「くっ、ミスターシービー…いったいどこにいるんだ…!」
「よう、随分と機嫌が良さそうだな、ルドルフ」
「どうした、シリウス。どう見えているのか知らんが、これが機嫌のいいように見えるのか?」
「ああ、いつにも増して牙が隠せてねぇな」
「ふん…否定はしない。ところでシリウス、お前ミスターシービーというウマ娘を知らないか?」
「ああ、知ってるぜ」
「何処にいる?」
「それは知らねぇな」
「何故知らないんだ」
「知らねぇよ」
時間は正午。食堂にて食事をしながら頭を悩ませていると、気取った口調が耳にずかずかと踏み入ってくる。
オレの周りでは珍しく砕けたやりとりができる相手、シリウス。オレの目的の助けになるかと考えたが、当てが外れたな。
今オレの頭にあるのは専らあのウマ娘、ミスターシービーのこと。奴と走った血湧き肉躍るあの瞬間を思い出すたび、興奮と共に切歯扼腕の思いが溢れてくる。スーさんが横槍を入れなければ、こんな衝動を抱えず叩き伏せて終わらせられたというのに…
ともかく、オレが特定のウマ娘にこんな感情を抱いていることを知れば、シリウスは水を得た魚の如く揶揄ってくるだろう。そこは悟られないようにしなければ。
「聞いたぜ、ルドルフ。お前、リギルの先輩に圧勝したらしいな」
「ああ。流石トレセン学園最強のリギルに属するだけはあったが、相手が悪かったな。俺に勝てるやつなど存在しないのだから」
シービーとのレースが終わったあと、リギルに届けられたふじりんごを食べて溜飲を下げていたが、その場面を併走予定の先輩に見られ、煽られたのだ。
『おや、シンボリのおぼっちゃま。そんなにニコニコと随分余裕のあることで。もう少し後輩としての振る舞いってのを教えてやらんといけないみたいですねぇ』
オレを無礼たやつは例外なく潰す。先輩との併走で起こった蹂躙は、オレからすれば当然の帰結だ。虎の尾を踏み、卵で石を割ろうとするが如きバカげた言動をとる先輩は愚かとしか言いようがなかった。
なにより、ふじりんごとの至福の時を邪魔したのだ。
許さん
ふじりんご。それは至高無上。芳醇な甘い香り、噛んだ瞬間に白昼夢の視界に染まっていく蜜、シャキシャキと爽やかな食感の後を追って口いっぱいに広がる酸味と甘み…魅力を語り出したらキリがない。ふざけるな、ふじりんご。ここまで私を誑かすとは…その原罪の肩書きすら生ぬるい旨さを有している自覚はあるのか!
「おい、聞いてるか?」
「ああ、もちろんだ」
「…本当か?」
「本当だ」
くっ、シリウスめ。しつこい。とりあえず次の発言を聞いて文脈を遡ってやるからさっさと話せ。
「おかげでスーさんから『もう少し見ててやってくれ』だの色々言われたんだよ」
「…ふん、知ったことではない。見てるのなら勝手に見ていればいい。」
さっぱりわからん。とりあえずスーさんはオレのことで気を揉んでいるのだろうか。シービーとのレースのことだろうか、それとも先輩を潰した時か…思えば、あの時のオレ、決まってたな…
『我が覇道の前に、滅びよ!!』
『ぎゃあああああああああああ!!!!!!』
レース中の言葉とは思えんが、実際に発した言葉だ。昂ったが故の産物だ。仕方ない。しかし、オレのレースがそこらの有象無象と同じであっていいわけもない。覇を唱えるとは、そういうことだ。
だが、昨日の何かしらを受けて、スーさんはオレの振る舞いに思うところがあるらしい。だから、シリウスをよこしたんだろう。面倒至極なことだ。
「まあいい…それで?これからどうすんだ?そのシービー探しか?」
「その通りだ。お前も手伝え、シリウス」
「はっ、他人にモノ頼むならもっと弁えな?」
「手伝え、シリウス」
「口の利き方考えろって言ってんだよ」
「手伝え、シリウス」
「…わかったよ」
ふっ、シリウスはオレのいうことを結局聞いてくれる。奴は押しに弱い。畢竟、面倒見がいいことをオレは知っているからな。それに…かわいいやつだ。
「とりあえず、どっかのクラスでも当たるか?」
「そうだな、終業後、ここにまた来い」
「はいよ。暴君サマ」
ひとまず解散だ。授業を受けに行かなければな。あくまでもシンボリの肩書きを背負うもの、品行方正で然るべきである。
