――巴マミ視点
放課後の見滝原を歩きながら、私は指輪へ視線を落とした。小さな宝石が、さっきから微かに反応している。魔女の気配ではあるけれど、それほど強くはない。今すぐ街中へ大きな被害を出すような相手ではなさそうだったが、見つけた以上は放置する理由もなかった。
今日はまどかさんも後から合流する予定だったものの、学校で少し用事があるらしい。先に場所だけ確認しておこうと一人で反応を追い、人通りの多い道から一本外れたところで足を止める。建物と建物の隙間、その奥にある空間だけが、普通の人なら気づかない程度にわずかに歪んでいた。
「……この辺りね」
ソウルジェムを掲げて変身する。黄色い光が身体を包み、いつもの衣装へ変わるのを確認すると、手の中にリボンを作ってそのまま結界へ足を踏み入れた。
いつもの魔女退治。
そのつもりだった。
◇
結界の中を進み始めて、すぐに違和感に気づいた。魔女や使い魔の声とは違う、甲高く硬い音が奥から断続的に響いている。キン、と金属同士が擦れるような音がした直後には、使い魔らしい奇妙な鳴き声まで聞こえてきた。
「……?」
誰かいる。
魔女の結界へ自分から入り、使い魔と戦える人間なんて限られている。となれば、自分以外の魔法少女が先に入っていると考えるのが自然だった。
「見滝原に、私の知らない魔法少女……?」
少しだけ警戒しながら、音のする方へ進む。この街が私だけのものだと思っているわけではないし、魔女を狩る範囲が他の魔法少女と重なること自体は珍しくない。話のできる相手なら協力した方が安全な場合もあるけれど、どんな子なのか分からない以上、最初から無防備というわけにもいかなかった。
いつでもリボンを出せるようにしながら、結界の奥を覗く。
「…………」
最初に思ったのは、綺麗、だった。
長い銀色の髪が、結界の不自然な光を受けて揺れている。黒と銀を基調にした衣装に、顔の上半分を隠す銀色の仮面。そして手には一振りの日本刀。刀身は刃物とは思えないほど磨かれていて、周囲の歪んだ景色を鏡のように映し返していた。
立っているだけなら、ずっと前から一人で戦ってきた魔法少女のように見える。仮面も、刀も、静かな立ち姿も妙に様になっていた。
でも、そう思ったのはほんの一瞬だった。
「っ……!」
少女が使い魔へ刀を振る。
外れた。
勢い余って身体が前へ流れ、慌てて足を踏み直したところへ別の使い魔が飛び込んでくる。大きく後ろへ跳んで避けたものの、着地した姿勢まで少し崩れていた。
「危なっ……!」
思わず瞬きをする。
……危ない。
見た目だけなら強そうなのに、戦い方はどう見てもそうではなかった。足運びは安定せず、刀を振るたび身体ごと刃へ持っていかれている。一体へ意識を集中すれば別方向への反応が遅れ、それを魔力強化された身体能力だけでどうにか補っていた。力そのものは弱くない。ただ、それを扱う技術と戦闘経験がまるで追いついていない。
新人だ。
それも、たぶんかなり新しい。
「……何か、ないのか」
少女が距離を取り、刀を構え直した。声には、外見の落ち着きとは裏腹に少し焦りが混じっている。
その時、少女が手にした刀へ視線を落とした。鏡面の刀身には、銀色の仮面をつけた自分自身の姿が映っている。
「俺は……もっと速く動ける」
「…………?」
小さな声だった。
何をしているのか分からず見ていると、少女のソウルジェムが淡く光った。直後、使い魔が飛びかかる。
さっきまでなら大きく距離を取って避けていたはずなのに、今度は一歩だけ横へずれ、身体すれすれで攻撃をかわした。そのまま懐へ入り込むように踏み込み、刀を横へ振り抜く。
速い。
明らかに、さっきまでとは違う。
使い魔の身体へ深い傷が入り、そのまま床を転がった。少女は追撃せず、もう一度刀身へ自分を映す。
「もっと強く踏み込める。この身体なら――」
再び魔力が揺れた。姿勢が少し低くなり、刀の持ち方まで先ほどより自然になる。完全に別人へ変わったわけではないのに、その場で自分の身体能力や動き方を少しずつ変化させているように見えた。
