様子のおかしいウマ娘が今日も元気に走るようです 作:あーきもてぃー
後頭部に手を置き、目を泳がせるナイスネイチャさんが、動くでもなくそこにいた。
こっそりみていただけなら、わたしと目が合った時点でどこかに行けばいい。でも、なぜか彼女はそこを動かない。
正直今は、わたしはナイスネイチャさんの顔を見たくない。
だって、わたしは明確にナイスネイチャさんに迷惑をかけた。それを許してもらうための謝罪を、ここで頭を使って用意できる自信がない。
今のわたしに必要なのは本人じゃなくて、ユキノサンライズさんだ。だから、ここでナイスネイチャさんと見つめ合うことの意味は、ない。
彼女とは完璧に、許される手段を用意してから、向き合いたい。
だからわたしは、ここを去る。
でも、このまま無視して離れれば敵意を与えてしまいかねない。
わたしは、頭を下げた。
そして、手を振った。
ナイスネイチャさんの目は見開かれ、彼女も、僅かに笑った。
よし、これでいい。
私は公衆電話から離れ、寮へ向かうために歩き出した。とはいえ、場所的にナイスネイチャさんの横を通り過ぎなければならないため、少し気まずい。
ナイスネイチャさんの視界が近くなるにつれ、赤茶色の髪が主張を強くする。
やっぱり、触り心地がよさそうだな。わたしも触ってみたいな。
横目で、そんな髪を見つめながら、ついにナイスネイチャさんを通り過ぎていく。
「まって」
左手首に、軽い衝撃。肩が跳ね、心臓が音を立てた。
「その……ごめん。盗み聞きするつもりは、無かったんですけど。ほんと」
手を掴まれて、声をかけられてしまえば、どう足掻こうが向き直るしかない。望むにしろ望まぬにしろ、ナイスネイチャさんが少しでも私を認めてくれるなら、それがいい。
でも、わからない。
なぜナイスネイチャさんは、謝るんだろう。
振り返れば、ナイスネイチャさんの顔は、すぐそこ。とても近い。当然、髪の毛も目の前。それこそ、少し事故を装えばその赤茶に触れられるのではないか、と欲が出てしまうくらいには。
ほら、私の右手も、触りたくて勝手にピクピクしてる。
「ん。珍しいから、こんなので電話してる人なんて。気になって立ち止まるのも、無理はない」
「いやー……そうはいっても、それなら立ち止まらずに素通りすればいい話でー。と、ネイチャは思うわけでして」
「うん。でも、聞かれて困る話もしてない。別に平気、気にしないでいい」
わたしの目をじっと見つめて、口を何度か開け閉めするナイスネイチャさん。食堂でのユキノサンライズさんもそうだったけど、完璧な返答をすると、やっぱりみんな固まるらしい。
ふぅ……。
今日、いきなり大失敗した割には、なんだか口も回っていい気分だ。その失敗も、少しだけど取り戻せていそうな気さえする。
そのうえでまた後日、ちゃんとした謝罪をする。そうすれば、完璧だ。
「また、明日」
ナイスネイチャさんは待っていても特に行動を起こす気がないらしいので、わたしから挨拶を口にした。きっと、ナイスネイチャさんは優しいから、こんなわたしのために頭を使ってる。
でも、頭を使うべきなのは、本来こっち。だから、それをさせないために必要な判断だ。
「あー……そう、だね」
ナイスネイチャさんは納得してくれたらしく、指が一本ずつゆっくりと、わたしの手首から離れていく。
わたしは、ついに自由になった手を顔の前まで持ち上げ、左右に振る。明日も授業で、隣の席で顔を合わせる。今は変に会話を長引かせて墓穴を掘るなどしたくない。今日の自己紹介の件も、良かれと思ったことが最悪な失敗につながったから。
今、私が持っている武器は、暴発性がある。見直しが必要だ。