「…足取りが掴めんな」
「ひとまず、C組にいることはわかってんだけどな」
片っ端から同級生たちに聞いて回ったが、皆『ひいいいいいい』と言ってコミュニケーションが完結する。悪いが、オレはこれで気分が良くなる気質ではない。もはや、オレと話せる奴を探すことから始まっていた。
シリウスはタラシの素質があるからか、くっ…むしろ集まっている気がする。しかし、C組にいること以外、有力な話は出て来ず捜索は難航した。なぜなら、件のC組に来たがクラスにいなかったのだ。しかも、今日の午後からいないらしい。
…何をしている。出会った時からつかみどころはないと思っていたが、まさかここまで自由気ままだとは思わなかった。学生の本分について問いただしたいところだ。
「おう、どうした?構って欲しいのか?なら、それ相応にソソられるおねだりを考えな?」
「ひょええええええ」
もう駄目だ。シリウスは他のウマ娘の相手をしていて使い物にならん。大体なんだその語彙は。かつてのオレの影響か?顎に手を当て考えているそんな時に。
「どうしたんだあんた。なんか悩み事か?」
「ん?ああ、シリ…違う、ミスターシービーというウマ娘を探しているんだが、心当たりは?」
「ああ、知ってるぜ!そこの角の席だ!」
赤いリボンが際立つポニーテールの黒鹿毛のウマ娘は陽当たりの良い窓際の席を指さして胸を張った。しかし、誰もいない。
「今、何処にいる?」
「それはわからねぇ。いつもすぐ消えちまうからよ」
また振り出しか。せっかくオレ相手でも話しかけられる大胆不敵なウマ娘を見つけたと思ったのだが…
「チッ…そうか…」
「あ、でもチームのウマ娘に聞けばわかるかもな」
「詳しく聞かせてもらおうか」
「お、おお…急に前のめりだな」
「なんだ?有力情報発見か?」
尻尾を掴む千載一遇のチャンスだ、逃してなるものかと思わず顔を近づけてしまう。少したじろいで彼女は後退りした。
…いかん、急いては事を仕損じる。ひとまず先ほど対面していた位置に戻る。シリウスもこちらに意識は傾けていたのかすぐに反応してこちらに来た。
「ええと、シービーはスピカってチームに入ったって聞いたぞ。だから、そこのチームメイトに聞けばわかるんじゃないか?」
「なるほどな。いや、参考になった。感謝する」
今日初めて、やっと欣喜雀躍な情報を聞くことができた。思わず笑みが溢れる。その瞬間、少しだけ周りがざわついた。
「る、ルドルフ様が笑ってる…!?」
「ははははっ!いくらなんでも恐れられすぎだろ!」
おのれシリウス。この状況を面白がっているな。
一旦置いておこう。まず優先するべきはシービーに会うことだ。
「スピカか…名は聞いたことがある。リギルのライバル面をしている奴らだ。…丁度いい、チームスピカがどれほどのものか『品定め』してやる」
「あ、ならついでにプリント渡しといてくれ!今日これ渡される前にいなくなったからよ!」
「オレを遣いにする気か?」
「え?会うんだろ?」
「暴君サマ。別にそんな悪意はねぇだろコイツに。単純にバカなだけだ」
「何!?あたしそんなバカにされるようなことしてないだろ!」
「悪ぃ悪ぃ、いきり立つなよ。プリントなら私から渡してやるからさ」
そういってシリウスがプリントを片手で受け取り、ひらひらとさせた。つい反射で、『不敬』にあたる言動が見られた瞬間に昂ってしまう。温良恭倹な外面が要求される場ならばそう振る舞えるが、ここではそのような必要はない。
だから、改める気もない。
「それはそれとして、アイツはチームに所属しててあんなレースやったのか?どうなってやがる…」
「それに関してはオレも何も言えん」
やめろ、あの後オレもトレーナーから小言を言われたのだ。思い出させるな。ひとまず、目の前の黒いポニーテールに筋は通さねばな。
「礼を言うぞ。オレはシンボリルドルフ。お前の名はなんという?」
「あたしはカツラギエースだ!!以後、よろしくな!ルドルフ!」
「気安く名を呼ぶな」
「いいじゃねぇか!名前は呼ばれるためにあるんだぜ!」
「うぬう」
「行くぞルドルフ。お前が欲しいものははそこにあるんだろう?」
