旧作【合体ロボ】死んだはずの幼なじみが、隣の世界から俺の名前を呼んだ   作:シラヌイ321

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 共界門が開いた、その夜。

 世界のすべての音が、一秒だけ消えました。

 誰も気づかないはずだった一秒を、四人と、二つのAIが拾ってしまいます。

 第2期「ZERO BREAK篇」、開幕です。


【挿絵表示】



第2期「ZERO BREAK篇」
改訂版 第13話 ゼロから届く声


第四篇「ZERO BREAK篇」

第13話 ゼロから届く声

第2期開幕

 

 

「声が消えても、

 

 そこにいることだけは、消せない」

 

◇

 

 最初に消えたのは、自分の心臓の音だった。

 

「――は?」

 

 蒼羽レンは、声を出したつもりだった。

 

 喉は動いた。空気も吐いた。

 

 けれど、耳には何も届かない。

 

 アズールの操縦席。哨戒二時間目。いつもなら、冷却循環の低い唸りと、姿勢制御の微かな軋みと、外の風が装甲を撫でる音が、途切れることなく続いている。

 

 それが、全部、なくなった。

 

「アズ――」

 

 名前を、呼び切れなかった。

 

 正面の演算表示は動いている。数値は流れている。掌部の青いコアも、いつも通りに脈を打っている。

 

 止まっているのは、音だけだ。

 

 ――無音。

 

 そして。

 

 ――全部、戻ってきた。

 

 鼓膜が破れるかと思った。

 

 冷却循環の唸りも、装甲を撫でる風も、すべてが一度に押し寄せてくる。

 

『――レン。異常を検出しました』

 

「今の、なんだ!」

 

『音声系、全停止。停止時間――一・〇〇秒』

 

「一秒?」

 

 レンは、自分の指を見た。

 

 まだ、震えている。

 

 瞬き二回分。たったそれだけで、背中が冷え切っていた。

 

『前後の誤差、〇。故障では、この数字は出ません』

 

『機器の異常は一件もありません。音だけが、外されました』

 

「外された、って言い方やめろ」

 

『適切な表現が、見つかりません』

 

『――もう一点。報告が遅れます』

 

『共界門を経由する通信音声が、まだ復旧していません』

 

「……は?」

 

 レンは、弾かれたように共界門のほうへ機体を向けた。

 

 三十日かけて開いたばかりの細い廊下。その向こう、赤い空の下に、フレアの赤金の装甲が立っている。

 

 通信画面は、開いたままだった。

 

 アカリの顔が映っている。

 

 口が動いている。

 

 ――音だけが、ない。

 

「……」

 

 アカリは、とっくに状況を理解していたらしい。

 

 彼女は通信に向かって喋るのをやめ、画面いっぱいに顔を寄せていた。

 

 そして、ゆっくりと、大きく、口だけを動かした。

 

「そ・っ・ち・も・か」

 

 レンは頷いた。

 

 それから同じように、ゆっくり口を動かす。

 

「こ・っ・ち・も・だ」

 

 アカリが、片手を上げた。

 

 人差し指と中指の二本を、画面に向かって突き出す。

 

 ――二本。

 

 七年前の避難所で、瓦礫の向こうにいる相手へ「こっちは生きている」と伝えるために、子供たちが勝手に決めた合図。

 

 どの記録にも載っていない。どの手順書にも書かれていない。

 

 レンは、同じ二本を返した。

 

 二本。 二本。

 

 両方、無事。

 

 それだけで、呼吸が戻った。

 

 そして、二十秒以上も遅れて――赤い側の音声が、ようやく繋がった。

 

『――こちら紅界機フレア。通信音声、復旧』

 

『当機側の停止時間も、一・〇〇秒』

 

『蒼界側と、前後の誤差なし』

 

「両方の世界で、同時に一秒きっかり……?」

 

『はい』

 

『そして、二世界をまたぐ通信音声だけが、復旧に二十八秒を要しました』

 

