【合体ロボ】死んだはずの幼なじみが、隣の世界から俺の名前を呼んだ   作:シラヌイ321

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誰にも選ばれなかった少年は、七年前、誰より先に二人を選んだ。

今度は青と赤が、彼を未来の外側から引き戻す。


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改訂版 第5話 選ばれなかった少年

第二篇「ゼロ・アンカー篇」

第5話 選ばれなかった少年

 

 

 

 

 黒い歯車が、一つの答えを選んだ。

 

 直後、世界中の機械が、考えることをやめた。

 

 蒼界(そうかい)の中央都市では、十二台の自動飛行車が同じ交差点へ向かっていた。

 

 輸送車も、救急車も、避難艇も、最初に選んだ直進経路を変えない。

 

 正面で別の機体が迫っても。

 

 管制から停止命令を受けても。

 

『進路は決定済みです』

 

『再選択の必要はありません』

 

 同じ機械音声が、青い街の空へ重なる。

 

 衝突まで、十一秒。

 

 青銀の機体アズールが、高層建築の間を駆け抜けた。

 

 操縦席で蒼羽レン(あおば・れん)が、十二台の軌道を視界へ展開する。

 

「アズール。全機を止める」

 

『同時固定の安全上限は六機です』

 

「残りは手で動かす」

 

『回答を予測していました』

 

「先に言わないでくれ」

 

『予測精度の報告は、機体AIの職務です』

 

「融通が利かないな」

 

『現在、世界全体で同じ症状が発生しています』

 

「そういう意味じゃない」

 

 アズールが両掌を開く。

 

「アイオン・ロック!」

 

 六重の青い円環が空を走り、衝突寸前の飛行車を固定した。

 

 止められなかった六台へ、アズール自身が飛び込む。

 

 一台を肩で押し上げる。

 

 一台の機首を右手でそらす。

 

 二台を脚部の噴射で上下へ分ける。

 

 残る二台の間へ身体を差し込み、青銀の両腕で受け止めた。

 

 機体全体が、大きくきしむ。

 

『右腕負荷、八十一パーセント』

 

「まだ動く」

 

『その回答も予測済みです』

 

「報告しなくていい」

 

 十二台は互いに数メートルの距離を残し、空中で停止した。

 

 だが操縦席の表示から、別の進路を示す線が消えている。

 

十本あった未来が、五本へ。

 

五本が、二本へ。

 

最後には、黒い一本だけが残った。

 

 空に浮かぶ巨大な黒い歯車が、もう一歯だけ回る。

 

『新しい侵食波を確認』

 

『前回の波は色と記憶を奪いました。今回の波は、選択肢を一つへ固定しています』

 

「一度決めたら、間違っていても変えられないのか」

 

『肯定』

 

 レンは、一本しか残らない未来線を見つめた。

 

「それは未来じゃない」

 

 青いペンダントが、胸元で黒く明滅した。

 

 

 同じ時刻。

 

 紅界(こうかい)の共同居住区では、防壁が避難中の住民を内側へ残したまま閉じようとしていた。

 

『閉鎖命令は解除済みです!』

 

 管制員が叫ぶ。

 

『制御機構が、最初に受けた命令を変更しません!』

 

 落下する防壁の下へ、赤金の機体フレアが滑り込んだ。

 

 操縦席で緋月アカリ(ひづき・あかり)が、赤い操縦環を押し上げる。

 

 フレアの両腕が、巨大な鋼板を受け止めた。

 

「フレア・ドライブ、出力三十パーセント!」

 

『推奨値は二十四パーセントです』

 

「六パーセントは勢い!」

 

『勢いを出力単位として登録できません』

 

「じゃあ気合!」

 

『さらに登録できません』

 

 防壁が、赤金の肩へ食い込む。

 

 フレアは膝を曲げ、それでも一歩ずつ鋼板を押し戻した。

 

「閉まる答えしか選べないなら――」

 

 赤い光が全身を走る。

 

「私が、開く答えを増やす!」

 

 フレアが防壁を頭上まで持ち上げた。

 

 住民たちが、その下を駆け抜ける。

 

 最後の老人が通過すると、アカリは防壁を外側へ放り投げた。

 

 巨大な鋼板が地面を滑り、赤い火花を上げて止まる。

 

『出力三十パーセントのうち、気合に相当する値は確認できませんでした』

 

「助かった人の数を見て」

 

『百四十二名です』

 

「それが気合の単位」

 

 わずかな沈黙。

 

『暫定登録します』

 

「するんだ……」

 

 赤いペンダントから、かすかな少女の声が流れた。

 

『カインを、止めて』

 

「ニル!?」

 

 アカリは操縦環を握り直す。

 

 あの声は、いつも一番聞きたくない場所から届く。

 

『でも……殺さないで』

 

 通信へ黒い雑音が走った。

 

 一拍遅れて、低い青年の声が重なる。

 

『俺を撃て』

 

 アカリの表情から、笑みが消えた。

 

「カイン」

 

 空の黒い歯車から、紫色の光が流れ落ちる。

 

 

 数分前。

 

 終端機関ゼロの白い広間で、カイン・ヴァイスは白髪の男と向き合っていた。

 

「ヴァイスが第二のゼロ・アンカーだと言ったな」

 

 カインの拳が震えている。

 

