ウマ娘Frenzy Stars   作:薄暮ターフ

18 / 18
第十七話 花を戴き、なお遠き空

 

 蹄鉄の具合…問題無い。

 

 柔軟は十分。身体も軽い。

 

 水分も足りている。頭も冴えている。

 

 闘志は滾らす。だが秘めろ。

 

 周りの沸き立つ声を他所に、オレはひたすら己との対話を繰り返していた。

 

 今日は、寮対抗レース…。現在、2勝1敗で美浦寮が勝ち越している。

 まず初めの1200m、1600mは連勝。特に1600mは別格だった。

 テスコガビー。

 あのミスターシービーやカブラヤオーと行動を共にしていたウマ娘だ。

 着差は大差。11バ身を超える隔絶だった。

 

 ……震えたな。あの速度には、心を奪われた。

 

 もはや、実況も言葉に困っていたのが良く伝わる表情だった。

 

 心が躍った。1本、競い合ってみたいものだ。

 

 だが、連勝はそこで終わった。

 まさか、ミスターシービーが栗東寮側へ行き、2000mの未デビュー・未勝利部門にて勝利するとはな…。

 先日、栗東寮のメンバー選抜のレースにて姿を見たという話は聞いていたが。

 

『だって、アタシのほうが速いもん』

 

 実際にオレたちから勝利をもぎ取って行った。癪に障る。あの時のオレへのセリフは強がりでもなんでもなかった訳だ。

 しかも2着はかつてC組にて出会ったカツラギエース。

 オレは一度見た顔は忘れん。どうやら奴も走れるようだ。

 

 奴等に連勝はさせん。迫れば突き放すのが、王者の勝ち方だ。

 

「ルドルフ様。時間ですよ」

 

 今まで、トレーニングを見てきたふたり。先日の出走希望から、『果し合い』という選抜レースに勝ち、長距離にてオレと対峙する意思を、そして実力を示した。

 

『る、ルドルフ様!!私、果し合いで勝ちました!!長距離レースでれます!!!』

 

『わたしも!!ま、まさか出られるなんて…ううう…ここまでありがとうございます!!』

 

 走る前から泣くバカが何処にいるとオレは一蹴したが、奴らの涙腺が鎮まるのは一刻以上の時間を要した。

 

 その後、嬉々として語りながら、「ルドルフ様をわからせる」と言ってきた時はつい己の衝動が顔に現れかけたが、そこは目標を達成した奴ら、そして奴らの可能性を信じたマルゼンスキーの勝ちだ。

 ……ならば、認めよう。見誤ったのはオレだ。勝者に対して、その非を濁すような真似はせん。

 

 だが、それは後だ。レースにおいては別。オレから一つ、ケジメをつけるとしよう。

 

「…そうか。出走前に、一つだけ言っておく」

 

「「…?」」

 

「今後、ルドルフ様と呼ぶことを禁じる。

 

 討ち取る相手だろう?呼び捨てしろ」

 

「そんな、恐れ多いよ…」

 

「そうですよ!」

 

「甘っちょろいことを抜かすな。ここでオレを本気で殺しに来れないのならば、オレは未来永劫貴様らを認めん」

 

 教えを乞う前の、目を腫らしながらもオレに食ってかかったあの時を、思い出せ…

 

「…わかった。あんたを倒す!ルドルフ!!」

 

「わたしだって、負けません!!絶対勝ちます!!るどりゅふ!!!」

 

 …盛大に噛んだな。啖呵が死んだ。

 

「ああ、うう…恥ずかしいです」

 

「…言葉を受け取った。あとは走りで語れ。良いな?」

 

「「はいっ!」」

 

 全く、また丁寧な返事…。殺気を感じんが、今は良いだろう。

 

 激情のターフで、また会おう。

 

 

   ◇

 

 

「よくやりました。ミスターシービー」

 

「楽しかった。こんなにアツくなれたのは久しぶり」

 

「感謝します。連勝を許せば、こちらの士気も下がっていたでしょう。よく食い止めてくれました」

 

「別に走っただけだよ?」

 

 なんか高尚なことしたみたいに言われてむず痒い。でも、さっきまで怖い顔してたコダマ先輩の表情が柔らかくなったから、さっきよりは話してて気が楽。

 

 でも、そんな時間も束の間。次の出走者たちが入場する姿を見て、また険しい表情になった。

 

「出走表を見ましたが…このレースは捨てなければならないでしょう」

 

「…だろうね」

 

「おや、意外ですね。貴方、他レースの出走メンバーを把握していたのですか?」

 

「そんなマメなわけじゃないけど…

 

 次くる子の強さは、多分アタシが一番よく知ってるから」

 

