【合体ロボ】死んだはずの幼なじみが、隣の世界から俺の名前を呼んだ 作:シラヌイ321
朝、共界門は白かった。
青と赤が重なって透明になっていた廊下が、根元から白く塗り替わっている。
いや、塗られたのではない。
二つの世界をつなぐ扉が、別の場所への入口になっていた。
「――計測、出ました」
白瀬ユナの声は、落ち着いていた。
落ち着かせるために、意識的にそうしていた。
「門の奥行きが、二百十メートル伸びています」
「昨日まで、大人が二人並んで通れる六メートルの廊下でした」
「今は、その先に施設が一つ丸ごとあります」
「……施設」
「インフィニティ・ギア、第三研究区画」
「七年前に消えた場所です」
艦橋。
「行く人間を決めます」
御堂カナメが、卓の上に図を広げた。
「通れるのは、人型機三機と、小型艇一隻まで」
「それ以上の質量を入れると、門の位相が保ちません」
「――ノア・ギアは、残ります」
「艦長は」
「残ります」
カナメは、即答した。
「なんでだ。あんたが一番」
「あなたたちが向こうにいるあいだ、こちらでは復元率が上がり続けます」
「街の記録が消え、子供の名前が消え、誰かが『もう戻してもらったほうがいい』と言い出します」
「そのとき、艦長がいないと止められない――のではありません」
彼女は、顔を上げた。
「そのとき、
「決めるのは評議会と市民です。私は、その決め方が壊れないように見張る役です」
「それを放り出して前線へ行ったら、私は七年前のあの人たちと同じになります」
レンは、返す言葉を探して――やめた。
「……行ってきます」
「はい」
カナメは、はじめて小さく笑った。
「数えて帰ってきなさい」
進入隊の編成が読み上げられた。
蒼界機アズール。操縦者、蒼羽レン。
紅界機フレア。操縦者、緋月アカリ。
ZC-01ヴァイス。操縦者、カイン。
小型艇一隻。乗員、白瀬ユナ、ニル、そして――
「九条マオ。乗るわ」
通信画面の向こうで、彼女はもう工具箱を担いでいた。
「向こうの機材、全部七年前の規格でしょ。誰か触れる人間が要る」
「マオ」
真壁ゲンゴが、渋い顔をした。
「俺が行く」
「あんたは残って。こっちの共界門が崩れたら、帰り道がなくなる」
「……」
「ゲンゴ」
マオは、工具箱を叩いた。
「入口を押さえるほうが、地味で、大事で、誰も褒めない仕事よ」
「あんたの得意分野でしょ」
ゲンゴは、しばらく黙っていた。
それから、自分の工具箱から一本のレンチを抜いて、通信画面へ掲げた。
「紅界式の耐熱楔、十二番」
「持ってけ」
「……あんた、いつの間に」
「共界門の初日から、一本借りっぱなしだ」
出発前。
ニルが、ユナの隣に立っていた。
「ユナさん」「航路のことです」
「はい」
「今回、私は保存しません」
「……全部ですか」
「全部です」
ユナの手が、紙の上で止まった。
「ニルさん。それは――記録係を、やめるということですか」
「いいえ」
白い髪の少女は、首を振った。
「前に一度、その場の一手だけ書きませんでした」
「今度は」「作戦そのものです」
「進入角、滞在時間、退出経路、全員の配置」
「どこにも残しません」
「読まれるからですね」
「はい」
「向こうは、ゼロの記録領域です」「電子に置いた瞬間、作戦は敵の手元にあります」
「……では、誰が覚えるんですか」
ニルは、少しだけ迷った。
それから、答えた。
「六人で、一つずつ持ちます」
「私が全部持つのは」「私が読まれたときに、全部消えるからです」
ユナは、鉛筆を置いた。
そして、はじめて笑った。
「……ニルさん。あなた、ほんとうに解析向いてますよ」
「アズール」
射出前、レンは操縦席で一度だけ声に出した。
「……うん」
「向こうじゃ、しばらく喋らない」
「通信も切る。ゼロに読まれるからな」
「三日前まで、お前が喋れないのは欠陥だった」
レンは、操縦桿を握り直した。
「今日からは、この六人でいちばん安全な通信手段だ」
掌部の青いコアが、二度、瞬いた。
了解。
「行くぞ、相棒」
コアが、もう一度だけ二回、瞬いた。
――それから、三回。
「……おい」
「今の、フレアのやつだろ」
返事は、なかった。
レンは、笑うしかなかった。
白い廊下を抜けた瞬間、音が変わった。
風がない。
空気が動いていない。
方眼状の管理線が、床にも壁にも天井にも走っている。
色は白と、透明と、薄い琥珀。
そして――止まったものが、いくつもあった。
