無個性の私と、幼馴染のかっちゃん   作:千遇万歩

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第八章 はじめての個性

 

朝。

 

春の日差しが、双葉幼稚園の園庭を優しく照らしていた。

 

「かっちゃん!」

 

「おう。」

 

いつものように、出久と勝己は並んで歩き出す。

 

昨日、一緒に約束した夢。

 

「ヒーローになる。」

 

その言葉は、まだ出久の胸を温かくしていた。

 

「ねぇ、かっちゃん。」

 

「ん?」

 

「ヒーローって、どんな人なんだろう。」

 

勝己は少しだけ考える。

 

「強ぇやつ。」

 

そう答えたあと、少し照れくさそうに続けた。

 

「でも。」

 

「助けるやつ。」

 

出久は嬉しそうに笑う。

 

「うん!」

 

「わたしも、そんなヒーローになりたい。」

 

勝己は小さくうなずいた。

 

「なればいい。」

 

その一言だけで、出久は何度もうなずいた。

 

---

 

その日の朝の会。

 

先生が教室の前に立ち、子どもたちへ優しく話しかけた。

 

「今日はね、みんなの体の様子を診てもらう日です。」

 

「お医者さんが来てくれているから、順番に診てもらおうね。」

 

教室が一気に賑やかになる。

 

「おいしゃさん!」

 

「いたい?」

 

「ちゅうしゃ?」

 

先生は慌てて手を振った。

 

「大丈夫。今日は注射じゃないよ。」

 

その言葉に、子どもたちはほっと息をつく。

 

「個性のことも、少し診てもらうからね。」

 

「こせい!」

 

「ぼく、どんなこせいかな!」

 

「あたし、お花出せるかな!」

 

子どもたちの声が明るく弾む。

 

出久も目を輝かせた。

 

「かっちゃん。」

 

「どんな個性かな。」

 

勝己は少し得意そうに笑う。

 

「強ぇやつ。」

 

「きっと。」

 

出久も笑う。

 

「わたしも!」

 

二人は顔を見合わせ、楽しそうに笑った。

 

---

 

診断は、遊戯室で順番に行われた。

 

白衣を着た医師が、子どもたち一人ひとりに優しく声をかける。

 

手を見たり。

 

足を見たり。

 

身体の動きを確認したり。

 

先生たちは、緊張している子のそばに寄り添っていた。

 

「はい、よくできました。」

 

「次の子、どうぞ。」

 

診断を終えた園児たちは、少し誇らしげに教室へ戻ってくる。

 

「ぜんぜん痛くなかった!」

 

「手、見せた!」

 

「ぼく、いっぱいほめられた!」

 

出久はその様子をそわそわしながら見つめていた。

 

やがて、勝己の番になる。

 

勝己はいつも通り堂々と歩いていった。

 

しばらくして戻ってきた勝己に、出久は駆け寄る。

 

「かっちゃん!」

 

「どうだった?」

 

勝己は少しだけ胸を張る。

 

「なんか出るらしい。」

 

「なんか?」

 

「まだ分かんねぇって。」

 

でも、その顔はどこか嬉しそうだった。

 

「すごい!」

 

出久は心から笑った。

 

「かっちゃん、すごいね!」

 

「当たり前だ。」

 

勝己は照れ隠しのように鼻を鳴らす。

 

「次、お前だろ。」

 

「うん!」

 

出久は元気よくうなずいた。

 

---

 

出久の番が来た。

 

「緑谷出久ちゃん。」

 

先生に名前を呼ばれ、出久は小さく手を上げる。

 

「はい!」

 

遊戯室へ入ると、医師が優しく笑った。

 

「こんにちは。」

 

「こんにちは。」

 

出久は少し緊張しながら椅子へ座る。

 

検査は静かに進んでいく。

 

手。

 

足。

 

身体の成長。

 

いくつもの確認。

 

出久は言われた通りに手を開き、足を動かし、背筋を伸ばした。

 

「よくできたね。」

 

医師はそう言ってから、カルテへ目を落とす。

 

少しだけ、空気が変わった。

 

先生がそばで静かに見守っている。

 

医師は出久へ優しく笑いかけた。

 

「出久ちゃん、今日はこれで終わりです。」

 

「うん!」

 

出久はほっとしたように笑う。

 

「痛くなかった!」

 

先生も微笑む。

 

「よく頑張ったね。」

 

けれど、医師は先生へ小さく声をかけた。

 

