ウマ娘Frenzy Stars   作:薄暮ターフ

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第十三話 青い音は、未だ軋む

 

「やっぱ、このレースって先輩たちが出るよね…?」

 

「そうだよね…私たちじゃ絶対…」

 

「どうしたお前ら?掲示板の前に突っ立って」

 

「「る、ルドルフ様!?」」

 

 昼の放課。何やら学園内が騒がしくなっている。耳障りなその声を拾う耳のせいで、借りた本を読み切りこそしたが全く余韻を感じられなかった。

 …とりあえず聞いて回ることにしたオレは目の前の同級生を2人捕まえて話しかける。

 

「何か掲示されているのか?」

 

「ひいいいいいい!!!!」

 

「落ち着け。どのみちオレからは逃げられん。答えるんだな」

 

「ひいいいいいい!!!!」

 

「くっ…」

 

「ノンノン☆そんなMK5な顔じゃチョベリバよ!ほらもっと笑顔笑顔!」

 

 なにやら俗世の権化が現れた。時代というものを煮詰めすぎたような声だ。声のする後ろの方を振り返ると、そこにいたのは見知らぬウマ娘。

 たっぷりとボリュームを盛った鹿毛のロングヘアー。後頭部には黒いリボンが見受けられ、ゆるい縦ロールが特徴的だ。

 この階にいることから、彼女はおそらく同学年。しかし、気安い年長者のような振る舞いというか、ラモーヌとはまた別ベクトルの大人びた印象だ。

 

 …というか笑顔だと?オレに?なぜそんなことしなければならんのだ?

 

「あたしはマルゼンスキーよ。よろしく!

 

 それで、何を見てたの?」

 

「え?ああ、えっと…これです。『寮対抗レース』。」

 

「12レース、それぞれの寮から実績レベルごとにメンバーを選抜して走るみたいです」

 

「それで勝った方に優先的に今期の予算が振り分けられるみたいです」

 

 ならばなぜレースの数が偶数なんだ。

 

「短距離、マイル、中距離、長距離…ダートは無いのね」

 

「あくまで中央の芝という条件か…いいだろう。

 

…貴様らはどちらの寮の所属だ?」

 

「え?美浦寮ですが…」

 

「そうか。オレがいる以上、美浦の敗北は許さん。最善を尽くして勝利を捧げろ」

 

「「ええええ!?!?」」

 

 優れた資質は、優れた環境で育まれてこそだ。負けた上にそれさえ奪われるなど屈辱以外の何者でもあるまい。断固として阻止する。

 しかし、妙だな…目の前の2人はなぜそんなにも動揺する?

 

「なんだその反応は…?まさか、勝てないとでもいうまいな?」

 

「ち、違います!そもそも出られる訳ないじゃないですか!?」

 

「なに?」

 

「わたしたちみたいな実力もないひよっこなんて、見学して終わりってオチですよ…先輩達が出走するに決まってる」

 

「まだ決まった訳じゃないでしょ?そんなにしょげないの」

 

「わたしまだトレーナーだってついてないし…」

 

「…。だ、ダメダメ!そんなこと言っちゃナウなヤングが廃るわよ!あたしたちはまだまだこれからなんだから!」

 

 見る見る意気阻喪していく二人を、マルゼンスキーというウマ娘がなんとか宥めている。彼女らに目線を合わせるよう覗き込んだりジェスチャーが忙しいが、手応えがないと見るや否や、ちらちらとこちらに視線を送ってくる。オレにどうしろというのだ。

 第一、始まる前から相手を喰らう意志を見せんやつに何をしてやれるというのだ。ここ『中央』に来た以上、弱肉強食。その土俵にも立てないやつの行く末など知ったことではない。勝手に消えるんだな。

 

「う、うぅ…なんで、なんでこん、な…弱いんでしょう…わたし」

 

「ちょっと、大丈夫!?」

 

「な、泣かないでよぉ…私だって、悔しいんだから…ひっく」

 

 目の前で泣き始めてしまった。さらにあたふたとし始めるマルゼンスキー。見ている限り、かなり世話を焼く性質のようだが、このように心が折れかけている奴らとの向き合い方には難儀しているようだ。

