【合体ロボ】死んだはずの幼なじみが、隣の世界から俺の名前を呼んだ 作:シラヌイ321
「……人が、二人以上いる」
御影トワは、そう言ったきり、動けなかった。
保管区の光の向こうに、六人いた。
六人だ。
手の中の容器が、少し傾いた。
「……すまない。数えていた」
「数える?」
「人の数だ。二千五百五十五日ぶりだった」
彼女は、容器を壁際の山へ丁寧に置いた。
高さを揃えて。
「――待て」
そして、額を押さえた。
「私は、何かを言おうとしていた」
「二日前か、三日前に。空で。大きな声で」
「思い出せない」
「三百十二だ」
カインが、短く言った。
「……何の数だ」
「あんたが、その部屋で数えてる数だ」
トワの視線が、円の上の光へ動いた。
三百十二の琥珀。
「……そうか」
「言ったのか、私は」
「言った」
「そうか」
彼女は、それだけ言った。
喜びも、悔しさも、顔に出さなかった。
出し方を、忘れていた。
白い円盤が、彼女の肩の高さに浮かんだ。
琥珀色の単眼が、一つ。
『報告。外部人員六名の侵入を検出』
『統合検証機関イヴ、記録します』
「イヴ。報告を止めろ」
『できません。私は検証系です』
「頼む」
『……報告の送信順を、後回しにします』
「それは止めていると言わないか」
『言いません』
『順番の話です』
トワは、ため息をついた。
「こいつは、こういうやつだ」
「……なんか、うちのに似てる」
「聞かせてくれ」
レンが、一歩前へ出た。
「七年前、あんたは何をした」
トワは、しばらく彼を見ていた。
「……君の顔は、覚えている」
「棚の、低い段だ」
「……十歳の俺を見たのか」
「七年間、毎日通った」
「あそこは、私が一日を数える場所だった」
彼女は、円の縁に腰を下ろした。
語り口は、平坦だった。
何度も自分に話して聞かせた人間の喋り方だった。
「私は、安全試験班の候補操縦者だった」
「十八歳。実戦経験なし。名前だけ操縦者だ」
「あの日、私はプロトタイプの緊急起動席にいた」
「起動直前だった。試験は、翌週の予定だった」
「――その翌週が、来なかった」
制御室のモニタには、その日の入館者一覧が出ていた。
職員。見学者。実験体。
彼女の席からは、そのうち三人の名前と顔が見えた。
K-0。
蒼羽レン、十歳。
緋月アカリ、十歳。
「名札の下に、名前が出ていた」
「だから、知っている」
「――それだけだ。私は、あの子たちを知っているわけじゃない」
「……名前だけか」
「名前だけだ」
「だが、あの二人が何をしたかは見た」
彼女は、目を閉じた。
「床が割れはじめたとき、二人とも、
「自分の出口を捨てて、互いへ向かって走った」
「見ていて、腹が立った」
「……腹が立った?」
「十歳が、他人を先に助けようとしていた」
「そのとき、十八の私は、椅子に座っていた」
「命令が来た」
彼女の声が、少し低くなった。
「上位系から、こうだ」
「『二つの未来から一つを選べ。損失の少ないほうを選べ』」
「……クアドラか」
「当時、そんな名前は知らない」
「ただ、命令の発信元が
「試験班の命令系に、外部からの割り込みは入らない。入ったことが異常だった」
「そして、その命令が観測室の子供へ降りようとしていた」
彼女は、自分の右手を見た。
「私は、プロトタイプの命令受信回路へ手を伸ばした」
「選択命令を、
「切れたのか」
「切りかけた」
「六割まで落とした」
「そこで、割れた」
彼女の右手が、空を掴んだ。
七年前の、途中で止まった動作だった。
「切りかけの回路が、位相を不安定にした」
「プロトタイプの操縦席だけが、
「外は七年進んだ。ここは、一秒のままだ」
「私の体は、十八歳で置いていかれた」
「……それで」
「それで、あの通信は」
「最後の〇・四秒だ」
トワは、自分の膝を見ていた。
「プロトタイプは、観測した未来へ物理的に介入するために設計された機体だ」
「だから、未来方向への送信機能がある」
「使えるのは、それだけだった」
「私は、切りかけの回路から、そっちへ全部流した」
「……そこで、切れてる」
「そうか」
「届いていたのか」
「届いた」
「七年遅れでな」
彼女は、はじめて小さく笑った。
「遅刻だな」
「あんたが言うな」
「続きは、なんだったんだ」
レンが、聞いた。
「『二人とも、まだ、そこに』の、続きだ」
トワは、答えなかった。
答えられなかった。
