レース場を満たしているのは歓声ではなく咆哮だった。
アウター・リムの小惑星に築かれた巨大な非合法レース場。岩山を削り取って造られたコースを二十を超えるレーサーが轟音と共に駆け抜け、そのたびに数十万人の観客が酒を振り回しながら叫び、隣の客と偶に流血騒ぎを起こしながら、賭けた金の行方に一喜一憂している。
共和国の正規競技場ならば警備員が飛んでくるような喧嘩や罵声も、この場所では誰も気にしていなかった。
そもそも、レースそのものが非合法だった。
参加者の経歴確認は形だけ。機体の改造制限もほとんど無く、事故で人が死んだところで血痕だけ洗い流されて次のレースが始まる。
そんな場所を取り仕切っているのが銀河でも有数の犯罪組織ブラック・サンだとマズから聞いた時点で、今、出走チーム関係者用の個室で二つの問題に頭を抱えているオビ=ワン・ケノービもまともな興行ではないことくらい理解していた。
そんなレースのしかもメインレースに出走して勝たねばならないのも、今は理解した。納得も、まあ、した。仕方ない、と。
だから今の彼にとって、頭痛の種は犯罪組織でも非合法レースでもなかった。別に二つあった。ものすごく頭の痛い問題と、ちょっとだけ頭の痛い問題の二つが。
──とりあえず、ちょっとだけ頭の痛い問題の解決から始めることにした。
「マスター」
「なんだ。オビ=ワン」
「念のため、もう一度確認します」
巨大なオッズ表示板を見上げながら、クワイ=ガンは普段とまったく変わらない調子で答えた。その顔には、頭を抱えている弟子とは対照的に、問題だという意識は欠片もない。
「先ほど貴方が賭けた五百万クレジットですが……あれは任務用資金ですね?」
「その資金だ」
「評議会から、調査や移動などのために支給されている公金ですよね? 貴方が許される限界一杯まで引き出した、今の船団で唯一まとまった五百万クレジットですよね?」
「ああ、その通りだ」
「……先に言っておきますが、公金を今後設立する会社の立ち上げ資金へ回すこと自体を問題にしているわけではありません」
「そうだな。彼らを救出した以上、自立できるところまで支援するのは任務の内だからな」
「ええ。共和国の金を、共和国が救い切れなかった六百万人の生活と自立のために使う。公金の使い道として、間違っているとは思いません。少なくとも、理屈の上では」
「こういう時は、理屈さえ通っていれば大事には至らないものだよ」
──なお、この理屈を現時点でそのまま評議会へ持ち込めば、即座に『通ってねえよ! それは任務資金であって、解放奴隷の会社設立資金ではないぞ! そもそも公金だぞ! 使い道を報連相しろ! なにより、今の時点では支援などは任務ではない!!!』と咆哮されるだろう。
だから当然、それを予期しているオビ=ワンは、片が付くまでいつも通りにちゃんと報告を省略している。当たり前だ。
そんなド畜生な事をしているが、一応、オビ=ワンも制度上や法務上かなり危ういことくらい理解だけはしているのである。
理解した上で、共和国市民から集められた金を、共和国が救えなかった六百万人の共和国市民へ還元して何が悪い、と割り切っているのである。その上で、解放奴隷の会社設立まで片を付けてしまえば、理屈を押し通せると確信しているのである。
この辺り、本人がどれほど否定しようとも、本質が政治家なのである。それも『清廉潔白かつ狡猾、そして極めて有能』という形容まで付く。
「問題はそこではありません」
だから当然、今はタコダナにいる司法省エージェントたるヴァンから、『六百万人の救済と自立支援に公金を使うことは公益性と緊急性が認められる』という裏書きまで取り付けて理屈を補強したド畜生オビ=ワンは、改めてクワイ=ガンへ向き直った。
「それを、十三歳が非合法レースで優勝するという一点に全額賭けたのですか? 本当に?」
「ああ。会社設立にはどう見ても五百万では足りないからな。全額一点賭けした」
聞き間違いという最後の希望まで簡単に潰され、オビ=ワンは額へ手を当てた。
五百万クレジット。普通ならば大金だが、六百万人を相手にすれば一人一クレジットにもならない額だ。しかし、船団には大切な金だ。
一応、タコダナで働き始めた船団の人々から共用金も集まりつつあり、マズがツケにしてくれたおかげで当面の物資にも困ってはいない。だが、十八隻の輸送船を使って会社を立ち上げるための、数百万単位のまとまった現金となれば、今のところこの公金しかなかった。
その全額を、クワイ=ガンは十三歳の弟子が非合法レースで優勝するという一点に注ぎ込んだのである。
タトゥイーンで、唯一の足だった上に自分たちの所有物ですらないナブーの王室専用船を賭けた時よりはマシとはいえ、酷い、酷すぎる。
「負けたらどうするつもりなんです。もう一度言いますが、あれは船団にとって、今、唯一数百万単位でまとまった金なんですよ」
