初夏の風が、校庭の木々を優しく揺らしていた。
小学校へ入学してから、季節は少しずつ進んでいる。
教室では、先生が子どもたちへ笑いかけた。
「今日はね。」
「みんなの夢を聞かせてほしいな。」
教室が一気に賑やかになる。
「ぼく、サッカー選手!」
「わたし、お花屋さん!」
「ぼくはヒーロー!」
元気な声が次々と響いていく。
先生は微笑みながらうなずいた。
「出久ちゃんは?」
名前を呼ばれた出久は、少しだけ照れながら立ち上がる。
「わたしも……。」
小さく息を吸う。
「ヒーローになりたいです。」
教室が静かになる。
先生は優しく笑った。
「どうして?」
出久は迷わず答えた。
「困ってる人を。」
「助けたいからです。」
その言葉に、先生は嬉しそうにうなずいた。
「素敵な夢だね。」
教室からも小さな拍手が起こる。
けれど、その中で一人の男の子が首をかしげた。
「でも。」
「出久ちゃんって、無個性だよね?」
教室がしんと静まり返る。
悪気はなかった。
ただ、不思議に思っただけだった。
出久も、そのことは分かっている。
だから怒ることもできない。
「……うん。」
小さく笑ってうなずく。
「そうだよ。」
先生は慌てて話題を変えた。
「さあ、それじゃあ次のお友達!」
教室には再び笑い声が戻る。
でも。
出久の胸の中だけが、少しだけ静かだった。
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放課後。
子どもたちは元気よく校庭へ飛び出していく。
出久は一人、校門の前で空を見上げていた。
「何してんだ。」
聞き慣れた声がする。
振り向くと、ランドセルを背負った勝己が立っていた。
「帰るぞ。」
いつもと変わらない一言。
出久は小さく笑う。
「うん。」
二人は並んで歩き始めた。
しばらくは、いつものように学校の話をしていた。
図工のこと。
給食のこと。
休み時間のこと。
けれど、出久は少しずつ口数が減っていく。
勝己は横目でその様子を見ていた。
「なんかあったか。」
出久は少し驚いたように顔を上げる。
「え?」
「今日。」
「元気ねぇ。」
勝己はぶっきらぼうに言った。
出久は少し困ったように笑う。
「そんなこと……。」
「ある。」
勝己は短く言い切った。
しばらく沈黙が続く。
やがて、出久がぽつりと口を開いた。
「今日ね。」
「学校で。」
「無個性だよねって言われたの。」
勝己は何も言わない。
出久は続ける。
「悪い子じゃないの。」
「ただ、それが不思議だっただけ。」
そう言って笑う。
でも、その笑顔は少し寂しかった。
「わたしね。」
「ヒーローになりたい。」
「その気持ちは、今も変わらないの。」
出久は空を見上げる。
青い空には、白い雲がゆっくり流れていた。
「でも。」
「かっちゃんみたいには、なれない。」
勝己は立ち止まった。
「ううん。」
「違う。」
出久は首を横に振る。
少し照れくさそうに笑う。
「わたしね。」
「かっちゃんの隣に立てる人になりたい。」
その言葉を聞いた勝己は、少しだけ目を丸くした。
思ってもいなかった言葉だった。
しばらく何も言えない。
やがて、小さく息を吐く。
「だったら。」
出久が顔を上げる。
勝己は少し照れくさそうに目をそらした。
「そんな顔してんじゃねぇ。」
「前向け。」
そのぶっきらぼうな言葉に、出久は思わず笑ってしまう。
胸の中の重たいものが、少しだけ軽くなった。
「……うん。」
その返事と一緒に、自然と言葉がこぼれる。
「ありがとう。」
少し間が空く。
「勝己。」
その瞬間。
二人とも足を止めた。
出久は目を大きく見開く。
「あっ……。」
頬がみるみる赤くなる。
「ご、ごめん!」
「その……。」
「違うの!」
慌てて言い直そうとする出久。
