【合体ロボ】死んだはずの幼なじみが、隣の世界から俺の名前を呼んだ   作:シラヌイ321

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 アズールとフレアの声は、まだ戻りません。

 それどころか、残っていた文字表示まで削られはじめます。

 そして白銀の原型機は、二機の技を()()()()使()()()きます。

【挿絵表示】




第15話 白銀の原型機

第四篇「ZERO BREAK篇」

第15話 白銀の原型機

 

 

 

「返事はない。

 

 だが、聞いてはいる」

 

 

 二日後。蒼界側格納庫。

 

「――よし、そこだ。もうちょい右に傾けろ」

 

 真壁ゲンゴが、アズールの胸へ向かって話しかけていた。

 

 返事はない。

 

 当然だ。この機体は二日前から一言も喋っていない。

 

「聞こえてんだろ。傾けろ」

 

 青銀の巨体が、ほんのわずかに右へ傾いた。

 

「よし」

 

 蒼羽レンは、作業台の上からそれを見ていた。

 

「……ゲンゴさん」

 

「なんだ」

 

「今の、たぶん自重で動いただけです」

 

「うるせえ」

 

 ゲンゴは振り向きもしなかった。

 

「返事がねえのと、聞いてねえのは別だ」

 

「三十年整備やってりゃ分かる。喋らねえ機械ほど、こっちの手元をよく見てる」

 

 通信の向こうで、九条マオが鼻を鳴らした。

 

「ゲンゴ。あんた紅界でも同じこと言ってたわよ。フレアの前で三十分」

 

「言ったな」

 

「返事は」

 

「傾いた」

 

「傾くわよ、あれは脚を組み替えてただけ」

 

 二人が同時に工具を回し始める。

 

 貫通痕――操縦席の真横を抜けた、透明な杭の跡。

 

 塞ぐ作業は、昨日の夜に終わっていた。

 

「レン」

 

 ゲンゴが、はじめてこちらを見た。

 

「穴は消えた。位置は消してねえ」

 

「図面に、赤で入れといた」

 

「……ありがとうございます」

 

「礼はいらねえ。次に同じ位置を狙われたとき、何が起きるか分かってりゃいい」

 

 

 旗艦ノア・ギア、作戦室。

 

「先に、面倒な話を済ませます」

 

 御堂カナメが、一枚の文書を卓へ置いた。

 

「紅界政府から、緋月アカリ操縦者宛の通達です」

 

「……なにこれ」

 

「高危険度任務からの、段階的除外」

 

 空気が止まった。

 

「除外?」

 

「理由は三つ。象徴としての損耗回避。世論の安定。そして――あなたの身の安全」

 

「善意ってこと?」

 

「悪意なら、突き返して終わりです」

 

 カナメは、視線を外さなかった。

 

「善意だから、面倒なんです」

 

 アカリは文書を手に取り、上から下まで読んだ。

 

 破らなかった。丸めもしなかった。

 

 ただ、卓の上へ静かに戻した。

 

「……分かりました」

 

「今日は出ます。話は帰ってから」

 

「ちゃんと、席で。突き返すんじゃなくて」

 

 レンは、その横顔を見ていた。

 

 七年前、瓦礫の前で泣き叫んでいた少女が、いま紙一枚を怒鳴らずに置いている。

 

 それが、どれだけ力の要ることか。

 

 

「――カナメさん。ちょっと来てください」

 

 白瀬ユナが、端末から顔を上げずに言った。

 

 彼女の手元には、端末ではなく紙が広がっている。

 

 鉛筆で書かれた、細かい数字の列。その隣に、付箋。

 

「ユナ。この付箋は」

 

「はい」

 

「『ねぎ 二』と書いてありますが」

 

「買います」

 

 カナメの眉が、わずかに動いた。

 

「作戦記録の上に」

 

「紙が一枚しかなかったんです」

 

 ユナは、まったく悪びれなかった。

 

「それと、電子に残したくないので」

 

「……電子に?」

 

「ゼロ波は、機器の記録を起点規格へ戻します」

 

「つまり、こちらが電子で残した推論は、向こうから読める可能性があります」

 

「手書きなら読めません。紙は、七年前にもありましたから」

 

 ユナは、そこで一度だけ息を吐いた。

 

「ただし――私は完全なデータがないと落ち着かない人間です」

 

「今、人生でいちばん気持ち悪い作業をしています」

 

「それ本音でしょ」

 

「本音です」

 

 

「――で、何が出たんですか」

 

 ユナは、紙の一点を指した。

 

「二日前の戦闘。敵機の攻撃角度に、〇・一度単位のずれが出ていました」

 