 ルドルフ。長距離に出るって言ってたもんね。ほんとなら中距離で勝負したかったけど…。

 

 楽しみにするから、もっと楽しみにさせて欲しいな。

 

「いいや、一番知ってんのは私だ」

 

 突然の乱入者。柵に体重を預けて佇んだ瞬間、がちゃんと音を鳴らしながら、バーカウンターに滑り込むようにアタシの隣に来るキザなウマ娘。

 

「やあ、シリウス」

 

「ふん」

 

「さっきは楽しかったよ」

 

「イヤミか?」

 

「素直な気持ちだってば」

 

 さっき、2000mで一緒に走ったシリウス。以前会った時も普通じゃないとは思ってたけど、想像以上だった。

 結果は3着みたいだったけど、アタシとの差は半バ身。誰もいない景色もいいけど、それを奪い合ったままなのも楽しい。

 それに、オーディエンスがいると全然違う。こないだの選抜レースも楽しかったけど、こう大きな声を自分の脚でかき消して、夢見心地な風になる感覚が、夢が覚めた後に声が戻ってくるような感覚が大好き。

 

 やっぱ、レースっていいね。

 

「まあ、終わったことだ。いいんだよ。問題は『ルドルフのことをどっちが知ってるか』だな」

 

「そんなに好きなんだ」

 

「違う!!」

 

「違わないでしょう、シリウス」

 

 あれ?いつぞやの…

 

「ラモーヌ…だっけ?」

 

「ええ。そうよ。

 

 シービー、それにシリウス…。素晴らしい愛だったわ。思い出すだけで、体の火照りが…」

 

「妙な言い回しすんな」

 

 以前会った時より、ハイテンションなラモーヌ。

 アタシには分かる。あれはレース狂いの目。

 

 気が合いそう。

 

「では、私は席を外します」

 

 それだけ告げて、コダマ先輩は足早に去っていった。

 

「さて、始まるな…」

 

「…悪いけど、蹂躙ね」

 

「…」

 

 ゲートの準備が整う。

 

 

   ◇

 

 

 静寂。

 

 否。

 

 静かなのは、オレだけだ。

 隣では荒い呼吸が聞こえる。誰かが足を踏み鳴らし、誰かが肩を回す。金具の擦れる音。観客のざわめき。風に煽られる旗の音。

 

 そのすべてが、ゲートの内側へ流れ込んでくる。

 

 ……落ち着かんな。

 

 もっとも、無理もない。

 

 この距離を走り切るには、脚力だけでは足りない。持久力、判断力、精神力。そのいずれを欠いても、最後の直線で足元を掬われる。

 ましてや、相手がオレとあってはな。

 ちらりと横を見る。

 見覚えのある顔が、こちらを睨んでいた。

 ひとりは唇を真一文字に結び、もうひとりは眉間に皺を寄せている。

 

 ふっ。

 

 随分といい面構えになったものだ。

 

 以前なら、目が合うだけで背筋を伸ばし、こちらの機嫌を窺っていたというのに、今や虎視眈々。オレの首を狙う気概だけは、仕上がっているようだ。

 

「……負けませんから」

 

「……勝つ!」

 

 小さな声が、続けざまに届く。オレは正面を向いた。

 

「望むところだ」

 

 扉が閉まる。

 

 金属の震えが、足元まで伝わった。

 

 

 

 

 さて、始めようか。

 

 

 ガシャンッ!

 

 

 

 鋼鉄の扉が、一斉に跳ね上がった。

 

 踏み込む。

 

 一歩。二歩。三歩。

 

 芝が潰れ、土が散る。風が耳元を掠めた。

 出遅れなし。出脚も良好。

 

 そして、周囲は――

 

 遅い。

 

 隣にいた影が、もう後ろにある。

 先頭に立つ。いや、立ってしまった。

 

 無理に飛ばしたつもりなどない。身体に馴染む歩幅で、脚を運んだだけだ。

 

 第一コーナー。内を回り、向こう正面へ。

 呼吸を整える。足音も、心拍も、乱れない。

 

 泰然自若。

 

 まだ先は長い。急ぐ理由などどこにもない。

 

 ……背後は、そうもいかんらしいが。

 

 乱れた足音が近づき、ほどなく遠ざかった。仕掛けるには早すぎる。己の脚も測れずにどうする。

 

 その集団から、ふたつの足音が抜け出した。

 

 深く、力強い踏み込み。

 細かく、途切れぬ回転。

 

 ……来たか。

 

 オレを倒すと宣言した二人だ。

 以前とは違う。重心の運びも、芝を押す音も。

 

 何より、迷いがない。

 

 思わず、口元が緩んだ。

 

 ひとりが前へ出る。もうひとりも続く。

 互いを追い、互いに追われ、オレの背を目指して脚を使う。

 

