トゥインクルシリーズの春シーズンも佳境。日本ダービーが終わり、残す大レースも安田記念と宝塚記念である。
とはいえ、どちらも八大競走と並ぶ格付けはされていない。実質、春シーズンも総決算を待つばかりである。
日本ダービー…楽しませてもらった瞬間もあったが、大部分は興味索然たるものだった。
このクラシックで絶対的存在であったキタノカチドキは呆気なく主役の座を追われた。勝ったのは皐月の雪辱を晴らしたコーネルランサー。
…なるほど、美談だろう。
笑止千万。
なんだあれは?奴らは何を見て走っていた?『ダービー』と走っている奴らしかいなかっただろう。
くだらん。所詮まだ、この日本という箱庭の話だ。まして、クラシックなど同世代の括りでしか無い。
数多の傑物がその夢を前に破れてこようが、知ったことか。ダービーなど道半ばに過ぎん。大団円には早すぎる。
何より、許せなかったのはキタノカチドキだ。負けるなら、全身全霊を出し尽くして負けろ。怪物のまま死んでくれ。何故、あんなくだらん幕切れをしたのだ。
タイミングさえあれば、オレがその首を獲ったというのに。
そんな一場春夢を鼻で笑い、迎えた六月。今日は学園の中を練り歩くことにした。
かつてあの黒髪の逃げウマ娘とのやりとりで感じた。
竜驤虎視。この学園を睥睨するには、まだ知らぬ強者が多すぎる。
この学園に巣食う傑物どもを見つけ、片端から粉砕する。そうすれば、オレの天下など後から勝手についてくる。
生憎、オレのデビューはまだまだ先のようだからな。トレーナーが、オレは身体に爆弾を抱えているだのなんだのと言って練習量も減らしている。周りには言わんが。
有り体に言えば、ヒマなのだ。
それに、以前の学園内を走り回った時のせいで、オレに親しみを抱く有象無象が増えた。
やめて欲しいものだ。あの時に話しかけてきた奴らの顔も覚えている。この際改めてオレに対する畏怖を知ってもらわねばな。
「よう、青いの。ちょっと話に付き合っていかないかい?」
「なんだお前は?」
初夏の若葉がさざめく木陰の中で、寝転がるウマ娘が1人。
編笠で顔が見えないが、確かにオレに呼びかけていた。
ゆったりとした喋り口調。ボサボサとした鹿毛。顔も見ずに判断するのはいささか尚早だが、いまいちパッとしない出で立ちだ。従容不迫という言葉が頭をよぎる。
それに、その…制服のスカートが少々際どく捲れている。いや、下着が見えるわけではないが。
指摘するのも憚られたから言わないことにしたが、随分と自身のことに無頓着な様である。
「あたしのことはどうでもいいのさ。この老骨に興味を示しても何も出ないよ」
「興味の有無はこちらが決める。お前が判断することではない。
…せいぜい、オレに認められるといいが」
からからとした笑い声が、揺れる編笠越しに聞こえてくる。
…どこかで、聞いたことのあるような声な気がする。
「噂通りだねぇ。スーちゃんの言ってたまんまじゃないかい。
…なぁ。シンボリのぼっちゃん。」
「…今の発言、宣戦布告と受け取るが?」
「早とちりしなさんな。今あんたとコト構える気はないんでね」
掴みどころがないな。ええい、焦ったい。奴の目的が未だ分からないままだ。
しかし、『スーちゃん』か…聞き馴染みのある呼び名だ。
「…スーさんと知り合いか?」
「ん?」
「スピードシンボリとは知り合いなのかと聞いている」
「ん、ああ、そうだよ。気の置けない仲だね。」
ちっ、完全にあっちのペースにのまれている。
顔も見えん、ゆったりとした喋りは彼女自身の身体を動かすこともない。探り合っているようで探り合っていないこのむず痒さ。気色悪いな。
「よく仕事場に来て歌ってくれるからね。こっちとしても愉快なもんさ」
