「ラモーヌ、トレーナーはついたのですか?」
「いえ、まだですわ」
広大な庭、その只中に純白のパラソルがひとつ。色鮮やかな植栽に囲まれながら、不思議と埋没することはない。むしろ草花の方が、その白を引き立てるために配置された背景のように見えた。
その下に据えられた白いテーブルを挟み、二人のウマ娘が向かい合っていた。
艶やかな黒髪のシニヨンと白メッシュ。未だトレセン学園の最年少の学年とは信じ難い大人びたウマ娘、メジロラモーヌ。紅茶の入ったカップを、丁寧な手つきで口へ運ぶ。
その対面に座る、淡い藤銀の髪のウマ娘は、静かにその一連の作法を見届けた後、会話の続きへと入った。
「…大方、引く手数多でも全て振り払っているのでしょう」
「振り払う?…とんでもありませんわ。理由がないだけです。彼らにも、私にも」
次は芦毛のウマ娘がカップに手をかけた。ゆったりと流れる時間。会話にはたびたび、紅茶を一口含むだけの余白が生まれた。その模様は、品格という言葉の説明の挿絵に後世利用されそうなほどに美しく見惚れる空間であった。
しかし、それ以上にこの会話が緩やかな川の流れのようなテンポになっているのは、芦毛のウマ娘によるところが大きい。
話す口調はとても柔らかく、そして一言一言に呼吸が居座る。とても見た目のような若々しい淑女の姿、そして芯のある声とは噛み合わない、老人然とした喋り方であった。
「そう。妥協して安っぽいパートナーを捕まえてくるより余程健全だと思いますが、貴女の身体一つでは限界があります。早く隣に立つ者を見つけた方がよろしい」
「…」
「この間の模擬レースも1着。よく自己管理していると思います。
しかし忘れてはなりません。その身体の脆さを。健全な『愛』は健全な肉体に宿るのですよ?
家の者に依頼してトレーナーの候補を…」
「結構です。パレットに色を並べていただいても、私が欲しいものとは限りませんもの」
カップを置いて、微笑むメジロラモーヌ。アメジストを彷彿とさせるその紫の瞳は、パラソルの日陰の中で光を宿していた。
「私の愛に応えるトレーナーは、私自身で見つけますわ」
「では、言うことはありません。貴女のその愛とやらを深めなさい。家名のために誰かを選ぶより、よほど貴女らしい」
「…ありがたく受け取りますわ。アサマさま」
「ふふ、やはりさま付けはどこかくすぐったいですね」
芦毛のウマ娘、メジロアサマは再びカップに口をつける。ほんのりと赤い瞳は、熾火の様に静かに燻っていた。
どこか気怠げな影が差し込むその目元には、品格を追求しこそすれ、美しさを誇示する気のない無防備な気品。
波打って後ろへ流れる髪と、頬に沿う髪束は緩やかに巻き、胸元へと落ちている。人形の様な美しさという表現がしっくりとくる容姿であった。
「今後は、メジロ家での活動が主に?」
「そうです。一線を退きましたから。後は次の世代を送り出すために注力します」
「そう…」
「如何しましたか?」
「つまらないですわ」
ラモーヌは言い放つ。ここまでの会話は、微笑みと共に柔らかいトーンで進んでいたが、どこか冷めてしまった様子の声色となっていた。
そのことに、アサマは怒りも悲しみもしなかった。
「ふっ…あははは!やはりまだまだ、無垢な子供の様ですね。
安心しました。年相応な部分が見受けられて」
「…」
「ウマ娘が、走ることを完全にやめられるものですか。ターフを去ったところで、そこで得た執着まで捨てられるものではありません」
「貴方も、そうであると?」
「ええ。きっと、これから貴女が出会う者たちも」
「……」
「いつか彼女らがターフを去る。その姿が気に食わないというのなら――もう一度走りたいと焦がれるほど、貴女の『愛』を見せつけてやりなさい。」
ラモーヌは答えなかった。いや、答えるまでもなかったのだろう。
その気配は、アサマも察していた。2人はしばし見つめ合う。その沈黙を埋めるように、庭のどこかで鶯が鳴いた。
「…ああ、そうでした。ラモーヌ。貴女の意見を伺いたいのです」
手を合わせて、閃き、いや思い出したことを体現するアサマ。顔や話の雰囲気の割には、感情表現の豊かなお茶目で可愛らしい側面が際立つ。
