【合体ロボ】死んだはずの幼なじみが、隣の世界から俺の名前を呼んだ 作:シラヌイ321
共界門の中央には、細い線が一本引かれている。
線の向こうへ半歩踏み出せば、そこはもう、生まれ育った世界ではない。
今日、その線を挟んで、同じ顔が二つ向かい合っていた。
「……うわ」
「うわ、って言うなよ。こっちも言いたい」
三崎トオル、三十四歳。蒼界第七区、給水設備の保守員。
三崎トオル、三十四歳。紅界第三区、溶接工。
七年前までは、一人だった。
髪の分け目が逆で、右手の火傷の有無が違い、片方だけ少し太っていた。
それ以外は、全部同じだった。
「一般通行は止まってるって聞いたけど」
蒼界側のトオルが言った。
「人道枠だそうです」
白瀬ユナが、登録卓の端末から答えた。
「同位者の初回面会は、両世界の評議会が特例で通しました。十分だけ」
「十分」
「はい。両側の承認が要るので、十分取るのに二十二日かかりました」
「……二十二日で十分か」
紅界側のトオルが、笑った。
「充分だ。七年待ったんだから」
二人は、線を挟んで手を伸ばした。
握手はできない。線を越えれば手続きが要る。
だから、指先を十センチだけ近づけて、止めた。
「……前に、俺たちもあれをやったな」
「額縁挟んでね」
蒼羽レンと緋月アカリは、通路の端からそれを見ていた。
「これ、うちのだ」
蒼界側のトオルが、上着から写真を出した。
三人が写っている。本人と、妻と、六歳くらいの女の子。
「シオリ。で、こっちがノノ。六つ」
「……六つ」
紅界側のトオルが、写真を覗き込んだ。
彼の手には、何もなかった。
「そっちは」
「独り身だよ。ずっと」
「そうか」
「別に、可哀想がるなよ。お前が羨ましいだけだ」
紅界側のトオルは、肩をすくめた。
「なあ。おかしな話するぞ」
「どうぞ」
「俺、七年間ずっと、右手に火傷がある理由を覚えてないんだ」
「……は?」
「分裂の日に負ったのは覚えてる。でも、どうやって負ったのかが出てこない」
彼は、自分の右手を見た。
「今日お前の顔見て、分かった」
「たぶん俺、誰か庇ったんだよ」
「そうか」
蒼界側のトオルは、それだけ言った。
自分の右手には、火傷がない。
『――登録卓、同期完了』
『面会記録、両側へ保存します』
その瞬間だった。
ユナの手が、端末の上で止まった。
「……え」
「止めて! 登録卓、切って!」
「切れません、もう保存されてます!」
線の両側で、二人のトオルが顔を上げた。
「……なんだ、今の」
蒼界側のトオルの手の中で、写真が音もなく震えた。
いや。
写真そのものは、動いていない。
写っているものが、薄くなっていた。
真ん中の男を残して、両隣の二人だけが。
「おい」
彼の声が、裏返った。
「おい、待て、これ、シオリ、ノノ――」
旗艦ノア・ギア、作戦室。
「結論から言います」
ユナは、紙を広げていた。端末ではなく。
「ゼロは、二人の三崎トオルを
「同じ生体識別、同じ出生記録、同じ顔。起点記録上、三崎トオルは一人しかいません」
「だから、二つあるのは故障だと」
「はい。そして修理します。どちらかへ寄せて」
「……どっちに寄せるんだ」
「起点記録に近いほうです」
ユナは、そこで一度、口を閉じた。
「七年前の三崎トオルは、独身でした」
作戦室が、静まり返った。
「……待って」
「それ、つまり」
「独身のほうが、正しい三崎トオルだと判定されています」
「蒼界側の婚姻記録と、親子関係の記録が、順に『起点記録にない差分』として処理されています」
「奥さんと娘が、いなかったことにされるってことか」
「そうです」
「悪意はありません。ゼロは、壊れた書類を直しているつもりです」
御堂カナメが、卓の端を指で叩いた。
「共界評議会を招集します」