「ほう、一体それはどこだ?」
「うちの生…いや、今は駄目か。知られちゃあ困る」
「そんなに後ろ暗いことにでも手を染めているのか?」
「え?いんやぁ、そういうわけじゃあ無いんだけど」
先程までの余裕綽々ぶりから一転、歯切れの悪さが目立ち始める。
丁度いい…オレを侮っている節も見受けられた。鬱憤を晴らさせてもらうとしよう。光栄に思うんだな。
「大体、顔も見せずご挨拶とはいい御身分だな」
「いや、あたしのことはどうでも…」
「良くないと判断した。お前に興味がある。その顔を見せろ」
「やめてくれよ〜。退がってくれよ〜」
「命令も懇願も受け付けん。さっさと編笠をとれ」
言笑自若。こちらがいくら踏み込んでも、奴の声音には緊張の一つすら混じらない。
そして、動かす手足はジタバタとして見栄えが悪い。
駄々っ子は動きにメリハリをもって訴えてくるが、彼女は挙動がゆったりとしているせいか、死にかけの虫と重なる部分を感じた。
しかし、何故だろうか?何故、こんなちっぽけな存在の匂いしかしないというのに、ここまで心惹かれるのか?オレの中の無邪気な探究心が、目の前のウマ娘を丸裸にすることを望んでいる。
彼女の抵抗?そんなものお構いなしに編笠へ手を伸ばす。
ズガッ!!!
顔に、手に感じる感触。パラパラと周りから音がした。
視界に映りこんだのは飛び散るいくつかの細かな土塊。素肌には土の粒が付着していた。目を落とすと、今鼓膜を揺らした轟音の元凶はオレの足元にあった。
木の根元で寝転がる彼女の変則的な踏み込みが、芝すら吹っ飛ばして地面にめり込んでいた。
「退がれっつってんだろうが」
「…」
低い声だった。
耳で聞いたはずなのに、背中と腹と、果ては心臓まで直接掴まれたような感覚が残った。
寒気とも違う。
ただ、大きい。
目の前のウマ娘が、どうしようもなく大きく見えた。
…また、あの黒髪の逃げウマ娘と相対した時と同じ感覚が身体中を駆け巡る。
確定した。これは危険信号なのだろう。目の前の存在は自身にとって脅威であるという。
手間が省けた。我ながら明察秋毫。あの黒髪の逃げウマ娘といい、どうやらオレは傑物を見抜く目に恵まれているらしい。
「どうしたんだい?ぼけっとして。今までの強気はどこ行ったんだい?ええ?もしかして、あたしすごいことしちゃった?」
…どうしてこうも小物くさいんだ。別にこの程度の土砂など普段の練習で浴び慣れている。眉一つ動かしてもいないというのに、こんなにも調子が良くなる根拠が知りたいものだ。
仮に、今の踏み込みごときでオレが怖気ついたと勘違いしているのならば的外れもいいところだがな。
このくらい、オレにだって…
…できるだろうか?
立ちながら、そういう目的でやれば多少地面を割ること自体は可能だとは思う。ウマ娘の膂力の中でもオレの身体が持つそれは至高の域に近いからな。
だが、それでも寝転がるこの状態、つまり足の力だけで地面を踏み込んで抉るなど、改めて考えてみればまずあり得ない。
抜山蓋世。
大仰な言葉だと思っていたが、なるほど。目の前でやられると笑えんな。
だがしかし、切に思い始める。このウマ娘との勝負、なんとか形にできないだろうか?
がちゃんがちゃん。
「あ、いけないね。ぼっちゃん、上手いこと言い訳頼むよ」
思案に耽っていたらいつの間にか立っていた。
いや、もう木陰の下にすらいなかった。
慌てて声のした方へ振り向くとそそくさと植え込みの中へと姿を消す編笠。
待て………いや、声じゃない。オレがあれだけのコソコソした動きを察知した理由。
…足音だ。草むらに入ってもただ重いだけではない。この硬さは、金属音だ。一体、何を履いて普段過ごしているのか?