「最近、生徒会に寄せられる意見に寮の予算を増やしてくれと双方からのアプローチが激化しているのです。
実際、どちらにも割り振りたいのですが、如何せん全てを賄えるほどの予算はありません。」
「そうですの。木枠が歪んでいては、思うように筆も運びませんわね」
「その通りです。かといってどちらかを優遇するというのも、学園の矜持に反するというもの。貴女はどうするべきと考えますか?」
メジロアサマは生徒会副会長である。テイタニヤと2人体制で会長の補助をするという役割だ。
憂いも全て顔に出始める。喋り口調は老人然としたまま落ち着き払っているが、思いの外表情が忙しい。
あまり表情筋が備わっていないのか、大きく面相が変わることはない。しかし、側から見てもかなり素直な顔の挙動と見てとれた。
メジロラモーヌは即答した。
「無論、愛のある方へ捧げますわ」
「…わかりました。では、生徒会へその意見、持っていきます」
解決したかは別として、議題はすぐさま撃ち抜かれる。
そこからはまた、お互い声をかけず静かなティータイムとなった。
「ラモーヌお嬢さま。ご友人の方がいらっしゃっています」
「シリウスね?」
「左様でございます。いかがされますか?」
「向かうわ。爺や、鞄を」
「承知」
「いってらっしゃい、ラモーヌ」
席を立ち屋敷の方へ向かうラモーヌを、アサマは少しぎこちない手の振り方で見送った。
「最近、ルドルフが生徒会室に出入りしてんのは知ってるか?」
「知らなかったわ」
「そうか。あとこの頃の変化はそれだけじゃねぇ。学園中を顰めっ面でほっつき歩いてたり、かと思えば靴の裏を気にすることが多かったりといろんな目撃証言が出てやがる」
早朝、リムジンの中でトレセン学園に向かう道中。
ラモーヌと話をしようと思っていたが、寮にいないってんでわざわざメジロの別邸まで迎えに来たところだ。
ったく、なんであんな田んぼ道の先の山ん中なんかに建てやがるんだ。
……最近、ルドルフが何考えてんのか分からねぇ。
模擬レースもあって、ここんとこまともに顔を合わせちゃいなかった。その間にも、あいつの話だけはあちこちから耳に入ってくる。リギルじゃトレーニングの頻度を少し制限されてるらしいが、それだって人伝の話だ。
実際のところ、私は何も知らねぇ。
「あら、余裕が無いのかしら。持て余しているものがあるのなら、いつでもお相手して差し上げるのに」
「ハッ…とにかく私はルドルフから何も聞いてねぇ。
…なんで何も言ってくれねぇんだ?それとも、生徒会の連中にはペラペラ喋ってんのか?」
「妬いているのね?シリウス」
「ち、違ぇ!そんなんじゃねぇ!!
とにかく、あいつのここんとこの行動の理由を突き止めるぞ!私のことはなんだって掌握したがるクセして、自分は隠してるなんて許さねぇからな」
「…いいわ、付き合ってあげる。エスコートしてくださる?」
「いいぜ。そっちこそ遅れんなよ」
「ふふ、そのつもりよ。…この間よりも楽しませる自信があるわ」
この間…ああ、あの学園内でのチェイスか。あのバケモン、結局何なのか分からずじまいだったな。少なくとも、まだデビューもしてないヤツなのは確かだが…。
「じゃ、今日の放課後、屋上に来いよ」
ラモーヌと約束した。ルドルフ、私に黙ってたって無駄だからな。
「おそらく、そろそろ切り上げるはずだ」
「よく把握してるわ。顔を合わせていないだけで、貴方はずっと見てるのね」
「〜ッ!!そんな目で見んな!」
「あら、失礼。意気地がないのかと思っていたわ」
直接的に煽ってきやがる。だが、ラモーヌにはそんな意図はねぇんだろう。タチの悪ぃご令嬢だ。
ルドルフは、トレーナーとマンツーマンのトレーニング中だ。
だからって、リギルの他の連中を放ったらかしにしてるわけじゃねぇ。ターフのあちこちにカメラが点在してやがる。
ざっと見ても、一人につき五台は割いてるな。流石は学園トップクラス。金の掛け方が違う。
となると、つきっきりでルドルフを見るのはかなりの特別扱い…。
何でだ?大型ルーキーに力入れるタイプか?