「保護者の方へ、後日詳しい検査をご案内してください。」

 

先生の表情が、ほんの少しだけ固まる。

 

「……分かりました。」

 

出久はその意味が分からない。

 

ただ、診断が終わったことが嬉しくて、教室へ戻る。

 

勝己が待っていた。

 

「どうだった?」

 

「痛くなかった!」

 

「それだけかよ。」

 

勝己は呆れたように言う。

 

出久はにこにこ笑う。

 

「うん!」

 

「先生に、よく頑張ったねって言われた!」

 

「ふーん。」

 

勝己はそれ以上聞かなかった。

 

出久も、何も気にしていなかった。

 

まだ幼い二人は知らない。

 

この日の診断が、出久の未来に大きな影を落とすことを。

 

そして、その影の意味を知る日が、すぐそこまで近づいていることを。

 

数日後。

 

春の暖かな陽射しが街を包んでいた。

 

引子は出久と手をつなぎ、一軒の病院の前で立ち止まる。

 

双葉幼稚園で診断を受けたあと、先生から渡された紹介状。

 

今日は、その紹介状を持って専門の病院へ来ていた。

 

「出久。」

 

「今日は、もう少しだけ詳しく診てもらおうね。」

 

出久は不思議そうに首をかしげる。

 

「すぐ終わる?」

 

引子は優しく微笑んだ。

 

「うん。」

 

「きっと大丈夫よ。」

 

そう言いながらも、その笑顔には少しだけ緊張が混じっていた。

 

---

 

診察室。

 

白衣を着た医師が、穏やかな表情で出久を迎える。

 

「こんにちは。」

 

「こんにちは。」

 

出久は元気よく頭を下げた。

 

前回よりも少し長い検査が始まる。

 

手。

 

足。

 

身体の成長。

 

いくつもの確認が丁寧に行われていく。

 

「よく頑張ったね。」

 

医師はそう言って微笑んだ。

 

「少しだけ、お母さんとお話をしてもいいかな。」

 

「うん!」

 

出久は素直にうなずいた。

 

診察室は静かになる。

 

医師は資料を閉じ、ゆっくりと口を開いた。

 

「お母さま。」

 

「検査結果ですが……。」

 

引子は膝の上で両手を握りしめる。

 

医師は穏やかな声で続けた。

 

「出久さんには、個性の発現は確認できませんでした。」

 

診察室が静まり返る。

 

医師は資料を見ながら説明を続ける。

 

「足の小指には、個性を持たない方に見られる特徴が確認されています。」

 

「現在の医学では――」

 

「無個性と判断されます。」

 

引子の肩が小さく震えた。

 

「そんな……。」

 

思わず漏れた声は、とても小さかった。

 

出久は母の顔を見上げる。

 

「お母さん?」

 

引子は慌てて笑顔を作ろうとする。

 

「ううん。」

 

「何でもないよ。」

 

そう答えても、目には涙が浮かんでいた。

 

出久は首をかしげる。

 

「むこせい?」

 

聞き慣れない言葉だった。

 

医師は優しく出久の目線までしゃがみ込む。

 

「出久ちゃん。」

 

「今日はよく頑張ったね。」

 

「また元気に幼稚園へ行って、お友達といっぱい遊んでね。」

 

「うん!」

 

出久はにっこり笑った。

 

その笑顔を見た引子は、胸が締めつけられるような思いになる。

 

---

 

病院を出る。

 

春風が静かに吹いていた。

 

出久は引子の手を握りながら歩く。

 

「お母さん。」

 

「おなかすいた。」

 

その一言に、引子は思わず立ち止まる。

 

そして、小さな手をぎゅっと握り返した。

 

「そうね。」

 

「今日は、出久の好きなハンバーグを作ろうか。」

 

「ほんと!」

 

出久はぱっと笑顔になる。

 

「やった!」

 

その笑顔は、いつもと変わらなかった。

 

まだ幼い出久には、「無個性」という言葉の意味は分からない。

 

分かったのは一つだけ。

 

大好きなお母さんが、いつもより少しだけ寂しそうに笑っていること。

 

その理由だけは、どうしても分からなかった。

 

春の空には、白い雲がゆっくりと流れていた。

 

夢を見つけたばかりの、小さな女の子。

 

その夢を揺るがす現実は、静かに歩み寄っていた。

 

けれど、その意味を知るのは――

 

もう少しだけ、先のことだった。

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