桃色の矢が、俺のすぐ横を通り抜けた。
「――っ!?」
ほむらへ飛びかかろうとしていた使い魔の身体を正確に射抜き、そのまま奥の壁へ縫い止める。続けて二発、三発。さっきまで俺一人ではまともに近づくことすらできなかった使い魔が、何もできないまま次々と結界の中へ転がっていった。
「大丈夫!?」
聞き覚えのある声に振り返る。
桃色の衣装。手には大きな弓。長いリボンとフリルが動くたびに揺れていて、画面越しに見ていた時よりずっと派手なのに、不思議と本人には馴染んでいる。
魔法少女の。
本当にいる。いや、学校では何度も会ってるけど、それとは別の意味で。アニメの中で何度も見た姿が、今は数メートル先に立っている。しかも画面の向こうじゃない。矢が空気を裂く音も、足音も、息遣いも全部ある。
「怪我してない?」
まどかは駆け寄ると、まず壁際へ座り込んでいたほむらの様子を確かめた。
「だ、大丈夫です……」
ほむらが何とか返事をすると、今度はこちらへ視線が向く。
「あなたも?」
「……俺?」
「うん」
反射的に自分を見る。銀色の仮面に、見慣れない衣装。右手には鏡みたいな日本刀があり、左胸には二つ繋がったソウルジェムが収まっている。
学校で使っている「私」より、こっちでは「俺」が妙に自然に出る。仮面で顔を隠して、誰にも田中として見られていないからかもしれない。
「……たぶん、大丈夫」
「よかった」
まどかがほっとしたように笑う。その顔を眺める余裕ができたのは、ほんの一瞬だった。
結界の奥から新しい使い魔が飛び出してくる。俺が刀を構えるより早く、横から伸びた細い黄色のリボンが一体、二体とまとめて絡め取り、そのまま空中で動きを封じた。
「下がっていて」
落ち着いた声と同時に何本もの銃口が並び、乾いた銃声が響く。拘束された使い魔は一斉射撃を受け、抵抗する暇もなく吹き飛んだ。
金色の縦ロール。黄色を基調にした魔法少女の衣装。
こっちも本物だ。
テレビで見ていた時は優雅とか格好いいとか、そんな感想で済んでいた。でも実際に目の前で見ると、立ち位置も銃口の向きも迷いがなくて、戦い慣れているのが素人の俺にも分かる。
「怪我は?」
「……大丈夫です」
反射的に返す。
マミさんは俺の顔を一度見たあと、右手の刀へ視線を落とした。そのまま左胸へ移り、二つ繋がったソウルジェムのところで止まる。
「そのソウルジェム……」
言いかけたところで、結界全体が大きく揺れた。床が歪み、壁の模様が崩れ、奥から巨大な影が姿を現す。
魔女。
「話はあとね。鹿目さん」
「はい!」
まどかが弓を構える。
俺も反射的に刀を持ち直した。
「あなたは――」
「俺もやる」
言ってから少し後悔した。できるのか。さっき使い魔相手に死にかけたばかりだぞ。
でも、ほむらがいる。まどかも、マミさんもいる。ここで一人だけ後ろへ下がるのも、何となく嫌だった。
「無理はしないで」
マミさんはそれだけ言うと、すぐに前へ出た。
その瞬間、戦い方の違いが嫌でも分かった。
マミさんはリボンで使い魔の動きを止め、その隙に銃を展開する。まどかは空いた場所を縫うように矢を撃ち、近づいた相手だけを確実に落としていく。二人とも次に何をするのか迷っていないし、お互いの動きを見て自然に空いた場所を埋めている。
俺は一体へ刀を振った。
外した。
勢いに身体まで引っ張られ、姿勢を戻す前に横から別の使い魔が飛び込んでくる。慌てて跳んだら今度は高すぎて、着地で足を滑らせた。
「うわっ」
何とか転ばずには済んだ。
身体は速い。力もある。制服姿なら絶対に出せない距離を簡単に跳べるし、刀も想像以上に軽く振れる。
でも、それだけだった。
目で追えても、次にどう動けばいいのか分からない。攻撃を避けたあと、どこへ立てばいいのかも分からない。アニメで見ていた時は、魔法少女なんだから戦えるのが当たり前だと思っていたけれど、武器を出せることと、それを使えることはまったく別らしい。
「危ない!」
まどかの声と同時に、横から飛び込んできた使い魔を矢が撃ち抜いた。
「……ありがとう!」
「無理しないで!」
分かってる。というか、今かなり分からされた。