ナイスネイチャさんは自分の手を見つめたまま動かなかったけど、わたしが手を振ったことで流石にこっちを見た。そして、ゆっくりと一度頷いた。
それを見て、わたしは今度こそ寮に向かって足を動かす。もう、どうにもならないと思ったけれど、彼女の方から優しさを見せてくれた。流石に電話ボックスに来たのは偶然だろうけど、今は素直に、その偶然に感謝したい。
これなら、ユキノサンライズさんへの相談も長い時間をかける必要もなさそうだ。
大失敗した当日でも、ここまでナイスネイチャさんと話せるのなら、ユキノサンライズさんはすぐに答えを出してくれる。そんな、気がする。
⭐︎⭐︎
寮へ戻ったからと言って、ユキノサンライズさんは部屋にいるはずもなかった。彼女は今年、本格的にクラシックレースを走ることになるはず。だから、その関係で日々練習に励んでいるのは想像に易い。
「よし。考えをまとめる」
わたしは机の引き出しを開け、記録用の緑色のノートを取り出す。ペンを走らせながら今日あったことを事細かに思い出し、周囲の状況とわたしの行動が、どう結果に結びついたかを記録していく。
「一番は、これ。人の真似をすると、怒られるという矛盾」
ペンを横にして、鼻の下に忍ばせる。落ちないように唇をむにゅっと持ち上げ、胸の前で腕を組んだ。
そう、今日一番の問題は、これだ。
ナイスネイチャさんの挨拶を真似したら、彼女が望ましくない反応をしたという事実。普通、相手の真似をするというのは敬意の表れのはず。なのに彼女は、怒った。
相手におはようといえばおはようと返され、相手の調子を尋ねたら相手もこちらの調子を尋ねてくる。そうすることが、相手との円滑的な関係を築く上で大切なことだと、そう勉強したのに。
……やっぱりユキノサンライズさんの見解を、待つ必要があるのかな。事前に調べてきたことが、ここにきて悉く通用しない。いや、通用しないどころか、下手したら取り返しのつかないことにもなる。その上で動画やインターネットの力を借りたら、また見当違いな学習をしてしまうんじゃないか。
だったら、現役で一年ここで生活している先輩の見解の方が、絶対使える。
……うん。
なら、次はレースのことだ。
レースに出場しデビューするためには、やはりチーム加入やトレーナーとの契約がなによりも大切になってくる。専属トレーナーが出来たらとんでもないことだけど、そうはならないし、なったとしても、おそらくわたしの目標と真正面に衝突して、破綻する。だからこの線は、いらない。
いずれにせよ、選抜レースで活躍してスカウトに好印象を与え、目立つことは大前提だ。デビューすらできなければ、おばさん達に恩返しもできやしない。
ウマ娘である以上、出場するレースには常に本気でありたい。だからこそ、計算して、本気で走っても勝てないようなレースを導き出す緻密な計算が求められる。
まったく、考えることはたくさんだ。でも、選抜レースで勝てなければ意味はない。
これから体力作りに励んで、五月下旬の選抜レースに備える。それまでは教官の元で基礎練習に励み、実力をつけよう。
問題ない。きっと、大丈夫だ。私は町内レースでも負け知らずの優等生。敵はいない。そう、私の歴史が言っている。
うん。動こう。
顔を振ってペンを落とし、立ち上がる。ノートも閉じて、きちんと棚の中へ。
ユキノサンライズさんが戻ってくる前に、入浴を済ませ、出来れば夕食も終わらせておきたい。
朝、ユキノサンライズさんとご飯を食べる約束をしていたけど、練習で疲れた後で私とのご飯だなんて、嫌に決まってるから、これは確定路線でいいはず。
ここはユキノサンライズさんのために、先に食べておいた方が絶対にいい。
制服を脱いで学校指定のジャージに袖を通す。入浴セットを用意して、私は部屋を後にした。
