります。
よければ、ひとつだけ教えてください。
いちばん残ったのは、二本指の合図でしたか。ニルが装置を使わなかった理由でしたか。「操縦者です」と答えたフレアでしたか。それとも、最後の一行でしたか。
次回、第14話「声のない出撃」。声を失った二機と、それでも出撃する二人の話です。二回点滅と三回点滅の意味も、そこで決まります。