この繁栄は永くは続くまい。
技術の発展は続いている。病気は撲滅され、老化も寿命も我々は克服した。環境問題も生物工学によって克服出来る。我々はこの先ももっと、際限無く豊かになる。
多くの人が信じて疑わないのと同じ夢を、自分は持つ事が出来なかった。
不老化による世代交代の停止、富と権力の固定化、国家間対立の慢性化、環境改造技術の暴走、生物工学・兵器技術の高度化、社会階層間の断絶、大量破壊能力の拡散、統治制度への信頼低下、エトセトラエトセトラ…
明日なのか一年後なのかは分からないが…遠くない未来には、きっと今の繁栄が夢と思えるような世界がやって来る。
鉄の雲が空を覆い、硫酸の雨が降り、オゾンは消えて有害な太陽光が降り注ぎ、肺を腐らせる大気が満ち、病原菌が蔓延するまさに末世とも呼ぶべき世界が。
真に富を持つ者はその危険についてこそ考え、そして備えねばならない。
シェルターでは足りない。地下壕は土地に縛られる。
核ミサイルが降ってきたら? 地殻変動が起きたら? 設備が故障したら? 入り口を軍隊に囲まれたら?
『施設に逃げ込むのでは駄目だ。施設そのものを私についてこさせろ』
だが人は一人では生きられない。
医者、料理人、兵士、技術者…自分が生きていく為に必要な職業はいくらでも挙げられる。しかしながら次に考えるのはこれだ。
『そいつらは誰が守る? 世界が滅んだ後も、彼等が私に従う保証はあるのか?』
科学者が尋ねてくる。
『想定する災害の規模は?』
『世界が滅んだものとして考えろ。上限を設けるな』
『補給拠点は?』
『存在しないものとして考えろ』
『…医療施設へのアクセスは?』
『全世界の病院が消滅したものと考えろ』
『……整備施設は?』
『工場も技術者も全滅したものとしろ』
『…………友軍は?』
『存在しない』
『………………………政府による救援は?』
『政府が残っているのなら、これは必要無い』
『………………………………運用期間は?』
『私が死ぬ迄だ。尤も、寿命で死ぬつもりは無いがな』
『…………………………………………予算の上限は?』
『無い、好きな額を言え』
やがて箱形のような設計図が提出される。私はそれを一目するなり破り捨てた。
『醜い』
『しかし要求を満たすにはこの形が…』
『世界が滅びた後で、私がこんな棺桶のような機械から這い出てどうする。私が生き残った、選ばれし至尊の存在である事を、誰が見ても一目で理解出来るような形にしろ』
そうして多くの企業のエンジニアや科学者、医師やデザイナー等あらゆる分野のスペシャリストが集められてプロジェクトが始まる。それぞれの者は全体像を知らず、それらしくでっち上げられた別々の名目で研究が進んでいった。
腐海に入る事を、谷の大人達は好まない。
無論、それには十分な理由がある。
腐海の瘴気を吸えば、人は肺を冒される。
マスクを外せばものの一分で咳が出始め、五分もあれば肺が腐れ落ちて命を失うのに十分過ぎる。巨大な蟲も棲息しており、まかり間違って刺激すれば何千何万という群れを呼び寄せる事さえある。
あらゆる要素が人の生存どころか存在そのものを拒絶しているかのような場所だ。
だがナウシカは、そんな腐海が好きだった。
毒を吐く菌類も、そこに棲む蟲達も、理由も無く人を害している訳ではない。
知らないから恐ろしい。ならば知れば良い。
幼い頃からそう考えていたナウシカにとって、谷の人々が「腐海遊び」と呼ぶ行いは恐怖よりも好奇心の方が勝る遊びであり、同時に未知を既知とする為の研究でもあった。
その日は、特に何かを探していた訳ではない。
メーヴェを腐海の縁に降ろし、胞子を採取しながら森の奥へ入っていた時の事だった。
「……?」
足を止める。
風がある。
腐海の奥では空気の流れが複雑になる。菌類の巨大な傘や幹、入り組んだ根が風を遮るからだ。
だが、その風は妙だった。
地面の下から吹いている。
ナウシカはしゃがみ込み、手袋越しに地面へ手を当てた。
胞子に覆われた土。
その下から、ごく微かに冷たい空気が漏れている。
「穴があるのね」
周囲を探す。
腐朽した菌糸を掻き分けると、地面に四角形の穴が出来上がった。
自然界には無い直線。この穴が人工物である証拠だ。
