第七回戦。
ハデス対、始皇帝。
結果――引き分け。
戦績は、神が零勝、人類も零勝。
そして、引き分けが七。
残る試合は六つ。
これによって、ラグナロクの勝利条件である「七勝先取」は、どちらの陣営にも達成できなくなった。
神々も。
人類も。
どうすればいいのか分からない。
そもそも、こんな事態そのものが想定されていなかった。
だからその日の夜。
本来なら敵同士である神々と人類側の代表者たちは、再び同じ場所へ集まることになった。
◇ ◇ ◇
「……さて」
長い沈黙を破ったのはゼウスだった。
机の上には、現在の戦績が表示されている。
神――零勝。
人類――零勝。
引き分け――七。
何度見ても異常な数字だった。
「残り六戦。どちらかがすべて勝っても、最大で六勝」
「はい」
ヘルメスが頷く。
「現在の規定のままでは、どちらもラグナロクの勝利条件を満たすことはできません」
「では……」
アレスが困ったように周囲を見回す。
「どうするのだ?」
誰も答えなかった。
「ラグナロクを中止するのか?」
その問いにも、返事はない。
中止したとして。
人類はどうなる。
滅ぼすのか。
存続させるのか。
神側の勝利ではない。
だが、人類側の勝利でもない。
では、どう扱えばいい。
規定には何も書かれていなかった。
「……やはり」
ブリュンヒルデが静かに口を開いた。
「残る六戦は行うべきでしょう」
「だがよ」
シヴァが腕を組む。
「六戦やったところで七勝には届かねぇぞ?」
「分かっています」
「なら、何のために続ける?」
「確かめるためです」
「何をだ?」
ブリュンヒルデは戦績へ視線を向けた。
「この現象が、いつまで続くのかを」
「…………」
七回。
七回すべて。
決着がつく瞬間に異常が発生し、勝者と敗者が消えている。
だが。
それが永遠に続くとは限らない。
第八回戦なら。
第九回戦なら。
あるいは、この現象を引き起こしている何者かにも限界があるのなら。
いつか。
勝者が生まれるかもしれない。
「じゃが、一つ問題があるのう」
ゼウスが口元を歪めた。
「問題?」
ゲルが首を傾げる。
「仮に残り六戦のどこかで勝敗がついたとしても、七勝には足りぬ」
「…………」
「あ」
ゲルが固まった。
「そうだったっス……」
「ならば」
ゼウスは平然と笑った。
「簡単なことじゃ」
「…………?」
なぜか。
アレスの顔が引きつった。
「ゼウス様?」
「十三戦で足りぬなら」
ゼウスは言った。
「もう十三戦やればよい」
「…………」
沈黙。
「…………はい?」
アレスの声だけが響いた。
「それでも足りぬなら、さらに十三戦」
「…………」
「それでも駄目なら――」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
アレスが勢いよく立ち上がる。
「まさか!」
「第二回ラグナロクじゃ」
「やっぱり!?」
「第二回でも決まらぬなら第三回」
「…………」
「それでも決まらぬなら第四回」
「まだ続くんですか!?」
「必要なら第五回でも第六回でもよい」
「無茶苦茶だ!!」
アレスの絶叫が会議室に響いた。
◇ ◇ ◇
「しかし」
ヘルメスが静かに口を挟む。
「方法としては成立します」
「ヘルメス!?」
「ラグナロクの本来の勝利条件は七勝先取です」
ヘルメスは戦績を示す。
「十三戦という一つの枠を越えてでも、どちらかが七勝するまで試合を続ける。少なくとも、七勝先取という条件そのものを変更する必要はありません」
「いや、そういう問題なのか!?」
「では、他に案がありますか?」
「…………」
アレスは黙った。
「ありませんね」
「…………」
ブリュンヒルデも考えていた。
無茶苦茶な案であることは間違いない。
だが。
他に方法がないのも事実だった。
ここで終われば、人類の処遇は決まらない。
異常現象の正体も分からないまま。
そして。
何者かが意図的に勝敗を消しているのなら。
その力が無限だという保証もない。
「…………」
ブリュンヒルデは一度目を閉じる。
そして、開いた。
「……いいでしょう」
「お姉様!?」
ゲルが驚いて振り返る。
「続けます」
ブリュンヒルデはゼウスを真っ直ぐ見た。
「残り六戦。それでも決まらなければ第二回」
「必要なら、その先も」
「ほっほ」
ゼウスが笑う。
「話が分かるではないか」
「ただし」
ブリュンヒルデの目が鋭くなる。
「当然、人類側は勝つつもりです」
「それでこそじゃ」
「ならば」
彼女はもう一度、戦績を見る。
七つ並んだ。
引き分け。
「そこまで私たちの勝敗を消したいのなら」
誰とも知れぬ何者かへ。
まるで宣戦布告するように。
「どちらが先に折れるか」
「付き合ってあげます」
◇ ◇ ◇
