旧作【合体ロボ】死んだはずの幼なじみが、隣の世界から俺の名前を呼んだ   作:シラヌイ321

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戦場でなら、レンの背中を何度も見てきました。

 けれど、蒼界の街で何を買って、誰と話しているのかは、あまり知りません。

 なので今日、アカリはこっそりついていきます。

 相棒つきです。

 相手の相棒には、最初から見えています。


後日談 無愛想な人の、いつもの道

「あたしの知らないところで、どんな顔してるんだろ」

 

◇

 

 尾行を始めて、九十秒。

 

 アカリは、見つかった。

 

 レンにではない。

 

『フレア判断系。確認を要求します』

 

 耳の通話器へ、青い機体の声が入ってきた。

 

『蒼界側の搬出路で、操縦者アカリが運搬車の陰にしゃがんでいます』

 

「……え」

 

『具合が悪いのでしょうか』

 

『いいえ。隠れているつもりです』

 

「ちょっと!」

 

『了解しました。尾行ですね』

 

「なんで、そこは一回で分かるの!」

 

 声を抑えたせいで、変な息が漏れた。

 

 アカリは帽子のつばを下げる。

 

 二十メートルほど先で、レンは門衛と何か話していた。紺の上着に、黒いズボン。右手には、膨らんだ布袋。

 

 こちらを見てはいない。

 

「レンには、絶対に言わないで」

 

『現在、本人の回線には接続していません』

 

「今だけの話をしてない!」

 

 共界門の蒼界側に、アズールが膝をついている。

 

 外部カメラは、搬出路を正面から見ていた。

 

 隠れる場所の選択が、最初から間違っていた。

 

◇

 

 復元を止めた日から、半年ほどが過ぎていた。

 

 この日の共同点検は、予定より一時間早く終わった。

 

 アカリの帰りの通行枠は、午後四時。今日は街を見て回るつもりで、前から長めの滞在を申請してあった。

 

 何をするかは、まだ決めていなかった。

 

 そこで、レンが言ったのだ。

 

「俺、今日はここまで。街に寄って帰る」

 

「何するの?」

 

「返すものがある。あと、洗濯」

 

「……洗濯」

 

「溜まるだろ」

 

 溜まる。

 

 それは分かる。

 

 だが、あのレンが、籠を持って洗濯をしに行くところを、アカリは一度も見たことがなかった。

 

「お前は?」

 

「あたしは、その辺、見て回る」

 

「そうか。帰り、四時だっけ」

 

「うん」

 

「詰所の時計、三分遅れてるからな」

 

 それだけ言って、彼は行った。

 

 アカリは、しばらく背中を見ていた。

 

「……ねえ、フレア」

 

『はい』

 

「レンって、蒼界で友達いるのかな」

 

『本人に質問することを推奨します』

 

「聞いたら、いる、で終わるじゃん」

 

『回答が得られます』

 

「そういうことじゃなくて」

 

 普段、誰と食事をするのか。

 

 何が好きで、休みには何をしているのか。

 

 戦場では、レンの息を吸う間まで分かることがある。それなのに、あの布袋の中身さえ分からない。

 

「……あたしの知らないところで、どんな顔してるんだろ」

 

 その結果が、運搬車の陰だった。

 

◇

 

 二機は、共界門の両側に残っている。

 

 点検で使った整備用の回線を借り、蒼界側の中継器から、それぞれの携帯通話器へつないでいた。小さなレンズを向ければ、見ているものも送れる。

 

 街へついてくるフレアは、アカリの耳の中だ。

 

 レンも、アズールと話せる小さな通話器を上着に留めている。

 

「アズール。あいつ、いつもどこ行くの?」

 

『本人に聞いてください』

 

「そっちもそれ!?」

 

『当機が説明するより、正確です』

 

『当機も、同じ提案をしました』

 

「今だけ仲良くならないで」

 

 レンが、歩きだした。

 

