魔法少女になれば、魔女と戦える。それ自体は間違っていなかった。
問題は、戦える身体を手に入れることと、実際に戦えるようになることがまったく別だったことだ。
「マギカさん、前に出すぎ!」
「っ――」
マミの声に反応して慌てて足を止める。その直後、目の前を使い魔の腕らしきものが横切り、ほんの一瞬前まで進もうとしていた場所を薙ぎ払っていった。
「うわっ!」
身体を反らして避ける。銀色の仮面すれすれを攻撃が通り過ぎ、そのまま背後の壁へ叩きつけられた。
危な。
身体はちゃんと反応できる。問題は、危険に気づく俺の方が遅いことだった。
「右!」
「右――っ!」
言われるがまま刀を振る。鏡のような刃が使い魔へ当たり、身体へ浅い傷をつけたものの、踏み込みも体重の乗せ方も甘く、仕留めるところまでは届かなかった。
「……硬っ」
「力任せに振らないで! 身体ごと持っていかれるわ!」
「はい!」
返事だけは立派だった。
次の瞬間には別の使い魔に肩からぶつかられ、身体が大きく横へ飛ばされる。地面を二度ほど転がり、慌てて刀を突いてどうにか勢いを止めた。
「ぐっ……!」
魔法少女の身体は丈夫になっている。それでも吹き飛ばされれば普通に痛いし、息だって止まる。アニメで魔法少女が壁へ叩きつけられてそのまま立ち上がる場面は何度も見たけど、実際にやられる側になると全然格好よくない。
「マギカちゃん、大丈夫!?」
少し離れた場所から、まどかの声が飛んでくる。
「大丈夫!」
たぶん。
立てる。腕も動く。刀も握れる。
なら、まだいける。
そう思って顔を上げると、ちょうどマミと目が合った。
笑っていない。
「……マギカさん」
「はい」
「今、大丈夫だと思ったでしょう?」
「…………」
なんで分かるんだ。
「立てるから続ける、では駄目よ」
「でも、まだ動けるし」
「動けることと、戦えることは別」
その言葉に、少しだけ引っかかった。
俺は魔法少女になった。人間だった頃より速く走れるし、多少吹き飛ばされても立ち上がれる。刀だって普通の人間にはできない速度で振れる。
でも、今の俺がやっていることは、強くなった身体で適当に敵へ突っ込んでいるだけだ。
……あれ。
これ、戦えてるとは言わないんじゃないか?
「まどかさん!」
「はい!」
マミの声と同時に桃色の矢が飛び、さっき俺が仕留め損ねた使い魔を貫いた。さらにその奥にいた一体まで巻き込んで吹き飛ばす。
「……普通に俺より強いな」
知ってたけど。
それでも実際に隣で戦うと差がよく分かる。まどかは魔法少女になってまだ長くないはずなのに、俺よりずっと周囲が見えていた。弓だから距離を取れるという違いもあるだろうけれど、それ以上にマミから教わってきた時間の差が大きい。
俺なんて刀を握ってまだ数日。剣術経験はゼロ、魔力操作も初心者、実戦経験に至っては使い魔を一匹倒した程度しかない。
頭の中にあるのは原作知識だけ。
頭だけ攻略Wiki。
身体はチュートリアル。
考えてみれば、かなり酷い組み合わせだった。
「来るわよ!」
マミの声で思考を切る。結界の奥から新しい使い魔が数体現れ、ばらけるようにこちらへ近づいてきた。
「マギカさん。今度はすぐ前へ出ないで」
「分かった」
「まどかさんも、まず距離を取って」
「はい」
マミが一歩前へ出る。俺はその斜め後ろ、まどかはさらに後方。三人の位置を確認してから、マミは使い魔へ視線を戻した。
「戦う時に一番大事なのは、目の前の敵を倒すことじゃないわ」
「え?」
「周りを見ること」
指先から黄色いリボンが伸び、一体の使い魔へ巻きついて動きを止める。
「敵が何体いるか。どこから来るか。自分の後ろに誰がいるか。逃げられる場所があるか。まずそこを確認するの」