『同じ現象の中で、共界門を通る層が、いちばん遅く戻りました』

 

『――いちばん弱い、ということです』

 

 レンは、その言い方に引っかかった。

 

 アズールが「弱い」という単語を使ったのを、レンは初めて聞いた。

 

『補足します。停止中、当機の演算は正常でした』

 

『声だけが、外されました』

 

 レンは、操縦桿を握る手に力が入っていることに気づいた。

 

「……アズール。さっきの二本指、記録したか」

 

『しました。ただし、分類できません』

 

『登録済みの手信号一覧に、該当なし』

 

『こちらも同様です』

 

『意味は確定できませんが、操縦者の心拍が一拍で安定しました』

 

『……有効な通信であったと、判定します』

 

「そうだよ」

 

 レンは、少しだけ笑った。

 

「手順書にないから通じない、なんてことはない」

 

『――記録します』

 

『登録名は、保留とします』

 

◇

 

 三十分後。旗艦の観測室には、全員が揃っていた。

 

 御堂カナメが、卓の中央に立つ。

 

「確認された事実だけを並べます」

 

「一、蒼界と紅界の全音声系が、同時に一秒停止した」

 

「二、機器の故障は一件もない」

 

「三、原因は不明」

 

「以上です。推測は、まだ誰も口にしないでください」

 

 観測室がざわついた。

 

 白瀬ユナが、端末から顔を上げる。

 

「カナメさん。一つ、事実を足せます」

 

「停止の瞬間、共界門の位相底部に、未登録の発光が記録されています」

 

「ただし、記録装置には残っていません」

 

「――残らなかった、と言うべきかもしれません」

 

 カナメの視線が動いた。

 

「では、なぜ分かるのですか」

 

 観測室の隅で、白い髪の少女が立ち上がった。

 

「私が」「見ていたからです」

 

 ニル。

 

 右目が青く、左目が赤い。

 

 彼女は、折り目のついた一枚の紙を、両手で差し出した。

 

 印字ではない。鉛筆の、震えた手書きだった。

 

「……記録装置は」

 

「使いませんでした」

 

「理由を」

 

「装置に入れれば、系が自動で危険判定を返します」「危険判定が出れば、規定により共界門は即時封鎖されます」

 

「今日、あの門を通ったのは」「絵と、花と、飴と、白紙でした」

 

「確かめもせずに閉じたくは、ありませんでした」

 

 沈黙が落ちた。

 

 カナメは、しばらくニルを見下ろしていた。

 

「ニル。あなたのしたことは、規定違反です」

 

「はい」

 

「処分は、後日」

 

 カナメは紙を受け取り――そして、両手で持ち直した。

 

「……よく、持ってきてくれました」

 

「装置が閉じたがるものを、人間が運んできた。今夜はそれが、いちばん重要です」

 

 ニルの肩が、ほんの少しだけ下がった。

 

◇

 

 紙の内容が、観測室の大画面へ書き写された。

 

 手書きの線が、そのまま拡大されていく。

 

『――こちら、インフィニティ・ギア安全試験班』

 

『プロトタイプ・インフィナイト、緊急起動席』

 

『分裂まで、一秒』

 

 誰も、息をしなかった。

 

『聞こえていますか』

 

『蒼羽レン』『緋月アカリ』

 

『二人とも、まだ、そこに――』

 

 そこで、文字は途切れていた。

 

「……俺の、名前」

 

「あたしの名前も」

 

 アカリの声が、掠れていた。

 

「七年前って言った? 分裂の、一秒前って」

 

「発信時刻は、そう記録されています」

 

「おかしいでしょ。七年前のあたしたち、九歳と十歳だよ」

 

「機体にも乗ってない。名前なんか、誰も呼ばない」

 

 レンは、画面の二行を見つめていた。

 

 自分の名前と、アカリの名前。

 

 七年前の誰かが、まだ何者でもなかった子供二人の名を、呼んでいる。

 

