BLEACHの世界に転生した俺は、初代剣八になるらしい   作:まいちー

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第二十三章 更木の子

 

 子供と目が合った。

 

「…………」

 

 降り続く雨に濡れた、まだ幼い、小さな子供だった。

 

 死体の山の上に腰を落とし、血に濡れた刀を握っている。

 

 その姿と、目の前の幼さがまるで噛み合わない。

 

 けれど、俺は知っている。

 

 剣の申し子。

 

 戦いに生きる修羅。

 

 更木剣八。

 

 そして、本物の卯ノ花八千流を絶望させた者。

 

  

◇

 

 ――私は、倦(う)んでいた

 

 剣に

 

 戦いに

 

 それ故

 

 剣を悦ばせるに足る敵を求めて

 

 あらゆる場所を彷徨った

  

 それ故

 

 剣が

 

 それに倦(う)む者同士を

 

 引き合わせたのでしょう

 

◇

 

「隊長……?」

 

 後ろから声がした。

 

 答えなかった。

 

 目を離せない。

 

 この子が、更木剣八。

 

 後の十一番隊隊長。

 

 いつか出会うことも、その刃が俺の胸へ届くことも知っていた。

 

 けれど、知識として知っていることと、こうして目の前にすることはまるで違った。

 

 死体の山の上から子供が立ち上がり、ゆっくりと降りてくる。

 

 刀を引きずることも、構えることもない。

 

 ただ歩いてくる。

 

「…………」

 

 近づくほどに分かる。

 

 異質だ。

 

 宗玄とも、山本重國とも、護廷十三隊の隊長たちとも違う。

 

 剣を極めたわけではない。

 

 斬拳走鬼を磨き上げたわけでもない。

 

 ただ、身体が、刀が、俺に告げている。

 

 強い。

 

 それだけだった。

 

「隊長」

 

「下がっていてください」

 

「ですが――」

 

「下がりなさい!」

 

「……っ!」

 

 思わず声を荒らげると、隊士は息を呑み、すぐに距離を取った。

 

 俺は腰の刀へ手を掛けた。

 

 子供が止まる。

 

「お前」

 

「はい」

 

「強えのか?」

 

「ええ」

 

 鞘を傾け、鯉口を切る。

 

「あらゆる流派」

 

 ゆっくりと刀を抜く。

 

「あらゆる刃の流れは」

 

 直刀の切っ先を、子供へ向けた。

 

「我が手にあり」

 

 子供の口元が大きく歪んだ。

 

 次の瞬間、その姿が消えた。

 

「――っ!」

 

 反射的に刀を上げる。

 

 凄まじい衝撃が腕へ走った。

 

 刃と刃は確かに噛み合っている。見えていたし、受けることもできた。それなのに子供の刀は止まらず、押し込まれた腕ごとこちらの刃が首元へ迫ってくる。

 

 足が濡れた地面を削り、泥を跳ね上げながら、二本の長い跡が伸びていく。

 

 押し返せない。

 

 首を傾けて刃を紙一重でやり過ごし、すれ違った刀が下へ落ちたところへ胴を返す。

 

 ここなら届く。

 

 そう思った瞬間、落ちていたはずの子供の刀が跳ね上がった。

 

「――っ!」

 

 俺の刀が弾かれる。

 

 振り下ろした一撃を戻したのではない。下へ抜けた勢いのまま、次の一太刀へ変えている。

 

 その刀が、もうこちらへ来ていた。

 

 身体を引くと、鼻先を刃が通り過ぎる。

 

 すぐに刀を返し、子供もまた振り返す。

 

 刃と刃が激しくぶつかり、互いの刀が弾かれた反動で距離が空いた。

 

「…………」

 

 斬られてはいない。

 

 けれど、今の一合だけで分かった。

 

 この子は強い。

 

 俺よりも。

 

「…………ふ」

 

 声が漏れた。

 

 気づけば笑っていた。

 

 何百年ぶりだろう。

 

 一合目から、こんなにも分からなかったのは。

 

 子供も笑った。

 

◇

 

