私が寝ていた部屋は、公園からほど近い集合住宅の一室だったらしい。まだ慣れない自分の運動能力の変化に戸惑いながら時間をかけてシャワーを浴びる。勢いあまってシャンプーのボトルの頭がつぶれたりしたけど、何とかそれ以外のものは壊さずに済んだ。これまた四苦八苦しながら慎重に服を着て、家の外に出る。島崎さんにドアを支えてもらって外に出れば、そこには様変わりした光景が広がっていた。建物こそほとんどが原型を保っているが、アスファルトの道路はめくりあがって、とても車が通れるような状況ではない。そこまで考えてふと島崎さんに質問する。
「そういえば、スマホが使えなくなってましたよね。もしかしてほかの電子機器も?」
「うん。そうだね。車も電子レンジも何も使えない。正確に言うと壊れただけだから設備さえ整えばもう一度作れるとは思うんだけどね。この混乱とモンスターの脅威の中で生産ラインを復旧するのは言葉でいうほど簡単じゃない。」
「……そうですか。本当に世界が壊れたんですね。」
「あの赤い風が何かカギになっているのは間違いないと思うよ。ほかの地域でも同じような現象が起きていたらしいから。」
「だからこそ、ゲーム由来の錬金術と魔法が生き残るために必要だ。私たちは現代技術の復旧ではなく、私たちが持っている新たなルールの上で戦うんだよ。」
島崎さんから通訳を挟んだジャクリーンが言う。
「この世には二種類の人間がいる。過去にすがり、破綻したルールに固執する人間と、新しい世界に順応できる人間。私は後者でありたいと思ってるよ。」
話している間に、私たちは公園の中に入っていた。あの日の襲撃を乗り越えた人たちは、今も公園を中心にしてバリケードを築き、その中で活動している。集会を行おうとするなら、集まる場所はもちろん公園になる。向かう先は壊れた野外劇場。瓦礫はすっかり片付けられて、無事だった椅子が地べたに並べられていた。
ジャクリーンに促されて、島崎さんと一緒に舞台に上がれば、嫌でも集まった大勢の人間が目に入る。イベントでは何もしないで気楽な観客だったのに、どうしてこうなったのか。自問自答に答えが出るはずもなく、私は覚悟を決めて話し始めた。
話した内容は特に難しいことじゃない。初代エリクシアのファンブックを参考にして素材を探したこと、適当に混合するだけで筋力ポーションは作れそうなこと。ワインが混入したことによる変化についても話した。そして、ワインが混入していなくても、ポーション使用後のクールタイムのようなものが発生すると思われ、それが激痛を伴うことも話した。
なんにせよよくわからない動植物をごちゃまぜにして飲むのだ。安全を保証するなんて誰にもできない。それでも聞いている人たちは、私の話に――あるいは私が無事で目覚めてここに立っていること自体に――希望を感じている様子だった。
発表会は無事に終わって、質疑応答が始まる。まさかこの状況で「素人質問で恐縮ですが……」なんて言ってくるアホはいないはずなので、気楽に構えておく。私がわからないと答えたところで誰も責められないだろう。
一人の男性が手をあげる。ちなみに質問者のもとにマイクを持っていく係はいらない。なぜならマイク自体がないからである。さっきから私は大声を張り上げていたりする。彼もそうするだろう。
「質問だけど、ゴーレムっていろんな作品に登場するモンスターだと思うんだ。それなのに一目見ただけで判別できたのはなんでだったのかなって。」
最初の質問はポーションにあまり関係のない話だった。
「えーと、最初に来たメールが赤い風のきっかけのように思えたので、そこから考えてエリクシア関係の異変が起きている可能性は高いと思いました。」
私の返答に、静寂が降りる。不思議に思って通訳の島崎さんを見ると、彼もこちらを不思議そうに見つめていた。そして、
「ごめん、メールって何のことかな?」
その、決定的な一言を口にした。
「……え?メール、あの、劇の途中で公式から送られてきたやつですよ。見てませんか?そこに世界をかえたくば、以下のシンボルをタップせよって……。」
「そんなの来てなかったと思うけど。私もスマホの電源は落としていなかったし、メールが来たら気づくと思うけど。……見逃していたのかな。ほかの人は?」
島崎さんはそのまま流暢な英語で確認を取っていく。結果、劇の途中でメールを受け取ったという人は一人もいなかった。
心臓を握りつぶされるような心地がした。さ、と血の気が引いて、自分でも顔がかたくなっていくのがわかる。なんで、なんで一人もいない?あのメールは私だけが受け取っていた?……じゃあ。
「じゃあ、私が引き金を引いたの?」
ぽつりと取りこぼしてしまった言葉が、自分の心を締め付けた。
がたん、と椅子が揺れる音がして、一人の男が立ち上がる。彼が何を言ったのか、島崎さんは翻訳しなかった。だけどそれが答えだ。彼は周りの人が止めても叫ぶのをやめなかったし、その憎悪に歪んだ顔がすべてを物語っていた。それに賛同して立ち上がる人が一人二人と増えていく。
私が思わず一歩後ずさって、口を開いては閉じる。ようやく喉に空気が通って、
「ご、ごめんなさ……」
と言いかけたその時だった。
「みっともないわ。」
ジャクリーンが前に出る。彼女の声で、ざわめきが止まる。
「どうして止める!お前だって」
「彼女はただメールを受け取っただけ。それがトリガーになっていたとしてもあんな非現実的なことが起きるなんて予測できるわけがないわ。」
尚も言いつのろうとしていた彼は、その言葉に黙るしかなかった。会場はようやく、沈黙する。だけどその沈黙は、あまりにも鋭い緊張感をはらんだ沈黙だった。私はこの時ようやく理解したのだ。この世界において、もう舞台を降りることは許されないのだと。