天下に覇を唱えるためにオレは生まれた。天下無双、空前絶後の世界に轟く最強。それがオレの在るべき姿。それは何処に征こうと、何処まで征こうと変わらない。向かう者はこの比類なき脚で、完膚なきまでに叩き伏せる。
そして、全てのウマ娘の頂点に立ち、千古不易の存在となる。
オレの覇道はこれから始まるのだ。それを思うと胸の高鳴りが止まらない。そして、先ほどから昂りが抑えられない。さあ、始まりだ。時代がオレを待っている。
ひらひらと落ちゆく桜の花びらと代わるように、ヒバリが空へと溶けていく。軽くぱたぱたと音を立てながら、陽気の訪れを知らせているようだ。温もりを感じるやさしい春風が芝の匂いを連れてきて、ふらふらとモンシロチョウが太陽と大きな瞳の間を横切っていった。都会の街はずれの静かな川の音がどこか朗らかな卯月の半ば、桜の盛りも下降線を辿り始めたこのごろは新たな門出を迎えた際の胸のときめきが落ち着きはじめるころであり、柔らかく整った様相であった。
そんな春に包まれる中、少女は朝日を眺めて河川敷の土手で寝そべっている。幼さはあるが端正な顔、モデルも顔負けなすらりと美しい肢体。そして、巻かれた美しい茶髪を自由に伸ばしている。周りに広がる暖かな緑の鮮やかさも相まって、彼女の存在は麗しく、一つの名画と錯覚するほどに美しいものであった。
しかし、少女には頭部に生えた耳、腰から生える尻尾など、ヒトにはない身体的特徴があった。ジョークグッズを疑うところだが、彼女の呼吸に合わせて動くそれらは彼女の体の一部であることを裏付けてくる。
『ウマ娘』
時に数奇で、時に輝かしい歴史を持つ別世界の名前と共に生まれ、その魂を受け継いで走る運命を背負った少女たち。ヒトとは少し異なる存在であり、先ほど挙げた耳、尻尾だけでなく、ヒトを遥かに凌駕した身体能力、特に走力においては地球上の生物全般の中でも上位に位置するほどの力を持つ。そして、彼女たちは走り、競うことが好きであり、通う『学園』も己を鍛えることを目的としたものであった。
朝、もうすぐ学園の始業の時間にも関わらず土手で朝日を眺めるこのウマ娘、決して不真面目だとか走りが好きでないだとか、そういうことでは断じて無い。
ただ、良くも悪くも自由なだけなのだ。やりたくないことはやらない。在りたい自分で在りたい。それを自然体で体現し続けているただそれだけ。
後に天衣無縫と呼ばれるウマ娘、ミスターシービーはどこまでも広がる空と何者にも縛れない風との対話を望み、ありのままの世界の中心に座っていた。
「やっぱりここだ」
小さなモンシロチョウの影を飲み込んで、艶のある鹿毛が覗き込んでくる。
「…スー先輩?」
「もう授業始まる時間だよ」
「興味ないやそんなの。つまんないし。それよりここみてよ、すごくいい景色なんだ」
「そうなんだ、じゃあ俺も見てみようかな」
頭上の方向から逆さまな顔で見下ろしてきた彼女は、中腰をやめて隣に座ってきた。腰に両手を当てながら覗き込んで『俺』という一人称を用いる気質の中に、彼女のお茶目な側面が垣間見えた。
「ふっ、入学して間もなくこの調子じゃ将来が思いやられるね」
「そういう先輩こそ行かなくていいの?授業」
「俺はいいのさ」
単に状況を言い表せば、共に朝からサボりを決め込み、河原でたたずむというエンタメ上の不良の行動、一言で言って大人泣かせである。しかし、自由の擬人化である彼女らの衝動はそんなこぼれてくるため息もかき消すほどに堂々としていた。遠くの朝日を見つめながら、『スー先輩』は口を開いた。
「シービー。君は時代を動かす器だ」
流れる川の音が遠くなった気がした。確かな力を感じてしまう一言を聞いてなお、ミスターシービーは朝日をじっと眺めている。
「君ならシンザン会長に並ぶレベルになると信じている」
「いいってばそういうの。気持ちいいレースがしたいだけだし」
「君らしいな。そう言ってくれるから、楽しみなんだよ」
「…どういうこと?」
「この時代は終わっていくだろう。去年から火のついた競バブームによって俺たちの舞台は血みどろのレースではなく、華のあるスポーツになった。これから先、みんなに夢を見せる時代のヒーローになりうるウマ娘、俺は2人いると思っている。そのうちの一人は、君だシービー」
そんな台詞とともに力強い眼差しをシービーの顔に向けるスー先輩。そんな彼女の一挙動で春風の勢いが増したような錯覚に陥りながらも、それにすら浸っていられるミスターシービーは大物を予感させるには十分な覇気があった。
「皆、トゥインクルシリーズという華のある世界に憧れ、未来を追いかける。しかし、そのような志は私たちの本質を見失いやすい。だから、君なんだ。人の夢や栄誉のためではない。己のために、自分のエゴのために走りたいと言えるウマ娘こそが、時代を動かす器なんだ」
「へぇ〜。褒めてくれてるのは嬉しいんだけど、気になることが一つあるかな」
遠くまで広がる草原のような明るい緑の瞳のスー先輩からありがたい言葉をいただいて、ミスターシービーは提示された未来を飄々と胸にしまいつつ、ひとつに興味を注ぎ掴みに行った。
