第一章 いつもの二人
雄英高校、ヒーロー科1年A組。
入学してから、まだそれほど日は経っていない。
けれど。
個性把握テスト。
そして、オールマイトによる戦闘訓練。
慌ただしくも濃密な時間を過ごす中で、クラスの空気も少しずつ変わり始めていた。
そんなある日のホームルーム。
「今日のHRは――」
教壇の前に立った相澤が、いつもの気だるそうな声で告げる。
「学級委員長を決めてもらう」
一瞬の静寂。
そして。
「やりたいです!」
「俺も!」
「私も!」
一斉に手が上がった。
「おお……」
出久は目を丸くする。
さすが雄英。
ヒーローを目指して集まった生徒たちだけあって、こういうところでも積極的だった。
「静粛にしたまえ!」
その声を遮ったのは飯田だった。
勢いよく立ち上がり、腕を振る。
「多くの生徒を率いる責任重大な仕事だ!やりたい者がやるというだけで決めていい役職ではない!」
「じゃあどうすんだよ」
「民主的に、投票で決めるべきだ!」
「まだ知り合ってそんな経ってないけど」
「だからこそだ!」
教室がざわつく。
そんな中。
「緑谷ちゃんとか、向いてるんじゃない?」
芦戸がふと口にした。
「え?」
出久が自分を指差す。
「私?」
「ほら、入試の時も人助けてたんでしょ?この前の戦闘訓練でも冷静だったし」
「確かに」
何人かが頷く。
出久は少し考えた。
けれど、すぐに首を横に振った。
「うーん……私はいいかな」
「えー、なんで?」
「人をまとめるなら、もっと向いてる人がいると思うから」
それだけだった。
卑下するわけでもない。
自信がないわけでもない。
ただ、自分より適任の人がいると思った。
だから辞退した。
「じゃあ爆豪は?」
今度は上鳴が勝己を見る。
勝己は頬杖をついたまま、ちらりと上鳴を見た。
「俺がやったら、全員俺について来んのか?」
「…………」
教室が静かになる。
「だったら向いてる奴がやれ」
「お、おう……」
思ったよりまともな返答に、上鳴が微妙な顔をした。
「何だその顔」
「いや、もっとこう……『俺がやる!』とか言うのかと」
「俺はヒーローになるために来てんだ。委員長になるためじゃねぇ」
「なるほど……」
妙に納得してしまった。
結局。
投票と話し合いの末、学級委員長は飯田天哉。
副委員長は八百万百。
二人が務めることになった。
そして、昼休み。
「あれ?」
食堂へ向かおうとしていた芦戸が足を止めた。
その視線の先。
出久と勝己が、二人揃って歩いている。
「緑谷たちも食堂?」
「うん」
出久が頷く。
「珍しくない?」
耳郎も首を傾げた。
「いつも二人、教室でお弁当食べてるよね」
「ああ。今日は朝、ちょっと時間なくて」
「寝坊?」
「ううん。ちょっと家のことしてたら遅くなっちゃって」
出久は困ったように笑った。
「だから、勝己のお弁当も作れなかったんだ」
「…………」
芦戸が止まった。
耳郎も止まった。
たまたま近くを歩いていた上鳴と瀬呂も止まった。
「……今、なんて?」
「え?」
「爆豪の弁当」
芦戸が勝己を指差す。
「緑谷ちゃんが作ってんの?」
「うん」
出久は何でもないことのように答えた。
「自分のを作るついでだよ?」
「ついで」
「うん」
「毎日?」
「だいたい」
「…………」
四人の視線が勝己へ向く。
「何だよ」
「いや……」
瀬呂が何とも言えない表情をする。
「お前、それ毎日食ってんの?」
「ああ」
「普通に?」
「弁当をどうやって普通じゃなく食うんだよ」
「そういう意味じゃねぇよ」
瀬呂が頭を抱えた。
「?」
出久が首を傾げる。
「ほら、勝己。行こ。混んじゃうよ」
「おう」
二人はそのまま食堂へ向かう。
「…………」
残された四人。
上鳴がぽつりと言った。
「……俺らも行く?」
「行く」
「これは見届ける必要がある」
「何を?」
「分かんないけど」
四人も後を追った。
雄英高校の食堂。
プロ並み――いや、プロそのものの腕前を持つランチラッシュが作る料理は、当然ながら美味しかった。
「うまっ!」
上鳴が声を上げる。
「やっぱすげぇな、雄英」
「安いしね」
耳郎も満足そうに箸を進める。
そして。
芦戸が、向かいで黙々と食べている勝己を見る。
「ねえ爆豪」
「あ?」
「どう?」
「何がだ」
「ランチラッシュのご飯。美味しい?」
「うめぇよ」
「だよね!」
そこで終わればよかった。
だが。
勝己は何でもないことのように続けた。
「出久のでいいけどな」
「…………」
再び。
食卓が止まった。
「そう?」
出久だけが普通に返す。
「ああ」
「じゃあ明日はちゃんと作るね」
「おう」
「…………」
上鳴が静かに箸を置いた。
「なあ」
「言うな」
瀬呂が止める。
「いや、でも」
「分かってる」
耳郎が額に手を当てた。
芦戸だけは我慢しなかった。
「もう付き合えば?」