 いいぞ。

 

 だが、オレは待たん。

 

 向こう正面。呼吸に合わせ、歩幅を広げる。

 

「なっ……!?」

 

 声がした。

 

 それだけで、足音が遠のいた。

 

 全力で追ってきた距離が、ほんの数完歩で失われる。

 オレはまだ、息を弾ませてもいない。

 

 第三コーナー。ちらりと見えた二人は、歯を食いしばっていた。

 腕を振る。脚を回す。離された分を、取り戻そうとする。

 

 踏み込みは悪くない。姿勢も崩れてはいない。

 教えたことは、よく身についている。

 

 だが、差は開く。

 他など、もはや視界にも入らん。

 

 第四コーナー。

 内からひとり。外からもうひとり。

 まだオレを追う。その途中で互いにも競りかける。

 

 あれほど苦しみながら、譲らんか。

 

 悪くないが、意識して走る必要もない。

 

 直線へ出る。歓声が、正面から押し寄せた。

 

 肩を落とし、顎を引く。

 芝を捉え、押し流す。

 

 ザンッ。

 

 ザンッ。

 

 脚が伸びる。景色が流れる。

 

 ……ああ、いい。

 

 呼吸は楽だ。身体も軽い。

 これほど走って、まだ脚が余っている。

 

 

 

 

 オレは、オレの速さを持て余している。

 

 

 

 

 どこまで行けば、使い切れるのだろうな。

 

 

 

 

 

「うあああああっ!!」

 

 背後で叫びが上がった。

 

 聞き覚えのある声。あの二人が、最後の力を振り絞っている。

 

 届かないと、分かっているだろうに。

 

 その懸命に報いてやるために、オレが速度を落とすことはない。

 

 前には誰もいない。白いゴール板だけが近づいてくる。

 

 ひとつ、息を吸い。

 

 

 

         ────駆け抜けた。

 

 歓声が爆ぜる。

 

 圧勝。大差。独走。

 

 好きに呼ぶがいい。どれもこのレースの代名詞だ。

 

 ゆっくりと減速する。脚の震えも、荒い息もない。心地よい熱だけが、胸の内に残っていた。

 

 ……さて。

 

 振り返ったところ、まだ終わっていなかった。

 

 外からひとりが伸びる。内からもうひとりが応じる。

 肩が並ぶ。顔が歪む。

 もう残ってなどいないはずの脚で、互いを追い越そうとする。

 

「負けるかああっ!!」

 

「こっちだってえええっ!!」

 

 最後の一完歩。

 

 二人が、相次いでゴールを越えた。

 片方は膝に手をつき、もう片方は芝へ崩れ落ちる。

 

 オレは、もう息が整っていた。

 

 あれだけ競り合えば、そうもなるか。オレはしばらく、二人を見つめていた。

 ほんの少し前まで、まともに併走することさえ難しかった者たちだ。

 弱音を吐くしか能の無かった奴らが、2着と3着。

 

 上出来。

 

 

 

 

 

 

 上出来?…はっ。

 何を甘いことを考えている。奴らはオレに勝つ為に此処に来たんだろうが。

 

 

 

 ……オレは自分の脚へ視線を落とした。

 

 息も身体も問題ない。もう一度走れと言われても、さして困ることはないだろう。左足の付け根にもダメージはない。負担のないストライドで走るフォームを徹底していたからな。

 対して、あの二人は立ち上がることさえままならない。それほどの差がある。

 少ししてゴールに傾れ込むウマ娘達。長距離というスタミナ勝負は厳しい条件だったのか、息も絶え絶えで膝をつく者達ばかり。

 

「つ、強すぎる…」

 

「なによ、コレ…こんな筈じゃ…」

 

「ハァ…ハァ…」

 

 これが、オレの世代。そして、上の奴ら。

 

 

 

 

 

 …。

 

 

 

 

 

 

 

 不屑一顧(ふせついっこ)。

 

「無様だな」

 

「「──ッ!?」」

 

「な、なんですって…!?」

 

「貴様…!我らを愚弄する気か!?」

 

 余力も無い中で、いきり立つ奴らがほんの少し。他は呆けた面で此方を見ている。

 

「愚弄などしていない。負けて惨めに這いつくばるしかないお前たちを無様だと、客観的事実を述べているだけだ」

 

「バカにしてんじゃねぇぞ!」

 

「路傍の石をわざわざ指差して笑う真似などしない」

 

 全員の目が血走る。さっきまでの、諦めを押し通しかけていたものよりは幾分かマシだ。

 言われて燃え上がる時点で遅いのだが。

 

 …マルゼンスキーよ。見ていたか?

