朝から、見滝原の空模様がおかしかった。
昨夜から吹き始めた風は時間が経つにつれて強まり、昼を過ぎても空は鉛色の雲に覆われている。テレビでは大型の低気圧が接近していると繰り返し伝えられ、窓の外では街路樹が大きく揺れていた。避難を呼びかける放送も、さっきから何度となく聞こえてくる。
一般の人にとっては、ひどい嵐が来る日なのだろう。けれど、俺たちはその正体を知っている。
ワルプルギスの夜。
あいつが、また見滝原へやってくる。
ほむらの部屋には、朝から物騒なものが並んでいた。床にはいくつもの鞄が置かれ、その横に爆発物や弾薬が種類ごとに分けられている。机には見滝原の地図と、ほむらが書き込んだ作戦用のノート。本人はさっきから同じページを開いては鞄の中身を数え直し、しばらくするとまた別の鞄を開けていた。
準備不足というわけじゃない。むしろ、これ以上何を準備すればいいのか、俺にも思いつかなかった。
「……ほむらちゃん」
まどかが声をかけると、ほむらはびくりと肩を揺らした。
「だ、大丈夫です!」
「えっ?」
「あ……」
ほむらは眼鏡を押し上げ、少し恥ずかしそうに俯いた。
「すみません。何でしょうか?」
「ううん。もうそろそろ出ないといけないから、準備が終わったかなって」
「あ、はい。それなら……多分、大丈夫です」
「……多分?」
思わず俺が聞き返すと、ほむらは慌ててノートをめくった。
「ち、違うんです。必要なものはちゃんと揃っていますし、数も確認しました。ただ、何か見落としていないかなって……」
「もう三回くらい数え直してるだろ」
「……四回です」
「増えてんじゃねえか」
思わず突っ込むと、ほむらが困ったように笑った。もっとも、笑ったのは本当に一瞬だけで、すぐに視線をノートへ戻してしまった。
無理もない。ほむらはあいつと戦ったことがあるし、俺もその恐ろしさを知っている。マミさんがいて、杏子もさやかもいて、それでも勝てなかった相手だ。その時より準備が整っている部分もあるだろうが、今回は人数が違う。マミさんも杏子もさやかもいない。そして俺には、もう刀を出すことすらできなかった。
ほむらが最後の鞄を閉じる。
「……準備、できました」
まどかが立ち上がった。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
二人が荷物を持ち、玄関へ向かおうとしたところで、俺は思わず声をかけた。
「……待ってくれ。俺も行く」
まどかが振り返り、ほむらも足を止めた。二人ともすぐには返事をしないので、俺は努めて普段どおりの口調を続ける。
「ほら、相手はワルプルギスだろ。さすがに二人だけじゃ厳しいって。俺だって戦い方は分かるし、離れた場所から様子を見るくらいなら――」
「駄目です」
ほむらの声が、俺の言葉を遮った。
あまりにはっきりした返事で、少し驚いた。まどかもほむらを見る。言った本人も自分がそんな声を出したことに驚いたらしく、眼鏡の奥で目を見開き、すぐに口元を押さえた。
「あ……す、すみません」
けれど、それで終わりにはしなかった。
「でも……今回は、一緒に来ないでください」
「ほむら」
「お願いします」
ほむらは俺の正面に立った。言葉を探すように何度か口を開き、それから握っていた鞄の持ち手を持ち直した。
「ワルプルギスの夜は、普通の魔女とは違います。私たちだって、どこまで戦えるのか分かりません。それなのに、今のマギカさんまで一緒に来たら……」
「分かってるよ。別に前に出るとは言ってない」
「それでもです。時間を止めれば、何でもできるわけじゃありません。遠くで建物が崩れても、すぐに助けに行けるとは限りませんし、私がマギカさんのところへ行っている間は……鹿目さんが一人になってしまいます」
ほむらの視線が一度だけまどかへ向いた。まどかは何も言わず、その続きを待っていた。
「もし、同時に何か起きたら、私には……二人とも守れる自信がありません」
今のほむらにとって、それは相当言いづらい言葉だったと思う。自分の力が足りないと認めているようなものだからだ。実際、最後の方は声が小さくなっていた。それでも、俺から目を逸らそうとはしなかった。
「……マギカちゃん」