こうして。
ラグナロクの続行が決定した。
十三戦で終わらなければ。
第二回。
それでも終わらなければ。
第三回。
神か人類。
どちらかが七勝するまで、戦いを続ける。
それは同時に。
正体不明の何者かに対する、神々と人類からの根競べの宣言でもあった。
そして。
第八回戦が始まった。
◇ ◇ ◇
第八回戦。
神と人。
互いに一歩も退かない激戦。
そして、決着の瞬間。
また。
異常が起きた。
双方生存。
双方戦闘続行不能。
勝者なし。
「…………」
ヘイムダルは結果を見つめた。
「また……?」
第八回戦。
引き分け。
戦績。
八引き分け。
◇ ◇ ◇
第九回戦。
今回こそ。
神々はそう願った。
人類も同じだった。
だが。
決着寸前。
また、何かが起きた。
勝者なし。
敗者なし。
双方生存。
「…………」
ヘイムダルは角笛を握ったまま、しばらく黙っていた。
「第九回戦……」
ため息を一つ。
「引き分けぇぇぇ……」
最初の頃と比べれば、随分と弱々しい宣言だった。
◇ ◇ ◇
第十回戦。
もはや。
神々も人類も同じことを願っていた。
どちらでもいい。
今度こそ。
誰か。
一人でいい。
勝ってくれ。
しかし。
「…………」
ヘイムダルは救護班から報告を受け、目を閉じた。
双方生存。
双方戦闘続行不能。
「……第十回戦」
もう叫ばない。
「引き分けです」
十試合。
十引き分け。
◇ ◇ ◇
「…………」
神側の観客席。
ゼウスが無言で戦績を見ている。
隣ではシヴァが腕を組んでいた。
「爺さん」
「なんじゃ?」
「まだやるのか?」
「…………」
少し。
間があった。
「当然じゃ」
「今、間があったぞ」
「ない」
「あっただろ」
「ないと言っておる」
ヘルメスは何も言わず二人を見る。
アレスは頭を抱えていた。
「何なんだ……」
十試合。
全部。
引き分け。
「本当に、何なんだこれは……」
◇ ◇ ◇
第十一回戦。
激闘。
決着寸前。
そして。
「…………」
救護班から報告を受けたヘイムダルは、もう驚かなかった。
「双方生存。戦闘続行不能」
一拍置いて。
「……引き分けです」
観客からも。
ほとんど反応はなかった。
◇ ◇ ◇
第十二回戦。
結果――引き分け。
戦績。
神――零勝。
人類――零勝。
引き分け――十二。
「…………」
もはや。
異常という言葉ですら足りなかった。
十二回。
違う戦士。
違う能力。
違う武器。
違う戦術。
違う戦況。
それなのに。
最後に辿り着く場所だけは。
すべて同じ。
引き分け。
そして。
もう一つ。
十二試合。
二十四人。
誰一人として消滅していない。
「…………」
ブリュンヒルデは戦績を見つめる。
「十二……」
隣にいるゲルが、不安そうに姉を見る。
「お姉様」
「何です?」
「これ……」
一度、言葉に迷い。
「本当に、根競べなんスかね……?」
「…………」
ブリュンヒルデは答えられなかった。
最初はそう思っていた。
何者かが。
こちらの勝敗を消そうとしている。
なら。
どちらが先に諦めるか。
それだけの話だと。
だが。
十二回。
一度も失敗しない。
一度も痕跡を残さない。
一度も死者を出さない。
これは本当に。
自分たちと同じ土俵で行われている根競べなのだろうか。
◇ ◇ ◇
「ゼウス様」
神側。
アレスが恐る恐る口を開いた。
「何じゃ?」
「最初に」
言いづらそうに続ける。
「七勝するまで、第二回でも第三回でもラグナロクを続けると……そう言っていましたよね?」
「言ったのう」
「…………」
「…………」
「本気ですか?」
「…………」
ゼウスは十二という数字を見つめた。
しばらく。
かなり長く。
「ゼウス様?」
「まずは」
咳払い。
「第一回を終わらせよう」
「逃げた!?」
「逃げておらん!」
「絶対後悔してますよね!?」
「しておらんわ!」
「じゃあ第二回も絶対やるんですね!?」
「…………」
「ゼウス様!?」
「うるさいのう!」
「爺さん」
シヴァがため息をつく。
「なんじゃ!」
「あの宣言、撤回した方がいいんじゃねぇか?」
「お主まで!?」
「十二回だぞ」
シヴァは真顔だった。
「俺でも、ちょっと怖ぇよ」
「…………」
ゼウスは黙った。
そこに笑いはなかった。
もはや。
冗談で済ませられる段階ではない。
◇ ◇ ◇
十二回。
すべて。
引き分け。
神々ですら。
もう認めざるを得なかった。
何者かが。
確実にラグナロクへ干渉している。
しかも。
神々にその正体を悟らせることすらなく。
十二回。
ただ結果だけを変え続けている。
敵なのか。
味方なのか。
神なのか。
人なのか。
それとも。
そのどちらでもない何かなのか。
何一つ分からないまま。
ついに。
第一回ラグナロク最後の試合。
