旧作【合体ロボ】死んだはずの幼なじみが、隣の世界から俺の名前を呼んだ   作:シラヌイ321

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カインには、午後二時から予定があります。

 任務ではありません。

 それを人に説明するのが、救助より少し難しいようです。

 七年間、一人で道を渡ってきた彼が、誰かに帰り道を預ける話です。


後日談 甘いものは、帰ってから

「一人で帰る方法は、聞いていない。

 

 二人ぶんで、探せ」

 

◇

 

「カインさん。午後二時は、お忙しいですか」

 

「忙しい」

 

「何をなさるのですか」

 

「まだ決めていない」

 

 ニルは、少し考えた。

 

 白い髪の下で、青い右目と赤い左目が、同じ相手を見ている。

 

「では、その予定を」「一つ、決めませんか」

 

 格納庫の作業台に、小さな紙袋が置かれた。

 

 カインは、工具から目を上げた。

 

「なんだ」

 

「プリンです」

 

「見れば分かる」

 

 まだ袋は開いていなかった。

 

 ニルは、そのことを指摘しなかった。

 

「焦がし砂糖が、入っています」

 

「上か」

 

「下です」

 

「……悪くない」

 

「冷たいです」

 

「当然だ」

 

「二つあります」

 

「そうか」

 

「一つは、私のです」

 

「まだ何も言っていない」

 

 ニルは、今度は少しだけ笑った。

 

「午後二時に、格納庫の休憩室で」「ご一緒に食べませんか」

 

「……巡回が終わればな」

 

「はい」

 

 彼女は、紙袋を冷蔵庫へ入れに行った。

 

 カインは、締め終わっていた留め具を、もう一度確認した。

 

 そのあと、時計を見た。

 

 まだ、午前十一時だった。

 

◇

 

「おい。締めすぎるなよ」

 

 真壁ゲンゴが、工具箱の向こうから言った。

 

「分かっている」

 

「さっきから、同じところ見てるぞ」

 

「確認だ」

 

「そうか」

 

 ゲンゴは、カインが工具を置くまで待った。

 

「今日の巡回、十三時半には終わる」

 

「知っている」

 

「聞かれてねえけどな」

 

「……仕事をしろ」

 

「してるよ」

 

 ゲンゴが笑った。

 

 カインは、返事をしなかった。

 

 代わりに、出発前の点検表を取った。

 

 最後の欄に、自分で一行足した。

 

 十四時、格納庫。

 

 任務の欄から少し離して、小さく書いた。

 

◇

 

 起点層から帰って、半年。

 

 共界門の周りには、まだ補修箇所が残っていた。

 

 復元によって薄れた支持部。

 

 組み直した階段。

 

 蒼界と紅界で、ねじの径が少しずつ違う接続金具。

 

 カインの仕事は、その日、蒼界側の補修区域を回ることだった。

 

 ヴァイスでなければ見に行けない死角がある。

 

 零座標の隙間を抜け、構造物の裏側から支柱を確かめる。

 

 戦闘のない仕事でも、カインはよく足元を見た。

 

 下がどうなっているかを確かめず、先へ進むことはなかった。

 

◇

 

 十三時十四分。

 

 最後の支柱を確認し終わったとき、外部音声へ短い悲鳴が入った。

 

 続いて、鉄の裂ける音。

 

 資材橋の下に吊られた作業箱が、片側へ傾いていた。

 

 箱を支える古い受け金が、一つ破断している。

 

 乗っていた作業員は一人。

 

 側面の隙間から、手袋をした手が見えた。

 

 動いていた。

 

「ニル。下の作業箱、人数を」

 

 安全側の監視所から、すぐに返事が来た。

 

『一名です。作業責任者にも確認しました』

 

「橋の上を空けろ。下へ入れるな」

 

 カインは、機体を前へ出した。

 

 橋の上から腕を伸ばすことはできる。

 

 だが、箱の吊り金具は橋の骨組みに引っかかっている。

 

 そのまま引けば、箱の天井から潰す。

 

 必要なのは、下から支える手だった。

 

 正面には、崩れた補修足場が塞がっていた。

 

『右側の通路から回れば――』

 

「間に合わん」

 

 金属が、もう一度鳴った。

 

 作業箱が、指二本ぶん下がる。

 

 カインの視線が、橋の外側へ動いた。

 

 斜面に露出した岩盤。

 

 機体の足を置ける、狭い段。

 

 その手前には、道がなかった。

 

「出口の足場、見えるか」

 

『はい。右足を置く位置が、半歩狭いです』

 

「左から入る」

 

『後ろの梁まで、肩一つぶんです』

 

「足りる」

 