今度はまどかが口を開いた。
「私も、来てほしくないな」
「まどかまで……」
「うん。今までたくさん助けてもらったし、マギカちゃんが一緒だと安心するよ。でも、今日は……」
まどかは一度ほむらを見て、それから俺へ向き直った。
「私たちに任せてほしいの」
「……二人で?」
「うん。ほむらちゃんと二人で」
まどかの声は穏やかだった。それでも、いつものように俺の顔色を窺っているわけじゃない。少し前まで、何かを決める時にはマミさんや俺の意見を聞いていたまどかが、今は自分からそう言っていた。ほむらも隣で頷いている。
俺は二人を見比べ、それから窓の外へ目を向けた。風で揺れた街路樹の枝が、窓ガラスを叩くような音を立てている。
戦場へ行けば、あんなものじゃ済まない。巨大な瓦礫が飛び、建物が崩れ、何十メートルも先から攻撃が届く。俺はその光景を知っているし、知っているからこそ二人だけを行かせたくなかった。
けれど、知っているだけでは何も防げない。
「……俺が行ったら、二人は俺のことも気にしなきゃいけなくなるんだな」
呟くと、ほむらが少し俯いた。
「……はい」
あの使い魔との戦いが頭をよぎった。刀を抜こうとして、何もない腰へ手を伸ばしたこと。まどかとほむらが、そんな俺を助けるために動いたこと。相手がワルプルギスの夜なら、あれより遥かに厄介なことになる。
俺を庇おうとした一瞬に、二人が攻撃を受けるかもしれない。それが分からないほど馬鹿じゃないつもりだ。
「……分かった」
まどかが顔を上げる。
「俺は行かない」
ほむらの肩から少しだけ力が抜け、まどかも安心したように息を吐いた。その顔を見て、胸の奥が妙に痛んだ。
悔しかった。二人が間違ったことを言っているなら、もっと簡単だった。いくらでも言い返せるし、最後には無理やりついていくことだってできたかもしれない。けれど、二人は正しい。そして何より、俺が一緒に行かないことで、少なくとも二人の負担は減る。
誰かを助けるために危険な場所へ飛び込むのは、今まで何度もやってきた。その反対が、こんなに難しいとは思わなかった。
「……忘れ物、ないか?」
少しして俺が尋ねると、ほむらはまた鞄を見下ろした。
「はい。多分……あっ、いえ。ちゃんと確認しました」
「また多分って言ったぞ」
「す、すみません」
「いいって。ちゃんと分かってるなら」
俺が笑うと、ほむらも少しだけ口元を緩めた。その手はまだ震えていたが、もう指摘しなかった。
「……頼むぞ、ほむら。お前もちゃんと帰ってこいよ」
ほむらが目を見開き、それからゆっくり頷いた。
「……はい。鹿目さんと一緒に、帰ってきます」
まどかも俺を見た。
「マギカちゃん。帰ってきたら、またお話ししようね」
「……ああ」
「二人で、ちゃんと帰ってくるから」
俺は頷きかけて、途中で口を開いた。
「……無理して勝とうとすんなよ。本当に駄目だと思ったら逃げろ。あいつを倒すことより、自分たちが生きて帰ることを優先してくれ」
まどかの表情が変わり、ほむらもこちらを見た。
言った自分でも少し驚いている。あれだけワルプルギスを倒そうとしてきたのに、今は逃げろと言っているのだから。
「……約束してくれ」
まどかはすぐには答えなかった。ほむらと顔を見合わせてから、俺へ向き直る。
「……うん。無茶はしないよ」
「私も、危険だと思ったら撤退を考えます」
ほむらも続けた。
絶対に守れる約束ではない。それでも、俺は二人の言葉を信じることにした。
「……じゃあ、行ってこい」
「行ってくるね」
「行ってきます、マギカさん」
二人を玄関まで見送る。扉が開いた途端、廊下の向こうから風が吹き込み、まどかの髪が大きく揺れた。ほむらは眼鏡を押さえながら一度こちらを振り返り、小さく手を振ったので、俺も片手を上げて返した。
二人の姿が見えなくなるまで、その場を動かなかった。
◇
――鹿目まどか視点
ワルプルギスの夜は、結界の中にはいなかった。
見滝原の上空を覆う雲が大きく渦を巻き、その中心から巨大な影がゆっくり姿を現していた。歯車と人形が入り混じり、上下が逆さまになったような身体が、建物よりもずっと高いところに浮かんでいる。風に巻き上げられた看板や瓦礫が周囲を舞い、その大きさを嫌でも思い知らされた。
