無個性の私と、幼馴染のかっちゃん   作:千遇万歩

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第九章 はじめての涙

 

数日が過ぎた。

 

双葉幼稚園の園庭は、いつもより少しだけ賑やかだった。

 

「見て見て!」

 

一人の男の子が両手を前へ伸ばす。

 

すると、足元に落ちていた一枚の葉っぱが、ふわりと宙へ浮かんだ。

 

「浮いた!」

 

「すごーい!」

 

周りの子どもたちが歓声を上げる。

 

先生も驚きながら微笑んだ。

 

「無理しないでね。」

 

「みんな、順番に見せてね。」

 

教室でも園庭でも。

 

子どもたちの話題は、いつの間にか個性のことばかりになっていた。

 

「ぼくも出た!」

 

「あたしも!」

 

「先生、見て!」

 

幼稚園中が笑顔に包まれていた。

 

出久も、その輪の中で嬉しそうに笑う。

 

みんなが少しずつ、自分だけの力を見つけていく。

 

それは、とても素敵なことだった。

 

「かっちゃんは?」

 

誰かが尋ねる。

 

勝己は少し得意そうに手を開いた。

 

「見てろ。」

 

その瞬間。

 

ぱんっ。

 

小さな音が園庭へ響く。

 

勝己の手のひらで、小さな爆発が弾けた。

 

園庭が一瞬静まり返る。

 

そして次の瞬間。

 

「すごーい!」

 

「爆発した!」

 

「勝己くん、かっこいい!」

 

子どもたちが一斉に集まる。

 

先生も驚いたように目を見開いた。

 

「勝己くん。」

 

「今のが個性なのね。」

 

勝己は自分の手のひらを見つめる。

 

少し驚いて。

 

それから、にやりと笑った。

 

「出た。」

 

「俺の個性。」

 

出久はぱっと顔を輝かせる。

 

「かっちゃん!」

 

「すごい!」

 

心からそう思った。

 

強くて。

 

かっこよくて。

 

ヒーローみたいだった。

 

勝己は照れくさそうに鼻を鳴らす。

 

「当たり前だ。」

 

「俺だぞ。」

 

出久は何度もうなずいた。

 

「うん!」

 

「すごい!」

 

その日、勝己はずっとみんなに囲まれていた。

 

「もう一回!」

 

「見せて!」

 

勝己は照れくさそうに笑いながら、もう一度手を開く。

 

ぱんっ。

 

小さな爆発。

 

子どもたちは大喜びだった。

 

少し離れた場所で、出久はその様子を見つめていた。

 

胸がぽかぽかする。

 

かっちゃんが褒められている。

 

それは、本当に嬉しかった。

 

でも。

 

胸の奥が、少しだけ苦しい。

 

「……?」

 

出久は自分の胸へ手を当てる。

 

どうしてだろう。

 

嬉しいはずなのに。

 

少しだけ痛い。

 

その理由は、まだ分からなかった。

 

---

 

帰り道。

 

出久は引子と手をつないで歩いていた。

 

いつもより少し静かだった。

 

「出久?」

 

引子が心配そうに顔をのぞき込む。

 

「どうしたの?」

 

出久は少しだけ考える。

 

そして、小さな声で尋ねた。

 

「お母さん。」

 

「むこせいって、なぁに?」

 

引子の足が止まった。

 

春風が、二人の間を静かに吹き抜ける。

 

引子はゆっくりとしゃがみ込み、出久と目を合わせた。

 

その顔は、とても優しかった。

 

でも、少しだけ悲しそうだった。

 

「無個性っていうのはね。」

 

震えないように、ゆっくりと言葉を選ぶ。

 

「個性が出ない子のことなの。」

 

出久は首をかしげる。

 

「出ない?」

 

「うん。」

 

引子は小さくうなずいた。

 

「みんなみたいな個性が……出ないかもしれないの。」

 

出久はしばらく黙っていた。

 

個性が出ない。

 

みんなみたいに。

 

かっちゃんみたいに。

 

今日見た、小さな爆発が頭に浮かぶ。

 

みんなが笑っていた。

 

「すごいね。」

 

そう言っていた。

 

そして、教室で描いた画用紙も思い出した。

 

「ヒーローになりたい。」

 

「一緒になろうね。」

 

そう笑った自分。

 

出久は小さく口を開く。

 

「じゃあ……。」

 

声が震える。

 

「わたし……。」

 

「ヒーローになれないの?」

 

引子は息をのんだ。

 

すぐには答えられなかった。

 

その沈黙だけで、幼い出久にも少しずつ分かってしまう。

 

胸の奥が、ぎゅっと痛くなる。

 

「……。」

 

出久の目に涙が浮かんだ。

 

ぽろり。

 

一粒、頬を伝う。

 

「やだ……。」

 

小さな声だった。

 

「わたし……。」

 

「かっちゃんと、一緒にヒーローになりたい……。」

 

その続きは、涙で言えなかった。

 

ぽろぽろと涙があふれ続ける。

 

引子はたまらず、出久を抱きしめた。

 

「ごめんね……。」

 

「ごめんね、出久……。」

 

母の声も震えていた。

 