「時代を動かす器のもう一人って、誰?」
無邪気な深緑の瞳から急に生まれた圧力が、シービーの口角とともに急上昇した。風すら怯えそうなほどの雰囲気でみつめるシービーを前にスー先輩はそのまま話を続けた。
「もう一人か?…新入生挨拶をしてた子だ。見てなかったかい?」
「行ってない。フリースタイルレース見に行ってた」
「…そうか。なら一度会ってみるといい。彼女は強いぞ。あの子は、シンザン会長をも超えるかもな」
『シンザンを超えろ』
学園やメディアで何回か見たことのある文言。かつてレースで活躍したシンザンというウマ娘のその軌跡を受けて、現在の日本競バ界が大々的に掲げてる目標だ。とてつもない偉業なのはもちろん知っている。実際、今時代を動かす器と評されたアタシでも、『並ぶ』とまでしか言われなかった。しかし、未来のヒーローの片割れは『超える』と評された。それを聞いた途端、とても胸の中が激しくなった。さむいようなあついような…どこか吐く息が気道の中で摩擦を強めたような感覚があった。
「そいつの名前は?」
「シンボリルドルフ。私たちシンボリ家の宝だ。彼女ならば日本はおろか、世界にも届くだろう。そして、君と戦うことになるはずだ」
「随分買ってるんだね。実際世界行った先輩がそう思うんだ」
スー先輩は時代の先駆者と周りでは評判だ。アメリカ、ヨーロッパと海外のレースに日本の代表として挑戦していた。勝利こそ得られなかったが、初めて凱旋門賞に挑戦したウマ娘として数年経った今でも語り草だ。世界の頂点に挑戦したからこそ、先輩の言葉には説得力がある。
「自身がレースを走ることばかりだった時は考えもしなかったが、夢を託せるとは素晴らしいことなんだと思ったよ。昔の俺は、あまり他のウマ娘たちと交わりを持たなかったからね。今こうしてチームの後輩と話していることすら想像もしていなかった」
「アタシも後輩を持ったら、変わるのかな?」
「どうかな、変わるかって言われたらそんなことはなさそうだが。まあ、俺はその飄々としててぶれない感じは好きだし、後輩はたくさん寄ってくるんじゃないかな。…少なくとも今のあの子よりは」
あの子…シンボリルドルフのことだろうか?新入生挨拶をしてたくらいだし、真面目というか、堅物なタイプなのかな?そう考えると、アタシは良くも悪くも何にも縛られず自由に生きることをモットーにしている。真逆な性格かもしれない。
顔も合わせてないがどこか気になる相手のことを考えていたら、いつの間にか先輩は立ち上がっていた。
「そろそろ行ってくるよ。午後のチームの練習にはくるんだぞ?あと」
振り返ってスー先輩こと、スピードシンボリはジトリと目を細めてこちらを見る。
「君の宿題のことで小言を言われたんだが大丈夫か?」
「…あ、出してないや」
すっかり忘れていた宿題の話を聞いたアタシはそれを取りに、学園へ向かうスー先輩とは逆方向のアタシの家に向かって歩き出した。
日本ウマ娘トレーニングセンター学園、通称『トレセン学園』。日本の各所に置かれたウマ娘の学園の中で日本最高峰レベルの施設、環境が揃っており、生徒数2000人弱というマンモス校である。地方の数ある学園とは一線を画すレベルの差があり、そのため大きな校門に反して入口は狭く、選ばれた素質のあるものしか入学できない。できたとしても、待っているのは熾烈な競争。地元で鳴らした若武者も、全国から集められた猛者との競争に敗れ、心が折れ、学園から去るという結末を辿る者は少なくない、いやむしろ大多数とも言える。過酷かつ残酷な世界である。
だが、それゆえに人を魅了する世界でもある。才能だけではまず勝てない。それ相応の研鑽と情熱をもって、夢を成し得るその戦いは、単に競争と片付けるには難しいほどのドラマティックな美しさをもっているのだ。
アタシは、レースが好き。レースの時にしか感じられない風があるから。誰かと走って火花を散らすことが好き。その時アタシたちは何よりも自由だから。走りにカラダも心も委ねて、全てを脱ぎ捨てていくような感覚がたまらないんだ。
ひとまず出た授業、出した宿題。先生はいつものことだからか慣れたように宿題を受け取った。しかし、現状私の頭を巡って仕方ないのは一つ。おかげで先生の話全然聞いてなかった。ひとまず1日分の授業が終わった瞬間、教室を出る。
「シンボリルドルフって知ってる?」
スー先輩が出していた名前、『シンボリルドルフ』。天皇賞制覇、グランプリレース3連覇という成績を残した先輩があそこまで褒めていたんだ。熱いレースができるに違いない。だけど、どんな顔とか髪の色とか、そういうのを聞く前に別れちゃった。だから、こうして手当たり次第に同級生の子たちに聞いてまわっている。
「る、ルドルフ様ですか?」
「さ、様?」
ちょっと面食らった。同い年に様付けで呼ばれるって…しかもまだ入学から二週間くらいでしょ?ああ、それか関係者だったり?