 ――貴方は嬉しかったでしょう

 

 周りを見ても

 

 雑魚ばかり

 

 剣を試せる敵すら無し

 

 そんな貴方にとって

 

 私は

 

 初めて遭遇する

 

 力の拮抗した敵だった

 

◇

 

 右から刀が来る。

 

 肩と腰の動きから軌道を読み、首だと判断して身体を外した。

 

 だが、避けたはずの刃が途中で沈む。

 

「――っ!」

 

 胸へ変わった。

 

 刀を差し込み、辛うじて弾いて胴へ返す。

 

 子供が避ける。

 

 そのまま追い、今度こそ届くと思ったところで、逃げたはずの子供がこちらへ踏み込んできた。

 

「…………!」

 

 一瞬で距離が消えた。

 

 斬るために伸ばしていた腕の内側へ、子供の身体が入り込む。

 

 刀を振る間合いではない。

 

 それでも子供は無理矢理腕を返し、至近距離から刃を振った。

 

 開脚するように身体を沈ませ、頭を下げる。

 

 頭上を刀が通過したところで、低い姿勢から斬り上げる。

 

 子供が身体を捻り、服が裂ける。

 

 それでも退かない。

 

 こちらの刀が上へ抜けた瞬間、空いた脇腹へ刀を差し込んでくる。

 

 足を蹴り出して身体ごと後ろへ逃がすと、刃先が着物を掠めた。

 

 着地するより早く子供が追ってくる。

 

 一歩で間合いを詰め、刀を斜め上から振り下ろした。

 

 その腕が振り切られるより先に左手を伸ばし、掌で柄頭を押さえる。

 

「…………!」

 

 力が乗り切る前に、刀が止まった。

 

 子供が目を見開く。

 

 その一瞬に。

 

 右手の刀を振る。

 

 首へ。

 

 だが子供は地面を蹴り、身体を宙へ投げ出した。頭と足を入れ替えるように回転する。

 

 押さえていた柄頭が、俺の掌から抜けた。

 

 そのまま俺の刃を躱し。

 

 回転の勢いを乗せて、刀を振る。

 

「――っ!」

 

 横から迫る刃に身体を反らす。

 

 眼前を、刃が走り抜ける。

 

 一瞬遅れて、その軌道をなぞるように雨粒が弾けた。

 

     ◇

 

 何百年もの間に、俺は数え切れないほどの剣を見てきた。

 

 構え、足運び、呼吸、視線、肩や腰の動き。その全てから、相手が次に何をするのかを読む。

 

 けれど、この子にはその前提がない。

 

 型がない。

 

 いや。

 

 型を必要としていない。

 

「…………」

 

 次の一太刀を、その一太刀が来てから考えなければならない。

 

 口元が緩む。

 

 こんなことが。

 

 こんなにも。

 

 楽しい。

 

     ◇

 

 刃がぶつかる。

 

 一合、二合、三合。

 

 力では向こうが上。

 

 速さも。

 

 反応も。

 

 異常だった。

 

 まともに受ければ崩される。

 

 なら、正面から受けなければいい。

 

 振り下ろされる刃へこちらの刀を斜めに合わせ、止めずに流す。

 

 子供の刀が外へ逸れ、そのまま首へ返した。

 

 身体を反らされ、届かない。

 

 直後にはもう刀が戻ってきた。

 

「――っ!」

 

 受けずに半歩ずれれば、刃が胸の前を通り過ぎる。

 

 子供が踏み込む。

 

 分かっている。

 

 追ってくる。

 

 そこへ。

 

 刃を置いた。

 

 子供が強引に身体を捻った。

 

 刃先が胸を浅く裂く。

 

 血が飛んだ。

 

 子供の。

 

 血。

 

 

「…………」

 

 宗玄には、何度もこうして動かされた。

 

 強く斬れば、その力を利用される。踏み込めば、その一歩を使われる。こちらが自分で選んでいるつもりでも、気づけば宗玄の望むところへ身体を運ばされている。

 

 なら、俺も同じようにすればいい。

 

 子供が踏み込む先へ、刀を置く。

 