言われなくても行くつもりだ。指図するな。急げ。
だが、その前に。
「あんなレースと言ったな?お前その場で見てたのか?」
「あ」
「ふん、盗み見とは趣味の悪い奴だ」
「別に盗みじゃねぇよ。立ち見だ」
「同じことだ」
スピカの部室に向かって歩く道中、オレは一昨日の併走をコソコソ見ていたシリウスを問い詰めていた。全く最初から見ていたとはな。
しかし、事情を知っていても、シリウスはオレを揶揄ってくることはなかった。どうやら勘違いをしていたらしい。
この頃、自分でもよくわからないことが多くなった。理論的ではない、論理破綻が常に脳を支配するような感情の奔流。これは一体、なんなのだろうか。
「アンタの気持ちもわかってるから今手伝ってるんだぜ?不完全燃焼なのは同じさ」
「…そうか」
「なんなら、学校中が知ってるぞあの併走。」
それは、今日聞き込みをしていて実感した。
最初はミスターシービーの名を出してもわからないといった反応を返されるが、以前併走したことを話すと『あのウマ娘さんですか!』と皆知っているようだった。何処の誰かまでは知らなかったみたいだが。
「話題にもなるさ。あんなもん見せられたらな」
「当然と言えば当然だな。オレが走っているのだから」
「どっちかは絶対『三冠ウマ娘』になるってよ。まあアイツがどうなるかは知らんが、お前は確実だろうな」
『三冠ウマ娘』
ウマ娘の生涯の中で一度しか走れないクラシックレースである『皐月賞』、『日本ダービー』、『菊花賞』の3つを全て勝ったものに贈られる、トゥインクルシリーズ最高の名誉ある称号の一つ。名実ともに日本競バの頂点として永久に名が刻まれる。
日本でクラシックレースが創設されてから久しいが、三冠を獲るに至った者は歴代でも2名しかいない。
要は、オレの未来の肩書きの一つだ。
「ふん、『三冠』など、オレの礎の一つに過ぎん」
「…変わらねぇな」
「当たり前だ。三冠は通過点。オレが獲るのは世界の頂点だ」
そう、これはオレの使命であり、宿命であり、立命。全世界を席巻し、玉座に君臨する。皇帝の神威は地の果てまで轟き、空を超えて天を衝くのだ。
その崇高な目的のためにも、奴には勝たなければならない。まだ勝負は終わっていないのだから。
「だったら、私も黙ってられねぇ」
シリウスが立ち止まり、オレに指を指した。そこらの有象無象なら威圧しその態度を改めさせるところだが、奴に関しては見逃してやる。それなりに『やる』奴だからな。
「私の望みは、世界一輝く星になること。世界を喰らうのはこの天狼だ。お前に、負けてられねぇ」
「なら、もっと精進することだな。オレの方が上なのだから」
オレを目の前に望みを語ることのできる者…それはあまりにも少ない。かつて所属していたクラブでも、周りが勝手に萎縮していった。その上でも突っかかり挑み続けてきたシリウスには、こういうのもあれだが敬意を払っている。それはそれとして、隙を見つけたら揶揄ってくるところが少々厄介だが、可愛いものだ。おおよそは一転攻勢になり奴の顔が赤くなるからな。
「お前もあの併走を見ていたならわかっただろう。オレに勝つにはあれを上回らなければならないからな」
「ああ…悔しかった」
「仕方ないさ。オレの力を見れば大体のやつが」
「違う。あんなルドルフ、久しぶりに見たから悔しかったんだ」
「…なに?」
先程の啖呵とは違う、裏の感情を表出させたシリウス。その顔にはどこか忸怩たる思いを纏わせていた。
「…この頃、退屈だったんだろ?あの時の顔見てりゃわかる。ライバルがいないってな」
「いないのは当然だ。オレは最強なのだから」
「けど、あの時のルドルフは笑ってた。そんとき思ったよ。今の私じゃ、お前をあんな顔に出来ねぇってな。」
…むず痒いな。客観的にあの時のオレを見た奴から、こう言われると、よほど愉悦に動かされるままに走っていたようだ。だが、シリウスの言っていることは事実だろう。オレはあの時、楽しかった。そのことでお前の目が澱むのなら、オレから言えることはこれだけだ。
「そうか、なら待ってるからな」
「え?」
