双界機神インフィナイト   作:シラヌイ321

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未来が見えたなら、人は正しい答えを選べるのか。

第三ゼロ・アンカーの停止から一時間十三分。ニルを救出したレンたちの空に、四つの黒金の歯車が現れる。

新たな敵が求めるのは破壊ではない。

青、赤、零、そしてまだ存在しない「第四の選択」だった。
第7話キービジュアル↓

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第三篇「第四観測者篇」
第7話 第四の選択者


「未来を見た者は、それを運命と呼ぶ。

 

 未来を変えた者は、それを選択と呼ぶ」

 

 

 黒金の星は、夜が明けても消えなかった。

 

 蒼界〈そうかい〉。

 

 七年前の世界分裂で蒼羽レンが生き残り、青い技術都市を中心に復興した世界。

 

 その空には青白い朝日が昇っている。

 

 だが朝日のすぐ隣で、四つの黒金の歯車を背負った小さな点が回り続けていた。

 

 紅界〈こうかい〉。

 

 同じ世界分裂で緋月アカリが生き残り、赤い砂塵の中を人々の支え合いで生き延びてきた世界。

 

 方角も高度も違うはずの空に、まったく同じ黒金の点が浮かんでいる。

 

 二つの世界の人々は、互いの存在をまだ知らない。

 

 それでも今、同じものを見上げていた。

 

 蒼界と紅界を分裂前の原初界で上書きするための境界固定装置、第三ゼロ・アンカーが砕けてから、一時間十三分。

 

 最初の悲鳴は、蒼界中央都市の避難広場で上がった。

 

「来る……!」

 

 一人の女性が両腕で頭を抱え、その場へしゃがみ込む。

 

「塔が倒れる! 十秒後に、ここへ……!」

 

 彼女の目には、まだ起きていない光景が映っていた。

 

 黒い光が高層塔を切断する。

 

 巨大な瓦礫が避難広場へ落下する。

 

 青い機体が間に合わず、押し潰される。

 

 映像は三秒で消えた。

 

 女性が出口へ走る。

 

 一人が走れば、十人がつられる。

 

 避難中の群衆が狭い通路へ押し寄せ、警備柵が倒れた。

 

 小さな男の子が転ぶ。

 

 まだ落ちていない瓦礫より先に、人々の恐怖が事故を起こそうとしていた。

 

 青い円環が通路へ広がった。

 

「アイオン・ロック。外周柵を固定」

 

 倒れかけた柵が空中で止まる。

 

 蒼界機アズールが、男の子と群衆の間へ降り立った。

 

 蒼界機アズール。

 

 蒼羽レンが操縦し、青い円環による精密な位相固定を得意とする青銀の完全人型機だ。

 

 原初界での戦闘を終えたばかりの左腕には、本来の装甲とは色の違う灰色の応急板が巻かれている。

 

 傷だらけでも、その掌部コアは消えていなかった。

 

 レンは外部音声を開く。

 

「塔は倒れていません。走らないでください」

 

「でも、見たんです。十秒後に……」

 

 レンは操縦席の時刻を確認した。

 

 女性が未来を見てから、すでに二十秒が過ぎている。

 

 塔は立っている。

 

 黒い光も現れない。

 

「見えたことと、起きることは同じではありません」

 

 静かな声だった。

 

 だがレン自身へ言い聞かせる言葉でもあった。

 

 通信窓が次々に開く。

 

 列車が脱線する未来を見た運転士。

 

 病室の電力が止まる未来を見た看護師。

 

 家族が目の前から消える未来を見た子供。

 

 どの未来も、まだ起きていない。

 

 だが人々は、起きるかもしれない未来に追われて動き始めていた。

 

 レンの胸元で、青と赤の記憶のペンダントが震える。

 

 アズールとフレアを起動する位相鍵であり、人型端末ニルの記憶も守ってきた装身具だ。

 

 赤い通信窓に、緋月アカリの顔が映った。

 

『レン、そっちでも見えた?』

 

 紅界側では、紅界機フレアが崩れかけた共同居住区の屋根を支えている。

 

 紅界機フレア。

 

 緋月アカリが操縦し、瞬間加速と強力な近接打撃を得意とする赤金の完全人型機。

 

 右脚の外装は半分近く失われ、露出した冷却管から白い蒸気が漏れていた。

 

「未来の映像なら、蒼界全域で確認している」

 

『こっちは赤い防壁が全部崩れるところを、何百人も同時に見た』

 

「実際の被害は」

 

『建物は無事。避難しようとした人が集まりすぎて、床が一枚抜けた。軽傷が四人』

 

「こちらは三人。建物被害はゼロ」

 

『そうじゃなくて』

 

「何がだ」

 

『あなたは無事なの?』

 

 レンは一度、自分の両手を見た。

 

「無事だ」

 

『最初からそれだけ言いなさい』

 

「被害状況を聞かれたと思った」

 

『レンの被害状況も確認してるの』

 

「俺は建物ではない」

 

『知ってるわよ!』

 

 怒鳴り声を聞いた避難広場の男の子が、少しだけ笑った。

 

 レンはその声を聞き、反論をやめた。

 

 アカリも気づいたのか、それ以上は言わなかった。

 

 二人は同時に黒金の点を拡大する。

 

 四つの歯車が、一度だけ同じ角度で止まった。

 

 蒼界と紅界の空へ、同じ文字列が浮かぶ。

 

『自由選択反応を確認』

 

『青座標、保存』

 

『赤座標、保存』

 

『零座標、保存』

 

 一行の空白を置き、新しい言葉が続く。

 

『黄金座標、未生成』

 

『生成を要求する』

 

 レンとアカリは、自分たちの機体を見た。

 

 アズールの青い半円形コア。

 

 フレアの赤い半円形コア。

 

 二つが重なった時だけ、黄金の歯車が生まれる。

 