俺は一歩下がってほむらの近くへ位置を取り直した。正面の魔女や使い魔を全部追おうとすると頭が追いつかない。それなら、見る場所を一つに絞ればいい。
ほむらへ近づくものだけ見る。来たら刀を振る。倒せなくても、一度止めればいい。
そう考えると、さっきより視界が少し狭くなった代わりに、何をすればいいのかは分かりやすくなった。近づいてきた使い魔へ刀を合わせる。今度は浅くでも刃が当たり、相手の軌道が逸れた。
それで十分だった。
その間にもマミさんとまどかの攻撃は続いている。銃声は耳に響き、魔女の攻撃が床へ当たるたび空気ごと震える。まどかの矢は画面で見ていた時と同じように綺麗なのに、一本外れれば、その先には本当に人がいる。
血が出る。怪我をする。下手をすれば死ぬ。
「マミさん!」
「ええ!」
黄色いリボンが魔女へ何重にも巻きつき、巨体の動きを止める。その周囲へ何丁ものマスケット銃が展開され、銃口が一斉に向けられた。
「…………多っ」
思わず漏れる。
次の瞬間、重なった銃声が結界を満たした。拘束された魔女へ弾丸が集中し、その中心へ最後にまどかの矢が突き刺さる。
魔女の身体へ亀裂が走り、そのまま崩壊する。それに引きずられるように、結界そのものも色を失っていった。
◇
気づけば、俺たちは元の街へ戻っていた。
夕方の空に、普通の建物と道路。遠くから車の音まで聞こえてきて、さっきまでの異様な景色だけが切り取られたみたいに消えている。
刀を持ったまま立っていると、マミさんがこちらへ歩いてきた。
「あなたも魔法少女なのよね?」
「……たぶん」
「たぶん?」
マミさんが少し眉を寄せる。
「今日、初めて変身したから」
「初めて?」
今度はまどかも驚いた。
「うん。武器も今日初めて出た」
「じゃあ、あの戦い方って……」
まどかが言いにくそうにする。
「全部初めて」
「…………」
納得された。
ちょっと悲しい。
マミさんは俺の刀を見たあと、左胸のソウルジェムへ視線を移した。
「それに、そのソウルジェムも変わっているわね。二つ……なの?」
「俺もそう思う。気づいたらこれ持ってて」
本当のことだ。契約した記憶はない。願いも分からない。魔法少女として成立しているらしい身体も、どうして自分がここにいるのかも、何一つ説明できない。
でも今ここで全部話す気にはなれなかった。というより、自分自身が何も分かっていない。
「詳しい話を聞かせてもらえる?」
マミさんがそう言う。
「キュゥべえにも確認した方がいいと思うわ」
キュゥべえ。
それは確かに聞きたい。ただ、今は頭が追いついていなかった。
魔女。変身。刀。二連ソウルジェム。そして目の前には、本物のまどかとマミさんまでいる。今日一日で増えた情報が多すぎる。
「……今日は、帰る」
「え?」
「ごめん。ちょっと整理したい」
マミさんは少し考えたあと、無理に引き止めなかった。
「分かったわ。でも、無茶はしないでね」
「うん」
まどかも心配そうにこちらを見る。
「本当に大丈夫?」
「大丈夫」
たぶん。
「それなら……」
マミさんが少しだけ表情を和らげた。
「せめて、名前を聞いてもいいかしら?」
名前。
田中。
そう答えればいい。はずなのに。
視線がほむらへ向いた。
ほむらは俺を見ている。でも、その目に田中を見る色がない。
知らない魔法少女を見る目。
まどかも同じだ。マミさんも。
誰一人、目の前の俺と学校にいる田中を重ねていない。
本当に、誰も。
「ごめん。また今度」
「え?」
それだけ言って走った。
後ろから声が聞こえたけれど、止まらない。
何で逃げたんだ俺。
自分でも分からない。ただ、あそこで「田中です」と名乗った瞬間、何かが元に戻ってしまうような気がした。
……元って何だ。
自分でも意味が分からない。
◇
人目のない路地まで来て、ようやく足を止める。
「……はあ」
壁へ背中を預け、右手の刀を見る。鏡のような刀身には、銀色の仮面をつけた少女が映っていた。
これ。本当に俺なんだよな。
仮面は顔の半分しか隠していない。髪も同じだし、身長だって変わっていないはずなのに、誰も田中だと気づかなかった。
それだけじゃない。さっきまで、俺自身も田中として喋っている時より少し楽だった気がする。
