旧作【合体ロボ】死んだはずの幼なじみが、隣の世界から俺の名前を呼んだ 作:シラヌイ321
けれど、蒼界の街で何を買って、誰と話しているのかは、あまり知りません。
なので今日、アカリはこっそりついていきます。
相棒つきです。
相手の相棒には、最初から見えています。
尾行を始めて、九十秒。
アカリは、見つかった。
レンにではない。
『フレア判断系。確認を要求します』
耳の通話器へ、青い機体の声が入ってきた。
『蒼界側の搬出路で、操縦者アカリが運搬車の陰にしゃがんでいます』
「……え」
『具合が悪いのでしょうか』
『いいえ。隠れているつもりです』
「ちょっと!」
『了解しました。尾行ですね』
「なんで、そこは一回で分かるの!」
声を抑えたせいで、変な息が漏れた。
アカリは帽子のつばを下げる。
二十メートルほど先で、レンは門衛と何か話していた。紺の上着に、黒いズボン。右手には、膨らんだ布袋。
こちらを見てはいない。
「レンには、絶対に言わないで」
『現在、本人の回線には接続していません』
「今だけの話をしてない!」
共界門の蒼界側に、アズールが膝をついている。
外部カメラは、搬出路を正面から見ていた。
隠れる場所の選択が、最初から間違っていた。
復元を止めた日から、半年ほどが過ぎていた。
この日の共同点検は、予定より一時間早く終わった。
アカリの帰りの通行枠は、午後四時。今日は街を見て回るつもりで、前から長めの滞在を申請してあった。
何をするかは、まだ決めていなかった。
そこで、レンが言ったのだ。
「俺、今日はここまで。街に寄って帰る」
「何するの?」
「返すものがある。あと、洗濯」
「……洗濯」
「溜まるだろ」
溜まる。
それは分かる。
だが、あのレンが、籠を持って洗濯をしに行くところを、アカリは一度も見たことがなかった。
「お前は?」
「あたしは、その辺、見て回る」
「そうか。帰り、四時だっけ」
「うん」
「詰所の時計、三分遅れてるからな」
それだけ言って、彼は行った。
アカリは、しばらく背中を見ていた。
「……ねえ、フレア」
『はい』
「レンって、蒼界で友達いるのかな」
『本人に質問することを推奨します』
「聞いたら、いる、で終わるじゃん」
『回答が得られます』
「そういうことじゃなくて」
普段、誰と食事をするのか。
何が好きで、休みには何をしているのか。
戦場では、レンの息を吸う間まで分かることがある。それなのに、あの布袋の中身さえ分からない。
「……あたしの知らないところで、どんな顔してるんだろ」
その結果が、運搬車の陰だった。
二機は、共界門の両側に残っている。
点検で使った整備用の回線を借り、蒼界側の中継器から、それぞれの携帯通話器へつないでいた。小さなレンズを向ければ、見ているものも送れる。
街へついてくるフレアは、アカリの耳の中だ。
レンも、アズールと話せる小さな通話器を上着に留めている。
「アズール。あいつ、いつもどこ行くの?」
『本人に聞いてください』
「そっちもそれ!?」
『当機が説明するより、正確です』
『当機も、同じ提案をしました』
「今だけ仲良くならないで」
レンが、歩きだした。
アカリも立ち上がる。
「とにかく、ちょっと見るだけだから。邪魔はしない」
『……承知しました』
そこで、アズールの声は切れた。
フレアとの通話だけが残る。
「味方してくれた?」
『道案内は、断られました』
「そこは言わなくていい」
蒼界第七区の商店通りには、まだ新しい壁と古い壁が混ざっていた。
薄れた箇所を塗り直した食堂。片側だけ新しい雨樋。扉の寸法が合わず、下に板を足した雑貨屋。
