リーベの黄金色の両眼が、ぎらりとトルメキア兵達を捉えた。
距離・人数・武装・装甲強度・配置等、この部屋のみならず、谷全域へ展開しているトルメキア兵の位置の全てが既に彼女の電子頭脳には入力されており、命令を最速確実に実行すべきシークエンスをシミュレーションし続けている。
ナウシカから下された命令は端的かつ明確だった。
全員、殺せ。
疑問の余地も、解釈が入る隙間も無い。
《命令を確認しました》
それを聞いた兵士達が身構える。
彼等にも状況は理解出来ていた。
目の前にいる機械仕掛けの怪物が、ナウシカの命令一つで自分達を殺そうとしている。
《殺すのは構いませんが…》
「……」
ナウシカが顔を上げた。
リーベは淡々と続ける。
《現在、トルメキア軍は風の谷全域へ展開しています》
カメラアイが僅かに動いて、この部屋に入ってくる為にぶち抜いた壁の穴を見た。
《私であっても現在確認出来る兵力を完全殲滅するには、およそ五分弱の時間を要すると推定します》
「五分……」
誰かが呟いて、その場にいたトルメキア兵達の顔が引き攣った。この谷に来ているのは多少なりとも名の通った精鋭部隊。しかも船や戦車まで相当数持ち込まれている。それを単騎で、五分で殲滅すると言うのだ。
だが脅しではない。この機械は、単純に実行可能な事を出来ると言っているに過ぎないようだった。
《しかし戦闘を開始した場合、敵兵は当然ながら抵抗します。その間、流れ弾・火災・建物の倒壊・住民を人質として利用する行為その他によって、谷の住民にも少なからぬ死傷者が発生する可能性があります》
ナウシカが手にする剣の切っ先が、少し下がった。
《加えて》
リーベがナウシカを振り返った。キュイッと、ピントを合わせる為に両眼のカメラアイが動いた。
《現在のナウシカ様は心拍数が200近くになっており、血中アドレナリン及びノルアドレナリン濃度は急激に上昇。発汗量増大・瞳孔散大・呼吸数増加、手掌部には剣を強く握り過ぎた事による裂傷も発生しております。それらの生理反応及び現在置かれている状況を総合的に判断し、正常かつ冷静な意思決定が可能な状態とは到底認められません》
ナウシカは何も言わなかった。ただし、殺す相手として目の前の兵士しか見えていなかった視界が急激に広く晴れていくようだった。
《私が命令を遂行した場合、ナウシカ様が後にその結果を強く後悔される可能性が、極めて高いと予測します》
父の亡骸、倒れている兵士達、そして…城外へと視線が動く。
怯えながら避難している谷の人々。
頭へ上っていた血が、急速に下がっていく。
怒りが消えた訳ではない。寧ろ、暗い炎は胸の中で未だ燃えている。父を殺した者達への憎しみも、胸を刺す悲しみも、何一つ消えてはいない。
ただその感情以外のものが、少しずつ彼女の中へ戻ってきた。
《それでも…命令を継続されますか?》
「……」
長い沈黙の後、ナウシカの手から剣が落ちて、乾いた音を立てて床へ転がった。
「……やめて。命令を取り消すわ」
《承知しました》
今にも飛び掛かろうとするかのような前傾姿勢であったリーベが、脚部を畳んでちょうど鳥が座るような姿勢を取った。これは戦闘態勢の解除である。それを見た、トルメキア兵達からも、僅かだけ緊張が抜けた。
もっとも武器は下ろしていない。リーベが再び立ち上がっても、いつでも即応出来るようにしているようだった。
リーベもまた、ナウシカを守る為に兵士一人一人の指一本、瞬き一つ、眼球の動きまで警戒を怠ってはいない。
状況は未だ一触即発。戦闘が始まっていないだけで、何も解決してはいない。
「そこまでだ」
低い声が響いた。
「ユパ様……」
リーベの背中から、ユパが降りてきた。