 フェイズ・ドッキング。

 

 青と赤の位相機能を重ね、双界機神インフィナイトへ合体するための機構だ。

 

『私たちに、合体しろって言ってる』

 

「命令に従う理由はない」

 

『初対面で合体を要求するなんて、距離感がおかしいわね』

 

「問題はそこか」

 

『少しは緊張をほぐしてるの。気づきなさい』

 

「今、気づいた」

 

『遅い』

 

 黒金の星から、二つの世界へ光が伸びた。

 

 攻撃ではない。

 

 空を覆うほど巨大な数字が表示される。

 

 五十九分五十九秒。

 

 五十九分五十八秒。

 

 黄金座標の生成期限が、音もなく減り始めた。

 

 

 境界航行母艦ノア・ギアの作戦室には、数千件の未来残響が積み重なっていた。

 

 未来残響。

 

 クアドラが人々へ見せる、数秒先に起こり得る未来映像。警告ではなく、それを見た者が何を選ぶか観察するための実験だった。

 

 ノア・ギアは蒼界と紅界へ半分ずつ存在し、二世界を同時に観測できる境界保全機構ARK-∞〈アーク・インフィニティ〉の母艦だ。

 

 戦術解析担当の白瀬ユナが、映像記録を発生条件ごとに分類していく。

 

「全映像の八割が、受信者の現在位置から十秒以内に発生する事故を示しています」

 

 御堂カナメ艦長が短く尋ねた。

 

「的中率は」

 

「二・一パーセントです」

 

「低いな」

 

「ただし、映像を見た人間が何も行動しなかった場合に限れば、七十一パーセントまで上がります」

 

 作戦室が静まった。

 

 カナメは表示された事故記録を見る。

 

「未来を見せ、回避するかどうかを観察しているのか」

 

「はい。警告ではありません」

 

 ユナは黒金の点から伸びる無数の細線を表示した。

 

「実験です」

 

 作戦卓の反対側には、白い長衣の男が拘束されていた。

 

 アウレル・ゼロ。

 

 終端機関ゼロを率い、蒼界と紅界を分裂前の原初界で上書きしようとした研究者である。

 

 第三アンカーを自ら停止したことで生き残ったが、彼が二世界へ与えた被害まで消えたわけではない。

 

 アウレルは黒金の星を見たまま言った。

 

「未来を観察しているのではない」

 

 壁際に立つカイン・ヴァイスの目が鋭くなる。

 

 七年前、レンとアカリの両方を救う第三の未来を提案し、その代償として二世界の外側へ落とされた青年だ。

 

「また言葉を変えて逃げるつもりか」

 

「事実を言っている。あれは未来ではなく、選択を集めている」

 

 作戦室中央に、白髪の少女が立っていた。

 

 青い右目。

 

 赤い左目。

 

 人型端末ニル。

 

 七年前、カインの提案を受けて世界を蒼界と紅界へ分け、三人を救った少女だ。

 

 透明な収容室から救い出された今、初めて自分の足でノア・ギアの床に立っている。

 

『名前を知っていますか』

 

 アウレルは数秒、答えなかった。

 

「人類側の記録名はQX-04」

 

 作戦卓に、四つの黒金歯車を背負う巨人の図面が現れる。

 

「第四観測機クアドラ」

 

 人類が造った記録はない。

 

 建造年代も、存在座標も不明。

 

 青、赤、零のどれにも属さない黒金の巨大機だった。

 

「七年前から知っていたのか」

 

 カナメの問いに、アウレルは頷く。

 

「名称と信号だけは」

 

「なぜ報告しなかった」

 

「当時の私は、インフィニティ・ギアが未来を見つけたと考えた」

 

 インフィニティ・ギア。

 

 分岐する未来を観測するため旧研究区画に建造され、七年前の暴走で世界を二つに割った巨大装置。

 

「未来を正しく観測できれば、損失の少ない答えを選べると信じた。だが、順序が逆だった」

 

「順序?」

 

 ユナが顔を上げる。

 

「我々が未来を見つけたのではない」

 

 図面の中の巨人が、ゆっくりこちらを向いた。

 

「未来の向こうにいたものが、我々を見つけた」

 

 ニルの両目が揺れる。

 

『七年前、私へ一人を選ぶよう要求した信号』

 

「原型炉の命令ではなかった。クアドラが送った、最初の選択実験だ」

 

 カインの拳が、アウレルの襟を掴んだ。

 

 拘束環が作戦卓へぶつかる。

 

「お前は、どこの誰かも分からないものの実験を子供にさせたのか」

 

「私は最適解を得られると――」

 

「その言葉はもう聞いた」

 

 拳が上がる。

 

 ニルの細い指が、カインの手首へ触れた。

 

 力で止められるはずはない。

 

 それでも拳は止まった。

 

『今は、次の選択が必要です』

 

「こいつを守るのか」

 

『守っていません』

 

 ニルはアウレルを見る。

 

『答えを聞き続けるために生かすと、あなたが選びました』

 

 カインはゆっくり襟を離した。

 

「言葉を覚えるのが早すぎる」

 

『褒め言葉として保存します』

 

「今のは違う」

 

『訂正を拒否します』

 

 作戦室の隅で、ユナが一瞬だけ口元を緩めた。

 

 アウレルは襟を直しながら、小さく息を吐く。

 

「私への扱いだけは、未来より改善されそうにないな」

 

 カインが振り向く。

 

「改善を望める立場だと思うか」

 

「今の発言は忘れてくれ」

 

『記録しました』

 

 ニルが答えた。

 

 アウレルは目を閉じた。

 

 カナメが作戦卓へ手を置く。

 

「黄金座標とは何だ」

 

 アウレルはアズールとフレアの構造図を開いた。

 

 二つの半円形コアが重なり、中央に黄金の歯車を作る。

 