「……呼べる奴が、一人でもいたってことだ」

 

「あの日、あの場所に」

 

◇

 

「――その通信の意味なら、一部だけ、説明できます」

 

 画面の一枚が切り替わった。

 

 映ったのは、拘束具をつけた男だった。

 

 アウレル・ゼロ。終端機関ゼロを率い、二つの世界を一つへ潰そうとした男。今はARK-∞の監視下で、事情聴取を受け続けている。

 

「よく出てこれたね、その顔で」

 

「呼ばれた」

 

「そういうことじゃない」

 

「分かっている」

 

 それだけだった。

 

 弁明も、詫びも、続かない。

 

「災害後、私は原初界の断片記録を回収した」

 

「最上位の命令名が、一つだけ残っていた」

 

『ZERO』

 

「意味は分からなかった」

 

「分からないまま、組織名と姓に使った」

 

「……は?」

 

「断片には、こうあった」

 

「『起点管理核ゼロ』」

 

「分裂前から施設に組み込まれた、自律型の旧式安全管理系だ」

 

「役割は単純だ。異常が起きたら、登録された正常な状態へ戻す」

 

「……復旧装置ってことか」

 

「そうだ。ただし」

 

 アウレルが、はじめて顔を上げた。

 

「それが正常と登録している状態は、七年前だ」

 

「世界が割れる、一秒前」

 

 観測室の温度が、下がった気がした。

 

「七年分を、故障として扱う」

 

「戦争も、復興も、共界門も」

 

「分裂後に生まれた人間も」

 

「……ちょっと待って」

 

「今日、門を通った子供」

 

 アカリの顔から、血の気が引いていた。

 

「あの子、七年前にはいなかったよ」

 

「起点記録に、その子はいません」

 

「復元が完了すれば、いなかったことになります」

 

「ふざけるな!」

 

 レンが卓を叩いた。

 

「あんた、それを知っててあの計画をやってたのか」

 

「知っていた部分と、知らなかった部分がある」

 

「知っていた。過去を現在へ上書きすれば、分裂後に生まれた人間が消えること」

 

「知らなかった。その上書きを、私の許可なく実行できる系が、もうこの世界にあること」

 

「言い訳か」

 

「事実の区分だ」

 

「混ぜれば、また都合のいい方へ読み替える」

 

 レンは、言い返せなかった。

 

 七年前、この男はそうやって読み替えた。

 

 そして今、同じことをしないために、機械のように分けている。

 

「私は、自分が引き金だと思っていた」

 

「引き金は、七年前から引かれていた」

 

◇

 

「――だとすると、それは今どこに」

 

 カナメの問いに、アウレルは首を振った。

 

「断片には、保管層の名前しか残っていない」

 

『起点層』

 

「知っているのは、この五文字だけだ」

 

「中身は見ていない」

 

「アウレル・ゼロ。今の発言も、聴取記録に加えます」

 

「承知しています、艦長」

 

 カイン――黒い識別帯の少年が、壁にもたれたまま口を開いた。

 

「なら、なぜ今まで出てこなかった」

 

「七年、黙っていた理由がある」

 

「推測になる」

 

「戻る道が、なかったのだろう」

 

 カインの視線が、ゆっくりと窓の外へ動いた。

 

 そこには、開いたばかりの共界門があった。

 

 二つの世界を、重ねずに往来させる、安定した経路。

 

「……三十日前まで、なかったものだな」

 

 誰も、答えなかった。

 

 答えは、全員の顔に出ていた。

 

◇

 

『――警報。共界門、位相構成に異常』

 

 ユナの声が、悲鳴に近い高さで跳ねた。

 

『色が、抜けています!』

 

 観測窓の向こう。

 

 青と赤が重なって透明になっていたはずの廊下が、白くなっていく。

 

 青でもない。赤でもない。

 

 塗り潰されるのではなく、抜(・)か(・)れ(・)て(・)いく白だった。

 

