思いのほか面白く書けたのでおすそ分けです。
――照りつける真夏の太陽が、ヘルメットの樹脂をジリジリと焼いていた。
むせ返るようなアスファルトと、むき出しの鉄骨が放つ熱気。絶え間なく響く重機の唸り声と、金属がぶつかり合う甲高い音。そこは、俺にとっての戦場であり、何よりも守るべき「日常」だった。
「おい、ちょっと待てやそこのあんちゃん」
建設中の複合ビルの三階部分。仮設外部足場の点検(パトロール)に回っていた俺は、足場屋の若い衆を呼び止めた。まだ二十歳そこそこの、金髪を汗で張り付かせた若者だ。
彼が組んでいた単管パイプの結合部――クランプのボルトと、ブラケットの楔(くさび)の打ち込みが、明らかに甘かったのだ。
「ここのクランプ、ボルトの締まりが中途半端やぞ。楔も奥まで入りきってへん。どういうこっちゃ」
俺が赤いマーカーで印をつけながら指摘すると、若手は面倒くさそうに舌打ちをした。
「あー……それ、今仮止めしてんすよ。後でまとめて本締めするんで」
「何言うとるんや!」
俺の怒声が、けたたましい工事の騒音を切り裂いた。若手がビクッと肩を揺らす。
「後でまとめて、やと? 足場に『仮』なんかあるかい! お前が今組んだその一本に、後から登る職人の命がかかっとるんやぞ! 一つ一つの作業を確実に決めてから次にいかなあかんやんけ! その『後で』の間に誰かが寄りかかったらどうすんねん!」
俺の剣幕に、若手も引くに引けなくなったのか、反抗的な目を向けてきた。
「だから、後でやるって言ってんじゃないすか! いちいちうるせえな、安全安全しか言えない能無し野郎が……!」
「なんやと!」
そこへ、騒ぎを聞きつけた足場屋の親方が飛んできた。顔を真っ赤にして、若手のヘルメットをスパーンと思い切り引っぱたく。
「この馬鹿野郎! お前んな中途半端な仕事やってんのか! 安パトの言う通りだろうが! お前後でつってどーせ忘れんだからよ! 一つでも忘れたら死人出るぞわかってんのか!? 一個一個決めてけ馬鹿野郎! ふざけた口きいてんじゃねえぞ!」
親方の雷に、若手の顔が屈辱と怒りで歪んだ。彼は俺と親方を睨みつけ、そして、行き場のない怒りに任せて、俺の肩をドンッと軽く突き飛ばした。
「……あ」
本当に、ただの軽い八つ当たりだったのだろう。
だが、不運なことに俺の足元は、先ほど彼が「仮止め」だと言い訳をしたばかりの、不安定な足場板の上だった。よろけた身体を支えようと、俺は咄嗟に背後の手すり――横に渡された単管パイプに寄りかかった。
ギシッ、と。
嫌な金属音が鳴った。
その手すりを固定していたクランプもまた、彼が本締めを怠っていた箇所だったのだ。
俺の体重を支えきれず、パイプが外れる。身体がふわりと宙に浮いた。視界が反転し、青すぎる夏の空が遠ざかっていく。
(あぁ、やっぱり安全帯(ハーネス)のフック、かける場所がなかったからって油断したらあかんなぁ……)
落下していく数秒間が、酷くスローモーションに感じられた。風を切る音。親方と若手の、血の気が引いた絶叫。そして――ドンッ、という鈍い衝撃。
コンクリートの地面に叩きつけられた瞬間、全身の痛覚が一瞬だけ爆発し、すぐに全く何も感じなくなった。冷たい地面の感触と、自分の口から溢れ出す鉄の匂いだけが生々しい。
視界が急速に狭まっていく中、足場屋の連中が慌てて俺の周りに集まってくるのが見えた。突き飛ばした若手が、顔面を蒼白にして震えている。
「ほら……みろや……」
喉に絡みつく血を吐き出しながら、俺は最後の力を振り絞って声を絞り出した。
「こうなる……やんけ……。一つ一つの仕事は……ちゃんと決めて、次に……いかなあかんで……。わかった、やろ……。ご安全……に……」