「うちの解析系は、これを個体差として丸めました。旧式機なので当然です」

 

「ですが、丸めた時点で()()()()()()()()

 

 カナメが、顔を上げた。

 

「並び順」

 

「はい。装置は数値を集計します。人間の手は、起きた順番に書きます」

 

 ユナは、隣の紙を引き寄せた。

 

 鉛筆の、震えた筆跡。

 

「これは、ニルさんが書き写したものです」

 

「意味が分からないまま、順番だけ残してくれました」

 

 観測室の隅で、白い髪の少女が、少しだけ背筋を伸ばした。

 

「意味は」「今も、分かりません」

 

「分からないまま残したから、意味が出たんです」

 

 ユナは紙を裏返し、鉛筆で丸を打った。

 

「ずれの回数を、途切れるまで数えます」

 

「三回。一回。二回」

 

「そしてまた、三回。一回。二回」

 

「四十回以上、同じ順番で繰り返されています」

 

「……三、一、二」

 

「偶然では出ません」

 

「機体の個体差なら、順番は崩れます」

 

「じゃあ、なに。あの人、戦いながら数を数えてたってこと?」

 

「そうなります」

 

 ユナは、鉛筆を置いた。

 

「はっきり言います。これは機械の誤差ではありません」

 

「機械の誤差は、意味を持たないから誤差なんです」

 

「一定の順番を守って四十七回繰り返すものは、誤差とは呼びません」

 

「――操縦席の人間が、外へ向けて手を挙げています」

 

「ただし、三百十二が何の数かは分かりません」

 

「距離でも、座標でも、時刻でもありません」

 

「照合できるものが、この世界に一つもないんです」

 

 

『――警報。共界門上空、位相異常』

 

『大気中の位相差が、両世界で同時に零へ向かっています』

 

 カナメが、立ち上がった。

 

「来ます」

 

「レン、アカリ、カイン。出てください」

 

「ユナ。その紙は持っていって」

 

「持てません、これ動かすと順番が」

 

「写して。手で」

 

「はい」

 

 

 射出口。

 

「……アズール」

 

 操縦席の右下へ、文字が浮かんだ。

 

『機体状』

 

 そこで、途切れた。

 

「……アズール?」

 

 文字が消え、また浮かぶ。

 

『正常』

 

 二文字だった。

 

 二日前は、一文で返ってきた。

 

「……短くなってるな」

 

『はい』

 

「進んでるのか。ゼロ波が」

 

「無理に喋らなくていい。減るなら、取っとけ」

 

 文字は、しばらく浮かばなかった。

 

 そして、一文字だけ出た。

 

『嫌』

 

 レンは、天井を仰いだ。

 

「……お前な」

 

 掌部の青いコアが、二度、瞬いた。

 

 

 紅界側でも、同じことが起きていた。

 

「フレア、文字」

 

 ――出ない。

 

 代わりに、警告灯が三回。

 

「……そっちはもう、字も無理か」

 

 三回。

 

「分かった。あんたは光で喋る係ね」

 

 三回。やたらと明るく。

 

「眩しいのは分かったって!」

 

 

 空が、白くなった。

 

 蒼界と紅界、両方で同時に。

 

 白銀の装甲。黒い内部骨格。透明な歯車型の胸部コア。

 

 額の、一本の透明な直線角。

 

 背の、円環状の位相調整器。

 

 XG-00 プロトタイプ・インフィナイト。

 

 今度は、遠景ではなかった。

 

 手を伸ばせば届く距離に、それは降りてきた。

 

『機体実在を確認』

 

 ユナの声が、震えながらも正確だった。

 

『投影でも虚像でもありません。質量、装甲、駆動音、すべて実測できています』

 

『七年前に未完成とされた試験機が、完成状態で存在しています』

 

 

 最初に動いたのは、レンだった。

 

「アズール、位相固定!」

 

 青銀の掌が開き、空間の一点を掴む。

 

 アイオン・ロック。

 

 白銀の機体が、その場へ縫い止められる――はずだった。

 

 止まらない。

 

 それどころか。

 

オリジン・トレース

 

 白銀の掌が開いた。

 

 同じ形。同じ角度。同じ間合い。

 

 アイオン・ロック。

 

「な――」

 

 青銀の機体が、固定された。

 

 自分の技で。

 

「レン!」

 

 アカリが突っ込む。

 

 赤金の脚部から炎が噴き、爆発的に加速する。

 

 白銀の機体は、それを見た。

 

 見ただけで、同じ加速をした。

 

「うそでしょ!?」

 

 交差。

 

 衝撃。

 