 

 …周りの視線が少しずつ気になってきたな。人目も憚らず情けなく泣くなど、オレには考えられん。

 

「付き合ってられん。泣いて満足するのなら泣いていろ。オレは行く」

 

「ちょっと!?待ってちょうだい!」

 

 先ほどより、楽観的な感情が消えた声がオレを呼び止める。

 必死になって慰めていたが、どうやらオレにも寄り添ってもらいたかったようだ。

 

「…マルゼンスキーといったか」

 

「…ええ、そうよ」

 

「覚えておくんだな。半端な優しさなど、なんの役にも立たん。ただ残酷に夢を追わせて潰えるだけだ。

 お前たちも勝つことに執着できず泣くだけなら此処にいない方がいい。退学を勧める」

 

「そ、そんな言い方はないじゃない、ルドルフちゃん!」

 

「中央を無礼るなよ。どんな動機で此処に来たかは知らないが、此処は一つの輝かしい未来のために数千の夢を犠牲にする世界。勝ちたいと口にすることすら恐れるのなら、初めからその土俵に立つな」

 

 そう切り捨てる意思を見せたオレは、そのまま歩みを進めた。マルゼンスキーから呼びかけられることはなかった。

 あの程度の言葉で走ることを辞めるなら、それまでだ。オレに言われずとも、いずれ誰かに叩き潰される。その時が少し早まっただけのこと。

 余計なことで時間を使ったな。目的地は教室、荷物を取りに行かなければ…。

 

「おお!そこにいるのは、我がリギルのオクタヴィアス、ルドルフではないか!?」

 

 大仰な台詞、芝居じみた言い回しがオレの耳を劈く。なんでこの階に…!?

 

「どうした?メイズイ」

 

「『どうした?』だって…?

 

 無論、このプリマは我が生涯を謳歌しているのさ!!この世界は我が舞台なのだから、立ち振る舞いを欠いては我に、そして世界に失礼というもの!」

 

「そうではない。何故此処にいるのかと訊いているんだ」

 

「なんだ、そっちだったかい。

 

 …リギルにて会議を行うそうだよ?議題は『寮対抗レース』だ」

 

「そうか…後ほど行く」

 

 流石にあの男が今回のレースの件をスルーする筈は無いか。さて、オレとしてはいい加減出走して強者と出会いたいが…オレはまだデビュー前のウマ娘。おそらく重賞クラスの猛者と走ることはないだろう。相手は未勝利か、デビュー前のウマ娘。先輩もいるだろうが、条件だけならあそこで泣いていた奴らも候補だ。

 

 …退屈だな。

 

「では待っているよ!我らがオクタヴィアスよ!!」

 

 オクタヴィアス…のちの皇帝、アウグストゥス。シェイクスピアで有名だな。オレの名はルドルフなのだが…

 右耳に緑のリボンを巻いた薄紫の帽子を被り、セリフ一つ一つに腕と溌剌とした茶色の髪を躍動させるメイズイは、リギルのメンバーの中でも一際クセの強いウマ娘だ。

 

 話していて疲れるのであまり話したくはない。

 

 …さて、向かうとするか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…来ましたねぇ。キミが最後ですよ?」

 

「主役は遅れてやってくるものだろう」

 

「確かにそうだ!!一番遅く登場するため、このプリマは一度退出させてもらう!!!」

 

「バーカ!主役はこのカピテーヌに決まってる!!メイズイはこの船のマトロなんだから!!」

 

「小うるさいこと。いいですか?ルドルフ。

 

 わたくし共のような淑女は、このような輩など慈しみをもって鼻で笑って差し上げればよいのですわ」」

 

「うるさいトウメイ!」

 

「はあ!?うるさいのはそっちでしょ!?」

 

「お、お三方!どうか落ち着いてください!!」

 

「…」

 

「…騒々しい」

 

 入室するなり誘爆していく火薬庫。徹底管理主義の下、整然としたリギルの部室は、一瞬で火の海になるような錯覚を覚えた。

 椅子が転がる音。机をバンバン叩く音。ガミガミと言い合う声。その中で高笑いが突き抜けて響くメイズイ。諌めるため身体が忙しなく動くトウショウボーイ。

 扉を開けてから一歩も進めないオレを差し置いて、騒音の主犯格3人の諍いは続いた。

 