 黒銀の機体が、短く沈んだ。

 

 紫の裂け目が開く。

 

 橋を回るための道は、使わなかった。

 

 その場で選んだ一度きりの角度から、ヴァイスが現れた。

 

 無銘航路。

 

 次に現れた黒銀の右掌は、落ちかけた作業箱の底にあった。

 

◇

 

 衝撃が、右腕から操縦席へ突き抜けた。

 

 カインは、奥歯を噛んだ。

 

 持ち上げない。

 

 落ちるぶんだけ受け止める。

 

 指を一本ずつ動かし、箱の底へ荷重を逃がす。

 

 ヴァイスは、何も言わなかった。

 

 当然だ。

 

 この操縦席には、判断系が積まれていない。

 

 危ない方向を教える声も、手の震えを叱る声もない。

 

 七年間、そうだった。

 

 カインは、自分で計器を見た。

 

 右肘の角度。

 

 左足の接地。

 

 箱の傾き。

 

 そして、外部回線を開いた。

 

「レン。手を貸せ」

 

『どこだ』

 

「資材橋の根元だ。箱には触るな。橋を止めろ」

 

『分かった。今行く』

 

 返事を聞いて、カインは息を一つ吐いた。

 

「ニル。あいつが来たら、荷重を渡す」

 

『はい』

 

「俺は機体を降りる。箱の中へ入る」

 

 少しだけ、間があった。

 

『……戻る経路は』

 

「右腕を使う。関節を固定すれば、足場になる」

 

『一人で渡る場合ですね』

 

「だから、二人ぶんで探せ」

 

 カインは、作業箱から伸びた手を見ていた。

 

「一人で帰る方法は、聞いていない」

 

◇

 

 アズールが、橋の根元を固定した。

 

 ヴァイスの右腕へかかる重みが、わずかに減った。

 

 カインは関節を機械的に固定し、救助用の帯と命綱を取った。

 

 命綱の端を、機体側の固定環へ留めた。

 

 操縦席を出る。

 

 風が、黒髪の白い一房を乱した。

 

 胸部の縁から右腕へ移り、冷たい装甲の上を進む。

 

 その下は、資材搬出用の深い溝だった。

 

 紫色の瞳が、一度だけ下を見た。

 

 次に置く足を、確かめた。

 

『カインさん。右手首の先、滑ります』

 

「見えている」

 

『左側に、足を置ける継ぎ目があります』

 

「……助かる」

 

 短く答えた。

 

 箱の扉は歪んでいた。

 

 工具を差し込んで押し開けると、中の作業員が顔を上げた。

 

 若かった。

 

 カインと、いくらも歳が違わない。

 

 片足の靴が床の格子へ挟まり、腰を落としたまま動けなくなっていた。

 

「すみ、ません」

 

「あとだ。痛むところは」

 

「足、が」

 

 カインは、膝をついた。

 

 格子の角度を見た。

 

 靴の踵が、金属の下へ噛み込んでいる。

 

「足首は動くか」

 

「……少し」

 

「抜く。痛かったら言え」

 

「だいじょうぶ、です」

 

 カインは、相手の顔を見た。

 

 白くなった唇。

 

 息が浅い。

 

「まだ何もしていない」

 

「……」

 

「先に大丈夫と言うな。分からなくなる」

 

 作業員が、小さく頷いた。

 

 カインは、締めつけていた靴紐を緩めた。

 

 靴そのものは動かさず、足をゆっくり抜いていく。

 

 途中で、相手が息を詰めた。

 

 カインは止まった。

 

「ここか」

 

「……はい」

 

「分かった。角度を変える」

 

 もう一度。

 

 今度は、抜けた。

 

 靴だけが、格子に残った。

 

「靴……」

 

「置いていけ」

 

 カインは、救助帯を広げた。

 

「足は持って帰る」

 

◇

 

 帯を締め、命綱を確認する。

 

 扉の外へ出たところで、作業員の身体が止まった。

 

 黒銀の腕。

 

 その先の操縦席。

 

 横にも、下にも、手すりはない。

 

「……無理です」

 

 声が、小さくなった。

 

「すみません。分かってるんですけど」

 

 膝が、動かなかった。

 

「足が」

 

「ああ」

 

 カインは、相手の視線を見た。

 

 溝の底。

 

 そこから、目が離せなくなっている。

 

 知っていた。

 

 見てはいけないと思うほど、見てしまう。

 

 次の一歩より先に、落ちるところまで見えてしまう。

 

「先に、戻ってください」

 

 カインの顔から、表情が消えた。

 

「俺、もう少ししたら動けるから」

 

「そのほうが、早――」

 