 所詮、この世界は弱肉強食なのだ。土俵に立とうが、負ければ何の意味も無い。レースに皆勤賞も、努力賞も無い。勝者と敗者の二つだけだ。

 生まれた敗者は、底なし沼で踠くように勝ちに飢え続ける。

 上に立つ勝者は、更に激化する勝負に身を置き、その座を奪われる日まで追われ続ける。

 

 勝ってなお、安寧など無い。それがレースだ。

 

 それでもまだ、『みんなで楽しく走る』などという妄言を吐くつもりか?

 

「……ルドルフ!」

 

 弾ける感情に呼ばれた。

 顔を上げると、ひとりがふらつきながらこちらへ歩いてきた。

 2着のウマ娘だ。指導しておきながら、名前も知らない。

 

 覚える必要があるほどの走りをまだ見ていない。

 

 そしてもうひとり。3着のウマ娘も、その後ろに続いている。

 

「……次は」

 

 荒い息。握り締められた拳。

 

「次は……絶対に、勝つからな……!」

 

「そうか」

 

 それだけ答える。すると、もうひとりが顔を上げた。

 

「もう、絶対そんな口きかせません……笑っていられるのも、今のうちですから……!」

 

 随分と大きく出たな。オレは腕を組んだ。

 

「では、言っておこう」

 

 ふたりが身構える。

 

「オ(・)レ(・)は(・)今(・)日(・)、(・)オ(・)レ(・)の(・)身(・)体(・)と(・)走(・)っ(・)た(・)」

 

「……!」

 

「そのついででお前たちに勝った。今の実力差は、それがすべてだ」

 

「…!?な、なによ、それ…」

 

「…うううう!!」

 

 悔し泣きか。その負けん気は認めるが、貴様らの涙など見飽きている。

 

「次のレースが始まるな。早々に引き払え」

 

「…絶対、絶対いつか…あんたを倒す。ルドルフ…!」

 

「…許しません」

 

 …今後も目付をするかは、奴ら次第だな。

 

 

   ◇

 

 

「まさしく、蹂躙だな」

 

「…ふふ」

 

「速いね、ルドルフ。また一緒に走る時が楽しみだね」

 

 大差勝ち。でも、息を切らしている様子もなく、他のウマ娘の完走を見届けた後、少し話してそのままルドルフは立ち去って行った。

 

 …みんなすごい怖い表情。

 

「ありゃ大分切れ味あることを言ったな」

 

「惚れ惚れする目をするわね…ターフのルドルフは」

 

「失望だろうな。クソっ…何で中距離来なかったんだよ」

 

 ルドルフへの想いの共有がどんどん捗るシリウスとラモーヌは、どんどんふたりだけの世界へ行っちゃった。

 ラモーヌの価値観が、かなりクセが強くてわかりづらいけど…あれ?アタシも言えたことじゃない?

 ただまた2勝分の差がついちゃった。コダマ先輩の顔を想像したくないけど、これからどうなるかなぁ。

 

「あら?シービーちゃん!!」

 

 どむんと視界が暗転する。温かく、そして大きな身体がアタシに抱きついてくる。体を捩って顔を出すと、そこには二つの赤い目。

 

「ガビーさん」

 

「もう、戻ってきても誰も迎えてくれないから探したわよ!」

 

「みんな、ウォーミングアップで忙しいみたいだね」

 

「特にテンちゃんとか、今日めちゃくちゃ気合い入ってたわ。見るのも楽しみよ。

 

 にしてもルドルフって子、強いわね。ありゃ半端じゃないわよ」

 

 ギラついた笑顔。覗く歯と見開く目が、その刺激中毒の獰猛さをこれでもかと主張していた。

 

「一回、走ってみたいわぁ…」

 

「多分、ルドルフも同じこと考えてるよ」

 

「あら、じゃあトレーナーに相談しよっと」

 

 それから、ガビーさんとレースを見ることに決めた。未デビュー・未勝利クラスのレースが一周分終わった。次は八大競走ウマ娘未満クラス。レベルが大きく跳ね上がる。

 

 短距離。勝者はキシュウローレル。栗東寮。

 

「速いわね、あの子。ま、ガビーさんの方がインパクトあったけどね?」

 

 マイル。エイトクラウンが1着。栗東寮が連勝。

 

「こりゃ強いわ。もっとマイルの大レースとか増えてくれたら盛り上がりそうよね、トゥインクルシリーズ」

 

 中距離。ヤマブキオーが圧勝。この先輩は美浦寮。

 

「…なんでこの子八大競走勝ってないのかしら?」

 

「なんかオープン大将って言われてるらしいよ」

 

「褒めてるんだか嗤(わら)ってるんだかわかりづらいわね」

 

 続く長距離は、メジロスイセイ勝利。栗東寮だ。

 