 何百年も刀を振るううちに、それはもう考えるまでもなく身体へ染みついていた。

 

「…………」

 

 子供の目が、さらに輝く。

 

 傷などどうでもいいらしい。

 

 次の瞬間には、こちらの刀を押し潰すような一撃を振り下ろしてきた。

 

 俺も刀を上げる。

 

 再び、刃がぶつかった。

 

     ◇

 

 刀を合わせるたびに、少しずつ分かってくる。

 

 そう思った。

 

 だが、違った。

 

 分かったと思うたびに覆される。

 

 子供は剣を知らない。

 

 少なくとも、俺が知っている意味での剣を。

 

 誰かから教わった型も、積み重ねた流派も、相手を誘導する理もない。

 

 ただ斬りたい場所へ、最も速く、最も強く刀を振っている。

 

 それだけなのに。

 

 俺が何百年も積み上げてきたものを、力と本能だけで正面から崩してくる。

 

 首を狙って振られた刀を身体を外して避け、そのまま胴へ返す。

 

 子供は刀を引き戻して受けるのではなく、振り抜いた腕を強引に返し、こちらの刃を横から叩き上げた。

 

「――っ!」

 

 弾かれた刀が上へ流れる。

 

 そこへ、また刀が返ってくる。

 

 今度は横から。

 

 身体を反らすと、刃先が胸の前を通り過ぎた。

 

 こちらも踏み込んで間を空けずに返し、子供がそれを受ける。

 

 刃と刃がぶつかり、衝撃が腕を抜けて肩まで響いた。

 

 子供が笑う。

 

「…………」

 

 俺も笑っていた。

 

 まだ一度も斬られていない。

 

 けれど、余裕などどこにもない。

 

 一つ間違えば届く。

 

 この子の刃は、間違いなく俺まで届く。

 

 それが嬉しかった。

 

◇

 

 ――思いもしなかった

 

 よもや私が

 

 こんな子供相手の斬り合いに

 

 かつて無い悦びを得ようとは

 

◇

 

「…………」

 

 どれほど刀を重ねただろう。

 

 子供の身体には、腕、肩、脇腹、胸と、いくつもの傷が増えていた。

 

 けれど、どれも致命傷には届かない。

 

 浅く斬ることはできる。

 

 深く斬り込もうとすれば必ず逃げられ、あるいはそれ以上の一撃が返ってくる。

 

 俺の身体には、まだ一つの傷もなかった。

 

 だからといって、俺の方が強いわけではない。

 

 何百年と積み重ねた技と経験で、どうにか凌いでいるだけだった。

 

 嫌でも分かる。

 

 この子は、俺より強い。

 

「…………」

 

 知っていた。

 

 前の世界で、本物の卯ノ花八千流をこの子は上回っていた。

 

 だから驚くことではない。

 

 そのはずだった。

 

 刀が来る。

 

 受け、弾き、返そうとする。

 

 子供が身体を外して距離を作り、今度はこちらから踏み込む。

 

 迎え撃つ刀とぶつかり、また離れる。

 

「…………」

 

 違う。

 

 知っていることと、実際に刃を重ねることは全く違う。

 

 本物の卯ノ花八千流も、この力をその身で知った。

 

 なら。

 

 俺は。

 

 どこまでこの子と斬り合える。

 

     ◇

 

 子供が踏み込んできた。

 

 一撃目は首。

 

 避けた瞬間、そこから二撃目が来る。

 

 そう考えた瞬間、子供は刀を戻さず、そのまま肩からこちらへぶつかってきた。

 

「っ……!」

 

 身体が崩れる。

 

 そこへ刃が上がる。

 

 刀を合わせたが、腕が沈み、押し返せない。

 

 身体を横へ逃がすと、子供の刃が鼻先を掠めて抜けていった。

 

 すぐに返す。

 

 弾かれる。

 

 弾かれたこちらの刀を見て、子供がさらに踏み込んできた。

 

 また来る。

 

「…………」

 

 直刀では、足りない。

 

 そう思った瞬間、刀が応えた。

 