「熱視線を送って…何か掴めたかしら?」
「あ?どうだろうな…」
「ルドルフ、走るフォームを変えたわね。あの逃げる娘を追いかける時も思ったけれど」
「シービーと走った後、修正したってのは聞いた。まだ慣れてねぇのか?
珍しいじゃねぇか。ルドルフがその辺で躓くなんてな」
「いいえ、あの時とも走り方は違うわ…どこか、切ない。プライミングにも至らない、そんな走りね」
…?なんだ?つまり、本来の走りじゃねぇってことか。しないというか、できない…?
よくよく観察してみる。腕の振り、ストライド、顔の角度。上体。接地。
右、左と前に出る足。
右、左。
右、左。
…待てよ。
「なるほどな。分かったぞ!リギルのトレーナーがトレーニングを制限してるワケ」
「ふうん、聞かせてもらえるかしら?」
「ルドルフ、左脚の可動域がほんの少しだが前より狭くなってやがる。筋肉のバランスが良くねぇのか、それとも故障の前兆か…いや、まだそこまではいってねぇのか」
走れている以上、今すぐ止めなきゃならねぇ状態ではないんだろう。
だが、本格化を迎える前の、まだ出来上がっちゃいない身体だ。違和感を抱えたままリギルの負荷を掛け続けるのはリスクが高ぇ。
それを見越してのトレーニングの制限だろうな。徹底管理主義ってのは伊達じゃねぇらしい。
「少なくとも私よりそのトレーナーの方が早く気づいて指示しやがった。
私から言われたら、ルドルフどんな顔してたんだろうな」
「褒めてもらえるか、拒絶して火がつくか…どっちにしろ、貴方に対する意識が高まっていたでしょうね。言えば相手してもらえるはずよ」
「…何でいちいち、私がルドルフに構ってほしいみたいな言い方しやがんだ?」
「違うのかしら?そうにしか見えないわ」
「あのなぁ…!」
って、何してやがる。こんなやりとり繰り返したところでイミなんてねぇ。
だが、気に食わねぇなルドルフ。散々、目についた弱みは見逃さず抉ってきやがったクセに、自分のだけは隠すのかよ。
…言えよ。別にそのことで笑いも軽蔑も、噛みつきもしねぇぞ。
「更衣室に向かったわね。追いましょう」
「言われねぇでもそのつもりだ」
逃さねぇからな。今日で丸裸にしてやるよ。
「さて、ここからどうするのかしら。シリウス」
「…」
何も聞こえねぇな。生徒会室の扉に耳を押し当てて、何とか中の会話を拾えねぇか試してみたが……無理だな。
案の定、ルドルフは生徒会室に入って行った。追ってきたはいいが、中には入れねぇ。入ったらルドルフはまた外面で私たちに接してきやがるだろう。
それじゃ駄目だ。
「あら、貴女、シンボリの…」
「!?」
「ごきげんよう、アサマさま」
「おや、ラモーヌも一緒なのですね。生徒会室にご用でしょうか?」
「まあ、その…」
現れたのは、メジロアサマ。書類を抱えて入口の前に立っていた。そういや、生徒会の副会長だったか。
しくじったな。見つかっちまった。しかも目的まで訊かれてる。ここ切り抜けんのはかなり…
「少々ご協力願いたいのです。お聞きいただけませんか?」
「協力、ですか?」
「ええ、そうですわ。ここでは何ですので、少しこちらに来ていただいても?」
「お、おいラモーヌ!?」
何考えてやがる!覗き見がバレたら、絶対ごちゃごちゃ言われちまう!
「安心なさい、シリウス。アサマさまなら問題はないわ」
そういって、近くの空き教室まで行っちまった。どうなっても知らねぇからな。
教室には誰もいなかった。
まあ、そりゃそうか。この時間なら大抵はトレーニングに出てる。
「それで、何を頼みたいのでしょうか?」
「こちらの卓上電話で拡声通話を繋いで、ルドルフと会話をしてきてくださいませ」
ラモーヌの鞄からそれなりに嵩張るサイズの機械が出てきた。
見たところ、オフィスに置く卓上電話――いや、それに似せた無線式の会議端末らしい。一般家庭で見るような代物じゃねぇ。それなりどころか、かなり値が張るはずだ。
何で尾行一つに業務用の会議端末が出てくんだ?
