第一回戦。
トール対、呂布奉先。
引き分け。
第二回戦。
ゼウス対、アダム。
引き分け。
神――零勝。
人類――零勝。
引き分け――二。
本来ならば、神か人類。どちらかの勝利数が増えているはずだった。
だというのに、ラグナロクの戦績には未だ一つの勝利も刻まれていない。
ただ。
まだ二回。
二回ならば、偶然と呼ぶこともできた。
だからこそ。
第三回戦が始まった。
◇ ◇ ◇
「さあああああああああッ!!」
ヘイムダルの声が、ヴァルハラ闘技場に響き渡る。
「前代未聞!! 前代未聞だァァァァ!!」
「第一回戦に続き、第二回戦までまさかの引き分け!! 二戦を終えてなお、神々も人類も一勝すらしていない!!」
観客席が大きくざわめいた。
「二回連続?」
「こんなことあるのか?」
「次こそ決まるだろ」
「当たり前だ!」
神々も。
人類も。
まだ大半は笑っていた。
二度の引き分け。
確かに珍しい。
だが、三度目まで起こるはずがない。
誰もがそう思っていた。
「では!!」
ヘイムダルが神側の入場口を指し示す。
「第三回戦!! 神側代表は――!!」
その瞬間だった。
会場の空気が変わる。
先ほどまでの歓声が、嘘のように消えた。
神々さえ、口を閉ざす。
「…………」
ゲルが周囲を見回した。
「あれ?」
先ほどまで騒いでいた神々が、完全に静まり返っている。
「お姉様……?」
「来ますよ」
ブリュンヒルデの表情も険しい。
扉の奥から、一柱の神が姿を現した。
美しい男だった。
黄金の髪。
冷たい瞳。
その手には、鋭く光る三叉槍。
ただ歩いているだけ。
それなのに、周囲の神々が無意識に道を空けていく。
「海を統べる絶対者!!」
「神々すら恐れる暴虐の海神!!」
「ギリシャ神話、三兄弟が一柱!!」
「神側第三回戦代表――!!」
「ポセイドォォォォォォォォン!!」
歓声は上がらなかった。
あるのは。
ただ、畏怖。
「…………」
ゲルはごくりと唾を飲み込んだ。
「お姉様」
「はい」
「あの神……」
自然と声が小さくなる。
「ゼウス様より怖くないっスか?」
「少なくとも」
ブリュンヒルデはポセイドンを見つめる。
「人間を対等な存在だとは、欠片も考えていないでしょうね」
ポセイドンは闘技場中央へ進む。
人類側など、一度も見ない。
興味がない。
人間など、視界に入れる価値すらない。
その態度が、何より雄弁にそう物語っていた。
◇ ◇ ◇
「対する人類側!!」
ヘイムダルが反対側を指す。
「この男!!」
扉が開いた。
一人の老人が、ゆっくりと歩いてくる。
「…………」
ゲルが見る。
もう一度見る。
「お姉様」
「何です?」
「またお爺ちゃんっス」
「またとは何ですか」
「だって第二回戦も――」
「ゲル」
「はい」
「黙って見ていなさい」
「はいっス」
老人は腰に刀を差し、どこか穏やかな顔をしている。
一見すると、強者には見えない。
しかし。
その目だけは違った。
「生涯!」
「一度として勝利することなく!!」
「敗北し続けた男!!」
「だが!」
「死してなお修練を続け!!」
「敗北したすべてを糧とした!!」
「人類史上最強の敗者!!」
「佐々木ィィィィ!!」
「小次郎ォォォォォォォォ!!」
人類側から大きな歓声が上がった。
小次郎は困ったように頭を掻く。
「いやぁ」
「随分と大袈裟に紹介するねぇ」
対するポセイドンは。
「…………」
完全な無視。
「……怖いねぇ」
小次郎は笑っている。
だが、額には汗が浮かんでいた。
◇ ◇ ◇
「それでは!!」
ヘイムダルが角笛を掲げる。
「ラグナロク第三回戦!!」
「開始ィィィィィィィ!!」
「…………」
「…………」
二人は動かない。
ポセイドンも。