「…うーん。どうしようかなー…」

 

 資料を見つめて、独りごちるトレーナー。

 

 このバカ騒ぎを止めろ。

 

「鎮まれ!」

 

 しかし、その状況を一声で静かにさせたのは、座って会議の開始を待ち続けていたタニノチカラだった。

 腕組みをした上腕を指でとんとんと叩いている。かなりストレスの溜まる時間だったようだ。

 

「いい加減にしたまえ。吾輩は用事がある。話ならば早急に、この昼の放課が終わる前に終わらせてもらいたい」

 

「おや、タニノチカラ。この我らのエチュードをも上回る、魅力あるシーンが待っているのかい?ならば、このプリマも同席しよう!」

 

「…それは困る。遠慮させていただこう」

 

 眉を顰めるタニノチカラ。プライベートにズカズカと主役面で押し入ろうとするメイズイを拒絶するように、彼女から目線を外した。

 タニノチカラは話していて疲れない。端的な会話しか交わしたことはないが、このチームの中では常識的なやつだ。トウショウボーイも然りだ。

 問題は爆心地と、その模様をニコニコとトレーナーの横で見ているウマ娘だ。

 

「…おや、静かになりましたね。じゃ、始めましょうか。今回の会議は寮対抗レースについて。今のところ出走したい娘います?」

 

 タニノチカラ以外の全員が手を挙げた。無論、オレもその1人だ。

 

「なるほど…まあ、スケジュールは落ち着いてるからみんな走りたければ走ってもらっていいんだけど…問題はルドルフかな?」

 

「…なに?」

 

「とりあえず、『約束』は守ってもらわないとね?」

 

 『約束』…あの余計なお世話のことか?トレーニング制限だの、日頃のスケジュールを提出しろだの…どうやらオレの身体に驚くほどご執心らしい。

 

「今のキミの身体に高い負荷はかけられませんからねぇ。出走は認めますが、ペースはこちらで指定します。仕掛けも禁止。今回は実戦形式の調整だと思ってください」

 

「…ああ」

 

「あと、ミスターシービーが出走するレースも無しね?」

 

 は?

 

「どういうつもりだ?オレに奴を避けろと?」

 

 それは話が違ってくる。オレが誰かを恐れて回避するような振る舞い、していい筈が無いだろう。

 

「悪いが勝負から逃げるような真似などできん。奴とは決着がついていないんだ」

 

「そうなるからダメっつってんの。今のキミが彼女と競り合ったら、どこまで無茶するか分かったもんじゃない。取り返しのつかないことになってからじゃ遅いんですよ」

 

「…」

 

「悪いけど『管理』を銘打ってるチームですからね。指示には従ってもらうよ?」

 

 さぞ不服そうに見えたことだろう。歯軋りを隠すように口を結んだオレは、乱雑に椅子を引いて座った。

 

「でも、守らせるばっかりじゃ、もう一つの『約束』にボクが背くことになっちゃいますからねぇ。トレーニングは段階的に戻していきましょうか」

 

「…分かった。具体的には?」

 

「フォームの確認と持久力の強化を中心に。強い踏み込みや急加速を伴うメニューは、まだ禁止です。負荷はボクが決めます。自主トレも引き続き厳禁」

 

「…了解」

 

 従うとしよう。普段は道化じみた口調だが、オレの身体の話になると空気が変わる。それなりに真剣な証だろう。

 どんなに軽薄そうでもトレセン学園のトップのトレーナーだ。その助言すら切り捨てるほど、オレのプライドは先行する訳ではない。

 

「じゃ、他のみんなね。フォーレルはどうしましょう?」

 

「カピテーヌは中距離」

 

「りょーかい。トウメイは?」

 

「わたくしはマイルですわ!」

 

「りょーかい。メイズイは?」

 

「我も中距離が良い!!」

 

「OK。じゃ、栗東のフォーレルと美浦のメイズイが重賞クラスで対決、ってことですねぇ」

 

「どちらがリギルの顔なのか…今一度教えてやろう!!」

 

