そんな感じの緩い閃ハサ二次です。
軽い気持ちで読んでくれたら嬉しいです。
生ぬるい潮の気配と、硬質な金属の匂いが鼻腔を突いた。
「……目を覚ましたか! 今、医者を呼んでくるからな!」
バタバタと慌ただしい足音が、薄暗い通路の奥へ遠ざかっていく。 重い瞼を持ち上げると、視界に入ったのは見覚えのない天井だった。むき出しの錆びついた配管と、微かに足元から響くエンジンの重低音。
(俺は……自室で映画を見ていて、そのまま寝落ちして……)
「ここは、どこだ……?」
口を開いた瞬間、激しい違和感に背筋が凍りついた。 漏れ出た声は他人の喉鳴らしを聞かされているかのように低い。自分の手を見る。ごつごつと無骨で、見知らぬ傷痕が刻まれた男の手。
「君は二日間も眠っていたんだ。強化剤による肉体の損傷が激しくてね。しばらくはじっとしていなさい」
戻ってきた好々爺然とした医者の説明によると、俺は連邦軍の基地で倒れていたらしい。強化剤の使用痕、身体のメンテナンス用のポッド、現場の状況証拠——それらから、俺は軍の実験体である可能性が高いのだと。
(……連邦軍? 実験体……? 連邦って、あのガンダムの連邦か……!?)
急激な眩暈が頭を襲う。ついさっきまで部屋でスマホを握っていただけの男が、なぜ軍の施設だの強化人間だのという物騒な単語を聞かされている?
(待て待て待て。どの時代だ? ファーストか? Zか? ユニコーンか? はたまたVガンダムか? シリーズさえ特定できれば、立ち回りはいくらでもある——)
必死に思考を巡らせていると、傍らに立っていたメガネの男——幹部と思われる男が、心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
「……おい、大丈夫か? 具合が悪いのならまた後で話を……」
「……いえ、大丈夫です。続けてください」
「そうか。本題に入ろう。我々はマフティー。地球を元に戻すため、活動を行っている者たちだ」
(『閃光のハサウェイ』かよぉぉぉぉぉお!!)
思考が冷え切っていく。軍の実験体だった事実からしておそらく戸籍はない。健康面でも不安があり、無一文。ここで降ろされたら野垂れ死ぬので彼らについていくしかないわけだが……。
(マフティーか……)
だが、彼らは破滅する。アデレード会議を妨害しようとするも、やがて補給線を潰され、継戦能力を失う。ハサウェイは処刑され、組織は瓦解するのだ。俺は今、その沈みゆく泥船に乗せられている。
「君は行く当てもないだろう。どうだ、この船で手伝いでもしないか?」
医者の言葉に、俺はただ頷くしか選択肢がなかった。
あてがわれた狭い個室に入り、スライドドアが閉まった途端、膝の力が急速に抜けた。壁に背中を擦りつけながら、ズルズルと湿った床へへたり込む。手のひらを見つめると、指先が不自然なほど細かく震えていた。
(……死ぬ。このままだと、絶対に死ぬ)
喉の奥がカラカラに干からび、引きつった息しか吐き出せない。映画の画面越しに観ていた巨大なモビルスーツ、夜空を焦がすビーム、踏み潰される人々の悲鳴——それらが今、現実の重圧となって皮膚へ重く伸しかかってくる。
逃げ道はない。なら、生き残る方法は一つだけだ。マフティーが敗北する未来そのものを、俺の手で壊す。
ハサウェイ・ノアの行動が狂い始めたきっかけ。マフティーの作戦が瓦解し始めた最大の原因。 ——ギギ・アンダルシア。そして、ケネス・スレッグ。
本来のタサダイ・ホテル襲撃作戦まで待っていたら遅い。二人が本格的にハサウェイと接触してしまう前に、彼らを殺すのだ。
しかし、シャトルにはハサウェイ本人も同乗している。ハサウェイまで巻き込んで殺してしまえば歴史がどう狂うか分からない。ターゲットはあくまで、真っ昼間にシャトルがダバオ飛行場へ着陸し、ホテルへ移動する直前の「あの二人」だ。
深夜、俺は船の格納庫へと足を進めた。薄暗い奥に佇む巨躯、メッサーF01型。 シミュレーターの知識と体の感覚だけを頼りにハッチを開け、コクピットへ足をかけようとした——その時だった。
胸の皮膚の裏側——あの冷たいしこりが、突然バチッと激しい熱を帯びた。
「ぐっ、あ……っ!?」
視界が強烈な白光に包まれる。脳の奥底で、何かがカチリと切り替わる音が響き、俺の意識はそこで唐突に途切れた。
……次の瞬間、俺の目の前には、白昼の陽光に晒されるダバオ飛行場の滑走路が広がっていた。
着陸したばかりのシャトルの横で、炎に包まれる高官用リムジン。メッサーのビーム・ライフルが放った高熱が、その車体を蒸発させていた。
(……やった。やったぞ……!)