「双界機神インフィナイトが存在する位相座標だ。青、赤、零は、分かれたまま選ぶ可能性を示す。黄金は、分かれたものが再び一つになる可能性を示す」

 

「クアドラは四つを集めて何をする」

 

「分からない」

 

 カインの視線が刺さる。

 

「だが、七年前の記録には一つだけ残っている」

 

 黒い記録窓が開く。

 

『四色の自由選択を取得後、終端座標から再接続する』

 

「終端座標……」

 

「我々は終界〈しゅうかい〉と仮称した」

 

 現在から分岐した可能性が、すべて終わった先。

 

 クアドラが存在すると推測される第四の座標だ。

 

 実在は、まだ確認されていない。

 

 作戦室の空へ残り時間が表示される。

 

 四十一分十二秒。

 

 カナメは全員へ告げた。

 

「アズールとフレアの合体を禁止する」

 

 アカリの通信窓が開く。

 

『戦力差を見てから決めるべきじゃない?』

 

「合体が敵の目的である以上、最初から渡すことはできない」

 

 カナメは一拍置いた。

 

「ただし、合体しなければ二世界を守れない状況になった場合、最終判断はレンとアカリに任せる」

 

「了解」

 

 レンは即答した。

 

 アカリは数秒遅れて頷く。

 

『了解』

 

 誰かが命じたからではない。

 

 二人は同じ保留を、自分の意志で選んだ。

 

 

 ノア・ギアの格納庫では、三機の応急修理が続いていた。

 

 整備主任の真壁ゲンゴが、アズールの左腕へ灰色の装甲板を打ちつける。

 

「左腕出力六十二パーセント。円環は三枚まで。それ以上出したら腕ごと落ちる」

 

 操縦席のレンが尋ねた。

 

「四枚必要になったら」

 

「三枚で何とかしろ」

 

「必要数は交渉できない」

 

「俺も壊れた腕とは交渉できん」

 

 隣では、フレアの右脚へ赤い冷却管が接続されている。

 

「フレアは瞬間加速を二回。三回目は保証しねえ」

 

『保証がないだけで、動くのね』

 

「そういう聞き方をする奴が一番嫌いだ」

 

『じゃあ、三回目はどうなるの?』

 

「機体が止まるか、俺の胃が止まる」

 

『二択なんだ』

 

「お前らが乗ると、だいたい後者だ」

 

 さらに中央では、黒銀機ヴァイスの片翼が外されていた。

 

 ZC-01ヴァイス。

 

 カインが操縦し、零座標へ短時間の亀裂を開く黒銀の完全人型機だ。

 

「ヴァイスは位相刃一本。零座標の開放は十秒以内」

 

 カインが腕を組む。

 

「十分だ」

 

「足りないと言う奴より信用できねえ」

 

「折れたら柄で戦う」

 

「訂正する。お前が一番信用できねえ」

 

 ゲンゴは三機を見上げた。

 

 青。

 

 赤。

 

 黒銀。

 

 どの機体も傷だらけだ。

 

 それでも、自分の両脚で立っている。

 

 格納庫上部の通路に、ニルが現れた。

 

 白い簡易服の上へ、青と赤の通信帯を巻いている。

 

 カインがすぐに気づいた。

 

「医療区画へ戻れ」

 

『機能検査は終わりました』

 

「身体の検査だ」

 

『身体も私の機能です』

 

「言い方を変えるな」

 

 ニルは昇降機で格納庫へ下りる。

 

『作戦中、ノア・ギアの観測席に入ります』

 

「駄目だ」

 

『本日四回目の拒否です』

 

「回数は聞いていない」

 

『前回まで理由が同一でした。今回は更新がありますか』

 

 カインは一瞬、答えに詰まった。

 

「救出された直後だ。クアドラとの接続で何が起きるか分からない」

 

『救出から一時間二十六分経過しました』

 

「直後だ」

 

『時間の定義に意見の相違を確認』

 

『ニル、そこは押しても勝てないと思う』

 

 アカリが笑いをこらえながら通信へ入る。

 

『カインは心配してるのよ』

 

『心配は、判断を停止する理由ですか』

 

 カインは黙った。

 

 ニルの声から可笑しさが消える。

 

『七年前の私は、観測する場所を選べませんでした』

 

 透明な収容室。

 

 原型炉の中心。

 

 誰かの命令を受け、誰か一人を選ぶだけの座標。

 

『今度は、自分で立つ場所を選びます』

 

「また装置へ戻ることになってもか」

 

『私は装置へ戻るのではありません』

 

 ニルは胸へ手を置いた。

 

『私が立つ場所を、観測席にします』

 

 似ているようで、まるで違う言葉だった。

 

『あなたが私へ名前をくれたのは、部品ではないと証明するためだったのでしょう』

 

「覚えていたのか」

 

『先ほど聞きました』

 

 アカリが吹き出した。

 

『それ、覚えてたとは言わないんじゃない?』

 

『聞いたことを保存しました』

 

「それでいい」

 

 レンが静かに答える。

 

「記憶は、最初から持っているものだけじゃない」

 

 ニルは頷いた。

 

 カインは長く息を吐く。

 

「俺の通信を切るな」

 

『許可ですか』

 

「条件付きだ」

 

『条件があっても、私が選んだ許可です』

 

「また言葉を覚えたな」

 

『今度は褒め言葉ですか』

 

「そうだ」

 

 ニルは目を細めた。

 

 笑顔と呼ぶには、ほんの少し足りない。

 

 けれどカインは、顔を背けるには十分だった。

 

 レンの通信窓にアカリが映る。

 

『フレアの加速は二回。三回目は、あなたが円環で引っ張って』

 

「勝手に俺を予定へ入れるな」

 

『でも、必要ならやるでしょ』

 

「必要ならな」

 

『ほら、予定に入った』

 

「今の会話で確定した覚えはない」

 