「トルメキア兵に尋ねよう。この谷の者は昨夜、貴国の船を救わんと懸命に働いた。このリーベも同じだ。今もまた死者を丁重に葬ったばかり。小なりとは言え、一国に対するそれがトルメキアの礼儀か? 戦を仕掛けるのであれば、それなりの理由がある筈。まず使者を立て、口上を述べるべきであろう」
「ええい、くそっ。小娘が…」
倒れていた男が銃を取り出す。
「やめろ、クロトワ」
指が引き金に掛かるより早く、女の声がそれを制した。
兵士達が一斉に道を開く。その奥から、黄金色の装甲を身に纏った女が姿を見せた。
「諫言耳が痛い。辺境一の剣士、ユパ・ミラルダとはそなたの事だな。私はトルメキア帝国第四皇女クシャナである。我等は殺戮が目的ではない。話をしようではないか」
「しかし父上を!」
「こちらの兵にも行き過ぎがあった事は認めよう」
「行き過ぎ!?」
そんな言葉で、父の命を奪った事を済ませるつもりなのか。ナウシカからすれば到底承服しがたい。
「今ここで互いに感情のまま殺し合えば、無用に死体が増えるだけだ。お互いにな」
「……」
クシャナの目がリーベへと向く。注意深く観察しているようであった。
紅い機械神獣。
先程、自軍を五分足らずで殲滅可能と平然と言った存在。
ナウシカから命令されれば、人間を殺す事自体は拒絶しない。
しかし盲目的でもない。
主人の身体反応を読み、心理状態まで推測し、その命令を実行した結果に主人自身が被る不利益を提示して、再確認を求めた。
単なる兵器ではない。そして、全くの忠犬でもない。
両者の間には、法則がある。それを正確に見極めようとしているようだった。
「……良い従者を持ったな」
ユパがナウシカに語る。
「え?」
「主が道を誤りそうになった時、命令だからと共に崖へ飛び込む事を忠義とは言わぬ。正しさの無い忠誠に意味は無い。ただ、愚かなだけだ」
ユパの無骨な手がリーベの、堅い装甲の体を撫でた。
「止めるべき時に止めてくれる者は得難いぞ」
「…はい、私には過ぎた従者です」
その日の内に、風の谷の武装解除が行われた。
銃・剣・火薬・火炎放射器など抵抗に使える物は没収されて一ヶ所へ集められ、トルメキア兵の監視下へ置かれた。
もっともリーベだけは、どうしようもなかった。
武器を取り上げようにも、彼女の体そのものが武器どころか兵器の塊のようなものである。そもそも大人しく取り上げさせてくれる保証すらない。
結局の所、不用意に刺激しないという極めて現実的かつ消極的な対応に留められた。
谷の住民達が一ヶ所へ集められる。
老人から子供、働き盛りの男や女も全て。
周囲を武装した兵士が取り囲み、彼等の前には戦車が停止していている。態度次第では、いつでも主砲が火を噴いて全員を吹き飛ばすと暗に語っている。
戦車の前に、ナウシカが立たされた。そして戦車の上には、クシャナが立つ。両者の立ち位置が、そのままトルメキアと風の谷の力や立場の関係を表しているかのようであった。
「聞け、トルメキア帝国辺境派遣軍司令官・クシャナ殿下のお言葉である!!」
クロトワの言葉を受け、ざわめきが広がる。
「我等は辺境の国々を統合し、この地に王道楽土を建設する為に来た。そなた達は腐海の為に滅びに瀕している。我等に従い、我が事業に参加せよ。腐海を焼き払い、再びこの大地を蘇らせるのだ!!」
「腐海を焼き払うだと?」「そんな事が出来るのか?」
ざわめきが広がる。
「かつて人間をして、この大地の主と為した奇跡の技と力を我等は復活させた」
ここでクシャナは一度言葉を切り、すぐ傍にじっと停止しているリーベへと視線を移した。
「そしてこの谷にも、旧き時代の遺産がある。我等の力が一体となれば、無益な戦いに終止符を打ち、平和と秩序をもたらす事が出来るのだ。私に従う者には、最早森の毒や蟲に怯えぬ暮らしを約束しよう!!」