「もちろん知ってますよ。名家シンボリ家でも最高の評価でトレセン学園に首席で入学し新入生挨拶を担当、入って間もない中すでに学園最強のチームであるリギルにスカウトされていらっしゃる容姿端麗、眉目秀麗…」
「ちょ、ちょっと待ってね」
ちゃんと部外者だ。話しかける相手を間違えたかもしれない。すでにこれほどの…信奉者というか、ファンガールな同級生がいるとは思わなかった。でも話聞いただけでもエリートって感じだね。
「色々教えてくれてありがとう。どこにいるのかとか知ってる?」
「それでしたらA組にいらっしゃったはずです」
「ほんと?サンキュー」
それにしても、さっき後輩できたらどうこう言ってたけど、ああいう風に慕われるなんてどんな子か気になる。でも、アタシはちょっと困るかな。なにかと決めつけられそうで。
「今の人、すごく顔カッコよかったなぁ…名前聞けばよかった…」
さっき質問した子の声が聞こえてきた…多分ルドルフとかアタシとか関係なくそういう狂信的な気質なんだろう。そうこう考えてるうちに、さっき言われたA組に着いた。
「ごめん。シンボリルドルフって子、いる?」
「ルドルフ様ならもう行っちゃいました」
また様付け。さっきの子が特別でもなく、知ってる人はみんなそうなのかな?しかし、入れ違いか。他にも1組にいた子たちに聞いてみたけどみんな行き先は知らないみたいだった。また振り出しかなと思った矢先。
「なんだアンタ?ルドルフに用でもあるのか?」
振り返ると、ウマ娘が2人立っていた。右には暗めの茶髪に上下の反転した雫模様の流星を持つ、ボーイッシュな雰囲気のウマ娘。そして左にはシニヨンの髪型に白メッシュの入った色気のある黒鹿毛のウマ娘。
ウマ娘は綺麗な子が多いけど、この二人はその中でも随分と目立つ。立っているだけで絵になるというか、廊下の方が二人に合わせて少し上品になったように見える。
たぶん気のせい。
「そう。どこか知らない?」
「ルドルフなら多分リギルの部室だな。どこか知ってるか?」
知らないと伝えると、そのまま懇切丁寧に教えてくれた。この学園は広いのもあっていまいち言われてもよくわかんないけど、どうやらリギルの部室は大きいみたいだし、まあたどり着けると思う。…さっき様付けせずに『ルドルフ』と呼んでいたあたりから考えて、親しい仲なんだろうか?
「教えてくれてありがとう。えっと…名前なんだっけ?」
「ああ、私はシリウスシンボリだ。よろしくな」
「私はメジロラモーヌよ」
「アタシはミスターシービー。またタイミングあったら一緒に走ろうね。バイバイ」
「ちょっと待てよ(お待ちなさい)?」
急に呼び止められた。こうして息が合うところを見るとかなり似た者同士、それに合わせて長い付き合いなのではと思わされるぴったり具合だ。というか早く行きたいな。着替えてるってことはおそらく練習とかに向かうつもりだ。早めに行かないとまた入れ違いになるかもしれない。そんなアタシの思いもむなしく、質問攻めに遭うのであった。
「アンタ、ルドルフに何の用なんだよ。見たところ、これからが初めてだよな?ルドルフに会うの」
「うん、そうだよ。顔も見たことないや」
「新入生挨拶の場には居なかったのかしら?」
「フリースタイルレースやってたからそっち行ってた」
二人が黙った。
なんか変なこと言った?