小次郎も。
互いに立ったまま。
「…………?」
ゲルが首を傾げた。
「戦わないんスか?」
「いいえ」
ブリュンヒルデは静かに答える。
「もう始まっています」
「え?」
小次郎はポセイドンを見る。
そして。
頭の中で、何度も戦う。
踏み込む。
死ぬ。
右へ避ける。
死ぬ。
左。
死ぬ。
上。
下。
前。
後ろ。
どこへ動いても。
死ぬ。
何度。
何十度。
何百度。
戦っても。
その先に待っているのは、自分の死だった。
「…………」
小次郎は、困ったように笑う。
「いやぁ……」
汗が頬を伝う。
「参ったね」
ポセイドンは何もしない。
ただ立っているだけ。
それだけで。
小次郎の中では、すでに何百回も自分が死んでいた。
◇ ◇ ◇
やがて。
戦いが動いた。
三叉槍が突き出される。
小次郎は紙一重でかわす。
速い。
続けて。
二撃。
三撃。
四撃。
「うわっ!」
ゲルが目を見開く。
「は、速っ!?」
小次郎は何とかかわし、刀を振るう。
だが、届かない。
「…………」
ポセイドンの表情は変わらない。
まるで虫でも払うように三叉槍を振るう。
次の瞬間。
小次郎の身体が吹き飛ばされた。
「小次郎さん!」
それでも。
小次郎は立ち上がる。
「いやぁ」
口元の血を拭う。
「強い」
それでも笑う。
「本当に強いねぇ」
そして。
見る。
読む。
覚える。
負ける。
学ぶ。
さらに読む。
佐々木小次郎。
生涯、敗北し続けた男。
だからこそ。
誰よりも知っている。
負けることを。
そして。
敗北から学ぶことを。
◇ ◇ ◇
戦いが続くにつれ。
少しずつ。
何かが変わり始めた。
「…………」
ポセイドンの槍。
小次郎がかわす。
先ほどより、わずかに早く。
次。
かわす。
次。
受ける。
さらに次。
弾く。
「……!」
神々がざわめいた。
「今……」
「防いだ?」
小次郎は笑う。
「見えてきた」
ポセイドンの目が、ほんの僅かに細くなる。
「人間風情が」
速度が上がる。
無数の槍撃。
まるで海から降り注ぐ豪雨。
だが。
小次郎は読む。
避ける。
弾く。
そして。
進む。
一歩。
また一歩。
少しずつ。
ポセイドンへ近づいていく。
◇ ◇ ◇
「すごい……」
ゲルが呆然と呟いた。
「最初は何もできなかったのに……」
「佐々木小次郎という男は」
ブリュンヒルデは静かに答える。
「戦えば戦うほど強くなる」
読む。
学ぶ。
そして。
超える。
その瞬間。
小次郎の目が見開かれた。
「……そこだ」
踏み込む。
ポセイドンの三叉槍が突き出される。
だが。
小次郎はもう知っている。
身体を僅かにずらす。
三叉槍が頬を掠める。
同時に。
刀を振るう。
ポセイドンが受ける。
金属音。
続けて。
もう一撃。
さらに一撃。
「な……」
アレスが思わず立ち上がる。
「ポセイドン様が……!」
押されている。
人間に。
あの海神が。
◇ ◇ ◇
小次郎には、もう見えていた。
ポセイドンの呼吸。
肩の動き。
視線。
指。
足。
筋肉。
三叉槍の軌道。
そのすべて。
何千。
何万。
その先まで。
「…………」
小次郎が刀を強く握る。
来る。
ポセイドンが踏み込む。
最速の一撃。
三叉槍が突き出される。
「――!」
小次郎も刀を振るう。
激突。
轟音。
そして。
小次郎の刀が、三叉槍を大きく弾いた。
「なっ!?」
神々の間から声が上がる。
ポセイドンの体勢が崩れた。
小次郎は一気に踏み込む。
刀が。
ポセイドンの首へ迫る。
「決まったァァァァァ!!」
ヘイムダルが叫ぶ。
その瞬間。
ポセイドンは無理矢理三叉槍を引き戻した。
刀と。
三叉槍。
二つの武器が、真正面から激突する。
――ガァァァァァァン!!