「その計算は、もうやった」

 

 言葉を切った。

 

 作業員が、口を閉じた。

 

 カインは、相手と同じ高さまで腰を落とした。

 

「一人減らせば、楽になる」

 

「そういうやつだろ」

 

「……」

 

「今日は使わん」

 

 橋の向こうで、金属が軋んだ。

 

 レンの声が入る。

 

『押さえてる。こっちは大丈夫だ』

 

 カインは、その声を相手にも聞かせた。

 

「聞いたか」

 

「……はい」

 

「待っている人間がいる」

 

「お前が足を動かすまで、俺もここにいる」

 

◇

 

 作業員が、カインの腕を掴んだ。

 

 強く。

 

 それから、驚いたように顔を上げた。

 

「……震えて」

 

「高いからな」

 

「あなたも?」

 

「お前には低く見えるか」

 

 作業員は、また下を見そうになった。

 

 カインが、自分の肩を示した。

 

「こっちだ」

 

「……怖くないんだと、思ってました」

 

「慣れているだけだ」

 

 手首の黒い識別帯が、少しずれた。

 

 その下に、古い火傷の跡が見えた。

 

 カインは、帯を直さなかった。

 

 両手で、相手の救助帯を確かめた。

 

「怖くなったら、止まれ」

 

「止まったら、言え」

 

「黙って落ちるな。それが一番困る」

 

 作業員が、息を吸った。

 

 今度は、少し深く。

 

「……止まっても、いいんですか」

 

「何回でも」

 

「そのたびに、足を置く場所を探す」

 

◇

 

 一歩目は、箱の縁から出るだけだった。

 

 二歩目で、また止まった。

 

 カインは急かさなかった。

 

 先に自分の足を置き、同じ場所を示す。

 

 片方は靴下のままだった。

 

 装甲の継ぎ目へ引っかからないよう、ニルが見ている。

 

『そこで一度、身体を左へ』

 

「聞こえたな。左だ」

 

「はい」

 

 作業員の声が、少しだけ大きくなった。

 

 三歩。

 

 四歩。

 

 操縦席へ近づくにつれ、機体の肩が視界を塞ぎ、溝の底が見えなくなった。

 

 そこでようやく、相手の手の力が緩んだ。

 

 カインは、まだ緩めなかった。

 

 操縦席の内側へ入れ、身体を支えられる場所に座らせる。

 

 収容を伝えると、下から救助班の返事が来た。

 

「そこで待て。降ろす」

 

 自分も中へ戻った。

 

 関節の固定を解除する。

 

 右手の指が、操縦桿を握り損ねた。

 

 一度、開いて。

 

 もう一度握る。

 

 ニルが、名前を呼んだ。

 

『カインさん』

 

「聞こえている」

 

『二名、収容を確認しました』

 

 彼は、計器を見ていた。

 

 作業員は、一人だ。

 

 もう一人は、自分だった。

 

「……ああ」

 

 黒銀の機体が、ゆっくり膝を折った。

 

◇

 

 地上で、作業員は救助班に足を診てもらった。

 

 ひどい怪我ではなさそうだ、と言われたとき、初めて泣いた。

 

 カインは、少し離れて立っていた。

 

 右の手袋を外す。

 

 箱の扉を押し開けたとき、手の甲を擦っていた。

 

 赤くなったところを見て、手袋を戻しかけた。

 

 やめた。

 

「こっちも、頼む」

 

 空いていた救助員へ、右手を出した。

 

◇

 

「……あの」

 

 処置が済むと、若い作業員が呼び止めた。

 

「俺、途中、何もできなくなって」

 

「見ていた」

 

「すみません」

 

「謝るのは、もう聞いた」

 

 カインは、紙包みを取り出した。

 

 焦がし砂糖の飴が、一つ残っていた。

 

 相手の掌へ置く。

 

「これ」

 

「落ち着いてから食え」

 

「でも、最後の」

 

「俺は今から、もっと旨いものを食う」

 

 作業員が、泣いたまま瞬きをした。

 

「羨ましがれ」

 

 少し遅れて、笑い声が漏れた。

 

 カインは、そこでようやく手を引いた。

 

「次は、もっとちゃんと動けるようにします」

 

「次は早く呼べ」

 

「……はい」

 

「俺でも、そこのやつでもいい。動けなくなる前に呼べ」

 

 若い作業員は、飴を落とさないように握った。

 

「名前、教えてもらってもいいですか」

 

 カインは、少しだけ顔を向けた。

 

「カインだ」

 

「カインさん」

 

「なんだ」

 

「……ありがとうございました」

 

 彼は、目を逸らした。

 