 フレアが弾き飛ばされる。

 

『敵機が、二機の機能を短時間だけ再現しています!』

 

『名称はオリジン・トレース。敵機自身が表示しました!』

 

「見ただけでコピーできるのかよ!」

 

 

 三機目が、割り込んだ。

 

 黒銀の機影が、何もない空間から現れ、白銀の槍を弾く。

 

「下がれ」

 

「カイン!」

 

「遅れた。悪い」

 

 ヴァイスが、二本の位相刃を構えた。

 

 そして――白銀の機体もまた、同じように消えた。

 

 カインの真後ろへ。

 

「……っ」

 

 刃が交差する。

 

 カインは、そのまま()()()()()()()()()

 

 前へ出た。槍の内側へ。

 

「一度見せた手は、二度使わん」

 

「俺の癖までは、コピーできていない」

 

 白銀の機体が、はじめて半歩、下がった。

 

『敵機、動作補正――やはりです』

 

『機能は完全に複製されています。ですが、()()()()()()()()()()()()

 

 

 白銀の機体の胸元に、小さな投影が浮かんだ。

 

 白い円盤に、琥珀色の単眼が一つ。

 

『報告。黒銀機の行動が、予測経路から逸脱しました』

 

『原因、不明。統合検証機関イヴ、記録します』

 

「……イヴ?」

 

『はい。当機搭載の統合検証AIです』

 

『質問を検出。回答しました』

 

「敵に名乗られた!?」

 

『名乗りは検証行為の一部です』

 

『追加報告。紅界機から、意味不明な強光が断続的に発生しています』

 

『警告灯の異常と判定し、故障として記録します』

 

「故障じゃない! うちの子が喋ってんの!」

 

『……再検証します』

 

 

 そして、白銀の機体が、掌を三つ開いた。

 

 ――三点。

 

「まさか」

 

 二日前、レンが名前をつけた技だ。

 

 操縦者が二点。機体が一点。

 

 二つの意思で、三点を押さえる。

 

 無声固定。

 

 白銀の機体は、三点すべてを()()()()()()

 

 同じ形。同じ角度。同じ間合い。

 

 ――だが。

 

「……三つとも、同じ考え方で置いてる」

 

 レンの視界に、固定点の配置が入ってきた。

 

 二日前、彼が二点を置いて、三つ目が決まらなかった理由。

 

 人ひとりぶんの通路を残すために、どうしても()()()()()()が必要だった。

 

 そしてアズールは、建物ではなく地面を押さえた。

 

 レンなら絶対に選ばない置き方だった。

 

 いま目の前の三点には、その不合理がない。

 

 美しいほど、合理的に揃っている。

 

「アズール!」

 

『右』

 

「行くなって意味だな!」

 

 レンは左へ跳んだ。

 

 三点固定の網が、寸前で空を掴む。

 

「一人で三つ決めた網は、一人ぶんの読みしかない!」

 

 青い位相刃が、はじめて白銀の装甲へ届いた。

 

 浅い。届いただけだ。

 

 それでも、白銀の肩に、細い線が走った。

 

 

 白銀の機体が、止まった。

 

 そして、はじめて――通信ではなく、空気そのものを震わせて、声が届いた。

 

 分裂前の規格でできた機体が、分裂前の規格のまま、そこにあるからだ。

 

「――分岐した生存記録、二点」

 

「……なんだって?」

 

「蒼羽レン。緋月アカリ」

 

「あなたたちは、起点記録上、同一事象から分岐した二つの生存記録です」

 

 レンは、その言い方に引っかかった。

 

 ――読んでいる。

 

 この人は、自分の言葉で喋っていない。

 

 紙に書かれたものを、そのまま声に出している。

 

「あんた、それ本気で言ってるのか」

 

「……」

 

「起点鍵候補、二点の提出を要求します」

 

 槍の先端が、レンの胸の前で止まった。

 

 服の下の、半分だけの歯車。

 

「渡すわけないでしょ!」

 

 アカリが吠えた。

 

「それ、七年前にあたしたちの手に残った最後の一個だよ!」

 

「――知っています」

 

 声の温度が、一度だけ変わった。

 

「見ていましたから」

 

「……は?」

 

 そこで、白銀の機体の顔面表示が、勝手に切り替わった。

 

回収を実行

 

 槍が伸びた。

 

 鎖が引きちぎられ、半分の歯車が宙を舞う。

 

 白銀の指が、それを摘まんだ。

 

リセット・スピンドル

 

 槍の光が、歯車を包む。

 

 登録された位置と状態へ、戻すための光。

 

 ――何も、起きなかった。

 