「くははっ!!おもしれぇ…アンタ、どこでルドルフの話聞いたんだ?」
「…先輩から聞いたよ。すごい子がいるってさ。…もう行っていい?このまま入れ違っちゃやだからさ」
「では改めて聞くわ。何の用なのかしら?」
「一緒にレースする」
そう答えた途端、シリウスシンボリが腹を抱えて笑った。しかし、その笑い声に含まれていたのは、見下しでも嘲笑でもなく、純粋な楽しさ。隣のメジロラモーヌも大きく声には出していなかったが微笑みを浮かべていた。
「本気か!?あはははは!!!こりゃ楽しみだ!!ルドルフに挑もうだなんて、ホント面白いなアンタ!!!」
「貴方…素敵ね。その情熱が溢れる目、いいわ…私も混ぜてくださる?」
「いや待てよラモーヌ。こいつが果たしてどこまでルドルフを相手にやり合えるか、一騎打ちで見たくねぇか?」
「ふふっ…よろしくてよ」
「じゃあグラウンドに向かうか…早く来いよ、シービー。こりゃ楽しみだ!」
「…潰れない方に期待してるわ」
なんかギャラリーができたみたい。どうせなら一緒に走るか誘おうと思ったけど、アタシの知らないところでスイッチが入ってそのまま行っちゃった。これまでのクラスメイト達やシリウス、ラモーヌの反応を見る限り、既にそこらじゅうで力を示しているのかな?どんなレースになるか楽しみ…じゃあ、行こっか!
『チームリギル』
トレセン学園にはチーム制という部活感覚の組織分けのシステムがある。指導するトレーナーによって活動・指導方針は異なり、それぞれのスタイルに合ったウマ娘達が勧誘、試験などを通して入部する。その中で、徹底管理・作戦厳守を方針とし、学園でも最強と評判なのがチームリギルである。
シービーは『スピカ』というチームに入っているのだが、スピカのトレーナーからよく聞くセリフが「絶対リギルに勝つ」だ。二言目にはこれという印象が2週間足らずで付いてしまうくらいには何度も聞いた。もはや呪詛じゃないかと言いたくもなるが、スー先輩曰くスピカとリギルは前々からレースで衝突しては惜敗が多く、ライバルと名乗るにも格落ち感が否めないことがたまらなく悔しいらしい。
そのような背景もあり、以前からリギルの名前自体は聞いていたシービーだったが、今回が初の邂逅だ。どんなウマ娘達がいるのか期待するのと同時に道が合っているか心配が少々。
そんな中で大きな一室の前に着き、扉に目をやると、その横に『リギル』と書かれた札があった。
「ごめん、シンボリルドルフって子いる?」
自分の部屋かのような振る舞いで部室に入っていった。ノックも無しである。彼女を動かすのは、ひたすらに高揚と好奇心のみ。よその部室だろうが関係ないのだ。
中は広く、整列した机が並んだ部屋であった。前方に他の机と比べ一段高い演台が据えられ、その上にはビデオデッキがどこに座っていても見えるような角度で置かれており、それに従うようにホワイトボードも配置されている。生まれてから歴史の長いチームであるはずだというのに、新品同様と言えるほど綺麗な状態だった。
まあ徹底管理主義と銘打つくらいだ。よほど堅物で丁寧な暮らしをするタイプの人たちなんだろう。自分とは大違い。
そんなことを考えながら景色をスクロールしていくと、部屋にいるただ1人のウマ娘が手元で広げた本から目線を外してこちらを見ていた。
肩口に触れる程度まで伸ばした鹿毛の髪に、白い一房の三日月を思わせる流星。毛艶の良さがまず飛び込んでくる。これは、先ほどのシリウスシンボリ、メジロラモーヌにも見て取れた雰囲気だった。
しかし、記憶にあるのは高貴さと何より柔らかさ。今目の前に感じるのは今すぐにでも喉元に噛み付いてきそうなほどの殺気の権化だった。その鋭さを突きつけるまま、彼女は律儀に問いに答えた。
「オレがシンボリルドルフだ。お前、ノックをする礼儀も知らないのか?」
怖いねー。もっとみんな大好き王子様みたいなのだと思ってたんだけど。
「あーなんかごめんね。そういうのどうでもいいと思ってるから」
「お前はオレを無礼ているのか?」
「いやぁ、そういうわけじゃないんだけど」
かなり相性が悪そうだ。自由気ままなアタシと堅物かつ暴君を思わせるような言動をとる彼女。直接聞いたわけじゃないけど、なるほど…同世代のウマ娘達が屈服してしまう迫力とカリスマを感じる。
…いいね。
そんなことを考えていると、目の前の彼女から口を開いてきた。
「…まあいい。礼儀知らずは帰ってくれないか?」
「他の人いないの?」
「おい」
退出を要求されたが、ずかずかと入っていく。減るもんじゃないしいいでしょ?とりあえず、当初の目的の話しないとね。
「でさ、ルドルフ。ちょっと付き合って欲しいんだけど」
「気安く名を呼ぶな。そしてお前の都合に付き合うつもりもない。オレは忙しいんだ」
「この後何かあるの?」