「足を冷やすな。靴下しか履いていない」

 

 最後まで、礼への返事にはなっていなかった。

 

◇

 

 ヴァイスの足元へ戻ると、レンが待っていた。

 

「右手、大丈夫か」

 

「処置はした」

 

「したのか」

 

「なんだ、その顔は」

 

「いや。よかった」

 

 カインは、答えなかった。

 

 レンは、黒銀の右腕を見上げた。

 

「よくあの場所に入れたな」

 

「七年歩いた。足を置ける場所ぐらいは分かる」

 

「俺だったら、正面から箱を持ってた」

 

「潰すぞ」

 

「うん。だから次は、先に呼ぶ」

 

 カインは、少し黙った。

 

「……俺も呼んだ」

 

「聞こえたよ」

 

「助かった」

 

 レンが、顔を上げた。

 

 カインは、もう梯子に手をかけていた。

 

「おい。それ、こっち見て言えよ」

 

「聞こえたんだろ」

 

「聞こえたけどさ」

 

「二回は言わん」

 

 格納庫へ戻る前に、カインは時計を見た。

 

 十三時五十六分。

 

 帰投と引き継ぎには、どう急いでも二十分かかる。

 

 間に合わなかった。

 

◇

 

 帰投後の引き継ぎが終わったのは、十四時十九分だった。

 

 ニルは、ヴァイスの足元に立っていた。

 

 両目が、機体を降りるカインを追っている。

 

「……遅れた」

 

「はい」

 

「先に食えばよかっただろう」

 

「一緒に、と申し上げました」

 

「溶けるぞ」

 

「冷蔵庫に入っています」

 

「……そうか」

 

 会話が、そこで止まった。

 

 カインは、ニルの隣へ降りた。

 

 右手に、新しい処置の跡がある。

 

 彼女はそれを見た。

 

「痛みますか」

 

「少しな」

 

 ニルが、目を上げた。

 

「なんだ。お前まで」

 

「いいえ」「聞けて、よかったです」

 

 カインは、歩き出した。

 

 二歩目で、彼女が少し後ろにいることに気づいた。

 

「ニル」

 

「はい」

 

「隣を歩け」

 

「歩く速さを、合わせますか」

 

「そこまでは頼んでいない」

 

 そう言って、彼のほうが半歩、遅くなった。

 

◇

 

 休憩室には、二人しかいなかった。

 

 ニルが冷蔵庫から紙袋を出す。

 

 透明な容器が二つ。

 

 小さな匙が二本。

 

 カインは、椅子を引いた。

 

 ニルが座るのを待って、向かいへ腰を下ろした。

 

「……茶もあるのか」

 

「はい。砂糖は入れていません」

 

「入れる」

 

「プリンも甘いですよ」

 

「別だ」

 

 返事に、迷いがなかった。

 

 ニルは、小さな砂糖入れを彼の側へ寄せた。

 

◇

 

 一口目で、カインの匙が止まった。

 

 ニルも、止まった。

 

「……お口に合いませんか」

 

「黙ってろ」

 

「はい」

 

 彼は、もう一口食べた。

 

 今度は、底の焦がし砂糖まで届くように。

 

 それから、容器の底を少し透かして見た。

 

「これ、どこだ」

 

「共界門の、蒼界側の菓子店です」

 

「場所は分かる。店だ。店の名前」

 

 ニルが、紙袋の印を見せた。

 

 カインは、それを確かめた。

 

 確かめ終わっても、少しの間、見ていた。

 

「……覚えましたか」

 

「一度で覚えた」

 

「では、今は」

 

「定休日を見ている」

 

 ニルは、口元を押さえた。

 

「笑うな」

 

「まだ、笑っていません」

 

「準備をするな」

 

 今度は、笑ってしまった。

 

【挿絵表示】

 

 

◇

 

 カインは、匙を置いた。

 

 右手の処置の上から、指を一度開いた。

 

 ニルの視線が、その動きへ落ちた。

 

「平気だ。使える」

 

「はい」

 

「今日、あの方が怖いと言ったとき」

 

「……なんだ」

 

「待っていらっしゃいましたね」

 

 カインは、容器を見ていた。

 

「急がせたら落ちる」

 

「はい」

 

「動けないときに動けと言われても、足は動かん」

 

 そこで、言葉が途切れた。

 

 ニルは続きを求めなかった。

 

 自分のプリンを、一口食べた。

 

 しばらくしてから、カインが言った。

 

「昔は、止まると道が閉じた」

 

「休める場所を探すのも、一人だった」

 

 七年間の航路を、ニルは記録していた。

 

 どこへ進み、どこで引き返したか。

 

