欲望の玉座、愛の翼   作:ファルメール

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第02話

 

 風の谷へ戻ってきたナウシカを最初に見付けたのは、城オジであるミトだった。

 

 もっとも、見付けたのはナウシカだけではない。

 

「……何だ、ありゃ?」

 

 谷を一望出来る高台の上。

 

 望遠鏡片手に空と風を見ていたミトは、青空の中に二つの影を見付けた。

 

 一つは見慣れたものだ。

 

 細長い白い翼。

 

 風の流れに沿って飛ぶ、エンジン付きの小さな凧。ナウシカのメーヴェである。

 

 問題はその後ろだった。

 

 大きな影が一つ、ぴったりと一定の距離を保ったまま追従している。

 

「蟲か……?」

 

 反射的にそう考えた。

 

 腐海の蟲が谷の外まで出てくる事そのものは珍しくない。ましてナウシカはよく腐海遊びをする。何かの拍子に蟲を怒らせ、追われている可能性はある。

 

 ミトは望遠鏡の倍率を上げた。

 

「……違うな」

 

 羽ばたいていない。巨大な両翼が特徴的だ。だが、それを上下に動かして空気を叩いている様子が無かった。

 

 そもそも、あんな姿をした蟲には覚えが無い。

 

 腐海には人の知る由もない生物がいくらでも存在するが、少なくとも彼がこれまで見てきたどの蟲とも違う。鳥のようでもあり、獣のようでもある。それでいて、どこか人工的なフォルムをしているように見える。まるで優れた芸術家の手によって大理石から削り出された彫像のようだ。

 

「おーい! 誰か来い!」

 

 ミトの声に、谷の者達が集まってくる。

 

「どうしたんだ、ミト?」

 

「姫様が帰ってきたぞ」

 

「そりゃ良かったじゃないか」

 

「その後ろを見ろ」

 

 差された指先を追って…そして、誰もが黙った。

 

 やがて、誰かが呟いた。

 

「……何だ、ありゃ?」

 

「あんな蟲は見た事無いぞ」

 

 警戒鐘を鳴らすべきか? 迷うが…しかし、ナウシカは逃げているようではない。メーヴェの速さはゆったりとした巡航速度だし、軌道も風の流れに乗ってまっすぐだ。追い掛けられていて相手を振り切ろうとかする動きではない。

 

 後方の怪物は、まるで彼女に従うように一定距離を維持している。

 

 とは言え、谷へ侵入しようとする未知の存在を放置する訳にもいかない。

 

 ほどなくして、谷の男衆が集まり始めた。

 

 手に手に農具や武器を握り、銃を持ち出してくる者も少なくない。

 

 やがて、メーヴェが谷へ降下する。

 

 そのすぐ後ろから、紅い機械鳥もゆっくりと高度を下げていく。

 

「姫様!」

 

「姫様、そいつは!?」

 

 メーヴェから降りたナウシカへ、谷の人々が一斉に駆け寄った。

 

「みんな、待って!」

 

 ナウシカは両手を広げて、谷人からリーベを庇うように立ちはだかった。

 

 その間にも機械鳥・リーベはゆっくりと降下し、少しも体を軋ませず、衝撃も無く着地した。

 

 谷の民がざわめく。

 

 一人が銃口を向けた。それに釣られるようにして別の者も銃を構え、あっという間に十数丁の銃がリーベへ照準された。

 

 しかし、当の本人――人と呼んで良いものかは分からないが――は、何の反応も見せない。

 

《複数の火器を確認》

 

 リーベの内部では即座に脅威判定が行われていた。

 

 口径、予測される弾速・貫通力、発射位置、射線、命中予測…他にも様々な要素があらゆる角度から演算され、ピコ秒の間に結論が弾き出される。

 

 ガードシステムを展開する必要すら無い。

 

 この程度の火器では、通常装甲を貫通するどころか、罅や凹みすら付ける事は出来ない。

 

 第一、ナウシカからは既に命令を受けている。

 

 谷の人間に危害を加えないこと。必要が無い限り、誰も傷付けないこと。

 

 ならばする事は一つ、何もしない。

 

《眼前の人々は非敵対対象として登録済み。攻撃行動を禁止》

 

 翼を畳み、座り込む。

 

 明らかに何の敵意も見せない動きではあるが…それが却って恐ろしくもある。

 

「姫様」

 

 ミトが前へ出た。

 

「これは何です?」

 

「腐海で見付けたの」

 

「腐海で?」

 