 名を呼ぶ必要はない。

 

 刀身が長く伸び、大きく湾曲し、変じた刃をそのまま振り上げる。

 

 刃と刃がぶつかり、互いの刀が弾かれた。

 

 子供の目が輝いた。

 

「刀が変わった!」

 

「はい」

 

 肉雫唼を構える。

 

「斬魄刀といいます」

 

 子供がさらに笑った。

 

「面白え!」

 

 迷いなく飛び込んでくる。

 

 振り下ろされた刀を、湾曲した刃の手元に近い部分で受けた。

 

 正面から止めず、その力を外へ流す。

 

 子供の腕が刀ごと外へ逸れた。

 

 それでも、湾曲した刃の先はまだ子供へ向いている。

 

 逸らした、その続きで斬る。

 

 刃が子供の肩から胸へ走り、血が噴き出した。

 

 身体が傾く。

 

 深い。

 

 それでも止まらない。

 

 子供は笑ったまま。

 

 斬られた方向へ倒れながら片手を地面へ突き、そこから無理矢理こちらへ身体を戻してくる。

 

「…………!」

 

 刀が来る。

 

 身体を反らすと、胸のすぐ前を刃が通り過ぎた。

 

「…………」

 

 楽しい。

 

 本当に、楽しい。

 

 こんな斬り合いを、ずっと心の底から探していた。

 

     ◇

 

 肉雫唼に変わっても、力の差が消えたわけではなかった。

 

 むしろ、子供はさらに楽しそうに刀を振るった。

 

 大きく湾曲した刃で力を流し、そのまま返す。

 

 避けられれば次が来る。

 

 肉雫唼を滑らせて逸らし、斬る。

 

 また避けられ、返ってきた刀が目の前を通る。

 

「…………」

 

 終わらない。

 

 終わってほしくない。

 

 前の世界の記憶がある。

 

 この子が誰なのか知っている。

 

 この出会いが何を意味するのかも知っている。

 

 けれど、この子が次にどう斬るのか、俺は知らない。

 

 それでいい。

 

 いや。

 

 それが、いい。

 

     ◇

 

 一瞬だった。

 

 子供の踏み込みが変わった。

 

「――」

 

 見えた。

 

 足が動き、肩が動く。

 

 腕も刀も、どこを斬ろうとしているのかも分かった。

 

 だから肉雫唼を動かした。

 

 間に合う。

 

 そう思った。

 

 けれど、次の瞬間には刃がもう目の前にあった。

 

「――っ!」

 

 速い。

 

 予想より、ほんの少し。

 

 それだけで。

 

 間に合わなかった。

 

 刃が胸を裂いた。

 

「――――っ!」

 

 初めて、俺の血が飛ぶ。

 

 傷は深く、身体から力が抜け、そのまま膝が地面についた。

 

「…………」

 

 何が起きたのかは分かっている。

 

 見えていたし、読めてもいた。

 

 ただ、身体が追いつかなかった。

 

 胸を見る。

 

 一本の深い傷から、血が流れている。

 

 この場所を知っている。

 

 本物の卯ノ花八千流。

 

 後の卯ノ花烈。

 

 その胸元に残っていた、たった一つの傷。

 

「…………」

 

 ここだ。

 

 本物の卯ノ花八千流も、ここを斬られた。

 

 子供がこちらを見ている。

 

 その顔には笑みがあった。

 

 肉雫唼を握って立とうとするが、足に力が入らない。

 

「…………」

 

 なら。

 

 ここまでなのか。

 

 本物と、同じところまで。

◇

 

――私は強い

 

 貴方以外の

 

 誰よりも

 

◇

 

「…………」

 

 違う。

 

 肉雫唼を地面へ突き、身体を起こす。

 

 胸から血が落ちる。

 

 痛い。

 

 けれど、立てる。

 

 なら、まだ斬れる。

 

 子供の笑みがさらに深くなった。

 

「…………」

 

 息を吐き、肉雫唼を構える。

 

「まだ」

 

 切っ先を向ける。

 

「終わっておりませんので」

 

     ◇

 