でも、出久には返事ができなかった。

 

小さな体を震わせながら、

 

初めて、

 

夢が遠くなる悲しさを知った。

 

翌朝。

 

目を覚ました出久は、布団の中で小さく丸くなる。

 

昨日まで楽しみだった幼稚園。

 

今日は、どうしても行く気持ちになれなかった。

 

「……お母さん。」

 

「今日は、お休みしたい。」

 

その日。

 

出久は、初めて幼稚園を休んだ。

 

――――――

 

数日が過ぎた。

 

出久は、あの日から幼稚園を休み続けていた。

 

朝になっても、幼稚園の制服へ着替えようとはしない。

 

お気に入りだったヒーローの絵本も。

 

毎週楽しみにしていたヒーローのテレビも。

 

以前のように笑って見ることはなくなっていた。

 

引子はそんな娘の姿を見つめながら、何もしてあげられない自分を責めていた。

 

その日の昼過ぎ。

 

静かな家へ、チャイムの音が響く。

 

ピンポーン。

 

「はい。」

 

引子が玄関を開ける。

 

そこには、小さな男の子が立っていた。

 

「勝己くん。」

 

勝己は少し照れくさそうに頭をかいた。

 

「……いずく。」

 

「ずっと幼稚園、来ねぇから。」

 

その一言だけだった。

 

引子は思わず目を細める。

 

「来てくれてありがとう。」

 

「出久、お部屋にいるよ。」

 

「上がっていって。」

 

「……おう。」

 

勝己は少し緊張した様子で靴を脱ぎ、出久の部屋へ向かった。

 

---

 

部屋の中では、小さくテレビが流れていた。

 

画面には、街の人を助けるヒーローの姿が映っている。

 

けれど。

 

出久は楽しそうには見ていなかった。

 

ぼんやりと画面を見つめているだけだった。

 

「いずく。」

 

その声に、出久がゆっくり振り向く。

 

「……かっちゃん。」

 

少し驚いたように目を丸くする。

 

勝己は部屋へ入り、何も言わずに隣へ座った。

 

しばらく、二人はテレビを見つめる。

 

ヒーローが笑顔で人を助けている。

 

画面の中では、みんなが笑っていた。

 

「幼稚園。」

 

勝己がぽつりと口を開く。

 

「みんな、お前のこと待ってる。」

 

出久は小さくうつむいた。

 

「……行けない。」

 

「なんで。」

 

「だって。」

 

出久はテレビを見つめたまま、小さくつぶやく。

 

「わたし。」

 

「無個性だから。」

 

部屋が静かになる。

 

勝己はその言葉を初めて聞いた。

 

「先生も。」

 

「お母さんも。」

 

「個性が出ないって……。」

 

「ヒーローになれないって……。」

 

その瞬間。

 

ぽろり、と涙がこぼれた。

 

「かっちゃんと。」

 

「一緒にヒーローになりたかった……。」

 

涙は止まらなかった。

 

勝己は何も言わない。

 

どう声をかければいいのか分からなかった。

 

ただ。

 

泣いている出久を見ているのが、とても苦しかった。

 

しばらく黙っていた勝己は、ゆっくりと立ち上がる。

 

そして。

 

そっと出久の前へ歩いた。

 

小さな両腕を広げる。

 

ぎゅっ。

 

出久を優しく抱きしめた。

 

「……。」

 

言葉はない。

 

幼い勝己には、難しいことは分からない。

 

どう励ませばいいのかも分からない。

 

それでも。

 

泣いている出久には、一人でいてほしくなかった。

 

出久は少し驚いたあと、勝己の服をぎゅっと握る。

 

「かっちゃん……。」

 

また涙があふれる。

 

でも、その涙は少しだけ温かかった。

 

勝己は照れくさそうに、小さく言う。

 

「また。」

 

「秘密基地、行こうぜ。」

 

その一言だった。

 

テントウムシ。

 

ダンゴムシ。

 

一緒に見つけた大きな木。

 

楽しかった毎日が、少しだけ心に浮かぶ。

 

出久は涙をぬぐいながら、小さく笑った。

 

「……うん。」

 

「行きたい。」

 

その笑顔は、まだ少し寂しかった。

 

でも。

 

昨日までより、ほんの少しだけ前を向いていた。

 

---

 

部屋の外。

 

少しだけ開いた扉の向こうで、引子は二人の様子を見守っていた。

 

勝己の小さな背中。

 

泣きながら笑う出久。

 

その姿を見た瞬間。

 

引子の目からも、一筋の涙がこぼれる。

 

「ありがとう……。」

 

誰に聞こえるでもなく、小さくつぶやいた。

 

春風が窓から優しく吹き込む。

 

夢はまだ遠い。

 

現実は、まだ変わらない。

 

それでも。

 

大切な友達が隣にいてくれる。

 

その温もりだけで、人は少しだけ前を向けることがある。

 

翌朝。

 

出久は制服を胸へ抱きしめながら、小さくつぶやいた。

 

「お母さん。」

 

「今日……幼稚園、行ってみる。」

 

引子は何も言わず、優しくうなずいた。

 

その笑顔は、数日ぶりに見た、娘らしい笑顔だった。

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