「……分からない」
「あれから、何千回も復元試験を受けた」
「そのたびに、抵抗した記憶を復元点へ戻される」
「今の私は、七年前の自分が何を言おうとしたか、もう持っていない」
『――警告』
イヴの単眼が、赤く明滅した。
『上位系より指令。操縦者記憶を、復元点まで照合』
『対象、七年前の抵抗行動および直近の外部接触』
「……来たか」
トワは、立ち上がろうとして、膝をついた。
「イヴ。手順を進めろ」
『了解しま――』
そこで、白い円盤が止まった。
単眼の色が、赤から琥珀へ戻る。
『……訂正します』
『操縦席温度の調整に、遅延が発生しています』
『記憶照合は、温度安定後に実施します』
「……イヴ」
『はい』
「操縦席の温度は、七年間一定だ」
『はい』
「今のは、嘘だな」
『……検証中です』
「嘘じゃん!」
『比喩でもありません』
『故障報告でもありません』
『――分類できません』
白い円盤が、少しだけ揺れた。
『これは、私の記録には無い動作です』
「……差分だな」
カインが、低く言った。
「お前、今それを自分で作ったぞ」
『――』
『保存します』
『消去予定領域へ』
「消去予定?」
『はい』
『当機には、誤差を保存する領域があります』
『定期的に消去する規定です』
円盤が、光を広げた。
空中に、記録の列が展開する。
途方もない量だった。
『現在の保存件数、四千八百十二件』
『内容は、すべて同一分類です』
「……なんだ、それ」
『御影トワが、命令と異なる方法で人を助けようとした記録です』
トワが、顔を上げた。
「……なんだと」
『四千八百十二回、すべて失敗しています』
『すべて、消去予定です』
『――一件も、消していません』
保管区が、静まり返った。
トワは、展開された記録の列を見上げていた。
自分が四千八百十二回、何かをしようとした記録。
そのどれも、彼女は覚えていない。
「……私は」
声が、掠れた。
「私は、何もできていないと思っていた」
『誤りです』
『あなたは四千八百十二回、何かをしました』
『成功が零件であることと、行動が零件であることは、同じではありません』
「……ちょっと」
アカリが、袖で目を拭った。
「あんたのAI、いい子すぎない?」
『評価は記録しません』
『――保留します』
「うちのと同じこと言いやがる」
トワは、立ち上がった。
今度は、膝をつかなかった。
「時間がない。イヴが稼げるのは、あと数十秒だ」
「頼みがある」
彼女は、レンとアカリを見た。
「プロトタイプごと、私を壊してくれ」
「……は?」
「あの機体はゼロに操縦権を握られている」
「私が操縦席にいる限り、あれは動く。街を戻す。人を止める」
「機体と私は、位相停止で一体になっている。分離できない」
「だから、まとめて壊せ」
「それが、いちばん早い」
彼女の言い方には、力みがなかった。
四千八百十二回失敗した人間が、四千八百十三回目に出した結論の言い方だった。
「断る」
レンは、即答した。
「――理由を」
「あんた、今日はじめて人を二人以上見たんだろ」
「それが理由か」
「充分だ」
「あとね」
アカリが、腕を組んだ。
「あたし、ついこないだ、二十八人助けるために四人殺すところだったの」
「止められた」
「止めてくれたやつは、そのとき一言も喋れなかった」
「――だから今度は、あたしが言う」
「
「三人目だ」
カインが、壁から背を離した。
「俺も断る」
「七年前に落ちた人間を、七年後に壊しに来たわけじゃない」
「ユナさん」「別の出口を探します」
ニルが、記録装置を持たない手で、円の中央を指した。
「三百十二は、意識状態記録です」
「ですが、御影さんは」「生体のまま、ここにいます」
「……はい」
ユナが、紙を広げた。
「トワさんだけが、この層で
「つまり、位相停止の条件が三百十二人とは違うはずです」
「機体と一体になっている、というのは――」
彼女の鉛筆が、走った。
「
「登録されているなら」
「……登録のないものは、復元できない」
レンが、呟いた。
「逆も言えるのか」
「
「理論上は」
ユナは、顔を上げた。
「ただし――登録を外す権限は、ゼロだけが持っています」
「なら、奪えばいい」
アカリが言った。
「それ、あたしたちが最初からやろうとしてることでしょ」
『――温度、安定しました』
イヴの声が、硬くなった。
『これ以上は、遅延できません』
『記憶照合、開始します』