「こないだ天皇賞・春にいなかった?」

 

「そうだっけ?覚えてないや」

 

「多分いたわよ、なんなら掲示板。天皇賞で善戦したなら長距離得意よね…

 

 って、急に栗東寮がめちゃくちゃ勝ってるじゃない!?」

 

「そうだね。これで…4対4?」

 

「あらら。追いつかれちゃったわ。シービーちゃんが勝つからよ!」

 

 カブ先輩にやるみたいに拳が飛んでくるかと思ったら、脇腹に手が入る。くすぐりだと気づいた時には遅かった。

 

「あ、あはははははははは!!!!!」

 

「こちょこちょこちょこちょ!!!」

 

「何やってんだ?」

 

「あら、カチドキ!」

 

 じゃれあってたらいつの間にかカチドキ先輩が来てた。

 

 …前よりは、元気になってそう。

 

「栗東いい調子ね。八大競走クラス始まるけど、どうなるかしら?」

 

「さあな。今のところだと、バケモノ揃いだから、展開次第でいくらでも未来があるってところか」

 

「へ〜」

 

「あ、短距離始まるよ…って、あれタケシバオー先輩じゃん。短距離なの?」

 

 寮長やってるなら、てっきり王道路線の中距離か長距離の方に出てくるかと思ってたんだけど。

 

「お前知らねぇのか?タケシバオーさんは1200mレコード持ちの天皇賞ウマ娘だぞ」

 

「「何言ってんの?」」

 

「お前ら、揃いも揃って知らなかったのかよ!」

 

 びっくりするカチドキ先輩。いや、びっくりしたいのこっちなんだけど。

 なんで短距離レコード出してるのに3200mの頂点に立ってるの?意味がわからない。

 

「言っただろ?バケモノ揃いだって。俺だってクラシックが終わったら、シニア級の先輩方と走ることになるからな。覚悟しとかねぇと」

 

 話してる間に、レースが始まった。ここまでで一番大きな歓声だ。実質、大将戦第一幕。そりゃそうって感じ。

 

 八大競走ウマ娘クラスなのに、ここまで差が生まれるんだ…

 

『タケシバオー1着!!芝の電撃戦を見事ぶった斬りぃ!!』

 

 実況も気合が入ってる。やっぱり、一線を退いたウマ娘の走りをまたみられるってのは、一つの祭りなんだなぁって思った。

 

「いんやぁ、気持ちのいい勝ちっぷりでさぁ!!これを肴に焼きそばはいかがですかい?」

 

 この不自然だけど楽しい抑揚…。

 

「あ、イナボレス」

 

「あっしの名前を覚えていただけてるたぁ、感無量でさぁ!!ささ、そこのふたりも焼きそば、いかがですかい?」

 

「だ、誰コレ!?」

 

「イナボレスだよ。こないだ仲良くなったんだ」

 

「こんな胡散臭いやつと?お前すごいな…」

 

 先輩たちはアタシの交友関係が少し心配みたい。変な子なんて今に始まったことじゃないと思うけど。

 

「こりゃまた手厳しいこって。ただ、あっしが胡散臭かったとしても、この焼きそばだけは信じてくだせぇ。

 ささっ、友好の証にでも、この焼きそばいかがですかい?」

 

「…じゃあ、ちょっとだけもらおうかしら」

 

「おっと、お代が先ですぜ」

 

「「金取るの(かよ)!?!?」」

 

「あったりまえでさぁ!この世にタダほど怖いもんなし!!お客さんには、怖い思いさせられませんからなぁ」

 

 しばらくこの押し売りは続いて、結局みんな焼きそばを買うことになった。

 毎度あり!と言い残してそのまま次の場所へとイナボレスは歩いていった。

 

「うっま!!正直安いまであるぞ!さっきの300円!!」

 

「これ食堂で売ってくれないかしら?」

 

 胃袋を掴む。

 

 なるほど。強いね。

 

「もうマイルが始まるな。誰が勝つと思う?」

 

「メジロアサマかなぁ…長距離かなって思ったけどたしか安田記念勝ってるし、1600mレコード出した時あるもんね。そっちは?」

 

「俺は、そうだな…トウメイだな。マイルの女王って言われてたし、実際強いしな」

 

 何も考えてないふたりだと思ってたんだけど、意外とリサーチとかしてるんだなぁ…

 

「シービー。お前今、結構バカにしてただろ?」

 

「え?」

 

「やっぱり?なんか視線に引っかかってたのよね」

 

 ちょ、ちょっと…

 

「も、もうレース始まるからさ」

 

「「一旦、先にお仕置きだ(よ)!!!」」

 

「うわあああ!!」

 

 柄にもなく、されるがままにされちゃった。

 けど、アタシの悲鳴は周りの大歓声でかき消された。

 