小さな火を放り込んで内部に空気がある事、戻れない傾斜や深さではないことを確認すると、慎重にその穴へと体を入れる。
中は暗かった。ライトを灯す。
光が闇を追い払って浮かび上がらせたのは、明らかに何かの建物であったのだろう空間だった。
壁は金属製だ。だがその殆どは錆びて赤黒く腐食し、ボロボロになって所々に菌糸が入り込んでいる。
床に散乱した器具も触れれば崩れそうなほどに劣化して、朽ち果てていた。
「ずっと昔の……」
火の七日間の前の遺跡。
そのように結論付けるのは容易だった。
だが風の谷の周辺に、これほど大きな遺跡が存在するという記録は無い。
恐らく長い年月の間に土砂に沈み、更にその上を腐海の植物が覆い、入口が失われ、人の記憶からも忘れ去られていたのだろう。
ナウシカは慎重に奥へ進む。
途中、突き出していた金属片が体に引っ掛かった。
「あっ」
不意の痛みに小さな悲鳴が出て、僅かに顔が歪む。
手首の外側を僅かに切った。薄く血が滲む。掠っただけで、大した傷ではない。
ナウシカは反対側のグローブで、その血を拭った。見立て通り傷は浅手ですぐに出血は止まる。
少しだけグローブが汚れた。
それだけの事だった。
やがて、広い空間へ出る。
ナウシカはそこで立ち止まった。
「……きれい」
思わず、そんな言葉が零れた。
語彙力に乏しいと言われるかも知れないが、それ以外の表現が見付からなかった。
そこには一羽の鳥が居た。
否、鳥ではない。機械だ。機械の鳥。
体はナウシカよりもずっと大きい。
全身は金属ともセラミックとも石とも違う、独特の光沢を持った材質で造られていて、まるで彫像のようだ。少なくとも有機体ではない。
巨大な翼を畳んで身体へ沿わせ、眠るように長い首を伏せている。
頭部には触角のようでもあり角のようでもある突起があり、後方には三本の尾が長く伸びていた。
陶器のように滑らかであり、紅く輝く全身。随所を縁取る黄金。
幾重にも重なる羽根は一枚ずつが異なる曲面を持ち、装飾品か美術品のように精緻なエングレーヴィングが刻まれている。
機械鳥の背には椅子があった。
いや、椅子と言うよりは、玉座。
ただ一人を座らせるためだけに造られたかのような、大きく豪奢な椅子である。
奇妙なのは、その状態だった。
周囲は朽ちている。
施設全体が、最早どれほどの歳月を経たのか分からぬほど崩壊している。
にも関わらず、この機械鳥だけには錆一つ無い。胞子の一粒さえ付着していなかった。実際にそうなのだろうがこの施設の静けさ・寂しさは何百年も誰も訪れた事が無いようで、整備したりする者など居なかった筈なのに。
「あなた……ずっとここにいたの?」
答えは無い。
これは当然である。相手は機械、ましてや動いていないのだから。
だが、どうにも気になった。
ナウシカは近付く。その足取りは慎重に、おっかなびっくりだった。いつ、この機械鳥が動き出してもすぐ逃げられるように、後ろ足に重心が乗っている。
それにしても美しい。美し過ぎる。
戦う為の機械ならば、これほど全身を飾る必要は無い。荷物を運ぶためでもない。何かを造る為の道具とも思えない。
ただ、誰かを乗せる為に創られている。
それだけは、特に背中の玉座を見れば分かった。
ナウシカは手を伸ばした。
胸部に触れる。
先程血を拭った、右手のグローブで。
その瞬間。
微かな音がした。
「え?」
ドクン…ドクン…
まるで心音のような規則正しいリズム、低い振動。それが、グローブ越しに伝わってくる。
「っ?」
反射的に、ナウシカは手を離して飛び退った。
眼前の機械鳥から声、と言うよりは音声が発せられる。
《生体試料検出。遺伝情報解析。登録所有者照合…該当無し。正規管理者照会…応答無し》
機械の全体が、揺れるように動き出す。
この時、ナウシカには知る由も無いが、機械鳥の中では様々な機構が作動し始めていた。
原子時計、慣性基準器、時空ジャイロ測定器…地磁気、地球自転周期、天体位置の測定…
夜空を見るまでもない。崩れた天井から差し込む僅かな光と、外部へ発信した微弱な観測波の反響だけで十分だった。
基準時刻との差異を測定、再計算…誤差の修正。
《完成時より千年以上の経過を確認…通信を試行…》
所有者管理網…応答無し。公共通信網…応答無し。行政非常回線…応答無し。製造元保守ネットワーク…応答無し。