「ずっと昔の機械みたい」

 

「機械?」

 

 誰かが声を上げた。

 

「こんなのがか?」

 

「動いてるし…喋ってもいるぞ!」

 

 ナウシカは少し困ったような顔をした。

 

「私にも、まだ全部は分からないの」

 

「全部?」

 

「でも危険じゃないわ」

 

 人々の視線が、一斉にリーベへと向く。

 

 今は座っているが、それでもそのボディは大人の男よりずっと大きく、軽く3メートルはある。

 

 全身は見た事も無い質感の材質で構成されているが、どう見ても鳥の羽毛のようにふかふかして柔らかそうには見えない。むしろ、至近距離であろうと携行可能な銃の弾丸くらいはあっけなく跳ね返しそうだ。

 

 それでいて両足の爪は、人間など簡単に引き裂いてしまい、掴めば体を毛玉のように潰してしまう万力のようなパワーを秘めている事を感じさせる。

 

 羽根の一枚一枚が持つぎらりとした輝きは、鋭い刃物のように研ぎ澄まされている気がする。

 

 しかも腐海で見付けた古い時代の機械だと言う。

 

 安心出来る要素が欠片も無い。

 

「姫様」

 

 ミトは眉間に皺を寄せた。

 

「その……危険じゃないってのは、姫様がそう思ってるだけじゃないでしょうな?」

 

「……」

 

 ナウシカは答えに詰まった。そこを突かれると彼女も弱い。

 

 実に真っ当な指摘であった。

 

 つい先程まで彼女自身、この機械に殺されかけて危険物だと判断し、逃げようとしていたのである。

 

「約束してくれたの」

 

「何を?」

 

「谷の人を傷付けないって」

 

 ざわめきが広がる。

 

「そいつが?」

 

「うん」

 

「その約束、信用出来るんですか?」

 

「……多分」

 

「多分!?」

 

「でも、嘘は言わないと思うの」

 

 ナウシカが振り返る。

 

「ね、リーベ?」

 

《私に、虚偽の回答を行う必然性がありません》

 

「ほら」

 

「姫様、それ全然安心出来ませんぞ!」

 

 一斉に、周囲から同意の声が上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 結局、その場でリーベをどうするか結論は出なかった。

 

 ナウシカが連れて来て自分から攻撃したり暴れたりしない以上、いきなり撃つ訳にもいかない。むしろ攻撃してしまったらそれを切っ掛けに暴れ出すかも知れない。

 

 力尽くでの排除は不可能。ならばひとまず様子を見るしかない。

 

 それが結論であり、人々は三々五々に解散した。

 

 それからリーベは、城の入口に陣取った。

 

 翼を畳み、体を低くして座り込む。

 

 じっとして動かず、眠っているようにも見えた。

 

 夜半に通り掛かった城オジのゴルが、恐る恐る近付いた。

 

 5メートルの距離にまで近付いた所で、何の前触れも無くグンとリーベの頭が上がって彼を見た。

 

「ウオ」

 

《何か御用ですか?》

 

「い、いや……寝てるのかと思ってな」

 

《私に睡眠は不要です》

 

「そ、そうか……」

 

《はい》

 

 リーベにとって彼は攻撃対象ではなく、また城の中で休んでいるナウシカに対して悪意を持ってやって来た者にも見えない為、語る物腰は、その異形の姿を別にすれば穏やかなものである。

 

 もっと危険な怪物である事を想像していたゴルは、少し肩の力を抜いた。

 

「……ずっとそこにいるのか?」

 

《ナウシカ様の居場所に最も近く、かつ出入口を監視可能な位置であり、警護には最適な位置と判断しました》

 

「……そうかい」

 

 彼はそれ以上聞かなかった。

 

 何となく、聞かない方が良い気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、ナウシカは谷の中を歩いていた。

 

 病床の父に代わり、谷を巡回して人々の暮らし振りを見て回るのも彼女の仕事の一つである。

 

 農地、風車、水路、井戸、家畜、作物、そして風向き。

 

 谷の生活は、風と共にある。

 

 その少し後ろを、当然のようにリーベが歩いていた。その巨大な鳥の姿から受けるイメージからはかけ離れているが、まるで親鳥の背後を付いて歩く雛のようである。

 

 最初は道行く人々が避けていた。

 

 昨日見た時より間近で見ると、やはり大きい。立ち上がった全高は軽く4メートル以上もある。

 

 しかし、何もしない。

 