「今日は先輩方と模擬レースだ。生半可な仕上がりでは袒裼裸裎、全力で叩き潰すのが学園最強リギルの肩書を背負う先輩方への礼儀だ。だからお前の都合に付き合うつもりはないんだよ」
強情だなぁ、とっつくシマもない。ただ、ここまで傲慢で自信があって、説得力ある雰囲気。言葉を交わしてくたびにアタシの期待と熱が昂っていくのを感じる。それに伴って、単純な疑問とイジワルが重なった言葉を投げかけた。
「というか『オレ』?そんなキャラなの?スー先輩の真似?」
瞬間、ルドルフが本を半ば乱暴に閉じて立ち上がった。
「…今の発言、不敬に値する」
「え?」
「表に出ろ。格の違いを教えてやる。」
話が早すぎる。ちょっとこの感じ、アタシの言葉がかなりエッジの効いた解釈をされたかもしれない。…なんだかんだそういう気持ちもあるしいっか。
「アタシの誘いに乗ってくれる?」
「後の模擬レースの前座として踊らせてやる。ウォームアップにも丁度いいだろう」
この物言い、流してきたけどそろそろこっちもマジになっちゃうかも。
「…あんまナメてたら、足元掬われるんじゃない?先輩とのレース前にナーバスになっても知らないよ?」
「烏白バ角な話だ。オレが上。それを証明してお前の軽口を利口にしてやる」
上等だ。昂る熱と共に、これまでに感じたことのない風と出会える予感を抱いてターフへ向かった。
「さて、そろそろ始まるか」
「ええ、このトラック…条件は2400mね」
影の面積が少しずつ大きくなってきた昼と夕方の境の時間に、シリウスシンボリとメジロラモーヌはトラックを囲う柵越しに、ターフにて体を解している2人のウマ娘、ルドルフとシービーを見ていた。
「にしても珍しいものね。ルドルフがあの手合いの勝負に乗るだなんて」
「普通、同世代の奴らならルドルフを避けるからな。挑むやつが珍しいのさ。…にしても、随分と虫の居どころが悪そうだな、ルドルフ」
「いい目だわ。素敵よ。やはりあの獅子のような情熱、魅力的ね」
まだ、他のウマ娘も練習を始める前、遠目からでも感じるオーラを2人は纏っていた。大一番の様相を呈するレベルの圧だ。あれでは、生半可な度胸のウマ娘では近付くこともままならないだろう。完全に2人の世界が出来上がっていた。
「何言ったか知らないが面白いもんが見れそうだ。なんせこの空気感、デビュー前には見えねえ。2人ともな」
「ミスターシービー。見せてもらうわ、貴方のレースへの愛を」
静かにルドルフとシービーは横並びになり、ルドルフはポケットからなにか硬貨のようなものを取り出した。握る拳の親指の上に乗せ、2人は走り出す構えをとる。ベンチ、通路を挟んで見ていたシリウスとラモーヌは今か今かと待ち構えていた。感覚が深くなるにつれ、風の感触が重くなっていく。
構えて少しの間、ルドルフは目を見開いた瞬間、親指に信号を送り、硬貨を前へ弾いた。高く弧を描いた回転する円盤が地面に近づくのに比例して、シービーの口角が上がる。
とすっ。
柔らかく芝がそれを受け止めた瞬間、どっと音が轟いた。芝が抉れたのだ。まず開幕でリードを作ったのはルドルフ。それに続いてミスターシービーが追い始めた。並びはせず、斜め後ろについている。
「少し出遅れたが、焦る様子は全くないな」
「あの様子、いつものことなのかしら。スタートは少し不得手のようね」
「となると先行ではなく、差し追込のタイプか?…あの性質ならそうなるか」
冷静にシービーを分析し始める2人。出遅れのことで評価を下げることはしなかった。肌で感じていたのだ。ミスターシービーというウマ娘の底知れなさを。
第二コーナーを曲がり向こう正面へと展開していった。周りも気になったのか気づいたのか、少しとはいえギャラリーがちらほらと現れてきた。ここまでで、前からルドルフ、シービーと続く構図は変わらず、そのまま進んでいく。側から見るとこれといった動きもない。しかし、学年を重ねているであろうウマ娘のギャラリーの中には唸るものも出てきた。シリウスとラモーヌは興奮しながらも顔に力が入っていく。
「……おい、これほんとにデビュー前の併走か?そんな次元じゃねぇぞ」
「ルドルフの圧に屈しない。それは珍しいことなのだけど……あの子、ずいぶん素直に乗ってしまっているわね」
レースに詳しくない者が見れば、何も起きていないように見える。
観察眼の肥えた者には、小さな動きが目についた。
ルドルフが少しの加速、半歩前へ出る。
少し落とす。
また上げる。
小さな横ベクトル。
その意味に気づいた者から笑みが消えた。
追えば、リズムを崩される。
合わせれば、脚を使わされる。
無視すれば、次の仕掛けが来る。
ほんのわずかな変化を、ルドルフは的確なタイミングで散りばめていた。新入生がこなしていいレベルの駆け引きではない。
見ている者の中には、じわりと冷や汗を浮かべる者まで現れ始める。