遠くから甲高い笑い声が聞こえた。風の音に紛れてしまいそうなのに、不思議とはっきり聞こえる。
「……あれが」
私は思わず足を止めた。
何度も話を聞いていた。強い魔女だということも、前にみんなが戦って、それでも倒せなかったということも知っている。でも、実物を目の前にすると、思っていたよりずっと大きかった。あんなものと、二人で戦うのだ。
「……鹿目さん」
隣でほむらちゃんが盾を構えた。
「行きましょう」
「……うん」
私も弓を出し、空を見上げた。
最初に動いたのは、ほむらちゃんだった。
盾へ手を掛けた途端、隣にいた姿が消えた。次に見えた時には少し離れた建物の屋上へ移っていて、そこからもう一度姿を消し、また別の位置に現れた。途中の動きは私には分からないけれど、あらかじめ決めていた場所へ爆発物を運んでいるのだと思う。
何度目かに姿を現したほむらちゃんが、こちらへ手を振った。私も弓を構え、狙いを定める。
「鹿目さん、離れてください!」
「分かった!」
建物の陰へ身を引いた直後、上空で幾つもの爆発が起きた。耳を塞ぎたくなるような轟音が続き、巨大な魔女の周囲へ黒い煙が広がる。衝撃で歯車の一部が揺れ、ワルプルギスの身体がわずかに傾いた。
私はその隙間を狙い、矢を放った。桃色の光が空を走り、煙の向こうへ突き刺さる。
「……当たった!」
思わず声が出た。
けれど、ほむらちゃんは笑わなかった。
「鹿目さん、まだです!」
言われて空を見ると、爆煙が風に流れ、その向こうから巨大な影が現れた。
ワルプルギスの夜は、まだ浮かんでいた。
身体の向きは少し変わっている。けれど、倒れる気配はない。あれだけの爆発を受けたはずなのに、甲高い笑い声さえ途切れていなかった。
「……そんな」
私が呟いた時、ほむらちゃんはすでに次の武器を取り出していた。
拳銃だった。何発か続けて撃つと、乾いた銃声が響いた。弾が巨大な身体へ当たったのかどうかさえ、ここからではよく分からない。少なくとも、ワルプルギスの動きに変化は見られなかった。
ほむらちゃんはすぐに拳銃を下ろした。
「……やっぱり、これでは」
悔しそうな声だった。
私ももう一度弓を引いた。放った矢はワルプルギスへ届いたけれど、先ほどと同じように身体がわずかに揺れただけで、すぐ元の位置へ戻ってしまう。
攻撃は当たっている。それなのに、倒せる気がしなかった。
「ほむらちゃん、次は……」
そう言いかけた時、空から大きな音がした。
ワルプルギスの周囲で、建物の残骸がゆっくり持ち上がっていた。さっきまで地面にあったものまで次々に浮き上がり、こちらへ向きを変えていく。
「鹿目さん、危ない!」
ほむらちゃんがこちらへ走ってくる。私は矢をつがえたまま振り返ったが、もう新しく撃つ余裕はなかった。
空から、巨大な瓦礫が落ちてくる。
「手を!」
ほむらちゃんが叫んだ。
私は反射的に左手を伸ばし、その手をほむらちゃんが強く掴んだ。直後、景色の動きが止まった。
空中の瓦礫も、舞い上がった砂埃も、全部がその場に留まっている。さっきまで荒れ狂っていた風も止まり、急に静まり返った街の中で、私とほむらちゃんだけが動いていた。
「こっちです!」
手を引かれ、私は建物の陰へ走った。足元には砕けたコンクリートが転がり、ところどころアスファルトもめくれている。走りにくい場所だったけれど、ほむらちゃんは立ち止まらず、何度も後ろを振り返りながら私を引っ張ってくれた。
「……ここなら!」
壁の陰へ入ると、ほむらちゃんは私の手を離し、盾へ触れた。
時間が動き出した途端、すぐ近くで轟音が響いた。さっきまで私たちが立っていた場所へ瓦礫が落下し、道路が大きく抉れる。砕けた破片が建物の壁へ叩きつけられ、遅れて細かい砂埃がこちらまで流れてきた。
「……ありがとう、ほむらちゃん」
「い、いえ。間に合ってよかったです」
ほむらちゃんは息を切らしながら答えた。
さっき爆発物を配置する時にも、何度も時間を止めていた。さらに私をここまで運んでくれたのだから、疲れていないわけがない。眼鏡の位置を直そうとした指が、途中で止まっているのも気になった。
「少し休もう?」
「……でも」