「負けないよ」
「……どうしてですか? 予知したのですか?」
「いや」
クワイ=ガンは巨大な表示板の最下段近くにある名前を見ながら、当然のことのように続けた。
「アナキンだからな」
それは、師が弟子を信じるという、本来ならば実に美しい形であった。
ただし、普通はその信頼を船団の数少ないまとまった資金の一点賭けという形で表現しないのだ。きっとそうなのだ。
「面白いな」
隣から聞こえた低い笑い声に、オビ=ワンは嫌な予感を覚えた。
プレ・ヴィズラだった。
青いマンダロリアン・アーマーの上から外套を身に纏って変装したデス・ウォッチの指導者は、先ほどから二人の会話を聞いていたらしく、興味深そうに表示板を眺めている。
「ジェダイというのは、もっと堅苦しい連中だと思っていたぞ」
「普通はそうです。この人を基準にしないでください」
「いや」
プレは面白そうに笑いながら、クワイ=ガンではなくオビ=ワンを見た。
「いや、お前だよオビ=ワン。普通のジェダイなら、もっと突っかかるだろう。非合法レースなんて駄目だの、偽名を使うのは規則違反だの、そもそもジェダイが賭博に関わるべきではないだのとな。だが、お前が気にしているのは金を全部突っ込んだことだけだ。公金だからじゃない。助けようとしている船団の唯一のまとまったカネだから、問題にしているだけだ」
「…………」
「レースに出ること自体は止めていない。偽名を使うことにも反対していない。いや、ギャンブル自体も止めちゃあいない。まったく、クワイ=ガンの弟子だなぁ」
同類と言われて閉口したオビ=ワンは、『ニック・スカイラー』という偽名で登録されたアナキンへ意識を向けた。
その正体を知っているのは、この場ではクワイ=ガンたちだけ。偽名を使い変装したアナキン・スカイウォーカーは、今頃遥か下方のスタート地点でヘルメットを被り、出走が決まってから弄り倒した中古レーサーの最終確認をしているはずだった。
十三歳。初出場。過去の戦績なし。機体も一見すれば他の参加者より明らかに見劣りする。
だからこそ、とんでもない倍率が付いていた。
──
「それで──」
自分では気づいていないが、ごく自然に周囲の観客たちや主催者へ、明日出荷される家畜を見るような目を向けているオビ=ワン。その横顔に勝利を確信したプレが、最終確認とばかりにクワイ=ガンへと視線を向けた。
「──本当に勝つんだな?」
「ああ」
「間違いなく?」
「アナキンなら勝つ」
その答えを聞いたプレは数秒だけクワイ=ガンを見た後、流れるように端末を取り出した。
オビ=ワンは『コイツもか、まあ、コイツには止める義理も義務もない』という冷めた目を、皆の前でサティーンとの過去を暴露しやがったプレに向け口を開いた。
「……何をしているんです?」
「賭けている」
「……負けても、此方に当たらないでくださ──」
言いながら表示された金額を見た瞬間、今度は別の意味で目を疑った。
個人が一度の賭けに使う金額ではない。
「ちょっと待ってください。大金すぎやしませんか?」
「俺の金だ。その使い道をどうこう言うんじゃない」
「それはそうですが、しかし、大金すぎませんか?」
「ああ、直ぐに動かせる全財産だからな」
「は?」
「なんの問題もないさ──勝つんだろ? な、クワイ=ガン」
「間違いなくな」
「なら、問題ない。友がここまで言うなら、動かせる金を全額一点賭けするのが男だ」
クワイ=ガンとツーカーなプレに、オビ=ワンは何か言い返そうとして言葉を失った。
所属も思想も立場もまるで違うというのに、どうしてこう妙に相性がいいのか。
まあ、良い。過激派のトップが全財産を失うリスクより、「友の言葉」を信じる心意気を優先しているのだ。もう勝手にすればいい。
そう考えながら、同じ動作をしている人物に顔を向ける。こっちは止めねばならない。
「アルト。君まで何をしているんだ?」
「賭けたからフォースに祈っている」
端末を握りながら「May the Force be with you」と祈っているアルト・ストラタスを見て、オビ=ワンは今度こそ眉間を押さえた。
こういう時に使わないでほしいな、という思考を捻じ伏せながら呻く。
「それは分かっている(あんまり分かりたくないけど)……その金は船団の共用金だろう」
「ああ」
「……ああ、ではない。駄目だろう。ここ半月、みんなでようやく作った金だぞ」
アルトは、一度「あれ?」という顔をしたあと、ああ、そういえばオビ=ワンは船団代表(何時の間にか)として政治交渉に忙しく、この話し合いには参加していなかったな。
「皆で決めたことなんだ」
「…………何を?」
「アナキンがレースに出る。倍率がとんでもなく高い。勝てば当面の運転資金を作れる。だから賭けようってことになった」
「六百万人全員でそう決めたのか?」