⭐︎⭐︎
部屋に戻る頃には、時計の針は7を越えていた。幸いにも誰からも話しかけられなかったため、お湯に癒された体のまま、心まで穏やかだ。
歯磨きを済ませ、立ち鏡でパジャマに異常がないかを確認する。これからユキノサンライズさんを迎え入れるにあたって、中途半端な格好はしたくない。大事な相談にも乗ってもらうのだし、それが正義。
うん。とくにおかしいところはない。
くるりと体を回し、机に向かうために足を動かす。途中、床に脱いだままの制服が落ちていたため、蹴ってどかした。
さて、まずは今日あったことをユキノサンライズへどうやって伝えるか。それを考えよう。
緑色のノートを棚から取り出し、開く。きょうの出来事は既に記載済みなので、要点に丸をつけて補足説明をすれば問題ない。
そうしてノートと睨めっこすること1時間あまり。扉がゆっくりと音を立てて、開いた。
「いやぁ、今日も疲れた。……あれ、パジャマじゃん」
「うん。お風呂入った」
「そっか」
ユキノサンライズさんがこちらに歩いてきたため、わたしはノートを閉じた。
いや、また開いた。
そんなの、嫌な気持ちにさせる。どうせ、ナイスネイチャさんのことは相談するんだし、見られてもいいくらいの覚悟じゃないと、だめだね。
「え、なに。挙動不審だね」
ピンクの髪を揺らしながら、わたしの手元はしっかりと見ていたらしいユキノサンライズさん。目の前に来た彼女は、案の定顔を下げてノートをまじまじとみ始めた。
「……ねぇ、なにこれ」
「ノート」
「いやそうじゃなくて、中身の話」
「ごめん。素材は、分からない」
「……本気で言ってる?」
「……うそ、です」
「だよね」
覚悟を決めたくせに急に恥ずかしさが込み上げたから、咄嗟に嘘をついてしまったけど。
無慈悲に、ノートが取り上げられた。鼻とノートがぶつかるんじゃないかってくらいの距離で、まじまじと見ている。そのせいで、ノートに反射した鼻息がくぐもって耳をざわつかせた。
目が悪くなりそうで心配なんだけど、集中してるから、話しかけない。
「あのさ、レコちゃん」
しばらく後、ノートの上部から、ひょっこりと顔が出てくる。
「なに」
「ここにさ、ばっちりと書いてあるよね。ユキノサンライズへの報告案件って」
ノートを開いたまま手首を返し、ある一文を指で示してくるユキノサンライズさん。指が指し示す通りにそこを見れば『ナイスネイチャさんとの仲直りの戦略について、ユキノサンライズさんの見解を求む』という記載がしっかりとあった。そこに気がついてくれるとは、正直ありがたい。話が早く進む。
けど顔が、なんか怖い。
ユキノサンライズさんの眉間に、皺が。
「うん」
「上から読んだ限りだとさ。これさ、わたしが力になれること、ないんじゃないかな」
「……え」
「いやだって。わたし、ナイスネイチャ? さんのこと、知らないし。助けたい気持ちはもちろんあるけどさ」
そうやって、ユキノサンライズさんはノートを閉じて、わたしの方に差し出してきた。机に置いてくれればいいのに、わざわざ受け取らせようとする。
自分でもまた読んでみろ。
そういうことなのかな。
わたしはノートを受け取り、開いて、もう一度目を通し始めた。
「レコちゃん。今はわたしと話をしてるよね」
視界から、ノートが消えた。ユキノサンライズさんが、私からノートを奪って、そして目の前の机の上に、優しく置いた。
意味がわからず、答えを求めてユキノサンライズさんの顔を見上げる。
「そういうところだよ、レコちゃん」
「……どういう、こと?」
「もっと人に興味を持つの。レコちゃんって、人に興味、ないよね」
「……」
き、興味?