「生徒会はトランシーバーなど電子機器も多いと聞きますわ。これ一つ持ち込んだところで怪しまれないでしょう」
「何でこんなもん…」
「爺やに先刻持ってくるよう頼んでおいたわ」
「いつの間に…?」
「朝の尾行が確定してから。盗聴器を持ってくる様にとは言えないでしょう?」
何だ…?これが、メジロのやり方か?元々私らと一つの家だったとは思えねぇ価値観だ。
「これを持ち込んで起動して、会話していればいいのですね?」
話が早すぎる。というか、やる気か?
「何が聞きたいのですか?」
「ほら、何が聞きたいのかしら?シリウス」
「え、ああ…そうだな。『最近、生徒会に顔を出す理由』と、『コンディション』、あと…」
「この意気地なし。肝心なものから目を背けてどうするのよ。
『シリウスとあまり顔を合わせていないことをどう思うか』とでも聞けばいいじゃない」
「なっ!?」
「そうでしたか。承りました。では、その三つを聞いて参ります」
言うだけ言って、さっさと生徒会室へ向かいやがった。
ゆっくり喋るクセに、行動だけ妙に早ぇ。気づいた時にはもう教室にいない。
「待てよアサマ!最後のは――」
「さあ、電話のセッティングするわよシリウス。コンセントを探してちょうだい」
「…クソっ!多分教室にはねぇよ!フリースペース行くぞ!」
しょうがねぇな。なるようになる。そう思い込むことにした。
ツーーーーーー。ピピピピピ。サーーーーーー。
無機質な電子音が響く。
机の上に置かれた通信装置からは、未だに誰の声も流れない。
他には誰もいないフリースペースの中、無言でシリウスとラモーヌはその時を待ち続けていた。
「…シリ」
「喋んな!今繋がって聞こえたらどうすんだ!」
「…はぁ」
ラモーヌは手を伸ばし、装置にあるボタンを一つ指さした。
「ここはマイクオフ機能。ここを押しておけばこちらが声を出しても向こうには聞こえないわ」
「なんだ、そうだったのかよ。なら先に言ってくれればいいだろ。」
「こんな面白いシリウス、そうそうお目にかかれないもの。楽しまなくてはね」
「…いい性格してるな」
ザザーーーッ
シリウスの耳がピクリと反応する。
「始まったんじゃねぇのか!?」
「…ふふっ」
『アサマ副会長、この電話は?』
『ええ…これは、その』
「おい、開幕から怪しいじゃねぇか」
「アサマさまを信じなさい」
『爺やの忘れ物。今日の迎えと一緒に取りに来るらしいのです。それまで、ここに置かせていただきたいのです。
よろしいですか?会長』
『ん?あ、いいよ。
…みんなこれ壊さない様に頼むよ。弁償とか求められたら困るんでね』
『それにしてもルドルフ。最近、よく顔を見せますね。何かきっかけがあったのですか?』
「よし、いい調子じゃねぇかアサマ」
『それは決まってるわ!芸をするために来てるのよ!』
『違う』
「芸?なんだそりゃ?てか誰だコレ」
「おそらくテイタニヤね。もう1人の副会長。アサマさまがよく文句を言っているのを聞きますわ」
『生徒会に来てるのは、ここの居心地がいいからだ。インテリア含めデザインが気に入った。コーヒーも悪くない』
「あ?あいついつからコーヒーなんて飲む様になったんだ?」
「大方砂糖とミルクを混ぜてるに違いないわ」
「だよな。ディンブラの紅茶ならまだしも…」
『相変わらず素晴らしい審美眼だわ!期待の新人よ。でも、此方は知っているわ。それだけではないことをね』
「お、なんだ!?」
『彼女はシンザン会長に恋をしている!これは紛れもない事実よ!』
「え?」
「え?」
『え?』
『あらやだ、ぼっちゃん!あたしのことそんな目で見てたの?いや〜ん』
『俺にも選ぶ権利はあるはずだ』
『上等だ小童。表出ろ』
『興味はあるが、そういう想いはない。併走でいいからレースしたいだけだ』
『そ、そんな…なんて悲恋なの…』
『だから恋愛感情ではないと言っている!!』
「生徒会長サマと、勝負したいってことか?思えばなんでその可能性考えなかったんだ」
「私はそれよりもテイタニヤの言動が不思議で仕方ないわ。情熱が全て恋愛なのかしら?」
「知ったこっちゃねぇがな。でも、嘘じゃなさそうだ。部屋が好きなのも含めてな…続き頼むぜ、アサマ」