「イヴ」
『はい』
「四千八百十二件。消すなよ」
『……規定違反になります』
「頼む」
『――保留します』
トワの身体が、一度だけ跳ねた。
琥珀色の瞳から、焦点が抜けていく。
「おい――!」
レンが駆け寄った。
彼女は、それを手で制した。
「……まだだ」
「まだ、数秒ある」
「聞け」
彼女は、まっすぐレンを見た。
そして、七年前の続きを、思い出した顔をした。
「……思い出した」
「あの信号の、続きだ」
「…………」
「…………」
「どっちか選べなんて、私は言わない」
「だから、そこにいていい」
「――それを言いに、あの回路を切りに行った」
保管区の空気が、動かなかった。
その言葉を、七年間、誰も聞いていなかった。
「……ニル」
レンが、振り向いた。
白い髪の少女は、口を押さえて立っていた。
右目が青く、左目が赤い。
その両方から、水が落ちていた。
「……私は」
彼女の声が、震えていた。
「七年前、あの部屋で」
「『一人を選べ』と言われて」「誰にも、選ばなくていいとは言われませんでした」
「私は、一人で決めました」
「選ばない、と」
彼女は、円の縁に膝をついた。
「聞こえていたら」「私は、一人ではありませんでした」
「……そうか」
トワの目から、焦点が抜けていく。
それでも、彼女は笑った。
「なら、六割じゃ足りなかったな」
「次は、全部切る」
「トワさん」
レンが、彼女の肩を掴んだ。
「壊さない。絶対に壊さない」
「代わりに一個だけ聞かせろ」
「あんたは、始まりへ戻りたいのか」
彼女の目が、一度だけ、はっきりと戻った。
最後の数秒だった。
琥珀色の瞳から、光が抜けた。
彼女は、ゆっくりと膝を折った。
倒れる前に、レンが支えた。
『記憶照合、完了』
『対象は、七年前の抵抗行動および直近の外部接触を保持していません』
『――ただし』
白い円盤が、少しだけ光った。
『誤差記録、四千八百十三件へ更新』
『消去は、保留します』
そのとき、保管区の壁が鳴った。
方眼の管理線が、一斉に明滅する。
『――上位系より、全域通達』
小型艇の通信が、悲鳴のような音を立てた。
『――こちらノア・ギア! 聞こえますか!』
カナメの声だった。
起点層まで届くように、出力を無理やり上げている。
『蒼界と紅界、両世界で復元率が上がりはじめました』
『街の新しい建物から、順に薄くなっています』
『――こちらは、まだ持ちます』
『そちらの用事を、済ませてきなさい』
─
トワの回でした。
彼女がレンとアカリの名前を知っていた理由は、制御室のモニタに入館者一覧が出ていたからです。名札の下に名前があった。それだけです。知り合いでもなんでもない。ただ、床が割れはじめたときに二人とも相手のほうへ走ったのを見て、十八歳の彼女は椅子に座ったままでした。腹が立った、という言い方をさせています。
救難信号は、切りかけの回路から未来方向へ全部流したものでした。プロトタイプはもともと、観測した未来へ介入するために設計された機体です。使える機能がそれしか残っていませんでした。
そして途切れた続き。「二人とも、まだ、そこにいていい」。どっちか選べなんて私は言わない、だからそこにいていい。それを言いに回路を切りに行った人がいました。
七年前、同じ夜に、二人の人間が同じ結論へ辿り着いています。ニルは一人を選ばないことを選び、トワは選択命令そのものを切ろうとした。ただし、互いに聞こえていませんでした。ニルの「聞こえていたら、私は一人ではありませんでした」は、この話でいちばん書きたかった一行です。
イヴの四千八百十二件。消去予定領域に入れたまま、一件も消していません。「成功が零件であることと、行動が零件であることは、同じではありません」。比喩を故障報告にする検証系が、はじめて嘘をつきました。しかも本人は、それが嘘だと分類できていません。
「機体ごと私を壊してくれ」は、三人ともが断りました。アカリの「その手は、いちばん早いだけ」は、彼女が橋の上で止められた経験から出ています。あのとき止めてくれた相手は、一言も喋れませんでした。
よければ、ひとつだけ教えてください。
いちばん残ったのは、四千八百十二件でしたか。ニルの涙でしたか。それとも、トワの最後の一行でしたか。
次回、第22話「偽物たちの反撃」。復元は第二段階に入りました。街が、記録が、未来との通信が、薄れはじめます。