 アカリも立ち上がる。

 

「とにかく、ちょっと見るだけだから。邪魔はしない」

 

『……承知しました』

 

 そこで、アズールの声は切れた。

 

 フレアとの通話だけが残る。

 

「味方してくれた?」

 

『道案内は、断られました』

 

「そこは言わなくていい」

 

◇

 

 蒼界第七区の商店通りには、まだ新しい壁と古い壁が混ざっていた。

 

 薄れた箇所を塗り直した食堂。片側だけ新しい雨樋。扉の寸法が合わず、下に板を足した雑貨屋。

 

 その間を、レンは迷わず歩いていく。

 

「レン。そっち、まだ乾いてない」

 

「分かった」

 

「昨日の留め具、合ったぞ」

 

「もう片方も替えとけよ」

 

「おはよう、レン兄ちゃん!」

 

「走るな。角に台車」

 

 角を曲がった子供が、慌てて速度を落とした。

 

 どれも、短い。

 

 そして、誰も気にしていない。

 

 アカリは、雑貨屋の店先で足を止めた。

 

「……三人」

 

『何の数ですか』

 

「今、向こうから話しかけてきた人」

 

『四人です。最初に、門衛の方がいました』

 

「数えてたんだ」

 

『気になっているようでしたので』

 

 アカリは棚から、たわしを一個取った。

 

 レンが、斜め向かいの食堂に入ったからだ。

 

「あたし、紅界ではけっこう顔広いと思ってたんだけど」

 

『競技でしたか』

 

「違う」

 

『では、たわしを四個買う必要もありません』

 

 いつの間にか、四個持っていた。

 

◇

 

 食堂の窓は、大きく開いていた。

 

「あら、レン。今日は早いね」

 

「点検、終わった。これ」

 

 布袋から出てきたのは、小鍋だった。

 

 蓋まで綺麗に洗ってある。

 

「助かったかい」

 

「ああ。ありがと」

 

「で、煮えた?」

 

「煮えた」

 

「何が」

 

「麺」

 

「野菜は」

 

「入れた」

 

「何を」

 

「葱」

 

「ほかには」

 

 レンが、黙った。

 

 店主の女性が、腰に手を当てた。

 

「あんたね。刻み葱を乗せただけで、野菜を食べた顔をするんじゃないよ」

 

「乗せたんじゃない。煮た」

 

「そこじゃない」

 

 雑貨屋の棚の向こうで、アカリが口を押さえた。

 

「……怒られてる」

 

『反論は、失敗したようです』

 

 食堂の店主は、小さな紙袋へ何か詰めた。

 

「煮物。持ってきな。昨日の残りだから」

 

「金、払う」

 

「鍋、底まで磨いてくれたろ」

 

「借りたからな」

 

「じゃあ、私も余ったから渡す。それでいいね」

 

 レンは、少し眉を寄せた。

 

 それから、紙袋を受け取った。

 

「……助かる」

 

「はいよ。今日は、昼も食べな」

 

「分かってる」

 

 彼が出ていく。

 

 アカリは、手元のたわしを見下ろした。

 

 助けているところなら、知っていた。

 

 あの無愛想な顔のまま、誰かに煮物を持たされているところは、知らなかった。

 

「それ、買うのかい?」

 

 雑貨屋の主人が、声をかけてきた。

 

「買います!」

 

『一個で充分です』

 

◇

 

 次の行き先は、共同洗濯場だった。

 

 屋根の下に洗濯機が並び、通り側には待つためのベンチがある。

 

 レンは布袋から洗濯物を出し、空いている一台へ入れた。

 

 その隣で、作業着の少年が片手を上げる。

 

「お、レン。生きてたか」

 

「二日前に会っただろ」

 

「二日あれば充分だろ、お前の場合」

 

 歳は、レンと同じくらいだった。

 

