俺がマギカなのか……?改   作:きのこ大三元

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夜中ですが、更新です。


第55話 空いた席 

――鹿目まどか視点

 

 いつもの時間に、いつもの道を歩いている。それなのに、足取りだけが昨日までと同じにならなかった。

 

 朝の見滝原は何も変わっていない。通学途中の生徒たちは眠そうな顔で自転車を押し、交差点の信号が変われば何人かまとめて道路を渡っていく。コンビニの前では制服姿の子たちが笑っていて、遠くからは学校へ向かうバスの音も聞こえていた。

 

 自分たちだけが、その中から少し外れているような気がした。

 

 ほむらちゃんは隣を歩いている。少し前なら、私に何か話しかけようとするだけでも何度かこちらを見て、言葉を選んで、それでも結局言えないことがあった。それなのに今日は無理に何かを言おうとはせず、ただ私の歩く速さに合わせてくれていた。

 

 校門が見えてきたところで、足が止まった。

 

「……鹿目さん?」

 

 ほむらちゃんもすぐに立ち止まる。

 

「ううん。何でもない」

 

 そう言ってから、少しだけ校舎を見上げた。

 

 昨日までなら、ここから教室へ行けばさやかちゃんがいた。たぶん何か言って、笑って、いつもみたいに私の肩を叩いたりしていた。

 

 今日は違う。

 

「行こう」

 

「……はい」

 

 ほむらちゃんは理由を聞かなかった。二人で校門をくぐった。

 

 ◇

 

 教室へ入って最初に目に入ったのは、さやかちゃんの席だった。

 

 机の上には何もない。鞄も、教科書も、筆箱も置かれていなくて、椅子だけがきちんと机の中へ収まっている。昨日までなら何かしらそこにあった。さやかちゃん本人が座っていなくても、鞄か教科書か、途中まで飲んだ紙パックか、そういうものが必ず残っていた気がする。

 

 何もない机は、思っていたよりずっと目についた。

 

 私は一度だけ目を伏せ、そのまま自分の席へ向かおうとした。

 

 そこで、もう一つ空いている机に気づいた。田中さんの席だった。

 

『田中さんも……?』

 

 思わず足が少し止まる。

 

 横を見ると、ほむらちゃんも同じ机を見ていた。

 

「田中さんも、お休みなんですね」

 

「うん……」

 

 それ以上は分からない。

 

 さやかちゃんがいない理由と、田中さんがいない理由は、私の中ではまったく違う。でも、教室の中から見ればどちらもただの欠席だった。

 

 そのことが、少しだけ変な感じがした。

 

 ◇

 

 ホームルームが始まり、先生がいつも通り出席を取っていく。

 

「鹿目さん」

 

「はい」

 

「暁美さん」

 

「はい」

 

 自分たちの返事が終わり、何人か続く。

 

 それから、さやかちゃんの名前が呼ばれた。

 

「美樹さん」

 

 当然、返事はない。先生は一度だけ名簿に目を落とし、特に何かを気にした様子もなく印をつけた。

 

「欠席ね」

 

 そのまま次へ進む。

 

「田中さん」

 

 やっぱり返事はなかった。

 

「田中さんも欠席、と」

 

 先生の声は平坦だった。責めるでもなく、心配するでもなく、ただ事実を確認しているだけ。今日いない生徒が二人いる――先生にとっては、それだけのことなのかもしれない。

 

 でも、その「それだけ」が胸の中へ妙に残った。

 

 ◇

 

 休み時間になると、仁美ちゃんが私の席へ来た。

 

 いつもより少しだけ歩き方がゆっくりで、声をかける前にも一度、さやかちゃんの机の方を見ていた。

 

「鹿目さん。さやかさんから、何か連絡はありましたか?」

 

「……ううん」

 

 首を振る。

 

 仁美ちゃんは手元のスマホへ目を落とした。

 

「私も何度か連絡しているのですけれど、返事がなくて……」

 

 画面を指で少し動かし、また止める。

 

「昨日から、ずっと」

 

 そう言ったあと、仁美ちゃんの声が少しだけ弱くなった。

 