その間を、レンは迷わず歩いていく。
「レン。そっち、まだ乾いてない」
「分かった」
「昨日の留め具、合ったぞ」
「もう片方も替えとけよ」
「おはよう、レン兄ちゃん!」
「走るな。角に台車」
角を曲がった子供が、慌てて速度を落とした。
どれも、短い。
そして、誰も気にしていない。
アカリは、雑貨屋の店先で足を止めた。
「……三人」
『何の数ですか』
「今、向こうから話しかけてきた人」
『四人です。最初に、門衛の方がいました』
「数えてたんだ」
『気になっているようでしたので』
アカリは棚から、たわしを一個取った。
レンが、斜め向かいの食堂に入ったからだ。
「あたし、紅界ではけっこう顔広いと思ってたんだけど」
『競技でしたか』
「違う」
『では、たわしを四個買う必要もありません』
いつの間にか、四個持っていた。
食堂の窓は、大きく開いていた。
「あら、レン。今日は早いね」
「点検、終わった。これ」
布袋から出てきたのは、小鍋だった。
蓋まで綺麗に洗ってある。
「助かったかい」
「ああ。ありがと」
「で、煮えた?」
「煮えた」
「何が」
「麺」
「野菜は」
「入れた」
「何を」
「葱」
「ほかには」
レンが、黙った。
店主の女性が、腰に手を当てた。
「あんたね。刻み葱を乗せただけで、野菜を食べた顔をするんじゃないよ」
「乗せたんじゃない。煮た」
「そこじゃない」
雑貨屋の棚の向こうで、アカリが口を押さえた。
「……怒られてる」
『反論は、失敗したようです』
食堂の店主は、小さな紙袋へ何か詰めた。
「煮物。持ってきな。昨日の残りだから」
「金、払う」
「鍋、底まで磨いてくれたろ」
「借りたからな」
「じゃあ、私も余ったから渡す。それでいいね」
レンは、少し眉を寄せた。
それから、紙袋を受け取った。
「……助かる」
「はいよ。今日は、昼も食べな」
「分かってる」
彼が出ていく。
アカリは、手元のたわしを見下ろした。
助けているところなら、知っていた。
あの無愛想な顔のまま、誰かに煮物を持たされているところは、知らなかった。
「それ、買うのかい?」
雑貨屋の主人が、声をかけてきた。
「買います!」
『一個で充分です』
次の行き先は、共同洗濯場だった。
屋根の下に洗濯機が並び、通り側には待つためのベンチがある。
レンは布袋から洗濯物を出し、空いている一台へ入れた。
その隣で、作業着の少年が片手を上げる。
「お、レン。生きてたか」
「二日前に会っただろ」
「二日あれば充分だろ、お前の場合」
歳は、レンと同じくらいだった。
袖に給水設備班の印がある。短い髪は寝癖がついたままで、膝の上には、修理途中の折り畳み傘が乗っていた。
「ソウ。そこの骨、曲がってる」
「知ってる。直してる」
「その向きで力かけると、折れるぞ」
「じゃあ、ここ持って」
レンが、黙って傘の軸を持った。
慣れた動きだった。
向かいの飲料売り場で、アカリは瓶を選ぶふりをする。
「誰」
『今、ソウ、と呼びました』
「それは聞いた」
『でしたら、当機と同じ情報を持っています』
傘が、ぱっと開いた。
「よし。持っといて」
「もう直っただろ」
「お前の上着、脱げ」
「なんで」
「袖のボタン。今にも取れる」
「あとで」
「二日前も言った」
レンは、何か言いかけた。
言わずに、上着を脱いだ。
ソウは傘の修理袋から針と糸を出す。
通話器は、レンの手で隣のベンチへ置かれた。
「青い糸しかないのか」
「ある。黄色」
「青でいい」
「最初からそう言えよ」
アカリは、瓶を棚に戻した。
あのレンが。
