朝。
双葉幼稚園には、今日も子どもたちの元気な笑い声が響いていた。
「かっちゃん!」
園門をくぐるなり、出久はいつものように手を振る。
「おう。」
勝己も軽く手を上げる。
二人は自然と並んで歩き出した。
「今日は何して遊ぶ?」
出久が楽しそうに尋ねる。
勝己は少し考え、
「秘密基地。」
と短く答えた。
「テントウムシ、また来てるかもしれねぇ。」
「ほんとだ!」
出久の顔がぱっと明るくなる。
「行こう!」
二人は園庭の奥へ向かって駆け出した。
木漏れ日の差す秘密基地。
昨日と変わらず、大きな木は静かに二人を迎えてくれる。
「おはよう。」
出久は木の幹にそっと触れ、小さく笑った。
勝己も照れくさそうに木を軽く叩く。
「今日も秘密な。」
「うん!」
そのときだった。
園庭の方から、慌てたような泣き声が聞こえてきた。
「うわぁぁん!」
二人は同時に顔を上げる。
「……。」
勝己が音のした方を見る。
出久はもう走り出していた。
「かっちゃん!」
「行こう!」
その声には迷いがなかった。
勝己もすぐに後を追う。
園庭では、小さな男の子がジャングルジムの途中で立ちすくみ、大粒の涙を流していた。
高いところまで登ったものの、怖くなって降りられなくなったらしい。
周りには何人もの園児が集まっていた。
「どうしよう。」
「先生呼ぶ?」
「落ちちゃうよぉ。」
誰も近づけない。
みんな不安そうに見上げているだけだった。
その輪を抜けるように、出久が駆け寄る。
「だいじょうぶ!?」
男の子は泣きながら首を横に振る。
「おりられない……!」
その震える声を聞いた瞬間、出久は一歩前へ出た。
助けなきゃ。
その気持ちだけが、胸いっぱいに広がっていた。
ちょうどそこへ勝己も追いつく。
ジャングルジムを一目見た勝己の表情が変わる。
男の子は、足場の狭い場所で身体を強ばらせている。
少しでも慌てれば、本当に落ちてしまうかもしれない。
勝己は息を吸い込み、大きな声で叫んだ。
「動くな!!」
その声に、男の子だけでなく周りの園児たちも動きを止める。
男の子はびくっと肩を震わせたものの、言われた通り、その場でじっと立ち止まった。
出久もはっと顔を上げる。
勝己の視線の意味を、一瞬で理解した。
今、一番危ないのは、無理に動くことだ。
出久はすぐに大きくうなずいた。
「先生呼んでくる!」
そう言うと、くるりと踵を返し、全力で園舎へ向かって走り出した。
小さな足が、園庭を力いっぱい駆け抜けていく。
胸の中にあるのは一つだけ。
――早く。
早く先生を呼ばなきゃ。
その一心だった。
「先生!」
「先生ぇ!!」
園舎へ向かって、出久は夢中で走った。
小さな足で、転びそうになりながらも懸命に駆ける。
「先生!」
先生が驚いて振り返る。
「どうしたの、出久ちゃん!?」
出久は息を切らしながら叫んだ。
「おともだちが……!」
「ジャングルジムで、おりられないの!」
「はやく!」
先生の表情が変わる。
「分かった!」
すぐに近くにいた先生へ声をかける。
「お願い!」
二人の先生は、出久と一緒に園庭へ駆け出した。
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その頃。
勝己はジャングルジムの下で、男の子を見上げていた。
「そのままでいい。」
「動くな。」
男の子は泣きながらうなずく。
「こわい……。」
「大丈夫だ。」
勝己は短く答える。
「先生が来る。」
「だから動くな。」
その声は幼いながらも、不思議と落ち着いていた。
周りの園児たちも、いつの間にか騒ぐのをやめていた。
みんな、勝己の言葉を信じるように静かに見守っている。
やがて、
「みんな、離れてね!」
先生たちが駆けつけた。
慎重にジャングルジムへ登り、男の子へ優しく声をかける。
「大丈夫。」
「先生と一緒に降りよう。」
男の子は何度もうなずきながら、ゆっくりと降りてくる。
そして地面へ足をつけた瞬間。
「うわぁぁん!」
安心したように泣き出した。
先生は優しく抱きしめる。
「よく頑張ったね。」
その様子を見ていた出久は、大きく息をついた。
「……よかったぁ。」
胸をなで下ろす。
勝己も小さく息を吐いた。
「これでいい。」
そうつぶやく。
先生は二人の前へ歩いてきた。
「出久ちゃん。」
「すぐ先生を呼びに来てくれてありがとう。」
出久は少し照れながら笑う。
「うん。」
続いて先生は勝己を見る。
「勝己くんも。」
「動かないように声をかけてくれたから、安全に助けることができたよ。」
勝己は少しだけ照れくさそうに顔をそらした。
「……別に。」
その返事に、先生は思わず笑う。
「二人とも、とっても立派だったよ。」
その言葉に、出久は少しだけくすぐったそうに笑った。
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夕方。
帰り道。
いつものように二人は並んで歩いていた。
春風が優しく吹き抜ける。
しばらく無言が続いたあと、勝己がぽつりと口を開いた。
「いずく。」
「ん?」
出久が顔を上げる。
「今日。」
「お前の方が先だったな。」
出久はきょとんとする。
「え?」
「何が?」
勝己は少しだけ笑う。
「別に。」
それ以上は何も言わなかった。
出久も理由は分からなかったけれど、なんだか嬉しくなって笑った。
「えへへ。」
その笑顔を見て、勝己も小さく口元を緩める。
春の空には、白い雲がゆっくりと流れていた。
誰かが困っているとき。
勇気とは、強い人だけが持つものじゃない。
小さな一歩でもいい。
その一歩が、誰かを笑顔にできることもある。
幼い二人は、まだその意味を知らない。
けれど、この日の出来事は、二人の心に静かに刻まれていた。
未来で、多くの人を救うヒーローへと続く。
――
その、小さな第一歩だった