『報告。対象、起点記録に該当なし』

 

 イヴの声が、はじめて戸惑った。

 

『割れる前の登録も、割れた後の登録もありません』

 

『この物体は、()()()()()()()()()()に発生しています』

 

『復元先が、存在しません』

 

「……当たり前だ」

 

 レンは、笑った。

 

 笑うしかなかった。

 

「そいつが割れた瞬間は、誰も記録してない」

 

「俺とアカリが、手の中で握り潰しただけだ」

 

 

『――レン! アカリ! 聞こえますか!』

 

 ユナの声が、割り込んだ。

 

『三、一、二です!』

 

『敵機の射角のずれ、三回、一回、二回の順で四十七回反復しています!』

 

『今、この戦闘でも続いています!』

 

「戦いながら、まだ数えてるのか……!」

 

 レンは、白銀の胸部コアを見上げた。

 

 透明な歯車の奥。

 

 右手を操縦環へ固定されたままの、灰褐色の髪の少女。

 

 左手だけが、自由に動いている。

 

 その左手が、槍の制御索の上で、微かに震えていた。

 

 ――二日前と、同じだ。

 

 間に合わなかった人間の顔で、それでも何かを数えている。

 

「おい」

 

 レンは、喉が裂けるほどの声で叫んだ。

 

「三百十二って、なんの数だ!」

 

 

 白銀の機体が、止まった。

 

 誰も止めていないのに。

 

 攻撃の途中で、槍が下がった。

 

『報告。操縦者から、動作入力がありません』

 

『――訂正。入力はあります。命令と一致しません』

 

 琥珀色の瞳が、はじめてまっすぐレンを見た。

 

 そして、彼女は答えた。

 

 読み上げでは、なかった。

 

「――人数だ」

 

「……人数」

 

「人数って、なに、まさか」

 

「三百十二人」

 

「あの一秒に、まだ、いる」

 

 彼女の左手が、制御索を強く握った。

 

「聞け。時間がない」

 

「ゼロは世界を割っていない」

 

「割ったのは別の命令だ。ゼロは、割れた後を保存しただけの装置だ」

 

「じゃあなんで、今の世界を消そうとする!」

 

「壊れていると判定したからだ」

 

「直すつもりでいる」

 

「あれは、嘘をつかない」

 

 そこまでだった。

 

誤差を検出

 

操縦者記憶を復元点へ照合

 

 彼女の身体が、びくりと跳ねた。

 

「……っ、まだ、」

 

「私は、始まりへ戻りたいんじゃ――」

 

 声が、途切れた。

 

 琥珀色の瞳から、焦点が抜けた。

 

 白銀の機体は槍を戻し、歯車を掌から()()()()()()

 

 そして、二つの世界の空から、同時に消えた。

 

 

 半分の歯車は、蒼界の地面に落ちていた。

 

 レンは機体の指で、それを拾い上げた。

 

 傷ひとつ、ついていない。

 

 登録がないものは、壊すこともできない。

 

 

 回収に出たヴァイスの隣で、カインが黒銀の刃を収めた。

 

「……気に入らんな」

 

「どこがだ。あれだけ真似されて、一箇所も気に入らないところがないのか」

 

「真似の中身だ」

 

 カインは、白銀の消えた空を見上げていた。

 

「あいつは俺の亀裂を再現した。開き方も、角度も、出力も完璧だった」

 

「だが、開いた先に何もなかった」

 

「……何もない?」

 

「零座標は、俺が七年かけて居場所にした穴だ」

 

「設計図には、そこに何があるかまでは書いてない」

 

 黒い識別帯の少年は、そこで言葉を切った。

 

「機能だけ持っていかれるのは、思ったより腹が立つ」

 

「……あんたでも腹立つんだ」

 

「立つ」

 

 カインは、紙包みから焦がし砂糖の飴を一つ取り出した。

 

 そして、もう一つ取り出し、アカリのほうへ放った。

 

「え、くれるの?」

 

「補給だ」

 

「絶対に慰めてるでしょ今の」

 

「補給だ」

 

 

 夜。ノア・ギア、蒼界側の通路。

 

 レンは壁にもたれて、拾い直した歯車を握っていた。

 

 鎖は切れたままだ。

 

「――直してないの、それ」

 

 アカリが、反対側の壁にもたれた。

 

「明日、ゲンゴさんに頼む」

 

「ふうん」

 

 しばらく、どちらも喋らなかった。

 

 先に口を開いたのは、アカリのほうだった。

 

「あたしさ、二日前、四人殺すところだった」

 

「……聞いた」

 