それが、現場の安全を第一に考えて生きてきた、しがないおっちゃんの最期の言葉だった。
■ ■ ■
――ふと気づくと、俺は見慣れぬ空間に立っていた。
痛みはない。灼熱の太陽も、血の匂いもない。
ただ果てしなく広がる、ふんわりとした真珠色の空間だった。
そして目の前には、なんかえらい神々しい人が、空中に胡座をかいてプカプカと浮いていた。年齢も性別もわからない、ただ圧倒的な『存在感』だけを放つ光り輝く姿だ。
『やあ。君、死んだみたいだよ』
その神々しい人は、コンビニの店員が「温めますか?」と聞くような、ひどく軽いトーンでそう告げた。
「……あー、やっぱり?」
俺は頭を掻いた。自分の手のひらを見ると、血の汚れもシワも消え、なんだか少し若返っているような気がした。
「まぁ、あの落ち方で無事はありえんわな。しっかし、こーしてなんかよーわからんことになってるってことは……輪廻転生ってヤツかいな。それがあるってことは……俺は『悟り』とやらを開けんかったってことか? 俗物やからしゃーないけど」
俺がそうボヤくと、目の前の存在はコロコロと鈴が鳴るような声で笑った。
『ははぁ、輪廻から解脱して涅槃に至るってやつ? それはブッダ君の管轄ならそうだけど、ボクの場合はそうじゃないよ。ここはもっと別のシステムなんだ』
「ブッダ君て。君、えらい気さくな神様やな」
俺のツッコミに、自称神様はニコリと微笑んだ。
『まぁ本題に戻ろうか。君は、すごく真っ直ぐに生きてきた。本当にね。僕の書いた筋書きよりも、何倍も他人の命と安全を守るために口うるさくして、最後もそのせいで、自分の命を落としてしまった。だからね、少しばかり君には『ボーナス』をあげようと思って。他の世界で、のんびり余生を楽しんでもらおうと思うんだよ』
「他の世界……いわゆる異世界転生ってヤツか。最近の若いもんがよう読んどるラノベみたいな展開やな。おっちゃんには刺激が強すぎへんか?」
『心配ないよ。そのためのボーナス、特典(チート)さ。君が望むものを、何でも一つだけ持たせてあげる。何がいい?』
―――何でも、一つだけ。
俺は少しだけ考え込んだ。前世では仕事一筋、趣味といえばたまにパチンコを打つか、家でこっそりアニメやゲームを楽しむくらいだった。いい歳こいたおっちゃんが、神様の前で己の欲望を曝け出すのは少しばかり恥ずかしい。だが、せっかくのボーナスだ。遠慮する理由もない。
「ほいなら……ちょっとお恥ずかしいのやけど。俺、フェイトって作品が好きやねん」
『おお。フェイト。ロマンだよね』
「せや。それでその中に出てくる、アーチャーって奴が昔っから好きでなぁ。背中で語るオカンみたいな奴なんやけど。あの、なんやっけ……無数の剣が出るヤツ。あれが欲しいんやけど、いけるか?」
俺が照れくさそうに言うと、神様はポンと手を叩いた。
『なるほど、固有結界【無限の剣製(アンリミテッド・ブレイド・ワークス)】か。大魔術だね』
「それや! さすが神様、話が早いわ!」
『でも、いいのかい?』
神様は少しだけ首を傾げた。
『君が行く先は、血で血を洗うような聖杯戦争の世界じゃない。もっと平和で、戦いなんて無い世界の可能性もあるんだよ? そんな物騒な能力(チート)を持っていっても、全く使い道がなくて宝の持ち腐れになるかもしれないよ? どちらかと言えば、ほら、どらえもんのポケットとか、あとはそう、好きな姿で生まれ直すとか。色々あるじゃない?』
その忠告に、俺は腹の底から豪快に笑い飛ばした。
「ガハハ! ええんやって、それで! 俺は別に、誰かと殺し合いがしたいわけやないんやから。平和な世界なら平和な世界で、一人で荒野に剣ぇ並べて、『うおおお、かっけぇぇぇ!』って楽しむさかいに! 誰にも迷惑はかけへんよ!」
