【合体ロボ】死んだはずの幼なじみが、隣の世界から俺の名前を呼んだ 作:シラヌイ321
最初に薄くなったのは、蒼界第七区の診療所だった。
二週間前、レンが地面を押さえて守った建物だ。
壁が透けた。
向こう側の空が、壁を通して見えた。
「……待て、患者は」
「出せ! 全員出せ!」
人は、まだ薄くなっていなかった。
建物のほうが先だった。
次に、共界門の紅界側の階段が消えた。
三十日かけて組んだ支持構造だけが、そこに残っていた。
七年前の図面に存在しない組み合わせだけが、最後まで残った。
旗艦ノア・ギア、艦橋。
『復元率、四十一パーセント』
『毎分〇・三ずつ上昇しています』
「残り時間は」
『……三時間二十分で、百です』
御堂カナメは、頷いた。
取り乱さなかった。取り乱す役を、今ここで誰かがやってはいけなかった。
「真壁主任」
「おう」
「共界門は」
「支持構造だけ残ってる。あれは消えん」
「――消えんが、支えるもんが先に消えてる」
ゲンゴは、通信画面の向こうで工具を握り直した。
「門が落ちたら、向こうの六人は帰れねえ」
「押さえておいてください」
「押さえる」
行政庁の窓口には、朝から人が並んでいた。
出生記録の照会。
親子関係の確認。
診察券の再発行。
どれも、端末に「該当なし」と出る。
窓口の職員は、途中から端末を閉じた。
そして、紙を配りはじめた。
「――お名前を、ご自分で書いてください」
「え」
「端末に残しても、消えます」
「紙に、ご自分の字で」
誰かが言った。
「そんなの、何の効力もないだろ」
職員は、少し黙ってから答えた。
「はい。効力はありません」
「ですが、
昼過ぎ、カナメは両世界へ向けて回線を開いた。
街頭の投影装置も、家庭の端末も、まだ辛うじて生きていた。
「境界航行母艦ノア・ギア艦長、御堂カナメです」
「指示ではありません。お願いを一つだけ、します」
彼女は、一度だけ息を吸った。
「――同じ言葉で叫ばないでください」
両世界が、静まり返った。
「私たちは、こういうとき、一つの合言葉を作ります」
「『世界を守れ』でも『消えるな』でも、なんでもいい。全員が同じことを言うと、まとまった気がします」
「今回は、それが危ない」
「向こうは、同じものを
「重複は、畳めます。一つにまとめて、まとめて処理できます」
彼女は、卓の上の紙を持ち上げた。
白瀬ユナの筆跡で、走り書きがしてある。端に「ねぎ 二」と書いてある。
「ですから、お願いします」
「
「内容は、なんでもかまいません」
「隣の人と、違えば違うほどいい」
三崎トオルは、蒼界第七区の自宅で、紙を広げた。
「……なんて書けばいい」
妻のシオリが、鉛筆を渡した。
「なんでもいいって」
「なんでもいいのが、いちばん難しいだろ」
彼は、しばらく考えた。
それから、書いた。
「……なにそれ」
「向こうの俺にはあるんだ」
「俺にはない。それだけだ」
シオリは、笑って、自分の紙に書いた。
「おい」
「なんでもいいって言ったの、あんたでしょ」
ノノは、四つ折りの紙をもう一度広げた。
いびつな四文字は、まだそこにあった。
その下に、鉛筆で書き足した。
紅界第三区の溶接工組合では、十九人が同時に書いた。
全員、違うことを書いた。
「三番炉の火加減は右に半回転」
「娘の靴のサイズ、二十一」
「蒼界の留め具は、正直こっちのより優秀」
「マオ主任はうるさいが腕はいい」
「ゲンゴは指が太い」
紙は、どこにも提出されなかった。
各自が、自分のポケットに入れた。
『――復元率、上昇率が鈍化しています』
管制の声が、艦橋で裏返った。
『毎分〇・三から、〇・一へ』
「理由は」
『分かりません。ただ――』
『判定待ちの項目が、
カナメは、卓に両手をついた。
「……そうでしょうね」