 8ハロンの勝負は、直線にて一騎打ちになった。

 

「ここまでついてくるとは、褒めて差し上げますわ!おほほほほ!!!」

 

「貴女…淑(・)女(・)の(・)割(・)に(・)は(・)、(・)品(・)が(・)あ(・)り(・)ま(・)せ(・)ん(・)わ(・)」

 

「むっきーーーー!!!あったまきた!!!!」

 

 メジロアサマとトウメイがぶつかり合い、わずかに抜け出たのは…

 

『トウメイ1着!2着にメジロアサマ!3着はグレートヨルカ!!』

 

「これで5対5か…譲らねぇな」

 

「そうね。でも次でしょ。今日の山場は」

 

「そうだな」

 

 あまり寮同士の対立には関心示さなかったふたりだけど、中距離レースが始まろうとしている今、昂りが抑えられなさそうだ。

 

「そんなにすごいの?」

 

「出走表見てみろ。こんなんもう見られないぜ」

 

 そう言って、カチドキ先輩はポケットから紙を取り出して、アタシに見せた。

 

中距離 2400m 八大競走クラス

 

コーネルランサー   シンザン

メイズイ       リュウフォーレル

ハイセイコー     ロングエース

スターロッチ     ランドプリンス

タケホープ      タイテエム

イシノヒカル     ダイコーター

カブトシロー     ヒカルポーラ

カネケヤキ      タニノハローモア

アサホコ       リキエイカン

 

「知ってる名前ばっかり…」

 

「コダマさんもよくこの辺まで動かしたもんだ。栗東の八大競走ウマ娘、もう走れなかったり、断ったりが多かったからな」

 

「カチドキとかね」

 

「やめてくれよ。嫌味っぽくいうの」

 

「そんなつもりないわよ。走りたい時走ればいいんだから別に」

 

「でも、これ一強じゃない?」

 

「…シンザン先輩」

 

「どうなんだろうな?今日、一応ゼニこそかかっちゃいるけど…」

 

「ゼニ?」

 

 首を傾げる。何で急にお金の話…?

 

「『シンザンはゼニのかかったレースしか走らない』。昔、シンザン会長のトレーナーがそんなこと言ってたんだ」

 

「話聞けば聞くほど、何というか…庶民的というか…」

 

「トウショウボーイ先輩から、ちょこちょこシンザン先輩の話聞いてたけど、ほんとなんだ…」

 

 実際、誰が勝ってもおかしくない。確かに今日の山場。ターフの周りの全校生徒が、今か今かと待ち侘びている。

 

 そんな中で、急に放送が流れた。

 

『八大競走クラス出走予定の、コーネルランサーさん。コーネルランサーさん。トラックまで、きてください。繰り返しお伝えします…』

 

「コーネルランサーが、いない…?」

 

「このメンツに怖くなっちゃったとか?」

 

「そんな筈ねぇ…あんな走りしたあいつが、そんなこと…!」

 

「あっ、ちょっと!カチドキ!!!」

 

 カチドキ先輩は走り去っていった。すごく取り乱してたけど…なんだろう。何もわからないけど、今ちょっと感じてる悪い予感があたってないことを祈るしかない。

 

 

  ◇

 

 

「コーネル!!!何処にいる!?」

 

 目当てのやつを呼ぶ声がする。確か…ミホランザンってウマ娘だったな。

 

「お前は…」

 

「おお、キタノカチドキ!コーネルランサーを見なかったか!?」

 

「見てねぇ。俺も探してるところだ」

 

「くっ…そうか。見つけたら教えて欲しい。私の予想だが、恐らく…」

 

「大丈夫か!?」

 

 突然、校舎裏から男の声が聞こえた。

 

「これは…コーネルのトレーナー…!」

 

「あっ、おい!!」

 

 その声を聞くや否や、ミホランザンが走り出した。俺もその走りについていく。

 焦るミホランザンの表情を見ながら、声のした道に出た。

 

「うう、くっ…大、丈夫です…トレーナーさん」

 

「いいから、見せてみろ!!」

 

 学校中のウマ娘がターフの見物へと向かっている今。そこにいたのはふたりだけ。

 

 コーネルランサーと、そのトレーナー。

 

 ベンチに座るコーネルランサーの脚を、トレーナーは確認していた。

 

「外傷は無いな…いつから、違和感を感じていた?」

 

「ダービーが終わった、後くらいから」

 

「くっ、見抜けなかった私の落ち度だ…メディア応対如きで君のことを…すまない」

 

「そんな、隠してたのはわたしです!八大競走ウマ娘に名前を連ねてこれからという時に…!」

 

「とにかく、今日の寮対抗レースには出るな。安静にしろ。いいな」

 

