さ、サッカーで人が死んだ……!
「染岡さんが……死んだ……!?」
認めたくない現実が、目の前に転がっていた。
ついさっきまで、あんなに頼もしくピッチを駆け回っていた背中。それが今は、白線の向こうでぴくりとも動かない。削れた地面に残る長い跡が、衝撃の凄まじさを物語っていた。
野生中の必殺技、スーパーアルマジロ。
そいつをまともに喰らった染岡さんは、フィールドの外まで豪快に叩き出され、そのまま意識を失ってしまったのだ。
普通なら、ここで試合は中断する。なんなら中止にしたって誰も文句は言わないだろう。少なくとも、俺の知っているサッカーならそうなる。
しかし、俺たちがやっているのは超次元なサッカー。常識なんてものは、試合開始のホイッスルと一緒にどこかへ吹っ飛んでいる。
審判が笛を吹かない限り、たとえ選手が一人ほど白線の外で生死の境をさまよっていようが、試合は続行されるらしい。
そして、その肝心な審判はというと──。
「雷門中、さっさと試合を再開しなさい!」
鬼みたいな人だ……。こっちは死傷者が出てるというのに……。
その笛、試合を進める以外の用途を知らないんだろうか。
「うっ……みんな……俺は大丈夫だ……」
「そ……染岡さん……!」
慌てて顔を覗き込むと、固く閉じられていたまぶたが、ほんのわずかに持ち上がった。
焦点の定まらない目が俺たちを捉える。土にまみれた頬を引きつらせながら、それでも染岡さんは、いつもの不敵な笑みを浮かべようとしていた。
「へへへ……俺としたことが……トレーニングが足らなかったみたいだな……。アバラが何本かイッちまってる……」
サッカーで出る言葉じゃねぇ……。
あと、それをトレーニング不足の一言で片づけないでほしい。何でこの状況で笑えてるんだ、この人。俺ならもう泣いてる。
「野生の奴ら、中々なフィジカルを持ってやがる……。けどな、あくまでその力が発揮されるのは自然界だけだ……。奴らに無くて俺たちにあるのは、“理性”……」
染岡さんの指が、俺のユニフォームを弱々しく掴む。
何か、とんでもなく大事なことを託されようとしている気がした。出来れば今は、呼吸の方に集中していてほしい。
「頭脳でアイツらを倒すんだ……。人間はそうやって生き残ってきたんだからな……!」
「これいま部活の試合中ですよね?」
話の規模が人類史にまで広がり始めたので、染岡さんにはベンチへ退避してもらった。
背中越しに「頼んだぞ……」なんて声が聞こえたけど、振り返ったら本当に最期の別れみたいになりそうだったので、前だけを見ておく。
ともあれ、俺たちのボールで試合が再開する。
ボールを足元に収めながら、改めて野生中の選手たちを見渡した。
低く腰を落とした姿勢。こちらの一挙手一投足を追う目。隙を見せた瞬間、群れで飛びかかってきそうな圧がある。
さっきのプレイでよく分かった。こいつら、思った以上に危険なサッカーをしてくる。
まともに体をぶつけられたら最後、俺も染岡さんの隣で人類の未来を語る羽目になるだろう。そんなベンチ入りの仕方は御免だ。
いかに相手と接触せず、ゴールまでボールを運ぶか。
地上での競り合いが危険なら、狙うべきは上。だが、豪炎寺さんの高さでさえ、あのニワトリ頭には届かなかった。
ならば──!