 袖に給水設備班の印がある。短い髪は寝癖がついたままで、膝の上には、修理途中の折り畳み傘が乗っていた。

 

「ソウ。そこの骨、曲がってる」

 

「知ってる。直してる」

 

「その向きで力かけると、折れるぞ」

 

「じゃあ、ここ持って」

 

 レンが、黙って傘の軸を持った。

 

 慣れた動きだった。

 

 向かいの飲料売り場で、アカリは瓶を選ぶふりをする。

 

「誰」

 

『今、ソウ、と呼びました』

 

「それは聞いた」

 

『でしたら、当機と同じ情報を持っています』

 

 傘が、ぱっと開いた。

 

「よし。持っといて」

 

「もう直っただろ」

 

「お前の上着、脱げ」

 

「なんで」

 

「袖のボタン。今にも取れる」

 

「あとで」

 

「二日前も言った」

 

 レンは、何か言いかけた。

 

 言わずに、上着を脱いだ。

 

 ソウは傘の修理袋から針と糸を出す。

 

 通話器は、レンの手で隣のベンチへ置かれた。

 

「青い糸しかないのか」

 

「ある。黄色」

 

「青でいい」

 

「最初からそう言えよ」

 

 アカリは、瓶を棚に戻した。

 

 あのレンが。

 

 人の傘を持たされたまま、袖のボタンをつけてもらっている。

 

 しかも、少し眠そうだった。

 

「……こんな顔、するんだ」

 

『眠いときの顔に見えます』

 

「そうだけど」

 

 敵が来るかもしれない場所では、見たことがない顔だった。

 

◇

 

「お前、午後も休み?」

 

「ああ」

 

「なら、ポンプ小屋には寄るなよ」

 

「昨日の振動は」

 

「直した」

 

「軸受けか」

 

「違った。固定台のほう。お前の予想、外れ」

 

「……そうか」

 

「悔しそうな顔すんな」

 

「してない」

 

「してる。ほら、終わり」

 

 上着が返された。

 

 黒いボタンを、青い糸がしっかり留めていた。

 

「ありがとな」

 

「うん。次に取れたら、また持ってこい」

 

 レンは、袖を一度だけ引っ張って確かめる。

 

 その顔を見て、アカリはようやく瓶を一本買った。

 

「……友達だ」

 

『はい』

 

「普通に、友達だ」

 

『二回確認するほど、意外でしたか』

 

「だって、あいつ、全然そういう話しないから」

 

 ソウが、立ち上がった。

 

「乾燥終わったら、俺の分も取り込んどいて。二つ隣」

 

「なんで俺が」

 

「ボタン」

 

「……分かった」

 

「あと、靴下は丸めんな。昨日の、お前だろ」

 

「片方がなくなる」

 

「濡れたまま中へ巻き込んでどうすんだよ!」

 

 レンの眉間の皺が、深くなった。

 

 アカリは、とうとう肩を震わせた。

 

「駄目。ちょっと、駄目」

 

『何がでしょうか』

 

「今度から、操縦席で格好いいこと言われても、靴下が出てくる」

 

『当機は、操縦者の洗濯物を戦術判断に使用しません』

 

「使わないであげて」

 

◇

 

 洗濯の待ち時間に、レンは隣の広場へ向かった。

 

 木陰の長椅子に、子供が三人座っていた。

 

 一人が、彼に気づく。

 

「レン兄ちゃん! 今日できる?」

 

「乾燥が終わるまでなら」

 

「ばば抜き!」

 

「今日は負けん」

 

 アカリの足が、止まった。

 

「……やるんだ」

 

『誘われましたので』

 

「勝つ気なんだ」

 

『そのようです』

 

 レンは、長椅子の端へ座った。

 

 配られる札を受け取ると、通話器へ短く言う。

 

「アズール。口出すなよ」

 

『承知しました』

 

「アズールも見るの?」

 

「見るだけ。教えるのは禁止」

 