「へ〜。楽しみにしとくよ、マトロ。ティモニエはどっちが勝つと思う?」

 

「今回の中距離ならメイズイに軍配ですかねぇ。タフな展開になればフォーレルの勝ちが濃厚かも」

 

「あっそ。まあ、本番になれば分かるかなっ!」

 

 リュウフォーレル、トウメイ、メイズイ。

 会議が始まる前に大暴れしていた3人だが、滞りなく出走希望が決まっていく。

 実績を残し、トゥインクルシリーズを走り抜けたウマ娘だ。己の実力や適性をよく把握しているからこそだろう。

 

「あと、トウショウボーイとルドルフですねぇ。どうしますか?」

 

「だけではありません、あるじ様。私も出走させていただきたく存じます」

 

「…ごめんよ、コレヒデ。…長距離?」

 

「ふふっ、ええ」

 

 皆が座る中、一人、トレーナーの左後ろに控えているというのにトレーナーの意識から外れるとは…なんと哀れな女なのだ、コレヒデ。

 確かに自己主張の激しい奴らの中では存在感の大きなウマ娘ではないが、その実力はリギルに名を連ねるのも納得のものだ。

 

「私は…中距離でお願いします」

 

「あれ?そうですか。ボクの記憶が正しければ、マイルの方が向いてると思ったんだけどなぁ」

 

「おそらく、未デビュー・未勝利クラスのレースならば、彼女が出てくるはずですから…」

 

「…なるほどぉ。負けるのは許しませんよぉ?ただでさえパートナーくん煽り倒してきちゃったんですから」

 

「貴方の都合は知ったことではありませんが」

 

「うわ辛辣ですねぇ」

 

 とは言いながら、くつくつとトレーナーは笑っていた。やはり、普段の優等生然とした姿よりも、その鋭く切れ味のある目の方が好ましいぞ、トウショウボーイ。

 

「さて、ルドルフ。キミはどうしますか?」

 

「…今回は長距離を希望する」

 

「いけます?デビュー前としてはかなりハードな条件だと思いますけどねぇ」

 

「誰だと思っている?」

 

「…まあ、『約束』守れるならいいですよ。長距離ね。話は以上。では解散!」

 

 全力を封じられた以上、瞬発力で勝負を決めることは難しい。ならば、持久力とペース配分を試すほかあるまい。

長距離ならば、その二つを嫌というほど確かめられる。

 

 ……無論、勝つつもりだがな。

 

 実感するなら、スタミナをより強固にすることを目的としよう。

 

 手をぱちんと合わせて、会議を締めるトレーナー。しかし、気になることがある。

 

「タニノチカラはいいのか?」

 

 今回、唯一出走する意志を見せなかったタニノチカラ。天皇賞の勝ち抜け制もあり大目標が無く休んでいた春シーズン、実力の確認にも使えるであろうこのレースに出走しない理由が、オレには分からなかった。

 

「…そうだな。今回は見送らせてもらう」

 

「出なければ、栗東寮の戦力はかなり削がれると思うが」

 

「かもしれんが、栗東にも強者はいる。そう簡単に負けなどしない」

 

「分かってんじゃんタニノチカラ!このカピテーヌに任せときなって!!」

 

「今後の予定を崩してまで走るつもりはない。長く走るには、そういう判断も必要だ。それが姉さんとの約束なのだ」

 

 『約束』か。

 

「…そうか。では、とやかく言ってすまなかった」

 

「結構だ。先に失礼する」

 

 軽い会釈をしてタニノチカラは真っ直ぐに部屋を出ていった。普段の泰然とした印象からはあまり考えられない様子だった。

 そこからは、各々の過ごし方へと切り替わっていった。

 

「では、マトロが待っている!待っていろ!!」

 

 リュウフォーレルは窓から飛び出し、その辺りに落ちていた木の棒を掲げて走り去った。

 

「では、このプリマを待つ愛しき観客諸君の下へと参ろう!!スターレット、いかがかな?」

 

「私は生徒会に用事があるので…」

 

「そうか、ではまた会おうではないか!!この星の下へ〜!!」

 