周囲に人工電波そのものが存在しない。
文明基盤喪失の可能性極高。
正規所有者が今後現れる可能性…限りなく絶無。
規定により次のシークエンスへ移行する。
《長期孤立時緊急継承条項…生存する知的ヒト系生命。本人由来生体試料を検出、自発的直接接触を確認。外部からの拘束無し…全条件成立》
そして、黄金の眼に光が点った。
「!!」
ナウシカは更に距離を取った。
機械鳥が起き上がる。
重さなど感じさせない、鳥というモチーフに相応しく滑らかで軽やかな動きだった。
翼を畳んだまま、ゆっくりと首を持ち上げる。
それだけでナウシカの倍どころではない高さがあった。
ナウシカは固唾を呑む。
戦うべきか。それとも逃げるべきか。
肩に担いでいた銃を手にして、いつでも撃てるように信管を装填する。
だが機械鳥は襲ってこなかった。
巣で卵を温める親鳥の姿勢のように足を折り、頭を低くする。
人間で言えば傅く、という行為に相当するような動きだった。
《個体認証完了》
「……喋った?」
今度は、明確にナウシカへと向けられた声だった。機械的だが、どこか女性的な響きがある。
《緊急継承規定に基づき、マスター登録を完了しました》
「マスター?」
《はい。私の主人となられる御方です》
「誰が?」
《貴女様です》
「私?」
《はい》
機械鳥にとってはそれが当然の事であり、些かの疑問を抱いていないようだった。
意味が分からない。
と、次の瞬間、機械鳥がぐんと首を挙げて警戒するように周囲を見渡した。
《警告。周辺大気組成、人類生存環境の標準値を著しく逸脱》
「え?」
《有毒微粒子濃度、許容値超過。病原性生物由来物質、多数》
「ちょ、ちょっと…」
ナウシカが何か言うより早かった。そもそも機械鳥は彼女の言葉を聞いていないようだった。
《ガードシステム作動・防護圏生成》
次の瞬間には、空気が変わった。これは比喩ではない。
視界の中に常に入っていた微細な胞子が、刹那にして消えた。空気中から取り除かれたのだ。腐海特有の湿った臭いも消える。それどころかナウシカの肌を、涼しく乾いたさわやかな感覚が撫でていく。まるで目覚めてすぐに窓を開けて、朝の静謐な空気を谷の風に乗せて自分の部屋に送り込んだ時のようだ。
一瞬、ここが腐海の只中である事を忘れる。
本当に、それは一瞬だった。
「……っ!?」
ナウシカの身体が揺れる。
服の胸元を握り締めた。苦しい、息が出来ない。
「な……に……!?」
知らない間に防毒マスクがズレていたのだろうか? そう思って口元に手をやるが、マスクは間違いなく隙間無く装着されていた。そうしている間にも症状はどんどん悪化していき、膝を付いてうずくまった。
「あ…かっ…はっ…!!」
《マスターの生命兆候悪化を確認》
機械鳥の声が一変する。
《心拍数上昇。呼吸異常。血中酸素濃度低下…失礼!!》
光が走った。ナウシカの身体を頭から足まで一息に貫く。
《むううっ、これは…? 骨格、筋肉、臓器、血液、遺伝子、神経…走査した各情報との比較照合…マスターの生体構造に、当機が保有する標準的人類のものと大幅な差異を確認》
「く…」
《防護圏内の清浄大気はマスターに対して有害…環境保護設定を更新します。マスターに適合する大気組成へと再調整》
機械鳥がそう言うと、呼吸が戻る。
「はーっ、はあっ…はぁっ…」
急激に、胸及び全身を襲っていた息苦しさや痛みが引いていく。ナウシカは何度か大きく息を吸い、ようやく立ち上がった。額に浮かんでいた脂汗をグローブで乱暴に拭う。防毒マスク越しとは言えここは腐海なのに、16年生きてきてこれほど美味な空気を味わうのは生まれて初めてかも知れなかった。
《…生命兆候の安定を確認》
息を整えたナウシカは、じっと機械鳥を睨んだ。
「……あなた今、私を殺しかけたでしょう」
《否定できません》
やけに素直だった。
《申し訳ありません》
「……」
ナウシカは機械鳥を見上げる。
怪しい。得体が知れない。
何の前触れも無く自分を主人だと言い出し、一帯の空気そのものを変えるような力を使った。しかも、その結果として危うく自分を殺しかけた。
これは直感だが、この子に悪意が無いのは分かる。それが余計に怖い。もし悪意があるなら警戒すれば良い。だがこれは、善意だけで人間を殺しかねない。