『聞いたことを保存しました』

 

 ニルが横から言った。

 

 アカリが声を上げて笑う。

 

 レンは数秒黙り、諦めたように操縦環を握った。

 

「ニル。覚える相手は選んだ方がいい」

 

『私が選びます』

 

 残り時間、二十一分。

 

 三機の発進準備が完了した。

 

 

 残り時間が零になった時、黒金の星は巨大化しなかった。

 

 代わりに、空が近づいた。

 

 蒼界の青い空。

 

 紅界の赤い空。

 

 二つの空の間へ、黒い面が一枚差し込まれる。

 

 ノア・ギアの周囲だけが、三色の境界空間へ切り離された。

 

 観測境界〈かんそくきょうかい〉。

 

 クアドラが青、赤、零の座標を同時に読み取るため作り出した、都市も住民も存在しない人工戦闘空間だ。

 

 上下すら定まらない暗闇に、青、赤、紫の細い地平線だけが走っている。

 

 その中央へ、黒金の足が降りた。

 

 アズールより大きい。

 

 フレアよりも、ヴァイスよりも大きい。

 

 三機を縦に重ねても頭部へ届かない。

 

 黒い装甲の隙間を金色の光が流れ、背後の四歯車が異なる速度で回転している。

 

 顔に目はない。

 

 縦に細い黄金の観測孔が、一本だけ開いた。

 

 QX-04クアドラ。

 

 正確には、遠い終界にある本体が送り込んだ観測投影体。

 

 投影された指先が空間へ触れただけで、ノア・ギアの船体が軋んだ。

 

『青座標、出撃』

 

 アズールが左舷発進路から飛ぶ。

 

『赤座標、出撃』

 

 フレアが右舷から加速する。

 

『零座標、出撃』

 

 ヴァイスが中央から二機の間へ出た。

 

 三機は合体しない。

 

 別々の身体で、黒金の巨人と向き合う。

 

 クアドラの声が、操縦席ではなく思考の内側へ響いた。

 

『黄金座標を生成せよ』

 

「拒否する」

 

『拒否反応を保存』

 

 アカリが赤い拳を構える。

 

『頼まれて合体する趣味はないの』

 

『非合理発話を保存』

 

『失礼ね!』

 

「解析は正確だ」

 

『レンはどっちの味方なの!』

 

「今のところ、記録上は赤座標の味方だ」

 

『言い方!』

 

『不要会話を除外』

 

 クアドラが告げる。

 

 カインの位相刃が紫色に光った。

 

「その不要な会話で、お前を倒す」

 

『敵対反応を保存』

 

「俺のは保存するのか」

 

『戦闘価値を確認』

 

 アカリが小さく笑う。

 

『カインだけ高評価ね』

 

「嬉しくない」

 

 四つの歯車が止まった。

 

『誘導戦闘を開始』

 

 レンが青い円環を放とうとする。

 

 その動作より先に、クアドラが左へ半歩動いた。

 

「まだ撃っていない」

 

 掌部コアから円環が放たれる。

 

 青い光は、クアドラが一秒前まで立っていた場所を通過した。

 

 フレアが背後へ回る。

 

 赤い拳を引くより先に、黒金の肘が後方へ突き出された。

 

『何で――』

 

 胸部へ直撃。

 

 フレアが赤い地平線を何度も跳ねる。

 

 ヴァイスが零座標へ亀裂を開いた。

 

 クアドラは振り向かない。

 

 背後の第三歯車だけが逆回転し、亀裂から現れたヴァイスへ金色の刃を撃ち込んだ。

 

 黒銀機が位相の出口から弾き出される。

 

「行動前に読まれている」

 

 ノア・ギアからユナの解析が届く。

 

『クアドラは三機の位相信号を、行動より〇・八三秒先に取得しています』

 

 先行観測〈プレ・サイト〉。

 

 操縦者が決断した瞬間に生じる位相変化を読み、機体が動く前に結果を予測するクアドラの機能だ。

 

 起きた行動を戻しているのではない。

 

 起きる前に、すでに避けている。

 

 フレアが立ち上がった。

 

『〇・八三秒なら、もっと速く動けばいい!』

 

「決めた時点で読まれる。速さの問題じゃない」

 

『やってみないと分からない!』

 

「その言葉を決めた時点で、向こうには分かってる」

 

『ややこしい!』

 

 一度目のフレア・ドライブが起動する。

 

 瞬間加速が始まる前に、クアドラの掌が進路を塞いだ。

 

 フレアは止まれない。

 

 正面から黒金の掌へ激突し、応急修理した右脚が大きく歪んだ。

 

『速さじゃない……』

 

「だから言った」

 

『今は言わなくていい!』

 

 レンは三機の出力線を開く。

 

「トライ・ギア・リンク」

 

 アズール、フレア、ヴァイスの操縦権を共有せず、出力と選択時刻だけを繋ぐ三相連携方式。

 

 青、赤、紫の輪が三機の間へ並んだ。

 

 三つの意志を同時に重ねれば、先読みできる情報量を超えられる。

 

 接続率、三十三パーセント。

 

 クアドラの第一歯車が青く光る。

 

 六十六パーセント。

 

 第二歯車が赤く光る。

 

 百パーセント。

 

 第三歯車が紫に光った。

 

 三機が動くより先に、第四歯車が黄金へ変わる。

 

『連携結果を予測』

 

 操縦席へ、まだ起きていない戦闘が映し出された。

 

 アズールが左腕を伸ばす。

 

 フレアが右側から踏み込む。

 

 ヴァイスが中央の歯車を切る。

 

 クアドラが青い腕を掴み、赤い機体を蹴り、紫の刃を第四歯車で折る。

 

 映像が消えた。

 

 現実の三機が、まったく同じ動きを始める。

 

 黒金の手がアズールの左腕を掴んだ。

 