「自己暗示……?」
自分へ何かを言い聞かせることで、身体能力や動作を変える魔法なのだろうか。単純な身体強化にも見えるけれど、普通の強化魔法なら、わざわざ言葉にして自分自身へ確認する必要はないようにも思える。
それに、必ずあの刀へ自分を映してから使っている。
鏡面の刀にも、何か意味があるのかもしれない。
ただし。
「後ろ!」
「え?」
少女が振り返る。
遅い。
別の使い魔が、完全に死角から飛びかかっていた。私は指を動かし、黄色いリボンを結界の中へ走らせる。帯は使い魔の身体へ巻きつくと、そのまま空中で動きを封じた。
「――っ!?」
少女がこちらを振り向く。銀色の仮面が、まっすぐ私の方を向いた。
「大丈夫?」
少し固まったあと、少女は刀を下ろす。
「……うん。助かった。ありがとう」
思っていたより普通の返事だった。もっと警戒されるかと思っていたけれど、声も態度もそこまで尖っていない。
「まだいるわよ」
「分かってる」
私が拘束した使い魔を少女が斬る。今度は綺麗に刃が入り、残っていた使い魔も二人で手早く片付けた。
周囲が静かになったところで、私は銃を下ろして改めて少女を見る。
「私は巴マミ。この辺りで魔女を狩っているの」
「……そう」
「あなたは?」
少女も刀を少し下げる。敵意はなさそうだったけれど、名前を聞くとすぐには答えなかった。
「……マギカ」
「マギカ?」
「うん。そう呼んで」
変わった名前だった。偽名かもしれない。というより、仮面までつけて正体を隠しているのだから、その可能性の方が高そうだった。
「分かったわ。マギカさん」
「…………」
私がそう呼ぶと、マギカさんは一拍遅れて顔を横へ向けた。
……自分で名乗ったのに。
「最近、この辺りに来たの?」
「まあ……そんなところ」
「そう」
詳しく話すつもりはないらしい。無理に聞く必要もない。
「ここで活動するつもりなら、できれば教えてもらえると助かるわ。魔女を追っていて鉢合わせすると、お互い危ないでしょう?」
「……駄目?」
「駄目とは言ってないわよ」
思わず笑ってしまう。
「相手がいると分かっていれば、こちらも動き方を変えられるもの。今日みたいに途中から飛び込むより、最初から一緒に戦った方が安全でしょう?」
「なるほど。分かった。邪魔にならないようにする」
「邪魔なんて言ってないわ」
「……そう?」
「そうよ」
思っていたより話しやすい子だった。外見だけならもっと気難しい人を想像していたけれど、受け答えは素直だし、こちらの話もきちんと聞いている。
その時、結界の奥から大きな振動が響いた。壁も床もまとめて揺れ、マギカさんが反射的に刀を構える。私も銃を作り出しながら、気配の強まった奥へ視線を向けた。
「……本体?」
「ええ。続きはあとにしましょう」
「了解」
空間の奥が大きく歪み、その中心から魔女が姿を現した。
◇
魔女との戦いが始まって数秒で、力量差ははっきりした。マギカさんは決して弱くない。普通の人間とは比べものにならない身体能力を持っているし、使い魔程度なら一人でも倒せる。
でも、魔女を相手にするには経験が足りなかった。攻撃そのものは見えているのに、回避するたび姿勢を崩し、そこから反撃へ移ろうとして一手ずつ遅れていく。動きが速くなればなるほど、その速度を扱いきれていないのがよく分かった。
「右!」
「っ!」
私の声に反応して、マギカさんが横へ跳ぶ。直後、さっきまで立っていた場所を魔女の攻撃が薙ぎ払った。
私はリボンを伸ばして魔女の一部を拘束し、動きが止まった瞬間に声を上げる。
「今よ!」
「分かった!」
マギカさんが踏み込む。その直前、刀身へ一瞬だけ自分を映した。
「俺は、もっと速く動ける」
まただ。
ソウルジェムが光り、マギカさんの速度が一段上がる。魔女の横を抜けながら周囲の使い魔を二体続けて斬り、そのまま距離を取った。
自己強化系には見える。
でも、やっぱり少し変だった。
自分が「そういう存在だ」と確認するように魔法を使っている。それも必ず、刀へ映った自分を見てから。