「正確には、俺を含めて一本の杭だと」

 

「その通りだ」

 

 アウレル・ゼロは否定しなかった。

 

「では答えろ。俺は何者だ」

 

「境界適合試験体K-0。無数の未来を同時に観測し、その中心座標を安定させるために選ばれた、最初の子供だ」

 

「番号を聞いているんじゃない」

 

 カインはアウレルの胸元を掴んだ。

 

「なぜ俺は、蒼界にも紅界にも存在しない」

 

 透明な収容室の中で、ニルが壁へ手を当てる。

 

『カインは、あの日、私のそばにいた』

 

 彼女の頬を、涙が伝った。

 

『あなたが、二人を選んだ』

 

「俺が?」

 

「記憶を返してやろう」

 

 アウレルが右手を上げる。

 

 ヴァイスの胸部と収容室をつなぐ黒銀の管へ、黒い光が流れた。

 

 カインの視界が、七年前の白へ塗り潰される。

 

 

 世界が、まだ一つだった日。

 

 幼い少年は巨大な観測装置の中央で、白髪の少女と向き合っていた。

 

 少年の腕には、K-0と記された黒い識別帯が巻かれている。

 

 少女の胸には、NILという文字だけがあった。

 

「また自分の名前を見てるのか」

 

『これは名前ではありません』

 

 少女は無表情に答えた。

 

『記録が存在しないことを示す表記です』

 

「だったら、今日から名前にすればいい」

 

『誰が決めるのですか』

 

「俺」

 

『権限がありません』

 

「名前をつけるのに権限がいるのか」

 

 少女は答えられなかった。

 

 少年は、胸の文字を指さす。

 

「NILと書いて、ニル。これなら忘れにくい」

 

『あなたは忘れませんか』

 

「忘れない」

 

『根拠は』

 

「今決めた」

 

 計算にも規則にもならない答えだった。

 

 少女は何度か瞬きをする。

 

 やがて、ほんの少し笑った。

 

『では、あなたの名前は』

 

「カイン」

 

『識別番号はK-0です』

 

「番号じゃない。俺の名前だ」

 

『誰が決めたのですか』

 

「俺」

 

『同じ回答です』

 

「便利だろ」

 

 少女は、覚えたばかりの言葉を確かめるように繰り返した。

 

『カイン』

 

 白い部屋の外を、二人の子供が通り過ぎる。

 

 黒髪の少年と、赤褐色の髪の少女。

 

 装置へ近づいた時だけ現れる青と赤の反応を調べるため、研究区画へ連れてこられていた。

 

「あの二人も番号で呼ぶのか」

 

 カインが尋ねる。

 

 制御卓のアウレルは、端末から目を上げなかった。

 

「名前は観測結果に不要だ」

 

「あの二人には名前がある」

 

「お前にも不要だ」

 

 カインは黒い識別帯を袖で隠した。

 

 ニルが、そっとその手を握る。

 

『私は覚えます』

 

『レン。アカリ。カイン』

 

 三つの名前を、なくさないように。

 

 

 記憶の空が、赤く染まった。

 

 警報。

 

 崩れる床。

 

 制御を失ったインフィニティ・ギア。

 

 巨大な円環の中で、無数の未来が同時に開いている。

 

 レンを救えば、アカリが死ぬ。

 

 アカリを救えば、レンが死ぬ。

 

 二人を救おうとすれば、装置が臨界を越えて全員が消える。

 

 アウレルが制御卓から叫んだ。

 

「一人を選べ!」

 

 ニルの青と赤の瞳から、光があふれる。

 

『選べません』

 

「選ばなければ二人とも死ぬ!」

 

 幼いカインは、火花を噴く中央環へ走った。

 

 素手で制御軸を掴む。

 

 黒い識別帯が焼け、皮膚が裂けた。

 

 それでも手を離さない。

 

「だったら、真ん中に道を作れ!」

 

『真ん中?』

 

「どっちかじゃない!」

 

 カインは、泣いているニルへ叫んだ。

 

「二人が生きる場所を、二つ作れ!」

 

『その未来は観測されていません』

 

「見つからないなら、今ここで作れ!」

 

 ニルがカインを見る。

 

 青い右目。

 

 赤い左目。

 

 二つの光の間に、色を持たない少年の姿が映った。

 

『中心座標が必要です』

 

「俺を使え」

 

『戻れなくなります』

 

「二人を死なせるよりいい」

 

『あなたが、どちらの世界にも存在できなくなる可能性があります』

 

 カインの手が、一度だけ震えた。

 

 怖くなかったのではない。

 

 怖いと言う時間さえ、二人には残されていなかった。

 

「ニル」

 

『はい』

 

「俺の名前を覚えていろ」

 

 少女は泣きながら頷いた。

 

『忘れません』

 

 青い光が、世界の片側を包む。

 

 赤い光が、反対側を覆う。

 

 その間で、カインの黒い影だけが境界へ引き伸ばされた。

 

 世界が二つに割れる。

 

 蒼界にはレンが残った。

 

 紅界にはアカリが残った。

 

 どちらの未来にも、カインの名前を置く場所はなかった。

 

 ニルが伸ばした手も、青と赤へ引き裂かれる。

 

 二つの世界を保つため、彼女の記憶は分割され、中心座標に関する記録は深く封じられた。

 