「議題は一つ。同位者を一人分の識別番号へ統合しない、という共通規則の制定」
「――通りますか」
ユナは、顔を上げなかった。
「両側の承認が要ります」
「蒼界五、紅界五。全員の同意が要る事項です」
「最短で」
「明日の正午」
カナメの指が、止まった。
「明朝までに、ノノさんの親子記録は消えます」
しばらく、誰も喋らなかった。
やがてカナメは、両手を卓についた。
「……命令できないな」
それは、独り言に近かった。
「終界では、命令できた」
「艦長が撃てと言えば艦が動いた。止まれと言えば止まった」
「今は、私が何を言っても、明日の正午までは何も動かない」
「遅すぎる」
「遅すぎるでしょ、それ」
「遅いです」
カナメは、否定しなかった。
「ですが、速くする方法は一つしかありません」
「片側の承認だけで決められるようにすることです」
「それをやった瞬間、共界評議会は、片方が片方を押し切れる場所になります」
彼女は、アカリを見た。
「一晩で、七年かけて分けたものを一つへ戻すことになる」
「――それは、ゼロと同じやり方です」
「…………」
アカリは、唇を噛んだ。
反論できないのが、いちばん腹が立った。
通路。
レンは、壁にもたれていた。
アカリが、隣に来た。
「ねえ」
「なんだ」
「あたしたちって、同位者いないよね」
「……いないな」
分裂の日、蒼界のレンは紅界の記録で死んだ。
紅界のアカリは、蒼界の記録で死んだ。
だから二人には、同じ顔の他人がいない。
向こう側で七年ぶんを別に生きた、もう一人の自分がいない。
「あの二人、羨ましかった」
「顔見て『うわ』って言えるの、いいな」
「……俺は」
レンは、言いかけて止めた。
言えば、相手の重さが増える。そう思った。
思った瞬間、二日前のアカリの声が戻ってきた。
――先に言っといたほうが、あんたが喋りやすいでしょ。
「……羨ましくなかった」
「え」
「もう一人の俺が、そっちで生きてたら」
「お前、あの柱に線を刻まなかっただろ」
アカリが、息を止めた。
倒れた支柱。一年に一本ずつ、七本。
「そう思ったら、いなくてよかった」
「……最低だな、今の」
「……うん」
「最低」
アカリは、壁に頭を預けた。
「でもあたしも、同じこと思った」
「向こうにもう一人あんたがいたら、あたし、そっちに会いに行っちゃったかもしれない」
「本物じゃないのに」
二人とも、しばらく何も言わなかった。
「……言えたな、今の」
「上出来」
蒼界側格納庫。
レンは、アズールの掌に腰を下ろしていた。
「……アズール」
「同位者ってのは、なんだと思う」
文字は、すぐには浮かばなかった。
昨日より、反応が遅い。
やがて、二文字だけ出た。
「……だよな」
レンは頷いた。法律上は別人だ。財産も、家族も、罪も共有しない。
だが、文字が消えなかった。
そのまま、下にもう二文字が増えた。
「……どっちだよ」
文字は、両方とも消えなかった。
しばらくして、青いコアが二度、瞬いた。
「……絞れないのか」
「そうか」
レンは、装甲に後頭部を預けた。
「絞れなくていい」
「一個に絞れる奴が、今この世界を直そうとしてる」
紅界側。
アカリは、フレアの脚部に背を預けていた。
「あたしたち、同位者いないんだってさ」
返事はない。
文字も、もう出ない。
代わりに、警告灯が三回、点いた。
「……うん」
「いるのは知ってる」
三回。
「だから、そんなに明るくしなくていいってば」
深夜二時。共界門。
解決策を持ってきたのは、ニルだった。
「共界門の規則を」「もう一度、読んでください」
「規則?」
ユナが、顔を上げた。
「両側が同じものを『通す』と登録しなければ、何も通さない」
「片側だけの善意は通らない」「片側だけの都合も、通らない」
ユナの目が、見開いた。
「……あ」
「あ、そうか。
「はい」