 それどころか谷の人とすれ違う時は翼や尾を僅かに畳み、道を空ける。しかも少し頭を下げる。リーベがもし人間の姿であれば、これが会釈に当たる動きであると理解したであろう。

 

 子供が恐る恐る触っても、怒りもしない。

 

《ナウシカ様》

 

「何?」

 

《ここまで確認したこの谷の住民の健康状態について、質問があります》

 

「健康状態?」

 

《はい》

 

 リーベの眼が、たった今すれ違った老人を追う。

 

《慢性的な呼吸器損傷を確認》

 

 別の家の前には、咳き込む中年の男が居た。

 

《こちらも同様です》

 

 更に歩いて、また一人の男とすれ違った。

 

《肺機能低下。血中有害物質残留。肝機能への負荷。粘膜損傷、筋肉・関節の硬直化》

 

「……」

 

《年齢に対して罹患率が高過ぎます》

 

 ナウシカは少しだけ表情を曇らせた。

 

「森の毒よ」

 

《腐海由来の汚染物質ですか》

 

「うん」

 

 ナウシカは歩きながら答える。

 

「腐海の近くで暮らしていれば、少しずつ体に毒が溜まっていくの」

 

《防毒マスクを使用していても?》

 

「完全には防げないわ」

 

《……》

 

「それが、森と一緒に生きていくって事なの。腐海のほとりで生きていく者の定めよ」

 

 その言い方には、諦めとも受容ともつかない響きがあった。

 

 リーベはしばらく何も言わなかった。

 

「父上もそう」

 

《お父君ですか》

 

「昔は誰より優れた風使いだったわ。でも、今は飛べないの。病が進んで、もう…」

 

 当たり前だが楽しい話題ではない。ナウシカの声は沈んでいて、視線も下を向く。

 

《ご安心ください》

 

「え?」

 

《ナウシカ様に同様の症状が生じた場合、私が治療致します。いえ、それ以前に定期的に身体スキャンを行ないますので予防措置を施させていただきます》

 

 ナウシカの足が止まり、振り返った。その動きに連動するように、リーベも止まる。

 

「……治療?」

 

《はい》

 

「治せるの?」

 

《ナウシカ様がお望みであれば》

 

「森の毒よ?」

 

《原因物質の除去、損傷組織の再生、血中有害物質の分解及び排出、必要に応じて臓器補助及び再構築を行います》

 

「……」

 

 ナウシカは目を瞬く。

 

 言っている意味は良く分からないが、とにかく治療する為の具体的な手段があるというのは理解出来る。

 

「本当に?」

 

《虚偽を述べる合理性がありません》

 

 昨日も似たような言葉を聞いた。

 

 ナウシカは踵を返す。

 

「来て!」

 

《どちらへ?》

 

「父上の所!」

 

 

 

 

 

 

 

 城の前に、人集りが出来ていた。

 

 城からナウシカに付き添われ、担架で運ばれつつナウシカの父・ジルが姿を見せた。

 

 人々の何人かは思わず息を呑んだ。以前見た時より、随分痩せたようだった。

 

 体が大きなリーベは城に入れない。必然的に、彼女の前にジルを連れてこなくてはならなかった。

 

 リーベの前に寝かされたジルは、両目を大きくして穏やかな驚きを浮かべた。

 

「ナウシカからは聞いていたが…本当に自ら動き、話す機械なのだな」

 

《ナウシカ様のお父君ですね。当機はリーベと命名されました。以後、どうかお見知り置きを》

 

 機械鳥は、ゆったりと頭を下げた。

 

「これは…名付け親よりも随分と礼儀正しい子供のようだな」

 

「もう、父上ったら」

 

 集まった人々から失笑が漏れる。

 

「ワシもこのような物は聞いた事は無い…機械ではあるが、体からは血のような脈動を感じる…まるで生きているようじゃ」

 

 大ババがリーベの体を撫でて、そう呟いた。

 

「それでリーベ、本当にお父様の体を治せるの?」

 

《まずは、現在の状態を把握せねばなりません。失礼致します》

 

 額の一部がスライドして、丸い形状の第三の目が現れた。

 

 ナウシカ達にその言葉は無いがこれは多重走査アイであり、X線スキャナー・レーザースキャナーなど、両眼のカメラアイから得られるよりもより多くの情報を収集し、正確な分析を行なう為の能動的スキャナーが集中して組み込まれた機構であった。

 

「何をする気だ?」

 

「診てもらうだけよ」

 

 ナウシカはそれどころではなかったが、昨日命の危機に瀕していた彼女の肉体をスキャンして状態を把握した際に使用されたのもこの装備だった。

 