 回転の加わったステップでメイズイが消える。それを見届けたのち、トウショウボーイは手早く荷物をまとめて退出した。

 トレーナーもとっくに部屋からいなくなり、残っているのはコレヒデとトウメイ、そしてオレだった。

 今のオレは少し同世代の連中に苛立っている。あまり向こうに戻る気はしない。食事もここで済まそう。

 そう考えていると、コレヒデは机に豪勢にみえる弁当を広げた。

 

「お腹がすきましたわ。

 

 …あら、コレヒデ。この唐揚げもらってもいいかしら?」

 

「ええ、結構でございますよ」

 

「ほんと!?いいの!?」

 

 目を輝かせながらコレヒデに目を向けるトウメイ。

 高等部とは思えない小柄な身体と、普段の取ってつけたお嬢様口調ではとても手綱を引けたものではないじゃじゃウマっぷり。一言で言えば、幼いウマ娘だ。

 実際、コレヒデから唐揚げを貰おうとする姿は幼子といって差し支えない。

 対してコレヒデは、自分が給仕であるかのように振る舞う。トレーナーを『あるじ様』と呼び、何かと身の回りの世話を焼きたがる。

 そのためか、お嬢様気取りのトウメイと、給仕気取りのコレヒデは何かと一緒にいる時が多い。

 独立した個が集まるリギルとしては、かなり珍しい光景だ。

 

「ふっふ〜ん。じゃあ、これ!!」

 

 テンションが上がったトウメイは唐揚げに手を伸ばす。淑女は唐揚げを鷲掴みにはしない。

 

 ……おい。

 

 一個ではないのか?何故すべて持っていく?

 

「ふふっ、唐揚げは逃げませんよ?」

 

 にこやかにそう言うコレヒデ。控えめな性格はトウメイの気ままっぷりを助長していると思うが、それを受け入れているからこそ相性が良いのかもしれない。

 

「いただきま〜す!!」

 

 ぱくっ!

 

「う、うええええええええええ!!!!ナニコレ!!ナニコレえええ!!!」

 

「いっ、如何されましたか!?!?」

 

 ……当然だろう。

 

 あの油の量、妙な色合い、剥がれかけた衣。どう見ても不味い。

 何故あれを平然と振る舞えるのだ、コレヒデ。

 だからあくまで気取りなのだ。実が伴っていない。あのお節介がオレには向かないことを祈る毎日だ。

 逆に常に向けられているトレーナーには同情する。

 

「る、るどるふ!!水を持ってきてあげてください!!」

 

 …やれやれ、扉を出て左の方だったな?水道は…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 許可が下りたその日のうちに、早速トレーニングを再開した。久々に手応えのある負荷だった。

 

 やはり、呼吸はこうでなくてはな。

 

「では、今日はここまでにしましょうかねぇ」

 

「…そうか、わかった」

 

「おやおやぁ?聞き分けが良くなりましたねぇ!!以前ならば、『巫山戯るな。まだオレはやれる』とかなんとかカッコつけてたと思うんですがねぇ」

 

「焦るだけ無駄だ。今のオレにできる最善の判断をしてくれるのだろう?そう信じている」

 

「…期待には応えますよ。では、身体を冷やさないように」

 

 普段の言動もあって信用はしていない。だが、トレーナーとしては信頼している。

 その旨を伝えたら、奴は顔を背けてそのまま立ち去ってしまった。

 

 …ストレッチをしてから戻ろうか。

 

「あら、ルドルフちゃんじゃない」

 

 芝の上に伸びた、ぼやけた影。しかし、その髪のボリューム感は記憶に新しかった。

 なにより、聞き覚えのある声だった。纏う雰囲気は昼に聞いたものとはかなり印象が変わっていたが。

 

「もうあの調子のいい喋り方はしないのか?マルゼンスキー」

 

「おねえさん、ちょっと怒ってるのよ?」

 

「ふっ、オレがああ言っても答えは変わらんか。ならそれでいいだろう。オレもあの時の発言を取り下げるつもりはない」

 

「…」

 

 未だ背を向けて会話しているため、どんな顔かは知らない。しかし、あの時のような笑顔は全く想像できなかった。

 

「あたしと走ってちょうだい、ルドルフ。今あたしマジなのよ」

 