「流石に全員の意見を聞いたわけじゃないがな。定期連絡の時に各船の代表に話を通したんだ。反対はなかった」
オビ=ワンはあまりの信頼の重さに暫く何も言えなかった。
「……何故、誰も止めなかった?」
「アナキンだからな」
誰もアナキンの負けを想像しなかったのか。そんなオビ=ワンの疑問に、アルトは理屈ではなく信頼で答えた。
「俺たち六百万人をまとめて助けてくれた奴だぞ。こんな、レース如きで負ける方に賭ける奴なんていない。いまも、タコダナじゃ皆レースを見ながら応援しているよ。ほら」
「…………」
マズが用意した船団と関係者席だけを繋ぐ外部からは覗けない閉鎖回線越しに、『頑張れジェダイ』『フォースの護りあれ』『フォースが勝たせてくれる』『アニー坊やにフォースの加護を』という横断幕を張って応援している船団のみんなを映像で見て、オビ=ワンは目を閉じた。
六百万人がレースに熱狂するとは凄まじい。娯楽が殆どないとか、そんなのは関係ない。みんなアナキンを応援して勝ちを確信している。自分たちを救い出したヒーローを。
オビ=ワンは、弟への誇らしさで緩みそうになる頬を意思の力で押さえ込んだ。
「あいつが勝てば元手が増える。これから会社を作るにしても、物資を買うにしても、金はいくらあっても困らない。それなら賭けるだろ」
「どうして貴方たちは全員、アナキンが勝つことを前提にしているんだ?」
「負けると思ってるのか?」
「…………まあ、勝つだろう。いや、勝つな」
そこが一番困るところだった。
オビ=ワン自身、アナキンがこの程度のレースで負ける姿はほとんど、いや全く想像できていない。幼い頃からポッドレースをしていた操縦技術に加え、現在ではジェダイとしての訓練まで受け、フォースを使うことも覚えている。
勝算だけを見るなら、確かに高い。いや、よほどがない限り勝つ。
だからといって、万一を思えば公金を含めた船団の数少ない資金を全て賭けようとは思わない。
少なくともオビ=ワンはそう思っていたし、評議会も恐らく同意してくれるはずだった。多分。
…………多分なので、出来る限り報告は省略しよう。
「そう、最近の貴方の職場はずいぶん変わりましたね」
保身を決意した瞬間、オビ=ワンにとって、公金賭博などより遥かに頭の痛い問題──もっとも頭の痛い問題である、横にいる美女が口を開いた。周りに聞こえない小さな声で。
「…………そう見えますか?」
「少なくとも、私が知っていた頃の貴方の勤め先は、任務資金を非合法賭博へ全額投入するのを認める勤め先ではありませんでしたから」
「今も違います」
「そうなのですか?」
「はい、今回のは決して許されません。規則において赦されない事です」
「なるほど。では、あなたも赦されないことだと思っているのですか?」
「もちろんです。その証拠に、私は止めようとしているでしょう。お聞きの通りに」
「先ほどから聞いている限りでは、任務資金を船団のために使うことではなく、その船団の運用資金を賭けに回したことにしか文句を言っていないようですが? それは勤め先の規則としてはどうなのでしょうか。任務資金を船団のために使うのは問題無いのですか? そもそもあなたは、先ほどから『評議会に何と言われるか』など、規則を監督する方々のことを一度も口にしていませんよね?」
「…………」
ぐうの音も出ず、オビ=ワンは黙り込んだ。
それ以上に黙らざるを得なかったのは、こんな会話をしている相手の存在そのものへの苦悩ゆえだった。
サティーン・クライズ。
マンダロア公爵にして、新マンダロリアン政権の代表の女性である。少し前まで護衛隊による救出を企てていたが、よく知るジェダイが協力するというのでプランを変えた女性である(どうして変えたのだろう……)
妹であるボ=カターンがブラック・サンに捕らえられ、デス・ウォッチまで動いている以上、万一の際には政治的な判断を下せる者が必要になるかもしれない。そのため、プランを変えた彼女は自身が極秘裏にこの場までやってくることにした(理屈は分かるが、どうして、来たんだろう……)
勿論、公爵としてではない(それはそうだ)
地味な服を身に纏い、髪型を変え、化粧も普段より抑えている。 まあ、それで元々の美貌や気品まで隠せるはずもなく、どう見ても一般人には見えなかったが、そこについては今更どうしようもない。仕方ないから、上流階級の役を与えるカバーストーリーを作り上げた(これは仕方ない)
問題は、その彼女に与えられたカバーストーリーにおける役だった(そう、ここからが問題だ)
ニック・スカイラーという貧しい無名レーサーを支援する上流だがそこまで裕福ではないスポンサー夫婦。その妻という役が大問題だった(本当に大問題だ)
つまりは、スポンサーの妻役がサティーン(……これはいい、仕方ない)
そして、その夫にしてスポンサー役がオビ=ワン(何故か!!!???)
