グラントリノ事務所。
朝。
テーブルには、勝己が作った朝食が並んでいた。
「いただきます!」
「……いただきます」
二人で朝食を取る。
以前なら、勝己が「爺」と呼ぶたびに何かしら言い返していたグラントリノだが。
今では。
「爺」
「ん?」
それだけだった。
もはや訂正すらしない。
それが。
グラントリノなりの認め方なのかもしれない。
「勝己」
「ん?」
「今日はお前、昨日の感覚を掴め」
「それに徹しろ」
勝己は箸を止める。
「……」
「爺、今日はやんねぇのか?」
「焦るな」
グラントリノは即答した。
「これ以上、俺とばっかり戦ってると、全く違うタイプへの対応でつまずく」
「それに」
「せっかく来てんだ」
「ヒーロー活動、連れてってやるよ」
勝己が立ち上がる。
「……ほんとか?」
「ああ」
「ヴィラン退治だ」
勝己の目が変わる。
「夕方にはここを出て」
「新幹線乗って、渋谷行くぞ」
「渋谷?」
「あそこなら、小さなイザコザなんざ日常茶飯事だ」
「本物の現場で、自分の身体がどう動くのか試してみろ」
勝己の口元が。
僅かに吊り上がる。
「……なるほどな」
「だからよ」
グラントリノもニヤリと笑う。
「ちゃんと感覚、掴めよ」
「じゃねぇと」
「置いてくからな」
「……分かった」
勝己は短く答えた。
グラントリノは、そんな勝己を見てから。
ふと思い出したように呟く。
「お前の幼馴染、名前なんて言うんだった?」
「緑谷出久だ」
「そうか」
グラントリノは頷く。
「で?」
「……で?」
「今日は何やってんだ?」
「今日は保須市ってとこの警察で訓練らしい」
「保須市か」
グラントリノが少し考える。
「まあ、通るっちゃ通るが……」
「今回は機会なさそうだな」
「どういうことだ?」
「いや」
グラントリノは勝己を見る。
「緑谷って子も近くにいるなら……」
「夕飯くらい誘ってやりたかったんだがな」
「……今日は無理だろ」
「まあ、次の機会だな」
---
薄暗い店内。
棚には酒瓶とグラスが並び。
いくつかのテーブルと椅子が置かれている。
一見すれば。
ただのバー。
しかし。
そこに集まっている人達は、明らかに普通ではなかった。
そのカウンター席の一つ。
白く乱れた髪。
痩せた身体。
そして。
顔を覆っているのは、人の手を模したマスク。
五本の指が顔を覆い、手のひらの部分が口元を隠している。
異様な風貌の青年。
その視線の先には。
無数の刃物を帯びた一人の男が立っていた。
「……なるほどなァ……」
男が、目の前の光景を見渡す。
「お前達が雄英襲撃犯……」
「その一団に、俺も加われと」
「ああ」
死柄木が答える。
「頼むよ」
「悪党の大先輩」
「ヒーロー殺し――ステイン」
ステインは、しばらく黙って死柄木を見る。
「……」
やがて。
僅かに目を細めた。
「……目的は何だ」
マスクの隙間から覗く目が険しくなる。
「とりあえず、オールマイトをぶっ殺したい」
「気に入らないものは、全部壊したいな」
「こういうクソガキとかもさ……」
死柄木が手にしていたものを、ステインへ向ける。
写真。
そこに写っているのは。
雄英高校の生徒達。
体育祭で撮影された写真だった。
「全部」
ステインは写真を見る。
その瞬間。
目つきが変わった。
写真に映る生徒たち。
その中に。
見覚えのある少女がいた。
「……」
ステインは写真から目を離さない。
そして。
ゆっくりと口を開いた。
「興味を持った俺が浅はかだった……」
「お前は……ハァ……」
ステインが顔を上げる。
「俺が最も嫌悪する人種だ」
「はぁ?」
死柄木が眉をひそめる。
「待ってください!」
黒い霧状の人型が割って入る。
「今を壊す」
「この点において、私達は共通している筈です」
「死柄木弔」
「彼が加われば、大きな戦力になります」
「黒霧……」