「待て!逃さんぞ!!」
「失礼」
「…ん?なんだお前は?今は忙し…」
「失礼。貴方に用があります」
電光石火。一瞬で行き先に回り込まれた。見どころがあるな。
……いや、この顔。見覚えがある。
確か、栗東寮の寮長の二冠ウマ娘だったか。名は――コダマ。
「ここに今、ウマ娘は居ませんでしたか?特徴は鹿毛、覇気のないものぐさ顔、金属質の重い足音…怠け癖、職務怠慢、調子に乗るとこちらを苛つかせる言動、私の手を煩わす太い肝…」
「途中から愚痴になっているぞ」
目の前の栗毛は、羅列のたびに表情が冷たくなっていく。笑顔は崩れなかったがな。
モノクル越しの目の温度が凍てついていくのを察した。
「あら、失礼。少々、私情が…悪しからず。」
「顔は知らんがそのウマ娘ならその植え込みの先だろう。今から追うところだったのだがな」
「そうですか。情報提供感謝いたします」
ぱっつりと切り揃えられた淡いアイボリーの毛色の彼女は、美しい軌道と姿勢で頭を下げる。慇懃無礼の一歩手前と言った印象の所作だ。
いいぞ、品のある女は好ましい。
「では、オレも奴に用がある。捕まえてきてやろう」
「いえ、それには及びません」
きっぱり断る彼女。頭を上げた時には、手にトランシーバーが握られていた。
握る指に、禍々しい気配を感じる。
「正門の通路から植え込み、林を通ってステージの方面へ向かったようです。
…了解、見つけ次第拘束してください。これ以上の勝手を許してはなりません」
「…」
「では行きます。もし彼女に用がありましたら、生徒会室にいらしてください」
「生徒会だと?」
「ええ、仕事を放り出してサボる阿呆なのですよ彼女は」
罵倒が止まらん。現状、あの鹿毛に抱く感情は、同情と至極真っ当という2本の柱が聳えている。
しかし、これは僥倖だろう。なにせ所在が掴めたのだ。手掛かり無く探すよりはずっと楽なはずだ。
なにより、トレーナーからスピカにはあまり絡みにいくなと釘を刺されている。ミスターシービー、そしてあの黒髪とも走ることができない今、標的としてはちょうどいい。
「わかった。奴の名は…」
既にいなかった。全く…なんだこの学園は?まさに神出鬼没、気配なく姿を消す奴が多すぎる。それとも、オレが頭を巡らせた時の周りへ張るアンテナが鈍感すぎるのか…。
仕方がない。しばらく学園を歩いたのち、生徒会室へ行くとしよう。迷うこともないしな。
「おや、ルドルフ。生徒会室に用があるのですか?」
この学園の中でも一際目立つ、重厚な扉。
生徒会室の入口にて、トウショウボーイと鉢合わせた。
「ああ。…そうか、お前生徒会所属だったな」
「ええ。書記を担当しています」
胸に手を添えて、目線を合わせるように礼をしてくるトウショウボーイ。丁寧な所作は優等生然としている。
ふん、いつかはオレの方が背高くなってやるから待っていろ。
「ここに来れば、目当てのウマ娘がいると聞いたんだ。失礼するぞ」
「分かりました。取り次ぎましょう。少々お待ちくださいね」
そう言って彼女はノックした後、扉を少し開けて隙間に入っていった。
余程重いのだろうか?見栄を張るにしてもその辺は機能性を重視したいところだがな。
程無くして、開いた隙間から手が伸びてきた。クイクイっと手招きされる。
「副会長が、対応するそうです。お入りください」
…副会長?それが件のウマ娘か?