《生体走査を開始します》

 

 走査アイから照射された光が、ジルの体を走った。

 

 一度。

 

 二度。

 

 更に異なる波長で何度も。

 

《長期的な有害物質吸引による肺組織損傷・繊維化。呼吸効率の著しい低下が見られます。肝臓及び腎臓にも慢性的負荷。末梢神経に軽度障害が発生しております》

 

 ナウシカの顔が曇る。要するに悪いという事だろう。

 

「治せる?」

 

《可能です》

 

「本当に!?」

 

 一気に表情が明るくなった。

 

《ただし、損傷は長期間に及んでいます。よって一度の処置で完全回復させるより、段階的な再生が推奨されます》

 

「それでもいい! お願い、父上を治して」

 

 リーベは一瞬だけ沈黙した。これは内部で演算が行なわれている所作だ。

 

 主人自身ではない。だが主人が強く価値を置いている人物であり、しかも治療する事によって主人自身に大きな心理的利益が発生する。

 

 結論、拒否する理由は無い。

 

《承知しました》

 

 大きく翼を広げる。姿を見せたのは注射針とも、手術器具とも違った。羽根の先端から、銀色に輝く細長いワイヤーが幾本も飛び出した。それらは一本一本が生き物のように動いて、ジルの体へと伸びていく。

 

 住民の一人が思わず駆け寄ろうとしたが、ナウシカに制された。

 

 ワイヤーの先端がジルの体に触れた。胸を中心として、腕や足にも幾本かが接触する。

 

「妙な機械だな」

 

《既に同様の評価を受けています》

 

「誰からだ?」

 

 ナウシカは黙った。

 

 治療には30分ほどが掛かった。しかしジルの様子に痛みや苦しみが見られず、寧ろ落ち着いているのを見て取って、人々も今すぐ止めさせようとはしなかった。

 

《終わりました》

 

 ワイヤーが全て、羽根の中へと巻き取られるように収納される。

 

 着衣を整えると、ジルは大きく息を吸った。まず一度、その後、もう一度。

 

「父上?」

 

 ナウシカが、気遣わしげに父の目を覗いた。

 

「楽だな…」

 

 姫の目が、大きく見開かれる。

 

「これほど楽に、深く息が吸える感覚は久しく忘れていた」

 

「それじゃ…」

 

 ナウシカはリーベを振り返った。

 

《血液中の有害物質を除去し、肺組織の炎症を抑え、壊死しかけた細胞は再生を促進しました》

 

 完全に治った訳ではない。だが目に見えて父の様子が良くなったのがはっきり分かる。

 

「お父様!」

 

 この時ばかりは父の代理としての役目も忘れ、一人の娘としてナウシカは思い切り父に抱き付いた。それを見守る風の谷の民達の中には、目元を拭ったり鼻を啜ったりする者も多く見られた。

 

《本日の処置はここまでとします》

 

 対照的に、リーベの声は丁寧ながら何の感慨も抱いてはいないかのようだった。

 

「もっと出来る?」

 

《可能ですが身体への負荷を考慮し、次回処置までに間隔を空ける事を推奨します》

 

「ありがとう、リーベ」

 

 ナウシカは機械鳥の首を、掻き抱いた。

 

 この話は、当日中に谷中へ広がった。

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、城の前に一人の女性が立っていた。まだ十にもならないだろう子供を胸に抱いている。

 

 子供は、熱があるのだろう。汗を掻いていて顔は紅く、呼吸も浅い。

 

「姫様、この子を……診てもらえませんでしょうか」

 

 ナウシカはリーベを見た。

 

「お願い出来る?」

 

《お望みとあらば。診察を行います》

 

 ジルの時と同じ、額の多重走査アイが露出して子供の体を走査した。

 

《…治療は可能ですが、症状からして風邪症候群・急性上気道炎…つまり風邪であると思われます。よほど拗らせて肺炎にでもならない限り薬など特別な治療は必要ありません。氷で頭を冷やし、足は温かくして栄養ある物を食べさせれば十分です》

 

 先日は手の施しようが無い病のジルを治療した機械鳥の言葉とは思えないようで、母親は当てが外れたようであった。

 

《一応、栄養バランスが調整され消化に良い食べ物はお出しします》

 

 リーベの胸部がカラクリ仕掛けの時計のように開いて、ブロック状の食べ物が10本ほど出てきた。

 

《それを毎食一本ずつ、普段の食事と一緒に食べさせてください》

 