ただ速くなっているだけではないような。
そんな気がする。
「マミさん!」
声に振り返る。
魔女の攻撃がこちらへ向かっていた。銃で迎撃しようとした瞬間、横から銀色の影が飛び込んでくる。
「っ……!」
マギカさんだった。刀で攻撃を受け流そうとしたものの完全には耐えきれず、身体ごと吹き飛ばされる。結界の床を滑りながらも何とか立ち上がったけれど、無茶をしているのは明らかだった。
「マギカさん!」
「大丈夫……!」
でも、そのおかげで私には十分な時間ができた。
「なら、今度はこちらの番ね」
リボンを広げ、魔女の周囲へ何本もの黄色い帯を走らせる。四方から動きを封じると、その周囲へマスケット銃を次々と展開した。
一丁、二丁、三丁。さらにその後ろへ銃口を並べ、射線が重ならないよう角度を整えていく。
マギカさんの動きが止まった。
「……多くない?」
「これくらい必要なのよ」
「マジか」
少し面白い反応だった。
「撃つわよ!」
「うん!」
一斉射撃。
轟音が結界を満たす。拘束された魔女へ次々と弾丸が叩き込まれ、巨大な身体が激しく揺れた。最後の一撃を撃ち込むと全身に亀裂が走り、その崩壊に引きずられるように結界そのものも形を失っていく。
「終わりね」
数秒後、私たちは夕方の街へ戻っていた。
◇
「……疲れた」
変身を解かないまま、マギカさんが小さく息を吐く。呼吸も少し荒く、ソウルジェムには戦闘前より僅かに濁りが増えていた。
私は落ちたグリーフシードを拾いながら、横目で彼女を見る。
「やっぱり、魔法少女になったばかりでしょう?」
「…………」
仮面越しでも分かるくらい、身体が固まった。
「……そんなに分かる?」
「ええ。かなり」
「…………」
マギカさんの肩が、ほんの少しだけ落ちる。
「別に悪いことじゃないわよ」
「でも、もっとそれっぽく戦えてると思ってた」
「見た目はね」
「見た目は?」
「ええ。とても」
銀色の仮面。鏡面の日本刀。黒と銀の衣装。黙って立っていれば、かなり強そうに見える。
「戦い始めると?」
「新人ね」
「…………」
しばらく黙ったあと、マギカさんが小さく肩を落とした。
分かりやすい。
ちょっと可愛い。
「まず、敵を一体だけ見続けないこと。さっき何度も死角を取られていたでしょう? それから、身体能力だけに頼らないこと。いくら魔力で速度を上げても、その動きを制御できなければ逆に隙が増えるわ」
「……うん」
随分素直に聞く。もっと反発されるかと思っていた。
「あと、魔力の使いすぎにも気をつけて。ソウルジェムの濁りはちゃんと確認すること。グリーフシードを惜しんで、取り返しのつかないことになったら意味がないわ」
「分かった」
「それと」
「まだある?」
「あるわよ」
「……お願いします」
思わず笑ってしまった。
「勝てないと思ったら逃げること。一人で無理なら、他の魔法少女を頼ること。逃げるのは負けじゃないわ」
「……マミさんも逃げる?」
「必要ならね」
「そっか」
マギカさんは少し考えるように、自分の刀へ視線を落とした。
「覚えておく」
「そうして」
変わった子だけれど、悪い子ではなさそうだった。むしろ妙に真面目で、戦い方を知らないだけで、言われたことはきちんと聞いている。
「マミさん!」
聞き慣れた声がして振り返ると、道の向こうからまどかさんが走ってきていた。
「ごめんなさい、遅くなっちゃって……!」
「大丈夫よ。もう終わったところだから」
「よかったぁ……」
まどかさんがほっと息を吐き、私の隣にいるマギカさんへ視線を移す。
「……その人は?」
「私も、さっき知り合ったところなの」
そう説明すると、まどかさんは少し驚いたあと、いつものように柔らかく笑った。
「初めまして。鹿目まどかです」
「…………」
ほんの一瞬、マギカさんが止まった。
本当に一瞬だけ。
でも、何となく引っかかった。驚いたというより、何かを確かめるような間だった。
「……初めまして。マギカ」
「マギカさん?」
「うん。そう呼んで」
「わあ……なんだか格好いい名前だね」