「お前にとっては、オレのライバルたり得ないのは今なのだろう。ならば強くなれ。強くなって、オレの首を獲りに来い。無論、オレもお前という『一等星』を墜とすつもりでやってやる」
不退転の意志には、相応の全身全霊で相対する。それこそ、王者に求められる姿。強い者が王者になるべきであり、王者は常に強くあるべきなのだ。何処か霧がかっていたシリウスの目はいつものように赫赫しい輝きを取り戻していた。
「…わかった。なら見てろよルドルフ!私を…!」
「ああ、お前がオレを見ている時、オレもお前を見ている」
「の割には気づかなかったみたいだがな」
「…言葉遊びを本気で指摘するな。無粋な奴め」
「…シービーとの併走、凄かったぞ。改めて言っとく」
「ふっ、見え透いた世辞などいらん」
「私も楽しませてもらったわ」
「ら、ラモーヌ!?!?」
な、なぜ急にラモーヌが…!?まずい、何かよろしくない言動をしていなかっただろうか。というか毛艶は問題ないか?戸惑うオレを見てニヤニヤとし始めるシリウスに腹が立ってきた。しかし、感情を乱してはいけない…
「あの時の貴方、素敵だったわ。とても…思い出すだけでもうっとりとしてしまうの」
「よぉ、ラモーヌ。…だってよ、よかったな暴君サマ」
「き、君も見てたのかラモーヌ」
「私と2人で見てたのさ」
「シリウス貴様ァ!!」
前言撤回だ。こいつはオレの敵だ!コソコソ見るだけでは飽きたらず、ラモーヌと一緒に見ていただと。
巫山戯るな
爆発した感情の思うままに、オレはシリウスの襟に掴み掛かっていた。
「落ち着けよ暴君サマ。レディの目の前だぜ?ジェントル気取るならもっと綽綽としてろよな」
余裕のある振る舞いで、オレの手をトントンと叩くシリウス。くっ、オレが乱れたら奴はこう返してくる。まずいな…チェスを思い出せ。目の前の布石にそのままかかっていけば負けは必至。頭を冷やせ、深呼吸だ。
「ふう…取り乱してすまなかった、ラモーヌ」
「いいのよ。情熱的な子は嫌いじゃないわ」
「…っ!」
「今からシービーに用があるんだ。一緒にくるか?」
「あら、そうなのね。では、エスコートしてくれる?ルドルフ。貴方のその愛のオリジンまで」
「あ、ああ…もちろんだ」
調子を崩されたが、やることは変わらない。ラモーヌを交えてスピカへの部室に向かっていった。
…やはり、ラモーヌの横は心が浮き立ってしまうな。
「ホントに迷わず来られたな」
「一度校内マップを見たからな。大体一回見たら覚える。人の顔なども然りだ」
「このだだっ広い学園をか?よくやるな」
スピカの部室の前まで来た。部室というか小屋だが。鍵がかかっているとこを見ると部室の中には誰もいないようだ。リギルと比べると、言葉を選ばず言わせて貰えば貧相だ。だが、見てくれで力は測れない。あのミスターシービーがいるチーム、どれほどのものか試させてもらおう。
「ここが、シービーの部室なんだってよ」
「スピカね。なるほど、熟れているわけだわ」
「なにか知ってんのか?」
「スピードシンボリのトレーナーが前からここを担当しているのでしょう?」
「何!?そうだったのか!?」
それは知らなかった。確かに、スーさんはあのトレーナーを慕っていた。なぜサブトレーナーの研修でスピカを選んだのか謎だったが、納得がいった。
だが、スーさん。それくらい教えてくれても良くないか?リサーチをかけていなかったとはいえラモーヌが知っていてオレは知らないというのが、少し恥ずかしい。
まあ、シリウスも知らなかったみたいだし、いいか。
「でもいなさそうだな。このプリントどこ置いときゃ良いんだよ…ルドルフ、どうする?」
「いや、何処かに練習に行っているのかもしれん。終業してまだ間もない…近場を見るぞ」
視点を動かしてすぐ、孤独なシルエットを捉えた。1人で部室の目の前のベンチに長い黒鹿毛の小柄なウマ娘が佇んでいた。
土のついた運動靴に、大きく豊かな黒い尻尾。鼻目立ちは丸く柔らかい。何処か野暮ったいが穏やかな気質を感じた。土臭さに親しみを感じながらも、オレの中で警鐘が鳴っていた。これは…歓喜の音だ。
「おい、お前」
声をかけた。静かで山風のような柔らかさから一転、身体が強張ったのがわかる。
…警戒されたか?