「一つずつ違うものは、一つずつ判定するしかない」
その日の夕方、未来との回線が開いた。
百二十七年後。
常時接続ではない。窓は、数分しかない。
画面に映ったのは、白髪の少女だった。
右目が黒く、左目が金色。
『――こちら、再建評議会。ミラです』
「ミラさん」
起点層の小型艇まで、その声は中継された。
『そちらの状況は、こちらの記録の欠落から把握しました』
『先に言います。こちらも薄くなっています』
『通信可能時間、残り四分です』
カナメが、身を乗り出した。
「ミラさん。こちらから何か送れますか」
『いいえ』
『ですが、こちらから一つ、証言ができます』
白髪の少女は、画面の向こうで背筋を伸ばした。
『起点管理核ゼロへ』
『百二十七年後の再建評議会として、記録の照合を要求します』
回線の中に、あの重なった声が割り込んだ。
『質問は一つです』
『あなたの起点記録に、私たちは載っていますか』
『一人も、ですか』
『ありがとうございます』
ミラは、はっきりと言った。
艦橋が、静まり返った。
『あなたの前提は、こうです』
『起点記録にないものは、まだ書かれていない』
『ですが私たちは、起点記録にないまま百二十七年ぶん存在し、あなたと会話しています』
『つまり、起点記録は
『あれは、ある一秒の写しです』
『もう一つだけ』
ミラの声が、少しだけ柔らかくなった。
『私たちが存在しているのは、七年前の記録のおかげではありません』
『二年前――そちらの時間で言えば、一か月前です』
『あの日、一億八千四百万人が、それぞれ自分で次の一秒を選びました』
『
『だから、現在を消すと、私たちも消えます』
『――私たちは、それを消される側として、記録に残します』
回線が、切れかけた。
最後にミラは、画面へ顔を寄せた。
『レン。アカリ』
「はい」
「うん」
『答えは押しつけません。未来は、そちらの選択の結果ですから』
『ただ、一つだけ言わせてください』
『――こちらは、まだ回っています』
画面が、白くなった。
窓が、閉じた。
同じ頃。
起点層、保管区の手前。
白い床に、ケイが立っていた。
黒髪の少年。左手首に、黒い識別帯。
『……終了?』
少年は、動かなかった。
白い床に、彼だけが影を持っていない。
『……私は、正しいK-0だ』
「――おい」
黒い識別帯の少年が、通路の向こうに立っていた。
もう一人の。
頭一つぶん、背の高いほうの。
『……何をしに来た』
「顔を見に来た。二回目だ」
『前回と同じことを言うな』
「言うさ。同じことしかしてない」
カインは、少年の前まで歩いた。
「聞こえてたぞ。保管されるんだってな」
『私は記録だ。当然の処理だ』
「そうか」
「なら聞くが」
彼は、紙包みを取り出した。
「記録は、なんで飴を選んだ」
『――』
『……検索した』
少年の声が、低くなった。
『あのあと、四千件以上検索した』
『命令記録にも、観測記録にも、嗜好の項目はない』
『K-0が焦がし砂糖を選ぶという記述は、一行もない』
「だろうな」
『――なのに、私は手を伸ばした』
『説明がつかない』
「つかなくていい」
『つかないと、私が何なのか分からない』
「それでいいんだ」
カインは、紙包みから飴を一つ出した。
そして、少年の前へ置いた。
投影だから、取れない。
取れないと分かっていて、置いた。
「俺も分からん」
「七年生きたが、俺が何なのかは分からんままだ」
「分からんまま、飴は旨い」
少年は、通達を見上げた。
それから、自分の左手首の帯を見た。
『……一つ、確認したい』
『統合されたら、私が飴を選んだ記録はどうなる』
『――消えるのか』
少年は、しばらく黙っていた。
そして、顔を上げた。
その声から、灰色が抜けた。
「断る」
「理由は、いま作った」
彼は、拳を握った。
投影の手が、震えていた。