チッ、わからん。この際スーさんに学園の役職陣についてよく聞いておくべきだったかもしれん。
大きな扉が開いた。生徒会室の景色が視界に飛び込む。
奥には大きな窓、書類仕事をするのに十分な採光が図られている。この大きさならば、夕方でも作業には困らないだろう。
そして、内装はシックかつアンティークなセンス。古色蒼然たる、とまではいかないが。
しかし、随所に年月を感じさせる重厚さがある。そこへ新しい調度品が違和感なく差し込まれている。
悪くない。いや、むしろ好んで居たいと思えるデザインだ。
そして、それぞれ役割のある空間の区別が、壁を使わずとも伝わる。応接スペース、作業・会議スペース、そしてコーヒーメーカーのある休憩スペース…充実しているようだな。
「そこのソファに座ってください」
トウショウボーイに促され、入って右手の応接用に配置されたソファとテーブルのスペースへ向かう。
テーブルの上にある、ガラス製のテーブルランプの意匠にもこだわりを感じるな。しかしこの空間の中でも比較的、新しいように感じる。新たな美意識の風が舞い込んでいるといったところだろうか。
「待たせたわね。そなたが相談のある生徒?」
「…ああ、そうだ」
現れたのは、春霞のように澄んだ水色の長髪…いや、長髪という基準も生ぬるいほどのボリュームと膝のあたりまでの長さを誇る、うねった髪を靡かせるウマ娘だった。
その重い瞼から覗く眼差しには、傲慢ささえ優雅に見せてしまう余裕がある。薄く細められた双眸は、こちらを見るというより、こちらが自分を見るに値するかを測っているようだった。
そして、尊大な言葉遣い。副会長の座にいるくらいだ。それなりの素養があるに違いない。根拠のある自信なのだろう。
そして、この手の奴は癖のある人格であることも約束されていることが多い。そのパターンでないことを祈るとしよう。
「それで?今回は如何なる理由でここにいらっしゃったのかしら?」
「生徒会に行けば、オレが会いたいと願うウマ娘に会えると聞いてきた。特徴は鹿毛、覇気のないものぐさ顔、金属質の重い足音…怠け癖、職務怠慢、調子に乗るとこちらを苛つかせる言動…」
「随分と解像度の高い答えね」
「…色々と聞かせてもらったからな」
「よろしいわ、お目当ては会長のようですわね。今は居ないの…あの方はいつもそう」
会長…生徒会長だと?まさか…
「だけれど、見つかるのも時間の問題。くつろいでいくといいわ。
ほら、トウショウボーイ!コーヒーを淹れなさい!」
「そうおっしゃると思いまして…こちらです。どちらも砂糖はそれなりに入っております」
「感謝する」
いいセンスだ、トウショウボーイ。お前に対する印象が上がったぞ。
…待て、なんだこれは!?ミルクまで入っているのか!?何処まで気が利くんだ、トウショウボーイ!!
「…美味いな。トウショウボーイ」
「ありがとうございます。コーヒーメーカーが優れているおかげです」
「そうでしょうそうでしょう。ここ生徒会室の備品は此方が選び、一新させたのよ?どう、このテーブルランプ…キレイだとは思わない?」
「いいと思うぞ。オレも気に入っている」
おほほほほほと笑い静かに興奮が漏れ出始めている、目の前の生徒会副会長。生徒会には調子が良い奴が多いのか?
だが、美的センスは認めてやる。実際、この空間は好きだ。古色を残しながら、新しい風も拒んでいない。互いが互いを引き立てる、見事な塩梅だ。
「そなたの見る目、なかなか見どころがあるわ。認めて差し上げましょう。
…失礼、此方、生徒会副会長のテイタニヤ。そなたの名は?」
「シンボリルドルフだ」
「シンボリ…!まあ、あのスピードシンボリの家系の者ですか!?」
「ああ、そ」
「なんという巡り合わせでしょうか!?この生徒会室の門を叩く者が、あの道楽の風・スピードシンボリと縁のある者だとは!?これは運命、崇高な悪戯に違いないわ」
唐突に始まるオペレッタ。ソファとテーブルが舞台装置として機能する。両手を広げる彼女のその姿は、制服すら物語の衣装めいている。すっきりとした鼻梁と小ぶりな唇を尊大に表現するその顔は、幼さと傲慢さが入り混じっていた。
だが、それはオレの言葉すら遮って始まった。眉を顰め、今すぐにでも苦言を呈したいが…巻き込まれては困る。落ち着くまで待った方が身のためだろう。
「ではシンボリルドルフ!何か、芸をしなさい!」
「は?」
「スピードシンボリの運命の元導かれたのでしょう?彼女は言うなれば、流浪の旅芸人。この生徒会室という名の宮廷を彩る、美しい役割を果たしてきました。そなたもその運命。
ほら、何か芸をしなさい!!」
「ふざけるな!なぜオレがそんなことをしなくてはならない!」
「スピードシンボリが辿った軌跡の下の巡り合わせだからです。
ほら、何か芸をしなさい!」
なんたる傍若無人。初対面の相手を宮廷道化か何かと勘違いしていないか?