まあ、そんなものなんの意味もないが。
「…なんですか?」
「ミスターシービーというウマ娘を知っているか」
「シービー…しってる」
「ほう、では何処にいる?」
「さあ…」
「くそっ、なんでこうも同じ流ればかりなんだ!!」
「荒ぶんなよ。しょうがねぇだろ」
こうも繰り返されては、苛立ちも募るというもの。シービーの件はやめだ。ひとまず、確認すべきことがある。
「お前、スピカ所属のウマ娘か?」
「…そう」
「練習は?」
「今日、オフ。休み」
くっ、リギルも今日オフで時間を作れると思ったがここもか。巡り合わせが悪いな。
「これ、部室かシービーに届けてくれよ。クラスの奴に託されたんだ」
「!?…全く、もう…」
一瞬、瞳孔が開いたな。持っている雰囲気が何処かちぐはぐだ。シリウスがプリントを手渡して頼んだ時、明らかに獣と類する力が宿った。
…面白い
「そうか、ミスターシービーの行き先に心当たりもないか?」
「…ない。ガビー、どこにでもいく」
要領を得ないという訳では全くないが、端的を超えた話し方の為、こっちのペースが乱されそうだ。何はともあれ、目の前のウマ娘はスピカのウマ娘。ミスターシービーとは別件だが、『品定め』には丁度いいかもな。
「わかった。ではお前に用があるんだが…」
ダッ!!!!!!
オレの目の前から逃走。
逃がさん
「待て貴様!!」
「よし!ついてこいよラモーヌ!!!」
「ええ。もちろんよ」
脱兎の如く駆け出した黒いウマ娘。この間のシービーとの併走での逃げの形になった先行とは違い、俺が追う側。だからといって、オレの走りに揺らぎなどない。
一方で相手は開幕から全速力で走り続けている。この様子…どうやら相手は逃げが主戦場だな。良いだろう。どんな兎も全力で狩るのが獅子、王者の在り方だ。
「ハッ、ハッ、ハッ、ハフッ!ヒッ、ヒッ!!」
「逃げられると思うなよ貴様!!絶対捕まえてやる!!」
「ぴいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!」
「おい、なんか…いたたまれないぞ」
「こんなハイペースで着いていくのなんて初めて…でも、悪くないわ」
奇怪な声を上げながら走り続ける目の前のウマ娘。このペースならば、そろそろ1000mを超えた頃か…奴は1分近く全力疾走していることになる。だが、まだまだ走れるようだ。
…いいぞ。
この学園は素晴らしいな。こんなにもオレを興奮させる存在が蔓延っているとは!
「ぴいいいいいいいいいいいいい!!!!!!」
「…ん?なんか今、聞こえた?」
「この声…」
「ガビーさんの知り合いっぽい?」
「そうだけど、うーん……別に大したことなさそうだからいいわ」
「おっけー」
「あー、すごいここ。すごい気持ちいい。シービーちゃん良いセンスだわぁ」
「じゃ、おやすみー」
「んー」
おかしい。何だこれは。全く垂れる気配がない。しかし、もうこの学園の屋外の道は全て通ったはずだ。しばらく後ろに気を回していなかったが、着いてきているのはシリウスのみ。ラモーヌはマイルから中距離が適正のはず。通常のレースでも異常なこのハイペースが長距離で続いたならば脱落も致し方ない。…くっ、では、奴に勝利する瞬間も見てもらえないのか…おのれ、だからといって!