「壁山、来い! 特訓の成果を見せてやるぞ!」
「──ッ!! はいっす!!」
名前を呼ぶと、壁山は一瞬だけ肩を跳ねさせ、それから力強く頷いた。
野生中の身体能力の高さは、最初から織り込み済みだ。中でもあのニワトリ頭は、空中戦となると手がつけられない。
だからこそ、俺たちは準備してきた。
一人の跳躍で届かないのなら、二人でその先へ行けばいい。
そのために生み出したのが、俺と壁山の“新必殺技”だ。
「行くぞ!!」
ボールを高く蹴り上げ、地面を踏み切る。
すぐ隣で、壁山の巨体も宙へ浮いた。視界が一気に開け、選手たちの頭が足元へと遠ざかっていく。
「コケ! 今度はお前らか!」
「くっ……!」
背後から、羽ばたきでも聞こえてきそうな勢いで声が迫った。
振り向くまでもない。さっき豪炎寺さんを止めたニワトリ頭だ。
俺たちより遅れて跳んだはずなのに、もうすぐそこまで追いついている。人間の脚力でやっていい跳び方じゃないだろ、それ。
だけど、ここまでは想定通り。
こいつが支配している空の、さらに上へ。
そのための特訓は、嫌というほど積んできたんだ。
「──壁山!!」
「うおおおおおお!!!」
雄叫びを上げる壁山へ、両足の裏を向ける。
作戦はいたって単純。壁山のデカイ図体をトランポリン代わりにして、俺が空中でもう一度跳ぶ。
ニワトリの高さを超えた位置から、ゴールめがけてシュートを叩き込むのだ。
脳裏に浮かんだのは、円堂キャプテンが得意げに広げた一冊のノートだった。
『え? じいちゃんのスゴ技特訓ノート?』
『おう! 伝説のイナズマイレブン達が使っていた必殺技が、このノートに書かれているんだ!』
『へぇ……何か野生中相手に使えそうな技は……と』
あのクソ汚いノート。
年季が入っているとか、歴史を感じるとか、そういう好意的な表現で誤魔化すにも限界のある代物だった。字なのか汚れなのか判断に迷う箇所まであった。
それでも、そこに記されていた技だけは、はっきりと俺の目を引いた。
仲間の力を借りて大空へ舞い上がり、高みから落雷のごとくゴールを撃ち抜く、伝説の必殺シュート。
今こそ、そいつを──!
「イナズマ落と──」
「──やっぱ無理っすぅ!!!」
「どぅえええ!? 壁山くぅぅん!?」
足元にあるはずの腹が、消えた。
いや、正確には壁山が急に身を丸めたせいで、踏む予定だった場所が引っ込んだのだ。
おい待て。そこは引っ込めちゃいけない部分だろ。
踏み込む寸前だった両足は、代わりに壁山の頭へ引っかかった。不安定な足場に体が傾き、視界の中で空と地面がぐるりと入れ替わる。
何とか立て直そうと手を伸ばす。
掴めるものは、当然ながら空気しかなかった。
そのまま俺たちは、仲良く地面に激突した。
「コーケコケコケコケッ!! 何をするかと思いきや、見事な着地芸だったコケ!!」
口の中がじゃりじゃりする。
痛い。全身が痛い。それ以上に、あの笑い声が腹立たしい。
「チクショウ……壁山! なんで途中で体勢を変えたんだよ!?」
地面に突き刺さった壁山を、収穫時期の大根みたいに引っこ抜く。土をぱらぱら落とすその顔に、俺は詰め寄った。
「怖かったっす」
「お……お前……よくもまぁぬけぬけと……!」
あまりにも真っすぐな返答だった。
もう少し申し訳なさそうにするとか、言いにくそうにするとか、そういう工程を挟んでくれてもよくないか?
「練習と本番はやっぱり違うっす。渚はそこんとこ分かってないっす」
こいつ殴っていいかな?
失敗した当人から、まさか理解不足を指摘されるとは思わなかった。
この期に及んでビビり倒しやがって。こいつが、こんな奴が、今回の試合のキーマンだなんて信じ難い。
ただ、壁山の膝がまだ小さく震えているのを見てしまうと、それ以上は言えなかった。
……いや、腹は立つけど。滅茶苦茶立つけど。
「さぁ行くコケ! この試合は野生が貰ったコケ!」
俺たちが土まみれになっている間にも、試合は進む。
こぼれたボールは野生中に拾われ、あっという間に前線へ蹴り出された。高く上がったその軌道を追って、フードを被った男が一人、空へ飛び出す。
「コンドルダイブ!!」
落下の勢いを乗せたヘディングシュート。
……上空からの、ただのヘディングシュートだ。何であいつはそんなのに名前を付けているんだ?