 コーネルランサーは何も言わなかった。ただ、顔がくしゃくしゃになっていく。

 その表情を受け止められなかったのか、項垂れるトレーナー。肩が震えていた。

 そんなトレーナーをみて、コーネルランサーが口を開く。

 

「わ、わたしは…」

 

「すまない、ランサー…君の、才能が…!」

 

「やめて…やめてくださいトレーナーさん…っ!」

 

「何があったんだよ」

 

「…カチドキさん?それに、ランザンさんも…なんでここに…?」

 

「もう中距離レースが始まるところだったのだが、君はいなかった。だから探しに来たが…」

 

「そうでしたか…心配は要りません。行きます」

 

「待て、ダメだ」

 

「大丈夫ですから、トレーナーさん」

 

「やめるんだ」

 

 立ち上がるあいつを止めたのは、ミホランザン。進路に立ち塞がり、両肩を掴んで目を合わせる。

 

「ダービーのあの激走、見ていて身に覚えがあった。かつての皐月賞の時の私のような…未来を捨てた走りだ」

 

「…」

 

「だが、まだ君は私のように途切れてはいない。今の為に、未来を捨てないで欲しい…私のように」

 

「…ああ、なんで」

 

 力なく、膝から崩れ落ちるコーネルランサー。あいつのトレーナーは後ろ姿しか見えていないだろうけど、悔しいとか申し訳ないとかとにかく、感情が渋滞している表情だ。

 …後ろ姿だけで良かったかもな。今のこいつの顔見たら、多分全て崩落する。

 

「ダービーウマ娘は、わたしには過ぎた肩書きだったんですか…?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ピントが狂う。

 気づいたら俺はこいつの胸ぐらを掴んで引き上げていた。

 

「テメェなんつった?ナメたこと抜かしてんじゃねぇぞバカ野郎が!!」

 

「待てキタノカチドキ!」

 

「俺らぶっ飛ばして手に入れたダービー、責任とって背負いやがれ!!そして秋に俺がテメェぶっ飛ばして、今度こそ見たことねぇ景色拝ませてもらう!!

 

 ダービーウマ娘の、テメェを倒してやるよ!!」

 

「…」

 

 誰も何も言えなくなった。俺の荒い息が、ただ目立つ。

 その後、コーネルランサーは、俺と目を合わせてはくれなかった。

 俺の手が離れると、コーネルはベンチへ腰を下ろした。片脚だけ、ゆっくりと。

 

 その足元に、トレーナーが膝をつく。何も言わず、靴紐をほどき始めた。

 

「……秋だぞ」

 

 念を押したつもりだった。

 

 すぐじゃねぇ。時間なら、まだある。だから──

 

「……はい」

 

 小さな声だった。

 

 なのに、その先が続かねぇ。

 ダービーであれだけ叫んだ喉から、息だけが漏れた。

 

 こいつの手が、膝の上で握られる。ほどかれた靴紐を見つめたまま、唇が動いた。

 

「わたし、まだ……」

 

 トレーナーの手が止まった。

 

 ……まだ、なんだよ。

 

 訊き返そうとして、やめた。何故か、その続きを聞いちゃいけねぇ気がした。

 

 遠くで、出走者を呼ぶ放送が繰り返されていた。

 

 もう、別の名前だった。

 

 

   ◇

 

 

「こーねるらんさーは、出走取消とする。連絡も取れん以上、事情は知らんが生真面目なあいつが勝負を投げ出すとは思えん。何かあったんだろう」

 

 美浦寮のみんな(私も含めて)が集められて、タケシバオー寮長から告げられた一言目。

 

 穏やかじゃないですね。

 

 隣のガビーと、来なくても良かったのになんかいるシービー。とりあえずこんなにウマ娘が密集した空間なんて耐えられないからふたりに挟まれて何とか落ち着こう。

 

「美浦の面子がひとり欠けちまった。誰か代わりで走るやつはいねぇか?」

 

 …誰も手を挙げない。

 

 だろうね。側から見れば怪獣大戦争…下手な覚悟で挑めば、『出走者』じゃなくて『被害者』って形容される未来が容易に想像できる。

 

「…ねぇ、コレって2回目出れたりする?」

 

「…どうなんだろう?アタシ向こう所属だからわかんないや」

 

「2回目は禁止だ。栗東と約束してるんでなぁ」

 

「あーあ。こんなことなら八大競走勝っとけば良かった」

 

「ガビーさん、デビュー前でしょ」

 

 …ガビーには参るよ、ホント。

 

「誰かいねぇか?」

 

「流石にちょっと…」

 

「公開処刑になっちゃうよ…」

 

 みんな同じ考えみたい。悪いけど、前向きに考えてるガビーがかなりおかしい。

 うーん。集まった理由は代走探しみたい。じゃあ、私は失礼しようかな?