良く通る声による堂々たる演説に、谷の人々は声を失った。
「待ちなされ」
その沈黙を破ったのは、よろよろとした足取りで進み出た大ババであった。
「腐海に手を出してはならぬ」
「何だ、このババア。おい、連れて行け」
「待て、言わせてやれ」
クシャナの許しを待っていた訳でも無いが、大ババは言葉を続ける。
「腐海が生まれてより千年、幾度も人は腐海を焼こうと試みた。が…その度に王蟲の群れが怒りに狂い、地を埋め尽くす大波となって押し寄せてきた。国を滅ぼし、街を呑み込み、自らの命が飢餓で果てるまで王蟲は走り続けた。やがて王蟲の骸を苗床にして胞子が大地に根を張り、広大な土地が腐海に没したのじゃ。腐海に手をだしてはならん」
「黙れ、そのような世迷い言は許さんぞ!」
「おや? 許さなければどうするんじゃ? ワシも殺すのか? 殺すがいい、盲の年寄りさ簡単なものだよ。ジルを殺したように」
この一言が爆薬に投げ入れられた火であった。
「ジル様が!!」「なんて酷い!!」「やっと元気になられてきたのに!!」「人殺し!!」「人殺し!!」
「黙らせろ!! 逆らう奴は容赦するな!!」
《おや? 容赦しなかったらどうするのですか?》
「うっ!!」
クロトワの指示を受けて兵士達が動き出そうとしたが、ずいと進み出たリーベを見て止まった。奇しくも大ババと似た言い回しになったが、この反応の違いはやはり両者が保有する武力の違いによるものであろう。
再び一触即発の気配となったが…
「みんな待って、私の話を聞いて!!」
ナウシカの鶴の一声が、まず谷の人々を冷静にさせた。
「これ以上の犠牲を出したくないの。お願い…」
「姫様…」
ナウシカは次に、リーベへと向き直った。
「あなたもよ、リーベ。不用意に動かないで」
《しかし…ナウシカ様…》
「お願い」
《は…》
機械の不死鳥は諦めたように翼を畳んだ。
「大ババ様も分かって。この人達に従いましょう…」
結局の所、クシャナの言葉は提案であり決起を呼びかけている形を取ってはいるものの、その本質は命令であった。
周囲には武装したトルメキア兵と戦車、谷に着陸した軍艦、武器は全て取り上げられている。
断ればどうなるのか?
それを聞ける勇者も、わざわざ聞かなければ理解出来ない愚か者も居なかった。
唯一つの誤算が、リーベの存在であったようである。
数時間後。
墜落した大型船の残骸周辺では、巨神兵の運搬作業が行なわれていた。
《輸送を開始します。危険ですので、私の周囲から離れていてください》
巨神兵の繭全体にワイヤーを括り付け、それをリーベの体に結び付ける。
そうして緩みや弛みが無いのを確認した上で、リーベはゆっくりと歩行を開始する。巨大な肉塊が、ずるりと地面を抉って動き始める。
周囲の兵士達から、どよめきが起こった。
「本当に動かしたぞ……」
「化け物同士だな」
巨神兵の繭は、その大きさに見合って重量もある。墜落した大型船に積み込む際も、数台の戦車を使って長い時間を掛けて行なったのである。
リーベも立ち上がれば4メートルにもなり鳥としてはかなりの巨体だが、流石にこれの前では小さく見えてしまう。
それでも紅い機械鳥は特別苦しそうな様子も見せず、指定された場所へ少しずつ移動させていく。
少し離れた高台から、この作業をクシャナが見ていた。隣には参謀のクロトワ。
「中々良い谷ではないか」
「私は反対です。本国からは一刻も早く巨神兵を持ち帰れと命令が来ておりますが…」
「命令は実行不能だ。大型船ですらあいつの重さに耐えきれず腐海へ墜落し、結果が昨日の有様だ」
「しかし…まさか本心でこの地に国家を建設するなど…」