自分の心象風景を展開して、無数の剣を降らせる。中二病全開のその能力を、誰もいない裏山かどこかで一人で発動させてニチャニチャする。平和な余生に、それ以上の娯楽があるだろうか。いや、ない(反語)。
俺の答えを聞いて、神様は呆れたように、しかしひどく嬉しそうに目を細めた。
『あはは、君は本当に面白い人だね。いいよ、その願い、確かに聞き届けた。君の魂の形に、その魔術回路と心象風景を焼き付けてあげよう』
「おお、おおきに! ……で、そいえばあんた、勝手に神様よんでるけども、結局神様でええんか?」
俺はふと疑問に思ったことを口にした。
『気になるのかい?』
「いやな、よーフェイトのこと知っとるなって思うてな。神様もサブカルチャー嗜むんやなって。しらんけど」
俺の言葉に、神様は空中でくるりと宙返りをし、自慢げに胸を張った。
『あー。そりゃあね? ボクも物語を書くのが大好きだからさ。この地球上の、70億の人間の人生という『物語』を書いているのはボクなんだよ? だからこそ、君たち人間が生み出す、熱くて面白くて、時に悲しい『物語』を読むのも大好きなんだ!』
「なるほど、そりゃ納得や」
俺は深く頷いた。70億の人生の脚本家であり、同時に最大の読者。そりゃあ、型月(TYPE-MOON)の世界観にも詳しいわけだ。
『さあ、それじゃあ行っておいで。新しい世界で、君だけの新しい物語(人生)を紡ぐんだ。――良い旅を』
神様が指を鳴らすと、俺の足元がふわりと光に包まれた。
意識が遠のいていく中、俺は自分の心に、確かな熱いものが宿るのを感じていた。次に目を覚ました時、俺がどんな姿で、どんな世界にいるのかは分からない。だが、安全第一の精神と、この魂に刻まれた「無限の剣」があれば、きっとどこでもやっていけるだろう。
「ほな、行ってくるわ。ご安全に!」
俺の別れの言葉が空間に溶けるのと同時に、真珠色の世界は真っ白な光へと染まっていった。
■
――ある休日の、昼下がりのことだった。
自室のベッドで昼寝から目覚めた瞬間、俺(わたし)の脳内で、二つの全く異なる人生のピースがカチリと音を立てて噛み合った。
「あー、せやせや。わい、そうやったやんけ」
窓から差し込む西日を浴びながら、俺はポツリと呟いた。
ひどく自然な感覚だった。頭を打ったわけでも、雷に打たれたわけでもない。ただ、子供が成長の過程で自我を確立するように、『前世の記憶』が今の『わたし』の意識と完全に融合を果たしたのだ。
ベッドから降りて、部屋の姿見の前に立つ。
そこに映っていたのは、銀色の髪を揺らす、まだ小学校低学年ほどの可愛らしい少女。そして何より目を引くのが、頭の頂点からピンと生えた『馬の耳』と、お尻からふさふさと伸びる『尻尾』である。
「なるほど、神様が言うてたボーナスってこれか。ばっちりウマ娘になっとるやんけ。しかも俺、メス……いや、女の子になっとるし」
尻尾をパタパタと動かしながら、俺は自分の置かれた状況を冷静に整理した。
ここはどうやらウマ娘の世界らしい。。確かに、戦乱とは程遠い。それ自体は驚きだが、もっと驚くべきは現在の『家族構成』である意識が統合されたことで、今の家族の顔と名前が鮮明に思い出された。
一階のキッチンからは、夕飯の支度をする母親の鼻歌が聞こえてくる。彼女の名前は『シャーレイ』。
リビングのソファで新聞を読んでいるだろう父親の名前は、『キリツグ』。姓は『衛宮(えみや)』。
そして、俺には少し年上の兄がいる。現在、庭のガラクタ置き場で何やら一生懸命に機械いじりをしている彼の名前は、『士郎(しろう)』。
俺――衛宮家の長女は、鏡の前で両手で顔を覆った。
(神様、出木杉やん……!)