「私」じゃなく「俺」と言っても誰も変に思わない。学校で女子中学生らしく振る舞う必要もない。仮面の下なら、前の自分に少し近いままでいられる。
「……変身すると、認識とか変わるのか?」
分からない。でも、今のところ都合はいい。
正体がバレていないなら、わざわざ自分から言う必要もない。
「……まあ、いいか」
本当に、その程度の気持ちだった。
変身を解こうと意識すると、銀色の光が身体を包んだ。仮面と衣装、鏡面の刀が順番に消え、最後に左胸へ固定されていた二連ソウルジェムが台座から離れる。元の大きさへ戻りながら胸の前へ浮かび上がったそれを、掌で受け取った。
制服姿。
田中。
「……戻った」
鏡になるものはない。それでも長い髪を肩へ流し、制服の袖を見下ろしただけで、さっきまでとは空気が違う気がした。同じ身体なのに。
そんな言い方が、妙にしっくり来る。
まあ、いい。今考えても分からないことが、また一つ増えただけだ。
◇
「田中さん!」
元の場所へ戻ると、最初にまどかが気づいた。
「あっ」
しまった。少し走ったせいで息が上がっている。
「どこにいたの!?」
「えっと……」
一秒だけ考える。
「結界の中ではぐれて、気づいたら外に出てた」
半分は本当だ。ほむらとはぐれたのも、外へ出たのも本当。その間に魔法少女になって戻ってきた部分だけ省略した。
「怪我は?」
「大丈夫」
まどかが安心したように息を吐く。
ほむらもこちらへ近づいてきた。
「田中さん……」
「暁美さんも大丈夫だった?」
「はい」
ほむらが小さく頷く。
さっきまでは、同じ相手が俺を知らない魔法少女として見ていた。今は田中として見ている。本当に何も繋がっていないらしい。
「さっき、知らない魔法少女が助けてくれたんです」
来た。
「へえ……」
俺です。
「銀色の髪で、仮面をつけていて、刀を持っていました」
全部俺です。
「すごく強かった?」
ちょっと期待して聞く。
ほむらが少し考えた。
「助けてくれました」
強さについては答えなかった。
「でも、私のところまで来てくれて……ちゃんと、お礼を言いたかったです」
もう言われてる。
というか、今言われてる。
「また会えるといいね」
何とも言えない気持ちで返すと、ほむらは小さく頷いた。
「うん」
その横から、まどかも会話へ入ってくる。
「名前も聞けなかったんだよ。マミさんも気にしてた。ソウルジェムも変わってたって」
「へえ……」
だから目の前にいる。
何だこれ。
今なら言える。実は俺です。そう言えば終わる。
でも、もう全員が田中とあの魔法少女を別人だと思っている。説明するなら、なぜ黙っていたのかまで聞かれそうだし、俺自身も何が起きたのか分かっていない。
それなら、別に今すぐ言わなくてもいいか。
本当に、その程度だった。
「鹿目さん」
ほむらが遠慮がちに声をかける。
「さっきの……あの姿」
「え?」
「鹿目さんも、魔法少女なんですよね」
まどかが目を丸くしたあと、少し慌てたように口元へ指を当てた。
「しーっ」
そして。
ほむらが小さく頷く。
聞き覚えのある台詞が、そのまま目の前から飛んできた。
ちょっと感動する。
……いや。
俺の方も今、似たような秘密ができたところなんだけど。
「……田中さん?」
「なんでもない」
まどかの顔を見ないようにする。笑いそうだった。
「それより」
マミさんが少し離れたところからこちらへ歩いてきた。
「少し場所を変えましょうか」
「場所?」
ほむらが首を傾げる。
「ええ。魔女のことも、魔法少女のことも、あなたたちにはちゃんと説明しておいた方がいいと思うから」
マミさんは穏やかに笑う。
「よかったら、私の家へ来ない?」
「マミさんの家?」
まどかの表情が明るくなった。
「ケーキある?」
「鹿目さん?」
「えへへ……」
思わず口を挟む。
「そこ?」
「大事だよ?」
まどかは真顔だった。
まあ、否定はしない。
それに、キュゥべえが来る可能性もある。聞きたいことは山ほどあった。
「私も行く」
学校では田中。
魔法少女としての俺は、名前も知られていない謎の少女。
まだこの時は。
やや強引ですが、固有魔法の影響もあり、旧構成と同様に別人設定で進めていきます。