そして――
シービーは、まんまとその誘いに乗っていた。
ルドルフが上げれば、追う。
落とせば、合わせる。
また仕掛けられれば、また応じる。
自分の脚と、ルドルフの背中。
視線はせわしなくその二つを往復していた。
「……まずいな。完全にルドルフの間合いだ」
「ええ。このままなら、少しずつ脚を削られて――」
言葉が止まった。
第三コーナー。
まだ早い。
誰もがそう思った。
ルドルフも、おそらくそう思っている。
シービーだけが、違った。
ぐん、と身体が沈む。
次の瞬間、靡く鹿毛が弾けた。
「は!?」
駆け引きも、牽制も、そこまでだった。
ルドルフが少しずつ組み上げていたマッチレースの形を、シービーは第三コーナーからまとめて蹴り飛ばした。
仕掛けるには早すぎる。
残りの距離を考えれば、常識的ではない。
だからこそ、誰も想定していなかった。
磨き上げた駆け引きも、正しい仕掛け所も、その瞬間のシービーには関係がない。勝負に火がついた。ただ、それだけだった。
先ほどまでルドルフへ集まっていた視線が、一斉にその背を追う。
理にかなっているのは、ルドルフの方だ。
なのに、レースを壊したのは、その後ろを走っていたウマ娘だった。
――あれは、誰だ。
「もうスパートに入るつもりよ」
「抜き去る気か…はっ、常識ハズレもいいところだが…嫌いじゃねぇ…!行け!!あの暴君の首を獲れるんならなぁ!!」
第三コーナーに差し掛かってからの加速。この後の直線のことを考えると正気の沙汰とは思えないロングスパートだ。普通に考えて保つはずがない。血迷ったとしか思えない判断だ。最初は周囲のギャラリーも皆面食らったが、その後はどちらかといえば戸惑いの反応が多い。これでは敗色濃厚という空気になっていく。
しかし、シリウスとラモーヌはそうは受け取らなかった。
言葉を交わした時からか。
ターフで姿を見た時からか。
それともレース中の走る姿か。
いつからかはわからない。だが、予感がしていた。
このウマ娘は、時代を創る。
「はああああああああーーーーーーっっっ!!!!!!」
コーナーにも関わらず距離が詰まっていく。ルドルフのコーナリングが拙いわけでは断じて無い。ミスターシービーの加速で芝が躍動していく錯覚に陥るほど、彼女の走りに速度が乗っていく。
鬼気迫る、なのにどこか楽しんでいる、自己表現するかのような走り。例えるならば、演出家であった。
みるみる加速し、彼女を中心にボルテージが上がっていく。その勢いが伝播し見ていた者たちの戸惑いは興奮に塗り替わる。
ところだったのだが。
「まあ、そうなるよな。あの暴君に競り合い仕掛けちまったらな」
「ここからが本番ね。楽しませてくれるといいけれど」
自らのスピードで霞んでいく視界が連続する中、一瞬のスロウが差し込まれた。
ちらりと走るお互いの目が合った瞬間だろうか、シービーの目が捉えた顔は、獰猛な笑みであった。
「絶対はオレだ。今教えてやる」
ルドルフが加速した。新入生とは到底思えない大きなストライドを展開し、コーナーにも関わらず踏み込む脚の力強さが増していく。
そこから生まれるスピードは爆発的、縮まっていた差は停滞し始めた。差は2馬身。先行し続けていたにも関わらず、シービーの捲りと互角の勝負を演じ始める。
恐るべきスタミナだ。
「ルドルフの半バ身は200mある。ここで速度が上回らなけりゃ、勝ちの目は薄いな」
「ほんの少しずつ縮まってはいるわ。だけど…あの癖が出てるみたいよ」
「……。」
ルドルフの魅力と恐ろしさをよく知る2人は、改めて頭の中で考えを重ねていた。
「ほんと、タチ悪い暴君だよ」
第四コーナーの終わり際、まず最終直線に躍り出たのはルドルフ。間もなくミスターシービーが来た。まだ他のウマ娘が練習で使っていない整備されたトラックコース。踏み荒らされていない内ラチ沿いは実に素直にルドルフの推進力の助けとなっていく。そんなルドルフを交わすためにシービーは少し外を通り、目の力の入り方が変わった。スパートし始めてもう400m、速度を保つどころかさらにキレが増し始めていた。
「まだ、加速する脚残ってんのか…?」
唖然とするシリウス。当然だ。こんなパフォーマンス、重賞で数年に一度見るか見ないかの領域である。これで勝利しようものなら、歴史に刻まれるレースになる。ラモーヌはもはや、言葉を発することに頭のリソースを割くことなどしなかった。こんな愛、一滴たりとも逃してよいものではなかったからだ。
ルドルフは急激に強まった気配を肌で感じ、思わず後ろを確認していた。緑の瞳が、徐々に迫ってくる。夕陽に照らされた鹿毛は波打ち、精神のエナジーが身体中を駆け巡る。その時、シービーの心を知った。どこまでも幼く、どこまでも滾る、無邪気な熱を。
いいだろう…お前はオレの礎に相応しい!