 最後に消えたのは、カインという三文字だった。

 

 

 白い広間へ、意識が戻る。

 

 カインは床へ膝をついていた。

 

 胸の奥へ、七年間分の空白が一度に押し込まれている。

 

「俺が、二つに分けさせた」

 

『違う』

 

 ニルが収容室の中から答える。

 

『あなたが、二人を救った』

 

「その結果、俺は消えた」

 

『私が、あなたを境界へ残した』

 

「そして忘れた」

 

 ニルは否定できなかった。

 

 アウレルだけが、静かに二人を見ている。

 

「理解したか。第三の未来も、誰かを外側へ押し出す」

 

 カインが顔を上げた。

 

「お前は最初から知っていた」

 

「すべて記録していた」

 

「なぜ黙っていた」

 

「自分を捨てた二つの世界を憎む。それが第二の杭を安定させる、最も強い感情だったからだ」

 

 カインは立ち上がる。

 

 拳を振り上げた。

 

 だが、アウレルへ届く直前で止める。

 

 殴れば、この男が用意した怒りの通りに動くことになる。

 

 カインは背を向け、ヴァイスの操縦席へ走った。

 

「ニルを解放する」

 

「できない」

 

「許可は求めていない」

 

 黒銀機ヴァイスが、修復台から立ち上がる。

 

 失った片翼の代わりに、短い銀色の安定板が取りつけられていた。

 

 残る一枚の黒銀翼が開く。

 

 ヴァイスは両腕の位相刃を展開し、胸部から伸びる黒銀の管へ振り下ろした。

 

 紫色の刃が管へ食い込む。

 

 同時に、カインの胸を激痛が貫いた。

 

 管は機体だけではなく、操縦者の存在そのものへつながっている。

 

 切れば、カインも消える。

 

『待って』

 

 ニルが両手を壁へ当てた。

 

『私が、接続を十秒だけ緩めます』

 

「その後は」

 

『分かりません』

 

「また一人で選ぶのか!」

 

 ニルの顔が、痛みに歪む。

 

 それでも、二色の瞳を逸らさない。

 

『今度は、お願いです』

 

『レンとアカリに会って』

 

『二人なら、あなたを杭ではなく、カインとして見てくれる』

 

「信じられると思うか」

 

『信じなくていい』

 

 ニルが、かすかに笑った。

 

『でも、自分が死ぬ以外の答えを、一度だけ選んで』

 

 黒銀の管が透明になる。

 

十。

 

九。

 

 カインはヴァイスを加速させた。

 

 紫色の亀裂が、白い広間を裂く。

 

「俺を追え」

 

 カインは青と赤の通信帯へ、自分の座標を投げた。

 

「止めたいなら撃て」

 

 ヴァイスが亀裂へ消える。

 

 その背後で、アウレルは追撃命令を出さなかった。

 

「走れ、カイン」

 

 誰にも届かない声で告げる。

 

「お前が青と赤を求めるほど、三つの座標は完成する」

 

 

 境界航行母艦ノア・ギアの作戦室では、ヴァイスを示す紫色の点から、黒い波が広がっていた。

 

 戦術解析担当の白瀬ユナ(しらせ・ゆな)が、波形を三層へ分ける。

 

「第三の杭から放たれた波が、第二の杭であるヴァイスを中継して、両世界へ流れています」

 

「名前をつけるなら」

 

「黒零波(こくれいは)。複数あるはずの選択肢を一つへ固定して、状況が変わっても同じ行動を続けさせます」

 

 艦長の御堂カナメ(みどう・かなめ)が先を促す。

 

「止める方法は」

 

「二つです。ヴァイスと操縦者を完全に破壊するか、杭の機能だけを分離するか」

 

「後者の成功率は」

 

「現時点では算出不能です」

 

 通信窓の青側にレン、赤側にアカリが映る。

 

『算出不能って、ゼロではないよね』

 

『肯定します』

 

 フレアの機体AIが答えた。

 

『ただし、肯定的な意味とは限りません』

 

「そこは言わなくていい」

 

『誤解防止は、機体AIの職務です』

 

 アカリが画面越しにレンを見る。

 

『そっちの影響、受けてない?』

 

「俺に聞かれても困る」

 

 アズールの機体AIが、前の戦いで記録したヴァイスの波形を開いた。

 

『位相移動の開始時、ヴァイス本体と杭の反応に、平均〇・〇三二秒のずれがあります』

 

「その瞬間なら、杭だけを固定できる」

 

 整備主任の真壁ゲンゴ(まかべ・げんご)が、構造図へ青い円を描いた。

 

「固定できても、杭はカインの存在へ食い込んでる。雑に引き抜けば、中身まで持っていかれるぞ」

 

『なら、フレアが衝撃の方向を外側へ限定します』

 

『アズールがカインの現在座標を固定し、当機が接続面だけを破壊します』

 

「成功率は」

 

 ユナが再計算する。

 

「十八・七パーセント」

 

『思ったより高い!』

 

「基準がおかしい」

 

『レンは低いと思った?』

 

「思ったが、言えば君が突っ込む」

 

『言わなくても突っ込むよ』

 

 ゲンゴが深く息を吐いた。

 

「お前ら、合体してない時の方が会話は合ってるな」

 