リムジンの残骸の傍らには、もう動かない二つの影。ギギ・アンダルシアと、ケネス・スレッグ。
(殺した……。俺が、未来を変えたんだ……!)
凄まじい罪悪感と、それを遥かに上回る安怠感が胸を突き上げてくる。これでマフティーは崩壊しない。ハサウェイは処刑されない。そして何より——俺は死なずに済むのだ。
「はは……あはははっ! 生き残った……俺は生き残ったんだ!!」
コクピットの中で涙と鼻水を垂らしながら、俺は狂喜の声を上げた。
「おい、大丈夫か? うなされていたぞ」
強い衝撃で肩を揺すぶられ、俺は目を開けた。そこは格納庫の通路だった。俺はメッサーの足元で倒れていたらしい。機体には乗ってすらおらず、起動した形跡すらなかった。
「俺は……飛行場へ……」 「飛行場? なに寝ぼけてるんだ。市街地のタサダイ・ホテル襲撃作戦は終わったぞ。ハイジャックのテロリストどもの後にこれと来て、街中にはマンハンターやら軍やらが山ほど押し寄せて厳重警戒体制だ。無茶な外出は控えろよ」
血の気が引いていくのが分かった。俺は何もしていない。出撃すらしていなかった。
「殺したはずだ……俺は昼間の飛行場で、二人を爆殺したはずだ……!」
端末の隅に表示された日時を見る。出撃を計画していた日時から、すでに二日が経過していた。
俺が「飛行場で二人を殺した」と歓喜していたあの記憶はなんだったのか。夢を見ていたとでも言うのか。俺が意識を失って倒れている間に、時間は容赦なく本編通りの歴史を刻んでいたのだ。
混乱し、資材庫の暗闇で膝を抱えて震えていると、ポケットの中の端末が不意に鳴った。マフティーの回線ではない。暗号化された未知の周波数。
おそるおそる通信を開くと、冷ややかな、起伏のない男の声が流れてきた。
『聞こえるかね。君の胸に植え付けられたデバイスの主……アナハイム・エレクトロニクス社のものだ。』
「アナハイム……? 俺の体をどうした……! 妄想を見せて俺をどうするつもりだ!」
『静かにしたまえ。君が飛行場を襲撃しようとした思考は、デバイスによって幻覚処理させてもらった。あのシャトルに乗っているのはお偉いさんばかりでね。彼らに死亡してもらっては困るのだよ。マフティーと連邦の争いを長期化させ、我が社に最大限の利益をもたらす。それが君の役目だ。』
声は淡々と、一切の感情を排して事実だけを告げる。
『君の胸のデバイスは、生命維持装置も兼ねている。我々の指示に従い、マフティー内部で作戦情報を流しなさい。拒否すれば、今ここで心臓の拍動を停止させる』
「あ……が……っ!?」
直後、胸に激痛が走り、俺は床で悶絶した。呼吸が止まり、心臓が絞り上げられる。
『理解できたかね。君の生存は、我々への協力と引き換えだ』
「……従う……従うから……」
痛みが引き、俺は床に這いつくばって涙を流した。生き残りたかっただけの一般人の心は、完全に折れた。
それからの日々は拷問だった。仲間たちは怪我上がりで無理をする俺をただの一兵卒として気遣い、温かい言葉をかけてくれた。そのたびに俺の心は削られた。俺は夜陰に紛れ、アナハイムへ作戦情報を送り続けた。
そして本編の時系列通り、アデレード会議妨害作戦を前に、マフティーの大型補給船が連邦軍の待ち伏せに遭い、撃沈された。
「どうして……作戦が漏れてるんだ……!?」
絶望する船内で、俺は甲板の影に座り込んでいた。俺が殺したんだ。自分の恐怖のために。
「……ここにいたのか」
ハサウェイが隣に腰かけた。彼の顔にも疲労が滲んでいた
。
「補給船がやられた。アデレードが、僕たちの最後の戦いになる。生き残ることは絶望的だ。.......ここで下りてくれても構わない。今まで共に戦ってくれてありがとう。」
(やめてくれ....! そんなことを俺に言わないでくれ....)