くっ、話にならん!トウショウボーイ、助けろ!!
横に視線を送る。
「……」
黙々と業務に入るな業務に!!逃さんぞ!!
「おい、トウショ」
「あら、そなた、まさか此方のいうことが聞けないというのでしょうか?
その場で自己表現もできないようでは、そなたのセンスを認めた先刻の発言、撤回させてもらいたいわ」
…言わせておけば。
「いいだろう、やってやる!何か芸をすればいいのだろう!?」
「ええ、そうよ。もっとも、此方たちが満足するものをね。ほら、トウショウボーイ!そなたもこやつの芸を見るのです!」
「え、私もですか?…頑張ってくださいね、ルドルフ」
憐れみの目を向けられるとは、屈辱以外の何者でもない。今度のチーム練習、その優等生の言動が失せるくらいに負かしてやる。
いや、待て。目下最大の難敵はこのテイタニヤだ。ここで芸事を何か披露しなければ、オレは侮られたままだ。
チェス、ピアノ…何か、この場で披露できる心得のあるものは――
…ダメだ!この場には何もない!!
「…焦らしますわね」
「ルドルフ、何か手を貸しましょうか?」
「…少し待て」
ソファから立ち、部屋をうろうろする。この部屋にあるもの、書類、ペン、トウショウボーイ、意見箱、テイタニヤ、ソファ、テーブル……。
…仕方がない…その場しのぎだ。断じて今からやるのはオレの真価ではない。
あ・く・ま・で、その場しのぎだ。
「おい、トウショウボーイ」
「え、私?」
「そこの箱、生徒から意見書が届いているぞ」
「…?」
「早く確認したらどうだ?投書ウボーイ」
「…」
「…」
「…」
「………え?」
「この反応は、『手痛いや』」
「ふふふっ」
笑った。笑ったぞ!どうだ、オレはやれるんだ!
得意満面――などという安い顔はしない。しないが、口角が上がるのだけは止められなかった。
だが待て、投書ウボーイははっきり言って自分でも駄作だと思ったが…後者はどうだ!上手くないか!?
これが、『笑い』…なるほど、奥が深いかもしれん。
「スピードシンボリとは、また、別の味がするわね…ふふ、あははははは!」
「…よくやりきりましたね、ルドルフ。真顔がウケましたよ」
どちらも満足そうだな。オレのユーモアも捨てたものでは無い。
…暇があれば研究するのもアリだな。
「先程の発言、撤回を撤回いたしますわ。また生徒会室にいらしなさい」
「またやらされるのか!?」
だが、準備する時間があるのなら全然マシか。
…くだらんことに時間を割いたな。コーヒーが冷める。
そう思い、オレは改めてソファに腰を下ろした。
「そういえば聞きそびれていたわ。会長にどういった用事で?」
「そうだな…」
とりあえず、言われたまま衝動的に来たが、いざ説明しろと言われると…走りたいからもそうだが、その前に。
「出会った時から感じていた、オレの中で昂る何か…その正体を突き止めに来たんだ」
「!?」
「学園内、粒揃いだがあれほどの興奮を覚えたのは初めてだ。もう一度、話したいと思ってな。そしてゆくゆくは」
「成程。そなたの心、確かに理解ったわ」
ほう、最後まで言わずとも理解るかオレの興奮が。
やはりトレセン学園のウマ娘。この目の前の強者を目にした時の血湧き肉躍る至上の歓び…共通のもののようだな。
「それは…恋ね」
「は?」
「ええ、そうよ。そうに違いないわ!!」
「あの、副会長。おそらくルドルフが言いたいのは…」
「やめて差し上げなさいトウショウボーイ!!こやつは言ったわ。『正体を突き止めに来た』と。つまりまだ自身の想いすら知らないのよ。心が突き動かすまま来たの!
