無個性の私と、幼馴染のかっちゃん   作:千遇万歩

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第三章 はじめての約束

 

朝。

 

双葉幼稚園の門が開くより少し早く、出久は母・引子と手をつないで歩いていた。

 

「ふふっ。」

 

「どうしたの?」

 

引子が優しく尋ねる。

 

出久は弾むように答えた。

 

「きょうね!」

 

「ダンゴムシさんのつづき、みるの!」

 

引子は思わず笑みをこぼす。

 

「そうなんだ。」

 

「昨日、お約束したの?」

 

「うん!」

 

出久は大きくうなずく。

 

「かっちゃんがね!」

 

「『ダンゴムシのつづき見るぞ』って!」

 

その嬉しそうな表情を見て、引子は胸をなで下ろした。

 

この数日で、娘はずいぶんよく笑うようになった。

 

「楽しみだね。」

 

「うん!」

 

園門の前まで来ると、出久は引子の手をぎゅっと握った。

 

「いってきます!」

 

「いってらっしゃい。」

 

元気よく手を振って園庭へ駆けていく。

 

引子は、その小さな背中が見えなくなるまで見送っていた。

 

---

 

園庭へ入った出久は、真っ先に辺りを見回した。

 

「……。」

 

まだいない。

 

少しだけ肩が下がる。

 

昨日と同じ場所へ向かう。

 

ダンゴムシがいた植え込みのそば。

 

しゃがみ込み、そっと葉っぱをめくる。

 

「いない……。」

 

少しだけ寂しくなった、そのときだった。

 

「何してんだ。」

 

後ろから聞き慣れた声がする。

 

ぱっと振り向く。

 

「かっちゃん!」

 

勝己は両手をポケットに入れたまま立っていた。

 

「もう探したのか。」

 

「うん!」

 

「でもいなかった……。」

 

勝己は植え込みを一度見ると、小さく首を振った。

 

「こっちじゃねぇ。」

 

「え?」

 

「昨日の帰りに見てた。」

 

そう言って園庭の反対側へ歩き出す。

 

「こっちの木の下。」

 

出久は目を丸くした。

 

「覚えてたの?」

 

勝己は振り返らない。

 

「約束しただろ。」

 

それだけ言って歩き続ける。

 

出久は一瞬立ち尽くした。

 

胸の奥が、ぽっと温かくなる。

 

「うん!」

 

嬉しそうに返事をすると、小さな足で勝己を追いかけた。

 

木陰に着くと、勝己はしゃがみ込む。

 

「このへん。」

 

二人でそっと落ち葉をめくる。

 

「いた!」

 

最初に見つけたのは出久だった。

 

小さなダンゴムシが、ゆっくりと丸まり、また少しずつ歩き始める。

 

「ほんとだ。」

 

勝己も少しだけ嬉しそうに笑った。

 

「昨日のやつかな?」

 

出久が尋ねる。

 

勝己は少し考える。

 

「分かんねぇ。」

 

「でも。」

 

「また会えたなら、それでいいだろ。」

 

出久はその言葉に、小さく笑った。

 

「うん。」

 

また会えた。

 

その言葉だけで、十分嬉しかった。

 

春の風が、木々を優しく揺らす。

 

二人は並んでしゃがみ込み、小さな命を飽きることなく見つめ続けていた。

 

「ほんとに、ころころするね。」

 

出久は両手を膝につきながら、小さなダンゴムシを夢中で見つめていた。

 

勝己も隣でしゃがみ込む。

 

「つつくと丸くなる。」

 

そう言いながら、小枝ではなく、人差し指でそっと地面を軽くたたく。

 

驚いたダンゴムシは、小さく丸まった。

 

「わぁ!」

 

出久の瞳が輝く。

 

「すごい!」

 

「でも。」

 

勝己は続ける。

 

「すぐ戻る。」

 

しばらくすると、ダンゴムシはゆっくり体を伸ばし、また歩き始めた。

 

「ほんとだ……。」

 

二人は顔を見合わせ、小さく笑う。

 

そのとき。

 

「何してるんだ?」

 

近くを通りかかった園児が、二人の足元をのぞき込んだ。

 

「ダンゴムシ!」

 

出久が嬉しそうに答える。

 

「うわ、気持ちわる!」

 

園児は近くに落ちていた枝を拾い上げた。

 

「つついてみよ!」

 

枝がダンゴムシへ伸びる。

 

その瞬間だった。

 

「やめろ。」

 

勝己の声が響く。

 

園児は驚いて手を止めた。

 

「なんで?」

 

「かわいそうだろ。」

 

勝己は短く言う。

 

「遊ぶなら他ので遊べ。」

 

園児は少し不満そうな顔をしたが、

 

「……つまんない。」

 

と言い残して、友達のところへ走っていった。

 

静けさが戻る。

 

出久はダンゴムシを見つめたまま、小さくつぶやく。

 

「よかったぁ……。」

 

勝己は鼻を鳴らす。

 

「当たり前だ。」

 

「約束したし。」

 

出久は勝己を見る。

 

「約束?」

 

「昨日。」

 

「続きを見るって言っただろ。」

 

「見る前にいなくなったら、意味ねぇ。」

 

その言葉に、出久は思わず笑った。

 

「うん!」

 

「守れたね!」

 

勝己は照れくさそうに目をそらす。

 

「まぁな。」

 

それだけだった。

 

でも、その返事が嬉しかった。

 

午後になり、子どもたちは教室へ戻る。

 

出久はお絵描き帳を開くと、今日見たダンゴムシを一生懸命描き始めた。

 

丸い体。

 

小さな足。

 

その隣には、もう一人。

 

少しだけツンとした髪の男の子。

 

保育士がのぞき込む。

 

「お友達?」

 

出久はにっこり笑った。

 

「うん!」

 

「かっちゃん!」

 

その返事は、昨日よりずっと自然だった。

 

帰る時間。

 

園庭の門で二人はまた並ぶ。

 

「じゃあ。」

 

勝己が歩き出そうとすると、

 

出久が小さく呼び止めた。

 

「かっちゃん。」

 

「ん?」

 

「また明日。」

 

勝己は少しだけ笑う。

 

「あぁ。」

 

「また明日。」

 

春風が吹き抜ける。

 

桜の花びらが二人の間をゆっくり舞った。

 

約束は、大きなものじゃなかった。

 

指切りをしたわけでもない。

 

紙に書いたわけでもない。

 

ただ、

 

「明日も一緒に見よう。」

 

そう言っただけ。

 

それでも、その約束は二人の心に残った。

 

明日も会える。

 

明日も笑える。

 

幼い二人にとって約束とは、

 

未来を信じる、小さな勇気だった。

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