死柄木は黙って黒霧を見る。
ステインもまた。
二人を見ていた。
そして。
「今を壊す……」
ぽつりと呟く。
「"英雄"が本来の意味を失い」
「偽物が蔓延る、この社会も」
「徒に"力"を振りまく犯罪者も」
ステインの声が低くなる。
「粛清対象だ……ハァ……」
室内に沈黙が流れる。
「……」
「……交渉は成立ですか?」
黒霧が尋ねる。
ステインは答えない。
やがて。
「……以前までならな」
「え?」
黒霧が反応する。
ステインは死柄木を見る。
「今を壊すと言いながら」
「お前達は、何を見ている……」
「子供の癇癪に付き合えと?」
ステインは、吐き捨てるように息を吐いた。
「信念なき殺意に」
「何の意義がある」
死柄木の表情が歪む。
ステインは。
身につけた刃物へと手を伸ばした。
---
保須市。
警察施設。
夕方。
今日の訓練が終わり、出久は荷物をまとめていた。
「緑谷さん」
「お疲れ様でした」
綾小路が声を掛ける。
出久が振り返る。
「お疲れ様でした!」
「今日はありがとうございました」
「緑谷さん」
「今日は昨日までとは違う内容でしたが、どうでしたか?」
綾小路が今日の訓練を思い返す。
出久は少し考える。
「午前中の格闘術も、午後からの逮捕術も」
「どちらも、凄く勉強になりました」
「特に格闘術は、専門の方からご指導していただけたのは、大きかったです」
「今まであった言葉にならない感覚が、言語化された感じがしました」
「逮捕術は……」
「一瞬の隙を作って、そこから一気に制圧まで持っていく必要があると思うんですけど」
「実際にやってみると……」
「一人で相手を制圧するって、思っていた以上に難しかったです」
「相手が動く」
「こちらも動く」
「一瞬でもタイミングを外せば、次の動作に繋げられない」
「そうですね」
綾小路が頷く。
「そして」
「相手が一人とは限りません」
「……はい」
「複数人で制圧する場合は、また難しさが変わります」
「一人では対応しきれない部分を補える反面」
「互いの動きを理解していなければ、かえって邪魔になる」
「だからこそ、連携が重要になるんですね」
「……そうだと思います」
出久は少し考える。
「でも……」
「複数人で動けるなら」
「一人で全部やろうとするより、制圧できる可能性は高くなる」
「そこが、今日一番印象に残りました」
綾小路が微笑む。
「緑谷さんらしい感想ですね」
「え?」
「一人の力だけで解決することよりも」
「周囲と協力することを自然に考えている」
「……」
出久は少し照れたように笑う。
「その方が、助けられる人も増えると思うので」
「なるほど」
綾小路は頷いた。
「警察の現場でも、非常に重要な考え方です」
「もちろん、一人で対応しなければならない場面もあります」
「ですが」
「自分一人で何とかしようとすることと」
「周囲の力を借りて、より確実に目的を達成することは別です」
「はい」
「今日の訓練で、それを実感できたのであれば」
「十分に意味のある一日だったと思いますよ」
「……ありがとうございます」
出久は笑った。
「これからも、もっと勉強します」
綾小路も穏やかに頷く。
「ええ」
「その調子で頑張ってくださいね、緑谷さん」
「では」
「駅まで、車でお送りしましょうか?」
「え?」
出久が少し驚く。
「いえ、大丈夫です」
「まだ時間もありますし」
「少し家にお土産を買って帰りたいので」
「そうですか」
綾小路は頷く。
「分かりました」
「それでは、今日はここで」
「はい!」
出久は頭を下げる。
---
綾小路と別れ。
出久は駅へ向かって歩き始めた。
夕方の街。
人通りも多い。
帰りの電車まで、まだ時間もある。
今日は何を買って帰ろう。
そんなことを考えながら歩いていた。
その時。
前方から。
大きな音が響いた。
ガシャンッ!!