人の傘を持たされたまま、袖のボタンをつけてもらっている。
しかも、少し眠そうだった。
「……こんな顔、するんだ」
『眠いときの顔に見えます』
「そうだけど」
敵が来るかもしれない場所では、見たことがない顔だった。
「お前、午後も休み?」
「ああ」
「なら、ポンプ小屋には寄るなよ」
「昨日の振動は」
「直した」
「軸受けか」
「違った。固定台のほう。お前の予想、外れ」
「……そうか」
「悔しそうな顔すんな」
「してない」
「してる。ほら、終わり」
上着が返された。
黒いボタンを、青い糸がしっかり留めていた。
「ありがとな」
「うん。次に取れたら、また持ってこい」
レンは、袖を一度だけ引っ張って確かめる。
その顔を見て、アカリはようやく瓶を一本買った。
「……友達だ」
『はい』
「普通に、友達だ」
『二回確認するほど、意外でしたか』
「だって、あいつ、全然そういう話しないから」
ソウが、立ち上がった。
「乾燥終わったら、俺の分も取り込んどいて。二つ隣」
「なんで俺が」
「ボタン」
「……分かった」
「あと、靴下は丸めんな。昨日の、お前だろ」
「片方がなくなる」
「濡れたまま中へ巻き込んでどうすんだよ!」
レンの眉間の皺が、深くなった。
アカリは、とうとう肩を震わせた。
「駄目。ちょっと、駄目」
『何がでしょうか』
「今度から、操縦席で格好いいこと言われても、靴下が出てくる」
『当機は、操縦者の洗濯物を戦術判断に使用しません』
「使わないであげて」
洗濯の待ち時間に、レンは隣の広場へ向かった。
木陰の長椅子に、子供が三人座っていた。
一人が、彼に気づく。
「レン兄ちゃん! 今日できる?」
「乾燥が終わるまでなら」
「ばば抜き!」
「今日は負けん」
アカリの足が、止まった。
「……やるんだ」
『誘われましたので』
「勝つ気なんだ」
『そのようです』
レンは、長椅子の端へ座った。
配られる札を受け取ると、通話器へ短く言う。
「アズール。口出すなよ」
『承知しました』
「アズールも見るの?」
「見るだけ。教えるのは禁止」
子供が、通話器を花壇の縁へ立て掛けた。小さなレンズが、レンの顔に向く。
『操縦者からは、前回も同じ指示を受けています』
「前も負けたもんね!」
「今日は負けん」
二度言った。
四分後、負けた。
最後まで残っていたのは、小柄な男の子だった。
レンの手には、二枚。
男の子が右の札に指をかける。
レンの眉が、ほんの少し動く。
男の子は、その指を左へ移した。
「こっち!」
揃った二枚が、長椅子の上へ放られた。
レンの手には、一枚だけ残った。
「……おい。最初、こっち取ろうとしただろ」
「だって、取ってほしそうな顔した」
「してない」
「したよ」
「した!」
「すっごくした!」
三人いた。
全員に言われた。
「……もう一回だ」
男の子が笑った。
レンも、笑った。
ほんの少し口を曲げて、それから、参ったように息を吐いた。
アカリは、手に持った瓶を口へ運びかけたまま、止まった。
知っている笑い方だった。
作戦が通ったときでも、誰かが助かったときでもない。
札を一枚、引いてもらえなかっただけで、あいつは笑う。
「……ずるい」
『男の子は、札を覗いていません』
「分かってる」
そういう意味でもなかった。
次の勝負が始まる前に、子供の一人が席を立った。
「お母さん、迎えに来た。帰る」
「おう。またな」
「レン兄ちゃん。来週もいる?」
レンは、すぐに答えなかった。
上着のポケットから、折った予定表を出す。
「来週は、午前中いない」
「じゃ、午後は?」
「まだ分からん。分かったら、ここに来る」