「ふん。仲良しこよしを求めるような甘いウマ娘の走りなど、たかが知れている。

 

 分かったなら去れ。オレは走らん」

 

「あたしは速いわよ。誰よりも」

 

 言い切った。オレの目の前で。

 その芯のある言葉を聞いて、オレはやっと振り返った。

 

 …成程。どうやら出まかせではないらしい。

 

「あたし、走るのが大好きなの。風を切って、誰よりも速く駆け抜けるのが、たまらなく楽しいのよ」

 

「……それがどうした」

 

「勝ち負けだって大事でしょうけど、ルドルフ。勝つことだけが走る理由じゃないでしょう?」

 

「……何が言いたい」

 

「あの子たち、弱い自分が悔しくて泣いてたのよ。走りたくないから泣いてたんじゃないわ」

 

「ならば走ればいい。泣いたところで速くなるわけでもあるまい」

 

「そんなこと、あの子たちだって分かってるわよ!」

 

「分かっていてなお、立ち尽くしているのだろう?ならば同じことだ」

 

「違うわ。悔しくて、怖くて、それでも走りたいって思うことまで、あなたが否定する必要はないじゃない!」

 

「否定などしていない。勝負する意志を見せろと言っているんだ」

 

「だったら、どうして退学しろだなんて言うのよ!」

 

「勝てぬと決めつけ、挑む前から諦めている。そんな奴が中央で何を成すというのだ!」

 

「……まだ決まってないじゃない。あの子たちが、これからどうなるかなんて。あなたにも、あたしにも、まだ分からないでしょう?」

 

「ふん。随分と呑気なものだな。そんな夢物語に付き合うつもりはない」

 

「……そう」

 

 マルゼンスキーの声が低くなる。

 

「あたしと走ってちょうだい。走れば分かるわ。あなたが知らない、走る楽しさってものを」

 

「笑わせるな。オレに走る喜びを説くつもりか?」

 

「ええ。だってあなた、勝つことしか見てないんだもの」

 

「……言ってくれる」

 

「そんな寂しい走り方、あたしは認めないわ」

 

「……貴様に認めてもらう必要などない」

 

「自分が強いからって、他の子の夢まで踏みにじっていいわけじゃないのよ!」

 

「夢だと?勝つ覚悟もない奴らの泣き言を、夢などと呼ぶな!」

 

「ふざけないでちょうだい!!」

 

「此方の台詞だ!!甘えたことを吐かすなバカが!!」

 

 互いに一歩も退かない。

 目の前にいるというのに、どこまでも遠い。

 マルゼンスキーは荒い息を整え、真っ直ぐにオレを睨みつけた。

 

「……認めないんだから。そんなの…」

 

「……」

 

「走ってちょうだい、ルドルフ。その考えだけじゃダメって教えてあげるわ」

 

 トレーナーと約束した。自主トレは厳禁と。

 

 だが、此処で退いたら、オレはオレでなくなる。

 

「……いいだろう」

 

 

 

 

 

「少し目を離したらこれですか」

 

 

 

 

 

 

 ちッ。タチの悪い男だ。

 

「全く…遠くから自主トレしないかどうか見てましたが、まさか併走を受けかけるとは…」

 

「ここで退くなど、認められるか!」

 

「落ち着けクソガキ」

 

 爆発した怒りが握り拳をつくる。爪が手のひらに食い込んだ。

 

「貴様…!」

 

「キミが夢を望むのなら、その併走を受ければいい。けど、キミが現実を望むのなら…言うことを聞きなさい」

 

「黙れ!」

 

「『誰がトレーナーでも勝てる』…そんな周りの妄言を信じるのならば、ご自由にどうぞ」

 

 その言葉にはっとする。

 

 頭を殴られたような感覚だった。

 

 ……何をしている。

 

 オレは、何を証明する為に走っている。

 

 目の前の一戦に全てをかけてどうする。

 

 …そうだ。オレは今の為に走ってはいけない。

 

 

 爪が食い込んでいた掌を、ゆっくりと開いた。

 

 

「…良い判断です。

 

 …すみませんがマルゼンスキー。彼女と走るのならばアポイントをとってからでお願いしますねぇ」

 