「っ!?」
「…………!」
小次郎とポセイドン。
同時に。
手から武器が消えた。
「…………」
誰も。
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
小次郎の刀が、凄まじい勢いで宙を舞う。
回転しながら。
遠く。
さらに遠く。
闘技場の端を越え。
観客席の遥か上を越え。
ついには見えなくなった。
反対側。
ポセイドンの三叉槍も同じだった。
小次郎の刀とは真逆の方向へ吹き飛び、そのまま闘技場の外へ消えていく。
「…………」
小次郎は空になった手を見る。
「……おや?」
ポセイドンも無言で自分の手を見る。
「…………」
ヘイムダルが何度か瞬きをした。
「武器が……」
そして。
「両方とも吹っ飛んだァァァァァァ!?」
◇ ◇ ◇
「お、お姉様!?」
ゲルが慌ててブリュンヒルデを見る。
「神器は!?」
「…………」
ブリュンヒルデは一度目を閉じる。
そして。
確認する。
「……無事です」
「え?」
「神器錬成にも異常はありません」
「じゃあ……」
「ただ」
ブリュンヒルデは、刀が消えていった方向を見る。
「吹き飛ばされただけです」
壊れていない。
傷ついてもいない。
ただ。
すぐには回収できないほど遠くへ飛ばされた。
それだけ。
◇ ◇ ◇
「…………」
ポセイドンが小次郎を見る。
「…………」
小次郎は困ったように笑った。
「いやぁ」
空になった手を見る。
「困ったねぇ」
ポセイドンが一歩踏み出す。
「……武器がなければ」
冷たい声。
「戦えぬとでも?」
「やっぱり」
小次郎がため息をついた。
「そうなるか」
構える。
刀はない。
なら。
身体だけで戦う。
ポセイドンが踏み込む。
拳。
小次郎がかわす。
掌底。
ポセイドンが受ける。
武器を失っても。
戦いは終わらない。
「まだやるの!?」
ゲルが思わず叫ぶ。
「当然です」
ブリュンヒルデはそう答えた。
だが。
その視線は。
先ほど二つの武器が吹き飛んだ場所へ向けられている。
「…………」
何かが。
引っかかっていた。
◇ ◇ ◇
ポセイドンの拳。
小次郎が読む。
かわす。
そして。
一気に懐へ入る。
「そこだ」
掌底がポセイドンの胸へ迫る。
同時に。
ポセイドンの膝が、小次郎の腹へ向かう。
どちらが先に届くか。
それだけで勝敗が決まる。
その瞬間だった。
「…………?」
小次郎の身体が止まった。
「……あれ?」
力が入らない。
ポセイドンも。
「…………」
同じだった。
膝が止まる。
「…………?」
二人は距離を取ろうとする。
だが。
できない。
突然。
足から力が抜けた。
「……これは」
小次郎が膝をつく。
ほぼ同時に。
ポセイドンも地面へ片膝をついた。
「…………」
会場が静まり返る。
小次郎は立とうとする。
「よっ……」
だが。
立てない。
「……おかしいねぇ」
ポセイドンも無言で立ち上がろうとする。
しかし。
身体が動かない。
「…………」
その表情に。
初めて。
明確な困惑が浮かんだ。
◇ ◇ ◇
「…………」
ヘイムダルが小次郎を見る。
続いて。
ポセイドンを見る。
「…………」
嫌な予感がした。
ものすごく。
嫌な予感だった。
「まさか……」
救護班が闘技場へ走り込む。
双方の状態を確認する。
そして。
「佐々木小次郎!」
「生命に問題なし!」
「ですが、戦闘続行不能です!」
人類側がざわめく。
続いて。
「ポセイドン様!」
「同じく生命に異常なし!」
「しかし……身体に力が入りません!」
「戦闘続行不能です!」
「…………」
ヘイムダルは両手で頭を抱えた。
「またかよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
その叫びが。
ヴァルハラ中へ響き渡った。
◇ ◇ ◇
ラグナロク第三回戦。
神側代表――ポセイドン。
人類側代表――佐々木小次郎。
双方。
戦闘続行不能。
勝者。
なし。
「第三回戦!!」
ヘイムダルは、もはや叫びたくなかった。
だが。
これも仕事である。
「引き分けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
戦績が更新される。
神――零勝。
人類――零勝。
引き分け――三。
「…………」
今回は。
歓声が上がらなかった。
神々も。
人類も。
誰も笑っていない。
◇ ◇ ◇