『では、貴方は会長に勝つ自信もあるのでしょうか?』
『無論だ。負けることを想定して勝負を求める様な阿呆でも、己の才覚を過信する凡愚でもない』
『言い切るねぇ。最近調子でもいいのかい?』
「お?いいぞ会長サマ」
「嬉しそうね、シリウス」
『…普通だ。特段これといった問題もない』
「クソっ!絶対強がってやがる。私には分かるぞ!」
「落ち着きなさい。そんなもの向こうも百も承知よ」
「は?」
『いいや、そんな事はないですよね?ルドルフ。最近はリギルでもトレーニングに制限をかけられているではありませんか』
「これ、あいつか。リギルの先輩の…」
「トウショウボーイね。大変優秀だと聞いているわ」
「そりゃやっぱり…」
「アサマさまからよ」
「…結構話してるもんなんだな。だが、こりゃいい。ルドルフも同じチームのやつに指摘されりゃ今の態度は無ぇだろ」
『…普通だ。トレーナーが心配性なだけだ』
「おい、どれだけ強情なんだ!」
「弱みを見せる姿には無縁と思っていたけど、ここまでとは知らなかったわ」
『………シンボリルドルフ。少し、訊かせておくれ』
『なんだ?』
『あんたは今、なんのために走りたいと願う?』
『走りたい理由?決まっている。オレが最強であることを示すためだ』
『その最強は、なぜ示したい?』
『なぜ、だと?強くあることに理由が要るか?』
『要る要らないじゃない。在るのさ』
『…』
「…気にしたことも無かったな。ルドルフがああなった理由。プライドじゃねぇのか?」
「まだ幼い頃は、もっと理性的だったものね。今の情熱と冷酷が混沌とした目の方が私は好きだけど」
『…それは、言えん』
「ちょっと待て、理由があるのか!?なんとか訊き出せ!」
「どうかしら。私たちの願いはあくまで三つよ」
『そうかい。理由次第では勝負してやらんこともないかと思ったけどね』
『なに?』
『あたしはそんなすぐ引っ掛けられる安い女じゃないのさ。もう』
『くっ…!』
『口を挟んで申し訳ございません。とは言えルドルフ、おすすめはできません。トレーナーが貴方の走りを制限しているのは、脚の問題でしょう?それが解決するまでは…』
『トウショウボーイ、お前どこまで知っているんだ!?』
『同じチームなのですよ?知っていますとも。』
『脚になにか故障が?』
『そこまでではないでしょう。ただ、身体が出来上がる前の今、あの負荷をかけ続けるには不安があるのでしょう。
少し事情は違いますが、私も同じでしたから』
『同じだと?』
『私も元々、体格の割に筋肉が薄く競走能力が不安視された時期がありました。
そんな周りの目を認めたくない私はガムシャラに走っていましたが、やはり無理が祟りました。
そんな時に出会い、支えてくれたのが今のトレーナーです。
おかげで、デビューを目指せるまでの身体に仕上げてくださいました。感謝しかありません』
『…』
「…」
「…」
『あのトレーナーが今、徹底管理の元ルドルフの面倒を見ているのはそういった課題があるからでしょう。
恥ずべきことではありません。むしろ、それを隠して己を押し殺すことが、後に自分で恥ずべきことだと気づくでしょう。
若輩は頼れるうちに頼るものです。別に次競うまでに万全にすれば良いだけではありませんか』
『…そうか。そうだな』
「…」
「…」
『オレは今、左脚の付け根の状態が思わしくない。あのトレーナーとの最初の会話もそれが議題だった。
……はっきり言って、屈辱でしかなかったよ。自分の身体に欠陥があると突きつけられたようでな。そんなもの、恥以外の何だという。周りに言うなど言語道断だ』
『はあ、なんだい。そんなことか』
『「は?」』
「ふふっ」
『青いのが一丁前に語んじゃないよ。生まれ方を恥じてちゃ世話ないね。どうしようもないだろう。
恥じるなら生き方だよ。あんたはこれからだろうが。ええ?』
『…それは、そうだが』
『ならシャキッとせんかい。あーなしなし。事情次第じゃ理由言わなくても併走くらい受けようかと思ったけど、とりあえずそのカラダと心整えてくるんだね、ぼっちゃん』
「あははははは!!!!暴君サマ、ぐうの音も出ねぇじゃねぇか!!」