 同じ名を名乗った。

 

 同じ剣八になった。

 

 同じ相手と出会い、同じ場所を斬られた。

 

 けれど。

 

 ここから先まで、同じである必要はない。

 

 ここまで来るために振った刀は、俺のものだ。

 

 原作を知っていたから、強くなったのではない。

 

 宗玄に剣を教わった。

 

 流魂街を歩いた。

 

 数え切れない剣を見た。

 

 山本重國と戦った。

 

 護廷十三隊へ入った。

 

 戦争を経験した。

 

 肉雫唼を知った。

 

 それからも、何百年と刀を振り続けた。

 

 その全てが、今、この一振りの中にある。

 

「…………」

 

 俺は、本物の卯ノ花八千流ではない。

 

 俺は。

 

 俺が。

 

 卯ノ花八千流だ。

 

     ◇

 

 子供が地面を蹴った。

 

 速い。

 

 胸を斬った、あの一太刀と何も変わらない。

 

 肉雫唼を構える。

 

 一度目は、見えているだけだった。

 

 軌道が分かっても身体が追いつかなかった。

 

 だから、斬られた。

 

「…………」

 

 だが、同じ刃を二度も受けるつもりはない。

 

 一度見た剣を、二度目には返す。

 

 それだけの技量を、俺は何百年もかけて身につけてきた。

 

 同じ速さ、同じ重さの刀が迫る。

 

 肉雫唼を滑らせ、刃と刃が触れた瞬間に止めずに逸らした。

 

 子供の刀が俺の胸の横を通り過ぎる。

 

「…………」

 

 返せる。

 

 子供は何も変わっていない。

 

 それでも、俺にはこの剣と斬り合えるだけのものがある。

 

 肉雫唼を返す。

 

 子供が避け、すぐに次の刃が来る。

 

 流して斬る。

 

 避けられ、返される。

 

 また流す。

 

 もう、止まらない。

 

     ◇

 

 胸の傷から血が流れ続けている。

 

 呼吸をするたびに痛み、身体から少しずつ力が抜けていく。

 

 それでも刀は鈍らない。

 

 子供も止まらない。

 

 俺が一度見た剣を返せば、次は違う一太刀が来る。

 

 それを凌げば、また違う。

 

 分かったと思えば、その先が来る。

 

「…………」

 

 強くなりすぎて、いつからか相手の次が見えるようになった。

 

 何をするのか。

 

 どう動くのか。

 

 どこで終わるのか。

 

 斬り合う前から分かってしまうことさえあった。

 

 けれど、この子は違う。

 

 俺が一つ追いつけば、その先へ行く。

 

 なら、俺も追えばいい。

 

 刃を逸らして返し、避けられれば踏み込む。

 

 子供も踏み込み、互いの刃が交差し、どちらも退かない。

 

 いつしか笑っていた。

 

 胸の痛みさえ、忘れていた。

 

     ◇

 

 どちらが先に倒れても、おかしくなかった。

 

 子供の身体には俺が刻んだ傷がいくつもある。

 

 俺の身体にあるのは胸の一つだけ。

 

 けれど、その一つが深い。

 

 血を失うたび、身体が少しずつ重くなる。

 

 長くは続けられない。

 

「…………」

 

 子供が刀を握り直した。

 

 笑っている。

 

 俺も肉雫唼を構える。

 

 距離が開き、互いに動かない。

 

 雨だけが、二人の間で降り続けている。

 

「…………」

 

 次。

 

 おそらく、これで決まる。

 

◇

 

――あの戦いで

 

 私達は互いに

 

 これまでに無い悦びを得た

 

 ただ一つ違ったのは

 

 貴方だけが

 

 あの戦いで

 

 限限(ぎりぎり)で戦う悦びを

 

 知ってしまった事

 

 それこそが――

 

◇

 

 子供が地面を蹴った。

 

 俺も踏み込む。

 

 肩、腕、刀、軌道。

 

 全て見える。

 

 一度見た。

 

 なら、返せる。

 

 肉雫唼を合わせる。

 

 あと一歩。

 

 子供の刀が迫る。

 

