朝。
春の日差しが、双葉幼稚園の園庭を優しく照らしていた。
「かっちゃん!」
「おう。」
いつものように、出久と勝己は並んで歩き出す。
昨日、一緒に約束した夢。
「ヒーローになる。」
その言葉は、まだ出久の胸を温かくしていた。
「ねぇ、かっちゃん。」
「ん?」
「ヒーローって、どんな人なんだろう。」
勝己は少しだけ考える。
「強ぇやつ。」
そう答えたあと、少し照れくさそうに続けた。
「でも。」
「助けるやつ。」
出久は嬉しそうに笑う。
「うん!」
「わたしも、そんなヒーローになりたい。」
勝己は小さくうなずいた。
「なればいい。」
その一言だけで、出久は何度もうなずいた。
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その日の朝の会。
先生が教室の前に立ち、子どもたちへ優しく話しかけた。
「今日はね、みんなの体の様子を診てもらう日です。」
「お医者さんが来てくれているから、順番に診てもらおうね。」
教室が一気に賑やかになる。
「おいしゃさん!」
「いたい?」
「ちゅうしゃ?」
先生は慌てて手を振った。
「大丈夫。今日は注射じゃないよ。」
その言葉に、子どもたちはほっと息をつく。
「個性のことも、少し診てもらうからね。」
「こせい!」
「ぼく、どんなこせいかな!」
「あたし、お花出せるかな!」
子どもたちの声が明るく弾む。
出久も目を輝かせた。
「かっちゃん。」
「どんな個性かな。」
勝己は少し得意そうに笑う。
「強ぇやつ。」
「きっと。」
出久も笑う。
「わたしも!」
二人は顔を見合わせ、楽しそうに笑った。
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診断は、遊戯室で順番に行われた。
白衣を着た医師が、子どもたち一人ひとりに優しく声をかける。
手を見たり。
足を見たり。
身体の動きを確認したり。
先生たちは、緊張している子のそばに寄り添っていた。
「はい、よくできました。」
「次の子、どうぞ。」
診断を終えた園児たちは、少し誇らしげに教室へ戻ってくる。
「ぜんぜん痛くなかった!」
「手、見せた!」
「ぼく、いっぱいほめられた!」
出久はその様子をそわそわしながら見つめていた。
やがて、勝己の番になる。
勝己はいつも通り堂々と歩いていった。
しばらくして戻ってきた勝己に、出久は駆け寄る。
「かっちゃん!」
「どうだった?」
勝己は少しだけ胸を張る。
「なんか出るらしい。」
「なんか?」
「まだ分かんねぇって。」
でも、その顔はどこか嬉しそうだった。
「すごい!」
出久は心から笑った。
「かっちゃん、すごいね!」
「当たり前だ。」
勝己は照れ隠しのように鼻を鳴らす。
「次、お前だろ。」
「うん!」
出久は元気よくうなずいた。
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出久の番が来た。
「緑谷出久ちゃん。」
先生に名前を呼ばれ、出久は小さく手を上げる。
「はい!」
遊戯室へ入ると、医師が優しく笑った。
「こんにちは。」
「こんにちは。」
出久は少し緊張しながら椅子へ座る。
検査は静かに進んでいく。
手。
足。
身体の成長。
いくつもの確認。
出久は言われた通りに手を開き、足を動かし、背筋を伸ばした。
「よくできたね。」
医師はそう言ってから、カルテへ目を落とす。
少しだけ、空気が変わった。
先生がそばで静かに見守っている。
医師は出久へ優しく笑いかけた。
「出久ちゃん、今日はこれで終わりです。」
「うん!」
出久はほっとしたように笑う。
「痛くなかった!」
先生も微笑む。
「よく頑張ったね。」
けれど、医師は先生へ小さく声をかけた。
「保護者の方へ、後日詳しい検査をご案内してください。」
先生の表情が、ほんの少しだけ固まる。
「……分かりました。」
出久はその意味が分からない。
ただ、診断が終わったことが嬉しくて、教室へ戻る。
勝己が待っていた。
「どうだった?」
「痛くなかった!」
「それだけかよ。」
勝己は呆れたように言う。
出久はにこにこ笑う。
「うん!」
「先生に、よく頑張ったねって言われた!」
「ふーん。」
勝己はそれ以上聞かなかった。
出久も、何も気にしていなかった。
まだ幼い二人は知らない。
この日の診断が、出久の未来に大きな影を落とすことを。
そして、その影の意味を知る日が、すぐそこまで近づいていることを。
数日後。
春の暖かな陽射しが街を包んでいた。
引子は出久と手をつなぎ、一軒の病院の前で立ち止まる。
双葉幼稚園で診断を受けたあと、先生から渡された紹介状。
今日は、その紹介状を持って専門の病院へ来ていた。
「出久。」
「今日は、もう少しだけ詳しく診てもらおうね。」
出久は不思議そうに首をかしげる。
「すぐ終わる?」
引子は優しく微笑んだ。
「うん。」
「きっと大丈夫よ。」
そう言いながらも、その笑顔には少しだけ緊張が混じっていた。
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診察室。
白衣を着た医師が、穏やかな表情で出久を迎える。
「こんにちは。」
「こんにちは。」
出久は元気よく頭を下げた。
前回よりも少し長い検査が始まる。
手。
足。
身体の成長。
いくつもの確認が丁寧に行われていく。
「よく頑張ったね。」
医師はそう言って微笑んだ。
「少しだけ、お母さんとお話をしてもいいかな。」
「うん!」
出久は素直にうなずいた。
診察室は静かになる。
医師は資料を閉じ、ゆっくりと口を開いた。
「お母さま。」
「検査結果ですが……。」
引子は膝の上で両手を握りしめる。
医師は穏やかな声で続けた。
「出久さんには、個性の発現は確認できませんでした。」
診察室が静まり返る。
医師は資料を見ながら説明を続ける。
「足の小指には、個性を持たない方に見られる特徴が確認されています。」
「現在の医学では――」
「無個性と判断されます。」
引子の肩が小さく震えた。
「そんな……。」
思わず漏れた声は、とても小さかった。
出久は母の顔を見上げる。
「お母さん?」
引子は慌てて笑顔を作ろうとする。
「ううん。」
「何でもないよ。」
そう答えても、目には涙が浮かんでいた。
出久は首をかしげる。
「むこせい?」
聞き慣れない言葉だった。
医師は優しく出久の目線までしゃがみ込む。
「出久ちゃん。」
「今日はよく頑張ったね。」
「また元気に幼稚園へ行って、お友達といっぱい遊んでね。」
「うん!」
出久はにっこり笑った。
その笑顔を見た引子は、胸が締めつけられるような思いになる。
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病院を出る。
春風が静かに吹いていた。
出久は引子の手を握りながら歩く。
「お母さん。」
「おなかすいた。」
その一言に、引子は思わず立ち止まる。
そして、小さな手をぎゅっと握り返した。
「そうね。」
「今日は、出久の好きなハンバーグを作ろうか。」
「ほんと!」
出久はぱっと笑顔になる。
「やった!」
その笑顔は、いつもと変わらなかった。
まだ幼い出久には、「無個性」という言葉の意味は分からない。
分かったのは一つだけ。
大好きなお母さんが、いつもより少しだけ寂しそうに笑っていること。
その理由だけは、どうしても分からなかった。
春の空には、白い雲がゆっくりと流れていた。
夢を見つけたばかりの、小さな女の子。
その夢を揺るがす現実は、静かに歩み寄っていた。
けれど、その意味を知るのは――
もう少しだけ、先のことだった。