「だとしたらどうなのだ? お前はあの化け物を本国のバカ共のオモチャにしろと言うのか?」
「そりゃまぁ分かりますがね」
クロトワはここで一度、砕けた表情から佇まいを正した。
「私は一軍人に過ぎません。そのような判断は分を超えます」
「ふん、タヌキめ」
クシャナはが鼻で笑った。彼女の視線が、今度は紅い方へ向く。
「化け物と言やあ、あっちの鳥はどうします?」
「リーベか」
「巨神兵とは別の意味で、とんでもない代物ですぜ」
「……」
「五分もあれば我々を皆殺しに出来ると言ってましたからねぇ」
「聞いていた」
「それが本当なら、我々の物にすれば相当な戦力になりますが」
「不可能だ」
クシャナは一言で断じた。
「あれは我々の命令を聞かぬ」
「なら奴の主――ナウシカでしたか、あの娘を人質に取れば?」
「それは悪手だ」
「ほう?」
数時間前の、城内での一幕。
ナウシカの命令と、それに対するリーベの回答と対応。
僅かな情報は僅かであったが、しかしそこから法則は導き出せる。
「奴はあの娘を守る」
「でしょうな」
「命令にも従う。少なくとも人間を殺せという命令自体を拒絶するような甘い機械ではない」
「ええ」
「だが盲目的でもない。機械のくせに、機械的でないのだな」
クシャナの眼が細く、鋭くなった。
「主人が正常な状態にあり、正常な判断を下しているかどうかを自分で評価し、命令を実行した結果によって主人自身が不利益を受けると判断すれば忠告し、確認する。確かにあの娘を人質に取れば、ある程度は行動を縛れるだろう」
「だったら好都合じゃ?」
「馬鹿を言え」
意見は一蹴された。
「それは同時に、あの娘を奪還する機会を四六時中探し続ける化け物を、我々のすぐ側へ置くという意味だ」
クロトワの笑みが引き攣ったままで、固まる。
「例えば私がペジテに戻る際に、娘と一緒に奴を連れて行ったとしよう」
「は…」
「船の中は狭く、逃げ場が無い。何か起こった時にはそのまま我々の棺桶に早変わりする」
「別の船へ乗せるってのは?」
「同じだ。何らかの理由で娘を奪還されれば、その瞬間から奴には遠慮する理由は何も無くなる。最悪船を落としても、あの娘が地上に叩き付けられる前に、空中でキャッチするという芸当だって可能かも知れん。また我々にその気が無くても、娘が乗る船に何か事故でも起これば、やはりその瞬間から我々には何の抑止力も無くなる」
五分。
リーベ自身が告げた殲滅所要時間。
あれが誇張だという保証は無い。寧ろたった今巨神兵を軽々引きずっている姿を目の当たりにすれば、本当に実行出来ると考えるべきだと思えた。
「自由になった奴が一隻目を落とす」
クシャナが空を指差した。
「次に二隻目。こちらが状況を理解する頃には、何隻残っているだろうな? 強い兵器ほど、自分が制御出来ると勘違いした時が一番危険だ」
クシャナはそう吐き捨てた。
「あの鳥はこの谷へ残す」
「はっ」
「そしてあの娘は私と共にペジテへ連れて行く」
「かなり離れますが」
「だからいい」
クシャナは谷を見渡した。
「娘には、あれへ谷を守るよう命じさせる」
「なるほど」
クロトワはその命令の意図をすぐ察したようである。
「ここには守るべき住民がいる。老人も、子供もいる。娘自身が命じれば、あれも無視はしにくかろう」
これは隔離であった。
そして別の使命を与える。
自分達へと手を届かなくさせるのだ。
「手綱を握ろうなどとは考えん方が良かろう。猛獣なら鎖で繋げば良い。だがあれは、自分で鎖の意味を考える」
「厄介ですな」
「だからこそ、距離を置く」
それが結論だった。
この晩、ペジテに戻るクシャナにナウシカと人質5人を同行させ、ガンシップと食料を徴発する命令が伝えられた。