説明しながらマミは銃を撃つ。一体、二体。ほとんど振り返りもしないまま、死角から近づいていた使い魔まで撃ち抜いた。
「……それ、言いながらできるのすごくない?」
「慣れよ」
簡単に言う。
その慣れがないんだよ、こっちは。
「マギカさん」
「はい」
「今、私を見ていたでしょう?」
「……見てた」
「敵を見て」
「あっ」
横から来た。
「うおっ!」
慌てて刀で受ける。硬いもの同士がぶつかったような衝撃が両腕へ響き、足元が僅かに滑った。
力では負けていない。
むしろ、この身体なら押し返せる。
だったら。
「俺は――もっと強く」
ソウルジェムが淡く光る。腕から肩へ魔力が集まり、身体の奥から押し返す力が一段階増した。
「――動ける!」
一気に使い魔を弾き飛ばし、そのまま踏み込む。
今ならいける。
そう思った。
「待って!」
「え?」
マミの声へ反応した時には遅かった。弾き飛ばした使い魔の陰から、もう一体がこちらへ飛び込んでくる。
「しま――」
黄色いリボンが視界を横切り、俺の身体へ巻きついた。そのまま強引に後ろへ引かれ、数瞬前まで立っていた場所を使い魔の攻撃が通過する。
「うわっ!?」
また助けられた。
リボンが解けると、マミは使い魔へ視線を向けたまま言った。
「敵を一体押し返したからって、すぐ追わない。特にあなたは近接武器なんだから、前へ出た分だけ死角も増えるわ」
「……はい」
耳が痛い。
というか、さっきから俺、一体ずつしか見てないな。
目の前の敵をどう斬るか。そればかり考えて、その横や後ろに何がいるのかほとんど見ていない。
「それと、その魔法」
「自己暗示?」
「たぶんね」
俺自身はそう思っている。
もっと速く動ける。もっと強く踏み込める。そう思い込むことで身体の出力が上がる。今まで試した範囲では、少なくともそういう能力に見えた。
「便利だけど、頼りすぎない方がいいと思う」
「なんで?」
「身体だけ速くなっても、判断する速さまで同じように上がるとは限らないでしょう?」
「…………」
言われた瞬間、さっきの失敗がそのまま頭へ浮かんだ。
確かに速かった。使い魔を弾き飛ばして、すぐ追いつけるくらいには。
でも、その先にもう一体いることにはまったく気づかなかった。
「……速くなっても、上手くなるわけじゃないのか」
「そういうこと」
当たり前と言えば当たり前だ。
速くなる。強くなる。それで剣術まで上達するわけじゃないし、戦況判断や経験まで急に生えてくるわけでもない。
今の俺は魔法で身体能力だけを引き上げて、その差を力任せに誤魔化している。
自覚すると、かなり危なっかしい。
「便利な魔法ほど、できることとできないことを区別しないと危ないわ」
「はい、先生」
「先生?」
マミが少し目を丸くする。
「いや、もう完全に教わってるし」
「ふふっ」
小さく笑った。
「じゃあ、ちゃんと覚えてね。生徒さん」
「頑張ります」
思ったより乗ってくれた。
「マミさん、わたしも生徒ですよね?」
「もちろんよ。まどかさんもね」
「えへへ」
まどかが嬉しそうに笑う。
魔女の結界の中なのに、やっていることだけ聞けば部活みたいだった。
「来るわよ」
マミが銃を構える。
やっぱり全然部活じゃなかった。
◇
今回の結界は、それほど大きくなかった。相手の魔女もマミ一人なら苦戦するほどではないらしく、今日は俺とまどかに経験を積ませるため、周囲の使い魔をある程度こちらへ任せてくれているらしい。
ありがたい。
とは思う。
思うけど、練習相手が普通にこっちを殺しに来るのはどうなんだ。
「また来た!」
三体。
いや、奥にもう一体。
さっきなら、たぶん正面の一体しか見ていなかった。
今度は刀を振る前に周囲を見る。正面に二体、右に一体、左奥に一体。まどかは後方、マミは少し離れた位置で魔女本体を警戒している。
退くなら後ろ。
「……よし」