「……私のせいでしょうか」

 

「違うよ」

 

 自分でも驚くくらい、すぐに声が出た。

 

 仁美ちゃんが顔を上げる。

 

「仁美ちゃんのせいじゃない。本当に違うの」

 

「でも、私があんなことを言ったから……」

 

「違うよ」

 

 もう一度言う。今度は、少しゆっくり。

 

「仁美ちゃんは悪くないよ」

 

 仁美ちゃんはすぐには返さなかった。私の顔を見て、何かを考えるように眉を寄せる。

 

「では……何かあったのですか?」

 

 今度は答えられなかった。

 

 さやかちゃんについて、仁美ちゃんへ話せる言葉が何一つ見つからず、口を開こうとしても喉の奥で止まった。

 

「あの……」

 

 横から、ほむらちゃんの声が入った。

 

 仁美ちゃんがそちらを見る。

 

 ほむらちゃんは少し緊張したように眼鏡の位置を直し、それから言葉を選びながら話し始めた。

 

「鹿目さんも、まだ……整理できていないんです」

 

「……」

 

「だから、その……今はあまり、聞かないであげてもらえませんか」

 

 最後の方は少し声が小さくなった。

 

 仁美ちゃんはしばらく私とほむらちゃんを交互に見ていたが、やがて小さく頷いた。

 

「……分かりました」

 

「ごめんなさい」

 

 ほむらちゃんがすぐに頭を下げる。

 

「いえ。こちらこそ、ごめんなさい」

 

 仁美ちゃんも同じように首を振った。

 

 それから戻ろうとして、ふと田中さんの席を見る。

 

「田中さんも、お休みなのですね」

 

「うん」

 

 そう答えると、近くにいたクラスメイトが会話を聞いていたらしく、何となくこちらへ顔を向けた。

 

「田中また休み?」

 

「前も結構休んでなかった?」

 

「でも最近は普通に来てたよね」

 

 それだけだった。

 

 誰も大ごとだとは思っていない。田中さんは前から時々休んでいたから、今回も少し体調を崩したか、家の都合か、その程度に受け取られているらしい。

 

 その話題も、次の授業の準備が始まる頃にはもう消えていた。

 

 ◇

 

 昼前になると、先生が欠席者用のプリントを何枚か持ってきた。

 

「鹿目さん」

 

「はい」

 

「美樹さんの分、机に置いておいてくれる?」

 

「……はい」

 

 受け取った紙を持って、さやかちゃんの机まで歩く。机の上へ置くと、白い紙がやけに目立った。

 

 少しあとには、田中さんの分も別の子が持ってきて、同じように机へ置いていった。

 

 二つの机に、一枚ずつプリントが残る。明日か、その次の日には本人が戻ってきて、それを手に取る。先生も、クラスのみんなも、たぶんそう思っている。

 

 私も田中さんについては、そうなのかもしれないと思っていた。

 

 でも、さやかちゃんについてだけは違う。

 

 それが分かっているのが、自分たちだけだということが苦しかった。

 

 チャイムが鳴っても、さやかちゃんの机の上にあるプリントから、すぐには目を離せなかった。

 

 ◇

 

 昼休み、ほむらちゃんと二人で窓際に座った。

 

 お弁当を開いたものの、ほとんど箸が進まない。

 

 教室の中では、いつもと同じように笑い声がしている。誰かがパンを分け合い、別の子たちは次の休みにどこへ行くかを話している。

 

「みんな、普通だね」

 

 気づけば、そんな言葉が出ていた。

 

「……はい」

 

 ほむらちゃんも教室を見回す。

 

「さやかちゃんが明日来るって、みんな思ってる」

 

 ほむらちゃんは何も言わなかった。

 

「田中さんも……どうしたんだろう」

 

 少しして、私はもう一つの空席へ目を向けた。

 

「分かりません」

 

 ほむらちゃんは、本当に分からない顔で首を振った。

 

「何かあったのでしょうか……」

 

「連絡もないみたい」

 

「そうですか……」

 