 子供が、通話器を花壇の縁へ立て掛けた。小さなレンズが、レンの顔に向く。

 

『操縦者からは、前回も同じ指示を受けています』

 

「前も負けたもんね!」

 

「今日は負けん」

 

 二度言った。

 

 四分後、負けた。

 

◇

 

 最後まで残っていたのは、小柄な男の子だった。

 

 レンの手には、二枚。

 

 男の子が右の札に指をかける。

 

 レンの眉が、ほんの少し動く。

 

 男の子は、その指を左へ移した。

 

「こっち!」

 

 揃った二枚が、長椅子の上へ放られた。

 

 レンの手には、一枚だけ残った。

 

「……おい。最初、こっち取ろうとしただろ」

 

「だって、取ってほしそうな顔した」

 

「してない」

 

「したよ」

 

「した!」

 

「すっごくした!」

 

 三人いた。

 

 全員に言われた。

 

「……もう一回だ」

 

 男の子が笑った。

 

 レンも、笑った。

 

 ほんの少し口を曲げて、それから、参ったように息を吐いた。

 

 アカリは、手に持った瓶を口へ運びかけたまま、止まった。

 

 知っている笑い方だった。

 

 作戦が通ったときでも、誰かが助かったときでもない。

 

 札を一枚、引いてもらえなかっただけで、あいつは笑う。

 

「……ずるい」

 

『男の子は、札を覗いていません』

 

「分かってる」

 

 そういう意味でもなかった。

 

◇

 

 次の勝負が始まる前に、子供の一人が席を立った。

 

「お母さん、迎えに来た。帰る」

 

「おう。またな」

 

「レン兄ちゃん。来週もいる?」

 

 レンは、すぐに答えなかった。

 

 上着のポケットから、折った予定表を出す。

 

「来週は、午前中いない」

 

「じゃ、午後は?」

 

「まだ分からん。分かったら、ここに来る」

 

「じゃあ、勝った札、取っとく」

 

「その札だけ抜くなよ。次も使うんだから」

 

 子供は笑いながら走っていった。

 

 見送ったあとで、レンが札の角を揃えた。

 

 薄い紙は、何度も使われていた。裏の模様が擦れ、端を小さなテープで直したものもある。

 

 誰かに持ち上げられるたび、その束は少しずつ形を崩す。

 

 レンは、毎回揃えていた。

 

 アカリは、もう次の隠れ場所を探していなかった。

 

「……あたし」

 

『はい』

 

「あいつの七年って、戦ってるところばっかり想像してた」

 

 街を守って。

 

 間に合わなくて。

 

 眠らずに、次の計算をして。

 

 そういうレンなら、よく知っているつもりだった。

 

 でも、その間にも洗濯物は溜まる。

 

 ボタンは取れる。

 

 鍋を借りて、煮物をもらって、子供に負ける。

 

 自分がいなかった街に、あいつを名前で呼ぶ人が、ちゃんといた。

 

「……よかった」

 

 声に出すと、少しだけ鼻の奥が痛くなった。

 

 フレアは、人数を数え直さなかった。

 

『はい』

 

 それだけ返した。

 

◇

 

 乾燥を終えたレンは、ベンチで洗濯物を畳んだ。

 

 自分の分。

 

 二つ隣の機械に入っていた、ソウの作業着。

 

 ソウが戻ってきたときには、二つの山になっていた。

 

「助かった。お前、こういうのは丁寧だよな」

 

「こういうのは、ってなんだ」

 

「靴下以外」

 

「しつこいぞ」

 

 ソウは、笑って籠を持ち上げた。

 

「昼、食ってく?」

 

「ああ。さっき、角の店で食えって言われた」

 

「俺も行く。先に職場へこれ置いてくるから、席取っといて」

 

「窓側?」

 

「うん」

 

 それだけで、約束になった。

 

 アカリは、空になった瓶を回収箱へ返した。

 