空中で静止した火花。
床から三十センチのところで浮いている工具。
閉じかけたまま止まった防火扉。
どれも、七年前のその一秒のままだった。
遠くには青空がある。
蒼界の青でも、紅界の赤でもない、ただの青空。
太陽も、雲も、動かない。
「……綺麗ですね」
マオが、小声で言った。
「綺麗なだけね、これ」
「そう言ったのが二人目だ」
カインは、ヴァイスの外部音声だけを最小で使っていた。
「一人目も、綺麗ですね、と言った」
「……ニル、だな」
「そうだと思った」
第三研究区画の中は、時間が止まっていた。
書きかけの書類が机の上にあった。文字が途中で切れている。
倒れかけた椅子が、床から五度傾いたまま浮いていた。
コーヒーの入った紙コップが、机の縁から落ちる途中で止まっていた。
人は、いなかった。
人だけが、いなかった。
「……職員の生体は」
ユナが、端末ではなく紙に書きながら言った。
「保管区へ移されています。位置は、地下二層」
「三百十二人か」
「はい」
地下一層の廊下で、ニルが足を止めた。
壁一面が、透明な棚になっている。
棚の中には、小さな琥珀色の球が並んでいた。
一つ一つに、名前の札がついている。
「……生体識別情報です」
「意識ではありません」「その人が誰かを示す、登録のほうです」
レンは、機体を降りていた。
徒歩でなければ入れない区画だった。
彼は、棚の札を目で追った。
職員の名前が並んでいる。
見学者の名前が並んでいる。
そして――
「…………」
彼は、止まった。
棚の、いちばん低い段。
子供の身長に合わせたような高さに、二つの球が並んでいた。
隣り合っていた。
七年間、ずっとそうしていたのだろう。
「……並んでる」
アカリも、機体を降りてきていた。
二人は、しばらく動けなかった。
琥珀色の球の中には、光が入っている。
その光は、動いていなかった。
十歳の蒼羽レン。
まだ誰の名前も刻んでいない。
まだ、一人も助けられなかったことがない。
十歳の緋月アカリ。
まだ柱に線を足していない。
まだ、七回も名前を彫っていない。
「……これ」
「ゼロは、これを正しいあたしたちだって言うんだよね」
「そうだな」
「原本だってさ」
アカリが、鼻で笑った。
「原本って、上書きするほうの言い方でしょ」
「そうか」
「そうだよ」
彼女は、球に触れなかった。
触れられる距離まで近づいて、手を下ろした。
「あたしたち、上書きしに来たんじゃないもん」
レンは、自分の球を見ていた。
十歳の自分。
七年ぶん軽い自分。
「……原本じゃない」
彼は、言った。
「こいつは、俺の原本じゃない」
「まだ何も選んでない。誰も助けてない。誰も踏み潰しかけてない」
「そういう俺だ」
「――始まりだ。原本じゃなくて」
「……うん」
「始まりは、上書きしなくていい」
「そこから歩いたぶんが、俺だ」
二人は、球に何もしなかった。
壊さなかった。持ち出さなかった。記録もしなかった。
ただ、そこに置いたまま、通り過ぎた。
背後で、ニルが記録装置を持ち上げかけて――やめた。
「……登録しません」
「見ました」「それだけで、足ります」
棚の区画を抜けた先に、扉が一つあった。
半分だけ開いている。
その向こうは、白い部屋だった。
円形の観測室。
中央に、三つの足場。
床が、一箇所だけ割れている。
割れかけたまま、止まっている。
カインが、そこで足を止めた。
「……カイン」
「入らん」
「そうか」
「用がない」
彼は、扉の手前から動かなかった。
黒い識別帯の巻かれた左手が、下がったままだった。
七年前、あの割れ目から落ちたのは彼だ。
落ちた先が零座標で、そこから七年、生身で歩いて帰ってきた。
いま目の前にあるのは、その割れ目が
「……足、震えてる」
「震えていない」
「震えてる」
「……足元が滑りやすい」
「床、止まってるけど」
「…………」
アカリは、それ以上言わなかった。
代わりに、彼の隣に立った。
何も喋らず、ただ同じ方向を向いた。
しばらくして、カインが紙包みを出した。
飴を一つ取り、もう一つ取って、アカリへ渡す。
「……補給?」
「補給だ」
「うん」
二人は、割れかけた床を見ていた。
「……一つだけ言っておく」
「あそこから落ちたとき、俺は誰にも名前を呼ばれていない」
「K-0としか呼ばれていなかった」
「だから、あの割れ目に落ちたのは俺じゃない」
「番号だ」
「……うん」
「名前をもらったのは、落ちたあとだ」