 それ以上は話せなかった。窓の外から聞こえる運動部の声だけが、妙に遠く感じた。

 

 ◇

 

 放課後、仁美ちゃんは帰り支度をしながら、もう一度さやかちゃんの机を見た。

 

 朝より少しだけ机の上が賑やかになっている。配られたプリントや、先生から渡された連絡物が置かれていて、それがかえって本人が戻ってくる前提を強くしていた。

 

「明日は……来ますよね」

 

 仁美ちゃんが、誰にともなく言った。

 

 私は答えられなかった。ほむらちゃんも何も言わない。

 

 教室を出る前に振り返ると、二つの空いた席だけが、朝と同じ場所に残っていた。

 

 ◇

 

――マギカ視点

 

 学校から少し離れた場所で待っていると、まどかとほむらが並んで歩いてくるのが見えた。

 

 俺は普通の服のまま、通行人の邪魔にならないよう壁際へ寄っていた。刀もなければ魔法少女の衣装もない。白くなった長い髪だけが風に揺れ、そのたびに視界の端へ入ってくる。

 

 まだ慣れない。鏡を見るたびに誰だこれと思うし、外を歩けばなおさらだった。

 

 先にこちらへ気づいたのはまどかだった。足を止めるほどではないが、何秒かじっと見られる。

 

「……何?」

 

「あ、ごめん」

 

 まどかが慌てて首を振った。

 

「まだちょっと……見慣れなくて」

 

「まあ、俺もだよ」

 

 髪を少し摘まみ、先の方を見る。自分で見ても白い。

 

 横を見ると、ほむらも眼鏡越しに何度かこちらを見ていた。

 

「ほむらも?」

 

「す、すみません!」

 

「だから何で謝るんだよ」

 

「その……いつも魔法少女の姿で戦っている印象が強かったので、今のマギカさんを見ると、少し不思議で……」

 

 まどかも横から口を挟む。

 

「なんていうか、普通の女の子みたい」

 

「今までは普通じゃなかったのか?」

 

「そ、そういう意味じゃなくて!」

 

「……でも、少し分かります」

 

「ほむらまで?」

 

 ほむらが困ったように眉を下げる。

 

「すみません……」

 

「もう謝らなくていいって」

 

 まどかがほんの少し笑った。それにつられたように、ほむらの口元も少しだけ緩む。

 

 昨日からずっと重かった空気が、その瞬間だけ少し薄くなった。

 

 ◇

 

 三人で歩き始める。

 

 特に意識したつもりはなかったのに、気づけば俺がいつもの癖で少し前へ出ていた。

 

「あっ」

 

 後ろからほむらの声がする。

 

「何?」

 

「今は……あまり一人で前へ行かない方がいいと思います」

 

「歩いてるだけだぞ」

 

「分かっています。でも、その……」

 

 ほむらは一度言葉を止め、それから俺の身体を確かめるように見る。

 

「今は魔法が使えないんですよね」

 

「まあな」

 

 返事をすると、ほむらの表情が少し曇った。

 

「もし何かあったら、今までみたいには……」

 

 言い切る前に、まどかを見る。まどかもこちらを見ていた。

 

 ほむらは少しだけ迷ってから、今度は俺へ視線を戻した。

 

「今度は、私たちが守らないと」

 

「……俺を?」

 

「はい」

 

 ほとんど即答だった。

 

 自分でも言い切ると思っていなかったのか、ほむらの頬が少し赤くなる。それでも、言い直したりはしなかった。

 

「そっか」

 

 俺もそれ以上は茶化さなかった。

 

 少し前まで、守るとか庇うとかいう言葉は、だいたい俺が自分から使う側だった気がする。それをほむらから向けられるのは、思っていたより変な感じがした。

 

 ◇

 

「今日ね」

 

 少し歩いたところで、まどかが話し始めた。

 

「うん」

 

「さやかちゃんの席、空いてた」

 

 その言葉だけで、どんな机だったのか何となく想像できた。誰も座っていなくて、でも明日には戻ってくるみたいに何も変えられていない机。

 

「……そっか」

 

 それしか返せなかった。

 