 脚がフレアの腹部へ突き刺さる。

 

 第四歯車がヴァイスの位相刃を挟み、根元から折った。

 

 三機が同時に地面へ落ちる。

 

『連携反応を保存』

 

 クアドラの胸部へ数字が浮かんだ。

 

 三機による勝率、〇・〇〇四パーセント。

 

 その下に、別の数字が現れる。

 

 双界機神インフィナイトによる勝率、十八・七パーセント。

 

 アカリが数字を見つめた。

 

『合体すれば、届く』

 

「見せられた数字を信じるな!」

 

 カインが叫ぶ。

 

『でも、このままじゃ一回も触れない!』

 

 クアドラは追撃しない。

 

 三人が何を選ぶか観察していた。

 

 レンは、その沈黙に気づいた。

 

「アカリ。合体開始信号だけ送る」

 

『何を考えてるの』

 

「確かめる」

 

『あとで説明して』

 

「俺にも結果は分からない」

 

『それ、説明になってないからね』

 

 二つの半円形コアが回転する。

 

『フェイズ・ドッキング、準備』

 

 アズールとフレアの間に、黄金の火花が生まれた。

 

 その瞬間、クアドラの四歯車がすべて開く。

 

 攻撃姿勢が解除された。

 

 黒金の胸部から、二機を迎え入れるように黄金線が伸びる。

 

『黄金座標、生成開始』

 

 カインが折れた位相刃を投げた。

 

 紫色の刃が、二つのコアを繋ぐ光へ突き刺さる。

 

 合体準備が中断された。

 

 クアドラの黄金線が空を掴む。

 

「やはり、合体そのものが目的だ」

 

 レンが接続を閉じる。

 

 アカリも赤いコアを停止させた。

 

『危なかった……。カイン、ありがとう』

 

「礼は帰ってから聞く」

 

『帰ったらゲンゴさんの説教もあるけど』

 

「今、聞いたことにする」

 

『黄金座標、生成失敗』

 

 クアドラの声が、初めて低く歪んだ。

 

『強制生成へ移行』

 

 四つの歯車が一斉に回転する。

 

 観測境界のすべてが、未来の映像へ塗り替えられた。

 

 

 レンの前に、蒼界の未来が現れた。

 

 青い都市は残っている。

 

 空も建物も崩れていない。

 

 ただし、紅界へ続く通信窓が一つもなかった。

 

 双界機神インフィナイトが都市中央に立っている。

 

 青い左半身。

 

 赤い右半身。

 

 黄金の胸部。

 

 だが、赤い操縦席にアカリはいない。

 

『紅界を切り離せば、蒼界は生存する』

 

 未来のレンが、一人で操縦環を握る。

 

『合理的だ』

 

 黄金の剣が紅界へ振り下ろされた。

 

 レンは目を逸らさない。

 

 その未来を、自分から最も遠いものだと言い切れなかった。

 

 どちらか一方しか救えない瞬間が来た時。

 

 数字だけを見れば、選ぶ可能性はある。

 

 だからこそ恐ろしかった。

 

 アカリの前には、崩壊した蒼界が映っていた。

 

 フレアの拳が青い境界炉を貫き、固定機能を失った都市が空へほどけていく。

 

『迷わず前へ進んだ結果、蒼界は失われる』

 

 未来のアカリが、崩れる街へ何度も手を伸ばす。

 

『止まって考えていれば、救えた』

 

 アカリの拳が震えた。

 

 考えるより先に動いたから救えた人がいる。

 

 同じ理由で、傷つける人が生まれる可能性もある。

 

 カインの前には、何もない零界が広がっていた。

 

 ヴァイスは中央の杭になっている。

 

 青と赤の世界を支えながら、黒銀の身体が少しずつ透明になる。

 

『最終的に、お前は再び一人で残る』

 

 未来のニルが遠くから名前を呼んでいる。

 

 声は届かない。

 

『それが、お前に最も適した役割だ』

 

 七年前と同じ答えだった。

 

 自分一人が消えれば、他が助かる。

 

 一度それを選んだ自分なら、もう一度選ぶかもしれない。

 

 三つの未来が通信回線へ流れ込む。

 

 レンは、アカリが蒼界を壊す姿を見る。

 

 アカリは、レンが紅界を切る姿を見る。

 

 二人は、カインが何も告げず中央へ残る姿を見る。

 

 互いの弱さを知ったことで、三機の間に距離が生まれた。

 

 クアドラが一歩踏み出す。

 

『疑念反応を保存』

 

 アズールが円環を構える。

 

 だが、フレアの進路と重なる未来が頭をよぎる。

 

 撃てない。

 

 フレアが踏み込もうとする。

 

 その先に青い境界炉が見える。

 

 進めない。

 

 ヴァイスが中央へ移ろうとする。

 

 自分が消えれば、また二人とニルへ同じ傷を残す。

 

 動けない。

 

 黒金の腕が三機を薙ぎ払った。

 

 未来ではない衝撃が、現在の装甲を砕く。

 

 アズールの左腕が動かなくなる。

 

 フレアの右脚が地面へ沈む。

 

 ヴァイスの片翼が完全に落ちた。

 

 ノア・ギアの観測席で、ニルが三人の未来を見ていた。

 

『これは、嘘ですか』

 

 ユナは首を振る。

 

「映像に改変された痕跡はありません」

 

 拘束席のアウレルが言う。

 

「クアドラは嘘をつかない」

 

『なら、あれが未来だと言うのか』

 

 カインの声が荒くなる。

 

「違う」

 

 アウレルは黒金の巨人を見た。

 

「嘘をつかないことと、すべてを見せることは同じではない」

 

 ユナが三つの未来の周囲へ、隠されていた可能性を表示する。

 

 無数の細い線があった。

 

 レンが紅界を切らない未来。

 

 アカリが立ち止まり、仲間へ尋ねる未来。

 

