目を開ける。その動作をして初めて、自分が目を瞑っていたことを知った。目の前には相変わらずこちらを見下ろす精霊王がいて、隣にはフリーダがいた。彼女は私のことを心配そうに眺めていて、少し早めに精神汚染から抜け出していたみたいだった。その手にはくしゃくしゃになった便箋――誰かからの手紙が握られている。彼女がこの遠征の、精霊王の精神汚染に対抗するために持ってきたもの。その中身を、私はあえて聞いていない。
「おどろいた。二人とも帰ってくるのか。」
精霊王がその人工物のような顔で、目をまるくして驚いている。
「特に片腕のお前は、変だ。」
「変って……。」
「ああ。人畜無害な顔をして私の精神介入を退けるのだからそれはもう。ともかく余はお前を気に入った。余にとって都合の悪い邪な考えがあるわけでもなさそうだ。だが。」
すっと手を上に伸ばす。精霊王の陶磁器のような滑らかな指は、はるか上空を指し示していた。
「呼んでしまったものは呼んでしまったのでな。もう遅い。これを相手して生き残ったのならば森を案内してやろう。」
はるか上空から、大きな羽ばたきの音がした。だんだんと降下してくるそれは、やがてその巨大な体躯によって私たちに影を落とした。世界樹の森の強靭な木々を、先ほどのバロメッツもろともなぎ倒しながら降りてくるのは、十メートルはあろうかという翼を持つ空の頂点捕食者。金色の鱗、刃のような鋭い爪、とがった肉食の牙の間からほとばしる魔力の残滓。そして何よりも、体中のあちこちから地面に向かって光の線が奔る。バチバチと音を鳴らすそれは、どう見てもプラズマの輝きだった。
その爬虫類のような鋭い顔が、怒りに歪んだ。開かれた口から咆哮が放たれて、私たちは殺意と敵意を浴びせかけられる。
ドラゴン。エレメントドラゴンの中でも雷をつかさどる種。プラズマドラゴンだ。
「森のギャップを自然な形でつくるために呼んでみたのだが思ったより知能が低くて扱いに困っていてね。今だって、最初に君たちにぶつけるつもりで呼んでいたのに重役出勤だ。倒してもらって構わないよ。素材も好きにするといい。錬金術師は好きだろう?ドラゴン。」
ギャップという言葉で記憶に検索を掛けると、いつか見たテキストがよみがえった。雷による小規模な山火事が太陽の通りをよくして、森の生態系の多様性に貢献する。いや、このドラゴンでそれやるつもりだったのかこいつ。規模感が明らかに狂ってるでしょ……。
「余と戦うよりはマシだろう。頑張ってくれ。」
まったくもってその通りだ。精霊王は圧倒的にドラゴンより強い。が、しかしドラゴンは圧倒的に私たちより強い。精霊王に攻撃されないなら何とかして逃げ切れるだろうか。
一瞬の思考。それすらも許さないといわんばかりに、ドラゴンがこちらに突進を仕掛けてくる。体の周りにあった放電が止んでいる。本気で戦闘をするために電気をため始めたのだ。
走り出したその一瞬の加速度をみて、この幻生生物から逃げ切るのが現実的でないと理解してしまう。
「まとまらない方がいい!散開しよう!」
フリーダの声にこたえて、私ははじかれたように動き出した。ドラゴンの狙いは――私だ。フリーダが狙われるよりいい。大工は魔法の発動に時間がかかるから、私がその時間を稼ぐべきだ。なるべく遮蔽になるような木々の間を走るが、まるで足止めにならない。生えている木が実はすべてバームクーヘンでできているのかと思うほどあっさりとなぎ倒されていく。
右手がなくなったせいでうまく体のバランスが取れない。いつもの重心がずれるだけでこんなにも動きにくくなるのか。ついに追いつかれて、目の前でドラゴンの爪が振り上げられる。私はその時狂っていた。右手を失い、精霊王に襲われ、そして精神汚染まで受けて、極端にすり減っていた。だからこそ、その無謀な動きをすることに恐怖を抱かなかった。
麻痺した心をいいことに、私は画面の中で何度も繰り返した行動をなぞる。方向を転換して、前へ。ドラゴンの懐に飛び込んで、そのままバランスを崩して転がる。背後で木が割れ土がえぐられる轟音が聞こえた。
一瞬私を見失ったドラゴンは、すぐさま翼を広げて上空へ飛びあがる。そして、空中で身を起こすと、翼の後方から無数の糸のようなものが射出される。それは空を彩るカーテンか、にわか雨のシャワーにも見えるだろうか。比較的軽い糸が、先に吊るされたおもりに引かれて降り注ぐ。トトトト、と軽快な音を立てて地面に突き刺さるそれを、私は必死になって躱した。私の5センチ隣をすり抜けていくそれに身を震わせながらも、何とか当たらずに済む。あれは電極だ。ゲームのような派手な演出こそないが、それはしっかりとすべての電気が地面に流れたから。一本でも食らえば雷以上の高圧電流を体に流されて死ぬ。
「フリーダッ!」
「了解!行くよ!」
携帯式杖塔を展開たフリーダが、魔法の発動待機を終えていた。私のヘイト買いを無駄にしないように、狙いすました一撃が放たれる。圧縮された水の刃。先ほどよりも大きなそれは、フリーダの今出せる最高出力だ。見れば、イチャノ実を入れていた袋も重みを失って頼りなく風に吹かれている。
私に集中していたドラゴンは不意に飛んできたフリーダの一撃をまともに受けた。だけどそれは大した致命傷を与えることはできず、足に切り傷をつくる程度に回転したのち、振り払われて消えてしまう。
だけど効果がなかったわけじゃない。その攻撃をうっとうしく思ったドラゴンが、空では的になると踏んだのか地上に降りてきた。もはやここしかチャンスはないと確信する。私はドラゴンに向かって死ぬ覚悟で走り出した。手には槍。竜の首を、貫く以外にない。私の力では無理。だからヤツが降りてくるタイミングに合わせて、ドラゴン自身の体重で貫くしかない。あの日のゴーレムと、私をかばった人。その幻影を振り払って、私は槍を突き出した。
果たしてドラゴンが、私の槍に吸い込まれるように着地する。うまくいく。この角度なら入る。そう思ったのが、間違いだった。ともすればドラゴンは、私のちっぽけな行動になんの脅威も見出していなかったからこそ、そのまま着地したのかもしれなかった。鱗に触れたとたん、雷撃が奔る。それは金属の槍を通って地面に吸い込まれ、あとに残ったのは高温に熱されドロドロに溶けた金属の棒だった。もちろんそんなもので竜の鱗は貫けない。悠々と着地したドラゴンが、慌てて槍を手放した私をにらみつけた。
幸い槍が地面に流したおかげで私自身は感電していない。今からドラゴンに食われるのを幸いとよべるのならば。
ドラゴンは私のことを、もはや敵ではなく食料と認識したのかも知れない。おびえ切った私に口を開いて迫りくる。そこには愉悦も嗜虐もない。ただの、野生の食事。
目を閉じて死を待った私に訪れたのは、金属がぶつかるような轟音だった。
背中が見える。装備に包まれてなお、あの日ネズミの大群から私をかばったそれと同じものだと、すぐに理解できた。
「遅くなって申し開きのしようもないが。」
一人の紳士が、口を開く。
「戦場に戻ることにした。よく考えたら妻と一緒にいる方が恐ろしかったのでね。」
その盾は、雷撃に赤熱してなお、堅くドラゴンの牙を抑え続けていた。