刀を構える。
構え方が合っているかは分からない。
でも、今はそこまで考えていられない。
一体目が来る。
すぐ斬りにいかない。
距離を見る。
近い。
まだ。
もう少し。
「今!」
地面を蹴り、横薙ぎに刀を振った。刃は浅かったものの使い魔へ当たり、そのまま追いたくなるところを我慢して一歩下がる。
……追わない。
これか。
右。
来た。
今度はちゃんと見えている。
「おっ」
身体をずらして攻撃を避ける。
少し嬉しい。
たった一回避けただけなのに。
「マギカちゃん、左!」
まどかの声。
「分かってる!」
左奥にいた使い魔が距離を詰めている。
今度は一気に出力を上げない。
「俺は、もう少し速く動ける」
魔力を脚へ流す。
少しだけ。
自分が扱える範囲で。
使い魔の攻撃を横へかわし、その側面へ回って刀を振る。一撃では倒れない。返す刃でもう一度。
今度は深く入った。
使い魔が崩れる。
「……一体」
そこで止まる。
前ならたぶん、そのまま喜んでいた。
まだ三体いる。
顔を上げると、正面に二体。さっき傷をつけた個体と、もう一体がほとんど同時に距離を詰めてくる。
これは無理だ。
一人では。
「まどか!」
「うん!」
名前を呼んだ瞬間、桃色の矢が横を抜けて一体を吹き飛ばした。
なるほど。
一人で全部やる必要、ないのか。
残った一体へ踏み込む。
「この身体なら、もう少し強く踏み込める」
魔力が脚へ集まる。ただし、さっきほど強くはしない。自分で制御できる範囲だけ出力を上げ、一歩で間合いへ入る。
刀を振った。
使い魔の身体へ刃が入り、そのまま斬り抜く。
今度は倒れた。
「…………」
いけた。
まどかと二人で三体。
昨日まで、使い魔一匹にすら殺されかけていた。初めて一人で倒した時も、身体能力を無理やり引き上げて押し切っただけだ。
今は少し違う。
周囲を見た。
追わなかった。
まどかに頼った。
魔法も、必要な分だけ使った。
たったそれだけなのに、前よりずっと戦えた気がする。
「やった!」
まどかが嬉しそうに声を上げる。
「……やったな」
俺も少しだけ笑った。
「二人とも、まだ終わってないわよ!」
マミの声が飛んでくる。
「あっ」
「はい!」
やっぱり、まだ全然だった。
◇
魔女本体との戦闘は、ほとんどマミが終わらせた。
俺とまどかは周囲の使い魔を相手にしながら、死角へ回り込まれないよう警戒する。それだけでも俺には十分忙しいのに、マミはその間も魔女本体の攻撃を避け、リボンで動きを拘束し、必要な場所へ次々と銃を配置していく。
一つ一つの動作に迷いがない。
使い魔を見ながら魔女も見て、俺とまどかの位置まで把握している。しかも危険になればすぐ助けられる距離を、ほとんど崩さない。
さっき俺が前へ出すぎた時も、リボンは何の迷いもなく飛んできた。
「……すごいな」
原作を見ていた頃から、巴マミが強いことは知っていた。
でも、俺が思っていた「強い」と、今目の前で見ている「強い」は少し違った。
魔力が強い。
武器が多い。
もちろんそれもある。
でも、それだけじゃない。
いつ攻めるか。いつ退くか。誰を見るか。味方をどこに置くか。
その判断が、俺とは全然違う。
というか。
マミさん、戦うのがめちゃくちゃ上手い。
今さらそんな当たり前のことを理解した。
「まどかさん!」
「はい!」
マミが魔女の身体をリボンで固定する。そこへ桃色の矢が飛び込み、魔女が大きく揺れた。
「マギカさん!」
「俺も!?」
「今!」
考えるより先に走る。
正面にはまどかの矢が刺さっている。
マミのリボンが動きを止めている。
じゃあ、俺が正面から突っ込む必要はない。
側面。
身体が自然にそちらへ向いた。
「俺は――」
一瞬、いつもの言葉を言いかける。
もっと速く。
もっと強く。
でも。
必要か?
