※pixivでも同じものを投稿しています。
街灯のない夜の帷の中を、足を引き摺りながら悪魔は走る。景色が思い出と共に過ぎていく。
——私は、あの子に憧れていた。優しくて、強くて、美しいあの子に。
槍で貫かれ、マスケット銃に撃ち抜かれ、巨大な口で噛みつかれ、サーベルに斬られた悪魔の翼。
息も絶え絶えにしながら走る。
いつか夢見た幻想は、幻想のまま崩れてく。だけど、あの日の約束を忘れない。
きっとあなたを救ってみせる。
その約束を果たすのに、ずいぶんと遠回りをしてしまった。
ススキの丘の小さな椅子に座って、悪魔は処刑の時を待つ。
「…はぁ…はぁ…最期があなたとはね、美樹さやか。」
「…」
目をゆっくりと開き、背後にいる少女に語りかける。
空を覆うほどの満月が悪魔を照らし、悪魔の首元に刃を向けるさやかを映す。
月光と共に露わになる悪魔の身体。
漆黒の衣装には血は滲み、自慢の翼は根本からもがれ、そこから滴る血液が丘を穢す。
美しいはずの夜景も、今はただ虚しいだけだ。
「その刃をどうするの?」
「…答えなくてもわかるでしょ。」
荒い呼吸を整えて、悪魔は処刑人に問いかける。
世界を書き換えた大罪人。神の使徒として、正義の魔法少女として、そんな存在を生かしておくわけにはいかない。
神の半身を失った悪魔など、もはや敵では無い。
その刃を振り下ろし、処刑を執行する。たったそれだけで全てに決着がつく。
けれど、さやかは最後にこの悪魔に聞いておかなければならないことがあった。
「暁美ほむら、あんたは何がしたかったの?」
「…質問の意図がよくわからないわ。私はまどかが欲しかっただけ。まどかがもう二度と私の側から離れないように。」
「それならまどか以外の私たち全員を不幸のどん底に落としておけばよかった。救いもない世界に放置して、魔女になるのを待てばよかったんだ。そうすればこうやって、まどかを奪い返されることなんてなかったはずでしょ?」
まどかにアメリカからの転校生なんて設定を付け加えたんだ。その程度わけないはずじゃないか。
「何が言いたいの?」
「あんたはまどか以外眼中にないって風に振る舞いながら、他の人の幸せも願ってる。それはなんで?」
「…」
ススキが少し揺れて、白い小動物が真紅の瞳で二人を覗く。
「…それは、まどかの望んだことじゃないから。優しいあの子が認めるはずのない悪夢だから。」
「でも、あんたはまどかの意思を裏切って世界を書き換えた。まどかが願った世界を捨てて、都合のいい歪な世界に逃げ込んだ。」
何度も繰り返して、得た答えがまどかの消滅。
そしてひとりぼっちの世界で、結界に囚われてエサにされるなんて、悲劇以外の何者でもない。
けれど、結界が崩れたあの時、そこで救われてもよかった。救われるべきだった。なのに、あんたは改変を望んだ。
「あんたが本当に望んでいたことはなに?」
風は強くなり草木は揺れる。それでも、月明かりだけは優しく降り注いでいた。
「…私は…私は、鹿目まどかの友達になりたかった。一方的に知ってるだけ、一方的に想ってるだけなんて嫌だった。普通に出会って、普通に仲良くなって、普通に友達になりたかった!」
あの日救ってもらったからじゃない。あの日名前を褒めてもらったからじゃない。暗く沈んでいた私を照らしてくれた、そんなあの子の光に惹かれてしまった。
だから、ただの友達になりたかった。
さやかからは、悪魔の表情はよく見えない。けれど、彼女の震える声は静寂の中でよく響く。
「あなたに理解できる!?まどかの親友だったあなたに!解り合えない苦しみが、遠くに行ってしまう虚しさが。あなたはいつだってまどかの1番だった。どんな時間軸であろうとも、世界が書き換えられたとしても、あなたはまどかの親友だった。私は、そんなあなたが妬ましい。」
泣きじゃくるように悪魔は叫ぶ。首元に向けられた刃には、煌めく涙が滴って、その水滴がレンズとなって悪魔の顔を映し出す。
「そっか…悪いね、まどかの1番は譲れない。暁美ほむら。あんたはやり方を間違えた。でも、あんたは確かにまどかの友達だったよ。恩義でもなんでもなく、ただの一人の人間として。」
平行世界を跳躍し、時を止め、心を止めた少女。世界を超えた先で世界を書き換えただけ。ただそれだけの普通の少女の物語。
「…ほんと、月が綺麗…」
どちらの言葉かどうかはわからなかった。けれど、二人の感じた美しさはきっと同じはずだから。
繰り返された時の果て、塗り替えられた世界の終わり。
悪魔の…いや、暁美ほむらの最期の一幕。優しく、そして懐かしい月光の下でさやかのサーベルは、正確に悪魔の魂を切り裂いた。
暁美ほむらは、もう二度と現れなかった。魔女の結界内で死んだ時のように、身体すら残らなかった。
たとえ神であったとしても、存在しないものを救済することなんて出来やしない。宇宙の塵として、発散するエネルギーとして、彼女の魂は虚空の彼方へ消えていった。