いや、速いけど。名前を付けたくなるくらい速いのは認めるけど。
「ターザンキーック!!」
さらに、そのボールへ横合いから飛び込んだ巨体が、豪快に脚を振り抜いた。
ゴリラとほぼ同じ見た目をした奴だった。
ニワトリの次はコンドルで、その次はターザン。対戦相手の情報を整理しているだけなのに、動物園の順路を確認している気分になる。
だが、放たれたシュートは笑えない威力だった。
唸りを上げるボールが、雷門のゴールへ一直線に迫る。
「やらせないっ!! ゴッドハンドだァ!!」
円堂キャプテンの掌から、眩い光が膨れ上がった。
顕現した巨大な手が、シュートを正面から受け止める。衝撃に土煙が舞い、キャプテンの足が地面を削った。
それでも、その背中は退かなかった。
暴れ続けていたボールが、やがて光の中でぴたりと止まる。
流石は我らがキャプテン。この人がゴールに立っているだけで、心臓にかかる負担がだいぶ違う。
「パス細かく繋いでいけ! 野生中に戦術を理解する偏差値は無い!」
「キャプテン!?」
安心した矢先に、えらいことを言い始めた。
神の手を使う人の発言として、それはどうなんだ。
とはいえ、指示そのものは的確だった。
一人で長くボールを持てば、それだけ相手に狙われる。寄せられる前に離し、奪われる前に次へ繋ぐ。俺たちは短いパスを重ねながら、少しずつ野生中の陣内へ踏み込んでいった。
右へ、左へ。また右へ。
ボールを追って、野生中の選手たちが走る。
それでも、なかなか守備は崩れなかった。振り切ったと思った相手が、次の瞬間にはもう追いついてくる。空いたはずのコースへ、信じられない速さで足が伸びてくる。
頭を使えば勝てる、と言うのは簡単だ。
問題は、向こうの足がこっちの考える速度に追いついてくることだった。
そして、ようやく掴んだチャンスも──。
「ひいいい!! 怖いっす!! 高いのダメっす!!」
「壁山ああああ!!!」
肝心の踏み台が、職務を放棄する。
俺の悲鳴と一緒に、得点の好機が地面へ墜落した。
そんなことを繰り返しているうちに、前半終了のホイッスルが鳴った。
無得点。
そして俺のユニフォームだけが、やたらと土に詳しくなっていた。
*
「……どうする?」
風丸さんの言葉に、すぐ答える奴はいなかった。
荒い息遣いと、ドリンクのボトルを握る音。さっきまでうるさいほどだった試合の熱気が、ベンチに戻った途端、重たい疲労へと変わっている。
俺は水を喉へ流し込みながら、横目で壁山を見た。
ベンチの端っこで、デカイ体を出来る限り小さく丸めている。あれだけ図体があるのに、こういう時だけ妙に存在感を消すのが上手い。
「俺なんて存在していない方がいいんだ……」
すっげえネガティブになってる……。
さっきまで俺に本番の難しさを説いていた男と、同一人物とは思えない。
まぁ、皆の期待に応えられないと、人間こうなるよな。
失敗するたびに視線が集まる。次こそは、という励ましまで重たくなる。そのうち、跳ぶ前から落ちることばかり考えるようになる。
壁山の指は、膝の上で固く組まれていた。
俺はボトルの蓋を閉め、そいつの隣まで歩いていった。
肩に、ぽんと手を置く。
「弟くんが見てるぞ……」
びくり、と手の下で肩が跳ねた。
俯いていた顔が、ほんの少しだけ上がる。視線が応援席の方へ動きかけて、途中で止まった。
「いいのか? このままで……。なっさけない姿を見せたまま、今日の試合を終わらせるのか?」
「そ、それは……」
壁山の目が泳ぐ。
こいつにとって一番怖いのは、高いところから落ちることだけじゃない。
弟くんに、本当の自分を知られることだ。
カッコつけて、頼れる兄貴みたいな顔をして。そのくせ、肝心な場面では怖くなって逃げてしまう。
あんなに自慢していた兄ちゃんは、実は大した奴じゃなかった。
そう思われるのが、きっと何より怖い。
俺は応援席へ目を向けた。