「――順番が、そうなってる」
彼は、扉へ背を向けた。
「行くぞ。用があるのは、地下だ」
地下二層。
保管区の扉は、七年前の規格で閉じていた。
「開くわよ」
マオが、蒼界式の精密留め具を、紅界式の耐熱楔の上へ噛ませた。
ゲンゴから借りっぱなしの、十二番。
「……これ、七年前の図面にない組み合わせね」
「だから開くのか」
「そう。復元命令が、この留め方を知らないの」
「戻す先がないものは、戻せない」
扉が、軋みながら開いた。
中は、広かった。
天井が高く、床が円形に沈んでいる。
その円の上に――光が、並んでいた。
琥珀色の、小さな球。
一つ一つに、名前の札。
数えるまでもなかった。
整然と、規則正しく、静かに。
「……全部、人か」
「意識状態記録です」
ユナの声が、震えていた。
「本人の記憶を持っています。ですが、七年間を生きてはいません」
「起きているのでも、死んでいるのでもありません」
「――待っています」
レンは、円の縁を歩いた。
札を、一つずつ見た。
知らない名前ばかりだった。
だが、広場で聞いた声の主が、この中にいる。
誰かの父親。誰かの姉。
そして。
「……おい」
彼は、円の外側で足を止めた。
そこは、保管区の隅だった。
壁際に、何かが積んである。
白い、小さな金属製の容器。
空のものが、山になっていた。
一つや二つではない。
何百個も、几帳面に、高さを揃えて積まれていた。
「これ……非常食の、スープの容器か」
その脇に、毛布が一枚。
畳んである。
床に、擦れた跡が残っている。
同じ場所に、何度も座った跡だった。
「……誰か」
アカリの声が、掠れた。
「誰か、ここで起きてたんだ」
「三百十二人が寝てる部屋で」
「――ずっと、一人で」
ユナが、容器の山の前にしゃがみ込んだ。
彼女は、それを数えはじめた。
紙に、鉛筆で。
一分後、彼女は手を止めた。
「……二千五百五十五」
誰も、何も言わなかった。
「一日一個です」
「七年ぶん、一個も欠けていません」
そのとき、保管区の奥で、金属が鳴った。
容器が一つ、床へ落ちた音だった。
全員が振り向く。
円の向こう側、光の列の切れ目に、人影が立っていた。
白銀と橙の、旧式の接続服。
短い灰褐色の髪。前髪の一房だけが白い。
琥珀色の瞳。
その手には、飲みかけの容器があった。
彼女は、ひどく驚いた顔をしていた。
そして、驚いたまま、最初にこう言った。
七年ぶりに見る光景だったのだと、そのとき全員が理解した。
共界門が、別の場所への入口に変わりました。
カナメが残った理由を、いちばん書きたかった回です。艦長がいないと止められないのではなく、そのとき艦長が決めてはいけない。決めるのは評議会と市民で、彼女はその決め方が壊れないように見張る役です。それを放り出して前線へ行ったら、七年前のあの人たちと同じになる。戦場では命令できた人が、平時には命令しないことを選びました。
ニルは、作戦そのものを保存しませんでした。前は戦闘中の一手だけでしたが、今回は進入角も滞在時間も退出経路も配置も、どこにも残しません。そして自分が全部を持つこともしませんでした。自分が読まれたときに全部消えるからです。六人で一つずつ持つ。記録係が、記録の持ち方まで設計しはじめた回でした。
声を失ったことが、はじめて利点になります。向こうはゼロの記録領域なので、電子通信は全部読まれる。三日前まで欠陥だったものが、いちばん安全な手段になりました。アズールが最後に二回、そのあと三回まばたきしたのは、フレアのやり方を覚えてしまったからです。ゼロはそれを収束と読みますが、レンは笑いました。
そして棚の低い段に、十歳の二人が並んでいました。ゼロはあれを原本と呼びます。アカリの「原本って、上書きするほうの言い方でしょ」と、レンの「始まりだ。原本じゃなくて」で答えにしました。二人は球に何もしません。壊さず、持ち出さず、記録もしない。通り過ぎただけです。
空の容器、二千五百五十五個。前回ゼロが言った待機日数と同じ数字です。一日一個、一個も欠けていません。三百十二人が眠る部屋で、七年間ずっと一人だけ起きていた人がいました。
よければ、ひとつだけ教えてください。
いちばん残ったのは、十歳の二人が並んでいた棚でしたか。それとも、畳まれた毛布のほうでしたか。
次回、第21話「一秒を生きた少女」。彼女が七年前に何をして、どうやってあの信号を送ったのかを、本人の側から描きます。