穏やかな夜はまだ終わらない。月明かりの空には深紫のカケラが舞っていた。
やっと語り合えた友人を残して。
「よっと!」
人型の魔獣が槍に貫かれ、形を保てなくなって消滅する。
「ほんっと、最近の魔獣は張り合いがないよなぁ。もうちょっと強くてもいいのにさ。」
「佐倉さん、そうやって油断してると足元を掬われるわよ。」
歪で優しい世界は中核であった悪魔を失ったことで幻のように消えてしまった。
一部例外を除いてあの世界での記憶は残らず、最初は違和感を感じる人も多かったけれど、みんな、元の正常で残酷な生活に戻っていった。
世界は再び円環の理の影響下になった。しかし、神の慈悲か、はたまた何かの偶然か、それともさやか自身の望んだことなのか、さやかはまだ回収されず魔法少女として残されていた。
「おい…さやか?泣いてるのか?」
「え…?」
何故だかわからない。けれど、さやかの瞳からは涙が溢れて止まらない。
「お、おい!本当にどうしたんだよ!また消えちまうんじゃないだろうな?」
「そうなの!?美樹さん!?」
「…ごめん。心配無用だよ、私はもう消えないから。」
「はぁ?ならなんで泣いてんだよ?」
「ちょっと、友達のことを思い出してたんだよ。ここじゃない遠くに行っちゃった私の友達のことを。」
神様みたいに優しくて、鋼のように強い心を持った親友。それと、その親友のことが大好きな意地っ張りで、重くて、悪魔みたいに健気な私の友達。
「…へぇ〜、さやかの友達になってくれるやつなんているんだ。」
「なっ、失礼な!それぐらいたくさんいますぅ!」
夜空に二人の影が伸びていた。
『やれやれ、君は今の世界がどうなってしまったのか、本当に理解しているのかい?』
月明かりもない静かな夜の電波塔。その頂上に座るさやかとインキュベーター。
彼女らこそがあの優しく歪な銀の庭を覚えている一部の例外であり、過去の世界の遺物。
「さあね。いい世界だと思うけど。」
『一度目は暁美ほむらによる世界改変。二度目はほむらの消滅に伴う円環の理による修正。』
インキュベーターは淡々と続ける。
『君たちが起こした二度の世界改変の代償に、宇宙の寿命は大幅に削られてしまったわけだ。』
物質が変換されるときに生じるエントロピー。
二度の世界改変はキュゥベェの許容範囲を大きく超える規模のエントロピーを発生させたらしい。
正確には3回目の世界改変だけれど、コイツはそこまで知ってるわけじゃない。
事象としてはほむらから聞いていたのだろうけれど、最初に起こった本当の奇跡を、コイツは知らない。
『おまけに魔獣の質の低下も著しい。これではエントロピーを凌駕するなんて不可能だ。』
感情エネルギーの物質化。それが魔獣の役割だった。だけど、魔獣を嫌ったほむらはそのシステムに重大なダメージを負わせてしまった。
グリーフキューブの大きさも小さくなっていて、最近は少し浄化するだけでも一苦労だ。
まぁ、杏子とマミさんが一緒なら大変じゃないけど。
『現在、宇宙は急速に死に向かっている。一万年後にはエントロピーが最大化し、宇宙全体の温度が均一化されるだろう。』
「はいはい。」
人の短い寿命の前に、そんな天文学的数字を並べられたって実感のしようがない。
説教がしたいなら、もっと卑近な話をして欲しいものだ。
「でも大丈夫だって。」
『一体何を根拠に…?』
首を傾げながらそう尋ねてくる顔が憎たらしい。
コイツらが宇宙の死を『はいそうですか』と素直に受け取るとは思えない。きっとまたロクデモナイことを考えてる。
「だってさ、魔法少女は夢と希望を叶えるんだもの!」
さやかはマントを翻し、夜の街へ飛び降りる。魔獣たちが跋扈する呪いまみれの穢れた世界。
それでも、この世界には、杏子も、マミさんも、仁美も、恭介だっている。
恭介のヴァイオリンの旋律は綺麗だし、マミさんと杏子、3人で食べるケーキとお茶はとっても美味しい。
それに、気付かぬ合間に杏子と仁美が友達になっていたりもした。
いつもうまく行くわけじゃない。失敗したり、ぶつかり合ったりする事もあると思う。
でも、私はそれが限りなく楽しい。
いつかは終わりを迎える世界。けれど、それは今じゃない。
だから私は、戦い続ける。
"Don't forget. Somewhere, She has always been fighting for you. "
"As long as I remember her, I am not alone."
夕焼け空の下、少女が一人河原を歩いていた。
正義を信じ、希望を信じ、絶望に飲み込まれ、再び戻ってきた一人の少女。
そんな彼女の横を、すり抜けるように黒猫が通る。
「エイミー…」
いつか、誰かを繋いだ黒い子猫は、立派な成猫になっていた。
暗く沈んでいた彼女の足取りは、どこか軽くなる。
終劇 完 fin