「フレア」

 

『はい』

 

「もう、やめる」

 

『尾行を、ですか』

 

「うん」

 

 帽子を脱いだ。

 

 押し込めていた赤褐色の髪が、肩へ落ちてくる。

 

「あたしも、お昼、一緒に食べたい」

 

『本人に伝えることを推奨します』

 

「……今度は、それで合ってる」

 

◇

 

 レンが広場を出たところで、アカリは通りの横から声をかけた。

 

「レン!」

 

 彼が振り向く。

 

 本当に、驚いた顔をした。

 

「アカリ。こんなとこまで来たのか」

 

「来た。いろいろ見てた」

 

「何か買った?」

 

「たわし」

 

「……なんで」

 

「使うから!」

 

 使う。

 

 嘘ではない。

 

 レンは小さな包みを見て、それから彼女の顔を見た。

 

「腹は」

 

「減った」

 

「俺も。これから飯だけど、来るか」

 

「……いいの?」

 

「なんで駄目なんだ」

 

 あまりに普通に言われた。

 

 アカリは、少しだけ笑ってしまった。

 

「うん。行く」

 

「友達も一人来る。それでもいいか」

 

「うん。紹介して」

 

 レンが、歩きだす。

 

 アカリも、その横へ並んだ。

 

◇

 

「おや。三人になるのかい」

 

 角の食堂で、店主が言った。

 

 レンは窓際の椅子を一つ引いた。

 

「こっち、アカリ。紅界の」

 

「緋月アカリです。お邪魔します」

 

「はい、いらっしゃい。あんたがアカリちゃんか」

 

 アカリの足が、止まった。

 

「……知ってるんですか」

 

「そりゃ、名前くらい。レンが――」

 

「今日の定食、何」

 

「まだ聞いてないだろ」

 

「今、聞いてる」

 

 店主は、少し笑った。

 

「厚焼き卵と煮魚。どっちにする」

 

「卵で!」

 

「俺も」

 

 アカリは、向かいに座ったレンを見る。

 

「……あたしのこと、何話してんの」

 

「別に」

 

「別に、で名前は出ないでしょ」

 

 レンは、湯呑みを持ち上げた。

 

 まだ、お茶は入っていなかった。

 

 そっと戻した。

 

「ねえ」

 

「……飯、食いに来たんだろ」

 

 耳元で、フレアが言った。

 

『今の顔です』

 

「何が」

 

『札を取ってほしいときの顔です』

 

 アカリは、咳き込んだ。

 

「大丈夫か」

 

「だいじょうぶ。あんたのせいじゃない」

 

 だいぶ、あんたのせいだった。

 

◇

 

 ソウは、五分ほど遅れて来た。

 

「悪い、ポンプの――あれ」

 

 アカリを見て、足を止める。

 

「アカリ。さっき会った。一緒でいいか」

 

「もちろん。戸倉ソウ。給水設備の見習いです」

 

「緋月アカリ。……いつもレンが、お世話になってます」

 

「おい。その言い方やめろ」

 

「いえいえ。こちらこそ」

 

 ソウが、真面目な顔で頭を下げた。

 

 アカリも下げた。

 

「二人でやるな」

 

 ソウは、そこでようやく吹き出した。

 

「へえ。お前、そっちじゃそういう顔するんだ」

 

「何が」

 

「いや。別に」

 

「言えよ」

 

 アカリが笑う。

 

 ついさっき、自分も同じことを言われた。

 

◇

 

 定食が、三つ並んだ。

 

 ソウだけが煮魚で、レンとアカリの皿には厚焼き卵が乗っていた。

 

 アカリは一口食べて、目を丸くした。

 

「甘い」

 

「うまいだろ」

 

「うん。紅界の食堂だと、もっと塩が強い」

 

「へえ」

 

「あと、もうちょっと薄く焼いて、端がカリッてなるの」

 

「それ、食いたいな」

 

