チェックインを済ませて、搭乗ゲートまでシャトル便に乗っていく。それに揺られてビルが窓の外を流れていくのをみていると、すこしずつ緊張感が募ってきた。
私はいまから飛行機に乗って、海を越えた向こうに行く。
その実感がわいてきて、落ち着かない。そもそも私は別に旅好きではないし、なんならインドア派だ。昼休みには外で遊ぶよりも教室に残って本を読む方が好きだったし、カラオケに行くより通話しながらゲームをしたいと思う。かといって別に外に出て楽しくないわけじゃないので、その時の友達との会話に流されてアミューズメント施設に足を運んだりもする。得意なことは何ですかと聞かれたら長すぎる沈黙を経て絞り出された蚊の鳴くような声で「げーむです」と答えるような、平凡なただの女子高生である。自分の無趣味さにたまに焦りに似た何かを覚えるが、それで何か部活に新しく入ろうなんて考えないし、ぶっちゃけ今のままでいいとも思ってもいる。
そんな私がこの夏休み、なんで急に海外に行くことになったのかというと、それは公式から届いたとあるゲームイベントへの招待状がきっかけだった。ここでいう公式、というのはエリクシアシリーズというゲームをつくっている会社のことだ。
エリクシアシリーズ。十数年前に発売されて一世を風靡したRPGで、今なお熱狂的なファンを多く持ち、続編がつくられ続けている人気ゲーム。覇権、なんて言ってしまっても反対意見を言う人は少ないだろう。とにかくメジャーなゲームだが、その人気とは裏腹に結構独特なゲームシステムをしている。
その一番の特徴は生産にある。このゲームのプレイヤーはキャラクター作成時に職業を選択するのだが、普通のRPGなら魔法使いや剣士やらと選ばされるところ、このゲームには生産職しかないのだ。鍛冶師、錬金術師、開拓者、大工。この4つに分けられた職業には、それぞれ違った役割がある。鍛冶師は防具や武器などの生産、錬金術師はポーションや魔道具の生産、開拓者は地図や簡易拠点、罠などの生産、大工は建物や大規模な兵器の生産。それぞれの役割があって、職業が違うだけで別のゲームをプレイしているようだと評判。全ての職業を体験するためにゲームを4周してはじめてゲームクリアだ、なんて言われることもあった。
現在の最新作である『エリクシアⅢ』は比較的簡単なゲーム設計とオート調合システムなんかも相まって初心者に優しく間口の広いゲームになっているが、初代はそうではなかった。面倒くさすぎる素材採取、ギリギリのボス戦に数時間ゲームに拘束される無駄にリアルな生産工程、果てはレシピすらなかなか手に入らないシークレットの生産物まであり、昔のゲームならではの容赦ない難易度設定でプレイヤーをいじめてくる。
だけど、それがおもしろい。なんせリアルな調合過程は、自分でファンタジーの世界に入ってモノづくりをする実感を与えてくれるし、そうやって完成したものが強力な効果を発揮したときの興奮は他のゲームではなかなか得られないとおもう。
何を隠そう、私はその初代『エリクシア』の熱狂的なファンだ。とあるクリスマス、私はとあるシミュレーションゲーム――動物のたくさんいる森に集まるやつ――が欲しかったのだが、親の勘違いから間違えてエリクシアシリーズの初代を贈られた。最初はいやいやプレイし始めたのだけど、錬金術師になって強力なポーションを自らつくりだす快感に私はとりこになり、結果私は発売当時のプレイヤーもドン引きするレベルでゲームをやりこんだ。
4周ですべての職業を使うのは序の口。5週目でもう一度錬金術師に戻ってきてゲームクリア後の世界でポーションと魔道具を作り続け、いつの間にかレシピを見る必要すらなくなった。自分がこのゲームのレシピをすべて暗記していることに気づいた私は6週目で一切レシピを見ない縛りプレイを開始。その状態でやりこみ要素まで全クリアした。