「決して…諦めんぞ!!勝つのは、オレだああああ!!!」
「わああああああああああ!!!!!!」
「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ!」
シリウスも疲労困憊のようだ。オレも認めたくはないが、限界が近い。だが、相手もフォームは滅茶苦茶になっている。はっきり言って壊滅状態だ。もう体力も底をついているだろう。見えてきたぞ、お前の首が!!!
「うおおおおおおおーーーーーー!!!!!」
限界が近いが、足場が舗装された道に入った。すかさずオレはストライドを先ほどよりも大きくとり、スパートをかけていく。紫電一閃の踏み込み、疾風迅雷の加速。
いいぞ!シービー、先輩との併走でフォームの改善点を見直したが、手応えが凄まじい。
差が縮まる。
差が縮まる。
差が縮まる。
横顔を捉えた。
目が合う。
この世のものとは思えなかった。
「ぎゃああああああああああああ!!!!!!!!」
「バカな…」
なぜ、お前が加速する。ずっと全速力で逃げていたはずだ!なぜ二の足がある!!
戸惑うのも束の間、奴は校門に出てウマ娘専用レーンをそのままのペースで走り去っていった。
オレは校門を出ることができなかった。教室にまだ荷物もある。門限も近い。
…いや、違う。もう、限界だった。今のオレでは、アレには追いつけない。
考えてみろ。奴は最初から全速力だった。フォームもとうに崩れていた。体力だって底をついていたはずだ。
なのに、オレが横に並んだ瞬間――さらに加速した。初めてだ、こんなにも走っていて戦慄を感じたのは。
…狂っている。
化け物め…
思わず胆戦心驚とし、走り去り見えなくなった背中を、膝に手をついて見つめることしかできなくなっていた。思えば、最初に奴を見た時から警鐘は鳴っていた。
あれを、オレは強者と出会った歓喜の音だと考えていたが…
あれは、生物としての危機感だったのではないか?
程なくして、頭を上下させながらシリウスが走ってきた。そのまま肩で息をするオレの横の芝生に倒れ込む。目を開ける余裕もないようだ。…無理もない。むしろ、喜ばしいことだ。
「…シリウス。お前、よくついて来れたな」
「あ?」
「褒めてやる。以前ならもっともっと手前でへたり込んでいただろう。また、お前と走る時を楽しみにしているぞ」
「!?…ふんっ、いつまで、アタシの上でふんぞり、かえってる、つもりだ?いつでも、そこから、引き摺り下ろして、やるよ」
苦しそうな顔から打って変わって、シリウスは喜色満面な様子だ。かわいいやつだ。あんなにもオレのライバルであることを望み、あんなにもオレを打ち倒すことを望んでかかってくるというのに、オレを慕う心を隠しきれないのだ。全く、愛らしい。
ざわざわ
「…ん?」
気がつくと、周りにギャラリーが出来上がっていた。この時間帯、校門前は通行量が多くなる。大人数の前で随分と目立つ様を見せていたようだ。しかも、疲れ切って敗れた姿を見せている。恥だ…こんな経験、初めてだ。くそっ
「る、ルドルフ様」
「うん?なんだお前は。何か用か?」
「え、あの、その…」
「こ、この間の併走、すごくカッコ良かったです!!」
「…なに?」
「今の走りもすごかったです!!私もあんな風に走りたいです!!」
「走り方教えてください!!」
「「「ルドルフ様!!」」」
「ええい!何だこれは!!」
「へ、へへ…自分の顔でも、見てみろよ」
息も絶え絶えながら、笑っているのか、喘いでいるのかもわからない弾む声でシリウスはオレに促した。その意に沿うまま、近場の窓ガラスを見る。
その顔は、普段の目つきの鋭さもない。整えた髪型もいつのまにか緩まっている。目が合えば噛み殺してくるような気迫もない、ただただ容姿のきれいでいたいけな少女の顔があった。
「ルドルフ様、水ですよ。飲んでください」
「あ、ああ…礼を言おう」
全く、これでは覇を唱えるどころではないではないか!!!!
「許さんぞ、奴めぇ!!」
「…名前、聞いてねぇからしまらねぇな」
すぅ、すぅ、すぅ、すぅ…
ダダダダダダダダダダダダッッッッッ!!!!