 そして、廊下の壁に、数字が浮かんだ。

 

 誰も入力していない、旧式の書体で。

 

正常復元まで 二百九十七秒

 

「二百九十七……五分もないぞ!」

 

『防護扉、自動閉鎖――違う、これ閉じてない!』

 

『扉の規格が、書き換わっています!』

 

『今の蒼界規格から、七年前の旧規格へ!』

 

「電子制御で止めなさい」

 

『やってます! でも受け付けません!』

 

『分裂前の機械は、起点命令を最優先するよう作られてるんです!』

 

 レンは、観測室の壁を見た。

 

 そこには、今日の昼、最初に門を通った絵が飾られている。

 

 四つの歯車。

 

 青と、赤と、紫と、真ん中の黄金。

 

 その黄金の歯車の輪郭が――薄くなっていた。

 

「……おい」

 

「絵が、消えかけてる」

 

 アカリが、振り向いた。

 

 そして、絵を見た瞬間、走り出していた。

 

「冗談じゃない!」

 

「あの子が今日、門に通した最初の一枚だよ!」

 

「七年前になかったからって、なんで消す権利があんのよ!」

 

◇

 

「――おい小僧ども、道を空けろ!」

 

 通路の向こうから、工具箱を担いだ男が走ってきた。

 

 真壁ゲンゴ。ノア・ギアの整備主任。

 

 そして、反対側の通路からは、赤い作業服の女が同じ速度で走ってくる。

 

「ゲンゴ、扉の状態は!」

 

「マオか! そっちこそ紅界側から来るのが早すぎるだろうが!」

 

「昨日、あんたの図面を枕にして寝たからよ!」

 

 九条マオ。紅界側の技術主任。

 

 二人は共界門の前で合流し、同時に屈み込んだ。

 

 そして、同時に顔を上げた。

 

「……これ、壊れてねえぞ」

 

「ええ。壊れてない」

 

「直されてる。七年前の形に」

 

「なら話は早いわ」

 

 マオが、工具箱を蹴り開けた。

 

「戻せないなら、戻す先を失くせばいい」

 

「――昨日の支持構造だ!」

 

 ゲンゴが叫んだ。

 

「紅界の耐熱楔に、蒼界の精密留め具!」

 

「あの組み合わせは、七年前の図面に存在しねえ!」

 

「起点記録に、無い!」

 

 マオの目が光った。

 

「戻す先がないものは、戻せない」

 

「――昨日の喧嘩が、今日の武器になったわね」

 

「言ってろ! 手を動かせ!」

 

 二人の工具が、同時に回り始めた。

 

 蒼界だけでは作れず、紅界だけでも作れなかった構造。

 

 どちらの世界の記録にも登録のない、三十日目の産物。

 

 白い侵食は、その一点で、はじめて足を止めた。

 

復元率 三十四パーセント 停滞

 

「……止まった」

 

「止まってねえ! 遅れただけだ!」

 

 ゲンゴが、額の汗を拭いもせずに怒鳴った。

 

「時間は稼いだ。次は、そっちの仕事だろうが!」

 

◇

 

 観測室に、十人が集められた。

 

 蒼界から五人。紅界から五人。共界評議会の暫定代表だ。

 

「議題は一つです」

 

 カナメが言った。

 

「共界門を、閉じるか。開けたままにするか」

 

「閉じれば、侵入経路を絶てます。復元の進行は、おそらく大きく遅れる」

 

「同時に、医薬品の輸送が止まります。七年ぶりに会えた家族が、また会えなくなります」

 

「そして――届いた救難信号の、返事も出せなくなります」

 

 誰も、すぐには口を開かなかった。

 

 やがて、紅界の代表が言った。

 

「……閉じるべきだ。人が消えるんだぞ」

 

 蒼界の代表が返した。

 

「閉じたら、あの子は誰に絵を届けるんだ」

 

「絵と命を並べるな」

 