 カインが中央から帰る未来。

 

 どれも確率は低い。

 

 だが、零ではない。

 

「クアドラは、人間が最も恐れる未来だけを選んでいる」

 

『なぜですか』

 

「恐怖を与えれば、選択は狭くなる」

 

 アウレルは胸の傷へ触れた。

 

「七年前の私と同じだ。損失を見せ、一つしかない答えへ追い込む」

 

 ニルはクアドラの観測記録を開く。

 

 青座標、自由選択体。

 

 赤座標、自由選択体。

 

 零座標、自由選択体。

 

 自分の識別欄を探した。

 

 N-0、観測補助端末。

 

 自由選択体ではない。

 

 人ではなく、装置として記録されている。

 

『私の未来がありません』

 

「クアドラは、あなたを予測対象に入れていません」

 

 ユナの答えに、ニルは自分の両手を見た。

 

 七年前も、装置は彼女へ一人を選ばせた。

 

 アウレルも、彼女を演算部品として扱った。

 

 未来の向こうにいるものまで、同じ分類をしている。

 

 ニルには選択がないと、勝手に決めている。

 

 彼女は観測席の固定具を外した。

 

『カイン』

 

『何だ』

 

『私は、あなたの命令に従ったことがありますか』

 

 一瞬の沈黙。

 

『ない』

 

『では、今回も同じです』

 

『今だけは素直になれ』

 

『拒否します』

 

 アカリが苦しそうな息の合間に笑う。

 

『そこだけ息ぴったりじゃない』

 

『ニル、接続を切れ。あれに触るな』

 

『私が選びます』

 

 ニルは両手を観測卓へ置いた。

 

 青い右目がアズールへ接続する。

 

 赤い左目がフレアへ接続する。

 

 二つの視界の中央に、ヴァイスの紫色の座標を置いた。

 

 だが、トライ・ギア・リンクは開かない。

 

 三人の意志を一つの計画へまとめれば、その瞬間に読まれる。

 

 ならば、まとめなければいい。

 

 ニルは一人ずつ、違う言葉を送った。

 

 レンへ。

 

『外してください』

 

「敵をか」

 

『狙いをです』

 

 アカリへ。

 

『青い円環が止まってから、決めてください』

 

『何を?』

 

『それも、その時に』

 

 カインへ。

 

『私が名前を呼ぶまで、刃を抜かないでください』

 

『無茶な条件だ』

 

『三人から学びました』

 

『それ、絶対カインの影響よ』

 

『お前だろう』

 

「二人ともだ」

 

 レンが言った。

 

 作戦の全体を知る者は、一人もいない。

 

 ニル自身さえ、結末を決めていない。

 

 クアドラが先行観測を始める。

 

 レンの決断が読まれる。

 

 アズールは残った二枚目の円環を放つ。

 

 狙いはクアドラではない。

 

 黒金の巨人から大きく外れた、何もない空間。

 

 クアドラは動かなかった。

 

『無効行動を確認』

 

 青い円環が空中で止まる。

 

 ニルは、その位置を見てから次を選んだ。

 

『アカリ。乗ってください』

 

『了解!』

 

 二度目のフレア・ドライブが起動する。

 

 クアドラは赤い進路を〇・八三秒先に読む。

 

 正面から来る。

 

 そう予測し、黒金の掌を前へ出した。

 

 だがフレアは、空中に残る青い円環を踏む。

 

『レン、借りる!』

 

「返却期限は今だ」

 

『細かい!』

 

 青い固定円環が、赤い加速を横へ曲げる軌道へ変わる。

 

 レンが放った時点では存在しなかった使い道。

 

 アカリが見てから選んだ、新しい続き。

 

 フレアは直角に進路を変え、クアドラの右肩へ向かう。

 

 先行観測が更新された。

 

 クアドラは右肩の第一歯車を前へ出し、フレアを挟もうとする。

 

 その動きで、背中と第三歯車を繋ぐ金色の軸が露出した。

 

 ニルは初めて、その標的を見る。

 

 カインも、まだ刃を抜いていない。

 

『カイン!』

 

 名前が届く。

 

 カインはその瞬間に、初めて攻撃先を選んだ。

 

 ヴァイスが折れた位相刃の残骸を抜く。

 

 零座標を十秒だけ開き、露出した軸の真横へ現れた。

 

 クアドラが予測できたのは、カインが動く〇・八三秒前。

 

 だが標的が生まれたのは、〇・二秒前。

 

 予測が間に合わない。

 

「位相断ち!」

 

 紫色の残刃が金色の軸を切断する。

 

 第三歯車が傾いた。

 

 クアドラの巨体が初めて姿勢を崩す。

 

『未登録結果を確認』

 

 ニルは次の指示を送らなかった。

 

 レンが傾いた歯車を見る。

 

 自分で選ぶ。

 

 最後の青い円環を放ち、第三歯車を現在位置へ固定した。

 

 アカリが固定された歯車を見る。

 

 自分で選ぶ。

 

 フレアは右肩への攻撃をやめ、円環の内側へ拳を叩き込んだ。

 

 赤い衝撃が、固定された金色の軸だけを逆流する。

 

 カインが震える観測孔を見る。

 

 自分で選ぶ。

 

 ヴァイスは零座標の亀裂を、観測孔の背後へ繋げた。

 

 三人が同じ計画を実行しているのではない。

 

 一人の行動が終わる前に、次の一人が新しい意味を選ぶ。

 

 未来の結末を、順番に預け合っている。

 

 未観測連携〈アンノウン・リレー〉。

 

 最終結果を事前に決めず、直前の仲間が生み出した状況を見て、次の者が新たな行動を選ぶ連携方式。

 

 一人分の未来を見ても、次の一人はまだ結末を選んでいない。

 

 クアドラの四歯車が不規則に回り始める。

 

『未来分岐を再計算』

 