ニルは、続けた。
「ゼロは、三崎トオルを一人だと登録しようとしています」
「ですが共界門は」「両側が同意しない登録を、保存しません」
「両側の登録卓へ、人間が手で『二人』と入れ続ける」
「入れ続けているあいだ、統合は確定できない」
「はい」
「……何回入れればいいんですか」
「ゼロが諦めるまでです」
「ゼロは諦めませんよ」
「では」「評議会の承認が下りる、明日の正午までです」
ユナは、紙の上で計算を始めた。
そして、鉛筆を放り出した。
「十時間。統合要求は八秒に一回」
「……四千五百回です」
「両側で」
「なんだ、たった四千五百か」
真壁ゲンゴが、袖をまくった。
「機体の締結ボルトは一機で六千本ある。全部手で確認してんだぞ」
「ゲンゴ、あんた腱鞘炎になるわよ」
通信の向こうで、九条マオが既に紅界側の卓へ座っていた。
「なるなら二人でなるでしょ。こっちも四千五百なんだから」
「言っとくが、俺は指が太い」
「知ってる。ボタン二つ同時に押さないでよ」
「――交代要員がいるだろう」
カインが、紙包みを卓へ置いた。
「俺は夜に強い」
「あんた、飴で徹夜する気でしょ」
「補給だ」
「言うと思った」
午前四時。
蒼界側の登録卓に、人が増えていた。
共界評議会の代表が五人。全員、承認を出せる立場ではない。ただ、押せる指を持っている。
午前六時、給水設備の同僚が七人来た。
午前八時、紅界側の溶接工組合が十九人来た。
誰も、演説をしなかった。
ただ、八秒に一回、両側で同じ言葉を入力し続けた。
十時間。
両側で、九千回。
正午。
『共界評議会、採決完了』
『同位者統合禁止規則、蒼界五、紅界五――全会一致で可決』
登録卓の前で、誰かが崩れ落ちた。
ゲンゴは指を伸ばそうとして、伸びずに固まった。
「……曲がったままだ」
「言ったでしょ」
マオの声も、掠れていた。
『三崎トオルの識別番号、二件で確定』
『婚姻記録、親子記録、復元します』
蒼界側のトオルが、上着から写真を出した。
妻の輪郭が、戻っていた。
娘の輪郭も。
彼は、その写真を両手で持ったまま、しばらく動かなかった。
「……ありがとうございます」
「礼は」
ゲンゴが、曲がった指を振った。
「評議会に言え。十時間で決めたんだ。あいつら、普通は二十二日かかる」
三崎トオルの娘、ノノは、その日の午後に診療所へ行った。
定期の検診だった。
受付で、診察券を出した。
端末が、それを読み取った。
受付の職員が、三回読み直した。
カードは正しかった。番号も正しかった。
ただ、名前の欄だけが、空白になっていた。
「……守ったんじゃないのか」
報告を受けたレンが、声を荒らげた。
「九千回押したんだぞ」
「守れたのは、共界門を通った記録だけです」
ユナの声は、平坦だった。平坦にしないと、続けられなかった。
「あの子は、共界門を通っていません」
「診察券は、蒼界の医療端末の管理下です」
「そして――ノノさんは、七年前に生まれていません」
「生まれてないって、なによ」
「起点記録に、いないんです」
「統合された親子記録は戻せました。でも、あの子個人の登録は、そもそも最初から
「ゼロは、あの子を消していません」
「
診療所の待合室。
ノノは、空白になった診察券を、膝の上で見ていた。
泣いていなかった。
六歳は、事態の大きさが分からない。
分からないぶん、まっすぐだった。
「なまえ、消えちゃった」
「はい」
白い髪の少女が、隣に座っていた。
「なおる?」
「……分かりません」
ニルは、嘘をつかなかった。
彼女は、腰の袋から紙と鉛筆を取り出した。
「一つだけ、お願いがあります」
「なに」
「ここに、あなたの名前を書いてください」「あなたの字で」
「わたしの字、へただよ」
「それがいいんです」
ノノは、しばらく鉛筆を握っていた。