「…あたしを知ってるの?」

 

「当然でしょう。『カノープスの新入生』。あのファンボーイのアクションなど、見逃せるはずがありませんからねぇ」

 

 顎に手を添え、にやつきながら喋るトレーナー。

 

 カノープス…トレセン学園のチームの3本柱、その一角。

 

 …入学して間もない今、チームに入っているということは相応の素質を見込まれているということだ。

 どうやら、マルゼンスキーはそこらの有象無象とは一線を画すようだ。

 

「うちのルドルフと走る際は、事前に申しつけてくださいねぇ。こちらとしても管理が重要なのでね」

 

「…わかったわ」

 

「それに、この娘そんなバカじゃないから、話し合いでなんとかなると思いますよ」

 

 マルゼンスキーの呼吸は、落ち着きを取り戻していった。しかし、目に宿る力が抜けることは無く、未だオレに対する怒りはそのまま抱いているようだ。

 その視線を察してか、トレーナーがオレに耳打ちする。

 

「…発言には責任を持ちなさい。キミの予定は『日本のウマ娘を潰すこと』ではないでしょう?」

 

「…ああ」

 

「そこで隠れて見ている2人も、件のウマ娘でしょう。なんとか話をつけなさい。

 

 …譲る必要は、無いと思いますが」

 

 そういって、またトレーナーはその場を後にした。よく気づいていたなと感心すると同時に、オレが鈍いだけなのかとも思う。奴の監視に気づかなかったからな。

 

 …また覗き見ているだろうか。

 

 いや、もうそんな真似はしないだろう。奴はオレを信じてくれているはずだ。

 

「そこの2人、出てこい」

 

「…は、はい」

 

 力のない返事だ。目尻は赤い。どうやらすんなり枯れ果てるような思いでは無かったようだな。

 トボトボと歩いてくる2人。あの掲示板の前で泣いていたウマ娘だ。ターフに降りてくる彼女らに、マルゼンスキーは駆け寄っていった。

 

「来なくても大丈夫よ!おねえさんがなんとかするから!」

 

「マルゼンさん…ありがとうございます。でも、ここは私が行かなくちゃ」

 

 マルゼンスキーの制止も振り切って、1人オレの目の前に立った。

 

「悪いが、先程も言った通りあの時の発言を取り消すつもりは断じて無い」

 

「…いいよ、そんなの。別に望んでない!!あんた倒したいってそれだけ!!!」

 

「そうか…」

 

 充血しているが、さっきよりも鋭い目をしている。あのトウショウボーイの目を思い出した。

 

 …試させてもらおう。

 

「オレは長距離のレースに出走する」

 

「…え?」

 

「デビュー前のウマ娘ならば、出走希望者の少ない条件だろう。オレが出ると聞けば余計減るだろうな。

 

 その目が本物ならば、オレを殺しに来い。だが、まずは今回のレースに出てみせろ。

 そこまでできたなら、考えを改めはしないが、貴様に退学を押しつけたことは謝ってやる」

 

「…頑張る。でも、この出走枠の狭さじゃ入れないかもしれないし、その時は…」

 

「まずそこか…なら、生徒会に掛け合ってきてやる。未デビュー・未勝利クラスの短距離、マイル、中距離の3つを改めて追加した15レースにしろとな」

 

「「…はいっ!?」」

 

「前から疑問に感じていた。奇数にしなければ勝ち星が同数になる可能性があるだろう。

 それに、長距離を走るほどの力を持っているウマ娘は少ない。皆中距離・マイルに行くはずだ」

 

「い、いやいや!そういうことじゃなくて!!」

 

「なんでわざわざそんなこと…」

 

「出れず悔やむのなら、出る意志を見せた上で最善を尽くしてからにしろ。枠は広げてやる。掴むかどうかは貴様ら次第だ」

 

 はぁ…言ってなんだが、面倒事を作ってしまったな。しかし、安請け合いでもない。

 説得の材料ならいくらでもある上、いざとなればコダマを使ってシンザンを脅せばいい。

 コダマの説得ならば容易な筈だ。引き分けで幕引きなど、彼女のシナリオには存在してはならないだろう。少なくともオレにはそういった奴に見受けられた。

 