 三日もすると、子供の体調はすっかり回復した。

 

 これが始まりだった。

 

 まず三人。その次の日には七人。

 

 いつしか城の前へ病人が列を作るようになった。

 

 最初はリーベを怖がる者も多かった。

 

 だが治療を受けた者は、皆元気になる。

 

 咳が軽くなった。

 

 曲がっていた腰が真っ直ぐになった。

 

 歩けるようになった。

 

 夜眠れるようになった。

 

 無論全員ではない。完全には治らない者もいた。

 

《現時点で完全回復は困難です。継続して自己治癒能力を活性化し、時間を掛けて治すのが良いでしょう》

 

 そう言われる者もいる。

 

《進行抑制は可能です。完治の為には生活習慣の改善も必要となります。プランを出しますからそれに従って生活してください》

 

 このように診断される者もいる。

 

 リーベは出来ない事を出来るとは言わなかった。しかし出来る事は、確実に行った。

 

 谷の人々の目も変わり始める。

 

 怪物。

 

 得体の知れない旧時代の機械。

 

 姫様に付いてきた危険物。

 

 言葉にこそ出さぬものの、誰もがそうした目で見ていた。それが、

 

「リーベに診てもらえ」

 

「リーベなら分かるかも知れん」

 

 そう言われるようになるまで、それほど長くは掛からなかった。

 

 そして、大人達より早く順応したのは子供だった。

 

「リーベー!」

 

《何でしょう》

 

「遊んで遊んで~!」

 

《私は任務中です》

 

「えー、そんな意地悪しないでよ」

 

《別に意地悪という訳ではありません。そもそも私にはあなた方への好悪という感情は…》

 

「難しいことわかんない!」

 

「乗せてー!」

 

「力比べしよー!」

 

《……》

 

 子供は遠慮が無い。

 

 翼に触る。

 

 尾を引っ張る。

 

 背中へ登ろうとする。

 

《危険です》

 

「ちょっとだけ!」

 

《転落の可能性があります》

 

「リーベが受け止めればいいじゃん!」

 

《理屈としては正しいですが、推奨しません》

 

 そうしている内に、ある日ナウシカから、とんでもない命令が下った。

 

「リーベ、この子達を見てて」

 

《……》

 

「私、畑の方を見て来るから」

 

《ナウシカ様の護衛が私の任務です》

 

「谷の中だし、何かあったらすぐ分かるでしょう?」

 

《…肯定します。現在位置からであれば生命兆候の継続監視は可能です》

 

「じゃあお願い」

 

《……承知しました》

 

 旧世界の技術で創られた機械鳥は、子守りを任された。

 

 

 

 

 

 

 

 もっとも、リーベは子供の相手が出来ない訳ではない。

 

 むしろ得意分野である。

 

 彼女の中には、ありとあらゆる娯楽がインストールされている。

 

 文学・音楽・映画・絵画・ゲーム・スポーツ・会話・教育エトセトラエトセトラ…

 

 人間が生涯を掛けても消費し切れない量の文化情報が、内部へ保存されている。

 

「お話して!」

 

《希望する物語の種類を指定してください》

 

「種類?」

 

《冒険・恋愛・喜劇・悲劇・歴史・幻想・推理――》

 

「よく分かんない!」

 

《では対象年齢及び現在の気分から選択します》

 

 昔話を聞かせる。

 

 夢中になって目を輝かせる者、リーベの体にもたれて眠る者、反応は様々であった。

 

 

「歌ってー!」

 

《希望する楽曲を指定してください》

 

「知らない!」

 

《では私が選曲します》

 

 体内に内蔵されたスピーカーから曲が流れ、声帯が歌を奏でる。

 

《チェリーが実る頃に~♪ 私達も歌う~♪ 夜鷹もつぐみも~♪ みんなみんな浮かれて歌い出す~♪ でもチェリーが実る時間は~♪ とても短くて~♪》

 

 リーベの声は、この世のものと思えないほど美しかった。

 

 歌い終えると、歓声と共に拍手が上がる。

 

「もう一回! もう一回!」

 

《同一曲を再生しますか?》

 

「違うの!」

 

《記録楽曲数は…》

 

「いっぱいある?」

 

《極めて》

 

「じゃあ違うの!」

 

《承知しました》

 

 子供達にとって、リーベは完全に遊び道具になりつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 そんなある日。

 

 この日は朝から雨が降っていた。

 

 谷全体を灰色の雲が覆い、風も弱い。

 