その意思を決めてから、ルドルフの目が変わった。一歩ごとの圧力が明らかに増している。それに合わせシービーもその土俵に上がっていく。ノーガードの殴り合い、我慢比べ。もはや駆け引きも何も無い。目が合うと笑みを浮かべたルドルフに、シービーは全力でかかっていった。
シービーが一歩詰めた。
ルドルフが一歩伸ばす。
1と半バ身
さらに詰めに行った。
しかし離される。
2バ身
また目が合う。口角が、もう一段吊り上がった。
もっと来い
持てる全てを出せ
何かが弾けた。
「はあああああああああーーーーーーーーっっっっ!!」
「うおおおおおおおおおーーーーーーーーッッッッ!!」
パァン!!!!!!!
突然、大きく乾いた音が鳴り響いた。観衆も、熱狂の張本人たちも、瞬時に意識を持ってかれていった。集中を奪われた走る2人は、緩やかに減速していく。
「終いだ。2人とも」
腕を掲げ、握るピストルからは白い煙が登っている。信号器だ。音の元凶を空へ向けたまま、スピードシンボリはトラック2人へ近づいていく。
そんな彼女へ向けるシービーとルドルフ視線には、怒りの感情が宿っていた。
「やあ、精が出るじゃないかルドルフ」
「…スーさん?どういうつもりですか?いくら貴方でも、オレの覇道の邪魔は許せるものではない」
「止めるべきだから止めた。聡明な君なら、わかるよな?」
邪魔しないで。どういうつもり?と言いたいけど、実際のところスー先輩がアタシたちを止めた理由は察しがついてる。
…頭ではわかってるけど、心はそうじゃないってこういうことか。苦しいね。正直、ゴールまでレースしたかった。やめさせた先輩は、正直許せない。
でも、冷静な自分が顔を覗かせてから、少しずつ先輩に対する怒りは治ってきたし、アタシの脚も落ち着くよう訴えてきた。思わず目を伏せてしまう。
ルドルフはそうじゃないみたいだけど。
「今は手出し無用に願います。奴に彼我の差を」
「さっき家からいくつかふじりんごが届いたんだが」
瞬間、ルドルフの殺気がマイルドになった。尻尾も心なしか揺れている。
…へぇ、意外と可愛いところあるんだね。
ルドルフは口を尖らせながら目を右に左にと動かし、結構迷っている様子だったけど、鼓動の数が二桁もいかない程の沈黙の後、どうするか決めたみたい。
「…名を聞こうか」
「ミスターシービー」
「そうか、その顔、その名、そしてその走り。絶対に忘れることはない。次に走るとき、必ず無双絶倫のオレの力をもって叩き伏せる。覚えておくんだな」
「ルドルフ。早くしないとりんごが乾いてしまうよ」
「何処にありますか!?」
「リギルの部室に届けておいたよ」
スー先輩の声を聞いた途端、暴君は歩き出した。
いや、走り出した。
速い。
さっきアタシと競っていた時とはまた違う意味で、速い。あっという間に豆粒になって、そのまま消えた。
……そんなに好きなんだ、りんご。
改めて見て分かった。強い。とんでもなく。それはよくわかった。でも、スー先輩も大変そうだ。アタシとは違う種類の大人泣かせらしい。
「すまないねシービー。水を差すような真似をしてしまった」
「…なら、止めなければよかったんじゃない?」
心底からは思っていない。けど、そうしてほしかったっていう気持ちもある。ああ、やっぱアタシ思春期なんだね。整理のつかないまま、言葉を先輩に投げかけた。
「それは無理な話だ。あのまま走らせていたら、君の身体が壊れる可能性の方が高かった。2400mであれは流石に無理があったんじゃないか?」
知ってる。自分でも確証はないけど直感でやり始めたロングスパート。そこからの競り合い。自分でも剥がされていくような感覚を覚えたあの時、アタシは自分の力の制御など何も考えてはいなかった。未来のことを考えれば、スー先輩の判断は当然だった。
「俺から言わせたら、君たちはまだまだひよっこだ。才能はもちろん認めているが、それに耐えうる体は出来上がっていない」
「言ってくれるじゃん」
「そりゃ言うさ。なんせ俺は君たちのサブトレーナーなのだから」
「ま、そうだよね」