「フレアが止めなかったら、撃ってた」

 

「あれから毎晩、橋の下を見てる夢を見る」

 

 彼女は、天井を見上げたまま言った。

 

「言っとくけど、慰めなくていいから」

 

「先に言っといたほうが、あんたが喋りやすいでしょ」

 

 レンは、動けなかった。

 

 ――見抜かれている。

 

 二日前から、誰にも言っていないことがある。

 

 言えば、相手の重さが増えるだけだと思っていた。

 

 守るというのは、そういうことだと思っていた。

 

「……担架だ」

 

 声が、掠れた。

 

「あと一秒遅かったら、俺が三人踏み潰してた」

 

「救助員が二人と、患者が一人」

 

「……うん」

 

「それだけだ」

 

「……それだけ?」

 

 アカリが、壁から背を離した。

 

「怖かったんでしょ」

 

「……」

 

「そこまで言いなよ」

 

「……まだ、言えない」

 

 自分でも、意外なほど素直な声が出た。

 

「悪い。今日はここまでだ」

 

 アカリは、しばらくレンを見ていた。

 

 それから、拳で軽く彼の肩を叩いた。

 

「上出来」

 

「二日前なら、担架の話すらしなかったでしょ」

 

 レンは、何も言い返せなかった。

 

 

 作戦室では、ユナがまだ紙と向き合っていた。

 

 三百十二。

 

 照合できるものが、この世界に一つもない数字。

 

 その隣に、ニルが立っている。

 

「ユナさん」「一つ、書き足していいですか」

 

「どうぞ」

 

 ニルは鉛筆を受け取り、数字の下へ一行だけ書いた。

 

 装置ではなく、自分の指で。

 

三百十二人は、まだ数えられている

 

「意味は」「まだ分かりません」

 

「ですから」「記録前として、預かります」

 

 ユナは、その一行をしばらく見つめた。

 

「……ニルさん」

 

「あなた、解析向いてますよ」

 

「私は」「数えるほうが、得意です」

 

 

 白銀の原型機は、二機の技をすべて模倣した。

 

 ただ一つ、二人で決めた一点だけを、真似できなかった。

 

 そして操縦席の少女は、戦いながら三百十二を数えている。

 

第16話「同じ顔の他人」へ続く

 






 白銀の原型機が、はじめて手の届く距離まで降りてきた回でした。

 この機体は、アズールの位相固定も、フレアの加速も、ヴァイスの位相移動も、見ただけで完全に再現します。性能では勝てません。ですが一つだけ、どうしても真似できないものがありました。

 二日前、レンは三点固定の三つ目をどうしても決められませんでした。人ひとりぶんの通路を残すために、合理を外した一点が必要だったからです。それを置いたのはアズールでした。今回、原型機は三点すべてを自分で選びます。美しいほど合理的に揃った網には、その不合理がない。だから避けられる。

 一人の操縦者、一つの命令、一つの正解で動く機体は、二つの意思が出した不揃いな答えを再現できません。性能の差ではなく、設計思想の差です。

 ユナが手書きにこだわった理由も、ここに置きました。装置は数値を集計しますが、その瞬間に並び順が消えます。ニルが意味も分からず順番だけ書き写したから、三、一、二という反復が残りました。記録を残すことが人を守ると信じてきた少女が、意味の分からないものをそのまま預かる。その判断が、今回いちばんの手柄です。

 そして三百十二。トワは助けを求めていたのではなく、数えていました。何の数かは本人が答えてくれましたが、そのせいで彼女は記憶を照合されています。あの機体は、操縦者が迷うたびに直前の記憶を巻き戻します。

 よければ、ひとつだけ教えてください。
 より印象に残ったのは、レンが三百十二を叫んだ場面でしたか。それとも、アカリが自分の失敗を先に話した場面でしたか。

 次回、第16話「同じ顔の他人」。共界門を訪れた二人の身分記録が、一人分へ統合されます。今度は戦闘ではなく、七年間を生きた人たちの生活のほうが削られはじめます。

【用語】オリジン・トレース/観測した機体の機能を短時間だけ再現する。経験と判断までは複製できない。


【用語】リセット・スピンドル/触れた物体を登録時の状態へ戻す。登録のないものには効かない。


【用語】起点鍵候補/起点管理核ゼロが回収を優先する対象。レンとアカリが持つ、半分ずつの歯車。


【用語】イヴ/白銀の原型機に搭載された統合検証AI。白い円盤と琥珀色の単眼で現れる。比喩や強光を故障として報告する。


【用語】三百十二/敵機の射角のずれが反復して示す数。御影トワいわく、人数。
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