 だが、そのとき彼の足がどれほど震えていたかは、線の上にはなかった。

 

「今日は、あいつが押さえてた」

 

「お前も、足元を見てた」

 

 カインは、茶を飲んだ。

 

「だったら、待てる」

 

 ニルは、彼を見た。

 

 手元に記録装置はなかった。

 

「はい」

 

「今日も」「あなたが戻るところまで、見ていました」

 

 カインの指が、湯のみの側面で止まった。

 

「……知ってる」

 

◇

 

 窓の外で、搬送車が通った。

 

 格納庫から、工具の落ちる音がした。

 

 誰かが叱られて、誰かが笑った。

 

 呼び出しは、なかった。

 

 カインは、残りを食べようとして、ニルの容器を見た。

 

 まだ、半分ほど残っている。

 

「嫌いだったか」

 

「いいえ」

 

「遅い」

 

「ゆっくり食べています」

 

「なぜだ」

 

 ニルは、少しだけ考えた。

 

「今日は、急がなくていいので」

 

 カインは、自分の残りを見た。

 

 あと二口。

 

 一口を、小さくした。

 

◇

 

「カインさん」

 

「なんだ」

 

「次は、ご自分で買いに行かれますか」

 

「……ああ」

 

「では、お店の方に伝えておきます」

 

「何を」

 

「焦がし砂糖を、多めに」

 

「頼んでいない」

 

「少なめにしますか」

 

「多めでいい」

 

 ニルは頷いた。

 

 カインは、最後の一口を食べた。

 

 容器を置いてから、付け足した。

 

「お前も来い」

 

「道案内ですか」

 

「その程度の道で迷うか」

 

「では、荷物を」

 

「二個だぞ。俺が持つ」

 

「では――」

 

「用を探すな」

 

 少し、強く言った。

 

 ニルが、顔を上げた。

 

 カインは、空の容器を見ていた。

 

 しばらくして、目だけを彼女へ向けた。

 

「一緒に食うんだろ」

 

◇

 

 白い髪の少女は、すぐには頷かなかった。

 

 青い目と、赤い目が、彼を見ていた。

 

 道を読むためでも、記録を持つためでもない。

 

 二つある甘いものを、一つずつ食べる。

 

 今日、彼女が頼んだことだった。

 

 次は、彼のほうから言った。

 

「……はい」

 

 少し遅れた返事を、カインは待った。

 

「じゃあ、決まりだ」

 

◇

 

 その夜、ヴァイスの操縦席で、カインは巡回記録を閉じた。

 

 静かだった。

 

 この機体には、今も判断系がない。

 

 彼の独り言へ返事をするものは、積まれていない。

 

 カインは、午後二時と書いた紙を取り出した。

 

 終わった予定に線を引く。

 

 その下へ、次の予定を書きかけた。

 

 日付が、まだ決まっていなかった。

 

「……ニル」

 

 外部回線を開いた。

 

 少し待つと、声が返ってきた。

 

『はい。カインさん』

 

「明日、空いているか」

 

『何時でしょう』

 

「お前が決めろ。合わせる」

 

 通信の向こうで、小さく息を吸う音がした。

 

『では、午後二時に』

 

「分かった」

 

 彼は、明日の欄へ二文字書いた。

 

 二人。

 

◇

 

 七年かけて、道のない場所から帰ってきた。

 

 明日は、店まで歩いていく。

 

 一人ぶん、歩く速さを合わせて。

 

第2期後日談「甘いものは、帰ってから」 完




カインの回でした。

 彼の格好よさを、危険を怖がらないことには置きませんでした。怖さも、足が動かなくなることも知っている。そのうえで足場を探し、相手が動けるまで待てる人として書きました。

 「一人減らせば楽になる」という計算は、カイン自身がしてきたものです。今回は、その答えを他人に使わせません。そしてレンに橋を預け、ニルに帰り道を見てもらい、自分の手の処置も頼みます。七年間の強さを、全部一人で使い切らなくてよくなりました。

 飴を渡したあとに、自分にも楽しみが残っています。「もっと旨いものを食う」は強がりですが、約束を楽しみにしていることまで、隠しきれていません。

 ニルへの「用を探すな」も、書きたかった言葉でした。道案内でも荷物持ちでもなく、ただ一緒に食べるために来てほしい。自分を役割で数えてきた相手へ、カインからそれを言ってもらいました。

 ヴァイスには、最後まで判断系を積んでいません。静かな操縦席のまま、外へ呼びかければ返事が来る。その変化で、この話を閉じました。

 よければ、ひとつだけ教えてください。
 カインと菓子店へ行くなら、何を勧めてみたいですか。
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