建物の影。
出久は、足を止めていた。
「……」
先ほど感じた気配。
確かに。
この辺りからだった。
出久は周囲を見渡す。
人通りのある大通りから、一本外れた道。
建物と建物の間。
その奥に。
僅かに赤いものが見えた。
「……血?」
出久は目を細める。
近づいてみる。
やはり。
血痕だった。
まだ乾ききっていない。
「……」
出久は、小さく息を吐いた。
そして。
一歩。
足を踏み入れる。
細い路地を進む。
建物の隙間。
薄暗い。
人の気配はない。
けれど。
血痕だけが続いている。
「……」
出久は警戒しながら歩く。
そして。
路地を抜けた先。
開けた場所に。
一人の男がいた。
無数の刃物を身につけ。
身体には生々しい傷。
その場に立っているだけで、普通の人間ではないことが分かる。
出久は足を止めた。
男も。
こちらを見る。
視線がぶつかる。
「……」
出久は、相手から目を逸らさなかった。
「ヴィランですね?」
男は僅かに目を細める。
「……ああ」
即答だった。
出久は鞄を下ろす。
そして。
中を探り始める。
男の視線が鋭くなる。
「……何をしている」
「救急用品です」
出久は顔を上げる。
「その傷を手当てします」
「……何故だ?」
男の声が低くなる。
「……お前はヒーロー側なんだろ?ハァ……」
「はい」
「……ならば、俺を放っておけばいい」
「意味が分かりません」
「それが手当てをしない理由には、ならないですよね」
男の目が僅かに見開かれる。
出久は救急用品を取り出す。
「いいから、黙って手当てされて下さい」
「面白い」
男が笑う。
「俺がその時、お前を殺すかもしれないぞ」
「……」
二人の目が合う。
出久は。
一歩も引かなかった。
男も。
目を逸らさない。
しばらく。
沈黙が続く。
やがて。
男が呟いた。
「……本物か」
「何がです?」
出久は首を傾げる。
そして。
そのまま男へ近づいた。
「ごちゃごちゃ煩いですね」
「思想犯って奴ですか?」
「……」
出久は傷を確認する。
「まあ、何でもいいです」
「とにかく、手当てしますから」
男は出久を見下ろす。
「俺を知らないのか?」
「ええ」
出久は即答した。
「さっぱり」
「……」
男の目が細くなる。
出久は傷の手当てを始めた。
「……」
「……」
しばらく。
静かな時間が流れる。
やがて。
男が口を開いた。
「さっきの救助とは、ずいぶん口調が違うな」
出久の手が止まる。
そして。
ゆっくり顔を上げた。
「……やっぱり」
「見てたのは、あなただったんですね」
男は答えない。
出久は、再び手当てを続ける。
「残念でしたね」
「……何がだ」
「あいにく」
出久は傷口を確認しながら言う。
「ヴィランに引くほど弱くはないので」
「……」
男の目が細くなる。
「俺は、お前を知っているぞ」
「緑谷出久だろ」
「体育祭で見た口ですか?」
「……ああ」
「なるほど」
出久は納得したように頷く。
「……お前は」
男が問う。
「この世界を、どう思う?」
「……?」
「偽物が蔓延る、この社会を」
出久は少し考える。
「何言ってるか分かりませんね」
「……何?」
「偽物って、何を指してるんですか?」
男は目を細める。
そして。
ゆっくりと口を開いた。
「本来、英雄とは」
「己の身を顧みず、他者を救う者」
「名声や金のためではない」
「己の利益のためでもない」
「だが、この社会には」
「ただ人気を得るため」
「金を稼ぐため」
「己の欲を満たすため」
「そんな者達が、英雄を名乗っている」
「本来の意味を失った英雄」
「それが、偽物だ。ハァ……」
男の声には。
明確な怒りがあった。
「……なるほど」
出久は手当てを続ける。
男が問う。
「では、どう思う?」
「この社会を」
「偽物が蔓延る、この世界を」
出久は少しだけ考えた。
「……改めて考えてましたけど」
「心底どうでもいいです」
「……何?」
男の眉間に皺が寄る。
「黙って聞きなさい」
出久も男を睨み返す。
「あなたが何を言いたいのかは分かりました」
「偽物が増えて」
「英雄というものの意味が薄れている」
「そういうことですよね?」
男は黙っている。
「その考え方は、理解できます」
「でも」
出久は。
真っ直ぐ男を見る。
「共感はできません」
男の目が細くなる。
「無個性の私からしたら」
「本物も偽物も、みんな舞台に上がれた人達です」
「舞台に上がれた人達に対して」
「本物だ、偽物だって言っている」
「そんなこと、勝手にやればいいと思います」
男は黙っている。
出久は続ける。
「それよりも」
「舞台に上がれず」
「諦めてしまった人」
「途中で折れてしまった人」
「自分には無理だって」
「最初から諦めてしまった人」
出久の手が止まる。
「そういう人達に、私は手を差し伸べたい」
男の目が僅かに動く。
二人の目が合う。
出久は一歩も引かない。
男も目を逸らさない。
「本物だとか」
「偽物だとか」
出久は続ける。
「そんなことより」
「今、誰に手を差し伸べるべきなのか」
「私には、そっちの方が大事です」
長い沈黙。
やがて。
男が呟いた。
「……理解はする」
「……だが」
「俺の考えには共感しないということか……ハァ……」
「ええ」
出久は即答した。
「でも」
「あなたが何を嫌っているのかは、分かりました」
「それと」
出久は救急用品を片付ける。
「あなたの考えを、否定するつもりはありません」
男は。
しばらく出久を見つめていた。
そして。
「……それがお前の在り方か」
出久は頷く。
「はい」
「手当て、終わりました」
「……」
「今から、警察呼びますから」
「大人しくして下さいね」
男が僅かに笑った。
「俺が黙ってそうすると、思ったのか?ハァ……」
出久は立ち上がる。
「なら」
鞄に手を伸ばす。
取り出したのは、携帯用の警棒。
カチッ。
伸縮式の警棒が、鋭い音を立てて伸びる。
出久はそれを握り締めた。
「私も黙ってませんよ」
その瞬間。
「みーつけたァ」
「……!」
別の声が響いた。
出久が、素早く振り向く。
そこに立っていたのは――
顔を覆うように、人の手を模したマスクを付けた男。
「……死柄木弔!」
出久の表情が変わる。
USJで遭遇した男。
その姿を、見間違えるはずがない。
死柄木は、嬉しそうに笑った。
そして――その視線が、出久の横にいる男へと向けられる。
「やっと見つけた」
死柄木の口元が、大きく歪む。
「ヒーロー殺し――ステイン」