「うえええええええええ」
何?急に騒音が耳に入ってきて目が覚めちゃった。以前、朝に来た川の土手。今日は夕方とこの間と違う条件で来ちゃった。やっぱり、とってもやすらぐ場所。
音で目が覚めて、体を起こして横を見ると、黒い艶のある髪を腰までゆったりと伸ばしたウマ娘。そして、制服という規格品に収めても、彼女の身体だけはどうにも規格外。長い手足も、豊かな胸元も、腰まで流れる黒髪も、この街の中では確かな存在感を放ち続けている。
だが、髪やスカートに付着した草や葉っぱ、土には全くの無頓着。お嬢様のような気品と野良猫のような図太さが奇妙なほど自然に同居する先輩、テスコガビーが横たわっていた。
元々、ここに1人で来る予定だったけど、ばったり出会したガビーさんにこの話をしたら、一緒に行きたいと言い出してそのまま昼寝した。あっちもいい感じだって言ってくれて嬉しかった。
ただ、見知らぬウマ娘がいた。その子はガビーさんの胸に飛び込んでひたすら嗚咽を漏らしていた。白い前髪が黒髪を一刀に割り、その奥から覗く赤い目が、そのウマ娘を優しく受け入れている。
「こわかったよぉ、こわかったよぉぉぉぉ、たすけてガビー…」
「おお、よしよし。何があったか知らないけれど、今のところ何も来てないよー」
「ううううう」
「えっと…これ、誰?」
「あっ、そっか。まだ会ったことなかったのね。…カブラヤオー、チームスピカよ」
「ええ!この子が!?」
トレーナーから話は聞いていた。もうそろそろデビューするスピカ期待のウマ娘。ただ、ミーティングで見たことはない。それどころか、チーム練習でも見たことがない。大体別の場所で走っている印象だ。
「で、逃げてきたのかしら?」
「『待て貴様!』って言われた…何もしてないのに…ってあれ?シービー?」
何であっちがアタシを知ってるのかについて気にはなったけど、多分情報が共有されてたからだと思うから突っ込まないでおいた。
「これ、そのウマ娘さんたちから。プリント…」
「え?」
「走りながら探してたけど、どこにもいなくて困ったよ…せめて校内にいてよね!!」
「ああ…うん…ごめん」
「ああ…ガビー…」
「よーしゃしゃしゃしゃ、怖い思いしてもよくできましたねー。えらいえらい」
ガビーさんがカブ先輩の頭をかき回す。だいぶ力が強いのか、カブ先輩の頭の挙動は首が座っていないマネキンみたいになってた。でもしがみついて離れる様子はなかった。
「それはそれとして、カブちゃん」
だがそんな微笑ましい時間もちょっとだけ。
「面白そうだから、そいつらの話聞かせてもらえる?」
先ほどの眠そうな顔の雰囲気はとっくに吹っ飛んで、カブの顔を両手で挟んだ。むぎゅっと音を鳴らすカブ先輩。これはいけないかも。とりあえず、何でプリント持ってたのかわかんないけど相手に心当たりあるから一旦聞いてみよう。
「カブ先輩。その追ってきたウマ娘って、ショートの鹿毛で白い流星のある、怖い紫色の目の子?」
「そ、そう…なんでわかったの?」
ビンゴだね。
「それ、シンボリルドルフって子だよ。この間走ったんだ」
「へぇー…じゃあシービーちゃん、知ってるんだ。その子のこと」
「他にも追ってきてた、そのシンボリルドルフって子に似た感じの子…」
「ああ、シリウスかな?多分同じシンボリのところの子だよ」
「詳しいわねぇ、シービーちゃん」
とりあえずカブ先輩にやってた両手でのロックオンが解除された。よかったね。ちょっと顔潰れてたもんね。
と、安心して緩んだその瞬間、急にヘッドロックが飛んできた。いや、違う。これは肩を組まれている…んだけど、ガビーさんの大きな身体のせいで、だいぶ圧迫されてる。
「2人とも、そいつらについて、キッチリ教えてもらうわよ?」
ああ、『刺激』をちらつかせたアタシらの負けだなぁ…
その後、帰りの道中、カブ先輩に謝った。まさか生まれた因縁がこういう感じで周りを巻き込むと思わなかった。
でも、アタシ別に悪くなくない?