それから、大きく、いびつな四文字を書いた。
「かけた」
「はい」
ニルは、その紙を受け取った。
そして――記録装置を、持ち上げなかった。
「私は、記録係です」
「今まで、残すことが人を守ると思っていました」
「でも、残したものは、読まれます」
「装置に入れた瞬間、これは向こうから読める字になります」
「よまれると、だめなの」
「だめです」「消される理由に、されます」
ニルは、紙を四つに折った。
そして、ノノの手のひらへ戻した。
「だから、これはあなたが持っていてください」
「どこにも登録しません」「あなたの中にだけ、あります」
「ニルは、おぼえてないの?」
白い髪の少女は、少し考えた。
右目が青く、左目が赤い。どちらも、まっすぐ子供を見ていた。
「覚えています」
「ただし、書きません」「書かない覚え方も、あると知ったところです」
診療所の外。
カインが、壁にもたれていた。
中の様子は見ていない。見なくても分かった。
「……名前は」
黒い識別帯の少年は、自分の左手首を見ていた。
そこに巻かれた帯には、番号しか書かれていない。
「誰かにもらうものだな」
そのときだった。
『――K-0』
誰も送信していない通信が、ヴァイスの回線へ割り込んだ。
子供の声だった。
「……誰だ」
『K-0。お前は七年間の誤差だ』
『記録にない時間を、どうやって自分だと言う』
共界門の奥、白い廊下の底に、黒白の機影が一瞬だけ立った。
胸に、紫色の無針時計型のコア。
そして、消えた。
「…………」
カインは、動かなかった。
ただ、紙包みの中から飴を一つ出して、口へ放り込んだ。
焦がし砂糖の味がした。
――記録には、残っていない味だ。
─
機体がほとんど戦わない回でした。
起点管理核ゼロは、人を殺そうとしていません。壊れた書類を直しているつもりです。三崎トオルが二人いるのは故障で、七年前に独身だった記録が正しく、だから妻と娘の続柄は差分。この理屈に一箇所も嘘がないところが、いちばん怖いところだと思っています。
解決の鍵は、第1期の終わりに二つの世界が作った共界門そのものでした。両側が同じものを「通す」と登録しなければ、何も通さない。片側だけの善意は通らないし、片側だけの都合も通らない。開通初日にユナが念を押したあの仕様が、そのまま片側からの上書きを拒む盾になります。だから四千五百回、両側で九千回、人間の指で押し続けるしかありませんでした。
カナメが命令しなかった理由も書いておきます。速くする方法は、片側の承認だけで決められるようにすることだけです。それをやった瞬間、共界評議会は片方が片方を押し切れる場所になる。一晩で、七年かけて分けたものを一つへ戻すことになる。それはゼロと同じやり方です。遅さを選ぶというのは、そういう決断でした。
そしてニル。今まで彼女は、残すことが人を守ると信じてきました。今回、残したものは読まれるという事実に突き当たります。だから六歳の子に自分の字で名前を書かせて、それを装置へ入れずに本人へ返しました。記録係が、記録しないことを選んだ最初の一回です。
レンとアカリに同位者がいないのは、互いの世界で死亡者になっているからです。羨ましい、と言いかけて、レンは違うことを言いました。もう一人の自分がいたら、アカリは七年間そいつに花を供えていた。そう思ったら、いなくてよかった。最低な本音ですが、前回「まだ言えない」で止まった彼が、今回は先に言えました。
よければ、ひとつだけ教えてください。
いちばん残ったのは、九千回の手入力でしたか。アズールが「他人」と「家族」を両方消さなかった場面でしたか。それとも、ニルが紙を折って返した場面でしたか。
次回、第17話「K-0は名前を持たない」。呼びかけてきた子供の声が、カインを起点層へ誘います。