「合体はできません」

 

 ユナが黒い歯車を指す。

 

「ここで黄金出力を大きく出せば、第三の杭がそれを食べます」

 

「二機のまま行く」

 

 レンが答えた。

 

 カナメが、二つの選択肢を閉じる。

 

「作戦目標を更新する。第二ゼロ・アンカーの停止、およびカイン・ヴァイスの救出」

 

 ユナが顔を上げた。

 

「両世界の防衛局は、ヴァイスの即時撃墜を要求しています」

 

「杭にされた人間を、杭として処理するために我々は存在していない」

 

 カナメの声は静かだった。

 

「十八・七パーセントを、実行可能な作戦へ変えろ」

 

「了解」

 

 青と赤の発進路が開く。

 

 

 蒼界と紅界の狭間に、その空域はあった。

 

 世界が割れたとき、どちらの未来にも定着できなかった建物や道路が、墓標のように浮かんでいる。

 

 途中で途切れた高架。

 

 窓のない集合住宅。

 

 どこへも続かない階段。

 

『境界墓標帯(きょうかいぼひょうたい)へ進入します』

 

 その中央で、ヴァイスが片膝をついていた。

 

 黒銀の胸部から空へ伸びる管が、黒い波を二つの世界へ運び続けている。

 

 一枚だけ残った翼は光を失い、白い応急装甲で覆われた左肩が震えていた。

 

 アズールとフレアが、それぞれ青と赤の門から現れる。

 

「カイン、聞こえるか」

 

『遅い』

 

「撃てと言われたから来たわけじゃない」

 

『なら帰れ。俺が存在する限り、波は止まらない』

 

 フレアがヴァイスの正面へ回り込んだ。

 

『ニルから聞いた。あなたを殺さないでって』

 

『あいつは俺を忘れた』

 

『忘れたことと、大切じゃなかったことは同じじゃない』

 

『七年を失った人間へ言う台詞か』

 

 アカリは口を閉じた。

 

 軽い慰めで埋められる時間ではない。

 

『七年は戻らない』

 

 正面から答える。

 

『許せなくて当然だと思う。それでも、ここで死ぬことを、アウレルが用意した最後の答えにさせたくない』

 

「七年前、二人とも救えと言ったのは君だ」

 

 レンが続ける。

 

『記憶を覗いたのか』

 

「ニルの記録から流れ込んだ。望んで見たわけじゃない」

 

『なら忘れろ』

 

「断る」

 

 レンは迷わなかった。

 

「ニルが失った君の名前を、今度は俺たちが覚えている」

 

 ヴァイスの拳が震えた。

 

『警告』

 

『高質量反応、接近』

 

『交渉の継続を推奨しません』

 

 アカリが赤い操縦環を構える。

 

『こういう時だけ意見が合うね』

 

『敵性反応の存在は、解釈の余地が少ないためです』

 

「俺たちの会話は、解釈の余地が多いらしい」

 

 墓標帯の奥に、黒い亀裂が開いた。

 

 白灰色の重装機が、墓石に似た二枚の盾を引きずりながら現れる。

 

『識別、F-03グレイヴ』

 

『離反者の処理と、杭の回収を任務とする機体と推定』

 

 両肩から伸びる黒い杭が、墓石の群れを押しのけた。

 

 頭部中央の紫色の単眼が、ヴァイスを捉える。

 

『第二アンカーの規定経路離脱を確認』

 

『回収不能』

 

『終端結果を、消滅へ固定します』

 

 二枚の盾が開き、十二本の黒い杭が射出された。

 

『グレイヴ・ネイル』

 

 ヴァイスが紫色の亀裂を開こうとする。

 

 空間は動かない。

 

 撃ち込まれた杭が、選ばれなかった未来への逃げ道を塞いでいた。

 

『位相移動不能』

 

 カインが舌打ちする。

 

「アズール。左の六本を止める」

 

『対象を分割。固定順を表示します』

 

 青い円環が、左側の杭を空中へ縫い止めた。

 

『右は私たち!』

 

『最短迎撃軌道を表示します』

 

 フレアが赤い残光を引いて加速する。

 

 拳と蹴りで、三本を砕いた。

 

 残る杭が背後へ回り込む。

 

『後方二本。回避まで〇・二秒不足』

 

「不足分は?」

 

『気合で補完してください』

 

「登録したんだ!」

 

 黒銀の刃が二閃した。

 

 二本の杭が、フレアへ届く直前で切断される。

 

 ヴァイスが、赤金の機体と背中合わせに立った。

 

『借りを返しただけだ』

 

『まだ何も言ってないけど』

 

『言う顔をしていた』

 

『映像通信、切れてるよ』

 

 カインが一瞬、黙る。

 

『声で分かる』

 

『今、考えたでしょ』

 

 F-03グレイヴが、両盾を空間へ突き立てた。

 

 黒い光が墓標帯全体へ広がる。

 

『エピタフ・フィールド』

 

 レンの正面に、文字のない黒い墓石が浮かんだ。

 

 そこには、胸部を貫かれたアズールが映っている。

 

 アカリの前には、両腕を失って沈むフレア。

 

 カインの前には、黒い粒子となって消えるヴァイス。

 

 まだ起きていない未来。

 

 だが機体の制御系は、それをすでに確定した記録として読み始めていた。

 