こんな山奥まで、わざわざ兄貴の活躍を見に来た弟がいる。前半で何度失敗したって、まだ帰らずに見ている。
だったら、まだ終わっちゃいない。
「お兄ちゃんなら、そのデカイ背中を見せつけてやれ。大丈夫、別に踏み台だからってカッコ悪くないさ。それよりも、何も出来なくてウジウジしてる方がダサいぞ」
「な……渚……」
壁山が俺を見る。
目の端には、まだ迷いが残っていた。これで急に高いところが平気になるんなら、今まであんなに苦労しちゃいないだろう。
だから、平気になれとは言わなかった。
「こんな山奥まで応援に駆けつけてくれたんだ。弟くんも壁山の活躍を待ってる。大事なファン一号の期待から、目を背けちゃ駄目だろ?」
壁山は何も言わなかった。
ただ、今度はちゃんと応援席を見た。
膝の上で組まれていた指が、ゆっくりとほどける。大きく息を吸い、それを吐いてから、両手で自分の膝を叩いた。
「……──はいっす」
声は大きくなかった。
それでも、さっきまでの頼りない響きは消えていた。
壁山が立ち上がる。
背を丸めず、顔を上げて、フィールドを見る。その背中は相変わらずデカかったけど、今はちゃんと、誰かを乗せられそうに見えた。
*
「後半開始ぃ!!」
審判の声に続いて、ホイッスルが山間の空へ響き渡る。
野生中のキックオフ。
そのボールが最初の受け手へ渡った瞬間、俺は地面を蹴っていた。
相手が顔を上げるより早く懐へ入り、足先でボールをさらう。背後で驚いた声がしたけど、付き合っている暇はない。
「壁山ァ!! 腹ぁくくれよ!!」
「ハイっす!!!」
返事は、すぐに返ってきた。
ホイッスルと同時に駆け上がっていた壁山が、その勢いのまま野生中の守備陣へ突っ込んでいく。
俺から味方へ。味方から、もう一人へ。
ボールを預けるたびに前へ走り、空いた場所で再び受ける。野生中の選手が食らいついてくる、その一歩手前で次のパスを通した。
前半に何度も潰された距離を、今度こそ繋いでいく。
視界の端には、壁山がいた。
遅れていない。足も止まっていない。
ちゃんと、俺の隣まで来ている。
「案ずるな! どうせまた失敗するだけコケ!!」
ゴール前で、ニワトリ頭が待ち構えていた。
腹の立つ声だった。
そして、その言葉にカチンと来たのは、俺だけじゃなかったらしい。
壁山の眉が、ぐっと吊り上がるのが見えた。
「言われっぱなしで終われるかよッ!!」
足元のボールを、天高く蹴り上げる。
一瞬だけ、時間が引き延ばされたような気がした。
回転するボール。踏み切る位置。隣で沈み込む壁山の体。
全部を確かめてから、俺は跳んだ。
俺と壁山──そしてニワトリが、再び空へ舞い上がる。
「コケーッ!! 所詮人の理から抜け出せないお前らに、野生の力を宿した俺たちの力を超えることは出来ないコケ!!」
背後から声が迫る。
相変わらず、ふざけた跳躍力だ。タッパは低いくせに、もう俺の高さまで届こうとしている。
俺一人の力じゃ、こいつには敵わない。
そんなことは、前半で嫌というほど思い知らされた。
だけど──。
「ぐちゃぐちゃうるせぇなッ!! 目にもの見せてやるぞ、壁山ッ!!」
「おおおおおッ!!!」
壁山が、空中で体を開いた。
足元に広がる景色を見て、その顔が一瞬だけ強張る。
それでも、丸まらなかった。
逃げるように引っ込めていた腹を、今度はしっかりと俺へ向ける。握り締めた拳が震えていても、その姿勢だけは崩さない。
俺は両足を伸ばした。
靴底が、壁山の腹を捉える。
今度は、そこにちゃんと足場があった。
ニワトリより高く。
空を飛ぶ鳥よりも、さらに上へ。
越えろ、越えろ、越えろ。
何度も落ちた。土も喰った。こいつの頭を踏んだことだって、ついさっきの話だ。
その全部を、ここで飛び越えていけ。
俺と壁山、二人の力で。
この空の一番高いところを、奪い取るんだ。
「“ザ・ウォール”!!!」
突如、足元で途方もない力が膨れ上がった。
「──は?」