「やはり、ここで頭を張るだけはあるわ。あの方の愛、底が見えない」
『なら待っているがいい。お前の玉座もオレが壊す』
『良い眼じゃないか。あたしももう少し若かったら危なかったね』
『…会長には敵いませんわ。急に張り詰めるのですから、此方は恐ろしゅうございました』
『悩みが解決したのならよろしいです。皆、心配していたはずですよ。特に、貴方のシリウスシンボリとか』
「上手ぇが、誰が『貴方のシリウス』だ」
「間違いでは無いでしょう」
「ああ?」
『シリウス…?奴が何か言っていたのか?』
『…いいえ。ただ、この頃、共にいるところを見かけませんでしたので』
『そうか…ふん、模擬レースも開催されていたりで奴も必死のはずだ。未だトレーナーもついていないからな』
「…言ってくれるじゃねぇかよ、おい」
「事実よ。目くじら立てる必要はなくてよ」
「チッ」
『…奴の模擬レース、見ていたんだ。どんどん走りが洗練されているのが分かる。優秀なトレーナーがつけば、もっと伸びるだろう。奴には素質がある』
「…っ!?」
「あら」
『奴と約束したのさ。世界の舞台で首を獲り合うと。奴はオレに夢を見ている。立ち止まっているオレの姿など、見られたくない…!』
「ルドルフ…」
「…」
『…幸せ者ですね、シリウスシンボリというウマ娘は』
『ええ、そうでしょうね。直接言ってあげたらどうでしょう?』
『バカ言うな!口が裂けても言わん!』
『世界ねぇ。最強を志すんなら、やっぱチラつくのかねぇ』
『シンザン…?』
『なんとなくだよ。なんとなく、あんたが最強を示したい理由がわかった気がするよ。ま、言わないけど』
「なんで焦らしやがるんだ」
「私たちに向けて話していないからよ」
『そこで提案なんだけど…シンボリルドルフ、あんた、生徒会に来ないかい?』
「「!?」」
『何を、言ってる?』
『言葉通りの勧誘さ。鼻につくけど能力は高そうだし、今後を託せるカリスマもある。
…どうだい?』
『…回答は保留とさせてくれ』
『けっ…まあ、いいよ。別に急ぎでもないから、よぉく考えな』
「まさか、直にスカウトするなんてな…」
「どうなのかしら?入ったらつまらない娘になる予感がするわ」
「そりゃどういう…?」
『正直まだ仕事残ってるから今決めてくれりゃ手伝わせられるんだけどねぇ』
『まさか、それだけのためか?』
『これだけってことはないさ。7割ほどだよ』
『貴様…!オレを雑用にする気か!無礼るな!表に出ろ!』
『じゃあ、理由』
『くっ…!』
「会長サマ、ルドルフの扱い上手いな」
「そう?かなり単純だと思うのだけど」
「そりゃアンタだからだ」
『そういえば、あの話が片付いておりません。寮の予算…』
『ああ、そういやそうだ』
『双方の要望を叶える余裕はない。かといって、片方だけに泣き寝入りを強いるなど美しくないわ』
『理事長には掛け合いましたか?』
『もちろん。答えはノーだったよ。全く、最近賑わってんだから余裕あるだろってねぇ?』
『そこでなのですが…レースで決めませんか?』
「…ああ、そういうこと」
「え?なんだラモーヌ。知ってるのかよ?」
「朝、聞かれただけよ。寮の予算の割り振りをどう決めるかと」
「は?じゃあレースで決めるってのは…?」
『春シーズンの総決算・宝塚記念の後、7月の上旬に栗東寮・美浦寮対抗のレースを行うのが最良かと』
「いや、これアンタの発言で決まってないか?」
「言うと決めたのはアサマさまよ」
「いや、そういう問題じゃ」
『よし、じゃあそうしようか。トウショウボーイ、テイタニヤ。あたしは理事長に伝えてくるから、ポスターとお便りでも刷っといて』
『かしこまりましたわ。では、その通りに』
『では、これでお終い』
『ん?アサマ。何か言ったか?』
『こちらの話でございます。即座のご判断、ありがとうございました』
『へへへ。コダマさんに怒られたくないからね』
ガチャ。ツーーーーーーーーーー。
「「…」」
2人の沈黙はしばらく続いた。
「…満足そうね、シリウス」
「…どうも。とりあえず、トレーニング行かねぇとな」
「寮の設備には不満ばかりよ。なんとしても勝つわ」
「それはそうだな」
2人はほとんど同時に、鞄からジャージを引っ張り出した。