ああ、そうか。ユキノサンライズさんは年上だけど、だからと言って本質は学生だ。
だって、私が人に興味ないなんて、ありえないから。こんなに分析して、相手の考えを導いて、それで失敗しないように努力をしている。
ここにきての経験から、それが完璧でないのは確かだけど、だからといって、相手を知ろうとする努力だけは本物だ。
それは、他人への興味そのものだ。
ここはきちんと訂正しないと。この認識の差は、あまりに大きい。
「ある、興味。人に興味、ある」
「そっか。じゃあ、そのノートに追加しなよ。ナイスネイチャさんの好きな食べ物とか、レースへの意気込みとか。あと、趣味とかさ。人に興味あるなら、当然知ってるよね」
「そ、それは……追々。まだ出会って、初日」
「ふーん。じゃあ、次のページ開いてさ。わたしのこと、書けば?」
「え?」
「ほら、早く開いて」
わたしは、開かなかった。開けるわけがなかった。ノートを掴んで、引き出しを開けて。でも、その手首は、ユキノサンライズさんの腕によって、阻止される。
「逃げたらダメ。自分で開かないなら、わたしが開いてあげる」
「や、やめて……」
奪われたノートが、机の上に開かれた。びっしりと書かれたナイスネイチャさんのページはまくられ、何も書いていない、次のページへ。
「さて。じゃあまずは、わたしの好きな趣味。ほら、書いて」
「……わ、わからない」
「そうなの? 人に興味あるんだよね。知らないなんて、不思議だな」
ユキノサンライズさんは、置かれていた黒のボールペンを握った。そしてそれを、私の指に掴ませる。
やめて。
「じゃあ、私の次の目標はなんでしょう。レースの話ね。ほら、書いて」
けれど、私の手は、動かない。ペンを持つ手は細かく震えて、机に置くのも、何かを書くのも、全部違う。
「あのさ、レコちゃん」
わたしはただ、震えるペンを見つめる。そのペンが、横から現れた何かによってスッと持ち去られた。
それを追ったら、ユキノサンライズさんだった。
「人のことを知ろうともしないくせに、都合よく助けてもらおうだなんて。虫が良すぎ」
「……ごめん」
「いいよ、謝らないで。それよりご飯行こ。勘違いしてほしくないんだけど、わたし、レコちゃんのこと、好きだから。そこは安心して」
「……え?」
挽回だ、挽回だ。これは挽回だ。
ここで挽回しないと。
私に、居場所が。
引き出しから、青色のノートを取りだす。そして、特定のページを開いて、机から飛び出るように入浴セットの準備を始めていたユキノサンライズさんの横へ移動する。
「こ、これみて。これ。好きな人、尊敬する人、全部ユキノサンライズさん。ほら、見て。ここ、ここ見て」
「……」
「わ、わたしも好き。ユキノサンライズさん、好き。ご飯はもう、食べちゃったけど、戻ってきたら、だから、たくさんお話ししよう。」
ユキノサンライズさんはわたしのノートを一瞥すると、着替え一式を持った籠を無言で持ち上げた。そして、空いた手の方で私の肩をポンと叩く。
「うん。お話しよう。でも、もっと深い話」
「ふかい、話?」
「そ。あなたをこんなにした……レコちゃん自身のお話。ご飯を食べちゃってたのはかなーりショックだけど。これに比べたら、そんなのどうでもいいや」
ユキノサンライズさんはそう言って、私の手からノートを奪う。そしてそれを、投げる場所も見ずに、適当に放り投げた。
それは壁にぶつかり、ぐしゃりとわたしのベッドの上へと落ちていった。
「あ、ノート」
ここを生きるために必要なノート。大切なもの。だから、取りに行かなくちゃ。
「……会長め。やっぱりクソ面倒クセェ案件押し付けやがったか。今度あったら、胸ぐら掴んでぶん投げてやる」
ノートを拾い上げようとしたわたしの背中に届いた声は、誰の言葉なのか、わからなかった。
ユキノサンライズさんに似てたけど、あの人がこんな話し方をするわけないし。
ノートを拾って振り向けば、扉は開いたまま、そこには誰もいなかった。