ここまではよかったのだけれど、調子に乗った私はそれを動画配信サイトに乗せてしまい、良くも悪くも話題になった。要するにバズったのだ。……こうやって公式イベントの招待状まで届くようになってしまうくらい。たしかに承認欲求はそれなりにあるし、そのために投稿をしたのも事実だがこんなに目立つとは思ってなかった。正直恐怖心が勝る。わたしはどこで間違ったのか……。
公式イベントは新作の発表を兼ねているようで、初代以外も一通り遊んだ私としては新しいエリクシアが遊べる期待感にワクワクしている。ワクワクはしているのだが、しかし日本から一歩も出たことがない私に対して贈られてきた招待状は海外でのイベントを知らせるもので。親に伺いを立てたところ「いいんじゃない?いってきたら。」とのこと。がちがちに状況を固められた私は否応なしに初めての海外旅行を始めることになったのだ。
◎
関空発ロンドンはヒースロー空港行の国際便に乗り込んで、席に着く。見えるのは少し窮屈な機内とぎちぎちに詰め込まれた乗客たち。窓際の席じゃないこともあって、景色は見えない。私は読書で時間を潰そうと決めた。
やがて飛行機は動き出す。徐々に速度を上げて離陸。
サインが消灯して、機体の安定を告げる。
機内灯が消え、夜を迎えた機内にひそめたような寝息が満ちる。
そんな時、ごそごそと隣で音がした。なんのことはない。隣の席に座った老人が何かを取り落として、それが座席の下に潜り込んでしまったらしく、身をかがめては探し物をしているのだ。このまま放っておいても、彼はきっとすぐに探し物を見つける。だけど隣で困っている人がいる状況がなんだか落ち着かなくて、私は手を貸すことにした。まず、明かりをつける。
「ああ、ありがとう。寝ていたところを起こしてしまったかな。」
流暢な日本語だ、と思った。堀の深い顔立ちから、外国の人だと思っていたのだけれど。
「いえ、小説を読んでいただけなので。手伝いますよ。」
私の言葉に、老人は驚いたような声を――務めて静かに――あげる。
「おや、こんな暗いままで本を?」
そうだった。私は明かりもつけていなければ手に本を持ってもいない。さらに目をつむってさえいた。なんて説明しようかと悩んでいると、老人はにこりと笑って「とにかく、ありがとう。」とだけ言う。特に追及しないでくれるみたいだ。曖昧に笑って返してから、何を落としたのか訊いてみる。
「ちいさな、……石ですよ。」
「石?」
「ええ。ガラクタではありますが、とても古いものでしてね。故郷を思い出させてくれるのです。私にとっては大切なもの……なのですが、つい取り出して眺めているうちに落としてしまって。」
そっとシートベルトを外して、座席の下を確かめてみる。するとそれは案外すぐに見つかった。――黒い、石。いや、辺りが暗いからそう見えるだけか、どこかグラデーションのかかった薄べったいかけら。手渡せば、老人はにっこりと笑って礼を言う。そこで改めて顔を見たのだけど、その髪の色も、青い瞳も、やっぱり日本人らしくはない。
ただ、彼とはそれきりだった。それ以上特に会話を交わすこともなく、機内は夜に沈む。私は読書の続きを再開して、彼も手元の石を眺めるのに夢中になっているようだった。
さて、私は平凡な無個性の塊みたいな人間ではあるが、実はちょっとした特技を持っている。私はどうやら、ほかの人よりも記憶力がいいらしい。
目をつむって、頭の中に白紙を描く。ちょうど出発する前に数冊買った文庫本の内容を思い出して、白紙に文字情報を羅列していく。記号としてしか覚えていないから、その内容にはまだ触れていない。こうやって反芻するように頭の中で本を読むのが私のスタイルである。紙はかさばるから全部覚えて日本に置いてきたのだ。
古色蒼然 こしょく-そうぜん
とても古びている様子。
または、古びていて趣のあること。
四字熟語辞典ONLINE, https://yoji.jitenon.jp/yojic/1464, (閲覧日:2026年7月21日)