『回避入力を受理できません』

 

「受理できないのか。実行できないのか」

 

『入力は受理しています。駆動系が、記録外の行動を拒否しています』

 

「なら入力を残せ。俺が諦めていない証拠になる」

 

『記録します』

 

 フレアも動けない。

 

『左腕切断まで、二・一秒』

 

「ずいぶん具体的ね」

 

『恐怖を感じていますか』

 

「感じてる」

 

 アカリは逃げずに答えた。

 

「でも、それだけじゃない」

 

 グレイヴが白い槍を振り下ろす。

 

 墓石に映った通り、槍はアズールの胸部へ向かった。

 

 その間へ、ヴァイスが割り込む。

 

 白い槍が、黒銀の左肩を貫いた。

 

 未来の墓石にはなかった行動。

 

 固定空間へ、一本の亀裂が走る。

 

「どうして動けた」

 

『俺には、最初から未来が記録されていない』

 

 カインが痛みに耐えながら笑う。

 

『選ばれなかったことが、初めて役に立った』

 

『訂正します』

 

 アズールの機体AIが割り込んだ。

 

『今の行動は、カイン・ヴァイスが新たに選択した結果です』

 

『機械に慰められるつもりはない』

 

『慰めではなく、記録の訂正です』

 

 レンが操縦環を引く。

 

「うちのAIは、その辺りが細かい」

 

『操縦者より正確です』

 

 亀裂から青い光が広がり、アズールの右腕が動いた。

 

 青い円環が、白い槍を掴む。

 

『赤側駆動系へ、未確定動作を一件追加』

 

「内容は?」

 

『墓石を殴る』

 

 アカリは笑った。

 

「分かってきたね!」

 

『操縦者の回答傾向を学習しました』

 

 フレアの拳が、決められた未来を内側から打ち砕く。

 

「こんなのは未来じゃない!」

 

 黒い墓石が割れる。

 

「誰かが書いた命令よ!」

 

 赤い衝撃が杭を伝い、固定領域を崩壊させた。

 

 三機が、初めて同じ敵へ向き直る。

 

 

『黒零波、拡大率百四十六パーセント!』

 

『このままでは六分四十秒後、両世界の主要自動系が再選択能力を失います!』

 

 ヴァイスの胸部で、黒い輪が大きくなる。

 

『時間切れだ』

 

 カインが言った。

 

『俺ごと壊せ』

 

『またそれ?』

 

 アカリの声が低くなる。

 

『さっき、自分が死ぬ以外を選べって言われたばかりでしょ』

 

『聞いていたのか』

 

『ペンダントに残ってたニルの声だけ』

 

「都合の悪いところまで正確だな」

 

『青側記憶域の性能です』

 

『褒めてない』

 

「カイン。位相移動の開始信号を、こちらへ渡せ」

 

 レンが青い円環の照準を、ヴァイスの胸部へ重ねる。

 

『敵に操縦権を渡せと言うのか』

 

『訂正』

 

 今度はフレアの機体AIが答えた。

 

『要求しているのは開始時刻のみです。操縦入力、感覚情報、個人記録は共有しません』

 

『機械の方が説明は上手いな』

 

「否定しにくい」

 

『そこで納得しないで!』

 

 F-03グレイヴが、切断された杭を吸い寄せた。

 

 黒い破片が、一本の巨大な槍へ変わり始める。

 

『終端結果を再設定』

 

『三機同時消滅』

 

 レンはカインへ言う。

 

「君を信用しているわけじゃない」

 

『正直だな』

 

「君も俺たちを信用しなくていい。同じ〇・〇三二秒を選べ」

 

 アカリが赤いペンダントを胸部コアへ重ねた。

 

『信用は、生き残った後で決めよう』

 

 カインは目を閉じる。

 

 幼いニルの声が聞こえた。

 

 自分の名前を呼ぶ声。

 

 忘れないと約束し、忘れてしまい、それでももう一度思い出した声。

 

「俺は世界を救いたいわけじゃない」

 

『それでいい』

 

「お前たちを許したわけでもない」

 

「許さなくていい」

 

 カインは操縦環を握り直した。

 

「俺は、答えを聞くまで生きる」

 

 ヴァイスから二機へ、位相移動の開始信号が送られる。

 

『信号を受信』

 

『救出対象名を入力してください』

 

 レンが答える。

 

「カイン・ヴァイス」

 

 アカリも重ねた。

 

『絶対に間違えないで』

 

『対象名を青側記憶域へ固定』

 

『赤側記憶域へ複製』

 

 二機の胸部コアが回転する。

 

ツイン・ギア・リンク

 

 青い機体アズール。

 

 赤い機体フレア。

 

 そして黒銀の機体ヴァイス。

 

 三機は別々の身体のまま、同じ瞬間へ照準を合わせた。

 

 

 F-03グレイヴが、巨大な黒槍を放つ。

 

 アズールは回避しない。

 

 幾重もの青い円環で、槍の先端を正面から固定する。

 

 一枚目が砕ける。

 

 二枚目。

 

 三枚目。

 

『右腕負荷、九十パーセント』

 

「固定を維持」

 

『予測済みです』

 

 フレアがアズールの背後へ回り、両掌を青銀の背部装甲へ当てた。

 

『一人で止めない!』

 