『青座標、予測不能』

 

『赤座標、予測不能』

 

『零座標、予測不能』

 

 ニルは観測卓から、最後の選択をした。

 

 三機へ指示を出すのではない。

 

 クアドラが二世界へ流している観測信号を、自分へ接続する。

 

 ユナが振り向いた。

 

「何をするつもりですか」

 

『私の選択を、見せます』

 

「予測対象になれば、読まれます」

 

『読まれても構いません』

 

 ニルの青い右目と赤い左目が強く光った。

 

『私は、読まれた後でも選び直せます』

 

 N-0の識別欄へ、初めて未来分岐が生まれた。

 

 一つ。

 

 十。

 

 百。

 

 数え切れない光の線が、観測記録の外へ広がっていく。

 

 人は、一度選んだ答えだけで出来ているのではない。

 

 間違える。

 

 迷う。

 

 誰かの声を聞く。

 

 そして、選び直す。

 

 クアドラの処理が止まった。

 

 その〇・八三秒を、三機は逃さない。

 

「今を固定する!」

 

 アズールの青い円環が、クアドラの観測孔を止める。

 

『その先は、私が決める!』

 

 フレアの赤い拳が、固定された観測孔へ届く。

 

「戻る道は切った!」

 

 ヴァイスの紫色の亀裂が、観測投影体と終界を繋ぐ黒金の光を断つ。

 

 青、赤、紫の衝撃が観測孔の一点へ集まった。

 

 ニルが、四人目の声を重ねる。

 

『私たちの未来を、あなたが決めないで!』

 

 黄金ではない光が爆発した。

 

 観測孔に亀裂が走る。

 

 第一歯車が砕ける。

 

 第二歯車が停止する。

 

 第三歯車が零座標へ落ちる。

 

 第四歯車だけが、ゆっくり回り続けた。

 

 黒金の巨体が膝をつく。

 

 観測境界を覆っていた未来映像が、すべて消えた。

 

 蒼界は、まだ蒼界として存在している。

 

 紅界も、まだ紅界として存在している。

 

 誰も、見せられた未来を運命として選ばなかった。

 

 

 クアドラの観測投影体は、崩れながら三機を見た。

 

 黄金座標は生まれていない。

 

 双界機神インフィナイトは起動していない。

 

 敵の目的を達成させずに勝った。

 

 そう思った。

 

 クアドラの胸部へ、新しい文字が現れるまでは。

 

『N-0端末、分類を更新』

 

 ニルの観測席へ黒金の光が差し込む。

 

 カインがヴァイスをノア・ギアの前へ移動させた。

 

「ニルから離れろ」

 

『命令ではない』

 

 クアドラは答える。

 

『観測結果である』

 

 N-0、観測補助端末。

 

 その文字が消えた。

 

 代わりに、新しい分類が刻まれる。

 

 N-0、第四自由選択体。

 

『第四の選択者を確認』

 

 レンが意味を理解した。

 

「黄金座標の代わりに、ニルの選択を取得したのか」

 

『四色は座標を意味しない』

 

『異なる四者が、同一の未来へ自由意志で到達することを意味する』

 

 アカリの表情が強張る。

 

『最初から、合体だけが条件じゃなかった』

 

『黄金座標は最短経路だった』

 

 第四歯車が大きく開く。

 

 その奥に、星のない空間が見えた。

 

 黒金の腕。

 

 都市ほど巨大な胸部。

 

 無数の歯車に囲まれた本体。

 

『青、赤、零、第四選択を取得』

 

『再接続条件、成立』

 

 アウレルが拘束席から立ち上がろうとする。

 

「待て。何へ再接続する」

 

 クアドラは答えない。

 

 二つの世界の空へ、同じ数字だけを残した。

 

 七十二時間零分零秒。

 

『終界接続を開始』

 

 観測投影体が崩壊した。

 

 黒金の破片は地面へ落ちず、未来の映像と同じように消えていく。

 

 観測境界が開く。

 

 アズールは蒼界の空へ戻る。

 

 フレアは紅界の空へ戻る。

 

 ヴァイスとノア・ギアは二世界の中央へ帰還する。

 

 別々の場所。

 

 それでも、四人の通信は繋がっていた。

 

『ニル』

 

 カインが最初に呼ぶ。

 

『はい』

 

『無事か』

 

『はい』

 

 少し間を置いて、ニルが続けた。

 

『私が選んだことで、敵を呼びました』

 

 カインは否定しない。

 

「そうだ」

 

 ニルの目が伏せられる。

 

「だが、お前のせいにしていい理由にはならない」

 

『違いが分かりません』

 

「なら、これから覚えろ。選んだ責任と、全部を一人で背負うことは別だ」

 

 アカリが通信へ入る。

 

『選ばなかったら、三人とも負けてた』

 

「正しかったかは、まだ決まっていない」

 

 レンは黒金の数字を見る。

 

「七十二時間後までに、選んだ結果を変えればいい」

 

『間違えたら、次を選ぶ』

 

 アカリが笑う。

 

「俺たちは、そうやってここまで来た」

 

 カインがヴァイスを着艦軌道へ乗せる。

 

 ニルは胸へ手を当てた。

 

 自分の中に、新しい記憶がある。

 

 誰かから与えられたものではない。

 

 透明な収容室で計算した答えでもない。

 

 仲間へ言葉を送り、自分で未来を変えた記憶。

 

『では、次も選びます』

 

 そこへゲンゴの声が割り込んだ。

 

『話がまとまったなら、帰った順に格納庫で正座しろ』

 

『機体が?』

 

 アカリが尋ねる。

 

『お前らがだ!』

 

「修理時間は」

 

 レンが真面目に聞く。

 

『三日』

 

「説教時間は」

 

『一時間』

 

「では、先に説教を」

 

『修理を先にすると逃げるだろうが!』

 