「…………」
また黙った。
もしかして、この子。
自分の名前を褒められるのが恥ずかしいのかしら。
「それに、その刀すごいね。鏡みたい」
「そう?」
「うん。綺麗」
「……ありがとう」
まどかさんと話している間だけ、マギカさんの声がほんの少し柔らかくなった気がした。
……気のせいかしら。
「それじゃあ、俺はこれで」
マギカさんが刀を消す。
「もう行くの?」
「うん。今日は十分戦ったし」
その判断は正しい。
私は少し考えてから声をかけた。
「また会える?」
「たぶん。またこの辺りで戦うと思う」
「それなら、今度は最初から一緒に戦いましょう」
「いいの?」
「もちろん。一人で無理をするより、その方がいいでしょう?」
少しだけ間を置いてから、マギカさんが頷いた。
「……うん。助かる」
思っていたより素直な返事に、少しだけ嬉しくなる。まどかさんと一緒に戦えるようになってから、以前よりずっと気持ちは楽になった。それでも、同じ街にもう一人、話のできそうな魔法少女がいると思うと、それはやっぱり嬉しかった。
しかも少し変わってはいるけれど、感じの悪い子ではない。忠告も素直に聞いてくれるし、一緒に戦うことにも抵抗はないようだった。
だったら。
「ねえ、マギカさん」
「何?」
少しだけ迷う。戦いの話だけなら、さっきので十分だ。
それでも、口から出たのは別の言葉だった。
「よかったら……魔法少女同士、お友達にならない?」
「…………」
マギカさんが固まった。
あ。
急だったかしら。
「ほら、同じ街で戦うことになるなら、連絡を取れた方が便利でしょう? それに、戦いのこと以外でも相談できる相手がいた方が――」
そこまで言って、自分でも少し言い訳っぽいと思った。戦う時に連絡が取れるとか、相談相手がいた方が安全だとか、理由はいくらでもつけられる。
本当は、もっと単純だった。
一緒に戦える人が増えるのが嬉しい。
それだけ。
マギカさんはすぐには答えず、刀を消した右手へ視線を落とした。少し間を置いてから、こちらへ顔を戻す。
「……ごめん」
「え?」
「今は、あんまりそういうの考えてなくて」
「……そう」
断られた。
別に責めるようなことではない。会ったばかりなのだから当然だし、仮面までつけて正体を隠している子に、いきなり友達になろうと言う方が少し早かったのかもしれない。
「ごめん」
「いいのよ。気にしないで」
笑って返す。
ちゃんと、いつものように。
それでも胸の奥が、ほんの少しだけ沈んだ。
……残念。
そんなに期待していたつもりはなかったのに。
「マミさん?」
「何でもないわ」
首を傾げるマギカさんへ笑いかける。
「友達はともかく、一緒に戦う約束は忘れないでね」
「それは忘れない」
即答だった。
少しだけ気分が戻る。
「なら、いいわ」
今はそれで十分。
そう思うことにした。
「わたしも一緒に戦えるよ」
まどかさんが笑って言う。
するとマギカさんは、また一瞬だけ動きを止めた。
「…………」
そして、少しだけ柔らかい声で答える。
「……うん。よろしく」
そのままマギカさんは背を向け、夕方の街へ歩いていった。銀色の長い髪が揺れ、やがて人混みの向こうへ消えていく。
「変わった人でしたね」
「そうね」
まどかさんの言葉に頷く。
変わった魔法に、鏡のような日本刀。正体を隠す仮面。戦い方は明らかに新人なのに、立っている時だけは妙に落ち着いている。
それに、まどかさんと話していた時の、あの妙な間。
初対面のはずなのに、ほんの少しだけ自然すぎた気がする。
「でも……」
「はい?」
私はマギカさんが消えた方向を見る。
「悪い子じゃなさそうね」
「はい。わたしもそう思います」
まどかさんが笑った。
友達には、なれなかったけれど。
一緒に戦うのは、いいらしい。
なら、今日はそれでよしとしましょう。
もう一度だけ、頭の中でその名前を繰り返す。
マギカ。
見滝原に現れた、仮面の魔法少女。
この時の私はまだ、それ以上の意味を持つ名前だとは思っていなかった。
マギカにも何か必殺技を考え中です…