第十三回戦を迎えた。
◇ ◇ ◇
「…………」
ヴァルハラ闘技場は異様な静けさに包まれていた。
十三回目。
最後の試合。
神側代表が入場する。
人類側代表も姿を現す。
歓声は上がった。
だが。
最初の頃とは違う。
誰もが心のどこかで、同じことを思っている。
今度こそ。
そう願う一方で。
どうせ。
また引き分けるのではないか。
そんな考えを。
誰も否定できなくなっていた。
「…………」
ヘイムダルが角笛を強く握る。
一度深く息を吸い。
「ラグナロク!!」
「第十三回戦!!」
「開始ィィィィィィィ!!」
◇ ◇ ◇
戦いは激しかった。
神も。
人も。
勝つために全力を尽くした。
手加減などない。
諦めてもいない。
何度も攻撃が交差し。
何度も双方が立ち上がる。
そして。
ついに。
その時が訪れた。
決着。
神側の一撃。
人類側の一撃。
二人の攻撃が、互いへ迫る。
あと。
ほんの僅か。
どちらかが届けば。
今度こそ。
勝者が決まる。
「――!」
「――!」
その瞬間。
二人の身体が。
同時に止まった。
「…………」
神側代表が目を見開く。
人類代表も同じだった。
動けない。
腕が止まる。
足も動かない。
全身から。
急速に力が抜けていく。
「…………」
そして。
ほぼ同時に。
二人は地面へ膝をついた。
「…………」
ヘイムダルは何も言わない。
観客たちも。
声を失っていた。
救護班が駆け込む。
状態を確認する。
そして。
報告。
双方生存。
双方戦闘続行不能。
「…………」
長い。
本当に長い沈黙の後。
ヘイムダルはゆっくりと角笛を下ろした。
「……第十三回戦」
声は静かだった。
「引き分けです」
◇ ◇ ◇
戦績が更新される。
神――零勝。
人類――零勝。
引き分け――十三。
「…………」
誰も歓声を上げなかった。
怒鳴る者すらいない。
ただ。
表示された数字を見ていた。
十三。
十三戦。
十三引き分け。
勝者は一人もいない。
敗者も一人もいない。
そして。
消滅した者も。
一人もいなかった。
「…………」
ゼウスはしばらく戦績を眺めていた。
やがて口を開く。
「では――」
その瞬間。
アレスの顔が引きつった。
「ゼウス様?」
「第二――」
「待ってください」
ヘルメスが止めた。
「…………」
シヴァもゼウスを見る。
「爺さん」
「何じゃ」
「一回、止めよう」
「…………」
そして。
意外にも。
「私も同意します」
ブリュンヒルデまで口を挟んだ。
「…………」
「十三回です」
彼女は戦績を見つめる。
「十三回すべて、決着だけが消えました」
そして。
「一人も死なずに」
「…………」
ゼウスは黙る。
「これ以上」
ブリュンヒルデは続けた。
「何も分からないまま試合数だけを増やすべきではありません」
「まず、もう一度調べるべきです」
「…………」
長い沈黙。
やがて。
ゼウスが小さく息を吐いた。
「……分かった」
第二回ラグナロク。
ひとまず延期。
まずは再調査。
それが決まった。
◇ ◇ ◇
その後。
神側と人類側は、再び同じ会議室へ集まっていた。
だが。
今度は誰にも案がなかった。
「十三戦」
ヘルメスが静かに確認する。
「すべて終了しました」
「最終戦績」
「神側――零勝」
「人類側――零勝」
「引き分け――十三」
「…………」
アレスが頭を抱える。
「で……」
小さな声。
「どうするんだ?」
誰も答えられない。
「ラグナロクは終わったのか?」
答えはない。
「それとも、まだ終わっていないのか?」
ない。
「人類は?」
「滅亡なのか?」
「存続なのか?」
「…………」
誰も知らない。
「第二回は、本当にやるのか?」
「…………」
沈黙。
「そもそも」
シヴァが低い声で呟いた。
「誰なんだよ」
視線を戦績へ向ける。
「こんなことしてんのは」
その問いにも。
答えられる者はいなかった。
◇ ◇ ◇
「……もう一度」
ブリュンヒルデが席を立った。
「お姉様?」
ゲルが振り返る。
「調べます」
「でも」
ゲルは不安そうだった。
「今まで何回調べても、何も……」
「それでもです」
ブリュンヒルデは十三という数字を見る。
「何かあるはずです」
「十三回も」
「まったく同じ結果になるなんて」
一度。
言葉を切る。
「絶対に、理由がある」
「…………」
ゲルは何も言えなかった。
ブリュンヒルデは一人。
会議室から出ていった。
◇ ◇ ◇
十三戦。
十三引き分け。
勝者は。
一人もいない。
敗者も。
一人もいない。
そして。
消滅した者も。
一人もいない。
神々にも。
人類にも。
その理由は分からなかった。
この時は。
まだ。
誰一人として知らなかった。
十三度の引き分け、そのすべてに理由があったことを。