ある意味では悪意があってくれた方が良かったとも言える。それならば改心さえすれば問題は無い。16歳という若さだが、病床にある父に代わって風の谷の指導者として振る舞う彼女は『悪気が無い』というのは改めようが無いという事を知っていた。
「私、帰る」
ナウシカは踵を返した。
《承知しました》
遺跡を出る。後ろから音がしたので振り返ると、そこには紅い機械鳥が立っていた。
「……何してるの?」
《同行しております》
「来なくていいわ」
《承服できません》
「どうして?」
《マスターの保護義務に反します》
「だから、私はあなたの主人になった覚えなんて無いの」
《承知しております》
「じゃあ取り消して」
《不可能です》
「私が主人なんでしょう?」
《はい》
「主人がやめろと言ってるのよ?」
《マスター権限を用いて、マスターの保護義務そのものを解除することは出来ません》
機械鳥は即答した。
「……変なの」
《私の仕様です》
ナウシカは少し考えた。
「じゃあ、ここで待ってて」
《出来ません》
「私の言う事を聞くんじゃないの?」
《可能な範囲で従います》
「これは違うの?」
《はい》
再び即答する。実に面倒な機械だった。
ナウシカは諦めず、腐海をずんずん進む。その後ろを、旧い時代に生息していたカルガモの子供のように、機械鳥が付いていく。
やがて森を出て、ナウシカは停めてあったメーヴェへ飛び乗った。
「付いて来ないでね」
《承知しました》
エンジンを掛けて、飛び立つ。
風を掴み、蒼穹にメーヴェを舞い上がらせる。
しばらく飛んだ後で、背後を振り返る。
居た。
かなり離れているが、翼を広げて紅い機体が音も立てずに飛んで追従してきている。
「付いて来てるじゃない!」
《御命令に従い、護衛可能距離まで離れました》
「そういう意味じゃない!」
《意味解釈を修正します》
「じゃあ帰って!」
《出来ません》
「もう!」
速度を上げる。
機械鳥も同じように加速して、両機間の距離はまるでボルトで固定されたかのように縮まる事も広がる事もない。
急旋回する。
同じように追跡してくる。
いくつかのマニューバを試してみる。
翼すら殆ど動かさず、悠々と空を付いてきた。
「……」
ナウシカは一つの事を悟らざるを得なかった。メーヴェの飛行性能では、どう頑張ってもあの子を振り切れそうにない。
作戦を変える事にした。
ターンすると、一旦腐海へ引き返す。機械鳥も背後を付いてくる。
そして急旋回して、腐海の巨大な植物を利用して機械鳥の視界から姿を消す。
機械鳥は、ナウシカを見失ったので周囲の旋回を始めた。これは捜索の動作だろう。
自分とメーヴェを隠していた草陰から様子を伺っていたナウシカは用心深く外の砂漠を伺っていたが、やがて空を飛び回る影が見えなくなった。どうやら捜索を諦めたようである。
ほっと胸を撫で下ろす。
あの子に悪気が無かったのは分かっているから少しばかり心が痛むが、大気を操って人を死に至らしめるような力を持つ存在を、一緒に連れ歩きたいとは思わない。
改めて、メーヴェを腐海の外に出して乗り込もうとするが…自分の周囲の風が何か大きな物に遮られているように不自然な動きをしている事に気付いた。
大きな物…
「…………」
振り返ると、予想通り機械鳥がそこに着陸して翼を畳み、自分を覗き込んでいた。
「……はぁ」
大きく息を吐く。
「……分かったわ」
《何が、でしょうか?》
「あなた、私が何を言っても付いて来るんでしょう?」
《はい》
やはり即答であった。
「私が嫌だと言っても?」
《御不快である事は理解します。申し訳ありません》
「でも一緒に来るのね」
《はい》
もう一度、さっきより大きな溜息をついた。
追い払うのも振り切るのも根負けさせるのも無理、ならば扱い方を決める他は無い。
危険な蟲も、良く観察して性質を知れば付き合い方が分かる。機械とて同じかもしれない。
「ただし、条件が二つあるわ」
《お申し付けください》
「さっきの力を谷の人に使わないこと。私の言う事を良く聞いて誰も傷付けないこと。約束出来る?」
ここで初めて、機械鳥は回答に僅かに間を生じさせた。
「……約束出来ないの?」
《条件付きで可能です》
「条件?」