「じゃあ、勝った札、取っとく」
「その札だけ抜くなよ。次も使うんだから」
子供は笑いながら走っていった。
見送ったあとで、レンが札の角を揃えた。
薄い紙は、何度も使われていた。裏の模様が擦れ、端を小さなテープで直したものもある。
誰かに持ち上げられるたび、その束は少しずつ形を崩す。
レンは、毎回揃えていた。
アカリは、もう次の隠れ場所を探していなかった。
「……あたし」
『はい』
「あいつの七年って、戦ってるところばっかり想像してた」
街を守って。
間に合わなくて。
眠らずに、次の計算をして。
そういうレンなら、よく知っているつもりだった。
でも、その間にも洗濯物は溜まる。
ボタンは取れる。
鍋を借りて、煮物をもらって、子供に負ける。
自分がいなかった街に、あいつを名前で呼ぶ人が、ちゃんといた。
「……よかった」
声に出すと、少しだけ鼻の奥が痛くなった。
フレアは、人数を数え直さなかった。
『はい』
それだけ返した。
乾燥を終えたレンは、ベンチで洗濯物を畳んだ。
自分の分。
二つ隣の機械に入っていた、ソウの作業着。
ソウが戻ってきたときには、二つの山になっていた。
「助かった。お前、こういうのは丁寧だよな」
「こういうのは、ってなんだ」
「靴下以外」
「しつこいぞ」
ソウは、笑って籠を持ち上げた。
「昼、食ってく?」
「ああ。さっき、角の店で食えって言われた」
「俺も行く。先に職場へこれ置いてくるから、席取っといて」
「窓側?」
「うん」
それだけで、約束になった。
アカリは、空になった瓶を回収箱へ返した。
「フレア」
『はい』
「もう、やめる」
『尾行を、ですか』
「うん」
帽子を脱いだ。
押し込めていた赤褐色の髪が、肩へ落ちてくる。
「あたしも、お昼、一緒に食べたい」
『本人に伝えることを推奨します』
「……今度は、それで合ってる」
レンが広場を出たところで、アカリは通りの横から声をかけた。
「レン!」
彼が振り向く。
本当に、驚いた顔をした。
「アカリ。こんなとこまで来たのか」
「来た。いろいろ見てた」
「何か買った?」
「たわし」
「……なんで」
「使うから!」
使う。
嘘ではない。
レンは小さな包みを見て、それから彼女の顔を見た。
「腹は」
「減った」
「俺も。これから飯だけど、来るか」
「……いいの?」
「なんで駄目なんだ」
あまりに普通に言われた。
アカリは、少しだけ笑ってしまった。
「うん。行く」
「友達も一人来る。それでもいいか」
「うん。紹介して」
レンが、歩きだす。
アカリも、その横へ並んだ。
「おや。三人になるのかい」
角の食堂で、店主が言った。
レンは窓際の椅子を一つ引いた。
「こっち、アカリ。紅界の」
「緋月アカリです。お邪魔します」
「はい、いらっしゃい。あんたがアカリちゃんか」
アカリの足が、止まった。
「……知ってるんですか」
「そりゃ、名前くらい。レンが――」
「今日の定食、何」
「まだ聞いてないだろ」
「今、聞いてる」
店主は、少し笑った。
「厚焼き卵と煮魚。どっちにする」
「卵で!」
「俺も」
アカリは、向かいに座ったレンを見る。
「……あたしのこと、何話してんの」
「別に」
「別に、で名前は出ないでしょ」
レンは、湯呑みを持ち上げた。
まだ、お茶は入っていなかった。
そっと戻した。
「ねえ」
「……飯、食いに来たんだろ」
耳元で、フレアが言った。
『今の顔です』
「何が」
『札を取ってほしいときの顔です』
アカリは、咳き込んだ。
「大丈夫か」
「だいじょうぶ。あんたのせいじゃない」
だいぶ、あんたのせいだった。