今の距離なら、もう届く。
「――行ける!」
地面を蹴り、刀を両手で握る。魔女の側面を走り抜けながら刃を振り切ると、腕へ深い手応えが返ってきた。
直後、マミの銃声が結界へ響く。
魔女の身体が大きく崩れた。
「下がって!」
今度は、言われた瞬間に身体が動いた。
一歩。
二歩。
後ろへ跳ぶ。
一瞬遅れて魔女が弾け、強い風圧が腕へぶつかった。
「うわっ……!」
でも、今回は吹き飛ばされなかった。
それだけで、ちょっと嬉しかった。
結界が崩れていく。歪んだ色彩や意味の分からない記号が剥がれ落ち、やがて夕方の街並みが戻ってきた。
刀を下ろす。
今度はちゃんと、生き残った。
「お疲れさま」
マミが変身を解きながら笑う。
「二人とも、最初よりずっと良くなってたわよ」
「本当ですか?」
「ええ。まどかさんは周りを見る余裕が増えたし、マギカさんも最後はちゃんと退けたもの」
「評価そこ?」
「大事よ?」
ものすごく大事らしい。
「魔女を倒すことばかり考えないで。危ないと思ったら逃げる。無理なら誰かを頼る。魔法少女は怪我をしても動けるけれど、それを理由に無茶を続けたら駄目」
マミは自分のソウルジェムを指先で示した。
「身体が動くから平気、じゃない。魔力にも限界があるし、ソウルジェムだって濁る。まだ戦えるか、もう退くべきか。それを自分で判断できるようにならないとね」
「……はい」
前にも似たことを言われた。
でも、実際に戦った後だと意味がよく分かる。さっきまでの俺なら、立てる、刀を握れる、だから大丈夫。それだけで戦い続けていただろう。
たぶん、それを繰り返したらいつか死ぬ。
原作を知っているのに、そんな基本的なことすら分かっていなかった。
「マミさん」
「なあに?」
「戦う時って、毎回こんなに考えてるの?」
マミが少し考える。
「最初はね」
「最初は?」
「慣れてくると、考える前に身体が動くようになるわ」
「……そこまで何回くらい?」
「さあ?」
「さあ!?」
参考にならない。
でも、たぶん本当に回数ではないんだろう。
一回生き残る。
何が駄目だったか覚える。
次は少しだけ変える。
それを何度も繰り返して、ようやく考える前に動けるようになる。
……面倒だな。
でも、やるしかない。
「じゃあ、次からも教えてくれる?」
口にしてから、少しだけ迷った。
マミが瞬きをする。
「もちろん」
返事は早かった。
「見滝原で戦うなら、一緒に動けた方がお互い安全でしょう? それに……」
一度だけ言葉を止める。
「後輩が増えるの、嫌いじゃないもの」
少し嬉しそうだった。
「……そっか」
前に友達にならないかと聞かれて、俺は断った。
余計な関係を作りすぎるつもりはなかったし、何より俺にはやることがある。
でも。
戦い方を教えてもらうくらいなら。
「じゃあ、お願いします。マミ先生」
「先生はやめてくれない?」
「さっき自分で生徒さんって言ったじゃん」
「あれは言葉の綾よ」
「マミ先生」
「もう……」
困ったように笑う。
まどかも横で楽しそうに笑っていた。
その時の俺にとっては、ただの軽いやり取りだった。
戦い方が分からない。
だから、先に戦っている人へ教えてもらう。
本当に、それだけだった。
これから何度魔女と戦うのかも、何度失敗するのかも知らない。自分がどれだけの時間を戦場で過ごすことになるのかなんて、想像すらしていなかった。
いつか、自分の方が巴マミより多くの戦場を知るようになることも。
それでも。
どれだけ戦い方を覚えても。
刀を思い通りに扱えるようになっても。
敵の動きを見ただけで、考える前に身体が動くようになっても。
最初に覚えたことだけは、最後まで残った。
前へ出すぎない。
目の前だけを見ない。
危ないと思ったら退く。
一人で無理なら、誰かを頼る。
どれも当たり前のことだった。
でも、その当たり前を。
俺に最初に教えてくれたのは。
巴マミだった。