クワイ=ガンとマズとプレが相談して決めた(勝手に!)
オビ=ワンへの相談はなかった。今日ここにサティーンたちと合流した瞬間に言われた(自分のことなのに!!)
そして何より頭が痛いことに、サティーン本人はその案を聞いた瞬間、『それが一番自然でしょうね』と、あっさり了承してそのまま流れるように妻役をやっているのである(…………どう、して…………)
あぁ──人生とはなんなのだろうか
「あなた」
声を大きくしてサティーンが、ごく自然に旦那役を呼んだ。苦悩のあまり、人生を見返していたオビ=ワンの肩が僅かに固まった。
「もう少しこちらへ。夫婦なのですから、そんなに離れていては不自然でしょう?」
「十分近いと思いますが」
「そうでしょうか?」
「そうですよ」
「昔はもっと近くにいた気がしますけれど」
「…………サティーン、その話はあまり大きな声で言わないでくれ」
「あら、漸く敬語を辞めましたね。外だからとはいえ、緊張しすぎです。あと」
「……なんだ」
「私の名前はサラでしょう、あなた?」
微笑みながら偽名で呼べと返され、オビ=ワンは言葉を失った。
そのやり取りは傍から見てあまりにも自然だった。人前でも堅苦しく振る舞おうとする頭の硬い夫を、慣れた様子で嗜める妻にしか見えなかった。
プレが横で肩を震わせている。クワイ=ガンは穏やかな表情のまま何も言わない。アルトはウンウンと頷いている。
そして少し後ろでは、同じく変装したサティーン付きの女官たちが、小声で何やら囁き合っていた。
「本当にあのオビ=ワン・ケノービよ」「ええ、あの、ね。ようやく会えたわ」「なんか、こう堅物だと思ってたけど狡猾な政治家って感じよね。あのオビ=ワン」
「『あの』って何ですか」
思わず振り返ったオビ=ワンは、女官たちに((え? 本気で言わせるつもりなの? ウチの公爵様を未だに独身のままにしている元凶の『あの』オビ=ワンだって))という非難と好奇心の入り混じった力強い目を向けられ少し気圧されたが、決して怯まない。少なくとも政治家扱いされたことは修正させねばならない。政治家嫌いとして絶対に。
「「……………………」」
「今の『あの』は何ですか?」
「あなた」
サティーンが腕を取った。旦那の苛立ちを宥める妻そのものの手付きで。
「あまり女性を問い詰めるものではありませんよ」
「……そうだな。すまない……(女官に対して)すまなかったね」
「ええ。それでいいのです」
夫婦として自然なやり取りをする二人に、周囲が堪えきれず噴き出した。
政敵ではあるが、サティーン個人とは別に仲が悪いわけではないプレがニヤニヤと笑う。
「似合いの夫婦だな」
「プレ。黙っていてください」
「いやいや、見事なものだ。二十年連れ添った夫婦でも、もう少し他人行儀だぞ」
「黙ってくださいっ」
「あなた、そんなにむきになると周りに怪しまれますよ。もう少し肩の力を抜いて自然になさって」
「……君は楽しんでいないか?」
「まさか」
即答だった。だが、サティーンの目元は明らかに笑っていた。
その姿と今の現状を客観的に見たオビ=ワンは確信した。
公金を全額、十三歳のパダワンの勝利へ賭けた師や、私財などを賭けた仲間たち。
そして現在、妻役として自分の腕を取っている、かつて(今ではないと超強調)想いを寄せたマンダロア公爵。
今日一番の頭痛の種がどれなのか。
考える必要すらなかった。
だが、妹が囚われて以来、まともに笑っていなかったというサティーンが笑っていることは良いことだろう。
復興資金に悩むサティーンが、オビ=ワンが出荷される家畜を見る目をした瞬間に勝ちを確信して、私財を全額アナキンに賭けた事を知らないオビ=ワンはため息をついた。