季節は巡り。
暖かな春が、もう一度双葉幼稚園へやって来た。
園庭の桜は満開に咲き誇り、淡い花びらが春風に乗ってゆっくりと舞っている。
今日はいよいよ、卒園式だった。
「出久。」
引子は真新しい服に身を包んだ娘の髪を、優しく整える。
「大きくなったね。」
出久は少し照れくさそうに笑った。
「えへへ。」
「あっという間だったね。」
引子はそう言いながら、胸がいっぱいになる。
泣き虫だった娘。
初めて友達ができた日。
初めてケンカをした日。
初めて夢を見つけた日。
そして、初めて大きな涙を流した日。
その一つひとつが、昨日のことのように思い出された。
「行こうか。」
「うん!」
二人は手をつなぎ、双葉幼稚園へ向かった。
---
園庭には、たくさんの親子が集まっていた。
「あっ!」
「かっちゃん!」
出久が手を振る。
勝己もすぐに気付き、小さく手を上げた。
「おう。」
二人は自然と隣に並ぶ。
引子はその様子を見て、優しく微笑んだ。
「ふふっ。」
「あの頃から、ずっと一緒ね。」
勝己は少し照れくさそうに鼻を鳴らす。
「別に。」
出久は嬉しそうに笑った。
「えへへ。」
先生が子どもたちを呼ぶ。
「みんな、そろそろ始まるよ。」
「はーい!」
元気な返事が園庭へ響いた。
---
卒園式が始まる。
先生が一人ずつ名前を呼んでいく。
「緑谷出久さん。」
「はい!」
少し緊張しながらも、出久はまっすぐ前へ歩く。
卒園証書を受け取る。
「おめでとう。」
先生は優しく微笑んだ。
「出久ちゃん。」
「小学校へ行っても、出久ちゃんらしく頑張ってね。」
「先生は、ずっと応援してるよ。」
出久は少し目を丸くしたあと、大きくうなずく。
「はい!」
その返事は、以前より少しだけ力強かった。
席へ戻ると、勝己も呼ばれる。
「爆豪勝己くん。」
「はい。」
堂々と歩く姿は、少しだけ頼もしく見えた。
卒園証書を受け取ると、先生が思わず笑う。
「勝己くん。」
「元気いっぱいなのは、そのままでいてね。」
勝己は少し照れくさそうに笑う。
「おう。」
その一言に、会場から小さな笑いが広がった。
卒園式は、温かな拍手の中で幕を閉じた。
---
式が終わると、園庭には再び子どもたちの笑い声が戻ってきた。
「写真撮ろー!」
「先生ー!」
「あそぼ!」
子どもたちは卒園の寂しさよりも、新しい春への期待でいっぱいだった。
出久は卒園証書を大切そうに抱えながら、園舎を振り返った。
「かっちゃん。」
「ん?」
「最後にね。」
少し照れくさそうに笑う。
「秘密基地、行こ。」
勝己はにやりと笑った。
「あぁ。」
「行こうぜ。」
二人は園庭の奥へ駆け出した。
---
見慣れた木立。
何度も通った小さな道。
そして、大きな一本の木。
木漏れ日が優しく降り注ぎ、あの日と変わらない景色がそこにあった。
「懐かしいね。」
出久は木の幹へそっと手を当てる。
「うん。」
勝己も軽く幹を叩いた。
「秘密基地。」
「ちゃんと残ってる。」
二人は顔を見合わせて笑う。
そのとき。
木の根元で、小さなものがゆっくりと動いた。
「あっ。」
出久がしゃがみ込む。
「かっちゃん。」
「ダンゴムシさん。」
勝己ものぞき込む。
「ほんとだ。」
小さなダンゴムシが、春の陽だまりの中をゆっくり歩いている。
出久は嬉しそうに微笑んだ。
「まだいたね。」
勝己も小さく笑う。
「あぁ。」
「元気そうだ。」
二人はしばらく何も話さず、その小さな命を見つめていた。
最初に出会った日も。
約束した日も。
ケンカした日も。
秘密を作った日も。
勇気を知った日も。
夢を見つけた日も。
涙を流した日も。
いつも、この場所が二人を迎えてくれていた。
春風が静かに吹き抜ける。
出久は少しだけ空を見上げた。
「かっちゃん。」
「ん?」
「小学校へ行ったら。」
「お勉強も難しくなるかな。」
「なるだろ。」
「友達もいっぱいできるかな。」
「できる。」
勝己は迷わず答える。
出久は少しだけうつむく。
「でも……。」
その先の言葉が出てこない。
勝己は出久の顔を見つめる。
その不安そうな表情を見て、小さく笑った。
「何心配してんだ。」
出久は少し困ったように笑う。
「だって……。」
「わたし。」
「無個性だから。」
春風が二人の間を通り抜ける。
勝己は少しだけ考えた。
そして、ぶっきらぼうに言う。
「約束しただろ。」
出久は顔を上げる。
勝己は真っすぐ出久を見つめていた。
「一緒にヒーローになるって。」
その一言だった。
出久の目が大きく開く。
胸の奥に、小さな灯がともる。
あの日。
教室で笑い合ったこと。
一緒に夢を見つけたこと。
全部、思い出した。
出久は少しだけ涙ぐみながら笑う。
「……うん。」
「約束した。」
勝己は照れくさそうに鼻を鳴らす。
「だから。」
「小学校でも、隣な。」
出久は嬉しそうに何度もうなずいた。
「うん!」
「ずっと隣!」
二人は笑い合う。
その笑顔は、初めて出会った日よりも、少しだけ大人びて見えた。
---
帰り道。
桜の花びらが、二人の前をゆっくりと舞っていく。
引子は少し後ろから、その背中を見つめていた。
最初は泣き虫だった娘。
たくさん笑って。
たくさん泣いて。
そして、大切な友達と出会った。
無個性という現実は、これからも変わらない。
それでも。
一人ではない。
そのことが、引子には何よりも嬉しかった。
---
春風が優しく吹き抜ける。
桜の花びらは、新しい季節を祝福するように舞い続けていた。
幼い日に交わした約束。
それはまだ、小さな種だった。
けれど、その種は確かに二人の心へ根を張り始めていた。
いつか大きく花開く、その日を信じて。
二人は、新しい春へ歩き出す。
――第一部 幼稚園編・完
第一部「幼稚園編」はここまでです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
次回から、第二部「小学生編」が始まります。
出久と勝己、二人の物語を引き続き楽しんでいただければ幸いです。
感想などいただけると、とても嬉しいです。