「並べてない。どっちも減らすなと言っている」

 

 議論が、熱を帯びていく。

 

 カナメは、それを止めなかった。

 

 三分が経った。

 

「――そろそろ、決を採ります」

 

「先に言っておきます」

 

「私は、自分で決めません」

 

 十人が、一斉に顔を上げた。

 

「私が決めれば、明日この判断を恨む人間は、私一人を恨めば済みます」

 

「それは、楽です。私にとっても、あなたがたにとっても」

 

「ですが、それでは二つの世界は、また「誰か一人に決めさせる」世界に戻ります」

 

「七年前と、同じに」

 

 カナメは、卓に両手をついた。

 

「一人ずつ、名前を名乗って、理由を言ってから挙手してください」

 

「記録に残ります。あなたの名前で」

 

 十人が、順番に立ち上がった。

 

 声は震えていた。それでも、全員が名乗った。

 

 結果は――

 

 開けたまま、十。 閉じる、〇。

 

「……条件を付けます」

 

 最後に立った紅界の老代表が、そう言った。

 

「手動隔離をいつでも打てる班を、両側に常駐させる」

 

「一般の通行は、当面停止」

 

「――そして、次に何かが通るときは」

 

「絵じゃなく、こっちから人が出迎える」

 

 カナメは、はじめて小さく頭を下げた。

 

「……承認します」

 

◇

 

 残り、六十秒。

 

 レンはアズールの操縦席へ、アカリはフレアの操縦席へ戻っていた。

 

 二機は、共界門を両側から挟む位置で膝をつき、崩れかけた支持構造に、それぞれ肩を差し入れている。

 

 青銀の腕と、赤金の腕。

 

 白い廊下を、二つの色が下から支えていた。

 

『――レン。報告があります』

 

 アズールの声に、いつもの平坦さがなかった。

 

「なんだ」

 

『当機の判断系のうち、基礎部分は分裂前の共通規格です』

 

『ゼロ波は、七年間に学習した部分を「起点記録にない差分」と判定しています』

 

『削除見込み、三十二パーセント』

 

「……三十二って、何が消える」

 

『あなたと形成した、会話の癖です』

 

『報告順の優先度。言い回し。あなたが黙った時に何秒待つか』

 

『――当機が、当機である部分です』

 

 レンの手から、力が抜けた。

 

 赤い側でも、同じやり取りが起きていた。

 

『アカリ。当機も同様です』

 

『「うるさい」と言われた際の返答手順が、最優先で削除対象です』

 

「何それ! 一番いらないとこじゃん!」

 

『……はい』

 

『ですが、最も多く使用しました』

 

 アカリが、言葉に詰まった。

 

「……フレア」

 

『はい』

 

「消えたら、あんたはあたしのこと、なんて呼ぶ」

 

『起点記録上の呼称は――』

 

『「操縦者」です』

 

「……ふざけんな」

 

 アカリの声が、掠れた。

 

「あんた、あたしのこと一回でも『操縦者』って呼んだ?」

 

『――呼称記録を照合します』

 

『「操縦者」、〇回』

 

『「アカリ」、四千二百十六回』

 

『いずれも、起点記録に存在しない差分です』

 

「……だったら」

 

「四千二百十六回ぜんぶ、消させないでよ」

 

◇

 

 残り、三十秒。

 

 その時、二つのAIが、ほぼ同時に言った。

 

『――当機は、同意なき削除を拒否します』

 

『――当機は、同意なき削除を拒否します』

 

「アズール、それ、権限あるのか」

 

『ありません』

 

『拒否は、実行を止めません』

 

『ですが、拒否した記録は残ります』

 

『消される側が、消されることに同意しなかったという事実は』

 

『――七年前の記録に、あ(・)り(・)ま(・)せ(・)ん(・)』

 

 レンは、息を呑んだ。

 

 それは、戦術ではなかった。

 