 アカリの笑い声が、二世界の間へ響いた。

 

 カインが小さく息を吐く。

 

『帰る場所が騒がしいな』

 

『嫌ですか』

 

 ニルが問う。

 

「いや」

 

 今度の答えに、迷いはなかった。

 

 カナメの声が全回線へ響く。

 

『ノア・ギア総員へ。終界接続まで七十二時間』

 

『三機の修復を最優先。蒼界、紅界の全避難区画を再編する』

 

『そして、二つの世界へすべてを公開する』

 

 ユナが振り向く。

 

「クアドラと終界の情報をですか」

 

『それだけではない』

 

 カナメは蒼界と紅界の地図を同時に開いた。

 

『互いの世界が存在することもだ』

 

 作戦室が静まる。

 

 これまで、二世界の存在を知る市民は限られていた。

 

 混乱を避けるため。

 

 争いを起こさないため。

 

 守るという理由で、真実を隠してきた。

 

 だが、二つの空には同じ七十二時間が表示されている。

 

 もう片方の世界を知らずに、次の未来を選ぶことはできない。

 

 アウレルが低く呟く。

 

「公表すれば、二世界は互いを恐れる」

 

『恐れるだろう』

 

「統合を望む者と、切断を望む者に分かれる」

 

『それも隠さない』

 

「争いになる」

 

 カナメは黒金の数字を見る。

 

『だからといって、選ぶ権利まで奪うことはできない』

 

 アウレルは答えなかった。

 

 七年前の自分が最初に捨てたものを、カナメは危険ごと人々へ返そうとしている。

 

 

 蒼界の広場で、レンはアズールを降りた。

 

 朝に未来を見た女性が、まだ高層塔を見上げていた。

 

「塔は倒れませんでした」

 

「はい」

 

「私が逃げたからですか」

 

 レンも塔を見る。

 

 倒れる兆候はない。

 

「分かりません」

 

 女性は不安そうに目を伏せた。

 

「でも、分からないまま次を選ぶことはできます」

 

 レンの言葉に、女性はもう一度、倒れなかった塔を見上げた。

 

 紅界では、アカリが共同居住区の子供たちに囲まれていた。

 

 一人の少年が、黒金の星を描いた紙を見せる。

 

 四つの歯車。

 

 その下には、青と赤の小さな人が手を繋いでいた。

 

「あっちの青い世界にも、人がいるの?」

 

 アカリは一瞬だけ迷う。

 

 間もなく、すべてが公表される。

 

 けれど少年は、もう同じ空の向こうを見ている。

 

「いるよ」

 

 アカリは答えた。

 

「私たちと同じように、怖がったり、笑ったり、誰かを守ろうとする人がいる」

 

「会える?」

 

 七十二時間後に何が起きるか分からない。

 

 レンとさえ、まだ同じ地面に立ったことがない。

 

 それでもアカリは笑った。

 

「会うよ」

 

 未来を知っているからではない。

 

 そうしたいと、今選んだからだった。

 

 

 終界接続まで、七十一時間五十九分五十九秒。

 

 七十一時間五十九分五十八秒。

 

 数字が減り始める。

 

 蒼界と紅界の全通信網へ、ノア・ギアから最初の共同放送が送られた。

 

 青い画面には赤い世界が映る。

 

 赤い画面には青い世界が映る。

 

 互いを初めて知った人々の声が、二つの空の下で一斉に上がった。

 

 驚き。

 

 恐怖。

 

 怒り。

 

 そして、わずかな希望。

 

 そのすべてを、遠い終界のクアドラ本体が観測していた。

 

 都市ほど巨大な胸部の奥。

 

 閉じていた透明な収容槽へ、四本の光が届く。

 

 青。

 

 赤。

 

 紫。

 

 そして白。

 

 収容槽の中で、誰かの指が動いた。

 

「第四の選択者を、確認」

 

 機械音声ではない。

 

 白い髪の少女が、ゆっくり目を開く。

 

 右目は黒。

 

 左目は金。

 

 少女は、まだ見えない二つの世界へ手を伸ばした。

 

「ようやく、帰れる」

 

 その声は、ニルとよく似ていた。

 

 ただ、言葉の終わりにだけ、泣きそうな喜びが混じっていた。

 

 未来の向こうにいた誰かもまた、こちらへ帰ることを選んだ。

 

 それが誰の現在を奪うのかを、まだ誰も知らない。




最後までお読みいただき、ありがとうございます。

第7話では「未来を読む敵」に対し、四人が完成した作戦ではなく、その場で仲間へ続きを預けることで立ち向かいました。

ニルの「私は、読まれた後でも選び直せます」が、今回の中心となる一行です。

そして、終界接続まで残り七十二時間。

最後に目覚めた黒と金の瞳の少女は、ニルとどのような関係にあるのか。次回、第8話「終界の少女」へ続きます。

あなたなら、恐ろしい未来を見せられた時、その未来を信じますか。それとも、選び直しますか。印象に残った人物や台詞も、感想で教えていただけるとうれしいです。

第1期は完結まで執筆済みです。毎日21時に更新予定です。

新しく登場した用語

第四観測機クアドラ

青、赤、零の自由選択を集める黒金の巨大機。本話で戦ったものは、終界に存在する本体の観測投影体です。

未来残響

クアドラが人々へ見せる、数秒先に起こり得る未来映像。警告ではなく、その映像を見た者が何を選ぶか観察するために使われます。

先行観測〈プレ・サイト〉

操縦者の決断を機体が動く〇・八三秒前に読み取る、クアドラの予測機能です。

未観測連携〈アンノウン・リレー〉

結末を先に決めず、一人が作った状況を見て次の一人が新しい行動を選ぶ連携方式です。

終界〈しゅうかい〉

クアドラ本体が存在する第四の座標。現在から分岐した可能性がすべて終わった先と推測されています。
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