「……!?」
出久が振り返る。
道路の中央。
一台の乗用車が、分離帯へ突っ込んでいた。
「事故……!」
考えるより先に。
出久は走り出していた。
「大丈夫ですか!」
車へ駆け寄る。
運転席には。
女性が一人。
「……」
返事がない。
「大丈夫ですか!」
出久が声を掛ける。
反応がない。
すぐに車内へ手を伸ばす。
シートベルトを外し。
女性の身体を確認する。
「……意識なし」
「呼吸も……正常じゃない」
緊張が走る。
すぐに救命処置が必要だ。
しかし。
「このままじゃ」
「後続車に巻き込まれるかも……」
出久は、女性を慎重に車外へ運び出す。
「ここなら大丈夫……」
安全な場所に女性を下ろす。
出久の頭の中では、既に。
今すべきことが整理されていた。
通報。
交通整理。
二次事故の防止。
AEDの確保。
そして。
目の前の女性への処置。
「……人手が足りない」
出久は周囲を見渡す。
警察も。
救急隊も。
まだ来ていない。
一人では。
全部できない。
だからこそ。
訓練で教わったことを思い出す。
――焦るな。
――まず状況を確認する。
――自分一人で全部やろうとするな。
――周囲の人間を使え。
教わったことが。
一つにつながっていく。
「誰か!」
出久が声を上げる。
「誰か、手を貸してください!」
その瞬間。
「任せろ!」
「何すればいい!」
「俺も手伝うぞ!」
次々と。
人が集まってきた。
「え……?」
出久が目を丸くする。
出久の知っている知識では。
こんなに簡単に集まる筈ではなかった。
しかし。
すぐに我に返る。
「ありがとうございます!」
出久は立ち上がる。
そして。
周囲を見渡した。
「では、あなたは110番へ!」
「はい!」
「あなたは119番!」
「分かった!」
「それから!」
出久は道路を見る。
「事故車に追突しないよう!交通誘導お願いします!」
「手が空いた人も向かわせるので!十分気をつけて下さい!」
「分かった!」
「それから、あなたは!AEDを探してきてください!」
「任せろ!」
大人達が一斉に動き始める。
出久は、意識のない女性と向き合う。
そして。
「……大丈夫です」
出久は女性へ声を掛ける。
「今、助けますから……!」
胸骨圧迫を開始する。
一定のリズム。
身体の使い方。
力の入れ方。
訓練で繰り返した動作。
その一つ一つを。
今。
実際の現場で使っている。
「頑張って……!」
出久が絶え間なく胸骨圧迫を続ける。
「AED、あったぞ!」
集まった大人達も。
必死に動いている。
「持ってきて下さい!」
AEDが女性に装着される。
AEDの音声が響く。
出久は指示に従い、処置を続ける。
電気ショックが行われる。
そして、すぐに胸骨圧迫を再開した。
やがて。
遠くから。
サイレンの音が聞こえてきた。
「救急車……!」
「来た!」
そして。
「……!」
女性の身体が、僅かに動いた。
「……う……」
「!」
「聞こえますか!」
出久が声を掛ける。
女性が。
ゆっくりと目を開けた。
「……ここ……は……」
「大丈夫です!」
出久の表情が緩む。
「もうすぐ救急隊が来ます!」
「意識戻ったぞ!」
「良かったぁ……!」
周囲から。
安堵の声が上がる。
ほどなくして。
救急隊と警察が到着した。
「ここからは、こちらに任せてください」
救急隊員が女性を搬送していく。
警察官が周囲の交通整理を始める。
ようやく。
出久は息を吐いた。
「……良かった」
緊張が抜ける。
その時だった。
「……あの」
「え?」
振り返る。
先ほどまで手伝ってくれていた男性が。
出久を見ていた。
「緑谷出久さんですよね?」
出久は目を瞬かせる。
「はい……そうですけど」
男性の顔が。
ぱっと明るくなった。
「やっぱり!」
「え?」
「体育祭!見ました!」
「すごかったです!」
「……!」
出久が目を丸くする。
「ありがとうございます……」
「いや、本当に感動しました!」
その声を聞いた。
別の女性が振り返る。
「緑谷出久って……」
「体育祭の?」
「私、配信も見ました!」
気がつけば。
周囲にいた人達が。
少しずつ集まってくる。
「俺も見たよ!」
「私も!」
「いやぁ、あれは凄かった!」
出久は、驚いたように周囲を見る。
「皆さん……」
すると。
先ほどAEDを持ってきてくれた男性が。
少し照れたように頭を掻いた。
「実はさ」
「俺、こういう救助活動とか」
「本当なら、あんまり関わらないタイプなんだよ」
「……え?」
出久が驚いた声を上げる。
男性は事故現場を見る。
「怖いし」
「何かあったら嫌だし」
「こういうのは、得意な人がやればいいと思っちゃう」
「だから」
男性は苦笑する。
「普段なら、見てるだけだったと思う」
「巻き込まれたくないから、逃げてたかもしれない」
「でも」
「体育祭で、君を見てさ」
出久が黙って聞いている。
「なんていうか」
「何でも諦めちゃうのは、良くないなって思ってさ」
「だから」
「今日は……」
「手伝ってみようかなって」
「……俺も同じです」
別の男性が口を開く。
「俺も、何かできることがあるなら」
「やってみようと思って」
「だから」
「こういう時くらいは、動こうかなって」
「……」
出久は、胸の奥が。
じんわりと温かくなるのを感じた。
「……そうだったんですね」
出久は小さく笑った。
「皆さん、ありがとうございました」
「おかげで助かりました」
大人達も照れながら笑う。
その様子を。
少し離れた建物の影から。
じっと見ている者がいた。
「……」
しばらく後。
出久が。
ふと。
何かを感じた。
「……?」
建物の方へ。
視線を向ける。
しかし。
そこには。
誰もいなかった。