朝。
柔らかな春の陽射しが、双葉幼稚園の教室いっぱいに差し込んでいた。
園児たちは自分の席へ座り、先生のお話が始まるのを楽しそうに待っている。
「みんな、おはよう!」
「おはようございまーす!」
元気いっぱいの返事が教室に響く。
先生はにっこり笑うと、一枚の画用紙を取り出した。
「今日はね、みんなに絵を描いてもらおうと思います。」
「えー、なになに?」
子どもたちが目を輝かせる。
先生は優しく教室を見渡した。
「みんなも少しずつ、お兄さん、お姉さんになってきたね。」
教室が少しだけ静かになる。
先生は微笑みながら続けた。
「だから今日は――」
「『大きくなったら何になりたいか』を描いてみよう。」
「ゆめ!」
「ぼく、でんしゃのうんてんしゅ!」
「わたし、おはなやさん!」
「あたしはケーキやさん!」
教室中が一気に賑やかになった。
先生はその様子を微笑ましく見つめる。
「ゆっくり考えていいからね。」
「みんなの夢を先生に教えてね。」
---
自由時間。
園児たちは思い思いに画用紙へ向かっていた。
出久はクレヨンを握ったまま、小さく首をかしげる。
「ゆめ……。」
何になりたいんだろう。
ケーキ屋さん。
お花屋さん。
消防士さん。
どれも素敵だと思う。
でも、胸の中には何か違う気持ちがあった。
「かっちゃん。」
隣を見ると、勝己は迷うことなくクレヨンを走らせている。
「もう描いてるの?」
「あぁ。」
勝己はうなずく。
画用紙には、大きく笑う一人のヒーローが描かれていた。
赤いマント。
力強く伸ばした拳。
まだ幼い絵なのに、その姿はどこか堂々としている。
「かっちゃん。」
「ヒーローになりたいの?」
勝己は迷わず答えた。
「おう。」
「どうして?」
出久が尋ねる。
勝己は少しだけ考えてから言った。
「助けるし。」
そして、少し得意そうに笑う。
「強ぇだろ。」
その言葉に、出久は小さくうなずく。
「助けるし。」
その一言が、胸の中で何度も繰り返された。
頭の中に浮かんだのは、あの日のことだった。
ジャングルジムで泣いていた男の子。
「先生呼んでくる!」
夢中で園庭を走った自分。
そして、男の子が無事に助かって――
「……よかったぁ。」
安心して笑えた、あの瞬間。
出久は胸へそっと手を当てる。
「あのとき……。」
自然と、言葉がこぼれた。
「わたし……。」
「助けたい。」
その声は、とても小さかった。
けれど、勝己にはちゃんと聞こえていた。
「ん?」
出久は少し照れくさそうに笑う。
「困ってる人がいたら……。」
「助けたい。」
勝己はきょとんとした顔をする。
それから、当たり前のように言った。
「それ。」
「ヒーローじゃねぇか。」
出久は目を丸くした。
「あ……。」
そうか。
助けたい。
その気持ちが、
ヒーローなんだ。
胸の中が、ぽっと温かくなる。
出久は嬉しそうに笑った。
「ほんとだ。」
「わたしも……。」
「ヒーローになりたい。」
その笑顔を見て、勝己も小さく笑う。
「じゃあ。」
「一緒だな。」
教室の窓から春風が吹き込み、二人の画用紙を優しく揺らした。
まだ幼い夢。
けれど、その夢は確かに二人の心へ芽生え始めていた。
「みんな、描けたかな?」
先生の優しい声が教室に響く。
画用紙いっぱいに描かれた夢。
お花屋さん。
ケーキ屋さん。
でんしゃのうんてんしゅ。
動物のお医者さん。
どの画用紙にも、子どもたちの「なりたい」が詰まっていた。
「じゃあ、一人ずつ先生に教えてくれるかな?」
元気よく手が挙がる。
「はい!」
「ぼく、でんしゃのうんてんしゅ!」
先生はにっこり笑う。
「そうなんだ。」
「どうしてなりたいの?」
男の子は嬉しそうに答える。
「でんしゃがだいすきだから!」
教室から、
「ぼくものる!」
「しんかんせんすき!」
と元気な声が上がる。
先生は思わず笑顔になった。
「みんな、電車が大好きなんだね。」
続いて、小さな女の子が立ち上がる。
「わたし、おはなやさん!」
「お花が大好きだから!」
「あたしはケーキやさん!」
「いっぱいケーキを作りたい!」
教室は温かな笑顔に包まれていた。
やがて先生は、二人の方へ目を向ける。
「勝己くんは、何になりたいの?」
勝己は少しも迷わなかった。
「ヒーロー。」
教室の子どもたちが、
「おおー!」
と声を上げる。
先生は優しく微笑んだ。
「どうしてヒーローになりたいの?」
勝己は胸を張る。
「助けるし。」
一呼吸置いて、少し得意そうに笑う。
「強ぇだろ。」
その答えに、教室から小さな笑い声がこぼれた。
先生も思わず笑う。
「ふふっ。」
「勝己くんらしいね。」
勝己は少し照れくさそうに鼻を鳴らした。
「次は、出久ちゃん。」
先生に名前を呼ばれ、出久は少しだけ緊張したように立ち上がる。
教室のみんなの視線が集まる。
胸がどきどきする。
でも、不思議と怖くはなかった。
隣には、かっちゃんがいる。
出久は画用紙をぎゅっと抱きしめ、小さく息を吸った。
「わたしも……。」
教室が静かになる。
「ヒーローになりたい。」
先生は優しくうなずいた。
「そうなんだ。」
「どうして?」
出久は少しだけ考え、それからゆっくりと答えた。
「こまってる人がいたら……。」
「助けたいから。」
教室は静かだった。
その言葉は、とても優しく、まっすぐだった。
先生は目を細め、嬉しそうに微笑む。
「素敵な夢だね。」
教室いっぱいに、自然と拍手が広がった。
出久は照れくさそうに笑いながら席へ戻る。
勝己は小さくうなずく。
「いいじゃん。」
その一言が、出久はたまらなく嬉しかった。
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帰り道。
二人はいつものように並んで歩いていた。
桜の花びらが風に乗って、ゆっくりと舞い落ちる。
「かっちゃん。」
「ん?」
出久は空を見上げながら言った。
「ヒーローになれるかな。」
勝己は少しだけ笑う。
「なれる。」
その返事には迷いがなかった。
「だって。」
「約束しただろ。」
出久も嬉しそうに笑う。
「うん。」
「約束した。」
少し歩いたところで、勝己が立ち止まる。
「いずく。」
「なあに?」
勝己は少し照れくさそうに目をそらした。
「一緒になろうぜ。」
「ヒーロー。」
出久の顔いっぱいに笑顔が広がる。
「うん!」
「一緒になろうね!」
二人は小さく指を絡める。
幼い約束。
けれど、それは誰よりも本気の約束だった。
春風が二人の間を優しく吹き抜ける。
園庭では、先生たちが卒園式へ向けた飾りつけの準備を始めていた。
少しずつ近づいてくる、新しい春。
二人はまだ知らない。
これから嬉しいことも、悲しいことも、たくさん待っていることを。
それでも今は、同じ夢を見つけた喜びだけで十分だった。
その夢は、いつか多くの人を笑顔にする未来へと続いていく。