なんという物語なの!?名家の令嬢が想いの貌も知らぬまま慕う相手を追いかける!!
嗚呼、これで一つ舞台の台本が書けるわよ!!」
「待て、誤解が…」
「自分に嘘はつかないで。いいわ、そういう相談ならいくらでも乗って差し上げます。今日このあとも陰ながらサポートしますわ!
よく、勇気を出して言ってくれたわね。もう心配いらないわ!」
先ほどまでの尊大な微笑は消え失せた。テイタニヤは欣喜雀躍、今にもテーブルを飛び越えてきそうな勢いで身を乗り出した。
と、止まらん。両手を握られ願いを聞き届けたと嬉々としているが、牽強付会にも程がある。
オレの言葉という言葉を拾い上げては、ことごとく恋愛へ結び直していく。もはや訂正するほど材料を与えている気さえしてきた。
…狂っている。なぜこんな奴が組織の頂点に準じる立場にいるんだ!こんなもの破綻待ったなしだろう!!
「違う!オレはそのウマ娘と走りたいだけだ!!」
「成程、そなたの心、確かに理解ったわ」
「…はぁ、やっと理解ったか」
「それは…恋ね」
「は?」
もう、訂正するための援護射撃すらしないトウショウボーイは書類に隠れるかのように頭を抱えていた。
「将来を、共に走りたい…つまりは添い遂げたい!!そなたの衝動は、それほどまでに強いのですね!!」
「どうしてそうなる!」
「同じ道を駆け、同じ景色を望む――ああ、まさしく比翼連理!!」
「勝手に連理するな!」
「いずれは比翼連理、そして偕老同穴――」
「話が墓まで行ったぞ!?」
「嗚呼、恋愛のアルカナがそなたの運命を指し示すのが見える!」
「うわああああああ!!!!!!!!」
「落ち着きなさい。少しずつ受け入れて…身を焦がす恋慕は制御するのではなく、自覚して呑み込むものよ」
なんなんだこいつは!!恋愛脳とかいう次元じゃないぞ!!
「トウショウボーイ!!」
「……」
「書類で顔を隠すな!!助けろ!!」
「……頑張ってくださいね、ルドルフ」
まさか、オレが阿鼻叫喚を体現することになるとは、夢にも思わなかった。
そのせいで、この部屋にいる誰もノック音に気づかなかったのだ。
開かれる扉。最初に姿を現したのはギターのヘッド。
「やあ、賑やかなところ失礼。俺はスピード、シ・ン・ボ〜〜リ」
ジャカジャカとAコードをかき鳴らすスーさんが入ってきた。手入れの行き届いたアコースティックギターを抱え、当然のように生徒会室に侵入してきた。
…これか、これが元凶か。これのせいで俺は芸を要求されたのか。
それはそれとして、なぜサングラスをかけている?スーさんの中のアーティスト像、少々時代が古くないか?