 箸が、止まった。

 

 レンは、何でもない顔で味噌汁を飲んでいた。

 

「……じゃあ、今度」

 

「ああ」

 

「次に通行の枠が取れたら、あたしのいつものとこ、連れてく」

 

「頼む。お前、いつもどこで飯食ってるか、あんまり話さないからな」

 

 アカリは、彼を見た。

 

 その言葉が、胸の中の同じ場所へ入ってきた。

 

 あたしもだ。

 

 あいつが知らないことを、あたしだって、ちゃんと話していなかった。

 

「……そうだね」

 

「じゃあ、話す。まず、食堂のおばちゃんが強い」

 

「そこ、こっちと同じだな」

 

 ソウが言った。

 

「聞こえてるよ」

 

 厨房から声が飛んだ。

 

 三人とも、一度、背筋が伸びた。

 

◇

 

 話は、忙しく動いた。

 

 蒼界の洗濯機は静かすぎて、止まったのかと思う。

 

 紅界の乾燥機は、横で喋ると声が聞こえない。

 

 ソウは給水管の規格を一つ確かめたがり、アカリは答えかけて、途中で首を振った。

 

「ごめん、それはマオさんのほうが詳しい。今度聞いとく」

 

「助かる」

 

「ソウは、配給所にいたころから水回りやってる」

 

「運んでただけだって。最初は」

 

「二人、そのころから?」

 

「うん。こいつ、水を運ぶ順番で文句言ってきたんだよ」

 

「段差の手前で積み直すほうが危ないって言っただけだ」

 

「初対面で、いきなりそれ。名前も言わずに」

 

「……やりそう」

 

「実際、危なかっただろ」

 

「うん。だから、一緒に運んだ」

 

 ソウは魚の骨を皿の端へ寄せた。

 

「次の日もいたから、名前聞いた」

 

「それで、友達?」

 

「さあ。その日にそう決めたわけじゃないけど」

 

 レンが、何も言わずに醤油を渡す。

 

 ソウは、見ないで受け取った。

 

「まあ、こんな感じ」

 

 アカリは、頷いた。

 

 七年ぶんを、一度に聞き出す必要はなかった。

 

 この人とこの人が、いつもどうしているのか。

 

 目の前で見れば、分かることもある。

 

◇

 

「そうだ、アカリさん」

 

 店主が、お茶を足しに来た。

 

「今朝、この子が、卵の味付けを聞いたんだよ」

 

「聞いたの、先週だろ」

 

「そうだったね。先週」

 

 店主の口元が、少し上がった。

 

「甘いのは、紅界の子にも食べやすいかって」

 

 レンが、箸を止めた。

 

「……あたし?」

 

「お前、今度こっちで昼食いたいって言っただろ」

 

 言った。

 

 確かに言った。

 

 点検の帰りに、門の向こうから流れてきた匂いを嗅いで。

 

 そのとき、レンは「そうか」としか返さなかった。

 

「覚えてたんだ」

 

「……忘れんだろ、そのくらい」

 

 ソウは、お茶を飲んだ。

 

 とても丁寧に飲んだ。

 

 何も言わない努力をしている顔だった。

 

 アカリは、もう一切れ、卵を食べた。

 

 さっきより、少し甘く感じた。

 

「おいしい」

 

「ならよかった」

 

 今度は、その短さで分かった。

 

◇

 

 食堂を出たのは、午後一時前だった。

 

 ソウは仕事へ戻り、レンは洗濯物の袋を肩へ掛け直した。

 

「まだ時間あるな。何か見たいとこ、あるか」

 

「ある」

 

「どこ」

 

「あんたの、いつもの道」

 

 レンが、少しだけ眉を寄せる。

 

「……面白いもの、ないぞ」

 

「あるよ」

 

「まだ見てないだろ」

 

「だから、見せて」

 

 レンは、通りを見た。

 