勝己はしばらく黙っていた。
そして、照れくさそうに鼻を鳴らす。
「……別に。」
勝己は前を向いたまま、小さく笑った。
「好きに呼べ。」
その一言だった。
出久の顔いっぱいに笑顔が広がる。
「……うん!」
少しだけ照れながら。
でも、とても嬉しそうに。
「ありがとう。」
「勝己。」
その呼び方は、幼い頃とは少し違う響きを持っていた。
春の日から続いてきた二人の時間。
その積み重ねが、この小さな変化を生んだ。
そして二人は、また並んで歩き始める。
今までと同じように。
けれど、少しだけ新しい関係で。
翌朝。
「行ってきます!」
「行ってらっしゃい。」
出久はランドセルを背負い、いつもの待ち合わせ場所へ向かった。
春から初夏へ。
少しずつ季節は移り変わり、朝の風もどこか心地よい。
「あっ。」
見慣れた後ろ姿が目に入る。
「おはよう!」
出久はいつものように駆け寄った。
勝己が振り返る。
「おう。」
二人は並んで歩き始める。
少し歩いたところで、出久は小さく息を吸った。
「……勝己。」
その一言に、自分でも少し驚く。
昨日は思わず口をついて出た呼び方。
今日は、自分の意思で呼んだ。
勝己は一瞬だけ出久を見る。
そして、いつものように答えた。
「なんだ。」
それだけだった。
特別なことは何もない。
昨日までと同じ朝。
同じ通学路。
でも、出久の胸は少しだけ温かくなった。
「えへへ。」
思わず笑みがこぼれる。
「なんだよ。」
「なんでもない。」
二人は顔を見合わせて笑った。
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教室では、休み時間になると子どもたちが元気よく遊び回っていた。
出久は机に向かい、ヒーローノートを開く。
昨日のページを眺めながら、鉛筆を握る。
「何描いてるの?」
近くの女の子がのぞき込む。
出久は少し照れながら答えた。
「ヒーローノート。」
「昨日ね、新しいヒーローをテレビで見たの。」
「だから忘れないように描こうと思って。」
女の子は目を輝かせる。
「すごーい!」
「いっぱい描くの?」
「うん!」
「いっぱい描く!」
その返事には迷いがなかった。
少し離れた席から、その様子を勝己が見ている。
出久が楽しそうに笑っている。
その姿を見て、勝己も小さく口元を緩めた。
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放課後。
いつもの帰り道。
出久はランドセルを揺らしながら歩いていた。
「勝己。」
「ん?」
「昨日ね。」
「ありがとう。」
勝己は少し照れくさそうに鼻を鳴らす。
「昨日も言ってた。」
「えへへ。」
出久は笑った。
「でも、もう一回言いたかったの。」
勝己は少しだけ空を見上げる。
「変なやつ。」
「そうかな。」
「そうだ。」
二人は笑い合う。
しばらく歩いたあと、出久がふと口を開く。
「勝己。」
「わたしね。」
「ヒーローノート、いっぱい描く。」
「いっぱい勉強して。」
「いっぱい考えて。」
「いつか。」
少しだけ立ち止まり、勝己を見つめる。
「勝己の隣に立てる人になる。」
その瞳には、もう迷いはなかった。
勝己は照れくさそうに目をそらす。
「だったら。」
「負けんなよ。」
短い言葉だった。
けれど、それは勝己なりの応援だった。
出久は力強くうなずく。
「うん!」
「負けない!」
夏へ向かう風が、二人の間を優しく吹き抜ける。
幼い日に交わした約束は、今も少しずつ育ち続けている。
「一緒にヒーローになる。」
その約束は変わらない。
ただ一つ変わったことがある。
幼い頃の「かっちゃん」は、
今では、胸を張って呼べる「勝己」になっていた。
二人は並んで歩き続ける。
これからも。
同じ夢を見つめながら。