「え?」
出久が首を傾げる。
「付き合ってないよ?」
「付き合ってねぇ」
勝己も飯を食べながら答える。
「「「そこじゃない」」」
三人の声が重なった。
「?」
出久はますます分からないという顔をする。
勝己に至っては、もう興味を失って食事に戻っていた。
芦戸は二人を交互に見る。
「……幼馴染って、こんな感じなの?」
「少なくとも俺の知ってる幼馴染は毎日弁当作ってくれねぇな」
「私も」
「だよねぇ……」
そんな。
何でもない昼休みだった。
――そのはずだった。
突然。
けたたましい警報音が、校内に鳴り響いた。
『セキュリティレベル3が発令されました。生徒は速やかに――』
「何!?」
「ヴィラン!?」
食堂の空気が一変する。
一斉に立ち上がる生徒たち。
誰かが出口へ走る。
それにつられるように、人が動き始めた。
「押すな!」
「ちょっ、待って!」
「何が起きてんだよ!」
人が人を押す。
出口へ。
少しでも早く。
食堂にいた大勢の生徒が、一斉に同じ方向へ殺到する。
「……っ」
出久も人波に押される。
「出久!」
「大丈夫!」
勝己も近くにいる。
だが、今は互いのところへ行くより先に――。
出久は周囲を見る。
警報。
侵入者。
けれど。
「……あれ?」
窓の向こう。
校舎の入口付近。
カメラ。
マイク。
大勢の大人たち。
「マスコミ……?」
出久が呟く。
同じものを見ていた勝己の目も細くなる。
「勝己」
「見えてる」
短い言葉。
それだけで十分だった。
ヴィランではない。
侵入してきたのはマスコミだ。
ならば――。
「きゃっ!」
小さな悲鳴。
押された女子生徒が体勢を崩しかける。
出久の表情が変わった。
危ない。
侵入者じゃない。
今、一番危険なのは――。
「このままだと……」
出久が勝己を見る。
勝己も出久を見る。
一瞬。
視線が交わった。
「チッ」
勝己が片手を上げる。
人のいない方向。
安全を確認して。
――ドンッ!!
鋭い爆発音が食堂に響いた。
「!?」
人の流れが、一瞬止まる。
全員の視線が勝己へ向いた。
その瞬間。
「みんな、落ち着いて!」
出久の声が響く。
「敵じゃない!」
ざわめきが止まる。
「侵入してきたのはマスコミの人たち!ヴィランじゃないよ!」
「マスコミ……?」
「じゃあ、敵じゃないのか?」
「走らないで!」
出久は声を張る。
「押したら危ないから! 落ち着いて!」
少しずつ。
人の動きが止まっていく。
だが、ここには大勢の生徒がいる。
状況を知らせただけでは、まだ足りない。
その時。
「皆、聞いてくれ!」
よく通る声。
飯田だった。
「緑谷君の言う通りだ! 敵の襲撃ではない!」
人々の視線が集まる。
「出口に集中する必要はない!周囲の者と距離を取り、落ち着いて移動してくれ!」
飯田が腕を振る。
「走らず、押さず、順番にだ!」
その声に従って。
少しずつ。
人の流れが整っていく。
勝己が、全員の目を止めた。
出久が、状況を伝えた。
そして飯田が、人をまとめた。
やがて。
食堂に落ち着きが戻っていった。
「いやー……びっくりした」
教室へ戻った芦戸が机に突っ伏す。
「ヴィランかと思った」
「俺も」
上鳴も大きく息を吐いた。
瀬呂が勝己を見る。
「つーか爆豪。あの爆発、そういうことだったんだな」
「あ?」
「全員を振り向かせるためだろ?」
「他にどうやって止めんだよ」
「いや、普通はあんな一瞬で思いつかねぇって」
今度は耳郎が出久を見る。
「緑谷も、よく分かったね」
「たまたま見えたんだよ。入口のところにカメラを持ってる人がいたから」
「それで爆豪も?」
「勝己も同じの見てたから」
「……会話してなかったよね?」
「うん?」
「爆豪が爆発させるって、どうして分かったの?」
出久は少し考える。
「……勝己だから?」
「説明になってないんだけど」
「そう?」
出久が勝己を見る。
「分かるよね?」
「ああ」
「…………」
耳郎はそれ以上聞くのをやめた。
やっぱり。
この二人は、何かがおかしい。
少し離れたところでは、飯田が八百万と話していた。
学級委員長になったばかり。
それでも。
必要な時には、きちんと前に立った。
出久はその姿を見て、小さく笑った。
「飯田くん、やっぱり委員長向いてるね」
「ああ」
勝己も否定しなかった。
そして。
その日のホームルーム。
「明日は救助訓練を行う」
相澤の言葉に。
出久が顔を上げた。
「救助訓練……」
人を助ける。
ヒーローになるために。
ずっと考えてきたこと。
ずっと学びたかったこと。
出久の目が、わずかに輝く。
隣では勝己も、静かに相澤の話を聞いていた。
二人はまだ知らない。
その救助訓練が。
訓練では終わらないことを。
そして。
いつも隣にいた二人が――。
初めて、本当の意味で引き離されることを。
――第五部、始動。