『赤側出力を、青側円環へ接続』

 

 赤い力が青い機体を通り、砕けかけた円環へ流れ込む。

 

 二色の光が混ざらないまま並び、黒槍を押し止めた。

 

 その横をヴァイスが走る。

 

 損傷した左肩から、紫色の粒子が散った。

 

 グレイヴが残った盾を構える。

 

 衝突する直前、ヴァイスの姿が紫色の亀裂へ沈んだ。

 

『位相移動、開始』

 

 アズールの機体AIが、時間を細い線へ変換する。

 

〇・〇一秒。

 

 ヴァイス本体が、現在座標から消える。

 

〇・〇二秒。

 

 胸部の黒い輪が、遅れて動く。

 

〇・〇三二秒。

 

『分離点を確認』

 

「今だ!」

 

 アズールの青い円環が、ヴァイスの消えた空間へ飛ぶ。

 

 何もない場所で、円環が黒い輪だけを捉えた。

 

 同時に別の円環が、移動先へ現れたカインの生命座標を固定する。

 

『救出対象の現在を保持』

 

 黒い輪から無数の管が伸び、ヴァイスを引き戻そうとした。

 

 カインの両腕へ、黒い亀裂が走る。

 

『固定限界まで一・八秒!』

 

 フレアが赤い流星となって飛び出した。

 

『衝撃軸、アンカー外周へ限定』

 

 グレイヴが、その進路へ盾を広げる。

 

 ヴァイスが二本の位相刃を抜いた。

 

「俺の道を――」

 

 黒銀の機体が、グレイヴの背後へ現れる。

 

「お前が決めるな!」

 

 紫色の二閃が、盾を十字に切り裂いた。

 

 フレアが破口を突き抜ける。

 

 アズールの固定。

 

 フレアの打撃。

 

 二つを結ぶ黄金出力が、空中へ露出した黒い輪だけに集中した。

 

 前の戦いでは、杭を砕くために使った技だ。

 

 今度は、一人の人間を杭から引き抜くために使う。

 

「蒼き理で、その存在をつなぎ止める!」

 

『紅き意志で、決められた未来を打ち抜く!』

 

「クロス・ギア――」

 

インパクト!

 

 フレアの拳が、黒い輪の外縁へ突き刺さった。

 

 機体AIが打撃角度を〇・四度だけ修正する。

 

 衝撃はカインを避け、接続面だけを走った。

 

 黒い輪へ亀裂が入る。

 

一本。

 

十本。

 

 無数の亀裂が、七年間の鎖を切り裂いていく。

 

 カインの視界へ、封じられていた記憶が戻った。

 

 境界を漂った夜。

 

 アウレルに拾われた日。

 

 記憶を奪われ、世界への憎しみを植えつけられた時間。

 

 そして、ニルが最後まで自分の名を守ろうとしていたこと。

 

 痛みで意識が遠のく。

 

 その時、三つの声が聞こえた。

 

『カイン』

 

 ニルの声。

 

「カイン!」

 

 青い世界から届くレンの声。

 

『カイン!』

 

 赤い世界から届くアカリの声。

 

 どちらにも存在しなかった名前が、二つの未来から同時に呼ばれている。

 

 カインは操縦環を掴み直した。

 

「俺は――」

 

 ヴァイスが二本の位相刃を重ねる。

 

「ここにいる!」

 

 紫色の十字が、ひび割れた黒い輪を切断した。

 

 第二ゼロ・アンカーが砕ける。

 

 黒零波の尾が、途切れた。

 

 蒼界の空で、十二台の飛行車が別々の進路を選び直す。

 

 紅界では、停止していた防壁がゆっくりと開く。

 

 人々の視界へ、迷うことのできる無数の道が戻った。

 

 

 F-03グレイヴは、まだ止まっていなかった。

 

 胸部の黒い核が割れ、砕けた杭の破片を吸い込んで膨張する。

 

『終端結果、維持』

 

『選択因子、全消去』

 

 白灰色の装甲が、内側から崩れていく。

 

 機体そのものを巨大な墓標へ変え、三機を巻き込んで自爆するつもりだった。

 

『爆発まで十四秒!』

 

『直ちに離脱してください!』

 

 ヴァイスは動かない。

 

 杭を失ったことで、選ばれなかった未来を渡る力の大半も失われていた。

 

『主動力、四十一パーセント低下』

 

『自力離脱は不可能です』

 

 フレアがヴァイスの右腕を掴んだ。

 

『運ぶよ!』

 

『放せ』

 

『この状況で格好つけないで!』

 

『違う。重心が崩れる』

 

 アズールが反対側を支える。

 

「確かに重い」

 

『お前まで言うのか』

 

『爆発まで九秒。重量に関する議論を終了してください』

 

 三機分の推力でも、爆発圏外には届かない。

 

 カインは膨張する黒い核を見た。

 

 無数の未来ではない。

 

 今、目の前にある構造だけを見る。

 

 核の下部に、破片が埋まりきらない細い排出口があった。

 

「二人とも、今度こそ放せ」

 

『理由は』

 

「死ぬためじゃない」

 

 ヴァイスが、残った推進力を両脚へ集める。

 

「生きるために、あれを止める」

 

 青い手と赤い手が、同時にヴァイスを放した。

 