「私も、まだ戦えるから」
ほむらちゃんは迷ったように空を見上げた。ワルプルギスの夜は、ゆっくりこちらへ近づいている。こうして話している間にも距離が縮まっているのが分かる。
「……分かりました。少しだけ、お願いします」
私は頷き、建物の陰から弓を構えた。
◇
それから何度も攻撃した。
ほむらちゃんが時間停止で爆発物を配置し、私がその隙を狙って矢を放つ。飛んでくる瓦礫にはできるだけ私が対応し、間に合わない時だけ、ほむらちゃんに時間を止めてもらった。途中からは声を掛け合わなくても、どちらが先に動くべきか分かる時もあった。
少しずつ、二人で戦うことに慣れてきたのだと思う。
ほむらちゃんが次にどこへ移動するか、何となく分かる時もあった。私が弓を構えれば、射線を塞がない位置へ動いてくれるし、危険な攻撃が来た時も、互いに声をかけ合って避けられた。
でも、ワルプルギスの夜は倒れなかった。
爆弾が命中しても、拳銃で撃っても、ほとんど変化がない。私の矢で瓦礫を砕けば、その間は本体を攻撃できないし、ほむらちゃんが私を助けに来れば、爆発物を仕掛ける時間がなくなってしまう。何度も同じことを繰り返しているうちに、準備してきた武器だけが少しずつ減っていった。
マミさんがいた時は、リボンで瓦礫を止めてくれた。杏子ちゃんがいれば、前へ出て攻撃を引きつけてくれた。さやかちゃんもマギカちゃんも、いつも誰かが私たちの届かない場所を補ってくれていた。
今は、そこに誰もいない。
「……ほむらちゃん!」
飛んできた瓦礫へ矢を放ちながら叫ぶ。
「右側から来るよ!」
「はい!」
ほむらちゃんが盾へ手を掛け、姿を消した。次に現れた時には瓦礫の進路から離れた場所に立っていたけれど、着地した足が少しもつれた。
「……っ」
「ほむらちゃん、大丈夫?」
「はい。まだ……大丈夫です」
ほむらちゃんはすぐに姿勢を立て直したが、さっきから呼吸が荒くなっている。眼鏡を直す指も少し震えていた。
私は弓を握り直し、ほむらちゃんより一歩前へ出る。
「今度は私が守るから、少しだけ休んで」
「でも、鹿目さんが……」
「大丈夫。危なくなったら呼ぶから。ほむらちゃんが動けなくなったら、私だって困るよ」
そう言うと、ほむらちゃんは一度口を閉じた。少し迷っていたけれど、最後には小さく頷いてくれた。
「……お願いします」
私は空を見上げた。ワルプルギスの周囲では、新しい瓦礫が持ち上がっている。すぐに弓を引き、こちらへ向かってくる大きな破片を撃ち砕いた。
今までマミさんがしてくれていたことを、全部一人でできるわけじゃない。ほむらちゃんが次の爆発物を取り出すまで、私はもう一度弓を構えた。あの魔女を倒す方法は、まだ見つかっていない。
◇
――マギカ視点
遠くの空で、何度目かの爆発が起きた。
ほむらのマンションでじっとしていられず、気づけば近くの建物の陰まで出てきていた。ここから戦場まではまだ距離がある。二人との約束を破るつもりはなかったが、せめて空の様子くらいは確かめたかった。
ほむらのマンションから少し離れた場所で、俺は風に煽られながら空を見上げていた。周囲には避難を終えたらしい建物が並び、道路にもほとんど人が残っていない。時折、強い風に飛ばされた葉や紙切れが足元を通り過ぎていく。
空の向こうには、巨大な影が見えた。
ワルプルギスの夜。ここからでも、あいつの大きさは分かる。
時折、爆発の光が雲を照らし、その少し後に鈍い音が届いた。桃色の光が空へ伸びることもあるが、まどかとほむら本人の姿までは見えない。何の攻撃が来て、二人がどう避けているのか。何度時間を止め、どのくらい魔力を使ったのか。それは、ここからでは何も分からなかった。
「……くそ」
思わず声が漏れた。
あそこへ行けば、何かできるんじゃないか。もう少し近づけば、二人の状況くらいは分かるんじゃないか。さっきから、そんな考えばかり浮かんでくる。
俺は足を一歩踏み出しかけて、止まった。
行かないと決めた。二人に頼まれて、俺も納得して残ったはずだった。それなのに遠くで爆発が起きるたび、身体が勝手に前へ出ようとする。
もし今、あの二人が危ない目に遭っているなら。そう考えるだけで、胸の奥が落ち着かなかった。
