朝食の片付けを終わらせた私は、誰にも見つからないようにこっそりと柳洞寺内を歩いていた。
離れのさらに奥へと、人目がないか気にしながら静かに歩を進める。そして誰も来ないだろう縁側までやって来て、再度人目がないかを確認し素早く動いた。
「はぁ~……」
縁側にゴロンと横になって手足を伸ばす。
「あ~気持ちいい。でもちょっと寒いわね」
日差しがあっても風が吹くと冬の空気は冷たかった。なので自分の周辺にだけ暖かい空気を維持する魔術を使う。
「ん、ヌクヌクね。あぁ温かい縁側で横になると、うとうとしちゃうわねぇ」
横を向いて膝を抱え丸くなる。
暖かい日差しにお腹が膨れた幸福感。そこに昨夜の戦いでの疲労感が加わり、怠惰な眠気に誘われる。抗い難い眠気を抵抗することなく受け入れ……。
「なにやら人目を避けてこそこそしているかと思えば」
瞬時に眠気が覚め、ガバッと身を起こし声のした方向へ顔を向けた。
「ああああ」
「ん? ああああ?」
「アサシンッ!?」
「如何にも」
声の主であるアサシンがにやにやと笑いながら私を見ていた。
はしたない姿を見られていたと知り羞恥で震える私を置いて、アサシンこと佐々木小次郎が聞いてもいない感想を語り始めた。
「縁側でうたた寝する異国の美女と言うのも悪くない。もう少し華やかな着物であればとも思うが。いや、しかし普段張り詰めているお主の素顔を見れたと思えば、十分かもしれぬな」
うんうんとしたり顔で頷くアサシンの言葉に顔が真っ赤になってしまう。誰にも見つからないようにこっそり隠れてだらけていた様子を見られていたなんて。
「まさか境内を散策中にこのような物を見られるとは。いやはや、日頃の行いと言うのは大事だと言う事か」
「あ、貴方、門番の役目を放棄して」
「日中に少々の時間ならば境内を散策してよいと、お主の了解済みであったはずだが? 不心得者が来た場合に備えて、なんと言ったか、あのワラワラするのを配備しているのだろう?」
「竜牙兵よ! ワラワラって言わないでくれるかしら……」
便利で使いやすいから使っているが、あのワラワラウネウネの動きは苦手だ。集団になったワラワラウネウネは、味方だけどちょっとだけ気持ち悪いと思ったり、思わなかったりする。
監視してるわよ、と言う意味を含め、竜牙兵を一度見せただけなのに的確にワラワラと表現するとは。
「って、そんな事はどうでもいいのよ。用が済んだのならあっち行って頂戴」
しっしっと手を振りあっちに行きなさいとアピールする。人目を避けてだらけていた事は開き直った。アサシンに見られた程度で私は逃げ出しません。
自室には間桐桜の面倒を見るライダーが居るし、本堂の方は他の方々が居るし、離れの隅っこでしか淑女の仮面を外せないのだし、逃げ場がないならもう開き直るしかないわよね。
適当な理屈を考え、再び横になり体を丸める。
「こそこそせずに、堂々と自室で休めばよいだろうに」
「煩いわね。ライダーにこんな姿を見せられる訳がないでしょ」
冷血な魔女として立ち振る舞っているからこそ、ライダーと対等に接していられるのだ。彼女の真名は支配者や女王と言った意味もあり、本来ならサーヴァントの枠に収まるような女神ではない。間桐桜のありえた未来、偽りとは言え絶対悪の邪神アンリ・マユの母として可能性にでも引かれたのだろう。
思い返せば私の周りはそんな存在ばかりだった。アルゴー船の英雄達は、どれもこれも人外過ぎた。そんな彼等を導くには、魔術を修めたちょっと賢い少女では無理だった。期待されたのは深謀を司る魔術師。だから相応しいように振舞っていたが、その成れの果てが昨夜の私か。
「あれの何人かの師であった賢者ケイローンの苦労が偲ばれるわね。下手に正面から打倒出来ちゃう力があるから、被害を抑える苦労をどれだけしたか」
「確かに、ぶつぶつと愚痴を吐く姿は見せられんか。見せた所で、今更ライダーの態度が変わるとは思わぬが」
昨夜、傷を負うほどの死闘を行ったというのに、私と違いアサシンは本当にいつも通りだった。不審にうろうろしてた私を見かけ心配して、あえてからかって元気付けてくれているのでしょう。
三枝由紀香に姿を見られて紳士的に振舞う未来もあるようだから、女子供には案外優しいのかもしれない。優しく気を使われるのは、まぁ嬉しくはある、が。
昨夜の事を思い出して気持ちが沈む。