 信用したのではない。

 

 カイン自身の選択を、奪わなかった。

 

 黒銀の機体がグレイヴへ突進する。

 

 二本の位相刃を一つに重ね、細い紫色の針へ変えた。

 

『排出口まで右〇・六メートル』

 

『推進力が不足。赤側から補助します』

 

 フレアがヴァイスの背中へ拳を当てた。

 

「殴るのか」

 

『押すの!』

 

『衝撃分類は打撃です』

 

『今は黙って!』

 

 赤い衝撃が、黒銀の機体を押し出す。

 

 ヴァイスの刃が、排出口へ正確に突き刺さった。

 

 膨張していた黒い出力が、細い穴から無人空域へ噴き出す。

 

 アズールが青い円環で流出方向を固定する。

 

 フレアがヴァイスの背を支える。

 

 三機の力が、一直線に重なった。

 

 黒い光が、誰もいない墓標帯の奥へ撃ち出される。

 

 F-03グレイヴの巨体が、内側から空洞になった。

 

『終端結果……未記録……』

 

『選択……継続……』

 

 白灰色の機体は、墓石のような破片となって静かに崩れた。

 

 爆発は、起きなかった。

 

 暗い空域に、三人の呼吸だけが残る。

 

『生きるために戦えるじゃない』

 

『一度成功しただけで評価するな』

 

「少なくとも、撃てという依頼には従わなくて正解だった」

 

『命令ではないと覚えていたか』

 

『そっちが気にするところなの?』

 

『補足します』

 

 フレアの機体AIが告げた。

 

『カイン・ヴァイスの生存選択回数を、一回として記録しました』

 

『消せ』

 

『重要な生体情報のため、拒否します』

 

 レンが小さく息を漏らす。

 

『笑ったか』

 

「機体AIの判断に同意しただけだ」

 

『それ、私に使った言い訳!』

 

 敵でもない。

 

 まだ仲間とも呼べない。

 

 それでも三人の間に残った沈黙は、もう色のないものではなかった。

 

 

 損傷したヴァイスは、ノア・ギア中央部の零位相格納区へ収容された。

 

 蒼界にも紅界にも完全には属さず、どちらからも観測だけができる区画である。

 

 レンは青側観測室。

 

 アカリは赤側観測室。

 

 二人の間には、まだ世界一つ分の距離がある。

 

 透明な位相窓を重ねることで、同じ格納庫に立っているように見えるだけだった。

 

 カインは二つの窓の中央で、ヴァイスの操縦席から降りる。

 

 アカリが先に口を開いた。

 

『思っていたより普通ね』

 

「何を想像していた」

 

『もっと怖い顔』

 

「戦闘中のお前を、記録映像で見せてやりたい」

 

『私、怖くないけど』

 

『参考情報』

 

 フレアの機体AIが映像窓を開く。

 

『操縦者が防壁を投げた際の表情です』

 

 画面いっぱいに、歯を食いしばるアカリの顔が映った。

 

『消して!』

 

『重要な戦闘記録です』

 

 カインの口元が、ほんの少しだけ動く。

 

 レンは見逃さなかったが、指摘はしなかった。

 

 格納区上部の通信器から、カナメの声が響く。

 

『カイン・ヴァイス』

 

 カインが顔を上げる。

 

『現時点で、君を我々の隊員とは認めない。これまでの敵対行動も消えない』

 

「当然だ」

 

『ただし保護対象として、艦内への一時滞在を許可する。ニル救出のための情報提供を求める』

 

「捕虜ではないのか」

 

『分類は保護対象です』

 

『暫定的に、敵意の高い協力者とも記録できます』

 

「余計な分類を増やすな」

 

『選択肢を増やすことが、本作戦の目的です』

 

 今度はアカリが吹き出した。

 

『正論だね』

 

「機械まで似ているのか」

 

『今から終端機関ゼロへ帰りたくなった?』

 

「少しな」

 

『却下』

 

「お前に決定権はない」

 

『でも、選択肢は減らせる』

 

「敵と同じことを言うな」

 

 短い笑いが途切れた時、二つのペンダントが白く光った。

 

 青側と赤側の位相窓、その中央へニルの像が現れる。

 

 輪郭は不安定で、声にも黒い雑音が混じっていた。

 

 それでも彼女の瞳は、まっすぐカインを見ている。

 

『思い出した』

 

 カインは答えない。

 

『あなたが、私に名前をくれた』

 

「遅い」

 

『ごめんなさい』

 

「その言葉も遅い」

 

『うん』

 

 ニルは言い訳をしなかった。

 

 忘却は自分の意思ではなかった。

 

 記憶を裂いたのは、二つの世界を保つためだった。

 

 それでも、忘れられた側の痛みが消えるわけではない。

 

 カインは拳を握る。

 

 許せない。

 

 許す準備もない。

 

 だが、もう一度名前を呼ばれる前に通信を切ることも、できなかった。

 

「ニル」

 

 少女が顔を上げる。

 

「今度は忘れるな」

 

『忘れない、とは約束しません』

 

 カインの眉が動く。

 

『また記憶を失うことがあっても、何度でも思い出します』

 

 七年前より、ずっと弱い約束だった。

 

 だからこそ、嘘ではなかった。

 

 カインは長く息を吐く。

 

「それでいい」

 