ハサウェイの静かな感謝の言葉に、胸の奥が弾け飛んだ。俺はうずくまって、声を上げて泣きじゃくった。ハサウェイは俺が重圧に押し潰されそうになってように見えたのだろうか。優しく背中を擦ってくれた。
違う。俺はお前を売ったんだ。俺はどうしようもない屑だ。生き残るために仲間を裏切ったんだ。
だが、その手の温もりが、俺の泥に塗れた心に届いてしまった。
もう、やめよう。自分の正義に、仲間に裏切り続けるのは、もうやめにしよう。
「……ハサウェイ。俺も……アデレードへ行く」 「無理はしなくていい」 「ううん、行くよ。それが……俺のやるべきことだ」
アデレードの空は、地獄の業火に包まれていた。 クスィーガンダムとペーネロペーが夜空で激突する中、俺のメッサーの通信ウィンドウに、あのアナハイム野郎の顔が映し出された
。
『混乱に乗じて南西へ離脱しろ。我が社の回収船へ来れば、デバイスを解除し新しい戸籍を用意する』
「……拒否する」
『ふむ...。 スイッチを切れば君は即死するが。』
「切ればいい。もう……死ぬのは怖くない」
死ぬのが怖くて歴史を変えようとし、仲間を売った。だが、裏切り続ける絶望に比べれば、己の意思で死んでいく方が何倍も救いだった。
『……好きにするといい』
バツンと通信が切れ、胸のデバイスが冷たく停止した。心臓に激痛が走り、口から血が漏れ出す。意識が急速に遠のく中、俺は強引に操縦桿を握りしめた。
撤退を開始したマフティーの仲間たちの後方へ、俺のメッサーは割り込んだ。
かっこいい台詞なんて言えない。ヒーローみたいに引き受ける余裕なんて、どこにもない。 口から血を吐き出しながら、ただ必死に、震える手で無線を押し叩いた。
「みんな……っ、逃げろ……!! 逃げてくれ、頼むから……!!」
通信回線に響いたのは、叫びというより、惨めな乞いだった。
『君!? 何をしている、戻れ!』
「いいから行けよ!! 俺に……俺にこれ以上、誰かを殺させるな……っ!!」
メッサーのスラスターを全開にし、泥臭く前線へ突撃する。一機でも多くの連邦の射線を遮るために。
「なんだあのメッサーは!? 単機で突っ込んでくるぞ!」
「クソッ、イカレ野郎が!」
無数のビームが装甲を削り落とし、コクピット内を激しい衝撃が襲う。まともに狙う余裕すらない。ライフルを乱射し、一機のMSにしがみつくようにぶつかり、泥臭くラインを押し下げさせた。
「うああああああっ!!」
自分の悲鳴か、連邦の怒号かも分からない。 背後で仲間たちが離脱していくのが掠れた視界の端に見えた。胸の痛みが限界に達し、世界が急速に黒く塗り潰されていく。
裏切り者には上等すぎる最期だ。
かっこよくなんて死ねなかった。最後まで泣いて、怯えて、無様に足掻いただけだ。 でも、最後の一秒だけは、誰に操られるでもなく自分の意志で動けた。
光が爆発した。一機のメッサーが、夜空を焦がす一筋の火花となって弾け飛んだ。 その死は歴史のどこにも記録されない。けれど確かに、一人の男が恐怖に打ち勝ち、宇宙世紀の闇の中で自分の命を燃やし尽くした証だった。