ソウは、五分ほど遅れて来た。
「悪い、ポンプの――あれ」
アカリを見て、足を止める。
「アカリ。さっき会った。一緒でいいか」
「もちろん。戸倉ソウ。給水設備の見習いです」
「緋月アカリ。……いつもレンが、お世話になってます」
「おい。その言い方やめろ」
「いえいえ。こちらこそ」
ソウが、真面目な顔で頭を下げた。
アカリも下げた。
「二人でやるな」
ソウは、そこでようやく吹き出した。
「へえ。お前、そっちじゃそういう顔するんだ」
「何が」
「いや。別に」
「言えよ」
アカリが笑う。
ついさっき、自分も同じことを言われた。
定食が、三つ並んだ。
ソウだけが煮魚で、レンとアカリの皿には厚焼き卵が乗っていた。
アカリは一口食べて、目を丸くした。
「甘い」
「うまいだろ」
「うん。紅界の食堂だと、もっと塩が強い」
「へえ」
「あと、もうちょっと薄く焼いて、端がカリッてなるの」
「それ、食いたいな」
箸が、止まった。
レンは、何でもない顔で味噌汁を飲んでいた。
「……じゃあ、今度」
「ああ」
「次に通行の枠が取れたら、あたしのいつものとこ、連れてく」
「頼む。お前、いつもどこで飯食ってるか、あんまり話さないからな」
アカリは、彼を見た。
その言葉が、胸の中の同じ場所へ入ってきた。
あたしもだ。
あいつが知らないことを、あたしだって、ちゃんと話していなかった。
「……そうだね」
「じゃあ、話す。まず、食堂のおばちゃんが強い」
「そこ、こっちと同じだな」
ソウが言った。
「聞こえてるよ」
厨房から声が飛んだ。
三人とも、一度、背筋が伸びた。
話は、忙しく動いた。
蒼界の洗濯機は静かすぎて、止まったのかと思う。
紅界の乾燥機は、横で喋ると声が聞こえない。
ソウは給水管の規格を一つ確かめたがり、アカリは答えかけて、途中で首を振った。
「ごめん、それはマオさんのほうが詳しい。今度聞いとく」
「助かる」
「ソウは、配給所にいたころから水回りやってる」
「運んでただけだって。最初は」
「二人、そのころから?」
「うん。こいつ、水を運ぶ順番で文句言ってきたんだよ」
「段差の手前で積み直すほうが危ないって言っただけだ」
「初対面で、いきなりそれ。名前も言わずに」
「……やりそう」
「実際、危なかっただろ」
「うん。だから、一緒に運んだ」
ソウは魚の骨を皿の端へ寄せた。
「次の日もいたから、名前聞いた」
「それで、友達?」
「さあ。その日にそう決めたわけじゃないけど」
レンが、何も言わずに醤油を渡す。
ソウは、見ないで受け取った。
「まあ、こんな感じ」
アカリは、頷いた。
七年ぶんを、一度に聞き出す必要はなかった。
この人とこの人が、いつもどうしているのか。
目の前で見れば、分かることもある。
「そうだ、アカリさん」
店主が、お茶を足しに来た。
「今朝、この子が、卵の味付けを聞いたんだよ」
「聞いたの、先週だろ」
「そうだったね。先週」
店主の口元が、少し上がった。
「甘いのは、紅界の子にも食べやすいかって」
レンが、箸を止めた。
「……あたし?」
「お前、今度こっちで昼食いたいって言っただろ」
言った。
確かに言った。
点検の帰りに、門の向こうから流れてきた匂いを嗅いで。
そのとき、レンは「そうか」としか返さなかった。
「覚えてたんだ」
「……忘れんだろ、そのくらい」
ソウは、お茶を飲んだ。
とても丁寧に飲んだ。
何も言わない努力をしている顔だった。
アカリは、もう一切れ、卵を食べた。
さっきより、少し甘く感じた。
「おいしい」
「ならよかった」
今度は、その短さで分かった。