「う~、衛宮士郎に本気の敵意を向けられたし、セイバーとアーチャーには絶対に倒すって殺意さえ向けられたわ。遠坂凛はどうでもいいけど」
邪魔をするなら世界さえも敵に回す。行動を起こした当初から覚悟していたけど、実際にアーチャーやセイバーと敵対してみると思った以上に気持ちが沈む。
私が落ち込んでるのを察したのか、アサシンが諭すような口調で言葉をかけてくる。
「時には友とさえも敵対するのは戦の常であろう。自らあのような宣言までしたのだ。後悔ばかりしても先へは進めぬぞ」
分かってはいる。けど分かっていても、納得して受け入れられるかは別の話。
「後悔なんて生前からしてばかりよ」
「……そうか」
皮肉気に言ったら反論も同意もせずに静かな声で受け止められる。チラッとアサシンを見ると、精悍な顔で風に揺れる外の木々に顔を向けていた。
彼も自分の過去を思い出しているのだろうか。稀有な剣才を持ちながら、名を馳せる事のなかった剣豪。彼の剣の腕は間違いなく英雄級。だと言うのに、架空の人物の代用品として呼ばれた存在。英雄足り得る力がありながら無名で終わった人生に、彼も後悔があるのだろうか。
ザァァと木々を凪ぐ風の音が響く。哀愁漂う侍が立つ冬空の雰囲気と、風の音だけが聞こえるこの場は荘厳でさえあった。寝転がる私が台無しにしていると自覚するほどに。
「後悔も次へ向かう標となるなら悪くはない、か。だがほどほどにな。余計な後悔まで背負い込みたくなければだが」
珍しい事に真っ当な忠告を残し、哀感漂う孤高の侍は去って行った。寝転がる私をそのままに。
消えた背中へ向けていた視線を戻し、ぽてっと頭を床に置いて力を抜いた。凄い遠まわしにだけど頑張れと言われた気がして、昨夜の死闘で疲弊した気持ちが少しだけ回復した気がする。
両足をぎゅっと抱え込んで猫のように丸くなる。
からかうだけじゃなくて良い所もあるじゃない。なんて笑顔を浮かべて居ると、誰かが近づいてくる気配がした。
この場所にはお寺の人は来ないはずだから、またアサシンかしらとそのままでいると――。
「キャスター、頼みたい事があるのだが…………」
渋いその声が言葉途中で止まるのを聞いて、我知らず体が硬直した。そして恐怖を抱えたまま脚をずらし、隙間から窺うように声の主を確認する。
「そ、そ、宗一郎様ぁ……」
「……」
泣きそうな情けない私の声にも無反応のままこちらを見ている宗一郎様が立っていた。
「まだ午前中のはずですが、どうして……」
現実を受け入れられない私は救いを求めて質問した。今朝、朝食後に宗一郎様と一成君を見送ったのだから、今ここに宗一郎様がいるはずがないのだ。
「今日は日曜日で休校日だ。どうしても早めに済ませたい用事があったので出かけたが、すぐに終わったので帰ってきた」
「あ、そうなのですか……」
前に今の時期は進路関係で忙しいとおっしゃってたので、きっとそれ関係の休日出勤だったのですね。一成君は生徒会長だから日曜日でも律儀に顔を出したとかでしょうか?
主婦モドキをやっているのに曜日を忘れるなんて……。ゴミ捨てとかはお寺の方がしてくださるし、曜日関係に縛られる家事をしてないせいかしらね。
リラックスする為に洋服を着崩して縁側に横になっている私。魔術で温かいから、胸元を軽く開けているはしたない姿。
「アサシンにここに居ると聞いて来たのだが、頼み事は後にするとしよう」
「いえ、今すぐで大丈夫です。何でも仰ってください。宗一郎様」
宗一郎様が去ろうとしたので素早く立ち上がり服を整え、笑顔を浮かべて丁寧な口調で返事をした。なんとなく横になっていた姿のまま、この場を終わらせてはまずいと思ったので。
取り繕った私を宗一郎様が真っ直ぐ見つめてた。熱が篭っていなくてもドキリとしてしまう視線。この方は嘘がないので色々な意味で緊張してしまう。
私の態度に何かしら納得したのか、宗一郎様は一度頷いてから言葉を発した。
「少し街に用事があってな。護衛を頼みたい。出来るか?」
「はい、お任せ下さい。マスター」
護衛と言う言葉で、私達は聖杯戦争に臨むマスターとサーヴァントの顔へと変わる。どんな事があってもマスターである宗一郎様を守る決意を心中で固めて。
もちろん、それが終わったらアサシンをどうしてくれようか考えながら。
この話はhollow ataraxia次元でお送りしました。