 まどかは少し間を置いてから、もう一つ続ける。

 

「田中さんの席も空いてたよ」

 

 今度は、足まで止まりかけた。

 

「……田中も?」

 

「うん。先生も理由は分からないみたい」

 

 横を歩いていたほむらが俺を見る。

 

「学校のことは多分知らないと思いますが、マギカさん、何か知っていますか?」

 

『そりゃ来ないよな』

 

 最初に浮かんだのはそれだった。でも、すぐに別の考えが続く。田中がどうなったのかを、俺は本当には知らない。銀色が砕けて俺だけが残った、それ以上のことはまだ何も確定していない。

 

「……いや」

 

 少し考えてから首を振る。

 

「分からない」

 

 嘘ではない。

 

 ほむらは俺の顔を少しだけ見つめた。何か気になることがあるようにも見えたが、すぐに視線を戻す。

 

「……そうですか」

 

 まどかも、そのまま田中の話として受け取っている。

 

「心配だね」

 

「……ああ」

 

 風が吹き、白い髪が頬へかかった。俺は片手でそれを払う。

 

 学校では田中が休んでいる。その少し離れた場所を、白髪になったマギカが歩いている。まどかにもほむらにも、この二つを繋げる理由はないから、二人の中では何の矛盾も起きていない。

 

 それが少しだけ不思議だった。

 

 ◇

 

「身体は、本当に大丈夫なんですか?」

 

 田中の話が途切れてから少しして、ほむらがまた口を開いた。

 

「たぶん」

 

「たぶんって……」

 

 眼鏡の奥から、明らかに不満そうな目を向けられる。

 

「ちゃんと休んでね」

 

 今度はまどかも加わった。

 

「二人とも過保護になってない?」

 

「だ、だって」

 

 ほむらは少し言いにくそうに目を泳がせた。

 

「今まで、マギカさんが前に出すぎていたんです。危ない時も、すぐ自分から……」

 

「マミさんみたいなこと言うな」

 

 言った瞬間、三人の足がほとんど同時に止まった。

 

 しまったと思った時には遅い。

 

 まどかの表情から、さっきまで少し戻っていた柔らかさが消えた。ほむらも視線を落とす。

 

「……悪い。いや、今のは本当に悪かった」

 

 まどかは小さく首を振った。

 

「ううん。大丈夫」

 

 その「大丈夫」が大丈夫じゃないことくらいは、俺にも分かった。

 

 ほむらも何か言おうとしたが、結局小さく息を吐くだけだった。

 

 また三人で歩き始める。

 

 こういう時に限って、口が余計な仕事をするところだけは昔から変わらない。

 

 ◇

 

 しばらく歩くと、学校が少し遠くなった。

 

 まどかがふと振り返る。

 

「田中さん、明日は来るかな」

 

 俺もつられて校舎を見る。

 

 あそこに、自分が座っていた席がある。机の形も、椅子の硬さも、授業中に見える黒板の角度も、思い出そうと思えば普通に思い出せる。

 

 でも、その場所へ今の姿で戻っていく自分は想像できなかった。

 

「……どうだろうな」

 

 答えると、ほむらも学校の方へ目を向けた。

 

「連絡がつくといいですね」

 

「……ああ」

 

 二人とも、本気で田中を心配している。

 

 そのことが、少しだけ胸に刺さった。

 

 俺はここにいる。話もできるし、歩くこともできる。それなのに、二人が心配している田中は今も欠席したままだ。どちらも間違っていないからこそ、ややこしい。

 

 風に煽られた白い髪を押さえながら、もう一度学校を見る。

 

 田中は、もうあの席には戻らないのかもしれない。

 

 その考えが形になると、今まで曖昧にしていた問題まで一緒に浮かび上がってきた。

 

 田中が戻らないなら、学校にいた自分はどうなる。

 

 この身体で、今までと同じ名前を使うのか。

 

 それとも、田中とは別の誰かとして生きるのか。

 

 そもそも今の俺は、どっちなんだ。

 

『じゃあ、俺は?』

 

 まだ答えは出なさそうだ。

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