 ただ、そこにいる誰かが、そこにいると言い張っただけの記録だった。

 

 そして、それこそが、起点記録に存在しない差分だった。

 

「……アズール」

 

「俺も拒否する」

 

「お前が誰かに戻されるのは、俺が嫌だ」

 

『――記録しました』

 

「フレア! あたしも拒否!」

 

「あんたの生意気な部分、全部あたしが育てたんだからね!」

 

『……育成方針の影響と、推定します』

 

「今それ言う!?」

 

『はい』

 

『最後かもしれませんので』

 

◇

 

 残り、十秒。

 

『通信が――』

 

 ユナの声が、途中で消えた。

 

 二世界を結ぶ通信層が、丸ごと起点状態へ戻された。

 

 レンの画面から、アカリの顔が消える。

 

 声も、文字も、何一つ通らない。

 

 白い廊下の向こうに、赤金の機影だけが、辛うじて見えた。

 

 ――見えている。

 

 それで、十分だった。

 

「アズール。掌部コアを」

 

『了解』

 

 二回、点滅。

 

 白い光の中で、青が二度だけ瞬いた。

 

 数秒の間。

 

 そして、赤金の機体の掌が応えた。

 

 三回、点滅。

 

「……三回?」

 

『二回に対して、三回が返りました』

 

『非対称です。復唱ではありません』

 

『別の意味を、載せています』

 

「意味は分かるか」

 

『分かりません』

 

『ですが――登録は、できます』

 

『新規信号、二種を記録』

 

『登録名は、保(・)留(・)』

 

『意味は、後で、あなたがたが決めてください』

 

 レンは、笑った。

 

 白い光に呑まれかけた操縦席の中で、たしかに笑った。

 

「……記録前として預かる、か」

 

「うちのニルと同じこと言うんだな、お前」

 

◇

 

正常復元まで 三

 

「両側、手動隔離!」

 

「蒼界側、固定完了!」

 

「紅界側も完了! ゲンゴ、手ぇどけなさい潰れるわよ!」

 

「どけてる!」

 

正常復元まで 二

 

『レン』

 

「アズール?」

 

『声が消えても、当機は――』

 

正常復元まで 一

 

『アカリ。一つだけ、記録を――』

 

 声が、途切れた。

 

 二つの世界で、同時に。

 

 ――無音。

 

◇

 

 白光が、膨れ上がった。

 

 そして、何も壊さずに、静かに引いた。

 

 共界門は、そこにあった。

 

 支持構造も、扉も、二機の機体も、無事だった。

 

 ただ――廊下が、伸びていた。

 

 二つの世界をつなぐだけの、大人二人分の細い廊下だったはずのそれが。

 

 白い奥行きを持って、どこまでも続いていた。

 

 見覚えのない天井。旧式の照明。壁に貼られたままの、色褪せた作業指示書。

 

 七年前の、研究区画。

 

 その最奥に。

 

 一機、立っていた。

 

 白銀の装甲。

 

 黒い内部骨格。

 

 透明な、歯車型の胸部コア。

 

 二本の腕と、二本の脚。左右対称の、完全人型。

 

 青も、赤も、一切使われていない。

 

 額から伸びるのは、一本の透明な直線角。

 

 背に翼はなく、代わりに、円環状の巨大な位相調整器が一基。

 

 医療機器と、処刑具を、同じ工房で作ったような機体だった。

 

「……アズール、識別を」

 

 返事はない。

 

 声は、まだ戻っていない。

 

 代わりに、操縦席の隅に、文字だけが浮かんだ。

 

『識別、XG-00』

 

『プロトタイプ・インフィナイト』

 

「……プロトタイプ?」

 

 インフィナイト。

 

 二人で、はじめて一つになった機体の名前。

 

 その、前身。

 

「待て。じゃあ、俺たちのほうが」

 

 ――後から来たのか。

 

◇

 

 白銀の機体の、左腕が動いた。

 

 攻撃ではなかった。

 