壁山の背後。
地面へ向けられたその背中から、岩肌を思わせる巨大な壁がせり出していた。
空中だぞ、ここ。
そんな文句が形になるより早く、壁が顕現する衝撃が、壁山の体を通して俺の両脚へ突き上がる。
沈み込ませていた膝が、一気に押し返された。
まるで山そのものに、足の裏をぶん殴られたみたいだった。
「行けー!! 渚ーッ!!」
考えるより先に、脚を伸ばす。
壁山が押し上げる力に、俺の跳躍を重ねる。
踏み切った瞬間、体がとんでもない勢いで空へ放り出された。
「こ、コケーっ!?」
ニワトリの顔が、下へ滑っていく。
さっきまで見上げていた頭が、今はもう足元にあった。伸ばされた手も、驚愕に見開かれた目も、ぐんぐん遠ざかる。
遮るものは、何もない。
頭上には青空。
眼下には、野生中のゴール。
そして目の前には、俺が蹴るのを待っているボールがあった。
「やぁぁぁってやるぜ!!!」
体を後ろへ倒し、宙で大きく弓なりになる。
両脚には、まだ壁山の力が残っていた。あいつが恐怖を踏ん張って押し出してくれた力が、骨の芯まで響いている。
それを、右脚へ。
腰をひねり、左脚を振り上げる。その反動で、右脚を大きくしならせた。
オーバーヘッドキックの要領で。
ただし狙うのは、はるか下。
空と地面が反転する、その一瞬。
眼下のゴールへ、天雷のごとく脚を振り下ろす。
「“イナズマ落とし”!!!!!」
足の甲がボールを捉えた瞬間、視界に白い火花が散った。
重い手応え。
それを最後まで振り抜くと、雷を纏ったボールが、空を一直線に裂いていった。
後を追うように、乾いた轟音が響く。
野生中のキーパーが顔を上げた。遅れて腕が動く。
だが、その手が届くよりも早く、雷の弾丸はゴールへ突き刺さっていた。
ネットが大きく膨れ上がる。
一瞬、フィールドから音が消えたように感じた。
その静けさを破ったのは、得点を告げる声だった。
「GOAL!!! 雷門中、やっとの思いで先制点を獲得ゥ!!!」
歓声が、一気に押し寄せてきた。
「こ……コケコ……!」
ニワトリが、間の抜けた声を残して背中から落ちていく。
俺は空中で体勢を整え、両足で着地した。膝を深く使って衝撃を逃がすと、隣にも壁山が降りてくる。
今度は二人とも、地面に突き刺さらなかった。
それどころか、ちょっとスタイリッシュなくらいの着地だった。さっきの着地芸を、これで上書きしておいてほしい。
「上手くいって良かったっす」
壁山が、へにゃりと笑った。
ついさっき、とんでもないことをやってのけた奴の顔とは思えない。俺は乱れた呼吸を整えながら、その腹を軽く小突いた。
「バッカお前、ああいうのは事前に言っとけ。俺だったから何とかなったようなもんだぞ」
唐突な必殺技の発現。
カンペに無いどころか、踏み台から山が生えてくるなんて聞いていない。
一歩間違えたら、俺がそのまま山の向こうまで飛んでいくところだった。
それでも。
足の裏に残っている、あの感触を思い出す。
前半には何度も逃げてしまった足場が、最後の一回だけは揺らがなかった。俺が踏み込むのを、壁山はちゃんと待っていた。
あの瞬間、俺はボールだけを見ていられたのだ。
「なんにせよ、これは俺たちで掴み取ったゴールだ。やったな」
拳を差し出す。
壁山は一度それを見て、それから、顔いっぱいに笑みを広げた。
「はいっす!!!」
ごつん、と拳がぶつかり合う。
その向こうから、小さな声が聞こえた。
「兄ちゃーん!」
歓声に混じっていても、壁山にはすぐ分かったらしい。
弾かれたように顔を上げ、応援席を見る。今度は途中で目を逸らさなかった。
そして、誰よりも高く、拳を突き上げた。
……何だよ。
ちゃんとカッコいいじゃねぇか。
隣に立つ背中は、相変わらずデカかった。
けれど、そこにはもう、自分の体を持て余すみたいに縮こまっていた奴はいない。
弟に見せたい背中を、ようやく自分のものにした男がいた。