顔のニヤけが止まらなかった。
前世で型月(TYPE-MOON)のファンだった俺にとって、こんな夢のような環境があるだろうか。衛宮切嗣にシャーレイ、そして士郎。あの悲劇の運命を辿ったはずのキャラクターたちが、この平和なウマ娘の世界で、仲睦まじく『普通の家族』として暮らしているのだ。
フェイトファンとしては、願ってもねぇ一家(ハウス)である。親父がタバコを吸いながら新聞を読み、おかんが笑い、兄貴がガラクタを直す。その輪の中に自分がいる。最高かよ。
「いやー、神様マジでええ仕事するわー」
ホクホク顔で振り返った俺は、自分の勉強机の上に、見慣れない一枚の封筒が置かれていることに気がついた。上品な羊皮紙に、仰々しいシーリングワックス。誰がどう見ても『普通じゃない』手紙だ。
「……ん?」
手に取って封を切ると、便箋の中央には、あの真珠色の空間で出会った気さくな神様の字が躍っていた。
『やあ、無事に記憶が戻ったみたいだね。ボクからの最後の連絡になるよ』
脳内に、あのコロコロと笑うような声が直接響いてくる感覚がする。
『ここは君も気づいている通り、ウマ娘の世界。そして、これで君は晴れてウマ娘だ。これからは、君の好きなように走ればいい。魔術で身体を強化すれば、レースも楽に勝てるだろうしね。必要な魔術の知識はすでに君の頭の中に入れてある。もし確認したくなったら、本棚にある『魔術教本』を読むといいよ。
あ。ちなみにその本、装丁を中二病マックスにしておいたから。魔術は君にしか使えないし、もし他の人が読んでも「あー、そういう時期あったよなー」って冷笑されるだけだから安心してね!』
俺は視線を横にずらし、本棚を見た。図鑑や絵本に紛れて、一冊だけ、漆黒の革張りに真紅の五芒星が描かれた、見るからにヤバい(痛い)魔導書が鎮座していた。
「……好き勝手やなぁ、神様」
俺は苦笑いしながら、手紙の続きに目を落とした。ここからが、神様の筆致が少しだけ真面目なトーンに変わったところだった。
『で、ここからが本題。君が望んだ『無限の剣製』だけど……心象風景を使うようにする、ということは、君の魂の終着点はエミヤだ。つまり、彼の『正義の味方』としての生き方が、ある程度決定づけられているということだ。
今はまだ前世のおじさんの意識が強いかもしれないけど、君の意識もいずれ、エミヤのように他者を救う正義の味方へと引っ張られていくと思う』
神様からの、少しばかりの忠告。あるいは、呪いの宣告だった。己の幸福を捨ててでも、他者を救わずにはいられない。そんな強迫観念めいた生き方に縛られるという警告だ。
だが、俺は便箋を読みながら、鼻で笑った。
「そりゃそうやろ。固有結界(心象風景)ってのは、その人個人の心の在り方そのものなんやから。フェイトよー見たからわかっとるっちゅーねん」
自分の内に『無限の剣』を宿すということは、すなわちそういう精神構造になるということ。エミヤシロウの魂を望んだ時点で、俺はその生き方(プログラム)ごと受け入れたのだ。
とはいっても、前世で「安全第一」を掲げて職人たちの命を守っていた俺からすれば、方向性は少し違うが、根本の『誰かの無事を願う』という点ではそこまでかけ離れてもいない。
「それに何より……カッコええからええんや! アレが展開できるなら、それくらいの呪い、安いもんやで」
俺が力強く頷くと、手紙の文章もまるで見透かしたように続いていた。
『ま、君なら問題ないだろうけどね。カッコいいもんね、アレ。じゃ、あとは新しい人生を存分に頑張って。ボクも読者として楽しみにしているよ』
「……ありがとな、神様。最高のボーナスや」
俺は空に向かって、小さく手を合わせた。ふんわりとした感謝の念に包まれながら、手紙の一番最後、追伸のようにつけ足された一行に目をやる。
『なお、この文章は三秒後に消滅する』
「――映画やん!?」
俺がツッコミを入れた瞬間、ポンッ!という間抜けな音と共に、手紙は一瞬で光の粒子となって空中に溶けて消えた。
あとに残されたのは、少しばかりの焦げ臭い匂いと、空っぽになった俺の手だけ。
「ガハハハハッ!! なんやそれ、アホくさ!!」
俺は耐えきれず、腹を抱えてベッドの上に転げ回った。大笑いする声が、平和な衛宮家の家中に響き渡る。
一階から、
「どうしたのー? アーチャー! ご飯できたわよー」
という母親(シャーレイ)の優しい声が聞こえ、庭からは兄(士郎)が、
「なんか面白いことあったのかー?」
と窓越しに覗き込んでくる。
最高の家族。ウマ娘としての強靭な肉体。そして、魂に宿る無数の剣。
元・現場監督の安全第一なおっちゃんの、正義の味方(ウマ娘)としての第二の人生は、かくして笑い声と共に幕を開けたのであった。