「……お姉様」
ゲルが小さな声で呼ぶ。
「…………」
「これ」
戦績を見る。
「本当に偶然なんスか?」
「…………」
ブリュンヒルデはしばらく答えなかった。
そして。
「いいえ」
「え?」
「三度」
表示された数字を見る。
「三度続けば、もう偶然ではありません」
その目が鋭くなる。
「じゃ、じゃあ……」
「何者かが」
ブリュンヒルデは、静まり返った闘技場を見つめる。
「ラグナロクに干渉しています」
◇ ◇ ◇
同じ頃。
神側でも。
「…………」
ゼウスは笑っていなかった。
隣では、アレスが混乱した様子で闘技場を見ている。
「ど、どういうことだ……?」
「神器も」
ヘルメスが静かに答える。
「ポセイドン様の三叉槍も、破損していません」
「ではなぜ!?」
「分かりません」
ヘルメスはわずかに目を細める。
「ただ」
「何だ?」
「三試合すべて」
第一回戦。
第二回戦。
第三回戦。
「決着がつく瞬間にだけ、異常が起きています」
「…………」
アレスが黙る。
そして。
ゼウスが低く呟いた。
「偶然ではないのう」
◇ ◇ ◇
調査は、すぐに始まった。
神側は。
闘技場。
結界。
神力。
呪い。
神器。
外部からの侵入。
考えられるすべてを調べた。
一方。
人類側でも、ブリュンヒルデが神器錬成とワルキューレたちの状態を確認した。
しかし。
結果は。
異常なし。
術式の痕跡はない。
未知の神力もない。
呪いもない。
侵入者もいない。
神器錬成も正常。
「…………」
ブリュンヒルデは報告を見つめる。
「何も……ない?」
「はい」
ゲルが不安そうに言う。
「でも」
「何かは起きたっスよね?」
「ええ」
間違いなく起きている。
何かが。
確実に。
だというのに。
痕跡が一切残っていない。
「…………」
ブリュンヒルデは考える。
もし神側が人類を妨害したいのなら。
小次郎だけを止めればいい。
もし人類側の何者かが神を妨害したいのなら。
ポセイドンだけを止めればいい。
しかし。
実際は違った。
双方を止めた。
武器も壊さなかった。
ただ。
戦いに使えない場所まで吹き飛ばした。
それでも二人が素手で戦い。
再び決着がつきそうになった瞬間。
今度は。
二人の身体そのものが止まった。
「…………」
ブリュンヒルデの目が細くなる。
「これは……」
「お姉様?」
「妨害……?」
口にしたものの。
どこか違う。
本当に妨害することだけが目的なら。
もっと簡単な方法がある。
もっと一方的な方法がある。
なのに。
これは。
「何を……」
誰もいなくなった闘技場を見る。
「何をしたいの……?」
◇ ◇ ◇
その夜。
ブリュンヒルデは一人で、三試合の記録を見返していた。
第一回戦。
トール。
呂布。
双方戦闘不能。
第二回戦。
アダム。
ゼウス。
双方戦闘不能。
第三回戦。
佐々木小次郎。
ポセイドン。
双方戦闘不能。
「…………」
三試合。
六人。
そして。
ふと。
指が止まった。
「…………」
もう一度。
確認する。
トール――生存。
呂布――生存。
ゼウス――生存。
アダム――生存。
ポセイドン――生存。
佐々木小次郎――生存。
「…………」
ブリュンヒルデはゆっくりと顔を上げる。
「全員……」
一人も。
死んでいない。
ラグナロク。
本来なら。
敗者は死ぬ。
ただ死ぬのではない。
魂そのものを砕かれ。
完全に消滅する。
輪廻へ戻ることさえできない。
なのに。
三試合。
六人。
誰一人として消えていない。
「…………」
背筋に。
わずかな寒気が走る。
「勝敗を……」
記録を見つめる。
「消している……?」
◇ ◇ ◇
同じ頃。
神側。
ゼウスは一人、窓の外を眺めていた。
その後ろにはヘルメスがいる。
「三試合」
ゼウスが静かに口を開く。
「三試合とも」
「はい」
「勝者なし」
「はい」
「敗者もなし」
「…………」
ヘルメスの目が細くなる。
「……なるほど」
ゼウスは笑っていなかった。
「誰かが」
低い声。
「勝者を」
そして。
「敗者を」
「作らせまいとしておる」
「…………」
沈黙。
その存在が何者なのか。
神なのか。
人なのか。
それとも。
そのどちらでもないのか。
まだ。
誰にも分からない。
ただ。
一つだけ。
確かなことがある。
第一回戦。
偶然。
第二回戦。
違和感。
そして。
第三回戦。
確信。
ラグナロクで。
何かが起きている。
神々ですら知らない、何かが。