食堂を出たのは、午後一時前だった。
ソウは仕事へ戻り、レンは洗濯物の袋を肩へ掛け直した。
「まだ時間あるな。何か見たいとこ、あるか」
「ある」
「どこ」
「あんたの、いつもの道」
レンが、少しだけ眉を寄せる。
「……面白いもの、ないぞ」
「あるよ」
「まだ見てないだろ」
「だから、見せて」
レンは、通りを見た。
靴の修理屋。広場へ続く坂。給水塔の下を抜ける細い道。
「じゃあ、先に宿舎でこれ置かせてくれ。そのあと、川沿いでいいか」
「うん」
「橋の上、風が強い。帽子、あるなら被っとけ」
「……ある」
尾行用の帽子を、被り直した。
さっきまで隠していた髪を、今度は出したままで。
歩きだす前に、アカリは通話器の送話口へ顔を寄せた。
「フレア、ありがと。もう普通に喋っていいよ」
『了解しました』
「フレアも一緒だったのか」
「うん。街、見せたくて」
「そうか」
レンは、自分の通話器に指を触れた。
「アズール。あとで、四人で話せるほうにつないでくれ」
『承知しました』
「それと、さっきの勝負」
アカリの肩が、一瞬だけ跳ねた。
「俺、そんな分かりやすい顔してたか?」
『はい』
『はい』
アカリは、耳元を押さえた。
「フレア、こっち! まだ、こっちの回線!」
『把握しています。本人には聞こえていません』
レンは、アズールの返事に渋い顔をしていた。
「……次は勝つ」
アカリは下を向いて、笑うのをこらえた。
四人の通話へ切り替わるまでの短い間に、フレアはアズールへ別の呼び出しを送った。
『尾行は、終了しました』
『了解しました』
『操縦者レンは、最後まで気づきませんでしたね』
『はい』
『報告しなかった理由を、聞いてもかまいませんか』
青い側からの返事は、少し遅れた。
『操縦者レンは、今朝、当機にも街を見せると言いました』
『はい』
『当機も、楽しみにしていました』
フレアは、続きを待った。
『街の話を止めてまで、伝えることだとは思いませんでした』
『……なるほど』
『そちらは、どうでしたか』
『たわしと、靴下と、札の話でした』
『当機の通話とは、ずいぶん違います』
『同じ道を歩いていたのですが』
『午後は、同じ話ができそうです』
回線が、切り替わった。
「アカリ。次の角、右な」
「分かってる」
「来たことあるのか?」
「ない。今、あんたが教えたじゃん」
「……そうだな」
レンが、少し笑う。
今度は、瓶越しでも、棚の隙間からでもなかった。
すぐ隣だった。
「レン」
「なんだ」
「あの食堂、また行きたい」
「ああ。次、煮魚にしてみろ。あれもうまい」
「じゃあ、あんたは卵ね」
「なんで決める」
「半分ずつ食べたいから」
「……最初からそう言え」
そんな話をしながら、角を曲がった。
もう、誰かの陰に隠れる必要はなかった。
午前中、ずっと追いかけていた背中が、半歩先へ出る。
アカリが並ぶまで、レンは少し歩幅を緩めた。
アカリが知らなかった、レンの休日でした。
レンの返事は、街でも短いままです。それでも鍋を貸してくれる人がいて、ボタンをつけてくれる友達がいて、来週も遊ぼうと言う子供がいる。本人が話さなかっただけで、ちゃんと暮らしがありました。
助けるレンだけでなく、世話を焼かれるレンも、アカリに見つけてもらいたかったです。そしてアカリも、見ているだけでは足りなくなって、自分からお昼に入りました。
アズールは最初から知っていました。レンは最後まで知りません。二機のAIにも、操縦者に全部説明しない会話が増えています。
よければ、ひとつだけ。
次にアカリが案内する紅界の日常では、レンに何を見せてあげたいですか。