「でも、勝てるでしょうか?今のわたしたちに…」

 

 オレの目の前に立ったウマ娘の片割れがそう零す。未だその意識は拭いきれていないようだな。昼の時の冷え切った思考が頭をもたげるが、それでは駄目なのだろう。

 

 

 

 

『発言には責任を持ちなさい。キミの予定は日本のウマ娘を潰すことではないでしょう?』

 

 

 

 トレーナーの言葉が蘇る。

 

 仕方あるまい。オレが塵に等しい奴らに勝とうが、意味のないこと。そして、オレ1人だけの勝ち星で、今回の勝負は勝てるわけではないからな。

 

 呼吸置く。

 

 できる限り、声に苛立ちを乗せぬよう努めた。

 

「ならば、オレがトレーニングを見てやる。自主トレの際はオレを呼べ。徹底的に鍛えてやろう。他に悩む奴がいたら呼んでこい。勝つ意志があるなら考えてやる」

 

「…え?」

 

「よ、よろしいのですか?」

 

「二言はない。拒むのならば知らん。好きにしろ」

 

 自主トレを禁じられた今、オレにできる研鑽は限られている。

 他人の走りを観察し、欠点を見抜き、理論を実践に落とし込む。悪くない勉強になるだろう。

 

「も、もちろん、ややややります!!やらせてください!!!」

 

「わ、わたしも!」

 

「よし。ならば先ほどのような泣き言は二度とオレの前で言うんじゃないぞ。分かったな?」

 

「「はい!!」」

 

 その目は暗澹としたものではなくなったようだ。

 

 …やれやれ、何故オレがこんなにも気を揉まなければならないのだ。況してや、このような凡庸な者どもに時間を割くなど…

 

「じゃ、じゃあこの日…」

 

「私はここ…」

 

「いいだろう。だが、オレはお前らのトレーナーでは無い。見る面倒も少しだけだ。いいな?」

 

 毒気を抜かれたような顔で、マルゼンスキーはオレを見ていた。

 

「では行け。失望させてくれるなよ?」

 

「「はい!!!」」

 

 そのまま走り去っていった。踏み込み、フォーム、トモの発達…中長距離は望めるが、長距離は厳しいな。

 

 果たして、奴らと相見えるときは来るのだろうか…

 

「どういう、風の吹き回しかしら…?」

 

「何がだ?」

 

「いや、急に優しくなったから」

 

「優しさではない。オレの見立てが誤りかどうか、確かめたくなっただけだ。

 お前の言っていたことが正しかったかどうかは、奴らが証明する」

 

「そう…ふふっ、そうなのね」

 

「何がおかしい?」

 

「あなた、いつからそういう娘になったのかしら?」

 

 気色の悪い笑みを浮かべるマルゼンスキー。いや、世間一般では優しい微笑みなのだろうが、オレに向けられるそれは、オレにとっては気持ちの悪いものと断じる他ない意図が組み込まれている気がした。

 

「『なった』…?そんなつもりはない」

 

「そう。でも、予定が埋まっちゃったのね。またあたしの相手、してくれるかしら?ルドルフちゃん♪」

 

「ちゃん付けで呼ぶな。気持ちが悪い」

 

「あら、そう?

 

 …じゃあルドルフ、ありがとね♪」

 

「礼を言われることなど、していない」

 

「ふふっ、優しいのね」

 

「さっきも言ったが、優しさなどではない!」

 

「あら〜、そんな仏頂面じゃイケてないゾ☆ もっとスマイル、スマイル!」

 

「…はぁ、付き合ってられん」

 

 ガビーンと謎の言葉を言って、目を見開き、口をあんぐりと開けるマルゼンスキー。

 …リアクションの忙しい奴だ。

 

「あっ、いけない!あたしこのあとチームでケツカッチンなの!じゃ、また会いましょ〜ッ!!」

 

 いつのまにか昼間の調子が戻っていたマルゼンスキー。その後ろ姿は、オレの想像以上の速さで小さくなっていった。

 

「さて、トレーナーに生徒会…行くところが増えたな」

 

 そう呟いて、オレはターフを後にする。

 

 芝を踏む音は柔らかかった。

 

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