朝。
双葉幼稚園の園庭は、今日も子どもたちの元気な声であふれていた。
「かっちゃん!」
門をくぐるなり、出久は嬉しそうに手を振る。
少し離れた場所で靴を履き替えていた勝己は、その声に振り向いた。
「おう。」
短い返事。
それでも出久は満面の笑みになる。
二人は自然と並んで園庭を歩き始めた。
もう、それが当たり前になりつつあった。
「今日は何見る?」
出久が尋ねる。
勝己は少し考えてから答えた。
「昨日とは違う場所。」
「なんかいるかもしれねぇ。」
「うん!」
出久も元気よくうなずく。
二人は園庭の奥、小さな木立の方へ向かった。
そこは、普段あまり子どもたちが来ない静かな場所だった。
落ち葉をめくり、小枝をどかし、土をそっとのぞき込む。
「いた!」
勝己が声を上げる。
木の根元を、小さな黒い虫がゆっくり歩いていた。
「何だろ?」
出久が首をかしげる。
勝己は少し目を輝かせる。
「捕まえてみよう。」
そう言って、そっと両手を伸ばした。
その瞬間。
「だめ!」
出久が思わず声を上げた。
勝己の手が止まる。
「……なんで?」
出久は虫を見つめながら言った。
「びっくりしちゃう。」
「かわいそう。」
勝己は眉をひそめる。
「捕まえるだけだ。」
「すぐ離す。」
「でも……。」
出久は首を横に振る。
「いや。」
「逃げたいかもしれない。」
勝己は少しだけむっとした顔になる。
「そんなの分かんねぇだろ。」
「分かるもん。」
「分かんねぇ。」
「分かる!」
二人の声が、少しだけ大きくなった。
しばらく見つめ合う。
昨日までの穏やかな空気とは、少し違う。
勝己は腕を組んだ。
「じゃあ、見てるだけか?」
「うん。」
出久は迷わずうなずく。
「見るだけでいい。」
「……。」
勝己は何も言わない。
少しだけ口を尖らせる。
「つまんねぇ。」
ぽつりとつぶやく。
出久は思わず目を見開いた
その一言が、出久の胸に小さく刺さった。
「つまんなくない。」
「楽しいもん。」
「俺は楽しくねぇ。」
勝己はくるりと背を向けた。
「もういい。」
そう言って、一人で歩き出す。
「かっちゃん!」
出久が呼ぶ。
でも勝己は振り返らなかった。
その背中を見送りながら、出久は小さく唇を結ぶ。
胸の奥が、少しだけ痛かった。
昨日まで当たり前だった「隣」が、
今日は少しだけ遠く感じた。
勝己が行ってしまったあとも、出久はその場に立ち尽くしていた。
さっきまで歩いていた虫は、もう落ち葉の陰へ隠れてしまっている。
「……。」
胸の中が、もやもやする。
「いずくちゃん?」
保育士が近づいてきた。
「どうしたの?」
出久は小さく首を振る。
「なんでもない。」
そう答えたものの、いつもの笑顔はなかった。
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一方その頃。
勝己は園庭の反対側で、一人ブランコに座っていた。
ぎい。
ぎい。
ゆっくり揺れる。
「……。」
なんだか面白くない。
虫を捕まえて、一緒に見たかっただけだ。
泣かせるつもりも、困らせるつもりもなかった。
なのに。
「……。」
出久の「だめ」という声が、頭から離れなかった。
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昼食の時間。
いつもなら自然と隣に座る二人だった。
今日は違う。
出久は窓際。
勝己は反対側。
どちらも、ちらちらと相手を見てしまう。
でも、目が合う前に逸らしてしまう。
保育士は、その様子を少し不思議そうに見つめていた。
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午後。
自由遊び。
勝己は何となく木陰の方へ歩いていく。
昨日、ダンゴムシを見た場所。
そして今日も。
そこには、小さな背中があった。
出久だった。
しゃがみ込んで、葉っぱの下をのぞいている。
勝己は少しだけ立ち止まる。
「……。」
何と言えばいいのか分からない。
謝るのも違う気がする。
でも、このまま帰るのも違う。
しばらく黙っていたあと、
勝己は足元を指差した。
「いずく。」
出久が振り向く。
「ん?」
「ほら。」
見ると、小さなテントウムシが葉っぱの上を歩いていた。
出久の表情がぱっと明るくなる。
「かわいい!」
思わず笑顔になる。
勝己も、その顔を見て少しだけ笑った。
「今日は捕まえねぇ。」
ぶっきらぼうに言う。
「見るだけ。」
出久は少し目を丸くした。
それから、ゆっくりとうなずく。
「うん。」
「ありがとう。」
勝己は照れくさそうに鼻を鳴らした。
「別に。」
今度は出久が少し考える。
そして、小さく言った。
「……でもね。」
「かっちゃんが捕まえたい気持ちも、ちょっと分かった。」
勝己は驚いたように出久を見る。
「ちゃんと見たかったんだよね。」
「……まぁ。」
「そう。」
二人は顔を見合わせる。
そして、どちらからともなく笑った。
その笑顔は、朝より少しだけ優しかった。
夕方。
帰る時間。
園庭を出る前、出久がぽつりと言う。
「ケンカしちゃったね。」
勝己は少しだけ考え、
「したな。」
と答えた。
「でも。」
出久は続ける。
「また明日、一緒に遊ぼう?」
勝己は迷わなかった。
「あぁ。」
「また明日。」
二人は並んで手を振る。
春風が、二人の間を通り抜けていく。
友達になれば、ずっと同じ気持ちでいられるわけじゃない。
考え方が違う日もある。
ぶつかる日もある。
それでも、
もう一度隣に座りたいと思えるなら。
その気持ちはきっと、
昨日より少しだけ強い"友達"になれた証だった。