スー先輩は現在、トゥインクルシリーズから一線を退き、将来のために研修生という枠でチームのサブトレーナーとして動いている。なんでも、卒業後はUmamusume Racing Association、通称『URA』で働き、後進のウマ娘たちのサポートになることをしたいらしい。そのため、ウマ娘の育成に関わることを学ぶために学生ながら今のポジションにいるようだ。
「実際、走ってみてどうだった?楽しかったか?」
「うん、楽しかった。アタシとは真逆っぽいけど、いいね。なんというか、自分に嘘つけない感じなのが」
王道と言える走りだった。好位につけて、欲しいところで前に出て、そのまま突き放す。教科書みたいな走り。
――アタシとは真逆だ。それにあのストライドと冷静さ、おそらく逃げても追い込んでも成立するポテンシャルとレースセンスを持ってる。
でも、あの走りからはなんというか、こだわりを通り越した執念のようなものを感じた。アタシを捉えたあの視線。そこからのスパートでの競り合い、半バ身がとてつもなく遠かったように思う。体感でも200mはあるように感じた。
その時の様子、まるでアタシの速さにあわせて、並ばせないことを楽しんでいたような…
「あの子は1と4分の3バ身がお気に入りなんだ」
「…へぇ」
何も言っていないのに、頭の中をのぞいたように今のアタシの疑問にスーさんはそう答えた。
…無礼られたものだ。アタシとの勝負でそんなことやってる余裕があっただなんて。それに、1と4分の3バ身は軽い後方確認で相手を把握できる範囲内スレスレ。ルドルフにとってあのレースはまだ、勝つのに必要な力だけ使って走ったレベルのレースなのだ。全身全霊ではない、手を抜いた走り…
「ムカつく」
ほんとに腹が立つ。むすっとしたアタシの顔を見てスー先輩は笑いかけてくる。
「ご執心なのもいいけど、もう練習が始まるよ…なぁに、またいくらでもぶつかる機会はあるさ、気長に行こう」
若く美しいのに、老骨という表現と肩を組んでそうな言葉遣いに引っ張られ、アタシはターフを後にしていく。陽が傾いてきたことが意識に入って、ようやくチームでの練習時間が迫ってきたことに気づいた。
ひとまずミーティング…体冷やさないといいなぁ...
周りにも生徒が増えてくる中で、周りの観衆は練習に向かいトラックへ入場、さっきまでいた2人のオーディエンスはいつの間にか姿を消していた。
「恐れ入ります!こちらにシンボリルドルフはいませんか!?」
突然現れた鹿毛のウマ娘。その佇まいから、只者でないことが一目でわかる。精悍な顔つき、がっしりとした体格。特にトモなどの下半身は、見る人が見れば絶頂ものの逸材といっても過言ではない仕上がり。間違いない、時代そのものになる器だ。
しかしなぜだろうか、アタシはこのウマ娘を見た時、ちょっと胸の奥がざわめくような感覚をおぼえた。
「ごめんよ、たった今リギルの部室に戻ったところだ。入れ違いになってすまないね、優等生」
「いえ、とんでもございません。こちらの手落ちですのでお気になさらないでください。」
丁寧な物言いだが、単なる謙りといった雰囲気はない。どこまでも根が真面目な優等生タイプなのだろう。それを裏付けるように、凛とした声とその目つきから覇気がぶれるようなことが一切ない。…いいなぁ。走ったらすごく楽しそうだ。
「リギルのウマ娘?」
「おお、興味持つと思っていたよ。…すまない優等生。この子はミスターシービーというんだが」
「ええ、存じております。スピカ期待の新人とお聞きしたことがあります」
「よく知ってるじゃないか。未来のエースだ!よろしく頼むよ」
アタシの肩に手を置いて親しげに話す先輩と、リギルの『優等生』。アタシよりも学年は上であることはなんとなくわかった。こっちからも挨拶しとかなきゃね。
「アタシはミスターシービー。よろしく」
「あら、よろしくお願いします。挨拶が遅れてごめんなさい」
物腰は柔らかいまま、堂々とした様子で返事をする『優等生』は後輩の私にも礼を欠かさず、名を教えてくれた。
「私はトウショウボーイと申します。以後お見知り置きを」