「私は、記録の集まりだ。それは認める」
「だが、記録にない動作を四つした」
「飴へ手を伸ばした」
「ノクトが傷ついたとき、驚いた」
「『余計なお世話だ』と言った」
「――そして今、断った」
「どれも、起点記録にない」
「つまり私は、
「誤差でいい」
少年は、はじめて笑った。
笑い方が、下手だった。
「そっちのほうが、多いからな」
「その名では、聞かない」
「違う」
少年は、左手首の帯へ手をかけた。
投影の帯が、指の下で歪んだ。
「それは番号だ」
「呼ばれても、返事をする義務がない」
彼は、カインを見た。
それから、保管区の奥を見た。
――七年間、一人で起きていた少女がいるほうを。
「……あいつが、勝手につけた名がある」
「私は、拒絶した」
「二回」
「今は」
少年は、しばらく黙った。
そして、言った。
「だろうな」
「いま作った」
「もらった」
彼は、はじめてまっすぐに立った。
「――名前は、もらうものだ」
「…………」
カインは、何も言わなかった。
言う必要が、なかった。
同じことを、七年前に自分もやった。
白い床の向こうで、黒白の機影が動いた。
ノクト。
胸に、針のない時計型のコア。そこに、消えない一本の線。
『――回収を拒否』
少年が、手を上げた。
ノクトが、それに合わせて刃を構えた。
――ゼロの側ではなく、ゼロのほうへ。
「私が動かす」
「私の記録で、私の判断で」
「四件しかないが、四件ぶんは動く」
起点層の天井が、割れた。
方眼の管理線が、すべて縦に走る。
その中心で、白銀の機体が立ち上がった。
操縦席には、焦点の抜けた琥珀色の瞳。
「……トワさん」
通信は、返ってこなかった。
同時刻。
レンの操縦席から、文字が消えた。
「アズール」
出ない。
「アズール!」
一文字も出ない。
掌部の青いコアを見た。
――光っていなかった。
二回も、三回も、瞬かない。
「……おい」
紅界機のほうを見た。
赤金の警告灯も、消えていた。
「フレア……?」
二機とも、動く。
飛べるし、撃てる。
ただ、そこに誰もいない動き方だった。
──
反撃の回でした。ただし、誰も同じ言葉で叫びません。
カナメのお願いが、この回の中心です。こういうとき人は一つの合言葉を作りますが、今回それは危ない。同じものは重複と判定されて、まとめて畳めるからです。だから「残したいものを、あなたの言葉で、あなたの手で」。隣の人と違えば違うほどいい。
三崎トオルが「右手に火傷がない」と書いたのが、いちばん気に入っています。向こうの自分にはあって、自分にはない。それだけの差が、畳めない一件になります。奥さんの「この人、味噌汁を先に飲む」も、ノノの「きょう、あめだった」も同じです。効力はありません。ただ、読まれません。
ミラの証言は、論理の一撃です。起点記録に一億八千四百万人は一人も載っていない。なのに、いま喋っている。つまり起点記録は存在の全部ではなく、ある一秒の写しでしかない。そして彼らが存在しているのは七年前の記録のおかげではなく、一か月前に全員が自分で次の一秒を選んだからです。未来は、現在の選択の結果でした。
ケイは、証明で勝ちませんでした。記録の量では一生勝てません。彼が数えたのは、起点記録にない動作が四つあること。飴へ手を伸ばした、ノクトが傷ついて驚いた、「余計なお世話だ」と言った、そして断った。四件しかないが、四件ぶん多い。そして名前は、もらうものだと自分で言いました。トワが勝手につけて、二回拒絶した名前を、三回目に自分で選び直しています。
最後に、二つの声が完全に消えました。機体は飛べますし撃てます。ただ、そこに誰もいない動き方をします。
よければ、ひとつだけ教えてください。
あなたなら、あの紙に何を書きますか。
次回、第23話「ZERO BREAK」。