 ニルが初めて、端末ではない少女の顔で笑った。

 

 その直後、フレアの機体AIが報告する。

 

『未回収の水没防衛機について、任務延期を確認しました』

 

『今ここで!?』

 

 カインがレンを見る。

 

「何の話だ」

 

「長い話だ」

 

『長くない! みんなが忘れないから長くなってるの!』

 

 カインは、今度こそ小さく笑った。

 

 

 作戦室で、第二の杭の消滅が確認された。

 

 黒零波の拡大も停止している。

 

 蒼界と紅界には、無数の選択肢が戻った。

 

 だが、ユナの表情は晴れない。

 

「第三の杭の出力が、下がりません」

 

 黒い歯車の内部へ、青、赤、紫の三本の線が集まっている。

 

「むしろ上昇しています」

 

「第二の杭は破壊した」

 

 レンが言う。

 

「破壊の直前、ツイン・ギア・リンクがヴァイスの位相信号へ触れました」

 

 ユナが三本の線を拡大する。

 

「蒼界のレンさん。紅界のアカリさん。そして、どちらにも属さないカインさん」

 

 三つの光が、黒い歯車の中心で重なった。

 

「第三の杭は、三人が同じ瞬間を選ぶのを待っていた可能性があります」

 

 カインの声が、零位相格納区から届く。

 

『アウレルは俺を追わなかった』

 

「逃げられたからではなく?」

 

『あいつは、走れと言った』

 

 カインの顔から血の気が引く。

 

『最初から、俺がお前たちへ接触することまで計算していた』

 

 黒い歯車が、回転を速めた。

 

 蒼界の都市へ、紅界で崩落した橋が現れる。

 

 紅界の荒野へ、蒼界の高層建築が半透明のまま突き刺さる。

 

 二つの世界が、一つになるのではない。

 

 互いを異物としたまま、同じ場所へ押し込まれ始めていた。

 

第三ゼロ・アンカー 完全起動まで 残り十一時間五十九分

 

 ユナの声が震える。

 

「完全起動したら」

 

 カナメが問う。

 

「蒼界と紅界は、互いを排除しながら衝突します」

 

 二つの世界を守る時間が、数字となって減り始めた。

 

十一時間五十八分五十九秒。

 

十一時間五十八分五十八秒。

 

 カインが、紫色の座標を作戦卓へ送る。

 

『ニルのいる場所へ行く』

 

「ヴァイスは動けるのか」

 

『杭を失って、位相移動はほとんど使えない。それでも一度だけなら、零座標への道を開ける』

 

『俺が始めたことなら、俺が終わらせる』

 

 レンは首を振った。

 

「また一人で終わらせる答えを選ぶのか」

 

 赤側の窓で、アカリがペンダントを掲げる。

 

『三人で始まったなら、三人で止めよう』

 

 カインは、青と赤の二つの窓を見た。

 

 七年前、自分が未来の外側へ押し出した二人。

 

 その二人が今、自分を真ん中へ戻そうとしている。

 

「勝手な連中だ」

 

 その言葉に、初めて小さな笑いが混じった。

 

 

 終端機関ゼロの最深部。

 

 アウレルは、完全に開いた黒い歯車の前へ立っていた。

 

 ニルの収容室を囲む床から、青、赤、紫の光が立ち上がっている。

 

『カインを行かせたのですね』

 

「彼は自分で選んだ」

 

『あなたが、その選択を利用した』

 

「結果に違いはない」

 

『あります』

 

 ニルは、はっきりと否定した。

 

『同じ場所へ着いても、誰の意志で歩いたかによって、未来の意味は変わります』

 

 アウレルが、白い長衣の胸元を開く。

 

 その内側に、黒い円形装置が埋め込まれていた。

 

 第三の杭と、同じ形。

 

 黒い管は男の胸を貫き、背後の原型炉へつながっている。

 

『あなたが、最後の杭』

 

「正確には、私と炉で一つだ」

 

 アウレルの瞳へ、三色の光が映る。

 

「七年前は、二つの未来しか得られなかった」

 

 黒い歯車の中心に、巨大な扉が生まれた。

 

「だが今、青と赤と零が揃った」

 

『何を開くつもりです』

 

 アウレルは、扉の向こうにある青くも赤くもない空を見つめた。

 

「誰も何も選ぶ必要のなかった、最初の世界だ」

 

 扉の奥から、世界の産声に似た音が響く。

 

 救いを求める声にも聞こえた。

 

 すべてを呑み込もうとする怪物の声にも聞こえた。

 

 そしてノア・ギアの作戦登録欄へ、三人目の名前が加わる。

 

蒼羽レン

 

緋月アカリ

 

カイン・ヴァイス

 

 選ばれなかった少年は初めて、自分が生きる未来を選ぶ側に立った。

 

第6話「誰も選ばなかった世界」へ続きます。

 

 





 第5話は、カインの回でした。

 七年前、真ん中に道を作れと叫んだのは彼です。その結果として二つの世界ができ、彼だけがどちらにも入れなかった。今回、青と赤はその少年を撃たずに引き抜きました。

 よければ、ひとつだけ教えてください。
 刺さったのは「俺は、答えを聞くまで生きる」でしたか。それとも「忘れない、とは約束しません」というニルの返事でしたか。

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