でも、俺が行けば二人は俺を守ろうとする。ほむらは時間を止めて助けに来るだろうし、まどかも攻撃を中断して俺の方へ来るかもしれない。それで二人が傷ついたら、何のために行ったのか分からない。
「……分かってるよ」
誰に言うでもなく呟いた。
握りしめていた拳を開き、もう一度空を見る。遠くで桃色の光が走り、その後に爆発音が響いた。
少なくとも、まだ二人は戦っている。
俺はそれだけを確かめ、風に背を向けて物陰へ戻った。ここから先へは行かない。どんなに気になっても、二人の邪魔になることだけはしたくなかった。
それが、今の俺にできることだった。
◇
――鹿目まどか視点
戦いが始まってから、どれくらい経ったのだろう。
最初はあんなにたくさんあったほむらちゃんの爆発物も、残りが少なくなっていた。私のソウルジェムにも濁りが増え、弓を引くたびに少しずつ身体が重くなっていく。風に煽られた髪が何度も顔へ掛かり、振り払う余裕もなくなっていた。
それでも、ワルプルギスの夜は空に浮かんでいた。
攻撃を受けた場所には傷らしいものも見える。だから、全く効いていないわけではないのだと思う。けれど、あの巨大な身体を止めるには全然足りなかった。
「……鹿目さん」
ほむらちゃんが隣へ来た。
「まだ、戦えますか?」
私はその顔を見る。ほむらちゃんの息は荒く、鞄から次の爆発物を取り出す手つきも、最初の頃よりずっと遅くなっていた。ついさっきまで私に休むように言われていたのに、もう次の爆発物を取り出そうとしていた。
「……うん。でも、ほむらちゃんも無理しないでね」
「私は……」
ほむらちゃんが言いかけて、口を閉じた。そのまま空を見上げると、ワルプルギスの夜がまた甲高い笑い声を響かせた。
「……怖いですね」
ほむらちゃんが小さく呟いた。
「うん」
「前にも戦ったのに……どれくらい強いのか、分かっていたはずなのに。ちゃんと準備してきたつもりだったのに……」
ほむらちゃんの声が少し掠れた。
私は何も返せなかった。準備した武器も、何度も書き直した作戦も、全部あの魔女を倒すためのものだったのに、目の前のワルプルギスはまだ倒れていない。
「……ほむらちゃん」
「はい」
「私、ほむらちゃんと一緒に戦えてよかったよ」
ほむらちゃんがこちらを見る。
「え……?」
「一人だったら、たぶんもうどうしたらいいか分からなくなってたと思う。怖いし、全然倒せないし……。でも、ほむらちゃんがいてくれるから、まだ頑張れる」
そう言うと、ほむらちゃんはしばらく黙っていた。何か言おうとして口を開いたものの、すぐには言葉が出てこないらしい。ようやく眼鏡を押し上げ、小さく頷いた。
「……私もです。鹿目さんがいてくれるから、ここまで戦えました。私一人だったら、もっと早く……」
そこまで言って、ほむらちゃんは首を振った。
「……いえ。まだ、終わっていませんよね」
「うん」
私は頷いた。
ほむらちゃんは鞄からノートを取り出し、最後に残していた作戦のページを開いた。何度も読み返したのだろう。紙の端が少し折れ、いくつかの行には赤い線が引かれていた。
「もう一度だけ、試したい方法があります」
それは出発前に何度も確認していた作戦だった。残った爆発物をまとめて使い、ワルプルギスの動きを少しでも止める。その隙に私が、できる限り魔力を込めた矢を放つ。
上手くいくかどうかは分からない。今までの攻撃がほとんど通用していない以上、これでも倒せない可能性の方が高かった。
「……ほむらちゃん。これで駄目だったら、どうする?」
ほむらちゃんの手が止まった。
しばらく黙ってから、私の顔を見る。
「……撤退します」
「うん」
「マギカさんとも、約束しましたから」
私は小さく頷いた。
ほむらちゃんはノートを閉じ、残った爆発物を確かめる。それから、私へ手を差し出した。
「……鹿目さん。もう一度だけ、お願いします」
私はその手を握った。
「うん。一緒にやろう、ほむらちゃん」
遠くで、ワルプルギスの笑い声が響いた。強い風が二人の間を吹き抜け、ほむらちゃんの三つ編みが肩の上で揺れる。
握った手の温かさを確かめるように、私は少しだけ力を込めた。
ほむらちゃんが盾へ手を伸ばした。