「トゥインクルシリーズ春シーズンも佳境。ぜひこのギターと唄が差し入れになったらと考えてきたんだが」
「そんな理由など要りませんよ。弾きたいから来たのでしょう?」
「おや、優等生には敵わないな。ここの防音はトレセン学園一だからね。好きにしても周りに迷惑はかからない」
「お待ちしておりましたわスピードシンボリ!今日も奏でてくださいませ!!」
「いいとも、諸君。では聞いてくれ。『ロイヤルチャレンヂャー』」
そして放歌高吟。まさかの自作ソングである。ギターが趣味であること自体は知っていたが、まさかここまで発展しているとは思いもしなかった。
他2人は座って手拍子だのコーラスなど、各々このゲリラライブを楽しんでいた。
自由闊達。スーさんがいるだけで、ここが生徒会室であることすら忘れそうになる。
オレはただただ立ち尽くしていた。
だが、いい曲だな…スーさんの海外での競走の経験がとても叙情的に表現されている。
『橋を架ける キセキを何度でも』
ふっ、未来の日本のウマ娘たちへ橋を架けようとする、スーさんらしい詞だ。
ただ、「軌跡」と「奇跡」を掛けるのはいささか安直だな。言葉遊びというものは、もう少し磨く余地がある。
……まあ、曲はいい。
「ありがとう。満足だよ」
「こちらこそ、来ていただきありがとうございました」
「今の生徒会長なら、大目玉を喰らうこともないからね」
「まあ、代行は厳格でしたから…」
ドガン!
「ぐえっ」
扉が蹴破られたかと錯覚するほどの轟音がした。それと同時に、バウンドして生徒会室を転がるウマ娘。胴体は縄でぐるぐる巻きにされていた。
この毛色、あの金属音の元凶であろう靴、そして体躯…
間違いない。あの時木陰であったウマ娘。おそらくトレセン学園の生徒会会長だ。
「随分と手こずらせてくれたものですね」
埃を祓うように、両手をパンパンと擦る要領で叩くコダマが部屋に入ってくる。
「私もやりたくてこのようなことをしているわけではございません。先輩方からの頼みでやっているのです。
わかりますか?先輩方からも心配されているのですよ?」
「頼むよぉ、許してくれよぉコダマさん。後生なんだよぉ」
「年頃の女がいう台詞ではないでしょう」
呆れるコダマは、ため息をつき肩を落とす。疲労困憊であることを、理解してほしいと訴えているようだ。
「あれ?ぼっちゃんじゃないか?どうしてここに?」
「鈍いな。お前に会いに来たんだ」
「ほんとかい?物好きだねぇ」
簀巻きの亜種といえる状態で転がっているにもかかわらず、そのまま背中を向けて胡座に座り直す。
泰然自若。
……いや、この状況で使う言葉だったか?
やはり異常だ。体幹からして並のウマ娘とは次元が違う。見た限り、あの縄もかなりの特別製、おそらく鋼が使われている。トレーニングのタイヤ引きに使うものよりずっと重いはずだ。
バカみたいなトレーニング方法だな。
「流石の執念だ。参ったよ。ちゃんと名乗るとしようか」
ようやく顔を拝むことができた。相変わらず寝癖がそのまま定着したような髪だが、毛艶は美しい。紅白の〆縄のようなデザインの耳飾りが、良いアクセントになっている。
『ずぼらでございます』と言わんばかりの緩い目元に口元。鼻筋と輪郭は整ってはいるものの非常に野暮ったい印象だ。
……妙だな。顔は、記憶と寸分違わない。なのに、ターフで見た時とはまるで別人に見える。
美貌より、妙な愛嬌が先行したが――目だけが記憶通りだ。
深藏若虚。
何も持たぬように見えて、その実、どれほどのものを奥底へ沈めているのか。
その目の奥には深不可測な覇気が確かに据わっていた。
「あたしの名はシンザン。以後よろしく」
「格好良く決めたところすみませんが、仕事が立て込んでいます。さっさと終わらせなさい」
「はぁ、ちょっとは空気読んでくれよコダマさんよ」
「………」
「いだだだだだだだだ!!!!弓矢固めは不味い!!今手塞がってるから!!」
二代目三冠ウマ娘。連帯率100%。史上初の五冠達成。
神讃。
荘厳な肩書の割には、肩透かしをくらう技のもらい方だな。
…『かた』が三つ。悪くない。もう少し磨けば使えるな。