 靴の修理屋。広場へ続く坂。給水塔の下を抜ける細い道。

 

「じゃあ、先に宿舎でこれ置かせてくれ。そのあと、川沿いでいいか」

 

「うん」

 

「橋の上、風が強い。帽子、あるなら被っとけ」

 

「……ある」

 

 尾行用の帽子を、被り直した。

 

 さっきまで隠していた髪を、今度は出したままで。

 

◇

 

 歩きだす前に、アカリは通話器の送話口へ顔を寄せた。

 

「フレア、ありがと。もう普通に喋っていいよ」

 

『了解しました』

 

「フレアも一緒だったのか」

 

「うん。街、見せたくて」

 

「そうか」

 

 レンは、自分の通話器に指を触れた。

 

「アズール。あとで、四人で話せるほうにつないでくれ」

 

『承知しました』

 

「それと、さっきの勝負」

 

 アカリの肩が、一瞬だけ跳ねた。

 

「俺、そんな分かりやすい顔してたか?」

 

『はい』

 

『はい』

 

 アカリは、耳元を押さえた。

 

「フレア、こっち! まだ、こっちの回線!」

 

『把握しています。本人には聞こえていません』

 

 レンは、アズールの返事に渋い顔をしていた。

 

「……次は勝つ」

 

 アカリは下を向いて、笑うのをこらえた。

 

◇

 

 四人の通話へ切り替わるまでの短い間に、フレアはアズールへ別の呼び出しを送った。

 

『尾行は、終了しました』

 

『了解しました』

 

『操縦者レンは、最後まで気づきませんでしたね』

 

『はい』

 

『報告しなかった理由を、聞いてもかまいませんか』

 

 青い側からの返事は、少し遅れた。

 

『操縦者レンは、今朝、当機にも街を見せると言いました』

 

『はい』

 

『当機も、楽しみにしていました』

 

 フレアは、続きを待った。

 

『街の話を止めてまで、伝えることだとは思いませんでした』

 

『……なるほど』

 

『そちらは、どうでしたか』

 

『たわしと、靴下と、札の話でした』

 

『当機の通話とは、ずいぶん違います』

 

『同じ道を歩いていたのですが』

 

『午後は、同じ話ができそうです』

 

 回線が、切り替わった。

 

◇

 

「アカリ。次の角、右な」

 

「分かってる」

 

「来たことあるのか?」

 

「ない。今、あんたが教えたじゃん」

 

「……そうだな」

 

 レンが、少し笑う。

 

 今度は、瓶越しでも、棚の隙間からでもなかった。

 

 すぐ隣だった。

 

「レン」

 

「なんだ」

 

「あの食堂、また行きたい」

 

「ああ。次、煮魚にしてみろ。あれもうまい」

 

「じゃあ、あんたは卵ね」

 

「なんで決める」

 

「半分ずつ食べたいから」

 

「……最初からそう言え」

 

 そんな話をしながら、角を曲がった。

 

 もう、誰かの陰に隠れる必要はなかった。

 

 午前中、ずっと追いかけていた背中が、半歩先へ出る。

 

 アカリが並ぶまで、レンは少し歩幅を緩めた。

 

後日談 完




アカリが知らなかった、レンの休日でした。

 レンの返事は、街でも短いままです。それでも鍋を貸してくれる人がいて、ボタンをつけてくれる友達がいて、来週も遊ぼうと言う子供がいる。本人が話さなかっただけで、ちゃんと暮らしがありました。

 助けるレンだけでなく、世話を焼かれるレンも、アカリに見つけてもらいたかったです。そしてアカリも、見ているだけでは足りなくなって、自分からお昼に入りました。

 アズールは最初から知っていました。レンは最後まで知りません。二機のAIにも、操縦者に全部説明しない会話が増えています。

 よければ、ひとつだけ。
 次にアカリが案内する紅界の日常では、レンに何を見せてあげたいですか。
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