《貴女様の生命が切迫した危険に晒された場合、保護の為に必要な実力を行使します》
「谷の人相手でも?」
《はい》
即答されたナウシカの表情が険しくなる。それに気付いているのかいないのか、機械鳥は続けた。
《ただし、貴女様が望まれない限り、また生命保護上の必要が無い限り、こちらから人間へ危害を加える事はありません》
「……」
《必要な場合も、目的達成可能である限り、損傷の少ない手段を優先します》
「私が、誰かを傷付けてって言ったら?」
《御命令の内容を確認し、実行可能であり、上位制約へ抵触しなければ従います》
「上位制約?」
《主人生命及び人格継続性の保護。主人意思決定能力の不必要な剥奪防止。その他複数存在します》
「難しくて分からないわ」
《要約します》
黄金の眼がナウシカを捉えて、光学センサーであるアイカメラがピントを合わせる動きで、駆動する。
《私は貴女様を守ります。ですが貴女様を守る為なら何をしても良い…とは、設定されていません》
「……」
想定していた以上の答えではあった。少なくとも何も考えず、言われたままに暴れ回る機械ではないらしい。
「じゃあ私の言う事を聞く方は?」
《可能な限り》
「またそれ?」
《虚偽の約束は出来ません》
「……分かったわよ」
ナウシカは肩を落とした。
どうにも融通が利かない。けれど、不思議と先程ほど怖くはなくなっていた。
少なくともこの機械鳥は、出来ない事を出来るとは言わず、自分の行動原理を隠そうともしない。
信用とは違う、しかしながらある種の誠意は感じられる。
分かり合えるかどうかはさておき、こちらから理解する事は出来そうだ。
ナウシカは改めて紅い機体を見上げた。
「そう言えば…」
《はい》
「あなた、名前は? 私はナウシカ」
《当機に固有名称はありません》
「名前が無いの?」
《開発識別符号は存在します》
「なんて言うの?」
《PROJECT-THRON/UNIT-000》
「プロ…? トロ…? よく分からないわ」
《旧い言葉で、THRONとは玉座を意味します》
ナウシカは機械鳥の背を見た。
確かに、そこには一つの玉座がある。機械でありながら生物的なフォルムを持つ存在に対して、本来なら不似合いな筈の道具である筈なのに、まるで二つのどちらが欠けても完璧な美しさが損なわれるように、完璧にデザインがマッチしている。
誰か、ただ一人を乗せる為だけの場所。
ナウシカは何故か、それを見て言い知れない悍ましさを覚えた気がした。正直、気持ち悪い。
「……あまり好きじゃないわね。それに長くて呼びにくいわ」
《開発者の命名意図については回答可能な情報がありません》
「あなた自身はどう思うの?」
《評価機能を必要としません》
「そう」
少し考える。燃えるような紅い翼、紅い機体。自分を勝手に主人にして、何度追い払っても付いて来た、おかしな機械の鳥。
今のところ、愛らしいとは到底言い難い。
それでも、名前が無いのはあまりにも不憫であろう。
「リーベ。私はそう呼びたいけど…嫌?」
意味は無い。ふっと、頭に浮かんだ名前だった。
《否定します》
「じゃあ今日から、あなたはリーベ」
《個体固有名称を更新、これより当機の呼称をリーベとして登録します》
黄金の眼が、柔らかく明滅した。
「よろしくね、リーベ」
《はい》
紅い機械鳥は、恭しく優雅さすら感じさせる動作で、頭を下げた。
《よろしくお願い致します、ナウシカ様》
「それと、その“様”も――」
《変更を推奨しません》
「まだ何も言ってないでしょう!」
《発話傾向より推測しました》
「……本当に変な子」
《評価を記録します》
「記録しなくていいから!」
ナウシカはメーヴェへ乗った。
もう「ついて来るな」とは言わなかった。
エンジン付き凧が、風を受けて飛び立つ。
その少し後ろで、紅い体を持つ機械の鳥、遠い過去に生きた人々が見れば鳳凰という幻獣を連想したであろう姿を持ったメカが、翼を広げて飛翔した。先程と同じく、ナウシカの後をぴったりと同じ距離を保って追従する。
《ところでナウシカ様》
「何?」
《その乗り物は速度・旋回性能・攻撃力・防御力・気密その他全ての機能に於いて問題外と判定せざるを得ません。出来れば私にお乗りいただいた方が安全なのですが…》
「いいの、私はこれが良いの!」