 あと一太刀。

 

 その時だった。

 

「…………?」

 

 ほんの僅かに違った。

 

 刀が遅い。

 

 瞬きにも満たないほどの僅かな遅れ。

 

 俺が追いついたのではない。

 

 この子の刃が鈍った。

 

◇

 

 ――よもや

 

 その子供が

 

 私との戦いで

 

 自らに枷をかけてしまおうとは

 

◇

 

「…………」

 

 考える暇はなかった。

 

 身体が先に動く。

 

 肉雫唼を合わせて刀を逸らすと、子供の身体が流れる。

 

 それでも無理矢理こちらへ向き直った。

 

 だから一歩退く。

 

 子供が追う。

 

 その一歩を待っていた。

 

 踏み込んだ先へ肉雫唼を滑らせる。

 

 子供が気づいて身体を捻る。

 

 けれど、もう遅い。

 

 湾曲した刃が子供の刀を外へ押し流し、そのまま続けて斬った。

 

 血が飛ぶ。

 

 子供の身体が地面へ落ちた。

 

     ◇

 

「…………」

 

 静かになった。

 

 途切れた剣戟の代わりに、雨音だけが耳に残る。

 

 胸から血が落ちる。

 

 子供は地面に倒れ、俺は立っている。

 

「…………」

 

 勝った。

 

 けれど、それだけでは何も分からない。

 

 本物の卯ノ花八千流も、この子と戦った。

 

 同じ場所を斬られ、そして最後にはこの子を倒した。

 

 だから、勝ったという事実だけでは、本物を超えたことにはならない。

 

「…………」

 

 それでも、何かが違った。

 

 最後の一太刀。

 

 あれは遅かった。

 

 ほんの僅かに、それまでとは違った。

 

 俺が返せるようになったからこそ分かった。

 

 あれだけは、俺の技量で追いついたのではない。

 

 あの瞬間、この子の刃そのものが鈍った。

 

「…………」

 

 そして、前の世界で知っていたことだけでは、この戦いの全てまでは分からない。

 

 胸へ手を当てる。

 

 本物と同じ場所。

 

 同じ傷。

 

 けれど、俺はあの一太刀を受けた後も、この子の速さと力に食らいつき、何度も刃を返した。

 

「…………」

 

 それが本物とは違うのか。

 

 それとも、本物も同じだったのか。

 

 分からない。

 

 俺は、本物の卯ノ花八千流を超えたのだろうか。

 

「…………」

 

 答えは、まだ出なかった。

 

     ◇

 

「隊長!」

 

 遠くから声がした。

 

 隊士が走ってくる。

 

「隊長! ご無事ですか!?」

 

「はい」

 

「どこがですか!?」

 

「…………」

 

 胸を見る。

 

 確かに、これは無事とは言いにくい。

 

「まだ生きています」

 

「そういう意味では――!」

 

 隊士の声を聞きながら、地面に倒れた子供を見る。

 

 生きている。

 

「この子は……」

 

「そのままで」

 

「しかし」

 

「大丈夫です」

 

 隊士が黙る。

 

 俺は胸へ手を当てた。

 

 深い傷。

 

 この戦いで、俺が受けたただ一つの傷。

 

 治そうと思えば、治せる。

 

「…………」

 

 けれど、治さなかった。

 

 この傷だけは、残しておきたいと思った。

 

 俺をここまで斬った者がいたという証。

 

 そして、まだ俺より強いかもしれない者がいるという証。

 

 胸から手を離し、子供を見る。

 

 名前は知っている。

 

 けれど、この子からはまだ聞いていない。

 

 更木剣八。

 

 前の世界で知っていた、未来の十一番隊隊長。

 

 俺の後を継ぐ剣八。

 

「…………」

 

 また斬り合いたい。

 

 次は、今日よりももっと強いこの子と。

 

 そして、その時こそ確かめたい。

 

 本物の卯ノ花八千流を、俺は本当に超えられたのか。

 

 答えはまだ分からない。

 

 胸から流れる血が、静かに地面へ落ち続けていた。

 

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