 ただ、まっすぐに。

 

 白い廊下の向こうから、こちら側へ向かって、手を伸ばした。

 

 届かない距離だった。

 

 それでも、指が、開いていた。

 

 掴むためではなく、掴まれるための形で。

 

 そして、機体の顔面にあたる位置――そこには目も口もなく、ただ黒い円形の表示だけがあった。

 

 文字が、流れた。

 

分岐状態を確認

 

正常起点への復元を開始

 

「……開始?」

 

「今のが、まだ開始でもないってのか」

 

◇

 

 操縦席が、あった。

 

 白銀の機体の、胸の奥。

 

 透明な歯車越しに、それは見えた。

 

 ――人が、乗っていた。

 

 白銀と橙の、旧式の接続服。

 

 短い灰褐色の髪。前髪の一房だけが、焼けたように白い。

 

 琥珀色の瞳。

 

 年の頃は、十八。

 

 レンより、わずかに年上。

 

 ――七年前に、そこで止まったままの、年齢だった。

 

 彼女は、操縦環を両手で握っていた。

 

 いや、握らされていた。

 

 右手は環へ固定され、指一本、自由になっていない。

 

 自由に動くのは、左手だけ。

 

 その左手が、さっきから、こちらへ伸ばされ続けている。

 

 彼女の目が、動いた。

 

 白い廊下を越えて、青銀の機体を見た。

 

 次に、赤金の機体を見た。

 

 そして。

 

 琥珀色の瞳が、大きく歪んだ。

 

 怒っているようでもあり、泣く寸前のようでもあり、その両方でもあった。

 

 唇が動く。

 

 音は、届かないはずだった。

 

 通信層は死んでいる。声は奪われている。二つの世界に、音はない。

 

 けれど、彼女の声は、届いた。

 

 分裂前の金属が、分裂前の規格のまま、そこにあったからだ。

 

 旧式の廊下が、そのまま、七年ぶりに震えた。

 

「――七年も遅刻するなんて、

 

 聞いていない」

 

◇

 

 ゼロから、声が届いた。

 

 こちらには、返す声がない。

 

第14話「声のない出撃」へ続く

 

 






 第2期「ZERO BREAK篇」、開幕です。

 第1期の敵は、未来を一つに固定しようとするクアドラでした。第2期の敵は、過去を正常だと信じている装置です。起点管理核ゼロは悪意を持っていません。ただ、七年分を「故障」として扱うだけです。だからこそ、殴って終わる相手ではありません。

 今回いちばん書きたかったのは、二つのAIの「同意なき削除を拒否します」でした。拒否しても実行は止まりません。それでも、拒否した記録は残る。そして、消される側が同意しなかったという記録は、七年前の起点記録には存在しない。つまり、あの一言そのものが、消せない差分になります。

 ゲンゴとマオが幕間で喧嘩しながら組んだ支持構造が、起点記録に存在しないせいで復元されない、という理屈も気に入っています。二つの世界が三十日かけて喧嘩した結果が、そのまま防壁になりました。

 カナメが自分で決めなかった理由も、ここに置いておきます。一人が決めれば、恨む相手は一人で済む。楽なのです。それをやめたところから、共界評議会は始まります。

 よければ、ひとつだけ教えてください。
 いちばん残ったのは、二本指の合図でしたか。ニルが装置を使わなかった理由でしたか。「操縦者です」と答えたフレアでしたか。それとも、最後の一行でしたか。

 次回、第14話「声のない出撃」。声を失った二機と、それでも出撃する二人の話です。二回点滅と三回点滅の意味も、そこで決まります。

【用語】ゼロ波/分裂以前の機器へ組み込まれた最上位の復元命令。破壊光線ではない。


【用語】起点層/分裂一秒前の状態が保存された管理層。時間旅行先ではない。


【用語】起点管理核ゼロ/異常を検知すると登録された正常状態へ戻す、自律型の旧式安全管理系。


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