 外へ遊びに行く事が出来ず、子供達は城の広間に集まっていた。ガンシップの格納庫にも隣接しているので、ここへはリーベも入る事が出来ている。

 

「暇ー」

 

「外行きたい」

 

「雨止まないかな」

 

 リーベは子供達を観察する。

 

 活動欲求・退屈・軽度の不満…総じて精神衛生上、あまり好ましくはない。

 

《屋内娯楽を提案します》

 

「なに?」

 

《盤上遊戯、絵画など色々ありますが…本日は映像作品の上映を行ないたいと思います》

 

「えいぞう?」

 

《説明するより、実演した方が早いでしょう》

 

 リーベが翼を僅かに開いた。

 

 広間の中央。

 

 何も無かった空間に、突如として光が浮かび上がった。

 

「うわっ!」

 

「なにこれ!?」

 

 光は広がって、四角い板のようになる。だが板ではない。

 

 触ろうとした子供の手が、そのまま向こうへ抜けた。

 

「ない!」

 

「あるのに無い!」

 

《空間ディスプレイです》

 

「くうかん……?」

 

《映像を表示します》

 

 広間が僅かに暗くなる。

 

 光の中に、別の世界が現れた。

 

 青い空、雲、海、島、人間…しかも動いている。

 

「動いた!」

 

「人がいる!」

 

「中に入ってるの!?」

 

 騒ぎを聞き付けて、大人達まで集まり始める。ミトもやって来た。ここで、リーベは映像の再生を一時停止した。

 

「今度は何をやって……」

 

 開いた口が塞がらなくなった。

 

 画面の裏へ回る。

 

 何も無い。

 

 横から覗く。

 

 やはり何も無い、極めて薄い一本の線のような画面がそこにあるだけだ。

 

「どうなってるんだ、これは」

 

《映像投影技術です》

 

「だからそれが分からんのだ」

 

 ナウシカも遅れて広間へ入って来た。

 

「何してるの?」

 

「姫様! リーベがまた変なものを!」

 

《娯楽を提供しています》

 

「娯楽?」

 

《はい》

 

 子供達が焦れて声を上げた。

 

「早く!」

 

「続けてー」

 

《承知しました》

 

 再び、映像が動き始める。

 

 

『引き分けなんかにしねぇからな』

 

 パン! パン!

 

『ハハハ…西部劇じゃねぇんだ。そんなもの当たるかよ!』

 

 ビシッ!

 

『テメェ!』

 

 スッ、ブン!!

 

『ワッハハハ! そんなものが届くかぁ! ハイヨー、シルバー!』

 

 ヒュウウウウウウ、カーン!

 

『ワッハハハハハハ』

 

 

「「「アハハハハハ」」」

 

 子供達の笑い声が上がる。ナウシカも、思わず画面へ見入っていた。

 

 人が動いている。喋っている。空を飛ぶ船、見た事も無い街。見た事も無い服。そこにいる人間達は泣き、笑い、怒り、喜ぶ。

 

「……」

 

 しばらくしてナウシカは画面ではなく、リーベを見た。

 

「リーベ」

 

《はい》

 

「こういうもの、他にもあるの?」

 

《はい》

 

「どれくらい?」

 

《映像作品のみでよろしいですか?》

 

「……のみ?」

 

《はい》

 

 なんとなく、嫌な予感がした。

 

「他には何があるの?」

 

《音楽。文学。絵画。舞台芸術。教育資料。歴史記録。学術資料。娯楽用ゲーム、他にも…》

 

「……」

 

《必要であれば一覧を表示しますが》

 

「ちょっと待って」

 

 ナウシカは額へ手を当てた。

 

 数週間前、腐海から連れ帰った時は、得体の知れない巨大な機械だった。

 

 先日、それが父を治療した。

 

 そして今日。

 

 千年以上前の世界を、動く絵として見せ始めた。

 

 どうやら自分は、思っていたより遥かに厄介な物を拾ったらしい。

 

 だが今、画面の前では、谷の子供達が笑っている。

 

 その少し後ろでは、大人達までいつの間にか座っていた。

 

 ミトなど、腕を組んで難しい顔をしているが画面から全く目を離していない。

 

「……まあ、いっか」

 

《何がでしょう》

 

「何でもない」

 

 ナウシカは子供達の隣へ腰を下ろした。

 

 リーベも翼を畳む。

 

 映像が切り替わった。

 

『国が亡びたのに、王だけ生きているなんて滑稽だわ!』

 

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