 

 お暇しまーす。

 

 ってその場を離れた瞬間、ガビーがおもむろに口を開いた。

 

「いや、ちょっと待って?いるじゃない、丁度良い子が」

 

 ……………。

 

「ガビー、何でそんな私のこと見てるの?」

 

「…カブちゃんって、自分のこと速いと思う?」

 

「え?」

 

「どうなの?」

 

 急な質問。しかも、内容もかなり唐突…。

 それ聞いて、コレ以外答えるウマ娘いると思う?

 

「うん。速いと思うけど、何で?」

 

「…じゃあ、いっか。ごめんトレーナー」

 

「え?」

 

 この場にいないトレーナーに急に謝るガビー。首を傾げる私の景色は、斜めどころではなく回転した。

 

「う、うわわわっ!!!!」

 

「行ってきなさいよ!!!!!」

 

 伸びる手。悪戯な笑み。襟首に発生した引力。ハンマー投げのハンマーみたいな軌道を描いた後、私は空を飛んだ。

 こういう状況って、本当にスローモーションになるんだ…。

 手をかざして遠見のポーズをとるシービーと、ぶん投げたフォームが厳つすぎるガビーの姿が見えた。

 美浦のウマ娘の集団を超えて、タケシバオー寮長の目の前で回転しながら着地した。

 

 …目が回る。

 

「カブラヤオー…?どうした?今飛んでこなかったか?」

 

「…ふあ、ああ、あ」

 

「おい、大丈夫かぁ?」

 

 いまだに視界が安定しない…。数えてなかったけど、私どれだけ振り回されてから投げられたんだろう?

 

「あれって、こないだ武道館にいた…?」

 

「あれだよ!タケシバオー寮長が直接打診してた…!」

 

 意外とみんな覚えてる…?

 なんだろう…。それはちょっと嬉しいかも。

 

「あの子大丈夫?なんかすごい地味だし…走れるの?」

 

 は?

 

「…走れる」

 

「え?声ちっさ」

 

「走れる!バカにするな!!!」

 

「ひっ…!」

 

 柄にもなく大声出しちゃった。

 普段ウマ娘が怖くて全然喋れないけど、見下されるのは違う。

 

 私は、落ちこぼれのレッテルを貼られたまま終わるつもりなんて無い。

 

 けど、叫んだ後になって、この反発をキャッチした相手が悪過ぎたことに気づく。

 

「おお、カブラヤオー!!走ってくれるか!!!」

 

「…え?あ、違…走れるって言っただけで、出るとは…」

 

「手前の道は手前が決める。そう言ったなぁ。

 

 ……今も、走れねぇとは言ってねぇな?」

 

「…!」

 

 覚えてたんだ。あの時、私が言ったこと。

 寮長は私の顔をじっと見ていた。周りのひそひそ声が妙によく聞こえる。

 

「八大競走級だが、不測の事態だ。でびゅー前でも己が出走を許可する。あとは手前が決めな」

 

 逃げ道はある。今ここで断れば、私は走らなくていい。

 

 …でも。

 

『走れるの?』

 

 あの声が、耳から離れない。

 

 握った拳を、もう片方の手で包む。

 

「…走る」

 

「応?」

 

「走ります。私、出ます」

 

 言った。言っちゃった。

 寮長の口元が、ぐっと吊り上がる。

 

「待っていた。美浦を背負っていってこいよ、カブラヤオー!」

 

 どっと周りが沸いた。いくつもの顔が、こっちを向く。

 

 …ああ、やっぱり怖い。何でみんな見るの!

 

 しかもこのまま出るってなったら、さっき想像した『被害者』、私じゃん!!

 

「あの、準備が…」

 

「応、はやく体解さんとなぁ。ほら、いったいった!」

 

 ガッハッハッと、寮長は笑ってそのままどっか行っちゃった。

 

 …。

 

 …何で走るって言っちゃったのよ!!!私のバカ!!!!!

 

 

   ◇

 

 

「ガビーさん、どうしてカブ先輩投げたの?」

 

「んー?荒療治?」

 

「疑問形?」

 

「何よ!カブちゃんには悪いけど、大事に大事にしてたところで何にもなんないわよ!みんなでケツ叩いてあげるべきなの」

 

「そんなことしたら痛いよ」

 

「実際やれってわけじゃないわよ…とにかく、カブちゃんはすごいの!みんなにもみてほしかったのよ!」

 

 大きなジェスチャーで弁明するけど…いや、弁明のつもりないねこれ。ただただ好きなものをアピールしてるだけ。

 

 せっかくの機会だし、カブ先輩がどんなものか、見よっと。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。